18.姉、憐れむ

「ん〜っやっぱりクリーム色は良かねぇ。可愛いかぁ」

和泉けいはリフォームがほぼ終わった押し入れを見て、この部屋の主になるであろう子が遊ぶ姿を思い描き、うっとりとする。


彼女の弟一号である真智まさともは、作る人形はド派手で豪華なのに、部屋は薄茶、焦茶、薄茶の、秋でもこんなに枯れないと言いたくなる枯れ果てた色彩だ。

弟二号の禅一は色彩とかを全く考えない。

強烈な違和感がある色合いや柄でも、汚れにくいとか安いとか、そんな理由があれば平気で使用する。

そして普段はお洒落なふりをしている弟三号の譲はと言うと、完全なる個人スペースである自室は、古臭い材木に古臭い金具がついた家具と、使い込まれた様々な工具を並べ、色彩云々以前の段階で、怪しげなスチームパンクな世界を構築している。


こんな弟たちに、可愛いアーシャの部屋は任せられないと、色彩担当として名乗りを上げたのが慧だ。

子供の目にも優しいし、アーシャに好きな色ができた時、背景として溶け込める。

クリーム色を基本色に選んだのは正解であったと、彼女は誇らしげに何度も頷く。

尚、彼女が口を出したのは色にだけで、後は弟たちが話し合って決めた。


床材は子供に優しいクッションフロア、壁紙は防菌防カビ、天井に蓄光式の星空の壁紙。

(暗闇で光る天井なんか貼って。まだまだあの子は一人で寝れんやろうに)

全く気付かれないであろう所まで、こだわっているのがおかしい。

滑り止め付きの、踏み板の大きなハシゴ、可愛く見えるが微動だにしない強力な防護柵。

(『妹』には過保護やねぇ)

自分たちはしょっちゅう危ない事をしていたくせに、と、彼らのやんちゃな小さい頃を知るとしては、自然と浮かび上がってくる笑いを噛み殺すのが大変だ。


「あんだよ」

いや、完全には噛み殺せなくて、不機嫌そうに仕上げをしている譲に睨まれてしまった。

「いやいや。んふふ。そのライト、以前、熱くオススメしてたやつ?」

マットに座って使うことを想定している机には、立派過ぎるデスクライトが取り付けられている。

「……チビ関連の経費は村から引っ張れるからな。人の金なら一番いいヤツを買うだろ」

慧が指摘すると、譲はしれっとした顔で答える。

「うんうん。可愛い子には最高級のものを使わんとねぇ」

そう言うと、物凄く嫌な顔になる。


「てか、和泉姉は大人しく寝てた方がいいんじゃねぇのかよ。まだ完全に体が回復してねぇみたいじゃん」

言外に部屋に戻ってろと言われても、慧には通用しない。

「かわい子ちゃんの喜ぶ様子は生で見んと!」

慧は熱く宣言する。


この世に在らざる者に実体を与える術は、慧の奥の手だ。

それをあれ程の大物に対して使ったので、代償が大きかった。

いや、あれを『術』と言うのは、いささか語弊がある。


『神』と呼ぶには人の手が入り過ぎ、『式』と呼ぶには人の手で制御が効かなさ過ぎる。

それを先代は『蟲』と呼んだ。

助力を願う祝詞と特殊な香、そして自分の生命の象徴である息吹により、体の中で眠らせている『蟲』を呼び起こし、生命力を贄に、神に近しい能力を借りるのだ。

借りる力が大きければ大きい程、宿主は生命力を喰われる。


生命力を喰われると、行動する余力がなくなり、体は休眠状態に入る。

しかしそのまま眠ったまま貪り続けられれば、すぐに立派なミイラになってしまうので、術者は根性で目を開けては食べ物をかき込むのだ。

寝ては食べ、食べては寝て、『蟲』が代償に満足して眠りにつくまで、ひたすら生命力を与えるだけの存在になって、喰われ続ける。

かつて何人もの術師が、補給が間に合わずに、眠りながら喰われてしまったと言われる、禁忌に近い術だ。


『これは今代限りで自分が連れて逝く』と、先代には継承をかなり渋られた。

慧は小柄で、食も太くはなかったので、『蟲』を養うには不利だとも言われた。

しかし先天的には何の才能もなかった慧には、どうしても、それが必要だった。


禅一という最強の守りを失った弟は、次々に取り憑かれ、父や兄が守る家から出られなくなり、最終的に弱って立つことすら、ままなくなった。

その時は父の伝手で、先代への祓いの依頼ができて、何とか間に合ったが、いつも助けてくれる人間が現れるわけではない。

だからこそ自分の手で家族を守れる手段が、どうしても欲しかったので、先代に弟子にしてくれと拝み倒した。


慧が異常にしつこかったせいもあるが、特殊な状況もあって、先代は折れてくれた。

弟の体質では、守り手がいなくては長く生きられないこと。

慧自身が、ある程度の祓いの技術を身につけていたこと。

そして決め手となったとのは、慧の血筋だった。

代々付近の菩提寺として地域の者たちを支えて来たご先祖のおかげで『徳』が高く、異能こそは持たなくても、『蟲』に強い耐性があるらしい。

そのような要因のおかげで、絶対に次の代には残さない事と、いざとなれば外部から栄養投入してもらえる医師を見つけるという事を条件に、譲り受けたのだ。


『蟲』と術者は一蓮托生なので、定期的に目覚めさせ、生命力エサを食わせなくてはいけないが、あまりに頻繁に食わせて肥大化させると、今度は支配権を奪われる。

それ故、組織などに属して、命令や依頼を受ける立場には絶対になれない。

自分の状態を細かく見ながら、自分本位に動かねばならないのだ。


(子供が周りのエゴに食い潰されるのは見逃せんから、ちょっとばかし無理をしようと思ったけど、今回のはしんどかった)

特大の代償で、眠りに落ちる寸前に入院案件になるなと覚悟したくらいだ。

体感的に普通に活動できるまでは一月以上かかっても、おかしくないと感じていた。

それが驚異的な速度で回復し、短時間とはいえ、今のように普通に活動できる状態になった。


いつもと何が違うと聞かれれば、

(やっぱり、あの歌声かなぁ)

禅一と一緒にご飯を届けに来てくれたアーシャが、枕元で子守唄らしきものを歌ってくれていた事だろう。

彼女の歌声を聞く度に、慧の意識は現世に戻って来られた。

普通の子守唄は相手を眠りにつかせるためのものだが、慧は逆に目覚めることができた。

(いや、ある意味『蟲』を鎮めて眠らせていたって事かな)

今回、かなり慧を食ったはずの『蟲』が、全く体に侵食してこず、大人しい子猫のように慧の中で眠っている。

おかげさまで『蟲』を押さえ込む体力が温存できて、回復が早い。



「あのなぁ、何度も言うけど……」

「『チビの一番は禅でなくてはならない』でしょ」

譲の言葉尻に被せると、彼は不機嫌そうな顔になる。

「別に今更言うまでもなく禅が一番!ってなっとるやん。ママは完全に禅やん。ちょっとやそっと他の人が可愛がったからってママは変わらんて」

「……周りから見えてる事実が、禅の中でも事実になってるとは限らねぇから言ってるんだよ」

譲はしかめ面で作業しながら言う。


「姉ちゃん、禅の鈍感具合を知ってるでしょ」

作業を手伝っていた真智が、苦笑する。

子供の頃から我が道を爆走していた禅一は、他人が自分へ向ける感情に興味を持たなかった。

悪意を向けられようと、好意を向けられようと、助けが必要な相手には手を差し伸べたし、必要以上に構うこともなかった。

禅一が必要以上に構うのは、彼が『身内』と判定した者だけだ。

相手からの感情に動かされるのではない。


「それから、無駄に元気なのに、時々フッと消えそうに感じるのも」

真智の言葉を聞いた譲は、無表情になる。

『あの子は重石おもしがないと飛んでいってしまう』

とは、彼らの祖母の言だ。


常に元気が有り余っている悪ガキの見本のような禅一だったが、時々、本当に時々、消えてしまいそうに感じることがあった。

神隠しというか、神隠れというか、気まぐれ程度のあっさりさで、この世を捨てて、在らざる世界に行ってしまいそうに感じるのだ。

『山や川は、呼ばれるけん、行っちゃいけん』

そう言って彼の祖母は、人の手が入っていない場所に、決して近づかないように言い聞かせていた。

用水路や護岸工事された川で遊ぶのは止めなかったが、その本流には絶対に行かせなかった。

山も十分に人の手が入った里山のみで、それすら深く入ることは禁じられていた。


「譲は『自分がいなくても何とかなるかも』って禅が思っちゃうのが嫌なんだよ」

元は何となく消えそうだから繋ぎ止めておきたい程度だったのが、今では他人を蹴落としてでも生に執着させなくてはいけない状況になってしまった。

そのせいで譲が、自分よりも更に重い『重石』役を求めていることもわかる。


「理解はしとるって。でも、どっからどう見ても禅がおらんと生きていけんような子にしようなんて、そんなメンヘラ作成大作戦みたいなことしても無駄やろ」

わかってはいるが、慧の結論はそれだ。

彼女がそう言った瞬間、ピピピピンポンと、けたたましくインターホンが鳴る。

「おーーーーい!ユッキーが来ましたよ〜〜〜!アーシャた〜〜ん!!」

そしてインターホンを連打した犯人のうるさい声が響く。


「ほら。人懐こっくて思いやりがある。そんな子が周りから愛されんわけないやろ。そんな中でもアーシャちゃんはママが大好き。周りが配慮せんでも、ママがちょーっと鈍感でも、それは通じてるって」

あれ程周りから可愛がられる子を、たった一人に依存させるなんて無理な話だ。

慧は小さく笑って、やかましい音源を迎えに行く。




モコモコのウサギ風部屋着で現れた篠崎は、ピッカピカの笑顔で、金具をつけて仕上がった刀箱を小脇に抱えてやってきた。

「別に大仰に渡さなくて良いだろ。勝手に見つけて、勝手に使えばいい」

「甘い!その考えは甘々でホイップシロップマシマシップのキャラメルフラペチーノより甘い!!」

「うるせぇな。大体マシマシップて何だよ」

「韻を踏んでみた」

「踏めてねぇし意味もわかんねぇよ」

「聞け!ふんわり造語のオモムキを理解しない者よ!アーシャたんは『君のだよ!』って言わないと、ぜ〜ったい使わない!クソ汚い段ボールだって、熱視線向けるだけで、中々『欲しい!』って言えなかった事を思い出すのだ!」

そして早速、さりげなく渡したい譲と、大々的にプレゼントした篠崎でもめ始めた。


(チラシ一枚でも、『くだしゃー』って言いにくる子やもんねぇ)

見つけて勝手に使い出すことは、まず無いだろう。

それなら使って良いのか戸惑わせるより、盛大にお披露目して、喜ぶ姿を見た方が絶対に良い。

「〜〜〜〜っ………はぁ……部屋は勝手にお披露目しろ。箱は部屋の中に置いときゃ使うだろ。俺は関係ねぇからな!」

そう思いながらも見守っていた慧だったが、言い合いの果てに、作業を終えた譲は機嫌悪そうにソファに寝転がった。


これ程細やかに手間暇かけて作った贈り物なのに、自分は無関係で押し切るつもりらしい。

(この子もこの子で、局地的に疎いんよね。普段は聡いのに不思議)

ハタから見たら十分アーシャに懐かれているのに、距離を置こうと、無駄な抵抗を続けている。

(長いこと一人で『重石』をやっとったからかねぇ……すっかり色々拗らせちゃって……)

周りの大人たちに翻弄されて、とんでもない環境に追い込まれた結果だろう。

一応彼らよりずっと『大人』である慧は、守ってやれなかった申し訳なさを込めて、ヨシヨシと頭を撫でたが、ものすごく嫌な顔をされてしまった。


「おぉ!思った以上のクオリティじゃん!壁紙の前に石膏ボードを貼ったのな!床板もしっかりしてるから、もしかして貼り直した!?」

譲を怒らせても全く気にしない篠崎は、ハイハイ状態でアーシャの部屋を見てまわっている。

「……床板は剥いで、調湿剤撒いて、断熱材入れた上でフローリング材。その上からクッションフロア。壁も断熱材入れ直してボード貼った」

そう答える譲は、相変わらず眉を寄せているが、口の端が少しほころんでいる。

見えない違いに気がついてもらえたのが嬉しいのだろう。


「うん!良いね!和泉姉は?プレゼントは出来上がった!?」

ハイハイして出てきた篠崎が、目をキラキラさせながら聞いてくる。

これはプレゼントに次ぐプレゼントの波状攻撃で、アーシャを大喜びさせたい顔である。

「ごめん。人形のソファは作ったんだけど、後は眠たくて、間に合わんかった」

素直に手を合わせると、がっかりしつつも、篠崎はウンウンと頷く。

「まぁ、作品ってものは、間に合わせで急いで作るより、完璧なコンディションで作らないとだからなぁ」

この辺には職人トリオは共感するらしく、みんな頷いている。


「部屋は完璧だし、刀箱も最高にエレガントに仕上がったし、なんかオマケみたいに可愛いジュエリーボックスも作ってあるし!アーシャたんの喜ぶ顔が見えるわ〜〜〜。早く帰ってこないかなぁ〜、早く帰ってこないかな〜」

ホクホクでスキップする篠崎に、譲が冷たい視線を刺す。

「追加した備品には触れなくて良いからな」

見えない所までしっかりと手を入れておいて、やはりこの主張である。



一人はソファに寝転び、一人はソファの肘掛け部分に座る、冷静な弟たちだが、アーシャに喜んで欲しいことはわかっている。

贈り物はしたいが、送り主は秘匿したいと言うなら、サプライズは慧たちがやらねばならないだろう。

どうせなら思い切り驚かせて、喜ばせてあげたい。

篠崎と慧は、どうやってこの素晴らしい部屋をお披露目しようかと、ウキウキと相談する。


そんな最中鍵穴が回る音がした。

「アーシャた〜ん!おかえり〜!」

我先にと慧は玄関に走る。

「けーおねちゃん!ただーま!」

入ってきた待ち人は、肩から下げた袋を後ろに回してから、素直に慧の腕に飛び込んでくる。

(これよこれよ〜〜〜!!)

慧は外気で冷たくなった体を温めるように抱きしめる。

妹ならではの可愛さを、慧は噛み締める。

弟たちは腕を広げた所で飛び込んでこない。

呆れ顔で腕を下ろさせる、完全スルーする、不思議そうな顔をして高い高いを繰り出す。

図体が大きくなって、どいつもこいつも、すっかり可愛げというものがなくなった。


「アーシャたん!ユッキーもハグハグ〜!!」

「ユッキー、ただーま!」

至福の時間をもっと味わいたかったが、大人な慧は第四の弟候補に譲ってやる。


「ごめん。ご近所さんに配達したり回覧板を回したりしてたんだけど、みんなアーシャを可愛がりたがって、すっかり遅くなった」

慧たちの待ち侘びていた様子を見て、禅一は謝るが、その顔は妹の人気が嬉しくてしょうがないらしく、だらしなく緩んでいる。

「……仕方ないよ。こんなに可愛いんやもん」

素直に手洗いうがいをするアーシャを見ながら慧は笑う。

どんなに譲が禅一の重石になるように画策しても、こればっかりは仕方ない。

皆、可愛い子は可愛がりたいものなのだ。


「見ちゃダメ〜!」

「ナイショ、ナイショ〜!」

アーシャを抱き上げ、目隠しして、出来上がりたてホヤホヤの部屋前に連れていく。

「じゃじゃじゃ〜〜〜ん!!」

「アーシャちゃんの!だよ〜〜!」

そうしてお披露目すれば、アーシャは「わぁ〜!」と歓声を上げて、目と口を大きく開く。


「はい!アーシャちゃん!」

「登って、登って〜!」

そうやって促せば、不思議そうな顔をしながらも、素直に登る。

「わぁ!かわいーなぁ!」

そして天井の空の壁紙を見て喜ぶ。

「うわぁぁぁぁ〜!!」

ソファに腰掛けた人形を見ても喜んで、嬉しそうにその頭を撫でる。

アーシャの満点のリアクションに、大人たちはデレデレだ。

『関係ありません』という顔でソファに転がった譲も、時々薄目を開けて反応をしっかり見ている。

ソファにもたれた真智が、苦笑しながら、そんな様子を見守っている。


「アーシャたん、アーシャたん」

そう言って注意を引いてから、篠崎はレースカーテンを閉める。

安全性の観点から、目が粗い安物の既製品に真智が少し手を加えただけの、中がほぼ丸見えのカーテンなのだが、それでもカーテンを閉めると、秘密基地っぽさが増す。


「どう?アーシャちゃんの、へ・や!」

そう篠崎が聞くと、アーシャはポカンと目を口を見開く。

そして周りを見回して、しばし呆然としてから、反応した。

「アーシャの?ここ、アーシャの?」

そう聞いた声は少し震えていた。


「そう!」

「アーシャちゃんの!」

「アーシャのだぞ〜」

歓声を上げながらも、他人の素晴らしい庭でも見ているような様子だったアーシャが、自分の部屋とわかったら、どんなに喜ぶだろう。

慧たちは胸を躍らせながら、その反応を待つ。


「アーシャの……!!」

しかし大きく見開いたままの目は唐突に潤み、あっという間に大粒になった涙が、頬を伝う間もなく、重力に引かれて床に落ちる。

パタパタと涙が降る音がする。

「大丈夫か!?」

呆気に取られる面々の中で、真っ先に禅一ママがアーシャを抱き上げた。

そんな禅一の腕の中で、アーシャは顔を真っ赤にして、肩を大きく上下させ、しゃっくりのように息を吸いながら、次々に涙を溢す。

突然の大泣きだ。

慧と篠崎はオロオロと禅一の周りをうろつく。


「じぇ、じぇん………たのっ、たのしっ、たのしっっ」

皆が心配する中、えぐえぐとしゃっくりが止まらないアーシャが、一生懸命紡いだ言葉がそれだった。

「へっ!?楽しい!?」

思わぬ言葉に禅一が驚いてアーシャの顔を覗き込もうとしたら、その首ったまにアーシャは飛びつく。

「ふっ……うぅ……あいっ、あいがっっと!ふ……あいが……っっと!」

激しく泣いているようにしか見えないが、口角が上がっている。

悲しいも嬉しいも、極まると人は泣いてしまうものらしい。


視線を交わし、慧たちは肩の力を抜いて笑い合う。

彼女が感極まって泣いているのだとわかって、皆から緊張が抜ける。

嬉しい気持ちを表すために、少ない語彙の中から選んだのが『楽しい』。

(あ〜〜〜!ギュッとしたい〜〜〜!!)

泣いていても一生懸命伝えようとしてくる姿が健気すぎて、慧は両手を組み合わせ、篠崎は自分を抱きしめてクネクネしている。


「アーシャ、アーシャ」

「ふぐぇっ……?」

「アーシャの、部屋、譲と和泉が作ったんだ」

何回も有難うと繰り返すアーシャに、禅一が指差しながら教える。

我関せずを貫こうとしていた譲の努力を、呆気なく踏み潰す所業だ。

譲がキツい目で睨むが、禅一は全くわかっていない様子で、きょとんとしている。


「ゆ……ゆじゅう……いじゅに……?」

スンスンと鼻を鳴らし、目が溶けるのではないかと思うほど涙を流しているアーシャに確認されても、譲は無視を決め込み、目を閉じて腕組みをする。

「あいっ……あい……あどっ……あいがどっ」

禅一の腕からおりて、ヨロヨロと感謝を告げに来たアーシャの手を、思わず真智は支えたが、譲は知らんぷりで通そうとしている。

前髪を鷲掴みにされても、反応しない。


「ったくも〜、何でああもツンツンムーブをとるのかなぁ〜」

篠崎は理解できないという顔だ。

「譲は少々行きすぎた照れ屋なんだ」

それにのほほんと禅一が答える。

「禅、それ、譲に聞こえたらシメられるよ」

慧は苦笑いするしかない。


「わぁ……!!」

やがて涙を拭っていたアーシャが、目立つ位置に篠崎が配置した刀箱に気がつく。

原型を作って彫刻をしたのが譲、全体のデザインを決めて布張りをしたのが真智、そして仕上げの金具をつけたのが篠崎という、三人合作のプレゼントだ。

早くお披露目したがっていた篠崎の顔が輝く。

「刀箱だよ〜〜〜」

顔に似合わぬ剛力で、禅一を引っ張って、彼はアーシャの元に駆けつける。

「ほら、禅!」

さっさと刀を出せとばかりにどつかれて、禅一は装備していた刀を服の下から取り出す。


「ん……?んんん?」

慧は目を擦る。

何故か一瞬、刀が光っているように見えたのだ。

「……桃太郎、喜んでるね……」

「あ、刀の付喪つくも?喜んでるんだ?」

「……コバエみてぇに飛んでる」

真智が呟いたので、聞いてみると、譲の方が答える。


喜ぶ付喪神に、悪い気はしないらしく、譲は表情を緩めている。

「これは三人合作ね。ユッキー、譲、和泉が作ったの」

が、そんな篠崎の言葉が聞こえてきて、一瞬にして不機嫌な顔に戻る。

そんな譲に、妙に爽やかな笑顔で篠崎が手を振る。

嫌がるのをわかって教えている。


「………!あいがとー!!」

アーシャは満面の笑みの篠崎や、戸惑う真智を抱きしめていく。

感謝が完全に欧米スタイルだ。

「や・め・ろ」

しかし譲はアイアンクローでもするかのようにアーシャの顔面を掴んで遠ざけ、完全拒否の構えだ。

いくらシャイな日本人としても、この反応はいただけない。


「へ〜、へ〜、へ〜」

悪あがきを続ける譲に、悪い笑顔を篠崎が近付ける。

「うぜぇぞ」

譲は容赦なく蹴り飛ばそうとしたが、篠崎は素早く下り、更に邪悪な笑みを浮かべる。

そしてアーシャの部屋の中を探ったかと思うと、

「アーシャた〜〜〜ん」

妙に明るい声でアーシャを呼ぶ。

「はい!」

呼ばれたアーシャは、点呼に応えるように手を挙げて、彼に駆け寄る。

その愛らしい様子に皆、目尻を下げるが、篠崎だけは、すぐにニヤニヤとした下衆な笑顔に変化する。


「うふふふふふふ、はい、どーぞ!」

そう言って篠崎が差し出したのは、可愛く装飾された小物入れだ。

「…………!!」

寝そべっていた譲が息を呑む。


「これ、アーシャたんの!宝物入れ!」

歓声を上げるアーシャに、ニコニコと笑いかけながら、篠崎が教える。

そしてアーシャの視線が譲に向くと、ニチャァと何とも邪悪な笑いを浮かべる。

「ゆ・ず・る・が作ったの!ゆ・ず・る!!」

完全なる嫌がらせだ。


「……上等だ……」

そう言って譲が臨戦態勢に入ろうとした時、バタバタと音を立ててアーシャが走り出した。

「あ、踏み切りが早っ……!」

ガニ股ゆえ、そんなにスピードが出ていなかったのだが、本人的には凄く速く走ったつもりだったのだろう。

かなり早い位置でジャンプしてしまった。

「うぐっっ!!」

推力が足りなかったアーシャは、ジャンプの頂点で譲に辿り着くことができず、落下中に彼の腹で顔面を打って、仰反る。


「チビ!」

慌てて譲がアーシャの首根っこを掴んで、倒れるのを阻止する。

そして流れるように抱き上げ、素早く打った顔の確認をする。

「うぅぅぅ………ゆひゅう、あいがひょ……」

フラフラしながらもお礼を言うアーシャに、譲の肩が大きく下がる。

「………いいから。チビは一旦落ち着け」

ハーッと長いため息が彼の口から溢れる。


「アーシャちゃん、大丈夫!?」

「大丈夫か!?」

慧たちも駆け寄る。

「少し赤くなってるが、鼻血も出てねぇし、大丈夫だろ。鼻が低くて良かったな、チビ」

少し赤くなった鼻に触れながら、譲が言う。


慌てて駆け寄ったものの、怪我がないとわかると、篠崎がまたニヤニヤと笑い始める。

「………ぁんだよ……」

「いやいや?俺、何にも言ってないよ?どこの毒電波受信しちゃったの?ヤダ、電波系、怖〜っ」

再び二人の間に争い始めそうな空気が流れる。


「流石、譲。抱っこまでが素早かったな〜。アーシャ、良かったな〜」

そこに、しゃがみ込んでアーシャの無事を確認した禅一の呑気な声が響く。

その一言に、譲は己の上のアーシャを見て、ピシッっと固まってしまう。

どうやら抱き上げたのは完全に無意識だったらしい。


「よし、急いで夕飯にするか〜」

何も気がついていない禅一は、譲の上のアーシャを撫でてから、台所に立つ。

(禅は『他人』が自分に向ける感情に興味がないだけで、『身内』は別だし。本質的な事は本能で嗅ぎ分けるから、隠したって意味ないんよねぇ)

大欠伸を一つ溢しながら、慧は哀れみの視線を譲に向けるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る