10.長男、マイペースに楽しむ

藤護禅一は超絶マイペースである。

人情に厚いとか、お人好しだと言う人もいるが、それは少々違うと、森田もりた成志せいじは思っている。


「禅、昼メシ食いながら勉強って、どんだけ必死なんだよ」

学内の生協で買った焼きそばパン、カツサンド二個とカフェテラスのミネストローネ。

とりあえず糖と肉と野菜を摂っとけというメニューを平らげながら、禅一はノートにペンを走らせている。

「あ〜〜〜、もうすぐテストだろ。時間がないんだ」

一応友達と一緒に学内のカフェテラスで食べているのに、彼は一切話に加わる様子がない。

答える間もパンを片手に、ノートを書いている。


「え〜〜〜、まだ試験なんか先だろ?」

「そうそう、まだテスト期間でもねぇのに、食いながらの勉強は目立つって。どんだけ真面目クンなんだよ」

少々馬鹿にしたようなからかい文句にも、彼はのらない。

「生活かかってるからな〜」

そう言って再び勉強に熱中する。


全く空気を読まない男だが、それで周りが離れるかと言うと、そんな事はない。

お互いに『呆れた奴だ』と視線を交わしつつ、「ノートが仕上がったらコピーさせてくれ」などと声をかけている。

彼は自分から人を誘う事はないのに、自然とこうやって周りに人が集まる。

成志もその一人だ。


禅一はいかにも体育会系な立派な体躯で、見目も悪くない。

外見的には、いわゆる『陽キャ』と呼ばれる、大人しい成志たちには、とっつきにくい、ともすれば馬鹿にしたり攻撃してくるような、お近づきになりたくない人種に見える。

しかし実際の彼は、常にフラットで、他人の外見や、周りの扱いに左右されず、誰に対しても誠実な対応をする。

バカにされたり、爪弾きに遭うような人間であろうと、周りからもてはやされる人間であろうと、態度が全く変わらないのだ。

そのせいか、個性が強すぎたり、内気すぎたりして、上手く周りに馴染めなかった連中が彼の周りに吹き溜まっている。


かく言う成志も大学に馴染めず、彼の周りに吹き溜まったクチだ。

初めて親元を離れての新生活。

成志は上手く友達を作れず、孤独と慣れない新しい生活にさいなまれ、ドロップアウト寸前まで追い詰められた。

『大丈夫か?』

それでも何とか頑張ろうと登校したはいいが、気分が悪くなって座り込んでいた時、禅一が声をかけてきてくれたのだ。

『軽い熱中症かな?とりあえず、クーラーが効いてる館内に入ろう』

彼はそう言うと、あっさりと成志を抱え上げた。

身長こそ平均だが、体重はかなり成長してしまって、ぽっちゃりを超えてぼっちゃりになった成志を、だ。


まさか、ちょい肥満な自分がお姫様抱っこされる日が来るなんて思いもしなかった。

そして見るからに強そうで、肉食獣のような空気を醸し出している同級生ぜんいちが、『キモデブ』などと嘲笑を浴びせかけられる自分に、手を差し伸べてくれるなんて思ってもいなかった。

怖かったので、全力で避けていた相手は、周りの目も、溶けるほど汗をかく成志も気にせず、とにかく親切だった。

ノートで風を送り、スポーツドリンクを買ってきて飲ませ、実に甲斐甲斐しく面倒を見てくれた。


こんなに手間をとらせてしまったら、迷惑料を強請られても仕方ないと思ってビクビクしていたが、禅一が要求したのはスポーツドリンク代だけだった。

『何だ、同じ学科でタメなのか。これからよろしくな。気分悪くなったらいつでも呼んでくれて構わないから』

上手く喋れない成志を気にするでもなく、彼はそう言って連絡先を交換してくれた。

それは大学に入って初めて増えた連絡先だった。


『体調はもう大丈夫か?』

礼を言いたくても、立ち上がって近寄ることができない成志に、そんな風に禅一は声をかけ、当たり前のように隣の席に座った。

こちらが喋れなくても全く気にしない様子で、自分の作業をしていて、しかし無視されるのではなく、適度に話しかけられる。

二人きりでも空気が重くなる事がない。

すれ違えば笑顔で挨拶をされるし、休んだ後は『ノート見るか?』と声をかけてくれる。

たったそれだけだが、自分という存在を気にかけてくれる人間がいると思うだけで、随分と救われた。


禅一という接着剤がいたので、成志と同じく孤独感に苛まれていた奴らと、友達になる事もできた。

学内で恥ずかしげもなく女装する変人や、伝説の崖っぷち留年生、二枚目半の有名ナルシスト、サークル命の普段から無駄に熱すぎる熱血漢など、普通なら絶対知り合えないような知人もできた。


そんな彼なので、人格者だとか筋肉強化された出来杉くんなどと褒めそやされる。

しかし助けてもらった成志が言うのも何だが、彼は究極のマイペースなだけだと思う。

誰に対しても態度が変わらないのは、誰に対しても興味がないだけなのだ。

いや、興味がないと言うより、執着がないと言った方がいいかもしれない。


必要とされれば手を差し伸べるし、倒れそうな人間には寄り添う。

そばに居れば気にかけてくれる。

しかしそれだけなのだ。

相手が自分を必要としなければ、あっさりと手を離すし、関係が切れても惜しむ事はない。

飄々と、超然と我が道を歩む禅一が、誰かを引き止めようとするなんて想像できない。

大学というコミュニティに属しているが、彼はまるで世捨て人のような空気を持っている。


「禅一くん、こんなところで勉強?」

「あぁ」

学内カースト頂点と言っても良い美女に声をかけられても、彼のテンションは全く変わらない。

周りの成志たちが緊張で固くなり、顔を赤くする中、サラッと流してしまう。

「昨日は有難う。助かったよ」

しかし今日は珍しく、相手に笑いかける。

「どーいたしまして」

可愛く巻いた髪をいじりつつ、彼女は少し頬を染める。

その顔は明らかに何かの言葉を待っている。


(排陰キャ的領域が弱まってる……ナルホド、フル武装メイクがナチュラルになったのか……イメチェンへの一言を待ってるな……)

清らかすぎる異性関係の成志にすら、その期待を込めた視線の意味に気がつく。

しかし禅一は用は終わったとばかりに、再びノートに目を落とす。

これほどの美女だと言うのに、対応がフラット過ぎる。


「ねね、藤護兄、今日の璃子、可愛くない?」

「凄いイメチェンしたと思わない?」

彼女と同じく、愛らしく着飾った女子たちがニヤニヤとしながら、勉強を再開しようとした禅一に声をかける。

(援護射撃入った!囲い込み漁だ!)

周りはそんな事を考えているのだが、禅一は全く動じない。

「あぁ、健康的だし、親しみがわいて凄く良いな」

顔色一つ変えずに、あっさりと褒める。

そして騒ぐ女子たちを尻目に再びノートに取り掛かる。


(ドライが過ぎる……!)

どんなに勉強が忙しくても、こんなに可愛い女の子との会話を、さっさと打ち切ってしまうなんて信じられない。

少し押したら、この世の春が待っているかもしれない千載一遇のチャンスなのに、いつでも出来る栄養補給と勉強を優先させる気持ちがわからない。

最早、誰か、いや、何かに固執する事があるのかと疑問になってしまう程のマイペースさだ。


「リコ!こっち!席取っとってるから!」

禅一の空気の読まなさに成志たちの方がハラハラしていたら、女子たちの後ろから声がかかる。

(うわ、厄介なのが来た)

『チャラチャラ』という言葉が誰より似合う、流行を追い求めた装いに、軽薄そうな笑み。

「あれ、禅一じゃん!でかいのに地味過ぎて存在感ねぇな〜」

『居るの知ってただろ』とツッコミたくなるほどわざとらしく、今気がついたとばかりに、男は美女と禅一の間に入っていく。

ちょっと悪そうな雰囲気に服装をまとめているが、地味な姿で勉強中でも圧倒的強者感をまき散らしている禅一と並ぶと、小者感が拭えない。


(キターーー!カーストの申し子!)

自己顕示欲マウンティングの寵児!)

(キョロ充からの出世魚!)

気付かれないように成志たちはポソポソと言葉を交わす。

今は禅一がいるから小者感があるとか言っていられるが、単品の時に絡まれたら堪らない。

全員気が小さいので、正面切って批判できないが、友達面で近づいて来てはマウンティング発言を行う、この男を面々は嫌っている。


「お前、聞いたぞ〜!隠し子いるらしいな!リコちゃん、コイツ、子持ちらしいよ?」

弱点を知っているぞとばかりのニヤニヤ笑いに、成志たち超小者集団は視線で嫌悪を確認し合う。

「隠し子?」

男が現れても、ノートを作り続けていた禅一は、そこで初めて不思議そうに顔を上げた。


「おいおい、隠すなよ、もう噂になってるからな」

嬉しさを隠しきれていない様子の男に、一瞬、美女は凍えそうな冷たい視線を向ける。

が、すぐにいつもの愛らしい顔に戻る。

「妹さんのことじゃない?すっごく可愛いよね」

そして何気に禅一と親しいアピールをしながら、女神の微笑みを見せる。


「あ、アーシャのことか!そうそう、親戚の子を引き取ったんだ!」

途端に禅一は満面の笑みを見せる。

いつも穏やかに笑っているので、笑顔は珍しくないが、こんなにデレっと締まりの無い笑みは初めてだ。

「へ、へぇ……」

禅一の唐突なるテンションアップに、仕掛けてきた方が押されている。


「冬休みに郷に行った時に引き合わされてな。いや、本当に可愛いんだ!」

普段はバッグに入れっぱなしのスマホを取り出して、サッと写真を表示させる様は、隙あれば子供自慢をするお父さんそのものだ。

「うん……?」

「か、かわいい、ね?」

「うん、何か凄い勢いで食べてるけど……可愛いね」

しかし写真の撮り方が下手なのか、感性がおかしいのか、周りの反応はイマイチだ。

何故、リスのように頬を膨らませ、口の周りをドロドロにしている状態で撮影したのだろうと、皆、口には出さないが疑問に思っている。


「えっと……凄く小ちゃいね。子供というより、赤ちゃんっぽい?」

『大学生の妹』なら、もっと大きい子かと思ったが、写真の子は凄く小さい。

「う〜ん、一応五歳くらいじゃないかって言われてるんだが、親が事情を話さずに捨てていったから、詳しいことは分からないんだ」

『引き取った』と言うくらいだから、何か事情があるのだろうと思ったが、激重な事情をあっさりとカミングアウトしてきた。


(要するに、育児放棄されたってこと!?それじゃ一時的な預かりとかじゃないよね!?)

成志たちは視線を交わし合う。

子供の虐待などが絡む、繊細な話題なので、事情を突っ込んで聞き辛い。

「えっと……禅の親も思い切ったね。もう大学生の息子が二人もいるのに、今からこんな小さな子を引き取るって……」

皆を代表して成志が遠慮がちに、詳細を尋ねるための水を向ける。

「ん?親じゃなくて、俺が引き取ったんだ」

すると、弱々しく投げた会話のキャッチボールは豪速球になって返ってきた。


(((それって妹じゃなくて、禅の娘ってことじゃん!!!?)))

誰も声に出して突っ込めないが、心が一つになっていることは感じる。

大学生が、去年まで高校生だった、成人というにはまだまだ尻に殻がついたようなヒヨッコが、子供を引き取る。

それはこんな何気ない世間話のように聞いていい話ではない。

もっと取扱注意な話だ。

「は……はは、んじゃ、お前、既にコブ付きって事じゃん?その年でシンパパかよっ!」

そんな繊細な話題に、土足で踏み込むのが、このマウンティング大好き男だ。


「あぁ、そう言われると、確かにそうだな。父親っていうより兄ちゃん気分だったんだけど。ははは、改めてシンパパとか言われると何かテレるな」

そこで謎の照れを発動させる禅一。

「はぁ……?テレるって?その年でコブ付きなんて、絶望的じゃん」

もうちょっと言い方をどうにかした方がいいと思うが、皆の意見を男が代弁する。


「そうか?子供って、普通は恋愛して、結婚して、色々共同生活頑張ってようやく授かるわけだろ?それらを全部すっ飛ばせるんだから、凄くショートカットできてるだろ?」

禅一は全く分かりませんと言う顔で首を傾げる。

「しかもうちの子ときたら、凄い食い意地張っててさ、作る物作る物、何でも大喜びして美味しそうに食べてくれるんだよ。今まで単なる栄養補給のためにしてた料理が凄く楽しくてさ〜。綺麗な所で過ごさせてやりたいって思ったら、惰性だった掃除にも凄く張り合いが出たし。洗濯物とかも一緒にたたんでくれたりするから、楽しくて。あ………悪いな。自慢するつもりじゃなかったんだが、こう、これが生活が潤うってこんな感じなんだなっ、って実感するくらい毎日が楽しくて、つい」

鼻高々で、凄い勢いで語る禅一に全員がポカンとなっている。


(一応……マウンティング……なのか?)

(誰に対してなのか、方向性を失ったマンティング……)

(マウンティング慣れしていないにも程がある)

仲間内でも動揺が広がる。


「……だから、恋愛も、結婚も全部できなくなったって事だろ?他人の子供背負って、そんなの負け組確定じゃんか」

あまりに幸せそうな禅一に全員が毒気を抜かれたが、マウンティング男だけは何とか彼に土をつけようと必死だ。

「まぁ元々恋愛も結婚もする気がなかったから、妹ができただけで勝ち組だと思うぞ。いやぁ〜、家じゃカルガモのヒナみたいについて回ってくれるから可愛くて可愛くて。家にいる時間は全部妹に使いたいから、こうやって学校で必死こいて勉強してるワケだし……っと、こんなに話してる場合じゃなかった。じゃ、俺は勉強するから」

しかし禅一はキラキラと幸せオーラが見えるのではないかというくらいの笑顔で、あっさりと退ける。


褒められて頬を染めていた美女も、その友達も、彼女らを狙う男も全員ハニワみたいな顔になっている。

サラッと恋愛願望がないなどという爆弾発言まで織り交ぜて宣告した禅一は、言うことは言ったとばかりに、それらを無視して再び勉強を始める。

(マイペースというか……我が道を爆走しているというか……)

世捨て人めいた彼でも、特定の何かに向ける感情があるのだとわかって安心したような、理解できない次元を爆走しているので、絶対に分かり合えないと確信してしまったような。


「禅って、実は主夫やってたんだな……弟の方がやってるのかと思ってた」

「それな。禅は猪に杭を刺して丸焼き作ってそうなイメージだったのに……意外」

「わかる。洗濯とか洗剤一箱入れて、家を壊滅させそうなイメージあった」

人は見た目によらない。

イメージだけでて決めつけてはならないと学習した学友たちを尻目に、禅一は黙々と勉強を続けるのであった。




そんなマイペースすぎて学友たちを大いに戸惑わせた禅一は、最後の講義が終わると同時に、学校から姿を消した。

二本足で疾走するヒグマの如き姿に、何人もの人が振り返るが、全く気にしない。

一路目指すは我が家である。

「ただいまっっ!!」

彼が鍵を開ける時間ももどかしく玄関を開けると、小さな体がロケットのように突っ込んでくる。

「ゼンっっ!!」

「アーシャ!!」

朝ぶりの感動の再会である。


「ただいま〜〜〜〜!!アーシャ!良い子だったな〜〜!!」

一日保育という試練を乗り越えた妹を禅一は褒め称える。

そんな彼の首筋に親愛の頭突きが入る。

会いたかった、頑張った、甘やかして。

ゴリゴリとめり込む小さな頭に、そんな風に要求された気がして、禅一は手放しでアーシャを褒め称える。


「頑張ったな〜〜!良い子!良い子!」

靴を脱ぎ捨ててグルグルと回る禅一に、譲の冷たい視線が刺さる。

それに気がついた禅一は、きちんと靴を整え、手洗いうがいを済ませる。

その間も黒いフワフワの子カルガモは禅一の後ろをついて回る。


「お?何か沢山持ってるな〜」

そんなアーシャが可愛くてワッシャワッシャと禅一が頭を撫でると、キラキラとした目で、両腕に抱えたものをご披露される。

「おぉぉぉ〜〜!!書いたのか!上手!じょーず!」

安っぽい紙が限界まで薄くなり、印刷された線まで消えかけてしまうくらい頑張った形跡がある、書き方の練習帳。

「猫か!可愛いな!」

ちょいブサな表情が愛らしい猫型ペンケースと子供用鉛筆。

「懐かしい!軍手マン!!」

そして少々薄汚れた軍手人形。


どれも嬉しくて堪らないという様子で見せてくるので、禅一の目尻は垂れ下がりそうなほど緩む。

チラッと弟を確認したら、苦虫を潰したような顔をしている。

「………ぁんだよ」

普段滅多に出してこないお道具箱まで出して作業していた譲は、威嚇するように鼻と眉間に皺を寄せる。

「いやいや。仲良くできて良かったな〜と。全部買いに行ってくれたんだろ?」

禅一は表情を取り繕うとするが、譲がどんな顔で手袋人形を作ったのかと思うだけで、崩れてしまう。

この無愛想な弟と、ニコニコの妹との時間を想像するだけで微笑ましい。


「うるせぇ。保育園の先生に勧められたから仕方なく行ってきたんだよ。チビが曲線の一つも書けねぇと、保護者が若いからって言われるだろ。必要に迫られて、だ」

渋々やったんだと主張する割に、その手の中では必要以上に可愛い手袋人形が出来上がっている。

頭に花型の飾りボタン、首元にビーズ付きのリボン、裾にレース、つぶらな目に笑った形のフェルトの口までついて本格的だ。


「ほれ、チビ」

いらない物を投げ捨てるように渡すんだから素直じゃない。

「…………!かわいーな………!!」

対するアーシャは大きな目を見開き、潤ませて喜んでいる。

「わぁぁぁ!かわいーなぁぁぁぁ!!」

早速手につけて、その腕をピョコピョコと動かし、自身も弾みまくっている。


禅一はそんなアーシャの姿に、ありし日の自分の姿を重ねて、目を細める。

(わかる。のっぺらぼう状態でも可愛かったもんなぁ)

不思議と湧き上がる愛着を思い出し、何回も頷く。


「ユズゥ!あう、あわ!ユズゥ!!」

そんなアーシャだったが、テーブルの上を確認して慌てて走り出す。

「ユズゥ!ユズウゥゥ!」

ピョンコピョンコと効果音がつきそうな様子でアーシャは譲に向かって飛び跳ねる。

「あのなぁ……新しいのをやっただろ?」

古い軍手の人形を解体しようとしていた譲は、大いに呆れた顔をする。

アーシャがどうして必死なのか全くわからない様子だ。

「譲!」

泣きそうなアーシャのために禅一は走る。


「ダメだ。軍手マンは……作った瞬間に命が宿るんだ……!」

「はぁぁぁ?」

禅一は脳髄が飛び出たような状態の軍手人形をそっと元に戻す。

「例え同じ手袋で作っても、一度解体したら『その子』じゃなくなるんだ!!」

「あのなぁ……こんなのただの手袋だろ?」

「違う!作った瞬間から軍手マンになるんだ!だから俺はどんなに寒くても解体しなかったし、素手で雪玉も作った!」

「それは禅がバカだっただけだろ」

熱く語っても、いまいち譲はピンとこないようだ。


「とにかく、新しい軍手は買ってきてやるから、この子はアーシャにやってくれ……!!」

「こんなに汚いのを持たせておくのか!?」

「汚くても、もうアーシャの友達なんだ!!」

譲は汚い人形を持たせておくことに大きな抵抗があるようだったが、寄ってきたアーシャを見て、反論できなくなる。

そっと禅一の足に隠れながら、潤む目で懇願するように見つめられては、無理に解体できなくなってしまったのだ。


「ほれ」

諦めた譲は大きく肩を落として、人形をアーシャに投げる。

「…………!ユズゥ……ユズゥ、あいがとー!」

途端にパッとアーシャの顔が輝く。

二つの人形を抱いて、アーシャは幸せそうだ。

そんなアーシャに足タックルを受けて、譲の仏頂面が俄かに血色良くなる。


「あーもー」

「あわ、あう、あう、ゆひゅう〜〜」

頭をガシガシと手荒に撫でて足から引き離し、八つ当たりのように、モチモチとしてきた頬っぺたを摘んでから、譲は戦線離脱する。

ソファーの背もたれに顔を隠すようにして、横になってしまう。

(素直に可愛がれば良いのに)

禅一はへそ曲りな弟に苦笑してしまう。


アーシャは飾りつけられた小さな人形と、くたびれた軍手人形を両手に装着して、嬉しそうに遊んでいる。

無邪気な姿に目を細めながら、禅一は冷蔵庫の中身を確認する。

「ん〜〜〜できるだけキノコ類を入れたいな〜。お、ゴボウがある。譲、ゴボウだけなら俺が揚げてもいいか〜?」

「嫌だ。禅がやるとガリガリになり過ぎる!」

「じゃ、下味までつけとくから、後よろしく」

禅一の揚げ物だけは譲に大不人気だ。


今日は時間が押しているので、手早く禅一は夕飯の準備を始める。

(まだ和泉はまだ動けないだろうから、隣も呼んで……あれ、篠崎は今日学校に来てなかったな。後で給餌ついでに生存確認に行くか)

そんな事を考えつつ動いていると、

「………うに………」

両手に人形をつけたアーシャが、思い切り鼻に皺を寄せて、調理台を見ていた。


「ふっ」

脈絡なく飛び出した『うに』に不意をつかれた禅一は思わず吹き出してしまう。

何故この子は、こんなにもゴボウに反応するのか。

(そう言えば出会った時から凄い興味を持っていたよな)

そんなにゴボウが気になるのだろうかと、調理台を覗ける場所に子供用椅子を備え付けてみたら、部屋中をウロウロしながらも頻繁に登って作業を確認しにくる。


「ふぉっ………うににぃあ……!」

アルミホイルでガシガシとゴボウの皮を剥いていたら、驚いて目を丸くする。

「うに、えいにゃい」

ぶつ切りにして、醤油ベースのタレを入れたビニールに放り込んでいたら、下からそっと手を伸ばして、ビニールをつつく。

「こーら」

注意しつつ、禅一の頬は緩みっぱなしである。


(食べた時の反応が楽しみだな)

やっぱりアーシャがいると料理が楽しい。

再確認しつつ、禅一は準備を進めるのだった。

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