7.聖女、新たなるマーケットを楽しむ
『くるま』の振動が完全に止まって、ユズルが扉を開けてくれた時、アーシャはホッと息を吐いた。
———コワカッタ コワカッタ コワカッタ
アーシャの中の同居人であるアカートーシャもすごく安心したのが伝わってくる。
彼女は馬に乗った経験すらなかったらしく、『くるま』の速度に、アーシャ以上に怯えていた。
(大丈夫!大丈夫よ!私もすごく怖かったけど、彼はちゃんと止まるのよ!)
直前で恥ずかしいほど大泣きしてしまったアーシャは、ここぞとばかりに彼女を支えようと、気を張っていたので、ゼンが隣にいなくても、それほど怖く無かった。
(この子のおかげもあるかも)
そう思ってアーシャは、即興で作られた人形に頬擦りをする。
帽子を被った、両手を上げている子供のように見える人形は、なんと手袋で作られているのだ。
片方の中指と薬指で、もう片方の手袋を括り、括られた方の手袋の手首部分をひっくり返して、余計な部分を詰め込んだだけの簡単な作りだ。
括られた方が顔になり、括った方が体になっている。
小指と人差し指が小さな腕になり、親指はひっくり返して可愛いポケットになっている。
元が手袋なので、手を入れることができて、人形の腕を動かすことができる。
自分で動かしているのに、人形が元気に動いているのを見ると、愛しく思えてしまうから不思議だ。
人形越しに自分の頬を撫でると、人形に撫でられているようで、愛しさが募る。
「それ、もってくのかー」
アーシャが人形を動かしているのを見て、ユズルは何故か嫌そうだ。
「?」
白い手袋には、袖口に黄色いラインが入っていて、これが帽子の縁飾りのように見えて、凄くお洒落だ。
少し黒ずんだ所もあるが、汚いと言うほどでもないのに、持っていくのが嫌なようだ。
置いていくべきだろうかと迷っているうちに、ユズルはアーシャを抱き上げて『くるま』から下ろす。
(持っていっていいのかな?)
ピョコピョコと人形を動かしながら、ユズルの顔色を伺ったら、彼はフーッと大きくため息を吐いてから、小さく何度か頷いた。
———モッテイッテ イイミタイ
アーシャと同じく人形に愛着を感じていたらしいアカートーシャの、弾んだ感情が伝わる。
この人形、『くるま』の専用席に、一人でしょんぼりと座っていたら、ユズルが作ってくれたのだ。
『くるま』の後の荷物入れにあったらしい手袋を、アーシャの目の前で人形にして、その小さな両手でアーシャの頬を摘んで、頭を擦り付けてくれた。
単純な話だが、それは小人から親愛を示されたようで、ものすごく嬉しかった。
「へへへへ」
自分の手を入れて、同じ動作をしても、不思議と人形が親愛を示してくれているように感じて、嬉しくなってしまう。
『くるま』が停車したのは、こちらでよく見かける、専用の広い敷地だ。
白い線で、車を止める位置が指定してあって、皆、行儀良くその中に並んでいる。
(いってきます)
アーシャが『くるま』の鼻先を撫でていたら、目の前にユズルの手が差し出される。
「ほれ」
手を誘うように動かされたので、アーシャは首を傾げながらも、その手にそっと自分の指先をのせる。
エスコートの申し出かと思ったら、ユズルの手はしっかりとアーシャの手を握り込む。
「……へへへ」
片方の手はユズルにしっかりと握られ、片方の手には人形がいる。
何だか幸せだ。
アーシャが小さな幸せに浸っている間に、ユズルはある建物に入っていく。
いつものように、近づくと自動的に開く硝子の扉に、アカートーシャは大騒ぎだったが、アーシャは物知り顔で『ここには自動で開閉する扉がある』と教えた。
ついでに、その後に大量に広がったの物品の陳列にも、そこそこ冷静に、ここが『すーぱー』と呼ばれるマーケットである旨も教えた。
気分的に大先輩である。
———アーシャハ モノシリ ネ
そうやって感心され、鼻高々になっていたのだが、ユズルは『すーぱー』には向かわず、脇の階段を上る。
「あぁ〜」
てっきり『すーぱー』で食べ物を買うのかと思っていたアーシャは、思わず残念な声を漏らしてしまう。
「あ、と、で」
そう言うユズルに手を引かれて、アーシャは階段を上る。
———タベモノ アトマワシダッテ ザンネンネ
アカートーシャが笑う気配がする。
それにしても小さい体は、階段を上るのも一苦労だ。
フウフウと息をしていたアーシャだったが、踊り場を折り返し、二階が見えてきたら、疲れを忘れて目を見張った。
「わぁぁぁぁ〜!」
白い床と明るい照明の中、右にはキラキラと輝く食器たち、左には何だか良くわからない、色とりどりのリボンや袋が並んでいる。
そして真っ直ぐに伸びる通路の左右には様々な棚が並んでおり、とにかくいろんな物が並んでいる。
『すーぱー』が食べ物のマーケットなら、こちらはそれ以外のマーケットだ。
「ふわぁぁぁぁ」
高級なはずの、色とりどりの磁器や、繊細な硝子が、簡単に盗っていけそうな通路近くに、無防備に重ねて置いてある。
アーシャの国ならあり得ないことだ。
危険すぎる配置だが、煌々と輝く光の下、輝く食器は凄く魅力的に見える。
「チビ」
フラフラと美しい食器たちに引き寄せられていくアーシャの腕を、ユズルが引っ張る。
「しきわだめだ」
眉根に皺を寄せた、渋い表情で首を振られる。
やはり高価な物に、不用意に近づいては、ならないようだ。
ならば反対側の、目に痛い原色が溢れた棚だ。
「……………?」
興味深く見つめたアーシャだったが、すぐに奇妙な事に気がついた。
(何か……妙に心臓のシンボルが目立つんだけど……)
国が変われば文化が違う。
偶然同じシンボルが、違う意味で使われる事があるのだろうが、アーシャにとっては、その光景はいささか不気味に映る。
二つの半円と三角を合成したその形は、心臓、特に神のものを指す事が多い。
そんなシンボルが、およそ神聖とはかけ離れたどぎつい色で描かれ、その棚で乱舞している。
(あぁ……でも、自分の中心にあるもの、って事で、心を示すとか何とか言っていたような……愛する人に心を捧げるって意味で、贈り物にあの形を使うとか何とか……)
あまり興味がなかったので、うろ覚えだが、そんな記憶もある。
(贈り物のシンボルなら納得できるわ。リボンも贈り物には欠かせないし)
贈り物なら、これだけ華やかなのも納得できる。
ウンウンと頷き、もっと近くでよく見ようとすると、再び手を引っ張られる。
「ユズゥ?」
見上げると、先程とは比べ物にならないくらい、ユズルの顔が険しくなっている。
まるで天敵や魔物を見るかのような険しさだ。
手も、先ほどより、かなり強く引かれている。
(なんかわかんないけど………あのシンボルは危険があるのかしら……)
興味はあるが、危険を冒してまで満たしたい知識欲ではない。
アーシャは大人しく引き下がる。
———『イノメ』ハ マヨケ。キケンハナイハズ……
アカートーシャは自信なさげに主張する。
彼女の時代、あの形は猪の目を表す、魔除けのシンボルだったらしい。
もしかすると、魔除けをしなくてはならない場所にある印である事から、危険を象徴するように変化したのかも知れない。
ユズルに手を引かれながら、アーシャは考察する。
「わぁ〜!」
しかしそんな小さな疑問もすぐに吹っ飛んだ。
歩く度に新しい棚が見えてきて、用途不明な品々が次々と姿を表すのだ。
様々な色が詰まった小瓶が並んでいる様は、魔女の不思議薬のようだし、鼻がついたメガネなどはつけた姿を想像するだけで楽しい。
どれも個性的で、見ているだけで時間が過ぎてしまいそうだ。
周りをキョロキョロしするアーシャの遅い歩みに、ユズルも合わせてくれるので、好きなだけ周りを観察できる。
やがてある棚が見えてきたところで、ユズルは曲がる。
そこには本が沢山並んでいた。
「わぁ……」
本には皮のカバーなどはついておらず、全てが紙なのだが、真っ直ぐでしっかりしている。
そして何よりも彩りが豊かである。
動物や虫、植物、その他愛らしい絵が描いてあったりと、どれも個性的だ。
ユズルが繋いだ手を離して、何やら本を探し始めたので、アーシャもこれ幸いと周りの観察を始める。
(あ、これ、梟だ!凄い、シンプルなのにわかる!こっちは……豚だ。ふふふ猫もいる)
———ナンカ ツルントシタイキモノ……
アカートーシャも一緒になって楽しむ。
(何かしらこれ……)
———クチバシガアルカラ トリ……?
そんな中、アーシャにもアカートーシャにもわからない生物が出てきた。
白と黒で、卵を引っ張り伸ばしたような形だ。
そしてクチバシと冗談のように短い足。
(確かにこの足は水鳥っぽいけど……羽根がないわねぇ)
アカートーシャまで知らないと言うのは奇妙だ。
時代の流れで習慣や言葉が変わっても、生き物が変わるなんてあるだろうか。
アーシャたちは首を捻る。
———ナカニ セツメイガ アルカモ
そう言われて開いてみたが、その本には線が引いてあるだけで、文字は無かった。
(今から本を作る用なのかしら?)
———タブン 『テナライゾウシ』ミタイナモノ ダト オモウ
フワッとアーシャの脳裏に、紙の束を紐で留めた物が伝わってくる。
アカートーシャたちは束ねた紙に字を書いて練習したり、覚書を残したりしたようだ。
大切に隙間なく使って、使用後は扉の補強になどに使っていたらしい。
(へぇ、私は石だったなぁ)
アーシャは紙なんて手に入らないので、白い砂石で文字を書いて覚えたのだ。
もっとも、アーシャの場合は、字を覚えたりする事より、聖女として働くことを求められていたから、与えられなかっただけかもしれないが。
そもそも庶民には字の読み書きなんて必要ないし、勉強している時間など、ほぼない。
アーシャとて変な誓約書や契約書に署名を求められたり、歴史の闇を知らねばならないという状況でなければ学ばなかっただろう。
———レキシノ ヤミ?
アカートーシャに不思議そうに聞かれて、アーシャはハッとする。
(………あれ、変ね。私、何を調べていたんだっけ……?)
寸暇を惜しんで、時には逃亡したり隠れたり、誤魔化しながら書物を調べた記憶はあるのに、何を調べていたのかがスッポリと記憶から抜けている。
———キオクガ カケテイルノ?
(うん、そのうちもどる……かもしれないんだけど)
そう答えて、あまりのんびりしていられない事を、改めてアーシャは思い出す。
この国で最初に訪れた場所にゼンが行く時、絶対ついて行かなくてはいけないから、一刻も早く意思疎通できるように、言葉を覚えないといけないのだ。
「チビ、それいるか?」
そんな事を考えていたら、ユズルに声を掛けられる。
彼は手に何冊かの本を持っている。
ユズルは一体どんな本を買ったのだろうと背伸びして見ると、彼は少し肩をすくめてから、しゃがみこんでくれた。
「かえたら、これやるからな」
ペラペラと本をめくって、彼は中を見せてくれる。
「………………?」
その本にはきちんと中身が書いてあったのだが、文字らしい文字はなく、殆どが図形のようなものに埋め尽くされている。
渦巻いていたり、複雑に折れ曲がったり、いつぞややった迷路のような図もあった。
首を傾げるアーシャにユズルは二冊目も見せてくれる。
二冊目には、沢山の四角が連なっていて、最初の何個かに薄い色で、文字が書かれていた。
「あ!」
それを見て何となく察した。
これは字の練習をするための本なのではないだろうか、と。
ユズルも『こうやって書くんだ』とばかりに、その表面を指でなぞる。
「『これ』、『アーシャの』!?」
確信を込めて尋ねると、ユズルは頷く。
「………『アーシャの』………!!」
胸が熱くなってしまう。
『自分の本』なんて、凄い。
最近すっかり弱くなった涙腺が、水分を滲ませる。
「ユズゥ!ユズゥ!……あいがとぉ!!」
この喜びを伝えたいと言葉を探したが、結局知っているのは感謝の言葉だけだった。
「はいはい」
ユズルはいつも通り素っ気なくて、伝わったのか伝わらなかったのか、わからない。
アーシャが人形をつけていた方の手に持っていた、謎の生物が載った本も取ってユズルは再び移動する。
「チビ、え・ら・べ」
棚の裏に移動したユズルは、沢山ぶら下がった袋を、グルリと指差す。
「?」
袋たちは個性的な姿で、長細いという以外に共通点はない。
角ばっていたり、長丸だったり、胴が長い猫や犬だったり、先ほどレミがくれた『ばばば』に似た物まである。
見ているだけで目が回りそうな品数だ。
———カウフクロヲ エランデ イイミタイ
不思議に思って眺めていたら、アカートーシャが自信なさげに通訳してくれる。
(ゼンにお土産かな?)
———ウゥン……ヨクワカラナイ
悩むアーシャたちをよそに、ユズルは棚の横にあった籠をとって、先程の本と一緒に次々と品物を投げ込んでいる。
ご飯を食べる木の棒のような物や、白い長方形の物や、透き通った箱など色々だ。
アーシャは悩みに悩んだが、ゼンが喜びそうな、猫の顔がついた袋を選んだ。
「……にてきてな……」
譲に指差しで伝えると、何故か苦笑されてしまった。
その後もユズルは棚を巡る。
(凄い……本当に何でもある!!器や本や衣類まであるなんて……!!)
———メガマワリソウ……
あまりの物品の多さに、アカートーシャはお疲れ気味だ。
靴下や、手袋も驚くほど沢山の種類がある。
(あ、これは何となくわかるわ。きっと裁縫道具ね)
見てすぐにわかるのは毛糸ぐらいで、それすら驚くほど色鮮やかで、毛の状態が良い。
裁縫仕事などした事がないので、詳しくは知らないが、地面に落としたら発見できないほど細い針には驚いてしまった。
ものすごい細さなのに、糸を通す穴がしっかりあいているのだから驚きだ。
どうやって作ったのだろう。
「どれがいい?」
興味津々で道具たちを見ていたら、ユズルが差し出してきたのは、
(宝石の花?)
明るい光を反射して輝く、まるで宝石を削り出して作ったような、小さな花のオブジェだった。
指の先ほどの大きさしかないのに、しっかり花弁一枚一枚まで作ってある。
透明な袋に入った花たちは、光の当たり具合で真珠のように輝く色が変化するが、それぞれ赤、黄、青、紫、緑が基本色になっている。
選べとばかりに差し出されて、アーシャは悩む。
特に好きな色など考えたことがなかったし、全て綺麗だ。
「う〜〜〜ん」
強いて言うなら色の濃い紫が、少し黒っぽくて好きだ。
ユズルはアーシャが指差した物をポイっと籠に入れる。
そして色味を合わせた、小さな宝石のような物たちを次々と籠に入れてしまう。
「ほわぁぁぁぁ〜」
———キレイ
アーシャは籠の中に入っていくそれらを、夢見心地で眺める。
そしてユズルは最後に透明な箱を一つ選び、ここでの買い物を終えた。
(キラキラ綺麗……本も嬉しい!)
浮かれたアーシャの足は自然と弾む。
今にも踊り出してしまいそうだ。
(本の分もしっかりとお役に立つわ!!)
と、やる気満々で荷物を持とうとしたのだが、すげなくお断りされてしまった。
それでもアーシャはフワフワとした気分のまま、『すーぱー』に行って帰宅したのだった。
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