3.聖女、手紙を書く

昨日は『せつぶん』なる謎の儀式を、美味しく楽しみ、今日もアーシャは『ほいくえん』で一日を過ごした。

昨日、投げまくった木の実は綺麗に撤去され、影も形も見当たらず、

『善き哉、善き哉』

いつもより濃くなった神気を浴びて、老女神のサクラサンは大変満足そうだった。

帰る時も庭の中を、上機嫌にぴょんぴょんと飛び回っていて……失礼ながら、人の背より高く飛ぶ、筋肉隆々とした老女の姿はちょっと怖かった。


『ほいくえん』の小さな友達たちは、基本的に皆、優しい。

アーシャが言葉がわからないと知ると、手を引いて色んなものを見せて、一つ一つの名前を教えてくれる子がいる。

精一杯、体を使って意思疎通を図ってくれる子がいる。

本を読み聞かせてくれる子がいる。

時々突き飛ばしてくるような乱暴な子もいるが、ゼンと一緒に通う『どーじょー』で転がる練習をしているので、大きな怪我には至らない。


「アーシャ、おてがみもらったのか〜」

「ん!」

最近では、一緒に文字の勉強をしている子が、お手紙までくれるようになった。

アーシャは複雑に折られた紙が嬉しくて、ゼンに自慢するように見せる。


お手紙をくれるホノチャンは一枚の紙から、様々な形を作る天才だ。

毎回様々な形に折って渡してくれるお手紙は、それ自体が芸術品のようで、見惚れてしまう。

今回はなんと襟付きの半袖の服の形に折ってある。

とても一枚の紙で作ったとは信じられない。

開いてしまうと自分で戻せなくなってしまうのが難点だが、ユズルに折り戻してもらって、『自分の部屋』に大切に飾っている。


「れたーせっとわまだあるか?れたーせっと」

家に帰って、早速お返事を書こうと、自分の部屋にのぼったら、ゼンが聞いてくる。

「れたーせっと!」

そう言ってアーシャは、紙と封筒を掲げる。

これは上手く紙を折れないアーシャのために、ゼンが買ってくれた物で、とても可愛い猫の絵が書いてある。

多少歪に紙を折ってしまっても、封筒に入れて、『シール』で封をしたら、相手に渡しても恥ずかしくない立派なお手紙になる。

まだ何日分残っている紙と封筒を見て、ゼンは満足そうに頷いてくれる。

「へへへ」

こうやってアーシャが満ち足りているか、常に気にかけてくれること自体が、とても嬉しい。


ホノチャンの手紙は、昨日の夜のご飯が美味しかったことと、「アーシヤちやん、だいすき」との嬉しい言葉が添えられている。

『だいすき』とは、相手にとても深い親愛を感じているという意味だ。

「ふふふ」

どうやらホノチャンも昨日『えほーまき』と呼ばれる『のりまき』を食べたらしい。

アーシャも同じものを食べたことと、『だいすき』だと言う事を伝える手紙を書く。


手紙を解読し、返事を書く。

それだけで、驚くほど言語力が上がってきた。

言葉を沢山覚えたし、文字も驚くほど早く覚えられた。

今では『ひらがな』も『カタカナ』も、ほぼ間違いなく読める。

書く方も、まだ『ひらがな』は微妙だが、『カタカナ』はちゃんと他人に通じるようになった。

元の国の文字数から比べると、とんでもない量なのに、それ程時間をかけずに覚えられたのは、このお手紙のやり取りのおかげだ。

実際に使う事が、これ程学習に効果的なのだと、一人ではなくなって初めて知った。


(でも『ひらがな』と『カタカナ』の使い分けが、難しいのよねぇ)

『沼の深さは踏み込んで初めて知る』とでも言うか。

学べば学ぶ程、わからないことが減っていくかと思いきや、どんどん疑問が増えていき、更にわからない事が複雑になっていく。


一度、書き易い『カタカナ』だけを使ってお手紙を書いたのだが、添削をお願いしたゼンとユズルの顔が引き攣ってしまった。

『……のろいのてがみ……』

『これは……ちょっとだけこわいから、やめよーな』

どうやら通常使うのは『ひらがな』で、『カタカナ』は特殊な場合にだけ使うのだとわかったが、その『特殊な場合』がよくわからない。


ホノチャンはアーシャの名前を『アーシヤ』と書く。

なので、名前は『カタカナ』で書くのだと思ったのだが、『ホノチヤン』と書くと、『ひらがな』の方を勧められた。

ゼンの名前もユズルの名前も『ひらがな』で書くのに、アーシャは『アーシヤ』だ。

意味がわからなくて、タロ・タロ組に教えを乞うた。


『国の外のものはカタカナで書くんじゃ!』

と、モモタロは胸を張って教えてくれた。

そう聞いて、確かにアーシャはこの国の生まれじゃないので、『カタカナ』表記になるわけだと納得できた。

しかし元々この国の住人ではないないアーシャには、自分以外、どれがこの国の物で、この国以外の物かわからない。


『長音入ル言葉、舶来』

バニタロはそう教えてくれたが、この長音とやらも曲者だ。

『アア』と『アー』は、耳で聞くと全く差がわからないのだ。

この二つをどうやって判別するのかという質問に対する、バニタロの返事は、

『一ツ一ツ、覚エル、ダケ』

と、無慈悲だった。


(物の名前を覚える時は、音だけじゃなくて、どちらの文字で、どう書くのかも覚えなくっちゃいけないから、大変……)

何せ身の回りのものが、ほぼ全てがわからないので、覚えなくてはいけない事は山のようにある。

とんでもない情報量なので、以前のような独学だったら挫けてしまいそうだが、幸いな事に、『ほいくえん』には一緒に学ぶ同胞が沢山いる。

(あんなに小さい子達だって頑張っているのだもの!)

アーシャは今日も張り切って、お返事の下書きを『チラシ』に書いて、ゼンに添削を受け、本番に臨む。

この添削を受け、すぐに答え合わせをしていくという事も、学びの大きな助けとなっている。



「むふふ」

そうして何とか書き上がった三つの封筒を見て、アーシャはニマニマと笑う。

一つは勿論ホノチャンへの返信で、後の二つはゼンとユズルに宛てた物だ。


本来、一緒に住んでいるゼンとユズルには、手紙など渡す必要などない。

しかしアーシャは思いついてしまったのだ。

日頃の感謝や、『だいすき』は、唐突に伝え辛いが、お手紙なら可能だと。

しかも思いの丈を、遠慮なくつらつらと、思いっきりぶつけられる。

ゼンとユズルに宛てた手紙は、添削を受けられないが、大体意味は通じるだろう。


(こっそり渡して、気がついた時にびっくりして欲しいなぁ)

そんな思いから、アーシャはコソコソと二人がよく持ち歩く『りゅっく』に忍び寄る。

ホノチャンへの手紙は返信を送り合う物だが、二人へはアーシャから送る感謝の言葉だけだ。

急いで届ける必要はないので、邪魔にならなさそうな場所に、封筒を入れる。

「ふひひひひ」

いつ気がついてくれるか、楽しみ過ぎる。


———コイブミミタイ

わくわくするアーシャにアカートーシャが笑う。

彼女の時代には、美しい花の枝に、密やかに恋の詩を結んで、贈ったりしたらしい。

(凄いね……何というか、綺麗目なキザ?)

———……『ミヤビ』トイウノ

「ほへぇ〜」

アーシャには想像のつかない世界がそこにはあるようだ。


愛や恋には全くの無縁だったが、綺麗な花をもらったら嬉しいし、その花にお手紙まで着いていたら更に嬉しいと思う。

(でも詩とかは、よく分からないんだよね〜)

残念なことに、アーシャはその辺りを理解する能力に欠けていた。

特に貴族たちの輪郭のはっきりしない言葉は、同じ言語なのに言いたいことが全くわからず、聞く事すら苦痛だった。

詩を貰っても、返事に悩んでしまいそうだ。


「チビ、めしだぞ〜。てーあらってこい」

そんな自分に全く縁のない事を想定をしていたら、ユズルに声をかけられる。

「はい!」

アーシャは元気よく手をあげて、了解を示す。

もう『チビ』呼びを訂正する気は無くなったが、もっと言語への理解が深まったら、ユズルにも何か変な呼び方をつけてやろうと、密かに野心を燃やしている。


「ゼン、ゼン」

今日も料理はユズルがやっていて、ゼンはアーシャの手紙のチェックをしながら、ソファでうつらうつらと微睡んでいた。

珍しいこともある物だと、アーシャはゼンを揺り動かす。

「ん?どーした?」

今まで、確かに寝息を立てていたはずなのに、ゼンは今まで起きていたかのように反応する。

寝起きが恐ろしく良い。

「ごあん」

「そっか!ありがとー!」

そう言って、眠気を感じさせない様子でアーシャの頭をかき回してくれる。


(顔色が良くなってる)

自分を抱っこして食卓につくゼンを見て、アーシャは安堵する。

(良かった!!夜のご飯は一緒だ!)

そして三人とも同じ物が皿にのっていて、更にアーシャは安堵する。

今日の朝もゼンだけ『おにぎり』を食べていたので、本格的に体の調子が悪いのではないかと、心配していたのだ。

アーシャがベーコンや玉子をお裾分けしようとしても、ゼンは笑って首を振るばかりで、全然食べてくれなかった。


「どーした?」

笑みが溢れるアーシャに、ゼンは微笑ましそうにしながらも、不思議そうでもある。

「えへへへへ、かああげ、たのしー」

「あぁ、からあげ、おいしーもんな〜」

うふふふとお肉大好き同盟は笑い合う。


「いたーきまーしゅ!」

何の憂いも無くなったアーシャは、パァンと大きく両手を鳴らす。

香ばしい油の匂いだけで心が高鳴る。

———カラアゲ、スキ……!!

『からあげ』はアカートーシャも虜にしている。


一見茶色の塊で、全く美味しそうではないのだが、一噛みすれば、素晴らしい世界に誘ってくれる。

カリッと気持ちの良い歯応えがしたかと思うと、中から旨味たっぷりの熱々肉汁がほとばしる。

「んふぁ〜!」

口に広がる肉汁を味わいつつ、柔らかな鶏肉に齧り取る。

———カリッ、ジュワッ、ニックニク〜

それは普段お淑やかなアカートーシャの言語能力が崩壊するほど、最高の食感だ。


肉自体に味が染み込ませてあるのか、茶色の部分に何かが練り込まれているのかはわからないが、肉の旨みだけではない、深みのある濃い味と、鼻から抜ける香辛料の香りがたまらない。

「チビ、やさい!こめ!」

唇から滴り落ちそうになった油を指で拭いつつ、夢中で『からあげ』ばかりを食べていたら、ユズルのお叱りが飛んでくる。

「アーシャ、あ〜ん」

すかさず、ゼンがスプーンで『こめ』を掬って、口元に持ってきてくれる。


「あむっ!」

アーシャはそれに飛びつく。

「ん〜〜〜!!」

ついつい夢中になって肉を貪ってしまったが、やはり『こめ』は肉の最高のお供だ。

柔らかな味が、肉汁を吸い込み、絡む。

そして噛むごとに、染み出すほのかな甘味が『からあげ』の香ばしい辛さを引き立ててくれる。


ゴクンと飲み込んだら、次は自分でしっかりとスプーンを持って、『からあげ』を含んだ口に『こめ』を追加する。

「はふっはふっ」

『こめ』は熱々だが、それが良い。

空気を送り込みながら、アーシャは存分に『からあげ』との共演を楽しむ。

「ん〜〜〜!!」

口の中で転がして、味を馴染ませて、しっかり噛んで楽しんでから、まだ温かい塊を飲み込めば、喉から胃までにも幸せが広がる。


「アーシャ、アーシャ」

ゼンが『自分を見て』とばかりに顔を指差し、齧って小さくなった『からあげ』と、その横に添えてある葉物野菜を一緒に口に入れる。

「おいしー!」

そして頬を押さえて笑って見せる。


「ふふふ」

ゼンのおすすめは葉っぱと一緒に食べることらしい。

残念ながら『はし』が使えないアーシャは、ゼンのように、『からあげ』と葉っぱを一緒に持ち上げる事は出来ないが、それぞれを口に運んてから、咀嚼する。

「んっ!!」

野菜の繊維を断ち切る食感と、『からあげ』のカラリと揚げられた茶色い皮の食感。

どちらも全く違うが、どちらも小気味が良い。

野菜特有の爽やかな口当たりが、油たっぷりの『からあげ』を中和して、さっぱりとさせてくれる。

高めあう『こめ』も良いが、後口をスッキリとさせてくれる葉っぱとの組み合わせも素晴らしい。


「おいしー!」

アーシャもゼンの真似をしてそう言う。

頬を押さえて幸せそうな二人を、ユズルが呆れ顔で見守っている。

口の中は美味しさでいっぱい、笑い合って幸せいっぱい。

ゼンも元通り元気そうで、いつもと同じ生活をアーシャは噛み締める。



美味しいご飯が終わると、ゼンが食器の後片付けをして、アーシャはユズルと一緒にお隣に行く。

アキラの一件の後、長く寝ていたケーが起きてから、アーシャはケーと一緒にお風呂に入るようになったのだ。

ケーは歌が大好きで、明るくて陽気な歌を沢山教えてくれる。

お風呂の中は自分の声が驚く程上手に聞こえるし、ケーが音程をずらして、重ね合わせてくれたりして、凄く楽しい。


(そう言えば、どうして今日もイズミとケーは家に来なかったんだろう)

散々歌って、さっぱりしてしまってから、そんな疑問が湧いてきた。

いつもは一緒にご飯を食べて、お風呂に入って帰っていくのに、昨日から彼らは家にやってこない。

シノザキもだ。

昨日がたまたまだと思ったのだが、二日連続になると、少し気になる。


(……いつもと何か違うような……)

アーシャはそんな事を考えていたが、髪の毛を舞上げる『ドライヤー』をかけられると、頭や首が熱風で暖かいし、髪を優しくすいてくれる手が気持ち良くて、ついつい瞼が下がる。

「おーい、チビ?」

ユズルが何かを話しかけてきた気がしたが、重くなる瞼に抗えず、アーシャは目を閉じた。



次に目覚めた時、衝撃が待っているなど、涎を垂らして眠るアーシャには知りようがなかった。


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