16.長兄、日常を惜しむ

「チビの物も増えてきたから、専用の部屋スペースを作ろうと思うんだよ」

そんな提案があったのは三日ほど前の話だった。

「……と、言うことは俺と譲の部屋を一緒にするのか?」

一階はリビングダイニング、風呂トイレ脱衣所、二階の二部屋は譲と禅一がそれぞれ使っており、部屋に余りはない。

だからこそ、そう聞いたのだが、

「何が悲しくて、でかいウザい暑苦しいの三重苦を俺の部屋に招き入れなきゃいけねぇんだ」

譲には思い切り嫌な顔をされてしまった。


「シーズンオフの衣類とかを一階の押し入れに突っ込んでるだろ?あそこを空けて、チビ用にする」

禅一たちが住んでいる昭和建築なアパートは、元々は家族向けの物件で、古いが広い。

現在は板張りのリビングダイニングになっている部屋は、元は昭和建築らしい、台所と畳敷きの居間兼寝室という間取りであったであろう名残が、しっかりと残っている。

その最たるものが、昔ながらの、布団を入れられる深さの押し入れだ。

元々和室だったと思われる、元の居間と二階の二部屋に、それぞれついている。


「押し入れって……あんまり綺麗じゃないよな?」

開閉部のみ襖から木製の折れ戸に変更されて、一見お洒落になっているが、内部は昔ながらの安っぽい木材で、かなり古臭く汚いし、手触りも悪い。

長らく押し入れに住んでいる国民的猫型ロボットも入りたがらないレベルだ。


「改造許可はもらった」

譲はそう言って、最終的にコートクローク風にする事を約束した改造計画を、禅一の鼻先に出してきた。

「最近は物の出し入れがやり辛い深い押し入れは好まれないんだって説明したら、一発OKだった」

製図ソフトCADを使って寸法をきっちりと書き込まれた作業計画表を見て、禅一は少々呆れてしまう。

趣味にも手抜きのない奴だ。

(この職人気質だから信頼されるんだよなぁ)

こだわり症ゆえの完璧な仕事ぶりに、今では大家からもちょこちょこと、物件の手すりつけなどを依頼されるくらいだ。


「一階の押し入れより、俺の部屋の押し入れの方が良いんじゃないか?物がほとんど入っていないから、すぐに作業に入れるぞ?」

禅一は持ち物が少ない。

何かあった時に片付けし易いように、意図的に物を持たないようにしているのもあるが、小さい頃あった収集癖が過年とともに無くなってしまったのだ。

「馬鹿野郎。日中のチビの居場所を階段の上に作ってどうすんだよ」

禅一の提案は、冷たい視線とともに一刀両断された。


「そっか。じゃあ下の荷物は俺の部屋に移動させるか」

譲の部屋は兄弟といえど無許可で入ることが許されていないが、禅一の部屋はオープンだ。

不在時などは、基本的にドアが開けっぱなしになっている。

空いているから共用物置として使えば良いと思って、禅一は提案したのだが、譲は眉根を寄せて不機嫌な顔になる。

「……お互いの荷物はお互いの部屋に引き上げる。それで良いだろ」

どうやら気に食わない事を言ってしまったらしい。


「はいはい。しっかし、よくこんなの思いついたな。秘密基地みたいで、面白そう」

コートクローク風にする一段階前の、アーシャの部屋案を見て、禅一は感心する。

小学生の頃の禅一だったら、絶対に住みたがったに違いない。

押し入れの中板をくり抜いて、梯子を掛け、上段は居住スペース、下段はおもちゃや洋服の格納場所になっている。

上段は小さな家と言っても過言ではない造りで、ツリーハウスに憧れ、粗悪な秘密基地を量産していた禅一の、少年心がときめく仕上がりだ。


「何でも欧米は生まれる前から子供部屋を用意するらしいじゃねえか。基本的に夜も一人で寝るらしいし。チビは今のところ禅にべったりでもストレスを感じてねぇみたいだから良いけど、落ち着いてきたら、自分だけの居場所を欲しがるだろ」

「欧米の子は自立が早いな〜。やっぱ個々の実力が物を言う狩猟系な進化を遂げた民族だからかなぁ〜。集団行動チームプレイ特化で進化してきた農耕民族としては寂しいなぁ〜」

齧られても、寝返りが打てなくても、張り付いてくるホカホカ体温は心地良く、深く眠ることができる。

一緒に眠れなくなると思うと切ない。


「何、民族レベルに話を膨らましてんだよ。勝手に俺らを巻き込むなよ。……言っとくが、ちっちゃい頃、ばあちゃんに部屋を分けるって言われて最後まで抵抗してたのは禅だけだからな」

「はぁ!?譲もベソベソ泣いてただろ!?」

「泣いてねぇ!!」

男児たるもの婆にベッタリではいけないと、無理やり部屋を分けられた時、確かに一緒にゴネまくった記憶があるのに、譲は否定する。

「嘘つけ〜!記憶改変するなよ!」

そう禅一は食らいついたのだが、結局譲が認めることはなかった。


そんな小さな諍いをしつつ、アーシャの秘密基地作成計画は実行された。

譲は禅一とは違って、そこそこ余裕のある講義選択をしているので、アーシャ不在時に押し入れ内に壁紙を貼ったり、前もって素材を作ったりと、マメに働く。

(もっと素直に可愛がれば良いのに)

荷物を運ぶ程度なら禅一も手伝えるが、それ以外はコツコツと譲が一人でやっている。

元々物作りが好きとはいえ、無関心な相手に、ここまではできないだろう。

それなのに、アーシャ自身には素っ気なく対応するから、禅一も苦笑せざるを得ない。



「明日、仕上げすっから。六時ぐらいまで帰ってくんな」

テスト前の補講期間に入って、講義が減り、お迎えに行けると喜んだ禅一に、譲はそう宣告した。

それならばと、家から近いスーパーではなく、少し距離のある大型量販店にアーシャを連れて行くことにしたのだ。

(ご近所さんに頼まれてた米と猫砂も買っとくか)

重い荷物を運べない高齢家庭ご近所さんは、『今度の機会に米を買ってもらえると嬉しい』とか『暇な時に猫砂を頼んでも良いかい?』などと、挨拶ついでに頼んでくる。

そう言うものはメモっておいて、次の買い物の時に届けるようにしている。


アーシャはいつもと違う道を歩くだけでも、楽しくて堪らないらしく、ガニ股でぴょんぴょんと跳ねる。

(鳥獣戯画のカエルみたいだ)

そのコミカルで愛らしい動きに、禅一の頬は緩みっぱなしだ。

ジャンプに合わせて、繋いだ手に力を込めれば、すぐにこちらの意図を理解して、ぶら下がって器用に宙を飛ぶ。

「ゼン、ゼン!たのし!たのし!」

「そうか!もっと、飛ぼうか!」

全く喋れなかったアーシャは、この一週間だけでも、驚くほどの単語を覚えてきた。

弱々しかった手足は、細さこそさほど変わらないが、力強く禅一の手に掴むようになった。


『男子、三日あわざれば刮目かつもくして見よ』なんて言葉があるが、子供は男女の差なく短期間で驚くほど成長する。

(あっという間に大きくなって、こうやって手を繋ぐ必要もなくなるんだろうなぁ)

成長は嬉しくて、少し寂しい。


(……せっかくだから公園とかに連れて行った方が良かったか?)

店が見えてきたあたりで、ふとそんなことに気がついたが、

「おおおおおお〜〜!!おっきー!!」

アーシャは大喜びだ。

建物の大きさだけでも、こんなに喜んでくれるアーシャに禅一は目を細める。


初めての建物に入る緊張か、最初は少し挙動不審だったが、おやつの話を出すだけで、満面の笑みを浮かべてくれる。

そんなアーシャにホッとしつつも、

(このままだと、そのうち『お兄ちゃんとのお出かけはいつも買い物!』とか言われてしまうようになるかもしれないからな。何か子供心を掴む遊びも考えないと……)

と、禅一は己の小さい頃に思いを馳せる。


(ザリガニ釣りとか喜ぶんじゃないか?その後にザリガニを餌にして堤防釣りに行ったら新鮮な魚も食べられるし!……いや、まだ水際は危ないか。……草滑り……は結構早いから怖がるかな。屋内で遊ぶなら……ベイブレードとかまだ流行ってんのかな。……やっぱり子供の流行は、おもちゃ屋に行かないと掴めないな〜)

そんな事を考えていたら、アーシャがパタパタと足音を立てて離れていく。

「アーシャ?」

いつもピッタリと近くから離れないアーシャが、珍しく自分から動き始めたので、禅一は彼女を追う。


アーシャは青果コーナーを横切り、『りんご』と書かれた紙を、勢い良く指さし、胸を張る。

「い・ん・こ!」

そしてキラキラと緑の目を輝かせ、頬を紅潮させながら、自信満々に読み上げた。

「ぐふっ!!」

隣のイチゴ売り場にいた、走り寄ってきた幼児を優しい目で見つめていた奥様が、被弾して吹き出す。

まさか青果売り場で鳥類がコールされるとは思わなかったのだろう。

「んふっ」

突然のインコ発言に禅一も吹き出しそうになるが、何とか咳払いで誤魔化す。


「凄いぞ〜〜〜!」

最近頑張って覚えた平仮名の読みをご披露してくれたのだ。

禅一は思い切り褒める。

その上できっちりと濁点の読みを教える。


「い・ん・ご!」

濁点読みは理解できても、未だラ行の発音は上手くならない舌足らず。

「り・ん・ご。凄いぞ〜!!」

しかし親バカならぬ兄バカな禅一は、すぐに訂正できたアーシャを褒め称える。

「えへへへへ」

アーシャは嬉しそうにニマニマしていたかと思うと、すぐにキリッとした顔になって、再び指差す。

「み・か・ん!」

鼻をピクピクとさせながら、誇らしげに胸を張る妹が、禅一には可愛くてしょうがない。

褒めると、分かり易く調子にのる所も素直で微笑ましい。


「か・き・い・も!」

『犯人はお前だ!』とでも言い出しそうな凛々しさで、ビシッと指差し、音読するアーシャの頭を禅一が掻き回す。

「惜しい!や・き・い・も!」

「あ〜〜〜!」

訂正すると、分かり易くがっかりする。

「でも凄いぞ〜!他は読めたからな!」

しかし褒めると、途端に元気になる。

そしてニコニコしていたかと思うと、焼き芋の匂いを嗅ぎつけた途端、夢中で鼻を鳴らし始める。

本当に子供は次々に興味が移っていって、見ていて飽きない。


「や・き・い・も。オヤツにしようか?」

そう聞けば、勢い良く手を挙げる。

「はい!」

キラキラと目を輝かせ、背筋を伸ばし、高々と片手を掲げる。

お手本のような挙手に、元気の良いお返事。

「〜〜〜っ!」

保育園で身につけてきた『お返事』の破壊力の高さに、禅一は身悶える。

(ドヤ顔のキュー○ーちゃん……!)

その様子は某食品会社のキャラクターのように可愛い。

「うん!うん!!」

禅一は頷きながら焼き芋をカゴに入れる。

消費期限さえなければ、いくつでも買ってあげたくなってしまう。


「こ・ま・つ・にゃ!」

「おぉ〜小松菜だな!すごいぞ〜!」

「さ・く・ま!」

「んふっ……!!惜しい!ち・く・わ」

舌足らずだったり、偶然にも近くにいた『サクマ』さんを驚かせてしまったり。

肉売り場ではうっとりと肉を見つめてみたり。

ただの買い物が、アーシャがいるだけで、楽しいイベントのようになる。


「ゼン、ゼン!」

会計が終わり、オヤツを詰めたエコバッグを渡すと、肩掛けカバンのように斜め掛けにして、自慢げに一回転してポーズをとって、これでもかと分かり易く見せてくる。

「凄い!よく考えたな!これなら引き摺らないし、両手も使えるな〜」

大人であれば頭を通すことも難しい持ち手部分に、肩まで通しているが、まだまだ余裕がある。

そんな姿に、まだまだ小さいのだと、改めて実感する。


「これ、アーシャの、ゼンの、ユズゥの!」

アーシャはパンパンと自分の袋を叩いて、キラキラと顔を輝かせる。

大人から見ると、すぐ食べ終わってしまう少量のオヤツを、みんなで分ける気満々だ。

そのいとけない優しさが心に染みる。

(まだまだちっちゃいままで、兄ちゃんたちに好きなだけ甘えて過ごして良いんだからな〜〜〜!!)

子供はいずれ自立する。

しかし少しでも長くこの幸せな時間が続いてほしいと禅一は願いつつ、妹を抱っこする。


うにゃうにゃと大騒ぎをしながら、先ほど買った焼き芋を食べる妹は、幸せそうだ。

(ちっちゃいおっさんだ)

焼き芋を齧っては、緑茶を飲んで『ぷは〜』なんて言っている姿は、小さなおじさんのようだが、それすら兄には可愛い。

幼児に米や猫砂を含めた一式の買い物。

重量的にはかなりヘビーであるが、腕の中でリラックスして楽しそうに食べている様子を見る禅一の足取りは、雲の上を歩いているかのように軽かった。


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