3.聖女、初めての作品
(これは、一体……?)
アーシャは真っ白で上等そうな分厚い紙を前に戸惑っていた。
周りの子供達は楽しそうに、色のついた棒を選んだり、紙をビリビリと破いたり、毛糸を丸めたりしている。
(今、私は一体何を求められているの!?)
アーシャだけが意味がわからず、一人、オタオタしている。
このような状況に至るまで、『ほいくえん』での行いは、自分でも満点だったと思う。
朝から忙しく走る『くるま』たちを眺めながら、道々で物の名前や、色の名前を教わりつつ、ゼンと一緒に『ほいくえん』まで歩いた。
そして涙を流すことなく、手を振って別れることができた。
自分の靴を入れる場所も覚えていたし、背負い袋からカップや手拭き布を並べるのも完璧だった。
レミが赤ちゃんたちのお世話を頑張っていたので、微力ながらお手伝いもした。
相手が赤ちゃんとはいえ、アーシャの体も小さいので、本当にできる事は少ないのだが。
そうこうしていたら、アキラやコータが部屋にやってきて、アーシャを室外に連れ出した。
きっと鍛錬のお誘いだったのだろう。
ぶら下がって腕の筋肉を鍛える器具。
滑り下りる台のついた、様々な方法で登ることにより全身を鍛える器具。
たまに振り子のように揺れる『ぶらんこ』を楽しみつつも、やる気に満ち溢れたアーシャは、皆と一緒に頑張って体を鍛えた。
アーシャの中の
彼女もアーシャと同じで、滑り下りる台に大変な感銘を受け、とても楽しんでいる様子だったので、アーシャも張り切って色々な手段で台の上に登り、何度も滑り下りた。
それから皆がアーシャを忘れるくらい鍛錬に夢中になっている最中に、バニタロの様子も見に行った。
バニタロは大きな柵に囲われた、老女神の大木の下に建っている、小さな家のテラスで伸びていた。
いくら呼びかけても反応がないし、少しばかり細くなったが、まだトグロが巻けるほど痩せてもいない。
『
何度か呼びかけたところで、木の上から子供達を嬉しそうに眺めていた老女神が下りてきた。
どうやら彼女は伸縮自在らしく、小さな家の階段にピョンと飛び上がると、親指ほどの大きさになってしまった。
道理であんな小さな家に住めるはずだ。
「バニタロは眠ることなんて無いって言っていたんだけど……」
驚いてそう言うと、老女神は笑った。
『蛇は瞼がないから、そう見えていただけでは無いかの?』
そう言われてしまうと、話のついでに聞いた程度のことだったので、絶対に寝ないと言い切る自信がなくなってしまう。
事実、バニタロは眠っているように反応しない。
『まぁ、こちらは我が見ておるから。小さき器は、安心して小さき友らと友誼を育むが良い』
動かないバニタロにアーシャができる事はないし、老女神程頼りになる庇護者はいない。
『……時に、中の者は納得ずくで入れているのかい?』
ついでのようにそう聞かれてしまって驚いた。
大きく頷くと、
『小さき器は酔狂だ』
と笑われてしまった。
(何でわざわざ聞かれたのかしら?)
首を傾げていたら、同居人が少し呆れたように伝えてきた。
———フツウノ ヒトハ イヤガル
常に誰かに見られ、心も丸見えになる。
それは普通の人には耐え難い感覚らしい。
(常に誰かに見られてるなんて当たり前だったからなぁ)
聖女の仕事は常に衆人環視の元で行われた。
人々を癒す時や祈りを捧げたりする時は勿論、着替えや食事も人がいたし、素っ裸になる朝一番の禊ぎにすら何人もの見守り役がいた。
アーシャの部屋には一応の扉はついていたが、基本的に寝る時以外戻れなかったし、鍵はなかったから、寝ている最中に入ってきて、叩き起こされる事もあり、人目を完全に排除できる場所ではなかった。
快適とはかけ離れた環境にいたせいで、そのあたりの感覚は完全に麻痺してしまっている。
(大したことも考えてないしなぁ)
アーシャは自分が聖人君子ではなく、即物的で俗物的、ついでにかなり底意地が悪い事にも、自覚がある。
誰かを恨むことも、憎むこともある。
腹立たしい奴が酷い目にあっていると、全力でお祝いするくらい良い性格をしている。
大人なので積極的に口に出さないだけで、別に隠したりはしていない。
大小はあれ、人として当然ある感情だ。
恥ずかしがる事はない、と、思っている。
———ズブトイ
そう思っていたのだが、同居人からの評価は少々酷い。
(でも一緒にいると結構楽しいでしょ!)
一人より二人。
いざという時に相談する相手が常にいると言うのは、中々心強いものだ。
———………
同居人は無視を決め込もうとしたようだが、アーシャの感情が伝わると言うことは、彼女の感情も伝わってくるのだ。
「んふふ」
今の状態に『悪くない』と感じている彼女の感情が伝わってきて、アーシャは笑った。
言葉も違う、常識も違う、この『ほいくえん』で、意思疎通ができる、この国の人がいてくれると心強い。
わからない事も彼女と相談していけば何とかなる。
そう、思っていた。
「……………」
しかし、現在、二人揃って壁にぶち当たっていた。
(これは……一体何をしているの?何をしたら良いの?)
———ヨク ワカラナイ。……『ズコウ』……?
二人は揃ってオロオロと戸惑うことしかできない。
外での鍛錬が終わったら、手を洗い、口を濯ぎ、建物の中に戻された。
そしてアキラたちに別れを告げて、元の部屋に戻ったのだが、すぐにレミに手を引かれ、違う部屋に連れて行かれた。
元いた部屋が『赤ちゃん』用のものだったとしたら、連れて行かれた部屋は、それより少し大きい『二足歩行なりたて』の子ども用といった感じだ。
そこで何やら紹介を受け、子供たちからの拍手で迎え入れられ、隅の小さな卓に着席した。
そこからが問題だった。
髪が緩いウェーブを描く、丁度成人したくらいの女性が、白い紙を子供達に配り、何やら説明を始めた。
色紙をちぎったもの、絵の具ではない質感の塗料、色とりどりの毛糸。
彼女が示した紙には、色々な物がくっついていた。
何かの作業の手順を説明されているようなのだが、さっぱりわからない。
彼女が持っている紙の上では、様々な材質が組み合わされ、人間のような形が作られている。
(ゴブリン、オーガ、グール)
しかし肌の色が人間では有り得ない。
緑、赤、青と人間の肌の色だとしたら斬新過ぎる。
アーシャの国なら、その色は魔物の色だ。
(あ、でも、確かここの国には五色の肌があるのよね。……ええっと……何色だったかしら……)
———シロ、アオ、キ、アカ、クロ
考えていたら、同居人がすかさず教えてくれる。
(そっか。じゃあ、こんな色だけど、きっと人間なのね)
そう納得しかけたのだが、肌の色以外にも気になる部位がもう一つある。
(こっちには一角人間とか、ツノがある人間がいるのかしら?)
魔族のようにねじ曲がっていないし、
三角でちょこんと頭の上にのっているだけなのだが、どう見ても、それはツノに見える。
少しだけ、肉コブのようなオーガのツノに似ている。
———コレハ タブン 『オニ』
そう答える同居人から、フワリとイメージが流れ込んでくる。
それはツノを持つ、人型の魔物だ。
大体は見るからに立派な筋肉を持つ男性型で、肉体美を見せつけるように半裸らしい。
たまに女性型もいるようだが、男性型と違い、恐ろしいほど細く、ボロボロの服を着て、ちょっと目つきが怖い。
髪はざんばらに生えていたり、逆立っていたり、全くなかったり。
大体は人間の頭なのだが、時々頭だけ馬や牛になっている亜種もいるようだ。
ツノは大体二本で、たまに一本や三本がいる。
疫病を撒き散らしたり、飢饉を起こしたり、人の心を狂わせたり、人肉を食ったりする種もいれば、死後の世界で番人のようなことをしていたり、人間を守ったりもする種もいる。
一概には『害になる』と言い切れない存在のようだ。
(そんな魔物を、どうしてあの女性は沢山書いているの?)
『書いている』と表現するのは、かなり違う気がするが、それ以外に言いようがない。
彼女は緑、赤、青と三匹の『おに』を、それぞれ違った手法で描いている。
細かくちぎった色紙を貼り合わせたり、丸く切った色紙の上に塗料で色々と書き足したり、髪部分に毛糸を貼り付けたりと、アーシャが知る『絵画』からはあまりにも遠い。
彫刻などとも、似ているようで違う。
アーシャの疑問に同居人は答えられない。
彼女にも皆が何をしているのか、わからないらしい。
(あの女性は何て言っていたの?)
———タブン……『オニ』ヲカケト……
(多分?)
———コトバガ……カナリ、カワッテイテ……
心の中でしょぼんとしてしまっている彼女の気配を感じる。
(なるほど……言葉って結構変わりやすいもんね)
言葉は不定形だから、すぐにうつろう。
たかが百年前の文書ですら解読が必要になるくらいだ。
いつの間にか言葉が持つ意味が真逆になってしまっていたり、スペルが変わってしまうなんて事はよくある事だ。
納得しながら、やはりアーシャは悩む。
アーシャの国で『描く』というのは絵の具と絵筆、もしくはインクとペンでやることだ。
しかし目の前で皆がやっているのは、アーシャの知る『描く』とは程遠い。
(単純に女性が作ったものを再現すれば良いという事じゃないみたい……)
同じものなら、何とか真似して作れるが、アーシャの左隣の子はひたすら紙に丸い形を書いているし、斜め前の子は巣作りするげっ歯類のようにひたすら色紙を破いているし、正面の子は毛糸を切っては丸めている。
それ以外も見回すが、皆がやっている事に統一性はない。
どの子の紙の上にも『オニ』らしきものは出現していない。
(わからない……何より、この作業は何のためにやっているの……?)
体を鍛えるわけでもなく、文字を勉強するでもない。
何か売り物を作っているようにも見えない。
この作業の目的がわからずアーシャは戸惑う。
「アーシャちゃん、ぺたぺた、しよか」
静かに横に控えてくれていたレミが、正方形の色紙をアーシャに示してくれる。
青、赤、黄色、緑、茶色、黒と、彼女が示したのは様々な色だ。
「か・お、どれがいーかな?」
彼女は手に持った色紙と、自分の顔を交互に指差す。
———『オニ』ノ カオノ イロ、エラブミタイ……?
同居人が自信なさげに通訳してくれる。
(『おに』の色って……何が正解がわからないわ)
それでもアーシャは迷ってしまう。
「アーシャちゃんわなにぃろすきかな?」
迷っているアーシャの目の前に、レミは薄紅、白、紫、水色と様々な色を足していく。
———ナニイロデモ イイミタイ。ジユウ
同居人に助言を受けて、アーシャは改めて周りを見る。
真っ白なままのアーシャの紙と違って、周りの子たちの紙は思い思いに飾り付けられ始めている。
隣の子はいくつも書いた黒い丸のうち、一番外側の丸の上に、破いた黄色い色紙をペタペタと貼り付け始めている。
斜め前の子は破った色紙を放置して、今度は無心に紙を赤く塗っている。
前の子は丸くねじった毛糸を紙に貼り付けようと格闘している
どれも全く『おに』じゃないし、顔にすら見えない。
彼らの紙の上はひたすら自由だ。
子供達に共通していることがあるとすれば、それぞれが凄く楽しそうな事くらいだ。
見守る女性たちは、どんな物も否定せず、優しく微笑んで子供達の作業を見ている。
(深く考えなくて良いのかな。とりあえず楽しく何かを作っちゃえば良いのかな)
そう思い至ったが、次は一体自分が何を作ったら楽しいのだろうと考え込んでしまう。
生まれてこの方、何かを作ったりした事がないので、全く思いつかない。
———ナニカ スキナモノ
そう言われて真っ先に浮かぶのは、太陽のような笑顔だ。
それから不機嫌そうな顔。
そして数々の美味しいご飯。
「ん!」
好きな物が頭を横切った途端、アーシャの手は褐色と薄いオレンジの紙を選んでいた。
アーシャが色紙を選ぶと、レミは少しホッとした顔をする。
「にまい?まるくきろうか?」
そして色紙を中指と人差し指で何度か挟んで見せる。
これは通訳なしでも理解できる。
『ハサミ』で切るか?と聞かれているのだ。
アーシャは大きく頷く。
「はい、どーぞ」
レミは手を伸ばして、丸い缶の中に挿してあった物を取り出す。
そしてアーシャが持ち易いように、持ち手側を差し出してくれる。
「わぁ!あいがとー!」
差し出された持ち手を握ってアーシャは目を輝かせる。
それはアーシャの知る、二枚のナイフを合わせたような、無骨な作りのハサミではなかった。
小さな手で無理なく握れる大きさで、刃以外は明るい黄色い素材でできていて、驚くほど軽く、触り心地が良い。
ひんやりと冷たく、切るたびに指に食い込む金属のハサミとは大違いだ。
刃先も尖っておらず、丸く覆われているので、刃物特有の危なさを全く感じない。
むしろ丸っこくて可愛らしい。
「わぁぁぁ!!」
しかも驚くほど紙が良く切れる。
ジャクジャクと気持ち良く切れる振動が、手に伝わる。
素晴らしい切れ味で、ほとんど力を込める必要もない。
(すっごい上手にできた!!)
切り取った丸の中々の仕上がりに、アーシャの心は踊る。
(何か楽しい!!)
ただ、紙を丸く切っただけなのだが、その出来栄えに高揚を感じる。
「はい、どーぞ」
ニコニコと見守ってくれていたレミが、黄色い物体を手渡してくる。
「あいがとー…………?」
思わず受け取ってから、アーシャは首を傾げる。
黄色い円柱形の上に、赤い円形のものがくっついている物体。
何だろうと確認すると、黄色い円柱の中央あたりに、紙が二枚貼ってある。
(これは目………目!?え、でも瞳から何か生えてる……これは、まつ毛!?瞳から直にまつ毛!?)
それは一見目に見えるのだが、そうだとすると黒目から直接まつ毛が生えている。
それは常識で考えるとそれはありえないことだ。
感覚は目だと判別し、常識が違うと否定する。
(いや、これは目だわ。だってこの中央にある丸はきっと鼻で、その下が口だもの。………じゃあこの、顔の左右から生えている物は……髪………!?あ、この赤い丸はよく見たら帽子……!?)
更にじっくりと確認していくと、それは黄色い顔の女の子が、前だけにツバがついた帽子をかぶっているように見えた。
「……生首……?」
一見すごく可愛らしいだけに衝撃のアイテムだ。
———チガウヨウナ……
同居人は異議を唱えるが、では何だと思うのかと聞き返せば、答えはない。
「ここをあけるんだよ〜」
アーシャがしみじみと黄色い物体を見ていたら、レミが赤い帽子のつばに指をかけ、ポコンと開けてしまった。
「………!!」
この黄色い物体は容器だったのだ。
少女の頭の中には半透明の白い半個体が詰まっており、レミは指を入れてそれを掬い、アーシャが切った色紙の後ろに塗る。
「どこにはる?」
そしてそれをアーシャの手に委ねる。
(ベタベタする……そうか、これは糊……!!)
受け取ったアーシャが、それを紙の上に配置すると、思った通り、色紙がくっつく。
(まぁ、敵の頭蓋骨で酒盃を作った人もいるって聞いたことがあるし……おしゃれ、なのかな……?)
少女の頭の中から糊を掬い、使うという行為に少し疑問を感じたが、すぐに自分が切った色紙を自由な位置に配置する事に夢中になっていく。
(顔だけじゃなくて、体も作らなきゃ!)
色紙を切っては、貼り付ける。
たったそれだけのことなのに、凄く面白い。
(髪は……黒い毛糸がないから、塗ろう!)
アーシャは他の子供が使っている、長方形の箱に入った、色とりどりの棒を掴む。
塗料を練り込んだ粘土で作ったような棒は、手にも色がついてしまうが、柔らかい書き心地だ。
(凄い……力を全然込めなくても削れて、紙に色がのっていく)
色の種類が驚くほど多いので、紙の上はどんどん色鮮やかになり、絵心のないアーシャでも夢中になる。
あまりの楽しさに、ゼンの周りに神気を輝かせまくってみたり、美味しい食べ物などで、紙の上を飾り付けていく。
———ツノノナイ『オニ』………
同居人からはそんな評価を受けてしまったが、自分的には満足のいく物が仕上がった。
「ゼン………!」
初めて作った自分の渾身の作品を見せたくて、アーシャは立ち上がる。
「あ……………」
そして振り返って、大きな姿がどこにも見当たらないことで、現実に引き戻される。
夢中になっていて、すっかりゼンがいない事まで忘れてしまっていた。
しょぼんとアーシャは椅子に座り直す。
「……『よじ』……」
時計を見れば、針はまだ一番上にすら上り切っていない。
『よじ』はまだまだ遠い。
肩を落とすアーシャに、『寂しいよな』と同意するように腹の虫が鳴く。
ご飯をくれるゼンとの再会はまだまだ遠い。
(もうちょっと我慢、我慢)
アーシャは切なそうに鳴く、腹の虫をさすりながら、更に肩を落とした。
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