9.聖女、心配する

アーシャはホウッとため息をこぼす。

小さな透明の箱に、『えんぴつ』を突っ込んで回すと、斜めに付いた刃が、木を薄く削り取る。

ただそれだけの事なのだが、うっとりと見つめてしまう。

削り出された木が、まるで花びらのように溢れてくる様は、何故か心を強く惹きつける。


「チビ」

ついつい削る必要がなくなっても削り続けていたら、隣に座っていたユズルに止められてしまう。

「へへへ」

笑って誤魔化して、アーシャは『えんぴつ』を透明な箱から引き抜く。

そして気合を入れ直して、開かれた本に向かう。


(ゆっくり、力を抜いて、柔らかく)

顔を引き締めて、慎重にその中に書かれた線を辿る。

———チカラガ ツヨクナッテル

———カミヲ ウゴカシテハ ダメ

———セスジハ マッスグ ウエカラミナイト センガ ユガムワ

そして心強い先生アカートーシャの厳しい指導の元、曲線の練習をする。


力を抜けと言われると、何故か口に力が入って、いつの間にか、獲物に喰らいつく瞬間のアヒルのクチバシのようになってしまう。

肩と肘もいつの間にか突っ張ってしまい、アカートーシャから指摘が入る。

———センガ ズレテシマッタワ

それらの試練を乗り越え、やっとこさ曲線を描いても中々先生が納得できる線にならない。

「んんん〜〜〜!」

ガックリと肩を落としながら、アーシャはゴシゴシと『けしごむ』で帳面を擦る。


———『えんぴつ』ッテ ベンリ!

真っ白な『けしごむ』は、我が身を削り、アーシャの書いた曲線を消し去る。

アーシャは画家がパンで画布を擦ってデッサンを消したりする姿を知っていたので、このような便利な物があっても、それ程驚かなかったが、アカートーシャは線を消すたびに感動する。

彼女の時代では一度書き損じたら、全て書き直すか、真っ黒に塗りつぶすかの手段しか無かったらしい。


また、アーシャたちの国では羽根を削って作ったペンを使用していたが、アカートーシャたちは動物の毛を束ねたものにインクを染み込ませて使っていたらしく、細い線を描くのは中々大変だったらしい。

羽根ペンと違って、インクをたっぷり吸ってくれて、使い易いように感じるのだが、一長一短あるということだろう。

アカートーシャは自在に細い線を描き、消すこともできる『えんぴつ』に夢中だ。


———ジョウズ!

紙が破れる直前くらいまで何回も消してやり直し、遂にアカートーシャから合格が出る。

「ゆずぅ!」

張り切って本をユズルに見せると、最初に容赦なく線を消してやり直しをさせた彼にも、納得できる仕上がりになったらしく、唇の端を持ち上げて頷いてくれた。

アーシャは鼻息を出しながら、誇らしさに大きく胸を張る。


ユズルは『慢心するな』とばかりにアーシャの鼻を摘んでから、自分の作業に戻る。

彼の手は、ともすれば見失いそうな細い針を、器用に動かしている。

(お針子仕事ってしっかり見た事ないんだけど……これはすごく上手なんでは……?)

彼の手元を覗き込んだアーシャはついつい感心してしまう。


ユズルは、小さな手袋に、次々と飾りを縫い付けている。

縁取りだけだった手袋は、可愛らしいレースやリボン、キラキラと輝く面白い形のボタンが縫い付けられ、今や王侯貴族の物のような豪華さだ。

家政を司るのは女性という価値観の国で育ったので、男性がこれほど小さな針を巧みに動かす事が信じ難く、ついついじっと観察してしまう。

「シッシッ」

しかし顔を近づけ過ぎると、犬のように追い払われてしまう。


「むぅ」

アーシャは口を尖らせつつも、曲線を我が物にする為に、また黙々と『えんぴつ』を走らせる。

インク切れはないし、失敗したら消せるし、細い線が出なくなれば削れば良い。

何と恵まれた環境での練習だろうか。

「むふふ」

その練習の合間に目に入った、布製の胴長猫にアーシャは頬を緩ませる。


一番使うであろう黒色の『えんぴつ』、四本。

『えんぴつ』を消すことができる『けしごむ』、一個。

『えんぴつ』から美しい花弁を作り出す、小さな透明の箱一個。

それらが収まる猫の袋。

その横に透明な袋に入った、それぞれが虹のように鮮やかな色の『えんぴつ』が計十本。

これだけ沢山のものが全て『チビの』らしい。

(何だか信じられない気分)

そう思ってしまう、凄い物量だ。


(貴族のご令嬢になっちゃった気分)

アーシャはにやける。

宝物入れと、先程作ってもらった人形も並べると、とても豪華だ。

一つ一つ、存在を確かめるように撫でると、ますます頬が緩む。

首から下げた笛や、『もちもち』、錫杖、毎日の衣服や、背負い袋なども含めると、もう一生分以上の物資を貰ってしまっている。

———アァシャ オテテガ ルスヨ

同居人の呆れたような、苦笑するような気配で、夢見心地になっていたアーシャはハッと我に返る。



再びせっせと曲線と戦っていたアーシャだったが、ふと、顔を上げる。

アーシャの目は現実の物に遮られてしまえば、それを超えて『何か』を視る事はできない。

しかしこの気配だけはわかる。

壁を隔てても流れてくる強い神気。

「ゼン!!」

間違いない。

彼が近い。


高い椅子から一度飛び下りて、慌ててもう一度登る。

頑張った曲線、ユズルが作ってくれた人形、買ってもらった『えんぴつ』たち。

ゼンに見せたいものが沢山ある事を思い出したのだ。

「こら、チビ!」

あれもこれもと欲張って胸に抱いて、椅子から再び飛び降りると、ユズルが渋い顔をする。


「えへへ」

首をすくめたが、アーシャは止まる事なく、一目散にゼンが帰ってくる扉に向かって走る。

その間に、扉から金属が擦れる音がする。

鍵が開くときの音だ。

「ただいまっっ!!」

次の瞬間には、勢い良く扉が開いて、大きな人影が姿を現す。

「ゼンっっ!!」

両手を広げて迎えたい所だったが、生憎両手が塞がっているので、そのまま突撃する形になってしまう。

「アーシャ!!」

しかし投石器から発射された石の如き勢いのアーシャでも、ゼンは揺るがない。

危なげなく抱きとめてくれる。


「ただいま〜〜〜〜!!アーシャ!いーこだたな〜〜!!」

「ふへへへへへ」

ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、アーシャは遠慮なく顔を押し付ける。

多少勢いが良過ぎて、ゼンの鎖骨に頭突きを加えるような形になったが、やはりゼンは全く動じない。

「がんばたな〜〜!いーこ!いーこ!」

そのままグルグルと振り回してくれるから、アーシャは笑い声をあげる。


「おっと」

頭を撫でようとして、ゼンは途中で止めてしまう。

そしてアーシャを下ろして、水場に向かう。

「ゼン?」

肩透かしを食らったアーシャは、その後を追う。

するとゼンは手を洗って、口まで濯いでから、改めてアーシャを抱き上げる。

「へへへへ」

流石清潔を重んじる国だ。

そうして改めて綺麗になった手で、頭をかき回して、頬を撫でられる。


「お?なか、たうさんもてるな〜」

一頻り甘やかされてから、ゼンはアーシャが抱えている物に気がついた。

「ゼン!ゼン!」

アーシャはここぞとばかりに、抱えてきた物をご披露する。

「おぉぉぉ〜〜!!かいたのか!じょーず!じょーず!」

「ねこか!かわいーな!」

「なつかしー!ぐてまん!!」

冷静になれば、それを見せてどうするという品々だったかもしれないが、一つ見せるごとに、ゼンは楽しそうに目を輝かせて、褒めたり、喜んでくれたりする。

「へへへへへ〜」

ゼンが帰って来た喜びと、その反応で、アーシャはどんどん高揚してしまう。


こんな見せびらかすような真似は褒められたことではない。

分かってはいるのだが、ゼンは絶対に一緒に喜んでくれるという確信が、アーシャの中で芽生えてしまっているので、止められない。

はしゃぐアーシャとゼンに、ユズルは冷めた視線を送っている。


ゼンとなにやら話しながら、彼は糸を切って、先程まで飾り付けていた手袋を組み合わせ始める。

「ほれ、チビ」

ポイっと投げられた物を受け取って、アーシャは目を見張る。

「…………!『かわいーな』………!!」

手袋に縫い付けられる飾りは左右対称ではなかったので、どういう基準でつけているのだろうと思っていたら、何とそれは、愛らしい飾りのついた帽子を被り、胸元に可愛いリボンと、裾にレースをあしらったスカートを履いた女の子の人形になったのだ。

顔には真っ黒で可愛らしい目と、微笑む口まで着いている。


「わぁぁぁ!『かわいーな』ぁぁぁぁ!!」

アーシャは他のものを一度卓に置いてから、その子を手につける。

先に作ってもらった方は、ブカブカだったが、こちらの子はピッタリだ。

指先まで中身が詰まった腕を動かすと、より一層可愛く見える。


もう片方の手に、先程作ってもらった人形を着けようと、卓の上に手を伸ばす。

「?」

しかし伸ばした手に人形の感触が当たらない。

何でだろうと、椅子の足かけ部分にのって伸び上がると、ユズルが人形を手に取っているのが見えた。

「ユズゥ!あう、あわ!ユズゥ!!」

その大きい人形の帽子が無慈悲に取られ、脳みそが飛び出したような状態にされてしまったので、慌ててアーシャはユズルに駆け寄る。


「ユズゥ!ユズウゥゥ!」

「あんなぁ……あたぁしーのおやただろ?」

人形に向けてピョンピョンと跳ねるアーシャに、ユズルは戸惑ったように声を上げる。

「ユズル!」

そんなユズルにゼンが素早く駆け寄り、頭部が弾けた人形をそっと元に戻してくれる。


———アァシャ、オチツイテ カノキミガ セツメイシテクレテルワ

アワアワと焦るばかりのアーシャに代わって、ゼンが何やらユズルに説得してくれる。

(元々ユズルの手袋なんだから、私がどうこう言っちゃいけなかったわ……)

すっかり情が移ってしまっていたので、大抗議してしまったが、深呼吸して落ち着いたら、そんなふうに反省できた。


それでも諦めきれない思いで、アーシャはゼンの足に隠れるようにしつつ、ユズルの動向を伺う。

ゼンと何やら話し合っていたユズルはガックリと肩を肩を落としてから、大きい人形を元に戻す。

「ほれ」

そう言ってアーシャの手に戻してくれる。

「…………!ユズゥ……ユズゥ、『あいがとー』!」

ユズルの手袋を強請ってしまったようで申し訳ない。

でも嬉しい。

色々伝えたいのだが、やはり知っている単語が限られているので、アーシャにはそれしか言えない。


伝えきれない思いを伝えたくて、ユズルの足を抱きしめたのだが、

「あーもー」

大きなため息を吐いた後に、頭をガシガシと押される。

「あわ、あう、あう、ゆひゅう〜〜」

アーシャの頭をガクガクと動かし、オマケとばかりに頬を引っ張り伸ばしてから、ユズルはソファーにどっかりと横になった。

背もたれ側に向かって転がったのは『声をかけるな』という意思表示かもしれない。


(わがまま言っちゃったかしら)

気にしつつも、大きい人形に手を入れると、顔が綻ぶ。

少し帽子の被り方が少し変わってしまったが、小さい人形と並べるとまるで親子だ。

「へへへへへ」

指と指を合わせると、手を繋いでいるようだ。


———ワタシモ チイサイコロ ヤッタワ

懐かしそうに、アカートーシャは語る。

彼女の場合は紙で作った人形だったようだ。

撫でて可愛がった後は、川に流す決まりになっていて、それを寂しい気持ちで見送った記憶がフワリと流れ込んでくる。

(じゃあ、最初のが私、小さい方がアカートーシャのね)

お互い、このようなしなを持てなかった同士、分け合う事にして、アーシャたちは笑い合う。


大小の人形を可愛がっていると、ゼンが食べ物の箱から食材を取り出し、料理を始めた。

(何かお手伝いできないかな)

そう思って近づいて行ったアーシャは、目を大きく見開いた。

「………根っこ………?」

食べ物ヅラした例のブツが、調理台の上にのっていたのだ。


『すーぱー』でも野菜みたいな顔して並んでいて、ユズルが籠に入れた時に驚いたのだが、まさか今日の夕食に木の根が供されると言うのだろうか。

(一体……根っこをどうやって食べると言うの……?)

信じられない思いで、まだ土がついている木の根を見つめる。

———アレハ クスリ。トクニ タネハ ゲドクカラ セキドメ ハレモノニモ ツカエタハズ

そんなアーシャにアカートーシャが教えてくれる。

(あ、薬なんだ)

そう言われて、納得できた。

薬とはミイラなど、とんでもないものが原料になったりするものなのだ。

一応口に入れて問題ない物だから、食べ物と一緒に売られていたのだろう。

(え?じゃあゼンかユズルの具合が悪いの?)

そう気がついた途端に、アーシャは心配になってしまう。



それからのアーシャはユズルの様子を見たり、ゼンの様子を見たり、相変わらず食材のような顔をして居座る根っこの行末を確認したりと、曲線の練習にも手がつかず、ウロウロするのであった。



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