8.次男、警戒する
子供は制御できない。
周りの人間が全て自立している世界で暮らしていた頃は全く知らなかったし、知ろうとも思わなかった。
かつてはスーパーでひっくり返って泣く子供と、その親に冷たい視線を送っていた譲だったが、今更その親を
腹巻の如く、がっしりと自分に張り付いて泣いているアーシャを、何とか引き離しチャイルドシートに固定した譲は肩を落とした。
他の子供なら更に泣き叫ぶような事態になっただろうが、基本的に大人しいアーシャはそんな事はしない。
そんな事はしないが、チャイルドシートの中で身を固くして、小さい体を更に小さくして、我慢するように唇を噛んで、涙を拭いている姿は、泣き叫ばれるより、よっぽどこちらの精神ダメージが大きい。
「…………はぁ」
ただでさえ、今日は初めて禅一が隣にいない状態での車移動なのに、出発前からこんなに萎れていたら、どうなるかわからない。
(なんか……気を引くもの……)
登園バッグの中はタオルなどしかないし、アーシャの首から下げた笛も、今は何の慰めにもならないだろう。
むしろ禅一がいない事を思い出して、改めて泣き出すかもしれない。
(さっきもらったバナナでも食わしとくか?)
食欲魔人なら何か食べさせておけば機嫌が取れるような気がする。
しかし運転中に喉に引っかけられたりしたら、すぐに対応できない。
(なんか人形みてぇなもんがあると良いんだが……)
お気に入りのリアルフグは保育園に持ち込み禁止のため、持ってきていない。
譲には車にヌイグルミを飾るような趣味もない。
(トランクにも何も積んでないしな………あ)
トランク内の工具類を思い出している最中に、作業用の軍手がある事を思い出した。
それと同時に『手袋マーーン』と、片手を寒さに真っ赤にしながらも、手袋で作った人形で遊ぶ馬鹿の姿が、脳裏に浮かぶ。
ヌイグルミ類を欲しいとは言えなかった禅一が、女子から教えてもらって作った軍手人形。
大切にしていたが、最終的には、譲に手を出そうとした上級生を、先手必勝で禅一がぶん殴り、保護者教師連合から吊し上げられた時に、『手袋マンがやりました』なんて苦しい言い訳をするから、禁止令が出て、元の手袋に戻されてしまった。
その時、複数の上級生にでさえ一歩も引かなかった禅一が、グチョグチョに泣いて、物凄く申し訳なくなった記憶がある。
ほろ苦いエピソードを思い出しつつ、譲はトランクの軍手を取ってくる。
(あ、ちょっと汚れが着いてんなぁ……)
作業用なので決して綺麗な軍手ではない。
(まぁ、店に移動するまでのご機嫌取りだ。後は百均で何かテキトーなヌイグルミを買えばいいだろ)
汚れを気にしつつも、譲は軍手人形を作る。
「ほら、チビ助、人形だぞ」
そして少し薄汚れた人形に手を突っ込んで、その両手でアーシャの頬を引っ張る。
「……わぁ!」
すると、涙ぐんでいた緑の瞳が、あっという間にキラキラと輝き始める。
興味を引くようにワキワキと人形を動かすと、嬉しそうに人形の腕を摘んで、握手をしてくる。
そこそこ気に入ったようだ。
「ほれ、つけてやるから、泣くんじゃねぇぞ」
しめしめと軍手人形をアーシャの手にはめるが、大人用の手袋なので、指が余りまくっている。
中身スカスカの軍手人形は、痩せこけた様子で項垂れてしまい、汚れも相まって、生活に疲れた人のようになっている。
(ま………まぁ良いか)
それでもニコニコとアーシャは人形を愛でている。
要は時間稼ぎになれば良いのだと割り切って、譲は移動を開始する。
(何か予想以上に可愛がられてるんだけど……)
信号停車ごとに、ルームミラーで様子を確認したら、頭を撫でたり、頬を寄せていたり、抱きしめていたり、不安になる程喜ばれている。
(やばい……嫌な予感がする……)
子供の手で操られて、腕をブンブンと振り回す、薄汚れた軍手人形は、さながら危ないお薬をキメた不審者だ。
人に見られない所で愛でる分には問題ないが、外には出して欲しくない。
こんな物を持っていくと言い出しませんように。
「それ、持ってくのか……?」
しかし願いも虚しく、車をスーパーの駐車場に停め、ドアを開いた時、アーシャはしっかりと人形を装着していた。
どう見ても一緒に連れていく気だ。
大きく肩を落とした譲だったが、無理やり置いて行かせて機嫌が悪くなられても困る。
(まぁ、よその子供が何持ってたって、周りはそんなに気にしたりしねぇんだから……)
そう自分に言い聞かせ、譲はアーシャを車から下ろす。
ギュッと彼のズボンの端を握ったアーシャは、人形に入れた手を動かしながら譲を見上げる。
幼女の手から生えている、不審な動きを見せる、疲れたオッサン人形。
(百均で適当な手袋を買って、すぐに綺麗なやつを作ればいい)
譲はため息を吐きながら、何とか自分を納得させる。
今日行くのは一階にスーパー、二階に百均の店が入っているビルだ。
ビルは商店街とも連結しているため、駐車場と店本体が少し離れている。
「ほれ」
譲はしっかりとアーシャと手を繋いで移動する。
また誰かに見られて噂を立てられたら厄介だが、自由に歩かせて、車に轢かれたら困る。
義務で繋いでいるに過ぎないのだが、アーシャは嬉しそうにピョコピョコと跳ねながら、強く握り返してくる。
「…………はぁ」
渋々やっていることに、こんなに嬉しそうにされると、調子が狂う。
まずは二階で、アーシャの勉強道具を見繕う。
「ふわぁぁぁぁ」
そう思っていたら、まず目につく食器類にアーシャは走り寄って行こうとする。
「チビ!食器はダメだ」
割れ物に子供を近寄らせたら、事故が起こる予感しかない。
そうやって引っ張り戻したら、それならばとアーシャは反対側の催事用の棚に向かおうとする。
冬休みが明けた今、その棚を占めるのは、忌々しいハート型の群れだ。
(クソが。正月が終わったら、すぐにこれか)
譲は心の中で毒づく。
バレンタインデーには嫌な記憶しかない。
まだそれほど警戒心が育っていない頃、甘いものが好きな事もあり、貰ったお菓子を無防備に食べてしまい……
(思い出さない、思い出さない……)
譲は勝手に記憶を辿ろうとした脳に待ったをかける。
思い出したら、また食べ物を受け付けなくなってしまう。
あまりのトラウマで、今でも親しく無い人間から貰った物は、手作り・製品関係なく、一切体が受け付けない。
特に、自分に執着する人間からなんて、手に持つのも嫌だ。
それくらい全力で拒否しているのに、毎年毎年毎年、性懲りも無い特攻を受ける。
正面切って渡してくれば、断れるからまだ良いが、勝手に荷物の中に紛れ込ませるなんて手段も取られるので、バレンタイン前後は、荷物や上着をその辺りに置いておくこともできない。
自分のロッカーや机、下駄箱が固定だった頃は、それらをどう保護するかに無駄な労力を割きまくったものだ。
(マジでこんな悪習を作りやがった奴をどつき回したい)
大人しく恋人の日として、そのまま輸入すればよかったのに、『チョコを渡して好意を伝える日』なんてとんでもないイベントにしやがって、という恨み言しか出てこない。
(チビはこんなくだらねぇイベントに踊らされねぇようにしねぇと)
譲はそそくさと地雷地帯から遠ざかる。
チビ助は興味津々だったが、引き離してしまえば直ぐに別の物に興味が移る。
「わぁ〜!」
カラフルなマニキュアの瓶に興味を持ったかと思えば、鼻メガネやハゲズラなども楽しそうに見ている。
(ま、刺激は多方面から受けたほうがいいらしいからな)
これも教育の一環だと譲は歩調を合わせてゆっくり移動する。
子供は日々成長する。
外部からの刺激はその肥やしだ……と、読んでみた育児書に書いてあった。
そうやってのんびりと移動して、譲たちは文具の棚に辿り着く。
子供向けのぬり絵や、ノート、クロスワードなどの暇つぶしに混ざって、子供用の教材がある。
(へぇ、小学校に入るまでは、全部これで事足りそうだな。紙質は悪いけど、こんなモンは使い捨てだからな)
ペラペラと内容を確認して、波線や円をぐるぐる辿る、幼児用の書き方の冊子を二種類と、できるだけ枠が広い平仮名練習帳を手に取る。
(カタカナは……もうちょっと後だな。数字は……どうかな。数を数えるくらいならできるか?)
カタカナの練習帳は棚に戻し、数字の練習帳は手元に残す。
(後は鉛筆と消しゴムと……色鉛筆も買うか。あ、それならぬり絵もあったほうが良いな)
そうやってぬり絵も追加しようとしたところで、アーシャがノートを手に取っていることに気がついた。
随分と熱心に表紙のペンギンを眺めている。
(フグのヌイグルミも大事にしてるみたいだし、海洋生物が好きなのか)
ペンギンの表紙には罫線の表記があるので、普通のノートだ。
(……まぁ線が入ってるから、お絵かき帳に使えないってことはねぇよな)
譲は少し考えて、すぐに決断を下す。
あの独創的過ぎる絵を作り出すくらいだから、一般的なぬり絵より、気に入ったノートに、自由に書かせたほうが良いかもしれない。
「チビ、それいるか?」
そう声をかけてみると、小さく首を傾げたアーシャは、譲が持っている冊子に興味を持ったようで、伸び上がって覗き込んでくる。
これからしごかれるとも知らないから呑気なものだ。
「帰ったら、これをやるからな」
譲は悪い笑みを浮かべながら、アーシャの隣にしゃがみ込んで、これからの課題をご披露する。
「曲線が書けるようになるまで、みっちりやるぞ」
指で内容を辿りつつ、これからしっかりと勉強させる宣言をするが、アーシャには通じない。
不思議そうな顔をしつつも、興味津々で帳面を見ている。
これが自分への試練だと全く気がついていない。
多分、最も嫌がられるであろう平仮名の練習帳も見せてみると、「あ!」と言う声と共にパッと顔が明るくなる。
「こぇ、アーシャの!?」
予そして想に反して、正に喜色満面という様子で、緑の目がキラキラと輝く。
「………ぉぉ」
あまりの喜びように、押されてしまいながら、譲は頷く。
「………アーシャの………!!」
プルプルと死にかけのアヒルのように、アーシャは震える。
その目にはジワジワと涙が浮いている。
(え!?泣く!?そんなに突然!?)
こんな店の真ん中で泣かれたらどうしようと、譲が焦った次の瞬間、小さな体が追突してきた。
先程は尻餅をついてしまった譲だが、今度は何とか堪える。
「ユズゥ!ユズゥ!……あいがとぉ!!」
そんな譲に、ズルズルと鼻を詰まらせながら、グリグリと頭を擦り付け、派手に感謝が述べられる。
「……………はいはい」
こんなに素直に感情をぶつけられた譲には戸惑いしかない。
動揺を押し隠して、素っ気なくそう答えるのが精一杯だ。
疲れたオッサンのような軍手人形に挟まれたノートを奪いつつ、さっさと次の棚に移動する。
「チビ、え・ら・べ」
そして沢山ぶら下がったペンケースたちを指さして、チビを追い払う。
すると百円とは思えないクオリティの布袋たちに、あっという間にアーシャは夢中になってしまう。
その姿を見て、譲はそっと息を吐く。
禅一は兄弟間でもきちんと礼を言う奴だが、カラッとした態度だし、良い意味でのギブアンドテイクが成り立っている和泉は、ちゃんとお返しをするので、その場はサラッと流す。
和泉姉は『大人になったな』とでも言いたげな親的目線のニタニタ笑いで礼を言うし、篠崎は礼儀知らずの無礼千万な奴なので、良くて『ラッキー!』くらいの反応だ。
こんなに真っ直ぐ素直に、激しく感謝されたら、どうしたら良いかわからない。
対応に迷った譲は、何とか距離を置いてから、落ち着いて必要なものを集め始める。
(へぇ、三角鉛筆なんてあるのか。自然と正しい握り方になりそうだな)
子供の手でも持ちやすそうな太目の三角鉛筆と、消し易そうな消しゴム、鉛筆削りなど次々にカゴに放り込む。
全て百円と思うと、懐が暖かいせいもあって、気楽に次々と選べる。
アーシャが選んだ筆箱は、猫耳と小さな尻尾のついた、猫型筆箱だった。
背中にジッパーがついて、安っぽいが、ぶさ可愛い。
「……似てきてんな……」
いかにも禅一が喜んで選びそうな品で、譲は苦笑してしまう。
(う〜ん……白い手袋がねぇな)
疲れたオッサン軍手を新品にするべく見て回るが、子供用はビビットな色合いや、派手な柄しかない。
人形にすることを考えたら、白に近い色で、袖口に少し柄がある程度が望ましいのだが、それが無い。
(仕方ねぇな、小さい軍手を買って、適当に飾りをつけるか)
実は、譲は裁縫がそれ程得意ではない。
極めて高水準な手芸者である和泉を見ているせいで、目が肥えてしまったこともあり、どうしても自分が作った物に納得できないのだ。
工芸と手芸のコーナーは近くにあるが、手芸の方はノーマークだった。
(へぇ、意外と何か面白そうなもんがいっぱいだな)
その品揃えに譲は驚く。
ヌイグルミ用の目や、アイロンで気楽につけられるワッペンに、ビーズや小さな飾りが、これでもかと並んでいる。
(ついでだから、あの汚ねぇ入れ物も何とかするか)
アーシャが後生大事に、割れた水笛や、クッキーなんかまで仕舞い込んでいる牛乳パックを思い出して、譲は色々と手に取る。
透明のパーツケースなら、食べ物なんかを入れられても、こちらで把握できる。
(自分で選んだパーツでデコってやればソコソコ気に入るだろ)
素人仕事でも飾り付ければ、牛乳パックから素直に乗り換えてくれるだろう。
そんな計算で、譲は目立つ花のオブジェを、アーシャに選ばせる。
プラスチック製だが、上に塗料が塗ってあり、オパールとまではいかないが、光の干渉でキラキラと輝くので、シンボルとしては最適だ。
「どれがいい?」
そう言って花を手のひらに並べて選ばせると、アーシャは悩んだ末に濃い紫の花を選ぶ。
意外と趣味が渋い。
それに合わせて、濃い色のビーズや、引き立てそうなパーツをカゴに投げ込む。
「ほわぁぁぁぁ〜」
そのカゴにぶら下がるようにして、アーシャは目を輝かせている。
何かを予感しているのか、それとも単に綺麗なビーズでテンションが上がっているのか。
会計を終わらせて、スーパーに移動してからも、アーシャはピョンピョンと飛び跳ねるように、嬉しそうに歩く。
「譲さん!」
そんな姿に呆れ半分だった譲に、横から声がかかる。
爽やかで張りのある声だ。
「………
相手を認識した途端、譲は軽薄そうに見えるであろう笑みを顔に貼り付ける。
そこにいたのは学生服姿の男子高校生だ。
「学校帰り?」
「はい。ここのくつろぎスペースで、みんなで勉強してるんです」
スーパーの一角を広い休憩スペースにしているのだが、そこに学生たちが群れている。
「へぇ〜、分家の期待の星は勤勉だねぇ。ま、頑張れよ」
そう言って譲は適当に話を打ち切って離れようとする。
チラッと見ればピョコピョコと移動していたアーシャは、少し先でゴボウを見つけて、真顔になっている。
こちらに全く気がついていないようで、譲は内心ホッとする。
禅一や譲が出てこなければ、次の
本人は礼儀正しい好青年だが、分家の人間とアーシャに繋がりを持たせたくない。
「有難うございます!こうやってのんびり友達と勉強できるのも譲さんたちのおかげです!すっかり落ち着いて、自由な時間が増えて!」
「ま、禅はその辺の奴らとは違うからな」
しかし光至は人懐こい犬のように譲に着いて来る。
「譲さんも凄いですよ!父が天才的だって褒めてました!譲さんと兄弟弟子になれて嬉しいし、心強いです!」
「はっ、一日鍛錬しただけじゃそんなのわかんねぇだろ。別にお世辞言わなくても逃げねぇって親父さんに伝えとけよ」
笑って、譲はシッシと手を振る。
「そんな事ないですよ!父が人を褒めるなんて滅多に無いですから!」
「あ〜ハイハイ。有難う有難う」
兄の威を借る半端者。
分家にはその姿しか見せていない。
「あれ?もしかしてあの子ですか!?みんなが言ってた子!」
どれだけあしらっても食らいついてくる、真っ直ぐで空気の読めない坊ちゃんに、譲はため息を吐く。
「俺ら小市民はタイムセールに命かけてるから、坊ちゃんは小市民の戦場からとっとと離脱しろ。ホラ、友達が待ってるぞ。戻れ戻れ」
そのままでは、ゴボウを疑わしそうな視線で睨み続けているアーシャに干渉されかねないので、譲は強引に光至を制服の群れの中に追い返す。
(この辺りは奴のテリトリーか。チビをこっちに連れてこねぇように禅にも言っておかねぇと)
そんなことを思いつつ、譲はアーシャの視線を独り占めしているゴボウを買い物カゴに入れたのだった。
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