23.異形、崩れる
まだ股関節が開きっぱなしで、走ってもヨッタヨッタと重心がブレブレになる、幼児と呼ぶのも早いような気がする、ほぼ赤ちゃん。
そんな見た目幼児未満の子が、見た目以上に凄い力を秘めている事を、五味は知っていた。
しかし今、改めて目の前の光景に、圧倒されてしまった。
ふわりふわりと風に舞いながら降り注ぐ、光の粒。
傘で防げない程細かな霧雨のように、降り注ぐ小さな粒子は、傾いた太陽の光を弾いて七色に輝く。
その様は、まるで小さなクリスタルの粒が舞い降りてきているようである。
驚くべきは、その一つ一つを肉眼で見分けられないほど細かい粒が、それぞれ強い浄化の力を持っているということだ。
透き通った歌声にのって、空高く舞上げられた光の粒子は、異形の体に触れると、穢れの塊であるその体を焼く。
何千、何万もの細やかな浄化の粒が、乾老と武知の老練コンビですら手こずらせた異形を圧倒している。
あの小さな体で、こんな物をどうやって作り出したのかわからない。
禅一が引っ張り回して切れなかった、呪いの結晶のような鎖が、塩酸をかけられた鉄のように泡立ち、穴が穿たれ、みるみる間に劣化していく。
「溶けた……!」
鎖を持っていた禅一も驚きの声を上げる。
人体には全く無害なのに、穢れに対する効果が高すぎる。
異形の前側になっている青年の体はもがき苦しみ、背負われる形の老婆の体は何が起こっているのかわかっていないような様子で、青年の体に振り回されている。
頭が一つであるにもかかわらず、別の生き物のようだ。
『
桜の神霊は、振り回されている老婆の方の体を指差す。
『新しく生えた体の手足じゃない。元からあった後ろの方だ』
新しく生えた青年の体も、老婆の体も、同じような穢れの塊に見えるが、何か違いがあるらしい。
「は、はい!!」
五味は元気よく返事をして、禅一に駆け寄る。
「禅一さん!その刀で後の手足を斬ってください!」
可能な限り近づいて指示を伝えると、溶けていく鎖や苦しむ異形を、油断なく観察していた禅一が目を見開く。
「えぇ!?祓いじゃなくて斬るんですか!?」
「はい!その刀でズバッとお願いします!」
五味が力強く断言すると、珍しく禅一が戸惑った顔になる。
いつも達観しているように見える禅一だが、目を大きく見開いた顔は、年相応の幼さがある。
「で、ですよね!?桜さん!」
あまりに驚かれるので、不安になった五味が確認するように後を振り向くと、ウンウンと桜の神霊は深く頷いてくれる。
「ほら、桜さんもそう言ってますよ!」
「いやいや……言ってますよと言われても……」
禅一は少し情けない顔になる。
彼に神霊の姿は見えないので、説得力がないのだろう。
(さすが俺!圧倒的信頼感のなさ……!!)
五味はガックリと肩を落とす。
「あ、疑ってるわけじゃなくて……まさかコレを刃物として使うことがあるとは思ってなくて……」
「え!?」
刀を刃物として使わないなら一体何として使うつもりだったのだろう。
刃渡り三十センチ程度なので、鈍器としても少々軽過ぎるのではないだろうか。
「……怒り狂うだろうなぁ……」
禅一は渋い顔で小さく息を吐く。
「???」
刃物は何かを切るためにあるのに、それをして怒る人などいるのだろうか。
刀本人は斬る気満々で、焦れたように、早く早くと彼の手の上で跳ねて騒いでいる。
むしろ早く抜いて欲しそうだ。
『抜刀せよ!!』
その瞬間、桜の神霊の怒号が響いた。
「禅一さん!刀を……」
五味がその言葉を伝える前に、禅一は刀袋を閉じていた、美しい飾り紐を引いていた。
桜の声など聞こえるはずがないのに、と、思った瞬間、五味は禅一の肘に突き飛ばされていた。
「ふげっっ!」
情けない声を上げ、吹っ飛びながら、五味は見た。
解かれた刀袋から、直接柄を持って禅一は懐剣を鞘走らせる。
華やかな刺繍を施した刀袋と、美しい装飾の鞘が宙を舞う。
刀の神霊が待っていたとばかりに、姿を表した刃に体を躍らせ、刀身から恐ろしい量の氣が吹き出す。
そんな光景を見ていた五味の視線を真っ黒な腕が遮る。
「ひゅっっっ」
鼻先三センチくらいの所を、異形の手に掠められ、五味は息を吸い込む。
危うい所で、突き飛ばされた五味は回避できたが、その軌道上には五味を突き飛ばした禅一の腕がある。
(禅一さんの腕が!)
そう思った瞬間、閃光が走った。
浄化の霧を巻き上げる刀身が、その光を宿して煌めき、真っ黒な腕を刎ね上げる。
「ぎゃっ!」
そこまでがまるでコマ送りのように見えていたが、自身が地面に転がると同時に時の流れが通常に戻る。
自分が倒れたことで舞い上がった土煙の先で、切り飛ばされた真っ黒な腕が、空中を回転しながら浄化の霧によって穴だらけにされ、やがて跡形もなく消え果てた。
「ぞ、ぞ、ゾーンに入った……ゾーンに入った……」
人は超集中に入ると時の流れがゆっくりに感じるというが、正にそれだった。
弱い方から倒そうと思ったのか、それとも指示を出そうとしていたからか、突然襲撃を受けた五味は、ほうほうの体で異形から距離を取る。
「刃の入り方が悪い……握り方がよくないのか……」
五味をギリギリで逃した禅一は、軽く首を傾げている。
短刀とは思えない、力強い斬撃だったのに、彼には不満のある一撃だったようだ。
彼の手の中では、フリスビーを得た犬の目のように、懐剣が輝いている。
『さあこれからもっとお役に立つぞ!』とでも言っているかのようだ。
「五味さん、両手両足ですか?」
離れてと言うように、刀を握っていない方の手で指示しながら、禅一が言う。
彼の鋭い目線は異形から離されていないが、巧みに五味を守る位置に移動している。
「えっ、あっ、違います!あ、両手両足なんですけど、後の……小さい方の手足です!」
「………?後?」
理解できない指示だったらしく、禅一は少しだけ五味を振り返る。
その瞬間、浄化の力にもがいていた異形が、残った方の腕を振りかぶる。
ボコボコと泡立ち、浄化の霧に穴を穿たれながらも、自分を滅ぼす脅威への、ありったけの力での反撃だ。
「ぜ………!」
しかし『禅一さん』と注意を促す前に、禅一は横に踏み込みつつ、刀を跳ね上げ、その必死の反撃を切り飛ばした。
「……なるほど……」
その顔に焦りなどはなく、冷静に相手に致命傷を与えるための、無慈悲なアップデートをしている様子だ。
微妙に握り方を変えている。
「……………………!!!」
両腕を切り落とされた異形は形容し難い音を上げ、痛みにもがきながら、溶けた鎖をもう一度吐き出す。
三つの顔がそれぞれ鎖を吐き出し、禅一を襲おうとするが、それらは彼に届く前に溶けて蒸発する。
それでも諦め切れないのか、異形の前側についている青年の体は激しくもがく。
その背に負われた老婆の体は、体を覆っている顔は歪んでいるものの、動きには焦りがなく、青年の体が動くままに任せて、腕や足をブラブラとさせている。
「あ……………!!!」
それを見た時、必死に考え続けていた五味の脳裏に稲妻が走った。
先程からの違和感の正体がようやく分かったのだ。
『腕が……生えたわ……』
そう、先程の戦いで峰子は言った。
腕が増えたではなく、生えたと言ったのだ。
そして桜の神霊は言った。
『神威がぶつかり合ったせいで
つまりあの異形には『神』である部分がある。
『……雑な二人羽織……』
この姿になった異形を見て禅一はそう言った。
二人羽織とは後の人間の顔と、前の人間の腕を隠して行うもので、見えている腕は一対だけだ。
頭を共有している姿を例えたのではない。
慧の術は『穢れ』に実体を与える。
つまり異形の中に『神』の部分があるなら、そこには実体が与えられない。
五味たちの目には見えていて、禅一たちの目には見えていない部分がそれだ。
人の欲を浴びすぎたのか、あまりにもくすんでいて、五味たちの目にも神と認識できていなかったのが問題だったのだ。
武知たちの結界が成らなかったのも納得だ。
どれほど強くても所詮は人。
神を縛る事など不可能なのだ。
「禅一さん!見えてない手足があります!俺が指定する所を斬って下さい!!」
五味はそう言いながら走り出した。
放り投げられたままになっている薙刀に、五味は手を伸ばす。
そうしながらも、必死に目を凝らす。
(もっとよく視ろ……!繋ぎ目を探せ!他の部分とは違うはずだ……!!)
老婆の体についている腕は穢れているように見えるが、良く視ると確かに何かが違う。
「五味さん!!」
集中して目を凝らしていた五味だったが、禅一の声にハッとした時には、骨のように細い腕が眼前に迫っていた。
異形の青年体は腹肉を大きく削って、細い腕を生やしたのだ。
(避け切れない!!)
思わぬ方向からの攻撃に、ヒュッと息を吸った瞬間、体全体に衝撃が走った。
「あひゃぁぁぁぁぁ」
情けない声を上げながら五味は回転する。
そしてアレよアレよと言う間に、一転、二転とした後、しっかりと立たされていた。
「………へ?」
しばし呆然とする。
そうして、ようやく攻撃を受ける寸前に、禅一が自分を抱き込んで転がってくれたのだと理解できた。
「お願いします!」
五味が理解する僅かな時間で、薙刀を拾った禅一が、投げて寄越してくる。
「わっ……っと」
それを抱きしめるようにして受け取る。
五味を攻撃した細い腕は、早くも浄化の光で、穴だらけにされている。
それでもその動向に、禅一は厳しい目を向けている。
「大体の位置で良いので!」
彼の声には少し焦りがある。
そう言えば浄化の光の密度が減り始めている。
大技なだけに長時間は無理なのだろう。
五味は薙刀を抱えて走る。
「ここです!!」
そして薙刀を突き出し、肩と腕の継ぎ目を指し示す。
指示が出ると、間髪入れずに禅一が走り込む。
その禅一の動きを阻害しようとするかのように、青年体が身を捩る。
どうやら敵と認識されているのは禅一だけのようだ。
「お……俺だって……俺だって……!!」
五味は息を吸い、ヘソの辺りに力を溜め、息を吐きながら腕に力を込める。
「剣道は嗜んでるんです!」
そう言いながら弱々しい氣にコーティングされた薙刀を突き出す。
「ぎゃっっ!!」
禅一にぶつけられそうだった老婆の腕を突き上げると同時に、脆い氣のコーティングは壊れさり、衝撃で五味はひっくり返る。
五味の一撃はあまりにも弱々しかった。
しかし僅かに跳ね上げられた老婆の腕が落ちてくる前に、禅一が正確な斬撃を放つ事ができた。
ヒットアンドランのお見本のように、攻撃を放った禅一は、素早く身を翻し、異形との距離を取る。
「反対側も同じ場所ですね!?」
「待って!待って!手が上がってる!そのまま行ったらぶつかる!」
ひっくり返った五味は砂埃を上げながら、へっぴり腰で立ち上がる。
そしてまた息を吸って、吐いて、腕に力を込めながら、禅一を追う。
「俺は……上手く放出できないタイプなんだよぉぉぉ!!」
必死で繰り出した突きは、やっぱり弱々しかったし、再び弾き飛ばされてしまったが、禅一の太刀筋を守ることはできた。
禅一に刎ね飛ばされた腕が、放物線を描く。
一撃、一撃、刃の入りかたを調整しているようで、禅一の斬撃の威力はどんどん上がっている。
「足は!?あの先ですか!?」
五味が立ち上がるまでに、悪あがきのように生やされた腕を斬り払いながら禅一は聞く。
何回も地面を転がったせいで、頭から足先まで砂だらけの五味は頷く。
「はい!脛から下に干からびたカッパみたいな足が!」
それを聞いた禅一は再び突っ込む。
浄化の雨と禅一の斬撃で、今にも崩れ落ちそうな異形が、最後の抵抗とばかりに体を震わせる。
異形の体を覆っていた顔たちが、苦痛とも憤怒ともとれる表情で、禅一を睨んでいる。
「禅一さん!待って!」
上手く立ち上がれない五味は叫んだが、禅一は足を止めなかった。
段々と息継ぎが増えていっている歌声が、彼を突き動かすのだろう。
如何なる妨げが立ち塞がろうと、自分の体が吹き飛ぼうと、その一太刀は止めない。
そんな
その一閃で、異形の片足が飛ぶ。
切られた足の弔い合戦でも仕掛けるように、異形は体を捻り、振り切った禅一に、『神』の足をぶつけようとする。
アレが当たったら、再び歪みが生じる。
次も禅一が無事でいられる保証はない。
五味は慌てて立ち上がろうとしたが、足の鈍い痛みに崩れ落ちてしまう。
(間に合わない……!!)
そう思って五味は身を固くした時だった。
真っ白な綱……否、真っ白な蛇が突然飛び上がった。
白蛇は口を限界まで広げ、『神』の足を飲み込むようにして、咥えた。
「……蛇ちゃん!!」
刀の豆神様と遊んでいた白蛇が、いつの間にか足元までやって来ていたのだ。
禅一にぶつけられるはずだった、老婆の足は、蛇によって覆われ、禅一に当たって、そのまま弾む。
歪は起こらない。
片足を斬り落とした禅一は、土煙を上げながら、足を踏み締める。
そして返す刀でもう片方も切り落とす斬撃を放つ。
「もっと上!上!上を斬ってぇぇぇぇぇ!!」
その禅一に五味は絶叫する。
禅一を守るために飛び出した蛇が、彼の手で両断される姿だけは見たくなかった。
五味が叫んだ瞬間には、既に振り始めていた刀の軌道を変えることは無理だと思われた。
それ程禅一の斬撃は鋭く、速かった。
絶望に顔を歪める五味の目の前で、グググっと太刀筋が上がる。
それは禅一の力によるものだったのか、蛇と一緒に遊んでいた豆神の成した技だったのか。
ガキンッと今までにはなかった音がする。
老婆の足側に食い込んだ刃が、その真ん中辺りで止まっている。
「ぁああああ!!!」
今まで片手で懐剣を振っていた禅一は、気合を込めながら左手を添える。
その刃の通らなさを見ていると、これまで恐ろしいまでの正確さで、禅一が指示された『神』との継ぎ目を狙っていたのだとわかる。
見れば、禅一の顔は汗で濡れている。
これまでの彼の運動量を見てきたから、通常ならこの程度の運動でここまで汗をかくはずがない事がわかっている。
彼は常になく、一太刀一太刀に全神経を研ぎ澄まし、力を込めていたのだ。
今更そんなことに気がつく。
「禅一さん!禅一さん!頑張れーーー!!」
剣道柔道は警察官の嗜みであるが、成績的には常に最下位だった五味には応援するくらいのことしかできない。
己の無能に歯噛みしながら、五味は全身に力を込めて見守る。
「ああああぁぁぁぁっっ!!!」
それに応えるが如く、汗を飛ばしながら、禅一が吠える。
普段から有り得ない量を垂れ流している彼の氣が、更に渦を巻いて膨れ上がる。
いつもであれば全方向にムラなく発散されているのに、渦を巻いた彼の氣は、刀を燃やす劫火のように、腕から迸り、刃を包む。
それは視える人間にとって、目を焼かれるような眩さの氣だった。
最早人間のものとは思えない。
燃え盛る炎をまとう
一度止まった刃が、再び動き出した時、その勢いは止まらなかった。
目も眩む激しい氣の渦の中心にいる、懐剣は誇らし気に煌めき、宙を舞う。
振り切られた刀の上を、足を咥えた蛇が飛ぶ。
ギリギリで蛇には刃が入っていない。
禅一が切り飛ばすのを待っていたかのように、乾老と武知が織り上げていた結界が巻き上がり、異形を包む。
浄化の雨と禅一の斬撃によって崩壊寸前になっていた異形は逃げる事も出来ずに、いとも容易く結界に飲み込まれる。
乾老と武知の朗々たる声が響き、結界は小さく引き絞られていき、中の異形が見えなくなるほど、密度を増す。
最後に見えたのは、悲痛に歪む、笛吹家当主の顔だった。
小さく小さく絞り上げられた異形が、武知が胸元から取り出した小さな箱に収められる。
プロポーズをするときにパカッと開ける、指輪の箱ほどの箱は、そっと蓋が閉められる。
「………老骨にこたえます………」
「タケが老骨なんて言ったら、俺の骨は一体何になるんだよ」
いつもは毅然としている武知が、大きく息を吐きながら、地面に座り込み、その正面の乾老は、完全に壊れた義足を投げ出して、ドサリと転がる。
二人とも色々な所から血が出ているが、禅一の頑張りのおかげで、致命傷はないようだ。
「………アーシャ?」
汗を拭った禅一は不思議そうに声をかける。
見れば、歌こそ止めているが、小さな足は未だステップを踏んでいる。
「アーシャ、もう終わったよ。もう良いんだよ?」
そう言いながら禅一は慌てたように少女に歩み寄る。
兄に負けず劣らず汗だらけになっている彼女は、声をかけられても足を止めようとしない。
その目は真剣に一点を見つめている。
「……………?………っあ!!」
その視線の先を追った五味は息を呑んだ。
先程、身を挺して禅一を守った白蛇だ。
地面に落ちて、ビクンビクンと痙攣している。
(『神』同士では歪が起こると言っていたから……!!)
小さくて、これと言った特徴も力もない無害そうな蛇だったが、一応は神霊の類だ。
歪が体内で起き、内部からズタズタにされていてもおかしくない。
(あの子は一体何を……あの蛇を助けるためだとしたら……何をする!?)
これと言った特技のない五味にできる事といえば、考えることだけだ。
頭をフル回転させながら、五味は周囲と蛇とアーシャに視線を巡らせる。
「禅一さん!待って!止めないで!!」
周囲の状態を見て、五味が出した答えは半ば勘によるものだった。
大声をあげて五味は、アーシャに歩み寄っていた禅一を止める。
「え?」
「祓いを!祓いをお願いします!!」
驚いて足を止めた禅一に大声で指示を出す。
「切り離した手足の穢れを祓って、変質した力を元に戻すんです!」
異形の本体は武知たちの手により封印されたが、切り離された『神』に近い力の塊は、長年にわたる人の欲望の儀式によって大いに穢されたまま、点々と転がっている。
しっかり視ないと、ただの穢れにしか見えない物を、このままにしておけば、この地まで穢されてしまう。
そして禅一の力によって浄化されれば、あの塊の力はきっと彼の力に近くなるに違いない。
白蛇はきっと禅一の力なら馴染めるはずだ。
少なくとも今のままでは、あの蛇は救えない。
「祓い……って言っても……何を?」
異形と切り離された手足は禅一には見えていないだろうから、彼の戸惑いは当然だ。
「俺が地点を指定します!」
五味は痛みに顔を歪めながらも、なんとか立ち上がる。
どうやら散々転がった時に、足を挫いたようだ。
五味は薙刀を杖代わりに、蛇の周りと転々と散った手足を、地面に大きな丸を描いて囲む。
「私の薙刀が……」
という慧の声が聞こえてきそうだが、杖と、土に丸を描くために、有り難く薙刀を活用させていただく。
禅一の祝詞が朗々と響き始めると、体の中に力を取り込んでいたアーシャは動きを変える。
周囲に広がった禅一の氣を彼に送り返し、自らの氣も禅一に集め始めた。
「………やっぱりタダモノじゃないんだよなぁ、あの子………」
その臨機応変な対応も、巧みな氣の操り方も、とても子供とは思えない。
再び歌を紡ぎ始めたアーシャを見ながら、五味は座り込む。
「タダモノじゃなければ、どうかされるんですか?」
その五味に後から声がかかる。
冷たく冴え渡る、厳寒のような視線と声に五味は飛び上がる。
「み、み、みねこしゃんっ!!い、いちゅの間に!?」
驚きのあまり、舌を噛んでしまった。
「つい先程からです。保育室に戻ったらアーシャちゃんが居なくて、ぶったまげて、探し回ってこちらに出てきて……アーシャちゃんの周りを警備していました」
サラッと彼女は答えるが、あまりの気配のなさに驚かざるを得ない。
忍者並みだ。
「で、先程の質問ですが、お答えいただいても?」
彼女は油断なくアーシャと禅一を見守りながら、質問を繰り返す。
「あ、タダモノじゃなければ、ですか?そりゃあ、これまで以上に、頑張りますよ!異能の辛さは良く知ってますからね。……知ってるだけで、できることはほぼないですけど」
五味の異能など、在らざるモノを見たり、その声を聞いたりする程度で、アーシャたちに比べるとハナクソのような物だが、それでも色々あったのだ。
「こんな俺でも人生の先輩ですから、悩みを聞くくらいは出来ますよ。解決能力はありませんけど!」
胸を張る五味に、峰子は毒気を抜かれたような顔になる。
禅一と同じで、驚いた顔は年相応に見える。
「………貴方、けっこう……とんでもないわ」
峰子は呆れたように、少しだけ唇の端を上げる。
そして視線を禅一たちの方に戻す。
五味もつられて視線を戻す。
大して力を込めているようにも見えないのに、立ち昇る禅一の氣は、とんでもない量だ。
「……凄いわね。私の目でもしっかりと小山みたいな氣が見えるわ」
もしかすると、あの刀を抜いた影響だろうか。
禅一の氣は膨れ上がり、今や真夏の入道雲のようだ。
そんな膨れ上がった氣が、祝詞の最後に振り下ろした刃に従って、滝のように降り注ぐ。
すると崖に生えた岩に当たって砕ける水のように、大きな衝撃波が周りを襲う。
「おわっ!!」
五味は呆気なく吹っ飛ばされる。
「……………!!」
その隣で、両手両足で地面に突っ張った峰子が、クラウチングスタートをするように、衝撃波に逆らって走り出す。
そして吹っ飛んだアーシャの小さな体を見事に受け止めて転がる。
また反発しあって終わるのかと思ったが、上から降り注ぐ滝と、それに逆らう岩の戦いは、滝の圧勝となった。
もう歪がどうのこうのというレベルではない。
反発する力をも怒涛のように降り注ぐ力が、あっという間に飲み込んだ。
「…………禅一さんも……かなりとんでもないわ」
アーシャの無事を確認した峰子が、呆れたように呟いた。
「アーシャ!!………無事か……」
自分が起こした衝撃波を一番間近で喰らった禅一だが、猫のような身のこなしで、巧みに身を起こし、アーシャの無事を確認して、ホッと息を吐く。
「峰子先生、アーシャを有難うございます」
そう言いながら、彼はアーシャに走り寄る。
峰子の腕から元気に飛び降りたアーシャも走り出す。
右に左に大きく重心が揺れる不安定な走り方だが、アーシャは必死な顔で走る。
ヨッチヨッチと走ってくるアーシャに、禅一は相好を崩し、しゃがんで手を広げる。
「「「え!!?」」」
そのままアーシャの到着……と、なるかと思いきや、ヨッチヨッチと走る彼女は、何と禅一をスルーしてしまった。
あまりの驚きに五味・峰子・禅一の声は重なってしまう。
「ばにたろ!!」
明らかにガッカリした禅一の横を走り抜けたアーシャは、地面にしゃがみ込む。
「あ!そうだった!!」
五味も慌てて立ち上がる。
そして足を引き摺りながらアーシャに歩み寄る。
「ば……ばにたろ……?」
先に蛇の所についたアーシャの声は震え、地面に手をついている。
(ま………まさか、まさか………)
まるで嘆き悲しんでいるような彼女の姿に、五味は自分の勘が外れて、あの小蛇に災いが降り注いだのかと嫌な想像が浮かぶ。
人を吹っ飛ばすような衝撃波が起きたのだ。
ぺちゃんこになっていても不思議ではない。
(禅一さんの力に近い……眷属みたいに見えたんだけど……!!)
五味は血の気が引く思いで、地面に四つん這いになって震えているアーシャの先を覗き込む。
「………………………。………………………」
そして五味は固まった。
小さな三角の蛇の頭。
そこに繋がっているのは丸々としたナス……ではなく、ナスそっくりに膨れ上がった蛇ボディだ。
そのナスボディから、膨らみ損ねた風船の先のように、チョロンと細いままの尻尾が生えている。
「…………つちのこ……………」
その姿は正に幻の生き物だった。
残念ながら色は白のままだったが。
福々と膨らみ、餅のような姿になった白つちのこ、もとい、白蛇は『満腹』とでも言いたげに、チロチロと二股に別れた舌をのぞかせる。
「ぶぶぶっ!!ばにたろ、ふひ、ばにたりゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
それを見たアーシャは耐えきれなくなったように、伏して笑い転げ始めた。
「えっと………?」
「箸が転げても……な、お年頃には少し早い気がしますがねぇ……?」
白つちのこを視認できない禅一と峰子は不思議そうに顔を見合わせている。
アーシャを抱き止めるために地面に直置きされてしまった懐剣は、激しく不服そうな顔をしていたが、丁寧に土埃を払って、鞘と袋に納められたら、少し機嫌が治ったらしく、主人の頭の上でピョコピョコと弾んでいる。
異形の残した手足は、禅一の圧倒的な氣によって浄化され、園庭の小石かと見間違うような小ささになっている。
そのうち大地に戻り、やがて、あるべき姿に戻るだろう。
「ちょっと!助けなさいよ!この小娘!!顧問弁護士に訴えさせるわよ!!」
玄関口では奥方が敷布団のように扱われて叫んでいる。
もちろん敷布団にしているのは徹夜明けの慧だ。
禅一が放った力で気絶したのか、解決したから寝落ちしたのか不明だが、気持ち良さそうに眠っている。
「……黙らせようかしら」
祖父を助け起こしながら峰子が呟くと、乾老は首を振った。
「放っておきな。どうせこれからあの一家は地獄を見るだろうからね」
「………きちんと封じ込めたのよね?」
「借金をゼロにしてやったわけじゃない。力の反動は必ず返るし、今まで家にのうのうと飼われていた、散財しか能がないのにプライドが高い連中が、今更野良で生きていけるはずもない」
そう厳しい顔で言って、乾老は未だ泣き崩れている父親の姿を見る。
「あっちも嫁さんとお子さんのために踏ん張ってほしいが……まぁ反動もあるだろうから、しばらくは母子を注意深く見守ってやって」
そう言われて峰子は深く頷く。
「五味君、頑張ってくれましたね。素晴らしい働きでしたよ」
立ち上がった武知は、五味の背中をポンと叩く。
どんな時でも部下を労える素晴らしい上司である。
「あ、いや、俺は……結局ほとんど役に立たなかったし……」
五味がそう言うと、武知は困ったように笑った。
「私は五味君に助けられたと思っていますよ。禅一さん、どう思います?」
そして話を禅一に振る。
「間違いなく、今回の功労者は五味さんですよ。アーシャの友達やその家族を助けてくれて有難うございます」
禅一は晴れ晴れと笑って、丁寧に五味に頭を下げた。
「こ……こうろう!?え!?俺が!?」
泥だらけの五味は自身の行動を思い返すが、あまり活躍した場面はないように感じる。
そんな五味に、武知と禅一が生ぬるい笑顔を向ける。
「ふひゃははは、ばにたりょほほほほほ!!ふひゃーーーー!!」
園庭には明るい子供の声が響いていた。
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