25.長男、平和を楽しむ

汗で冷たく濡れたアーシャのお着替えを済ませ、一息ついた所で、禅一は譲がまだ帰っていてないことに気がついた。

(今日は金額交渉に行くだけだと言っていたから……ホムセン巡りにでも出かけたか?)

もうすぐ日が沈もうという時刻だ。

金額交渉だけだったら、そんなに遅くならないだろう。

一応スマホも確認したが、何の連絡も入っていない。

(まぁ、連絡がないってことは、問題がなかったってことかな)

そんな事を思いつつ、禅一は朝に干した洗濯物を取り入れる。


怪我だらけの面々を見て、錫杖ステッキを握りしめるアーシャを慌てて回収し、ついでに熟睡状態の和泉姉も回収して、禅一は家に帰ってきた。

力尽きた和泉姉はソファーに下ろしても、全く起きる様子がなく、泥のように眠っている。

そんな彼女を労わるように、アーシャがナデナデしながら子守唄を歌っている。

非日常から一気に日常に戻った禅一は、そんなほのぼのとした様子を見ながら家事をこなす。


(夕飯は何にしようかな……和泉はろくな昼ごはん食べてないだろうから胃に優しい物が良いな。和泉姉はすぐに起きそうにないから取り分けしやすいヤツが良いな)

自分も結構疲れているので、できれば手抜き食が良いななどと思いながら、洗濯物を畳む。

そんな禅一の所に、子守唄を歌っていたアーシャがパタパタと走り寄ってくる。

そしてジッとタオルを畳む様子を見て、大きく頷き、自らもタオルを手に取る。


「お手伝いありがとう、アーシャ」

小さなタオルもアーシャにかかると、立ち上がって、背伸びをしなくては畳めない。

全身を使って、せっせとお手伝いしてくれるアーシャに、疲れが吹っ飛ぶ。

端と端が合っていない不器用な仕上がりも、何とも愛おしい。



そうこうしていたら、ガチンとシリンダーが回る音がして、玄関が開いた。

「お、おかえり」

「ゆずぅ!おかーりっ!」

禅一は声をかけただけだが、アーシャは嬉しそうに玄関の方に走っていく。

「………」

しかし帰ってきた譲は何も言わない。

呆然とした様子で玄関に立ち尽くしている。


「おいおい、返事はどうした?『挨拶は基本』なんだろ?」

何かショックな事があったのかもしれないが、ニコニコと玄関までお出迎えに行ったアーシャにノーリアクションなのは、いただけない。

「……………あのさ」

しかし譲は禅一の苦言には反応しない。

「金額交渉で。他県への緊急支援要請の取り下げ処理が終わるまで、そのために割り振っていた資金を動かせないから、とりあえずの手付けだけを振り込んだって言われたんだよ。細かい交渉はその後でって話でさ」

無表情のまま、いきなり話し始めた。


「へぇ、結構手続きが複雑なんだな」

禅一は適当な相槌を打ちながら、玄関に向かう。

「ん?」

その鼻先に、譲のスマホが突きつけられた。

スマホに表示されているのは、二人が共通口座として使用している、譲のネットバンクの口座だ。

最初、譲は頑なに共用口座は禅一名義で作ると言い張っていたのだが、公平にじゃんけんで決めようという話に持ち込んで、見事負かして口座の管理人を押し付けたのだ。


「あぁ、会社名義の振込が………」

そこまで言いかけて、禅一は目を瞬かせた。

「一、十、百、千、万、十万、百万………一、十、百、千、万、十万………ひゃくまん……三百万?」

自分が見たものが信じられずに、二回も桁を数えたが、間違いない。

「えっと………ナニコレ」

見た事がない桁数に、思わず片言になってしまう。

「手付け」

それに答える譲の目は、妙に瞳孔が広がっていて、少々怖い。


「えっと……手付け……手付けって、代金の一部とかそんな意味だった気がするんだけど……」

「契約の履行を保証する金。つまり代金の一部だ」

「一部………一部なのか?全額じゃなくて?」

「一部だ」

「払込の桁を、二桁くらい間違えていないか?」

「俺も冗談かと思って連絡した。……間違いじゃなかった。今、対処件数と金額を精査してるって。大きな金額になるから、もう少し時間がかかりそう、だと」

「…………」

「…………」

二人は無言で見つめ合う。


「ゼン?ユズゥ?」

そんな二人をアーシャが見上げる。

「……問題ない。問題ないぞ、アーシャ。大丈夫。問題ない。大金が転がり込んだとしても、俺たちは法を犯したりしていない。ただの報酬なんだ。心配ないぞ、アーシャ」

そのアーシャを抱き上げ、禅一はメチャクチャに撫で回す。

人間、混乱した時は、癒しを求めてしまう物らしい。

「搾り取ってやろうと思ってたけど……搾るまでもなく、垂れ流された場合、どう対応したら良いんだ……」

譲は呆然と呟く。


そうして二人は顔を見合わせ、もう一度スマホの画面を見る。

「…………」

「…………」

「………実は……子供用テントと、おもちゃ棚と、絵本セットと、添い寝用の大きなぬいぐるみとか……色々欲しくて……」

禅一は自分のスマホを手に取り、ショッピングサイトの欲しい物リストを示す。

「金と空間を食いまくるリストを作ってんじゃねぇ。正気に戻れ。確かに一見大金だが、散財したらすぐになくなる。実りのある使い道以外却下だ」

しかし即却下されてしまう。


「じゃあ譲は?何か欲しいものとかないのか?」

禅一がそう聞くと、譲は思慮深そうな顔で頷く。

「俺は大型二輪免許をとりにいく。あと、来年には中型免許とって、ゆくゆくは大型もとって……あ、他にフォークリフトの講習を受けたいし、船舶免許にもちょっと興味があって……」

が、その内容はとんでもなかった。


「待て!勝手に確定形で話すな!全く実りないだろ、それ!!大体、車の免許があるのに二輪免許なんて今更だろ!しかもなんで大型なんだ!」

「馬鹿野郎!いざという時に運転できたら役に立つかもしれねぇだろ!山からの脱出でモトクロスで駆け降りなくちゃいけないとか!」

「どんな『いざ』の想定なんだよ!!あとモトクロスは免許いらんだろ!大型である必要もない!」

「公道走るには要るんだよ!大型は俺の趣味だ!」

兄弟は大人気なくギャアギャアと言い合いを始める。


どうしようもない二人の争いだったが、

「シャラップ、おバカ兄弟」

外部からの介入ツッコミで止まった。

突然開いた玄関ドアに、まだ上がりかまちに立っていた譲が容赦なく挟まれる。

禅一はアーシャを抱いたまま、ひらりと身を翻した。


「うぐっ……このっっ……」

「外まで声が聞こえてるっつーの!何回言えばアーシャちゃんの前で喧嘩しなくなるのかね!」

反撃しようとした譲に、美しい桐箱が押しつけられる。

「ハイ、これ素材。飾り金具はこれから作るから」

そう言いながら、住人のような顔で上がり込んできたのは篠崎だ。


「アーシャたん♡ダメなお兄ちゃんたちはほっといて、ユッキーと遊ぼ」

「ユッキー、おかーり!」

両手を上げたアーシャに、笑顔でお出迎えされて、篠崎はデレデレとだらしない笑顔を返す。

そして当然という顔で、禅一の腕からアーシャを奪い、「可愛いおリボンをいっぱい作って来たからねぇ〜〜〜」なんて、ウキウキした様子で話しかけている。

アーシャを着せ替え人形にして楽しむつもりらしい。


「あれ?和泉姉じゃん。おいおい、なんか蔵に放置した物品みたいに埃っぽいし、化粧つけっぱなしで。これだからノンデリカシーな輩は。髪くらいちょっと拭いてあげて、最低限のスキンケアを……」

そこまで機嫌良く話していた篠崎が立ち止まる。

彼の視線は、和泉姉を寝かせたソファの横に固定されている。

「あ………」

そこには一応の汚れを拭った刀袋が置いてある。

何とか見栄えを良くしようと、飾り紐を蝶々結びにしてみたのだが、縦結びになってしまって、全く改善していない。

むしろ悪くなった気がする。


「禅ちゃん?コレ、何?」

満面の笑顔。

しかしオーラがドス黒い。

「………申し訳ない!」

『ちゃん』呼びされた禅一は、すかさず頭を下げる。

そんな禅一を笑顔で見守りながら、篠崎はアーシャを優しく床に下ろす。


「あっれ〜〜〜?おかしいぞぉ?解かないって約束だった飾り紐が解かれて、砂まみれになってるぞぉ?」

某見た目は子供頭脳は大人なキャラのような口調で、縦結びの紐を解く。

「あれあれ〜〜?しかも刀身が凄く曇ってるぞぉ?これは土埃かなぁ?」

刀を見る目が恐ろしい。

まさか抜身で土の上に置いたとか言い出せない。

「本当に申し訳ない!!どうしても抜かなくてはいけない場面になって……その……すまない……」

借り物だという意識が全く足りていなかった。


「お前、今日何やってたんだよ?」

譲も眉を顰める。

「……話すと長いんだが……出先でアーシャのお友達に会って、そのお母さんが呪われてる?みたいな感じで。で、何か色々やってたら化け物が出てきて、その刀じゃないと切れないって言われて……抜きました」

譲はチラッと和泉姉の方を見てから、大きなため息を吐く。


「全然わかんねぇ。……詳しい事情は和泉姉が起きてから聞くとして……篠崎、ウチのデカいのとちっちゃいのが悪かった」

譲からも謝られたが、篠崎の機嫌は治らない。

しかし恐ろしい笑顔を引っ込めて、口をへの字に結ぶくらいには改善された。

「ほんっとーに申し訳ない!!」

ここぞとばかりに禅一は土下座謝罪を行う。


「ゼン?ユッキー?」

篠崎への最後の一押しは、アーシャだった。

土下座をする禅一の背中を撫で、土下座される篠崎の足を撫でる。

オロオロと二人の間を行き来するアーシャに、篠崎は大きなため息を吐いた。


「っはぁぁ〜〜〜〜!!アーシャちゃんと、俺の琵琶湖並に広い心に感謝しろよ!」

そう言って篠崎は刀を袋に戻し、アーシャを撫でまくる。

「カスピ海とか太平洋とかじゃないんだ……」

「それでも国内最大湖なのが微妙にリアルなデカさをアピールしてくるな……」

小声で会話する兄弟を、篠崎はキッと睨む。

「刀は言い値でメンテナンス料払えよ!それから夕飯はお寿司な!安いチェーン店じゃなくて廻船屋ね!」

「うぐっ」

廻船屋は回転寿司の形をとっているが、目の前で職人たちが握ってくれる、かなり美味しい店だ。

当然、味に見合った価格が付いており、カウンターの寿司よりかなり手頃に食べられるが、全国チェーンの回転寿司に比べると、お高めだ。

学生にはかなり痛い出費なので、これを奢りと言われると、たじろがずにはいられない。


その禅一の肩を軽く譲が叩く。

「あの刀はそんじょそこいらのとはモノが違う。禅じゃメンテナンスとか無理だから、後々のために接待しとけ。こんなんでも制作者なんだ」

そう言いながら、さりげなく、画面が暗くなったスマホを示す。

「あっ」

それを見て、今は少しだけ贅沢しても大丈夫な資金があることを思い出す。


(お詫びだからある程度は仕方ないよな。あそこは美味しいからアーシャにも食べさせたいし、和泉たちへのお礼もしないとだし。和泉姉……は動かせそうに無いけど、寿司なら持ち帰りし易いし)

突然温まった懐が、禅一を頷かせる。

「あんまり無茶な食い方をするなよ……?」

しかし染みついた貧乏根性がそう言わせる。

「マグロ、トロ、イクラ、ウニ、だーい好き!」

対する篠崎の答えは、最大限にかわい子ぶった無慈悲な言葉だった。



そうして筋肉痛でほぼ動けない和泉を何とか運び出し、男四人とチャイルドシートでミチミチになりながら回転寿司に向かう事となった。

「禅、もっと筋肉を圧縮しろよ〜!狭い!」

「やっぱり禅が助手席が良かったんじゃない?」

「俺はアーシャの付き添いという大きな仕事がある!」

「おい、誰だ車を揺らしてる奴!車内で弾むな!サスペンションに無駄な負荷をかけんな!」

それぞれが好き勝手喋る騒がしい中でも、アーシャはうつらうつらとしている。


遂に駐車場まで辿り着いたところで、アーシャが寝息を立て始めたので、禅一はその体を揺らす。

「アーシャ、アーシャ」

今日は色々ありすぎて、おやつ時間を取る暇がなかった。

だからこそ早めの夕食にしたのだが、ここで眠られると、昼から何も食べていないことになる。

「アーシャ、ごはん!ごはん!」

そう言うと、少しだけ反応するが、小さな瞼は下りたままだ。


「禅、良いから連れてこいって。チビは食いモンを嗅ぎつけたら、絶対起きるから」

譲は妙に確信を込めてそう言い切る。

「あ……あぁ……」

ベルトを外すために、アーシャが大切そうに抱き込んでいる腕を引き抜くと、ひっくり返されたカブトムシのように、何かを掴まえようと、両手両足で空気を掻く。

「ぷっ」

そのあまりに必死な様子に、思わず笑いが出る。

そうして抱き上げると、『見つけた!』とばかりにゴリゴリと擦り付いてくるのが、可愛くて仕方ない。

「いいなぁ〜」

などと篠崎が羨ましそうに禅一を見るが、いかなる恩義があろうと、兄の役目だけは譲れない。


「「「ぃらっしゃーせーーー!!」」」

回転寿司の店員たちの勢いのある挨拶にも、アーシャの瞼は動かない。

ぐーぐーと腹の虫は鳴いているし、口の端にはヨダレが光っているが、まだまだ眠さが勝っているようだ。

「チビと……和泉も茶碗蒸しだな?」

椅子に座ることすら辛そうな和泉が頷く。

世の回転寿司がタッチパネルになっている中、ここは未だ紙注文だ。


スラスラと記入した紙を譲は、レーン内で忙しく寿司を作っている店員に渡す。

「お子様用は巻きを小さくできますよ?」

「へぇ。んじゃサラダ巻きを小さくお願いします」

「茶碗蒸しもお子様用に、ぬるめでご提供できますが?」

「あ、それもお願いします」

学生同士で来ていた時は気が付かなかったが、実は色々と子供向けサービスがあったらしい。

良く見たら、軍艦も二貫一組ではなく、子供用にミニ軍艦四貫一組で提供していたりしている。


何も言っていないのに取り分け用の皿やスプーンとフォーク、そして可愛いコップに水を入れて持って来てくれるし、子供用座席も準備してくれる。

「へぇ、子供連れのお客さんが多いはずだな」

その丁寧なサービスに禅一は感心してしまう。

立場が変わると、同じ店でも見え方が違うのが面白い。


「こちらはお子様用です」

茶碗蒸しを持ってきてくれた店員の対応も、いつもの数倍柔らかい気がする。

(いや、いつもはすぐ逃げられる感じだったか)

この辺は子供連れ云々の前に、禅一が氣を撒き散らしていたせいもあるかもしれない。


「アーシャ、たまご。た・ま・ご・だよ〜」

プクプクと健康的になってきた頬をつつくと、アーシャはイヤイヤするように首を振る。

「無理やり起こして食べさせるの、可哀想なんじゃ……?」

食欲がそれほど強くない和泉は、遠慮がちにそんな事を言う。

「口に当ててみろ。絶対食い付くから」

しかし自信を持って譲は言い切る。

「え〜〜〜流石にそれはないっしょ」

篠崎は初手からウニの絵皿を取りつつ、半笑いだ。


禅一は半信半疑で茶碗蒸しをのせたスプーンで、アーシャの唇をつつく。

「アーシャ、美味しい美味しいだぞ〜〜〜」

そうして起きないだろうと思いながらも、一応声をかけた時だった。

目を閉じたままのアーシャは、クンクンと鼻を動かしたかと思ったら、パクンとスプーンを咥えたのだ。

「んんん!んんんん〜〜〜!!」

それと同時にしっかりと閉じていた目が、見開かれる。


「おいしーな!!」

この生き生きと輝く緑の目を見て、誰がつい今し方まで、この子が眠りに落ちようとしていたと信じるだろうか。

「ちょっっっ!!マジで一瞬で起きた!何コレ!食欲の化身過ぎて可愛い!!」

ウニを口に入れたまま、篠崎が笑い出す。

(わかる!)

口には出さなかったが、禅一も心の中で大いに同意する。

ゴクンと口の中の物を飲み込んだら、またスイッチが切れたように、ウトウトし出すのも可愛い。

全ての欲求に忠実過ぎる。


クリクリと頭を撫でながら、禅一は片手で背中を支えて、微睡むアーシャにスプーンを差し出す。

「アーシャ、あーん」

するとまたパクンと飛びついてきて、

「ん〜〜〜」

幸せそうに笑う。


かまぼこ、椎茸、エビと、次々に出てくる具材を与えると、その度にアーシャはホクホクとした笑顔を見せたり、頬を押さえて揺れたり、「おいしーな!」と少々周りに気を使う音量で報告してきたり、茶碗蒸しを最大限に満喫する。

(……銀杏は……中毒もあるから、小さい子に食べさせるのは怖いな)

出てきた銀杏に禅一は思案する。

横に置いておきたいが、かえってアーシャの興味をひいて、食べたがられても困る。

「マグロげーーーっと!」

すると篠崎が取った皿にアーシャの視線が移る。

チャンスとばかりに、その間に禅一は銀杏を摘んで口に放り込む。


「ゆ……ユッキー……!!」

「ん?欲しぃ〜?」

手を伸ばすアーシャに、篠崎が皿を差し出すが、アーシャは物凄い顔で首を振る。

幼いながら『ドン引き』とわかる顔つきだ。

(やっぱり生魚には抵抗があるんだろうなぁ)

生魚を好んで食べる島国の民だが、生食に抵抗を感じるのは理解できる。


「こら、篠崎、まだチビに生魚は勧めんな。もうちょっと肥えて、体がしっかりするまで生はお預けだ」

そんなことを言いながら、譲はフグを口に運ぶ。

普段はシメに一皿食べる程度なのに、ここぞとばかりに食べている。

「フグは湯引きしてるからいけるんじゃない?」

和泉がそんな提案をすると、一瞬固まったが、

「……しっかり火を通してるわけじゃないし。もみじおろしものってるしな」

そんなもっともらしいことを言いつつ、譲は食べ続ける。


アーシャはテーブルの隣を流れる皿に興味を引かれたようで、茶碗蒸しを食べながら、レーンに視線が流れていく。

「いーなー。俺も餌付けしたい〜〜」

茶碗蒸しを食べてはホアッと微笑み、でもレーンも気になって、周りをキョロキョロと見る。

そんな己の欲に忠実すぎて忙しいアーシャの可愛さに、食べ物を与えたいという欲望が篠崎にも生まれたらしい。

「餌付けとか言うなよ。これは……そう、給仕きゅうじだ!」

「え?給餌きゅうじ?」

「そう給仕!」

不可解な顔をする篠崎と、少し誇らしげな顔をした禅一。

「………多分、二人とも頭の中に浮かんでる字が違うと思うんだけど……」

「ほっとけ、ほっとけ。和泉、鯛茶漬け食わね?」

小声でツッコミを入れる和泉に、無視を決め込んだ譲がメニューを見せる。


篠崎はレーンを流れる、天紙を敷いた竹籠が乗った皿を捕まえる。

「アーシャちゃん、アーシャちゃん!か・ら・あ・げ!」

そして卑怯にも実力行使に出た。

紙の上に並ぶのは美味しそうな鳥の唐揚げ。

肉は卵に並ぶアーシャの好物だ。


「かあぁげ」

そう言うアーシャの目と鼻は、唐揚げに釘付けである。

「あーん」

と、篠崎が言えば嬉しそうに、それに飛びついてしまう。

「はひゅはひゅはひゅ!!」

そんな熱いものを!と思ったが、レーンを回っていた唐揚げは程よく冷まされていたようだ。

アーシャはカリッカリッと美味しそうな音を立てて、頬を押さえつつ、幸せそうに咀嚼する。


「ファースト唐揚げが……!!」

できるならば自分の手であげたかったのにと禅一は拳を握る。

「おいちぃ?」

篠崎が赤ちゃん言葉で聞けば、

「おいち!おいち!」

と夢中で首を振りながら答えるその姿が可愛い。


「……………」

「あ、テメッ!」

禅一は行儀悪く自分の箸を伸ばして、篠崎の唐揚げを掻っ攫う。

そして自らもそれをアーシャに捧げる。

「ハフハフハフハフ!おいひ!おいひ!ハフハフハフ!!」

右からも左からも唐揚げを差し出されたアーシャは、幸せ過ぎる笑顔を浮かべて、必死に唐揚げに食らいついてくる。

まるで頬袋に食べ物を詰め込むハムスターのようだ。


最初は仲違いをした篠崎と禅一であったが、忙しく左右から出される唐揚げを食べる姿に、揃ってほのぼのとしてしまう。

「くぉら!!」

しかしそんな二人の至福の時間はあっさりと強制終了させられてしまう。

次から次に唐揚げを差し出した二人に、拳の制裁が下されてしまった。


「ちょっと〜〜ドメスティックなバイオレンスはご遠慮願いたいんですけど〜〜!」

大してダメージを食らわない禅一と違って、篠崎は痛かったらしく、頭をさすっている。

「お前と家族ドメスティックな関係になった覚えはねぇよ。ったく……こんなに油モンばっかり食わせたら消化に悪ぃし、他の物が食えなくなるだろうが。お前らみたいに完成されたアホじゃねぇんだから。色々食わせてバランスとらねぇと」

譲はブツブツと文句を言いながら、油まみれになったアーシャの顔を、オシボリで拭く。

そして目が覚めたなら、介助役は不要とみなされ、アーシャを子供用椅子に連れて行かれてしまう。


「チビはこれ!」

譲が置いたのは、子供用に細く長く作られたサラダ巻きだ。

玉子にきゅうり、レタス、カニカマそしてツナマヨと確かに色々入っている。

「まぁ確かに色々入ってるけどなぁ〜」

「言うて、テリヤキバーガーのレタスレベルじゃん?栄養素的には屁のつっぱりにもならないというか〜」

禅一と篠崎はブツブツと文句を言うが、譲は完全無視だ。

さっさと一個目をアーシャの口の中に放り込んでしまう。


アーシャは最初首を傾げながら噛んでいたが、途中からパァァァっと表情が輝き、いつもの高速咀嚼を始める。

大好きなはずの肉を超える反応だ。

咀嚼スピードがいつもより早い。

「おいしーな!」

「お……おぉ……」

見ていてわかる程に、『ごっくん』と勢い良く飲み込み、ブルブルと震えた後に出た、美味しい宣言に、譲はドン引きだ。


海苔巻きは素手で掴めるので、給仕役はお役御免である。

寂しいながら、時々水を飲ませつつ、禅一も食事を楽しむ。

「なんか……回転寿司、楽しいな〜」

祖母は毎食キチっと作ってくれるタイプだったので、幼少期には行ったことがなかったし、藤護の村を出てからは代金を計算しつつの食事だったので、好きな物を好きなだけと言うのは無理だった。

何なら行く前にカップ麺を食べていたくらいだ。


「「「…………………」」」

素直な感想だったのだが、何故か残りの三人は複雑そうな顔で禅一を見ている。

「………まぁ、たまには贅沢しても良いよな」

そう言いつつ、真鯛を食べる譲。

「う、うん!たまには良いよね!」

その譲に同調して、何度も頷く和泉。

「仕方ない。飢えた子羊マッチョに俺のカッパーを分けてやろう」

ウニ軍艦のきゅうりを押し付けてくる篠崎。

「え、嬉しくない」

そんな会話をしていたらアーシャがレーンに向かって必死に手を伸ばしている。

いつの間にかサラダ巻きを平らげてしまっている。


「ん?ツナ巻きか?」

そう言ってアーシャが伸ばしていた方向にあった皿を渡すと、アーシャは輝くような笑みを見せる。

「んふぁぁぁぁぁ!!」

一口一口、アーシャは嬉しそうに揺れたり首を振ったりして食べる。

(何か色々あったけど、幸せだなぁ)

それを見て、禅一はしみじみと思う。


「美味しい?」

と聞けば、

「おいふぃぃぃ!」

全力の美味しいが返ってくる。

譲も和泉もそれぞれ楽しんでいる。

篠崎は高い絵皿ばかり食べているが、まぁ、楽しんでいる。

先程までの異常な状態が嘘のように平穏だ。


(明日から大学も始まるし。こうやってまた食べに来れるように、頑張らないとな)

そんな事を思いつつ、幸せを噛み締める禅一であった。

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