2.長男、節分を満喫する

大学の試験期間は長い。

一月の末から二月の初めにかけて、一日平均三つ程度のテストをこなしていく。

(今回も何とか乗り切れた)

単位取得数が多いので、禅一にはテストがない日がなく、週末以外、一息つく日がない。

しかもそこそこ上位に食らいつかなくてはいけないので、一教科たりとも手を抜けない。

前回のテスト期間も大変だったが、今回はアーシャとの時間も最大限に確保したかったため、更に大変だった。

結局削るところは睡眠時間くらいしかなかったので、すっかり寝不足である。


しかしその睡眠不足とも今日でお別れである。

筆記用具をバッグに放り込んだら、禅一はウキウキと歩き出す。

(今日は豆まきをやるんだよな)

アーシャが鬼にどんな反応を見せたのかが気になってしょうがない。


「禅!今日の打ち上げ、参加する?」

「すまん、パスで!」

「個室だから妹ちゃんも連れてきていいぞ?」

「いや、今日、節分だからさ」

「あ〜そっか、豆まきか。了解了解。またな!」

「おう!」

友人は禅一が家で豆まきを楽しむものと了解してくれる。

嘘はついていないが、少しの後めたさを感じつつ、禅一は踵を返す。


実は今日から肉・魚類はもちろん、嗜好品の一切を食べられない。

糖分の入りまくったジュースなど、もちろんご法度だ。

一般的な精進潔斎とは異なるが、一週間後に控えた村での祭事に備え、体内に入れる物を整えねばならない。

三日の精進潔斎、三日の断食を経て、人の身を少しでも神の器に近づけ、儀式に臨む。

その為、皆で飲み食いする打ち上げなどは絶対に行けない。


本来は今日から村に帰って身を清めねばならないのだが、学校を理由に断食が始まるまでは、こちらにいる許可を貰っている。

(まぁ、こっちも命がかかってるから真面目にやるとわかっているだろうからな)

食べ物を変える以外は、朝のシャワーを水に変える程度だ。


異性との接触を断つなどの条件もあるが、元々全くモテないので、女性に触れること自体がない。

因みに一応アーシャは生物学的に女性に分類されるが、藤護の村では七歳以下は神の域にいるとされるので、除外して良い……と、禅一は勝手に判断している。

本来は異性と言葉を交わすことも禁じられているのだが、これは禅一の中では努力目標くらいの軽い扱いになっている。

(別に誰と喋っても大きな差はなかったしな)

実際に守った時と守らなかった時の差を感じなかったからだ。

そもそも喋る相手にいるかいないか如きで、何が変わるのかと禅一は思っている。


唯一の心配と言えば、食を断ってから儀式を終えるまで、アーシャと離れることだ。

村に連れ帰っても、断食に入ってからは、ほぼ軟禁状態になるので、一緒にいられない。

そのためアーシャは譲と、安全なこちらに残す予定だ。

お留守番はちゃんとできるが、夜離れるのは初めてなので、ちゃんと眠れるだろうかという心配はある。



急いでお迎えに向かうと、既に小さな人影が門にこびりついている。

「ゼン!!」

輝く笑みで、大きく手を振られれば、禅一もトップスピードで駆けつけざるを得ない。

「アーシャ!!」

と、名を呼ぶと、小猿のように門に張り付いていたアーシャは一生懸命門から手を差し出してくれる。

過酷なテスト期間を、この毎日の大歓迎のおかげで乗り切ったと言っても良い。

ビールなどを飲んだサラリーマンが『この一杯のために頑張っている』などと言うが、禅一はこの瞬間のために頑張ったと言いたい気分だ。

テストの疲れも吹っ飛んでしまう。


門を開けるとムササビのように両手両足を広げる、落ちた時のことを考えないフォームで飛びついてくるので、受け止めないわけにはいかない。

首にしがみついた小さな腕が、精一杯の力を込めて、締め上げてくる息苦しさもまた、癒しである。

まるで何年か越しの再会のように、喜びあっていたら、峰子先生が目に入る。

彼女は軽く頭を下げ、一人の男性を伴って歩いてくる。

長い黒髪の女の子と手を繋いでいるので、保護者だろう。


「こんにちは」

「こんにちは!今日も一日有難うございました」

峰子は挨拶を交わしてから、隣のお父さんを手で指し示す。

「こちら、年中さんの穂花ほのかちゃんと、そのお父さんです。今日の豆まきで鬼役をやってくださったんです」

「初めまして。鬼役、有難うございます」

紹介を受け、禅一は頭を下げる。


「初めまして!いやいや、特別な保育参観みたいで役得でしたよ〜」

アーシャの保護者として、ちゃんとした所を見せねばと、少しだけ緊張した禅一に、彼は明るい笑みで答える。

その嬉しそうな顔に、連帯感というか親近感のようなものを感じる。


「今日はいつ帰っても良かったんですけど、アーシャちゃんのお兄ちゃんに会ってみたくって、待っていたんですよ〜!娘がアーシャちゃんのことが大好きみたいで。良ければ、連絡先を交換させてもらって、外遊びにもお誘いさせてもらえたらと思って」

ニコニコの笑顔でぐいぐい来る父親とは違って、アーシャが好きという女の子は父親の足の後ろに隠れてしまっている。

恥ずかしがり屋なのか、禅一に怯えているのか、もしくはその両方だろう。


「よろしくお願いします!アプリ何使っていますか?」

よく使われるメッセージアプリ以外にも、大学での連絡用に様々なアプリを入れているので、連絡先交換は簡単だ。

(おぉ〜!パパ友ゲットだ!)

内心、そんなことを思いながら、禅一は連絡先を交換する。


「いや〜、妻や娘から、学生のお兄ちゃんが引き取った子が通い始めたって言うのは聞いていたんですけど……」

そのくだりを聞いた時、『これだから両親のいない子は』と言われ続けた者として、禅一は少しヒヤリとする。

アーシャが環境のせいで差別を受けるかもしれないと思っていたが、実際そうなると、衝撃を受けてしまいそうだ。


「聞いていた通り、めっちゃ良い子で!」

しかし話しかけてきた父親は、ホワッと周りを明るくするような笑みで言い切った。

「僕が痛がる演技をしたら、豆をぶつけるのも戸惑っちゃって。『いちゃー?』って心配してさすってくれたりするんですよ〜。いや〜、超絶人見知りなウチの子が好きになるわけです!」

男性は片手を娘と繋ぎ、もう片手でその時を再現するように、背中を撫でる仕草をする。

その手に握られた袋の中で、少し土に汚れた落花生が振り回されている。


微笑ましいアーシャの様子が伺い知れて、禅一は頬が緩みつつも、妙にその落花生に目がいく。

「去年から園での豆まきは落花生でやる事になっているんです」

禅一の視線を読み取った峰子が補足してくれる。

「落花生で、ですか?」

こちらの地方で豆まきに使うのは、大豆なので、禅一は目を丸くする。


「大豆でも子供の誤嚥事故が報告されたので、変更したんです。ボーロを投げる案も出たんですが、普段おやつで出しているものなので……子供達が投げて遊ぶようになったら困りますから」

「それに落花生も『炒った豆』ですからね!殻があるから誤食防止になるし、投げた後は回収して、こうやってお裾分けにあずかれますし!」

嬉しそうに父親は落花生の入った袋を振る。


「大豆も詰まるんですか……」

気をつけるべきは木の実ナッツ類だけだと思い込んでいたが、確かに未成熟な奥歯では、硬い豆も十分にすり潰せないかもしれない。

アーシャを首にぶら下げたまま、禅一は天を仰ぐ。

「……もしかして、大豆、買っちゃいました?」

「買っちゃいました……」

「わかります〜、うちも去年、普通に買っちゃって。園のお知らせで知ったんですよ〜」

ウンウンと父親が頷く。


「食べないように注意して外に撒く……にしても、アーシャちゃんはちょっと危ないような……」

禅一の首にしっかりとしがみついているアーシャを見て、峰子は言い淀む。

食欲面では全く信頼がないアーシャである。

「食べられる物は、とりあえず食べますからね……」

禅一も乾いた笑いをこぼす。


「あはは、アーシャちゃん、よく食べるらしいですよね!」

父親はそんな禅一を見て明るく笑う。

「ウチの子、めちゃくちゃ食が細いから、先生たちがアーシャちゃんと一緒に食べるようにしてくれたんですよ。で、量こそはそれ程増えてないんですけど、最近は楽しそうに食べてくれるようになって!家ではアーシャちゃんがこれを食べて踊ってたとか、歌っていたとか毎日話してくれてます!」

父親はキラキラとした笑顔で告げてくれるが、果たして、それは保護者として喜んでしまって良い事なのだろうか。


「アーシャちゃんの食セラピーには、みんなお世話になっています」

きりりとした顔で峰子までそんなことを言う。

知らぬ間に、美味しく食べるアーシャが、子供達の食に影響を与えているらしい。

(食セラピーって……アニマルセラピーの亜種のような……)

良い影響を与えられるなら、喜ぶべき事なのだろうが、素直にそう感じられないのは、アニマルたちが妙に脳裏を過ぎるせいだろうか。


「うちの子、超絶内気で、あんまり上手く話せないんですけど、アーシャちゃんは全く気にしないで、仲良くしてくれてるみたいで。本当に有難うございます!」

自分の足に張り付いて全く出てこない娘を、彼は愛おしそうに見つめてから、満面の笑みを浮かべる。

「いえいえ。アーシャもまだまだ上手く話せないのに、仲良くしてもらって、こちらこそ嬉しいです」

そう言ってお互い帰る流れになった時、そっと黒髪の少女が顔を覗かせる。


「……あ………あー……」

彼女はアーシャを見て、静かな部屋の中でも聞き取れないほどの、小さな声を出す。

禅一がポンポンと小さな背中を叩くと、熱心に彼の首を絞めていたアーシャは顔を上げる。

「………?あ、ほのちゃ!」

不思議そうに顔をあげたアーシャは、モジモジと動く少女を見つけ、笑顔になる。

少女は恥ずかしそうに父親の足に隠れつつ、小さく手を振る。

どうやらお別れの挨拶がしたかったらしい。

「ん!ほのちゃ、まちゃね〜!」

控え目な挨拶に対し、アーシャは全開の笑顔でブンブンと手を振り返す。

女の子は顔を真っ赤にしつつ、もう一度手を小さく振る。



(もうすっかり馴染んでしまっているな)

日本語がわからない。

こちらの文化もよくわかっていない。

保護者も普通ではない。

そんな状態で保育園に馴染めるだろうかと心配していたが、子供とはそんな物を軽々と超えていってしまうものらしい。


「アーシャ、今日は鬼が来たんだろう?鬼、怖くなかったか?」

そうやって聞いてみると、

「きょー、おに!」

と、目をキラキラさせて、語ってくれる。

「……ん〜……コータ、おにゃそとー!」

エイエイと何かを投げる仕草をして、

「じょーじゅ!」

パチパチと手を叩く。


「そっか。幸太くんは『鬼は外』が上手なのか〜」

わかる言葉が少ないながら、何とか伝えようとしてくれるのが微笑ましくて、禅一は目尻が下がりっぱなしである。

(おにゃそとーって!みんな発音が拙いんだろうなぁ)

子供達が豆を投げる様子が目に浮かぶようだ。


「アキア!……わーっ、おにゃそとー!」

今度はなんて言おうか迷って、両手をブンブン前後に振ってから、投げる仕草をするので、逃げながら豆を投げていたのかもしれない。

「そうか〜。アキラちゃんは走ってたんだな〜」

帰り道のお喋りは、アーシャの一日を伺い知る大切な時間だ。

連絡帳だけでは得られない、アーシャの成長が垣間見れる。



のんびりと散歩しながら帰ると、家からは既に良い匂いがしていた。

「早いな……!!」

既に仕込みを始めている譲に禅一は驚く。

手を抜ける所はどんどん抜いていく禅一に対して、譲は基本に忠実に作っていくタイプなので、確かに時間はかかるが、それにしても取り掛かりが早い。


「品数が多いんだ。早めに作っといた方が良いだろ」

そう言って、譲は不機嫌そうに調理を続ける。

「えっと……俺のは別に作らなくて良いぞ?その辺のものを適当に食べるから」

大家にもらった圧力鍋や、家にある鍋、フライパンを総動員して、譲は作業している。

あまりに大変そうなのでそう言ってみると、ギロリと睨まれる。


「お・ま・えがそうやって精進期間中はテキトーやるから、俺が料理当番をやってんだよ!いつもいつも、納豆と豆腐ばっかり貪り食いやがって!!」

精進料理というやつには馴染みがないし、調べながら作るのは色々面倒くさい。

そこで禅一がやるのは、冷奴と納豆と白米のドカ食いだ。

「納豆も豆腐も美味いんだから良いじゃないか。どれも植物だから野菜も取れた判定になるし」

「良くねぇ!偏らすな!小学校の家庭科からやり直せ!」

尻を蹴り飛ばされながら、禅一は退散する。


禅一が竿から外した洗濯物を、アーシャがせっせと洗濯籠に入れたり、一緒に畳んで片付けたり、真剣な顔でお手伝いをしているつもりのアーシャと一緒にお掃除ブラシを持って、お風呂掃除をしたりしているうちに、テーブルには巻き寿司が並べられ始める。

「……懐かしいな!『お花の寿司』じゃないか!」

禅一はアーシャの席に置かれた巻き寿司を見て、声を上げる。


彼らの幼少期、田舎暮らしの祖母は、流行り初めの恵方巻きなんて全く知らなかった。

それなのに幼稚園で恵方巻きの噂を聞きつけた禅一はそれが食べたいと、駄々をこねてしまった。

ただの太巻きではない、豪華な巻き寿司を一本丸ごと食べる。

そんな幼児からの情報だけで、祖母が精一杯華やかに作ったのが、『お花の寿司』だった。

中心は少し甘い厚焼き卵。

それを取り囲む五枚の花びらは、具を混ぜて色をつけた五本の細巻き。

花の形が可愛い、特別感のある寿司が嬉しくて嬉しくて、大満足で食べた記憶がある。


そのうち近所のスーパーにも恵方巻きが並ぶようになって、本物を買ってこようと言われたが、禅一は毎年『お花の寿司』をオーダーした。

禅一にとっては、ばあちゃんが作ってくれた物こそが『本物』だったのだ。

「あぁ……まぁ。チビはまだ生魚ダメだろうからな」

譲は大した事無さそうに言うが、これだけ手間のかかる物を、わざわざ作るくらいだから、思い入れがあったに違いない。


「わぁ!!」

『お花の寿司』を見たアーシャも、ありし日の禅一たちのように目を輝かせる。

「しゅごーーー!!」

鼻がくっついてしまうほど近づいてアーシャは感動している。

順調に保育園でよく聞く単語を覚えている。

『すごー』じゃなくて『すごい』だよ、なんて野暮な訂正はしない。

とりあえずは意思疎通できるようになるのが先決で、正確さは二の次だ。


「しゃけ!にく!………?」

アーシャは勢い良く具を当て始めたが、三本目で既にわからないようだ。

「鮭フレーク、そぼろ、桜でんぶ、明太子!」

隣から解答を出すと、わかったのかわかっていないのかは不明だが、真剣な顔でウンウンと頷いている。

「きえ〜」

その顔は幸せそのものだ。

「綺麗だな〜」

それが自分の幼い日の幸せな記憶と合わさって、余計に眩しく見える。


祖母が花びら部分の細巻きも海苔で巻いていたのに対して、譲は薄く焼いた玉子で代用している。

(そういえば、譲は海苔が中々噛み切れなくて苦労していたもんな)

その辺りを覚えていて、食べやすいように工夫したのだろう。

アーシャのおかげで、弟の中にも祖母との記憶が鮮やかに残っているのだと、確信が持てた。


「あぁ?何ニヤニヤしてやがる」

因縁つけてくるヤンキーの如き譲に、禅一は表情を改める。

「あー。恵方巻きなんてもう食べられないと思ってたからさ。アーシャのお陰でラッキーだな、って」

これから行われる清めの祭は、村で使っていた暦での大晦日おおみそかに行われる。

戦後、村の外の暦に従うことになり、本来の大晦おおつごもりに何もしない事を危惧する声を受け、祓いと清めを、それぞれの暦の大晦に分けたらしい。

大晦の大祓えは大きく力を消耗するので、祓いと清めの日を分けたほうが都合も良かったらしい。

つまり太陽暦での節分周辺は、大体精進潔斎の期間に入るので、節分行事のメニューとは縁がなくなったと思っていたのだ。

これまでも譲には付き合う必要はないと言ったのだが、『一人で恵方向いて食うなんてわざわざやるかよ』と、弟は黙々と精進料理を作っていた。


「………そんなモン、恵方巻きとも呼べねぇだろ」

譲は不機嫌そうに眉根を寄せる。

「いやいや、美味そうだろ。俺、かんぴょう好きだし」

そんな会話をしていたら、嬉しそうに自分の皿を見ていたアーシャが、禅一の皿を見て、目を丸くする。

自分が食べているものと禅一のものが違ったら、アーシャは戸惑うだろう。


楽しんでいるアーシャに水を注したくないので、さりげなく視線を遮ろうとしたら、それより早く、

「ほれ」

譲が最高の目眩しを差し出した。

「しゃかな!」

イワシの柔らか煮だ。

その香ばしい匂いにアーシャは釘付けになる。


「イワシ、だよ。良かったな〜」

節分だからイワシを出したのか、イワシがたまたま安かったのかはわからないが、茶色に染まった身が、味がしっかりと染みていることを示していて、とても美味しそうだ。

「んふふふふ」

禅一が声をかけると、胸いっぱいにニオイを吸い込んだアーシャが嬉しそうに笑う。

頭を落として内蔵をとったり、臭み抜きなどの下処理をするのが面倒で、禅一が全く手を出さない料理なので、ぜひ堪能してほしい。

圧力鍋まで使うこだわりっぷりだったので、骨まで柔らかになっているだろう。


「さっさと食うぞ」

イワシに喜び合う兄と妹に、譲は素っ気なく言う。

「いたーきましゅ!!」

勢い良く両手を合わせたアーシャは、早速フォークとスプーンを手に、イワシに飛びつこうとする。

流石の肉食だ。


「あ、アーシャ、こっちから、こっちから」

禅一は慌てて、本日のメインディッシュである恵方巻きを勧める。

これが節分ご飯の楽しみである。

「のいまき?」

いつもの海苔巻きはただの白米の代わりなので、先に食べるように促されて、アーシャは不思議そうだ。


「恵方巻き!」

いつものとは違って、これはスペシャルな海苔巻きなのだと伝えたいが、子供にとって、呼び名が変わった所で、それがどうしたという感じだろう。

キョトンとしている。

「えーっと、今年の恵方は……あっちを向いて食べるんだ」

ならばイベントを体感させるのが手っ取り早い。

スマホで方位を調べ、不思議そうな顔のアーシャの椅子の向きを変える。


アーシャが選んだ恵方巻きを持たせ、

「アーシャ、シーで食べるんだ。シー」

小さい頃の禅一が面白いと思っていた事を実践させる。

『恵方』という毎年変わる良くわからない方向を向いて、普段は切り分ける巻き寿司一本を無言で食べ切る。

この不思議な、おまじないめいた行為が、子供だった禅一には楽しかった。


「ん!」

『しー』が通じるだろうかと思ったのだが、いつもならビクトリーポーズを始めたり、揺れ始めたりするアーシャは静かに食べる。

「んふふふふ〜………ん!」

途中で美味しさのあまり、鼻歌が出た鼻と口を、慌てて押さえて、モグモグとやっている姿に努力が垣間見える。


「ん!」

自分も食べ始めて、禅一は目を見開く。

かんぴょうときゅうりだけに見えた、精進恵方巻きだったが、コリッとした口当たりの、甘辛い味付けの椎茸が入っている。

(お、サヤエンドウも刻んで入れてある)

時々キュウリとは違うサクサクとした食感が口に当たる。

(これはそぼろ……じゃないな。何だ?)

そぼろに少し似た優しい味の何かが、美味しい。


(また手間をかけさせたな)

いつも譲は禅一に合わせていたので、今回からはアーシャもいることだし、自由に食べてほしいと思って、和泉姉に譲たちを手巻き寿司パーティーに誘ってもらった。

気持ち的には身内の和泉姉だが、一応女人なので、禅一は一緒に食事ができない。

だからこそ、禅一を気にせずに、好きな物を好きなように食べて来てほしいと思ったのだ。


しかしそんな禅一の浅知恵など譲はお見通しだったようで『潔斎中は俺が飯作るから余計な真似をすんな』と宣言させる結果となってしまった。

せめてもの救いは和泉たちに差し入れる恵方巻きの『ついで』に作った、譲の恵方巻きが豪華な七品の具入りになった事だろう。


「……………」

禅一は目を細める。

祖母がいたスペースには、真剣な面持ちで醤油に恵方巻きを浸しているアーシャがいる。

顔ぶれは変わってしまったが、ある日を境に消えてしまった日常が返ってきたようだ。

譲と二人、村から一時的に出ることができても、ずっと非日常に縛り付けてくる、見えない鎖を感じていた。

しかし家族の中心にアーシャという大きい存在が入ってきた今では、自分たちをがんじがらめにしていた鎖が、些細なものに感じてしまう。

大人二人を日常に引っ張り戻してくれるのだから、子供の持つ影響力というのは計り知れない。


小さめの恵方巻きを完食したアーシャに

「美味しかったか?」

と聞けば、

「おいしーな!かわいーな!」

と、満点の笑顔が返ってくる。


「俺も美味しかった。譲、ありがとな」

そう言えば、二本目を食べていた譲は、『うるさい』とばかりに、シッシと手を振る。

いつものようにそっけない顔だが、腹の中から一緒だった仲なので、何となく、譲も節分を楽しんでいるのがわかる。


骨が丸ごと入ったイワシにアーシャは戸惑っていたが、実際に骨まで食べられることを示すと、喜んで食べ始める。

「イワシ、大ウケだな」

それを微笑ましく見守りつつ、禅一は自分用に作られた精進料理を食べる。

高野豆腐と椎茸、人参、サヤエンドウの、『精進料理』と言われたら大体の人が想像しそうな煮物だ。


「……これ、すごい美味いな。高野豆腐とか、食べ応えある」

そう言ってから禅一は気がつく。

「あ!恵方巻きに入ってた肉っぽいの、これか!」

「そう。それを小さく切って炒めただけ。ちなみにその皿はほぼ恵方巻きの残りモンだ」

大して手間をかけてないと言っているようだ。

「へぇ〜、だから美味いのか!」

禅一からすると物凄い手間暇かけているのだが。


「そうだ、俺、福豆買って来てたんだけど、大豆って子供は食べられないんだな……」

節分のメインイベントである豆まきと、それを年齢分食べるという作業ができない。

「あ〜、大豆も硬いからナッツ類と同等なのか。ま、今年は良いんじゃねぇの?保育園でも撒いてんだろ」

しょんぼりとする禅一に対し、譲はドライである。


「はぁぁぁ〜、俺もアーシャと豆まきしたかった。鬼のお面も用意してたのに」

「………頼むからそれ被って外に出るなよ。禅がやるとシャレにならねぇ。ご近所さんが心筋梗塞起こすぞ」

「えぇ!?節分だし驚かないだろ!?」

「リアル初見殺しになるから止めろ。理解する前に昇天する」

「え〜〜〜」

しかし残念なものは残念である。


「ま、ちょっと大きくなった後の楽しみにしとけば良いんじゃね?鬼役は一生ご遠慮願いたいが」

綺麗な箸使いでイワシを食べつつ、譲はそんな事を言う。

「…………そうだな」

来年、再来年。

そんな物が普通にやってくる想像すらできなくなっていたのに、今では何となく、少し大きくなったアーシャと、豆を投げ・投げられしつつ走る絵が思い浮かぶ。


イワシの美味しさに、両手を天に向けて開いて天を仰ぐアーシャを見て、禅一は笑う。

「アーシャ、美味しい?」

と、聞けば

「おいしーな!!」

と、無邪気な笑顔が返ってくる。

来年の節分もきっとこんなふうになるのだろうなと思い描ける嬉しさに、禅一の頬は緩むのだった。

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