4.次男、明日に備える
ソファからはみ出した足を見て、譲は苦々しい顔をする。
コトンと眠りに落ちる代わりに、些細な物音でもさっと目を覚ます禅一には、自分の部屋で寝ろと言ったのに、全く人の言うことを聞かない奴だ。
「おい、上で寝ろっつっただろ」
譲は買い物袋を容赦なく禅一の顔の上に置く……いや、置こうと思ったのだが、直前で買い物袋が褐色の手に受け止められる。
「……狸寝入りかよ」
「いや?ウトウトはしていたぞ。ドアが開く音で起きただけで」
眉根を寄せる譲に、禅一は軽いあくびをしながら起き上がる。
「だから静かな二階で寝ろっつったんだ」
譲はそんな事を言いながら、禅一から自分用のお昼寝ブランケットを奪い取る。
本来、ここで昼寝をしたり朝寝をするのは譲だけで、禅一は横になっても眠ることは殆どない。
「いや〜、最近寝る時は、いっつもアーシャがいただろ?だからか、一人で寝ると何か違和感があって上手く寝れなくてな。寝る場所を変えたら、いけるかなと思ったんだが……上手くいかんな」
「はぁ」
「子供って寝るとポカポカするんだよ。で、この所、そのポカポカエネルギーで寝てたから、寝方がわからないというか……眠気ってどうやったら出るんだったか……」
首を傾げる禅一に、譲は深々とため息を吐く。
「人間の三大欲求を忘れたとか最強のボケ老人みたいなこと言ってんじゃねぇ!呑気に休める機会は今日しかねぇんだぞ!部屋で羊でも数えてろ!」
シッシと禅一を二階に追い払い、譲は買ってきた物をそれぞれの場所に片付けていく。
テストが全て終われば大学生は春休みだ。
せっかく休みに入ったから、アーシャも保育園を休ませようと言い出した禅一を蹴り飛ばして、送り出させたのに、当の本人が休まなかったら意味がない。
(いや、あのバカのことだから、チビがいたら絶対張り切って遊びに出かけてる。保育園に行かせたのは間違いじゃねぇ)
対応を誤ったかと思ったが、そう考え直して、譲は首を振る。
アーシャがいれば禅一は絶対に大人しくしない。
眠れなくても、体を横たえて目を瞑っていれば、そこそこの体力は回復するのだから、そうさせた方が絶対に良い。
(チビの生活リズムも、今、絶対に崩したくないからな)
アーシャを保育園に送り出したのは、禅一のためだけではない。
出来るだけ異変を感じ取らせたくないからだ。
(これから子供と四日間も二人きりか……)
表面的な人付き合いのみが得意な譲にとって、おためごかしが通じない子供と、二人きりで四日間も過ごすなんて、はっきり言って不安しかない。
禅一のように、駆け引きを一切考えず、自然に相手に寄り添うなんて真似、譲には出来ない。
相手の反応を見て、計算して対応を変える。
絶対に関わり続けなくてはならない人間には、壁を感じる好印象を、不釣り合いな好意を持って接してくるなどの関わりたくない人間には、嫌悪感を与えるように、それ以外には最低限の礼儀を守り、できるだけ印象に残らぬように。
それが譲の対人方法だ。
そんな譲には、相手の反応などお構いなしで、感情をぶつけてくる子供の相手は難しい。
不安を感じて泣き叫ばれたりしたら、どうやって宥めたら良いのかわからない。
だから出来るだけいつも通りに過ごさせて、不安を感じさせず、やり過ごそうと思っていたが、この『いつも通り』が存外難しい。
譲は追加で買ってきた高野豆腐を、たっぷりの水に漬けつつ、大きくため息を吐く。
こちらの話は一切わかっていないはずなのに、禅一が違うものを食べているだけで、アーシャの目は不安に揺れる。
朝食では、禅一は自分で作った、納豆巻きならぬ納豆おにぎりを食べていたのだが、それに気がついたアーシャは大きく目を見張っていた。
『ゼン、ゼン!あーん!あーん!』
食い意地の権化が、自分の食べ物を差し出した事には、譲も驚いた。
しかも一番の好物である肉と玉子を、だ。
『ぐぅ……なんて良い子なんだ……!!これは……断れない……!!』
効果抜群の『あーん』に、即挫けそうになっている禅一をどついて、無理にアーシャに食べさせたが、緑の目は動揺で細かく動いていた。
その後も禅一のお腹を撫でたり、抱きついたりと、『心配!』と明らかにわかる顔でまとわり付いていた。
それを見て、外見だけでも揃えねばと思って、本日の夕飯を唐揚げに急遽変更した。
アーシャは普通の唐揚げで、譲と禅一は下味をつけた高野豆腐の唐揚げだ。
(これは俺一人で対応するのは無理かも)
内心は不安だらけな譲だが、禅一は全く心配していない様子だ。
「あ〜ここから四日間お迎えに行けないのか〜」
などと、お迎えの時間になった途端、寝ていたとは全く思えない、浮かれた足取りでアーシャを迎えに行ってしまった。
アーシャは禅一を現世に縛り付ける鎖にする。
非人間的と言われようが、倫理がないと言われようが構わない。
ただの人間のまま『神』に立ち向かえるはずがない。
アーシャは鎖であり、禅一に絶対必要な戦力で、手放してはならない。
二人が共依存になるなら、絶対に離れられなくなるので、それは大いに結構。
むしろそうなれと、譲は常にアーシャとの距離を置くよう心掛けてきた。
それに情を移しすぎては、利用できなくなる。
「ゆずぅ!たーいま!」
……と、言うのに、この能天気な生き物は、曇りない親愛の感情を遠慮なくぶつけてくる。
「おてみみ!」
「お・て・が・み、な。それなら普通に折り戻せるから、遠慮なく開いて、とっとと返事を書いてこい」
冷たくあしらっても、
「かわいーな?」
鼻をピクピクさせ、お手紙折りされた紙を自慢をしてくる。
「へいへい、可愛いー可愛いー」
しっしと手を振っても全くへこたれない。
ぺッコンペッコンと、四股を踏んでいるような、下手くそなスキップで上機嫌に去っていく。
「お手紙が相当嬉しいみたいだな〜」
禅一は我が事のように喜びつつ、そんな様子を見守っている。
「手紙は文字覚えるのにも言葉を覚えるのにも丁度良いから、精々相手に続けてもらえるようにアドバイスしてやれよ」
最初は全文カタカナかつ、意味がわかるようでわからない単語の羅列という、ホラー映画の小道具のような仕上がりだったが、返信を繰り返し、そこそこ見られるようになってきた。
まだ助詞の使い方などは、わかっていないが、段々と文章っぽくなっている。
素晴らしい努力だ。
その子供らしからぬ勤勉さは、素直に称賛に値する。
「あ〜〜〜、なるほど」
「あぁ?」
「譲がめちゃくちゃ作文うまかったの、真面目に全部の手紙に返信書いてたからか」
「………そこは関係ねぇよ」
サラッと黒歴史をほじってくる奴だ。
小さい頃の譲は几帳面で、もらう手紙もらう手紙にきっちり返事を書いていたのだが、真面目に相手したせいで、ノルマがどんどんと増え、そのうち手紙自体に恐怖を覚えるようになってしまった。
(あぁ、そうだ。禅が行った後はポストを塞いでおかねぇと)
中には生き霊のなり損ないがくっついている物があるので、譲にとっては果てしなく危険だ。
生き霊死霊関係なく吹っ飛ばす
(生き霊を飛ばすような執念深い奴が近くにいるから、四日間は出来るだけチビを連れて外に行かない方がいいな)
こんな男も女もないような状態のチビ助でも、目の敵にする奴は、目の敵にする。
過去には譲が可愛がっていた野良猫にまで危害を加える、気が狂っているとしか思えない輩もいたので、その辺りには重々気をつけねばならない。
思考が全く理解できないから、一体何が起爆剤になり、何を仕掛けられるか予想できない。
とにかく気をつけるに限る。
(保育園の送り迎えは車で行くからいいとして。……買い物とかはどうしても助けがいるな)
今後の事を思い悩みつつ作業をしていたら、手紙を書き終えたらしいアーシャが明らかに怪しい足取りで、部屋を横切っている。
上半身だけ前傾姿勢にして、両手を広げ、抜き足差し足で歩く。
懐かしのアニメ映像などで出て来そうな、見事な泥棒ウォークである。
(良からぬ事をしていることが、これ程分かり易い事なんてあるんだ……)
思わず感心してしまう。
玄関近くに掛けられた譲のボディバッグと、昨日から放置されている禅一のリュック。
それらに向かって、精一杯背伸びしてフラフラしつつ、各々のポケットに封筒を詰め込んでいる。
どうやら生意気にもサプライズを仕掛けているようだ。
苦手な『手紙』だが、あまりに楽しそうで、悪意がないせいか、不思議なことに、貰っても悪い気がしない。
「ふへへへ」
そしてアーシャはやり切ったとばかりに胸を張って、また明らかにわかるコソコソ具合で離れていく。
(いやいや、あの怪しい動きじゃ返って気になるだろ)
呆れて、禅一はどんな顔をしているのかと見れば、兄はすっかり脱力して、うたた寝している。
「………………」
あれほど寝れないだの何だのと言っていたのに、チビ助が家に帰ってきた途端、気が抜けたように眠っていることに驚いて、譲は目を見開く。
(う〜ん……依存だろうが何だろうが二人がまとまっときゃいいと思ってたが、別々にしたら途端にパフォーマンスが落ちるのは問題だな……)
そんな事を考えながら、譲は夕飯の準備をするが、良い対策は思いつかない。
アーシャはアーシャで、仕上がった食卓に呼べば、各自のメニューが一見同じ事を確認して、あからさまにホッとしている。
この程度の細やかな変化を気にするなら、禅一が姿を消してしまったらどうなってしまうのか。
「えへへへへ、かああげ、たのしー」
「あぁ、唐揚げ、美味しいもんな〜」
などと呑気に笑い合いながら食事を楽しむ二人に譲は頭を抱える。
(色々考えても仕方ない。とりあえずは、和泉たちに手伝ってもらうしかない)
これから四日間、この二人を引き離すに従って、とりあえず問題になるのはアーシャである。
禅一はなんだかんだ言ってもしぶといし、成人しているので、本人で何とかするだろう。
アーシャは普段は大人しい、物分かりの良い、育てやすい子供だが、殊、禅一に関する事には、激しい反応を見せたりするので、できるだけ不安を与えないようにしないといけない。
妙な手紙を送りつけてくる輩もいるので、協力者は絶対に欲しい。
「じゃ、チビの風呂、行ってくる」
いつも通りの騒がしい夕食を終えると、次はお風呂である。
「よろしく!……あ、唐揚げ、旨かった!手間かけてくれてありがとな」
「へいへい。禅もとっとと風呂入って寝る準備しとけよ」
そんな会話を交わして、アーシャを毛布で包んで、譲は隣の部屋に向かう。
「アーシャたーーーん!!待ってた〜〜〜〜!!ささ、歌おう歌おう!」
そして和泉姉の熱烈歓迎を受け、アーシャを託す。
風呂用のスピーカーや、ジップロックに入れたスマホやらを用意して、歌う気満々の様子だ。
「……風呂に防音処理するか?」
「ん〜〜、元からアイドル動画を見ながら熱唱していたから、大丈夫だと思う。風呂で踊ることがなくなったから、むしろ静かになったよ」
「和泉姉……風呂で踊ってたのかよ……」
弟たちは顔を突き合わせて、苦笑し合う。
「さっきまで、篠崎君が来てたんだよ」
「え……大丈夫か?」
「うん。禅に『どこからを女性に区分けするかわからんから、それっぽい篠崎はとりあえず出禁』って言われた恨みを吐き散らかして、新作をプレゼンするだけして去っていった」
「相変わらず迷惑な奴だな……」
何故潔斎中に女人禁制を言い付けられているのか全くわかっていない禅一も禅一だが、篠崎も篠崎でマイペースの鬼で、相変わらず台風のような奴である。
代わりとばかりに押しかけられた、人見知りの和泉は心なしか、げっそりとしている。
疲れ切っている和泉に切り出すのは気が引けるが、譲は少し咳払いしてから話を始める。
「こっちも迷惑をかける話なんだけどよ、禅がいない間、和泉姉と一緒にチビの世話を手伝ってもらえねぇか?」
譲はかなり気まずく切り出したが、お茶を出していた、和泉は当たり前のように頷く。
「小さい子を見るのは大変だからね。姉ちゃんもしばらくは裏のお仕事は休業するって言ってるし、俺たちは殆ど家で作業してるから、いつでも頼って」
心強い言葉である。
「助かる。取り敢えず明日は、朝まで禅がいるから、夜までは問題ねぇと思うんだけど……帰ってこないと気がついたら、どう反応するか……。しっかり保育園で疲れてくれば、夜も寝るはずなん———」
「え……待って」
普段、人の話を遮るタイプではない和泉が、手を上げて譲の話を止める。
「アーシャちゃんに何も説明していないの?」
信じられないという顔で、和泉は言う。
「……?あぁ。だってまだ言葉が通じねぇし」
譲が和泉の勢いに驚いて答えると、彼は大きく首を振る。
「絶対に説明してあげて。お風呂から出たらすぐにでも」
普段の彼から考えると、あり得ない強さで主張される。
「いやいや。だから言葉が通じねぇんだぞ?」
「それでも。通じなくても説明してあげて」
そう強く主張されて、譲は戸惑う。
通じない言葉で説明して一体何になると言うのか。
「いや……でも、フツーの家族でも、わざわざ赤ん坊に、片方の親が出張行くとか説明したりはしねぇだろ?」
「普通の家族はね。しないかもしれない。うちのお父さんも檀家さんの家で酔い潰れて帰ってこないなんてザラだったし。でもアーシャちゃんには必要だから」
譲は幼馴染の主張が理解できずに首を傾げる。
「必要……か?不安になる時間は短い方が、チビの負担も少なくねぇだろ。わざわざ前もって不安にさせる必要あるか?平日は一日の大半が保育園で、帰って来たら飯食って風呂入って寝るだけなんだぞ。上手いことやれば誤魔化して……」
「保育園に比べて、家で過ごす時間がどれだけ短くても、誤魔化せないよ。『みんな』の場所である保育園と違って、家は『自分だけの』家族がいる場所なんだから。思っている以上に家族と過ごすことは子供にとって大事なんだ」
「………………。……一応俺も『家族』にはカウントされてると思うんだけど……」
禅一が試験勉強や試験で忙しくして、家にいなくても、譲さえいれば、アーシャは騒ぐことがなかった。
保育園に迎えに行けば、譲でも一応は喜んではくれる。
だからこそ、譲とアーシャで、こちらに残る選択をしたのだ。
「違う違う!譲が家族と思われてないとか言ってるわけじゃなくて!そうじゃなくて!!……う〜〜〜ん、なんて言ったら良いのかな……」
和泉は手をブンブンと振ってから頭を抱える。
「えーっと、普通の家庭なら、親のどっちかが出張に行くとか、家族の誰かが旅行に行くとか、事前に言わなくても、大したダメージはないと思うんだ。それはずっと家族で、バラバラの状態なんか知らないから。知らないから想像できない。家族は絶対家に戻ってくるものだと思っている。だから怖くないんだ」
ここまではわかる?とばかりに和泉が視線で尋ねてくる。
「まぁ、チビもここに来てそんな長いわけじゃねぇから、確かに怖いかもしれねぇけど……でも今回、ちゃんと戻ってくるところを見せたら、離れても戻ってくるんだって学習できるだろ?」
今ひとつ納得できない譲に、和泉はお茶を一口飲んでから頷く。
「うん。でも『突然いなくなる』っていうのは駄目」
譲の意見を肯定しながらも、和泉は主張を変えない。
「言葉がわからなくても、『二人揃って何か説明された』ってイベントが必要なんだよ。『どこかに行く前には必ず説明される』、『説明がない限りは置いていかれない』って思えるから」
そして心なし寂しそうに笑う。
「大人が思うより、『突然いなくなる』って子供にダメージなんだ。これからもずっと『突然置いていかれるかもしれない』って不安が付き纏うようになったら可哀想でしょう?」
そう思うのは、和泉の実体験からなのかもしれない。
両親は居なかったとは言え、譲たちには、祖母という絶対的な受け皿がいた。
離れるなんて想像もしなかったから、夜に寄り合いなどで、祖母が家を空けても、自分たちは平気だったのだろう。
「……わかった。説明する」
譲は降参とばかりに小さく両手をあげた。
それから一体どんなふうに説明したら、一番不安を感じないだろうかと、譲は思い悩んだ。
(禅も一緒が良いんだよな。図とか……書いた方が分かり易いか?)
不安軽減のために、絶対に帰ってくるという事を、いかに強調するかなど、真剣に考えた譲だったが、
「あれ?……チビ?おい、起きてるか!?」
風呂上がりの麦茶を飲ませ、髪を乾かしているうちに、アーシャの目は、いつの間にか、閉じてしまっていた。
「あ〜お風呂で散々歌ったからかな〜、最後の体力を使い果たしちゃったね〜」
そんなふうに笑う和泉姉の声を聞きながら、譲は微妙な顔で和泉を見つめる。
「………う〜ん………明日の朝、だね。起きた時に機嫌が悪くないと良いんだけど……」
和泉は困ったように呟くのだった。
こうしてアーシャが寝た後にでも確認しようと思っていた、彼女からの手紙の存在は完全に忘れ去られ、藤護兄弟の家では、どんなプレゼンが効果的かと遅くまで話し合われることとなった。
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