13.聖女、日常を楽しむ

『ほいくえん』に通い始めて五日。

次第にアーシャには、一日の流れというものが分かり始めた。

朝起きて、美味しいご飯を食べ、身支度を整え、ゼンと一緒に家を出る。

『ほいくえん』に着いたら、お迎えの時間を教えてもらってからお別れをする。

そしていざ子供たちの社交の場に出陣だ。


『ほいくえん』では、まずはレミたちのお手伝いをしながら過ごす。

いつも見る顔ぶれが揃って身支度が落ち着いた頃に、他の部屋の子たちが、外での鍛錬に誘いに来てくれる。

外でひとしきり自由に体を動かしたら、大人たちに集められ、集団行動が始まる。


集団行動は街へ出かけたり、音楽に合わせ歌ったり踊ったり、何かを作ったりと、毎日違う。

それが終わると、お楽しみのご飯だ。

しっかり味わって、心身ともに満足したら、皆で休息の時間だ。

アーシャは微力ながら、赤ちゃんの寝かしつけをお手伝いしているのだが、慣れてきたせいか、最近は子守唄を歌いながら自分も寝てしまうようになってきた。

そして眠りから覚めると、再びご飯が出てくる。

それを美味しくいただいた後は、お片付けを手伝ったり、外の鍛錬に誘われたりしているうちにユズルがお迎えに来てくれる。


このように恵まれ過ぎているほど恵まれた環境だし、絶対にお迎えに来てくれる事がわかったので、すっかり馴染んでしまった。

慣れると『ほいくえん』は楽しい。

毎日いろんな発見があるし、鍛錬のおかげで、この小さな体もうまく動かせるようになってきた。


子供達はアーシャが言葉がわかろうとわからなかろうと、たくさん話しかけてくれるので、言葉にもずいぶん馴染んできた気もする。

そして大人と違って察してくれる事がないので、アーシャも知っている単語をどんどん並べ立て、意思疎通を図らなくてはならない。

かなり実践的な学びの場だ。

子供達は生まれてせいぜい五年程度、言語を使い始めて三年前後なので、アーシャとの言語の壁が低い。

おかげで会話は短く簡単で、発音がし易く、聞き取りやすく、使用する単語が少ないので、何とか食らいついていける。


それに、恥ずかしながら、今まで友達と呼べるような存在がいなかったので、小さな友達が沢山できたのも嬉しい。

面倒見の良いコータの周りには、いつも友達に溢れているので、アーシャもそこに入れてもらった形だ。

アキラも事件から二日後には『ほいくえん』にやって来るようになって、アーシャと仲良くしてくれている。


余談だが、アキラの母の具合がすっかり良くなった事も、アーシャにとって、とても嬉しいことだった。

以前から一転、表情もかなり明るくなった。

アキラの母はアーシャを見かけると、とても可愛がってくれるので、会えるのが密かな楽しみだ。

柔らかな腕に抱きしめられると、すごく懐かしくて、どこか切ない気持ちが込み上げる。


皆で何かをするという体験も楽しい。

今までアーシャが集団でやったことといえば、魔物狩りや遠征くらいだ。

そんな殺伐とした集団行動から一転、平和で心が弾むような活動に、アーシャはすっかり夢中になってしまった。

特に好きなのが、皆で楽しく歌ったり踊ったりする事だ。

不思議な箱が奏でる音楽に合わせて、皆で体を動かし歌う。

それだけなのだが、これが驚くほど楽しいのだ。


歌や踊りは元々好きだったが、常に監視され能力を使うことを強要され続けていたので、楽しみのためだけに歌ったり踊ったりすることは、殆どできなかった。

他の聖女たちと共に舞うことはあったが、それも儀式のためであったし、アーシャは何故か重要な所を任されるため、妬み嫉みを向けられ、実質孤独だった。

聖女の舞踏は、失敗を許されないし、体力的にも精神的にも厳しかった。


ここでは音も揃わない、動きも揃わない。

でもみんな楽しそうに笑っていて、お互いの動きを真似し合って歌って、踊る。

時々楽しすぎて、笑いが止まらなくなってしまう子もいる。

一糸乱れぬ渡り鳥の群舞の如き聖女の舞と比べると、自由過ぎて統一感は全くない。

音も外れまくって酷いものだ。

しかし暖かく、気が付いたら、頬が痛くなるほど笑っている。

今日は踊れるのだろうか、明日は歌うだろうかと、『ほいくえん』が楽しみにすら、なりつつある。




(今日の『おやつ』も美味しかった)

アーシャは午睡後の軽食のお片付けを手伝いながら、うっとりとする。

平たく丸い、黄色の生地には、いかにも美味しそうな、こんがりとした焼き目が、両面についていた。

噛み付くと、表面はサクッとしているのに、中はしっとりと柔らかく、粘りのある弾力があって、少し歯にまとわりつく。

———『モチ』ミタイ!

と、アカートーシャは喜んでいた。

アーシャはまだ食べたことがないが、主食の『こめ』を粒がなくなるまで叩いて混ぜた物で、物凄く粘るらしい。


ほんのりと甘い生地の中には、程良い塩加減のとろけたチーズが仕込んであって、噛むごとに混ざり合い、お互いを絶妙に引き立て合うのだ。

アカートーシャはチーズを知らなかったので、そこはアーシャが教えてあげた。

彼女はチーズのコクと柔らかさにすっかり魅了されたらしく、『ちぃず、ちぃず』と夢中になってしまっていた。

(わかる。私もチーズはご馳走中のご馳走だと思うわ)

アーシャも深く同意した。


(あんなに粘るなんて、あれは一体なんだったのかしら?)

アーシャは首を傾げる。

アカートーシャは『こめ』と芋を混ぜた物ではないかと予想し、アーシャは匂いからカボチャではいかと予想した。

野菜に非ざる弾力だったが。

しかし双方、今のこの国に詳しくないので、議論しただけで正体がわかることはなかった。


(ゼンたちにも食べさせたかったなぁ)

『ほいくえん』で食べられる美味しい物を、皆にも食べさせたいと思うのだが、持ち帰ろうとしたら、何故かバレて、いつも止められてしまう。

残念に思いながら、アーシャは時計を見る。

午睡から目覚めて軽食を摂って、片付けて、時刻はもうすぐ『よじはん』だ。

慣れたし、楽しいが、やはりお迎えは待ち遠しい。


少し早いが、アーシャは身の回りの品を片付け始める。

「『るぅっく』、『たおう』、『こっぷ』、『りぇんあくちょ』」

色々な物の名前を、確認のためと練習のために、口に出しながら、アーシャは部屋を歩き回る。

背中に背負う袋は『りゅっく』、手や体を拭く、よく水を吸う布は『たおる』、カップは『コップ』、そしてゼンが毎日楽しそうに読み書きする小さな本は『れんあくちょ』。

(本で文通してる感じなのかな)

『ほいくえん』の『せんせー』と交互に書き込んでいる様子から、アーシャはそう予想している。

因みに『せんせー』は保育園にいる大人たちの敬称である、と最近理解してきた。


(私もやりたいなぁ)

誰かと文を交わすなんて、平民には縁のない物だったので、アーシャは少々憧れている。

かなり頑張って、文字も半分くらいは覚えた。

もう結構読める自信がある。

しかし書くとなると、あの丸みをもった文字に、かなりの苦戦を強いられている。

ユズルに買って貰った本で、毎日練習しているのだが、中々上達しない。

(お手紙とか、素敵じゃない?誰かに読んでもらうと思ったら、今以上に頑張れる気がするんだけど)

アーシャは自分が手紙を書く様を想像しながら、うっとりとして『れんあくちょ』を、荷物に入れる。


そうして全てを片付けても、まだ『よじはん』にはならない。

あともうちょっとだと思うと、時計の動きは途端に鈍くなる。

「あら?おそとでまつの?」

「『おしょと』!」

レミに聞かれてアーシャはウンウンと頷く。

同じ部屋の他の子達は、大人と一緒でないと部屋の外に出られないのだが、アーシャだけは何故か自由だ。

他の部屋のコータやアキラと合流しても何も言われない。


靴を履いて、冷たい外の空気を吸い込んだアーシャは、門に張り付いて、ユズルの『くるま』がまだ来ていないことを確認する。

(まぁ、まだ来ないよね)

そう思いながらも、がっかりしてしまうのは仕方ないだろう。


そのまま友達の輪に入って鍛錬する気にもなれなくて、アーシャは大木の下にある、小さな家を訪れる。

毎朝見に来ているが、そこには相変わらず、バニタロがいる。

最初、丸々と太った小蛇は、トグロを巻く事もできずに丸太のように転がっていたのだが、次第に光の膜のような物に覆われ始め、今ではレース越しに覗き見るような状態になってしまった。

外から見えるシルエットから推測すると、丸太状態から元の太さに戻って、無事にトグロも巻けているようなのだが、一向に動く様子がない。


「バニタロ……今日ももう帰るね」

そう声をかけても、光の膜の中のトグロはピクリとも動かない。

『小さき器。そう心配するな。ここは如何なる邪も入ってこれない、我の領域だ』

相変わらず木の上から子供達を見守っていた老女神が、ひょいと降りてくる。

「うん……でもモモタロも眠りゅなんて珍しいって言っていたか……」

そんなアーシャの心配をカラカラと老女神は笑い飛ばす。


『あれははがねの子だからな。鋼は寝たり起きたりせん。が、我ら植物は夜は寝るし、何なら冬の間ずっと寝る者もいるくらいだ。蛇も冬は寝るものだ。心配ない』

どうやら同じように見える彼らも、自分の本体の性質に強く影響されるらしい。


(でも確かにバニタロは寝てなかったんだよなぁ)

何となく納得できないながらも、アーシャは頷く。

モモタロは剣。

老女神は大木。

それならバニタロは一体何が本体なのだろう。


(ゼンに与えられた力……『ミタマ』だったっけ?それを回収するために本体から切り離されたとかだったよね。じゃあ上に何らかの存在が……)

そんな事を考えていたアーシャに強い動揺の感情が伝わる。

———『ミタマ』!?ヒトノ ミニ 『ミタマ』!?

突然アカートーシャの思考が濁流のように流れ込み、目まぐるしく並行で色々なことを考える物だから、明確にアーシャに伝わってきた言葉はそれだけだ。


『小さき器、どうかしたのか?』

「えっと……ゼンの……」

戸惑うアーシャに老女神は問いかけるが、返事しようにも『ミタマ』の発音がわからない。

イメージだけで受け取った言葉なので、音にできないのだ。

『あぁ……お待ちかねの人が来たのだな』

『ゼン』と聞いた豪快に老女神は笑う。


「……………!!」

老女神の木の向こうを覗く仕草につられて、遠くを見たアーシャは初めて気がついた。

濃い神気を纏った人が走ってくる。

「………ゼン!!」

最初は豆粒大だったゼンはグングンと近づいてくる。

アーシャは飛び上がって大きく手を振る。

まさかのゼンの登場に、アーシャの気分は一気に舞い上がる。

いつもお迎えはユズルだったのに一体どうした事だろう。

もちろんユズルも大好きなのだが、ゼンはこのところ家に帰ってくる時間も遅くて、実は寂しく思っていたのだ。


弾むアーシャに気が付いたようで、ゼンも大きく手を振ってくれる。

それと同時に抑えられていたゼンの神気がはね上がる。

ゼンの感情が昂ると、それまで制御していた神気が膨れ上がって表に流れ出る。

最近、『ほいくえん』に行く時には、かなり神気を抑えているのだが、それが弾けたようだ。

「えへへへへへ」

どうやらゼンも自分と同じように、会えて喜んでくれているらしい。

アーシャは締まりなく笑う。


ゼンに向かって走り出そうとしたアーシャだったが、

「…………へ?」

視界の隅に引っかかった物に、足を止めた。

こちらまで漂ってきたゼンの神気が、物凄い勢いで、何処かに吸い込まれていく。

「え?え?」

思わず振り返って確認すると、嵐の日の雲のように流される神気の先にあったのは……バニタロを覆う光の殻だ。


「っっ!!」

朝日の中のランタンのように白けていた光が、神気を吸い込む毎に光量を増し、最終的には地上の太陽かと見まごうほど輝き始め、アーシャは思わず目を閉じる。

目を閉じたとして防げる物理的な光ではなかったのだが、これはもう生物として組み込まれたな反応なので仕方ない。


『おやおや、まぁまぁ、これはまた』

老女神の驚きの声に、そっと開けた目に、まず、飛び散った光の殻が映った。

「………バニタロ?」

そしてファァァァと大きく口を開けた白い子蛇の姿が、ハラハラと舞い落ちる光の中に現れた。


「バニタロ……縮んじゃった……」

少しずつ大きくなっていたバニタロだったが、出会った頃、いや、それ以上に縮んでしまっている。

『縮ンダ、ダケ、違ウ』

思わず呟いたアーシャに小蛇はムッとした顔をする。


「ふわっ!喋っちゃ!!」

もちろん今までもバニタロはアーシャに語りかけてきていたのだが、それは聴覚を通したものではなく、直接こちらの頭に意思を流し込んでくるような方法だった。

精神感応テレパシー常人つねひとには聞こえざる声に変わったと言うだけなのだが、アーシャには驚きである。

バニタロは誇らしそうに首を逸らす。


『他モ、有ル』

胸を張るように首を逸らしたまま、バニタロは宣言する。

「ん〜〜〜?」

アーシャはジッとバニタロを見つめる。

「あ!」

そして逸らした首の下の方に、小さい物を見つける。

「……爪がはえてりゅ……!!」

ヌシハ、四ツ足ガ好キ。バニタロウ、四ツ足、ナッタ』

「……………うん」

すごく嬉しそうなバニタロにアーシャは頷くことしかできない。

ゼンが好きなのは、多分、モフモフに毛が生えた、そこそこの長さがある足だと思うのだが、バニタロの足は、体の横にちょろっと爪が生えただけの、極限まで小さくしたモグラのそれのようだ。


『他モ、有ル』

バニタロは再び首を逸らし、宣言する。

「んん〜〜〜?」

アーシャは違いを探すが、よくわからない。

すると、バニタロはアピールするように首をクイクイと動かす。

「あ……毛がはえてりゅ……!?」

アーシャが見つけると、気が付いたかと言うように、バニタロは大きく頷く。

『主ハ毛ガ好キ。バニタロウ、毛、生エタ』

「……………うん」

やはり嬉しそうなバニタロにアーシャは頷くことしかできない。

確かに気をつけて見たら、極々薄い毛が生えているが、それは口周りと背中に少しだけで、どう見ても毒虫系の毛だ。


『他モ、有ル』

再びそう宣言したバニタロは、ジッとアーシャの顔を見つめる。

「んんん〜〜〜……?」

自慢したいのはわかるが、基本的に元の姿と大差ないのだ。

アーシャは少し困りながら、バニタロを見つめる。

バニタロは期待を込めた目で、アーシャを見つめ返し、殊更ことさらまばたきをする。

「……………あ、まぶちゃ!?」

バニタロは蛇なので、瞼がなかったのだ。


『主ハ目ヲ瞑ル、喜ブ。バニタロウ、瞑レル、ナッタ』

それはそれはバニタロは嬉しそうだ。

「……………うん」

ゼンは誰かが目を瞑るのが好きなんじゃなくて、猫や犬などの獣が愛らしい様子で寝ている姿が好きなのだ。

(……蛇は……どうだろう……)

愛されるために頑張っているバニタロには、とても言えないが、もっと毛深くないといけない気がする。

しかし頭にたくさん毛を持つ身としては、その指摘は、し辛い。


『アァシャ!主が迎えにきたぞーーー!!』

ほぼ誤差のようなバニタロの間違い探しをしていたら、小さな影が飛んできた。

バニタロよりも以前との違いがはっきりとわかる、凛とした姿のモモタロだ。

『おや、『かたな』の。元気そうだの』

アーシャとバニタロのやり取りを面白そうに見ていた老女神が手を上げる。

『お、『さくら』の!先日は挨拶もなく、そなたの域に入ってすまんかったな!』

ゼンと日がな一日一緒にいられるようになって、モモタロはすっかり丸くなってきた。

心が安定してきたのか、持ち主の影響が出てきたのだろう。


『おぉ、バニタロ!ちぃと縮んだが、無事復活したの!』

モモタロのバニタロへの感想は、アーシャと一緒だ。

それに対して、ムッとしたバニタロは、次はモモタロへの間違い探しを実施する。

「アーシャ!」

その後ろから待ち人がやってくる。

「ゼンっっ!!」

バニタロに聞きたいことは沢山ある。

しかし、とりあえずは、大好きな大きな体めがけて走り出す。


「『よじはん』!!」

「うん、よじはん!!」

アーシャが喜びの突撃を決める。

全力でぶつかっても動じないゼンはアーシャを持ち上げて、抱きしめてくれる。


『何じゃ。蛇は蛇のままじゃないか。わらわのように、主に付き従える形になったわけじゃないしのぅ』

『違ウ!見ル!バニタロ、飛ベル、ナッタ!』

『おぉ!………って……赤子の指一本入るか入らんかくらいしか浮いとらんではないかえ!!もっと根性入れて飛べ!!』

その背後では、どれほど装いを一新しても、主人の目には全く映れない二人の争いは続いていたのだった。



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