6.次男、萎れる
「や!!」
少し前まで、いつも通りに機嫌良く、ワクワクとした顔で朝ごはんを待っていたアーシャは、そう言って、口を真一文字にした上で尖らせた。
『いつもの素直さで受け入れてくれるだろう』が八割、『少しは寂しがってくれるかな』との期待が二割くらいの心持ちだった禅一は、顎の下に小さな梅干しのようなシワを出現させ、険しい表情になったアーシャに、目を見開いた。
「アーシャ、これは仕方なくて……」
ちょっと怒っていないか?と禅一はオロオロと彼女に語りかける。
本来、アーシャを保育園に送り出してから、禅一はひっそりと村に向かう予定だった。
保育園の送り迎えを繰り返すうちに、一つの知見を得ていたからだ。
離れる時は、大騒ぎしないでサッと離れる。
泣いて可哀想だから、心配だからと親が近くにいると、子供は泣く時間が増える。
親の姿が見えなくなったら、子供の方も諦めがついて、案外何とかなってしまうのだ。
禅一が試験で忙しくしている間も、譲さえいればアーシャは寂しがる様子もなかったらしいので、サッと姿を消したら、四日ぐらい平気で過ごすのではないかと思っていた。
禅一の方は大いに寂しかったが、各ご家庭の様子を見ると、お母さんが出張に出ていても、案外子供は楽しそうに遊び回っていたので、ほぼ大丈夫だろうと予測していた。
しかしそんな甘い考えを和泉に訂正され、
(そうだな。小さいとはいえ事前説明をしないと信頼関係が壊れるな)
と、思い直した。
確かに最近は落ち着いているが、最初の頃は保育園に行くのも大泣きだった。
今でも保育園に行く前に、お迎えの時間を前もって知らせている。
事前説明の重要性を知っていたはずなのに、ただの習慣にしてしまっていた自分の迂闊さを、禅一は反省する。
(それ程衝撃は受けないとは思うけど……泣いたりは……しないと思うけど……)
そんな事を思いながら、禅一は昨日急ぎで作ったフリップを用いて、四日間不在にする旨を、緊張気味にアーシャに説明をした。
因みに説明用のフリップは禅一が描いたのだが、絵のセンスが無さすぎて、魔界に行くと勘違いされかねない説明図になったため、譲に書き直された。
帰ってくる事を強調するため、帰りの矢印だけ目立つ色にしていたのだが、『色合いが気持ち悪い』と却下され、ただの太い矢印とされた。
「やいゅいにゅいにゃ!?」
恐らくアーシャの母国語であろう言葉が飛び出す。
(久々のニャンニャン語が……!!)
意味はわからないが、怒っていることだけは伝わってきて、禅一はますますオロオロとしてしまう。
「えぃ、えぃ、えぃにゃいぃぬぅ〜〜〜!!」
アーシャは顔を大きく歪めてから、テーブルに突っ伏してしまう。
裏切りだとか、狡いとか、責めるような語調に、禅一は慌てて小さな背中を撫でる。
(これは、本当に先に説明して良かった……!!)
言わずに行っていたら、帰ってきた時に口を聞いてもらえなくなっていたかもしれない。
普段ののんびりとした姿が嘘のように、反応が激しい。
「アーシャ、ここに、絶対帰る!大丈夫!」
少し顔を上げたアーシャに、禅一は必死に説明する。
(やっぱりもっと帰る矢印を目立つ色にしておけば良かった〜〜〜!!)
そう思いつつ、フリップの四日後に帰ってくる事を示す矢印を、激しく人差し指でなぞって強調する。
禅一の必死の説明に、アーシャの眉が一瞬下がった。
「や!」
しかしすぐに吊り上げて、大きく首を振られてしまう。
「うぐっ!」
可愛い可愛い妹からの拒絶は、下手な穢れよりダメージが大きい。
しかし嫌われたりしたら、耐えられないので、禅一は必死に説得を続ける。
「毎日電話する。電話っ!な?電話っ」
スマホを取り出して、わかり易くアピールする。
「でんあ!」
最近、電子機器にも興味津々になっていたアーシャの目が輝く。
「んんんっ、や!」
しかし脈ありと喜んだのも束の間で、ギュッと口を引き結んだかと思うと、首を振って、プイッと顔を背けられた。
「ぐぅっ!!」
禅一は胸を押さえて、ダメージに耐える。
メンタルは強い方だと思っていたが、俗に言う『アヒル口』などとは比べ物にならないほど、口を尖らせて、ただのアヒルと化したアーシャに、禅一はダウン寸前である。
世のお父さんたちが、『お父さん嫌い』という言葉に、激しくハートブレイクする意味が良くわかった。
「あ……あ……アー」
震えながら声をかけようとしていたら、プイッと背けた顔を元に戻し、アーシャは真正面から禅一を見つめる。
そして『異議あり!』とでも言いそうな迫力で、ビシッと人差し指を突き出す。
「アーシャ、も!」
アーシャの人差し指は、フリップ上の自分の人型を差し、それを禅一の人型の方に動かすように移動させる。
「……………!」
それを見た禅一の顔は、ぱぁぁぁぁ!と効果音がつきそうなほど輝く。
『お父さん嫌い!』ではない。
『お父さんと一緒に行く!』だ。
いや、正確に言うと、『お兄ちゃんと一緒に行く!』だ。
『お父さん嫌い!』の対局にいる言葉で、世のお父さんたちは、是非言われたいと思っているのではないだろうか。
地獄から天国へ。
脅威の垂直ジャンプで飛び越えた禅一の顔は、だらしなく緩む。
「アーシャ、も!」
親の心、子知らず。兄の心、妹知らず。
アーシャは『見て!』とばかりに指を禅一の顔の前で振ってから、せっせとフリップ上の自分を禅一の方へ動かそうとするかのように、指を動かす。
村はアーシャにとって危険な所だ。
穢れの中から出てきたことで、偏見の目は避けられない。
最上などは『御使い様』と言って、アーシャを有り難がっているが、好意を持たれているからと、安全に繋がらないのが藤護だ。
危険から遠ざけるという名目で、善意で監禁してくるような所で、そもそもの価値観が違うのだ。
実際に禅一たちもやられ、そのせいで祖母との最後の別れにも行けなかった。
どんなに泣いて懇願しても、怒鳴っても無駄だった。
そんな所に、もう一度アーシャを連れて行こうとは思えない。
「んんんっ!!負けそうっ!!」
しかし子供の『一緒に行く!』攻撃に心が揺らぐ。
今度は妹が可愛すぎて、禅一は胸を押さえる。
「あっさり負けてんじゃねぇ!」
そんな情けない禅一に、朝食の準備をしていた譲がツッコミを入れる。
譲はアーシャの前に立ち、禅一が持ったフリップの中の村を指で弾く。
「良いか?チビ。ここは危ないんだ。あ・ぶ・な・い!わかるか!?」
禅一のように周りくどくない、端的な表現だ。
とても相手に伝わり易い。
「ゼン、あぶない!?」
伝わり易過ぎて、アーシャは大きく反応した。
「あっ」
譲は失敗したとでも言うように眉根を寄せる。
「禅は危なくない。危ないのはチビだけだ。チビには危ない」
概ね正しい事実だ。
「えぁ〜?」
しかしアーシャは、さも胡散臭そうな顔で、譲を
(ちびっ子ヤンキーだ)
その様子はガラの悪い奴らが『ガンをつける』動作にそっくりだ。
「んぎっ!!」
そんなアーシャの鼻を譲は摘む。
「四日!よん!これだけだ」
怯んだアーシャの顔に、譲は指を四本立てて、突きつける。
「チビは俺と留守番!良いな?」
「や!」
しかしアーシャは即答でお断りしてしまう。
譲は口を開けて何か言おうとしたが、少し考えて、複雑な説明を止めたようだ。
「とにかく、チビは留守番!」
簡単な言葉で宣告する。
「や!」
そんな宣告にも、やはりアーシャは即答でのお断りだったが、譲は言葉での説得は無理だと判断したようで、調理に戻る。
無論アーシャは反対の意を示すが、ユズルは聞く気がないとばかりに、振り向かない。
「やっ!アーシャ、も!!」
アーシャは譲が返事をしなかったせいか、発声練習でもするように、大声で主張する。
譲は玉子に生クリームを入れてかき混ぜるだけで、振り向かない。
「ゼン!アーシャ、も!」
譲が反応しないならば、こちらだとばかりに、アーシャは禅一に訴えてくる。
一緒に行くと言われて、まんまと絆されそうな禅一だが、行く場所が悪過ぎる。
「アーシャは保育園もあるからな」
「ほいくえん、や!ゼン!」
「う〜ん、行っても面白くないぞ〜」
「ゼン、も!アーシャ、も!」
「俺は行くけど、アーシャは保育園だな〜」
一生懸命に頼んでくる姿は可愛くて、その内容が『一緒に行きたい!』なので、ついつい叶えたくなってしまうのだが、禅一は何とかアーシャの猛攻をかわす。
歯を食いしばり、『ぐぬぬ』とでも言いそうな顔をしていたアーシャだったが、突然フッと鼻で笑ってから、余裕の笑みを浮かべる。
「?」
やれやれとばかりに首を振りつつ、アーシャは自分の椅子からおりる。
「???」
そして何故か余裕の笑みのまま床に転がり……
「「???????」」
周りを確認してから、立ち上がり、窓際に移動してから、もう一度寝転ぶ。
謎が謎を呼ぶ行動で、禅一はもちろん、玉子を焼こうとしていた譲まで、アーシャの奇行に釘付けになっている。
真っ直ぐ仰向けに寝転がったアーシャは、こちらに聞こえるほど、大きく息を吸った。
「アーシャ、も!アーシャ、も!アーシャ、も!」
そして突然、棒読みの大声を上げつつ、シャカシャカと空気を掻き始めた。
まるでひっくり返された、安物の犬のおもちゃのような動きだ。
右手と右足、左手と左足の動きが揃っていて、不自然この上ない。
最初は勢いが良かった発声も、禅一たちが反応しないと、段々と尻すぼみになっていく。
そしてチラッチラッと明らかにこちらの反応を見ている。
(も……もしか……しなくても……)
禅一と譲は視線を交わして、小さく頷き合う。
((駄々っ子の真似をやってみてるーーーーー!!))
全く違う双子だが、ここだけは心の声が揃った気がする。
アーシャは二人が反応しないと見ると、少しづつ動きをアップデートしていく。
両手両足の動きをバラバラにしてみたり、上にまっすぐ伸びていた手足を、少し曲げてみたり。
(犬のおもちゃが、ひっくり返された昆虫みたいになった!!)
一生懸命やっているので、笑っては駄目なのだが、腹筋が痙攣し始めてしまう。
「アーシャ、も!アーシャ、も!アーシャ、も!」
棒読みの掛け声も、油断したら小さくなるようで、さながら夏の終わりに地面に墜落し、力尽きる寸前のセミのようだ。
「っっっっふ」
こちらの様子を伺うときに、ピタッと動きと掛け声が止まるのも、不自然過ぎて、面白い。
明らかに、誰かの真似をしているだけなのがわかるし、やり慣れていない。
譲も禅一も必死に耐えていたのだが、こちらの様子を伺っていたアーシャが、上手くやれているとばかりに、小さく頷き、
「アーシャ、も!アーシャ、も!アーシャ、も!」
再び鳴き始めた時、もう耐えられなくなってしまった。
(……セミファイナルッッ……!!)
ひっくり返ったセミに、死んでいるのかと思って近付いたら、突如始まる、
その映像が目の前の妹に重なった瞬間、我慢の限界が訪れた。
「フ………ゥブゥゥウウウウ!!」
決壊してしまうと、もう止まれない。
「あ、バカッッッッブフゥゥゥゥ!!」
口を手で押さえて、物理的に笑いを止めていた譲も、禅一の決壊に巻き込まれてしまう。
「ご、ごめっふひっひひひひひ!!ひっひっ、ひぃぃぃぃぃ!!」
「ふぐっ…………ぅぅぅふぐぅぅぅうううひひひひっっ!ひっぐ………ぅはははははは!」
お互い笑いを止めようと頑張るが、お互いの笑い声が足を引っ張り合って、止めなくてはと思う気持ちが、余計笑いを大きく、長引かせる。
笑いが止まらない大人二人を、アーシャは困ったように見つめている。
頑張って駄々っ子をやっていたのだから、こんなに笑ったら彼女のプライドを傷つけると焦るが、焦れば焦るほど、腹筋の痙攣は激しくなる。
すると、しばらくひっくり返ったまま困っていたセミは、起き上がり、呆れた大人たちを置いて、二足歩行に戻って玄関の方に走っていく。
譲の方は床に倒れる程の笑いダメージを喰らっていたが、何とか痙攣期を抜け、四つん這いになれるくらいにはなっている。
しかし完全復旧はできず、必死に呼吸を整えている。
「ない!」
そんな中、元気な声が響いた。
何事だと、そちらを見たら、今まで止まらなかった腹筋の痙攣が、嘘のように引っ込んだ。
「「………………………」」
大は小を兼ねるの精神で、無用に大きな禅一のリュックに、アーシャが生けられている。
否、リュックに両足を突っ込んで立っている。
「ないっ!ないっ!」
アーシャは力強く宣言したかと思うと、凛々しい顔つきのまま、腰をフリフリしつつ、リュック内部に沈んでいく。
「ふぐっっ!!」
せっかく収まっていた笑いの衝動が、何倍にもなって、禅一の腹筋を襲う。
「………………っっ」
しかし、いかに禅一のリュックが
何とか入ろうと本人は頑張っているが、物理法則の限界により、肩から上がはみ出ている。
「ふっふぐっっ」
リュックから真剣な顔をした子供の首が生えている光景は、シュール過ぎる。
破壊力のある絵面に、禅一は再び笑い出しそうだったが、何とか踏み留まる。
「ふんぬっ!」
アーシャは気合いの掛け声と共に、飛び出た頭を格納しようと、頭をリュックに折り畳む。
が、膝小僧に顔が当たって、ペチンッと何とも間抜けな音を立てただけで、頭は全く沈み込まない。
リュックから生えた、黒い毛玉がモサモサと蠢いている。
「いやいや……入ってねぇよ……」
「ふっ……ふぶぶぶぶっ、あ、あ、アーシャ、あー、じゃ、ふぷぷぷぷっ」
譲の冷静なツッコミで再び火がついて、再び禅一は笑い崩れてしまう。
「ホレ、出てこい」
「や!」
「こら!チビ!出ーてーこーいー!」
「やーーーー!」
どうやらアーシャは自分を禅一のリュックに
引っこ抜こうとする譲に、大抵抗している。
(ウーバー
真面目にアーシャを引っこ抜こうとしている譲に言ったら、確実に怒られるので、禅一は心の中でのみ呟く。
あのリュックを背負い、自転車に乗ってみたい気すらしてしまう。
妹を配達する姿には、きっと羨望の眼差しが集まるだろう。
しばらく攻防は続いていたが、アーシャがフジツボの如く頑張るので、譲は正攻法を諦めたらしく、何とか笑いがおさまってきた禅一の肩を、チェンジとばかりに叩いて、台所に下がっていく。
「アーシャ、ナイナイなのか?」
リュックへ籠城しているアーシャに声を掛けると、膝に顔を埋めていた彼女は、
「アーシャ、も、ゼン!」
顔を上げて、大きな声で、着いていくことを宣言した。
「ん〜〜〜、可愛いけどダメだな〜」
背負って回りたいのはやまやまだが、それはどうしても了承できない。
頭を撫でると、離れたくないとばかりに、天パの髪が手に擦り付いてくる。
「アーシャ、おいで」
それでも連れて行く事はできない。
しかしアーシャは強情にリュックへの籠城を続ける。
「ちゃんと帰ってくるから。大丈夫」
「ここが安全なんだ」
「四日なんてすぐだ」
「行っても、全然楽しくないから」
どんなに説得しても、リュックから出ないぞと言う、強い意志を漲らせた顔を、アーシャは振り続ける。
「う〜〜〜ん、村では一緒にいられないんだ」
禅一は絶食期間中、本家に滞在する。
自由時間は寝る時ぐらいで、後はほぼ軟禁されているような状態だ。
連れて行っても守ることができない。
言葉での説明は無理かと思い始めた所に、出来上がったオムライスを持って、譲が戻ってくる。
「ほれ、チビ」
禅一が作る、ミックスベジタブルをぶち込んだケチャップライスに、平たく焼いた玉子をのせた、なんちゃってオムライスと、それは全くクオリティが違う。
ライスは入れる具材を刻んで炒めるところから始めており、上にのった、焦げ一つない鮮やかな黄色のレモン形のオムレツは、生クリームなどが入っていて、見た目も味も、店レベルだ。
「!!!」
あまりの美味しそうな見た目に、リュックに籠城を続けていたアーシャの首が少し伸びる。
が、すぐに警戒するようにすくめる。
「……………」
そんなアーシャに、譲は無言でオムレツ部分を揺らして見せる。
「は………ぅ……」
催眠にかかったような目で、アーシャは再び伸び上がりそうになったが、途中でハッと目を覚まして、リュックに縮こまる。
必死に耐えているようだが、口からはヨダレが染み出し始めているし、視線は完全にオムライスに囚われてしまっている。
そこで譲はケチャップライス上のオムレツを、ナイフで展開させる。
「ふわぁぁぁ〜〜!!」
トロリと広がった玉子に、鼻を鳴らしながら、アーシャはフラフラと引き寄せられる。
それに合わせて、譲はゆっくりと皿をリュックから遠ざける。
「は……はぅ……」
アーシャは罠と気が付かず、まんまと誘い出され、身を乗り出してしまう。
「よっ………と」
「をあぁぁ!?」
そこで彼女の服の背中部分を掴まえ、譲は流れるような動作で、リュックから引き摺り出してしまう。
「ミノムシ捕獲。ほれ、抱っこしろ」
そう言って譲は、無念の声を上げながら、真っ直ぐ伸びた四肢をバタバタと振り回すアーシャを禅一に渡す。
(背中をつままれたハムスターみたいだ)
動きがまさに小動物のそれだ。
禅一が手を伸ばすと、ヒシッとしがみついてくるのも、それっぽい。
「アーシャ?」
アーシャは持てる力の最大限を込めた両手両足に加え、禅一のシャツに噛みつき、絶対離れないという構えを見せている。
「……う〜〜〜ん………」
しがみつくだけではなく、噛み付くところに、必死さが垣間見える。
これを無理に引き剥がすのは可哀想になってしまうが、近くで守れない以上、連れていくわけにはいかない。
それに閉じこもる村より、毎日楽しそうに行っている保育園に行った方が、絶対にアーシャのためになる。
悩む禅一に、譲がテーブルに置いた皿を指差して見せる。
「……とにかくご飯を食べようか」
まずは栄養補給だ。
お腹が減っていたら、余計に精神が不安定になるだろう。
オムライスを切り分けたスプーンを見せても、警戒する野生生物のような動きで、食べようとしないアーシャに、「ご飯だけ」と言って、無理に引き離す意図がない事を示しつつ、朝食を摂らせる。
譲のオムライスは思った通り、アーシャに大好評で、頬張るたびに腕の力が緩み、飲み込んだら慌ててしがみつき直すという行動を繰り返す。
『離れたくない』と主張されるのは、普段であればすごく嬉しいが、今回だけは心を鬼にして置いていかねばならないので、辛い。
村には『若奥の会』のように味方になってくれる人たちもいるが、実権を握っているのは、頭の硬い連中だ。
子供がいて夫がいて、村というコミュニティに属している以上、彼女らに無理なお願いは出来ない。
「俺一人じゃ、村で守りきる自信はねぇからな」
禅一の迷いを見透かすように、禅一用の朝食を出しつつ、譲は宣言する。
「……せめてもう一人、欲を言えば二人。戦力がいてくれたら、連れて行けるんだけどな……」
しかし頑なに禅一から離れようとしないアーシャを見て、ため息まじりにそんな事を言う。
「…………何だよ?」
「いや、譲が弱音っぽいことを言うのは珍しいなと思って」
素直に驚いた事を伝えると、譲はキュッと眉を寄せる。
「この状態のチビを禅から引き離して四日間面倒見るんだぜ?……正直手に余る」
最後はため息混じりに吐き出される。
食べる、緩む、飲み込む、慌てて抱きつくを繰り返すアーシャを見て、禅一は首を傾げる。
「『こんな可愛い生物と四日間二人きりが手に余る!?どう考えても楽しいだろ!?』とか考えてるな」
「おぉっ、サトリっ!?」
「妖怪じゃなくてもわかるっつうの」
譲は深々とため息を吐く。
「俺は元々動物も子供も好きじゃねぇの」
「えぇ〜」
「……好きじゃねぇの。鬱陶しい顔でニヤつくな」
「いやいや。……因みに『戦力』になる人って誰を想定してる?」
譲に睨まれて、禅一は話題を変える。
少し躊躇ってから、譲は口を開く。
「『藤護』に逆らって平気な実力者って言ったら、限られてくるだろ」
明言を避ける様子に禅一は首を捻る。
そして信頼できる人たちの顔を思い浮かべる。
「乾さんか?」
彼は義足ながら、禅一をも投げ飛ばす実力者だ。
しかも藤護の村の出身なので、一番入れる可能性が高い。
「あの爺さんは大勢を重んじる。チビも助けてくれるとは思うが、藤護を何とかしたいってのが一番だ」
そう言いながら、譲はオムライスを掬い上げて頬張る。
惜しいが違うという口ぶりだ。
「武知さんたちは何だかんだ言って、藤護には逆らえないだろ……」
信頼できる人柄だが、彼らは国に属する人間だ。
「いるだろ。血統的には俺たちに一番近い人物。藤護の血を半分だけ受け継いでいる」
譲にそう言われて、禅一はしばし考え、大きく首を振った。
「……いやいや、ダメだろう。峰子先生にはお仕事もあるし……色々な意味で彼女には危険だ」
藤護の直系に近い血筋の祖父を持ち、父のみが村の外の人間。
言われてみれば、母だけが外の人間である禅一たちに、かなり近い。
違うのは性別だけだ。
しかしこの性別が、村では大きな意味を持っている。
「そうなんだよな。あの人は強いし、絶対的なチビの味方になってくれる。……でも『女性』なんだ」
譲が諦めのため息を吐く。
藤護直系には、呪われたように女性が産まれない。
分家にすらほぼ産まれない。
血統を重んじる藤護にとって、その血を受け継ぐ女性は貴重だ。
最上が子供を産み続けて、ようやく授かった女の子は、産まれた瞬間に藤護の後継に嫁ぐことが決まったくらいだ。
彼女なら実力で周りを捻り潰してしまえそうではあるが、血の濃さを尊ぶ連中の巣窟に連れて行くことはできない。
「峰子先生とセットにすれば、孫バカのジジィも絶対にチビを守らざるを得なくなるから理想なんだが……それはチビを守るに限れば、ってだけだからな………まぁ、引っ剥がして四日間耐えるしかねぇよな……」
譲は今から疲れた顔をして、肩を落としてオムライスを口を運ぶのだった。
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