12.長男、潤いを実感する

ゴボウは下味をつけ、椎茸と鶏肉は甘辛く煮て、ほうれん草は軽く下茹でする。

今日は譲が大量にうどんを買ってきていたので、鍋焼きうどんだ。

(今日はうどんがセールだったんだな。かまぼこがないが、まぁ良いか)

ありもので適当にご飯を作るのが禅一の常なので、少々足りない具材があっても気にしたりはしない。


兄弟はお互いに相談し合うこともなく買い物に行く。

使う時も特に許可を取ったりはしない。

食べられたくないものには名前を書くのが決まりで、それ以外は自由だ。

たまに二人揃って、それぞれ買い物に行ってしまうなんて事も珍しくないが、二人ともよく食べるので問題になったことはない。


椎茸を入れた小鍋が沸騰したところに、目分量で醤油を投入する。

譲はきっちりと測って作るタイプだが、禅一は勘と味見で適当に味を整えていくタイプだ。

「しょーゆ!」

その香りを嗅ぎつけたアーシャが元気に宣言する。

「当たり!」

食べ物関連は本当に覚えが良い。

正に『好きこそものの上手なれ』だ。

食い意地の張った妹を微笑ましく思いながら、禅一は振り向く。

「垂れてるっっ!!」

しかしすぐに、小さな口から滝のように流れるヨダレを発見して焦る事になった。


「あ〜……しまった。おやつ、食わせるの忘れてた」

慌ててキッチンペーパーでアーシャの顔を拭く禅一を見ながら、譲が呟く。

その声に重なるように、腹の虫が盛大に鳴き始める。

いつもながら、こんな小さな体から、どうやってこんなに大きな音が鳴るんだと思ってしまう音量だ。


「オヤツ!オヤツッッ!!」

禅一は常温の食料品を入れている棚や冷蔵庫を探す。

まだ何もできてきない。

料理が完成するまで、ヨダレと腹の虫を垂れ流し状態で待たせるなんてできない。

とりあえずの小腹を満たすものが必要だ。


ジャンクじゃなくて、糖分が過多ではなくて、そこそこ満足感を得るが、満腹にはならないもの。

(チクワは普通、オヤツにはしないよな……味のりも……オヤツじゃないな)

自分が食べる間食が世間とズレている自覚のある禅一は必死に考える。

「ほれ」

アーシャに相応しいお菓子を探す禅一の後ろで、譲が何かを彼女に渡す。

「ばばば?」

それは半分に切られたバナナだ。


「ば・・なっ!」

そのまま食らいつこうとするアーシャを止めて、訂正しつつ、譲が皮を剥く。

「ばなぁな」

譲としては正しい部分を強調したのだが、悲しいすれ違いを見せて、アーシャの発音が妙にエセ英語風になってしまっている。

譲はもう一度訂正しようと口を開いたが、既にアーシャがバナナに集中してしまっていたので、ため息を吐いて諦める。


「丁度良いオヤツがあったな!」

一本なら満腹になってしまいそうだが、半分なら食事もちゃんと入るだろう。

「保育園でもらったの忘れてた」

禅一ば喜ぶと、バナナが入っていたらしいビニール袋をゴミ箱に投げながら、譲は少しバツが悪そうに言う。

「流石保育園。バナナなら補食として最適だ」

栄養たっぷりと聞くので、万が一ご飯を全部食べられなくても、栄養の偏りを心配しなくて良い。


美味しそうに食べる姿に安心しながら禅一は調理に戻る。

「あ!」

すると後ろから、アーシャの緊迫した声が響く。

「あっ、あっ」

振り向くと、短くなったバナナを前に、ひどく動揺している。

(ふふふ、剥けないんだな)

そう思って手助けしようとしたが、それが違うことにすぐに気がついた。


アーシャは人形をはめたままの指で、器用にバナナを剥いて、短くなったそれを持ち上げ、譲に捧げる。

どうやら一つしかないバナナを一人で食べてしまったので、焦ってしまったらしい。

(何て良い子………!!)

禅一は感動するが、

「いらね」

譲は迷わずアーシャの好意を跳ね返した。


食べ物のシェアを嫌がる譲だが、幼い妹の優しい心遣いに、もうちょっと配慮が欲しい。

傷付いてしまったらどうするのだ。

「ゼン?」

そんなことを思っていたら、禅一にもバナナが差し出される。

(元々半分しかないのに……!俺にまでくれるつもりだったのか……!)

改めて心の中で感涙を流しながら、禅一はそっと首を振る。

「ぜーんぶ、アーシャの!」

そう言ってバナナをアーシャの口元に寄せる。


全て食べて良いよ、と言えば、喜んで食べるかと思いきや、アーシャは寂しそうな顔をする。

「あ……う………ゼンの」

そして重ねて勧めてくる。

「……………っ!」

禅一は心臓を押さえる。

美味しいものを、独り占めするのではなく、分かち合おうとする。

(うちの子、良い子すぎる!!尊い!!)

ちょっとした好奇心で買った炭酸コーヒーのあまりの不味さに笑ってしまって、その笑いを伝えたいがために、譲たちを騙して飲ませた禅一とは心の清らかさが違う。


禅一はアーシャの視線を遮りつつ、ほんの少しだけバナナをちぎって、見られないように口の中に放り込む。

「ん!甘い!」

そして十分食べたことを示すように、禅一は大袈裟に咀嚼してみせる。


「有難うな……!美味しいっっ!!」

そう言うと、アーシャは、パァァァ!と効果音が出そうな程、顔を輝かせる。

「へへへへへへ、おいしー!」

そして自分もバナナを頬張って、笑いかけてくる。

「…………!」

あまりの健気さに心臓が収縮し過ぎて、胸が潰れそうだ。


「ゼンの?」

もう残りは数センチなのに、それでもアーシャは禅一に分けようとしてくる。

禅一はもう十分に食べたと示しながら、台所に向き直る。

このまま幸せそうに食べる姿を堪能したかったが、このままだと更にお裾分けをさせてしまいそうだ。


あとはバナナで凌いでいる間に夕飯を仕上げないといけない。

(出汁良し。鳥と椎茸良し。ほうれん草も良し。ゴボウは譲まかせ)

禅一は急ぐ。

「…………うっ」

そんな背後からアーシャの呻き声が聞こえた。

「………?…………!!」

振り向いた禅一は、バナナの皮に食らいついたアーシャを見て、一瞬停止してしまった。

子供は突飛もない事をする。

そう分かっていたはずなのに、皮なんか食べるはずがないと油断してしまっていた。


「アーシャ、ダメっ!ダメっっ!」

洗っていない果物の皮なんて、とんでもない。

(皮まで食べる程お腹が減っているのに、俺にお裾分けしてくれたのか……)

バナナの皮をゴミ箱に突っ込みながらも、禅一はホロリとしてしまう。


飢えたアーシャを、食べ物の香りが漂うこの家で、蛇の生殺しのような状況に晒しておくのは可哀想だ。

「譲、後は頼む〜」

そう判断した禅一は、仕上げを譲に任せ、アーシャを外に連れ出す。

和泉を夕飯に誘おうと思っていたので、ちょうど良い。



隣の家のチャイムを押すと、足音まで大人しい和泉と、足音がほぼしない和泉姉の家なのに、ドタドタと遠慮なく床を蹴る音がする。

「はーい!」

返事した声も元気が良すぎる。

「あ、禅じゃーん」

そして家主のような顔をして、玄関から出てきたのは、二つ隣の住人である篠崎だった。


「なんで篠崎がこの家の来客対応をしてるんだ」

「あ?誰だって俺みたいなカワイイ子に対応してもらえたら嬉しいからだろ?」

真顔で言い切るところが激しく厚かましい。

「『個人差があります』案件だな。和泉と和泉姉は?」

「和泉は相変わらずの筋肉痛で、生まれたての呪いの人形みたいな歩き方だし、姉ちゃんも昨日から引き続き寝てる。時々目ぇ覚まして、ご飯食べてトイレ行ってまた寝る感じ。……あ、丁度良いから上がれ、上がれ。試作品が出来上がったトコなんだよ」

まるで自分の家のように、篠崎は禅一たちを招き入れる。


「アーシャたん、人形遊びしてるの?かわい〜!」

篠崎に気を取られてしまっていたが、禅一の腕の中で、アーシャは何事か喋りながら、人形をワキワキと動かしている。

「………?」

しかし人形遊びをしているにしては、禅一の頭を見ているのが、不自然である。

一瞬、人形経由で話しかけられているのかと思ったが、微妙に視線が交わらない。


「あれかな?偽装友人みたいなやつ」

「……空想の友達イマジナリーフレンドだろ」

「あ、それそれ。俺も暇な時にイマジナリーファンにファンサしたりするからな」

理解し難いことを言いつつ、篠崎は和泉の家を我が物顔で歩き回る。

(まぁ……うん。俺も小さい頃は仮想敵イマジナリーエネミー作って修行ごっことかしてたしな)

禅一はなんとか納得して、とお喋りをするアーシャを見守る。


「ほれ、試着しろ」

篠崎が持ってきたのは皮のベルトと、金具のついた刀袋だった。

「試着?」

それらを突然手渡された禅一は戸惑う。

「いらっしゃい。その刀を禅にやるから、装着用ベルトを作れって言われてね…… とりあえずフェイクレザーで試作品を作ってみたんだ」

篠崎の後ろからヨタヨタとした足取りで和泉が出てくる。


「へ?やるって?この懐剣を?」

「まずは試着!はい!脱ぐ!」

疑問符だらけの禅一だが、篠崎に無理やりパーカーのフードを引っ張られる。

「ちょ、自分で脱ぐから!下から引っ張るな!」

「お、無駄にでかいから低身長ディスっちゃう系?」

「違う!アーシャを落とす!」

そんな揉め事をしつつ、アーシャを下ろして、禅一は用意されたベルトを身につける。


「そうそう、先に腰のベルトを巻いて、輪っかに体を通す感じ。それで上と下を繋いで……ここに刀をつける」

「持ち手が下なのか?」

「とりあえず、ね。袋ごと鞘をがっちり固定したから、使う時には刀身だけを引き抜いて。不都合があったら、少しづつ改善していくから。普段人形の服メインで作ってるから使用感とかを上手く想像できなくて」

和泉に指導されつつ、刀を身につける禅一を、監督でもするように偉そうに篠崎が腕組みで見ている。


刀自体がそんなに大きくないのと、左脇腹に沿うような形なので、パーカーを着ると懐剣の存在は、ほぼわからない。

「うん。ま、良い感じに出来たな。褒めて遣わす」

恐らくこの装具に関しては何もしていないであろう篠崎が、上司のような顔で和泉の肩を叩く。

「こらこら、和泉を無駄にこき使うなよ。和泉は売れっ子ドール作家だから時間も技術も貴重品なんだぞ」

「え〜、良いじゃん。俺もそのうち売れっ子武器作家になるかもしれないから、ヒエラルキーは一緒だろ」

「……武器作家って何だ、武器作家って」

勝手に職業を生成する篠崎に禅一は突っ込む。


「禅には商品のパッキングとか手伝ってもらってるから気にしないで」

和泉は笑って首を振る。

「ほら!和泉はわかってんな!俺が有能な武器作家になったら良い武器を作ってやるからな!」

「……えっと……武器は……ちょっと……」

「和泉は体力がないし運動音痴っぽいから、振り下ろすだけで一撃粉砕できる、でかいナタみたいなが良いな!可愛くするから期待しとけよ!」

「やめろ。そんなファンタジー世界でしか成立しなさそうなナタを押し付けて和泉を困らせるな」

そんな和泉に絡む篠崎を、禅一は引き剥がす。


「それはそうと、刀をやるって言うのは?」

「あ、それね。この子は禅に嫁に出してやるから。末長く可愛がれよ」

「は!?嫁!?」

禅一は驚くが、篠崎はマイワールドを崩さない。

「何かさ、手入れをしてたら、『あ、これはもう禅のだな』ってビビビって来たんだよね〜。あと、飾られるより戦いたいんだなって」

どの辺の毒電波を受信してしまったのだろうか。

「仕方ないから俺が望むときに食糧を提供してもらうのと引き換えに嫁がせてやる。大事に扱えよ」

心配する禅一に、篠崎は平然と押し売りしてくる。


「あのなぁ、これって普通に買ったらすごい値段がするような物だろ?それを簡単に……」

「俺が持ってたって倉庫に放り込んどくだけだもん。それがご飯生涯無料パスポートになるなら良いだろ?」

「勝手に炎上経験がある寄付返礼品みたいな物と物々交換するな。あと生涯無料は普通に無理だからな」

「あ〜〜〜お腹減った!今日のご飯何?」

篠崎は本当に人の話を聞かない。

アーシャを抱えてさっさと歩き始める。

「……鍋焼きうどん」

禅一は諦めて大きくため息を吐く。


「和泉も一緒に食べよう。和泉姉は……」

「しばらくの間は無理に起こさないほうが良さそう。……今回は特に消耗が酷くて」

「かなり無理させてしまったみたいだな……すまん。姉の分は持ち帰れるようにするよ」

苦手な篠崎に絡まれまくったであろう和泉は、顔に疲れを滲ませながらも頷いた。


家に帰ると、譲によって完璧に準備が整えられていた。

「やっぱり篠崎が来たか」

雑な禅一とは違って、店で出されるような盛り付けで、すぐに汁を吸うため別皿に置かれたゴボウも、カラッと完璧なキツネ色に揚げられている。

「え〜〜鍋焼きうどんなのに鍋じゃない〜〜」

普通のどんぶりに盛り付けられたうどんに、篠崎が文句をつける。

「うるせぇぞ。一般家庭にそうそう土鍋があるわけねぇだろ」

そう言う譲だが、しっかりと自分の分は一人用土鍋に作っている。

いつも禅一が使う小土鍋はアーシャ用になっている。


譲たちの会話を聞きながら、うどんに大喜びするアーシャの手を洗っていた禅一は、自分の席を見て止まる。

「えっと……俺のは……何で鍋用の土鍋なんだ?」

「全員のをまとめて作った残りだ」

禅一と篠崎と和泉の分は、まとめて大きな土鍋で作ったらしい。

「そうか………うん、まぁ洗い物が少なくて良いな……」

どうせなら自分も普通のどんぶりが良かった。

そんなことも言えずに、禅一は大人しく席に着くのであった。


アーシャは相変わらずテンション高く大喜びしながら、うどんを食べる。

手早く作った物でも、こんなに喜んでもらうと、こちらも嬉しくなってしまう。

(癒される〜〜〜)

最初の頃は、そのオーバーアクションに翻弄されていたが、今では椅子で大きく反り返っても、微笑ましく眺められる。


(やっぱりゴボウが好きなんだな〜)

ゴボウの唐揚げを美味しそうに食べる姿に、禅一は目を細める。

「はい、どうぞ」

ゴボウを食べ切って寂しそうに皿を見るアーシャに、ゆっくりと食べていた和泉が自分の皿を差し出す。

あまりに美味しそうに食べるから、自分からコミュニケーションを図るのが苦手な和泉ですら、動かされてしまったらしい。


「いじゅみ……!!あいがとーー!!」

皿ごと受け取るかと思いきや、アーシャはキラキラと輝く笑顔で一本だけ取って自分の皿にのせ、大切そうに抱え込む。

ゴボウ一本を大切にしている姿は、世間的にはいぢましいのかもしれないが、兄的にはいじらしい。

「「「「………………」」」」

全員でほのぼのと眺めてしまう。


「はい、アーシャ」

もっと食えとばかりに禅一は、アーシャの取り皿にうどんを盛る。

嬉しそうに笑う顔はプライスレスだ。

(明日はもっと美味しいもの作ろう……!)

妹という潤いのある生活に、禅一は改めてそう思うのだった。







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