22.聖女、短期決戦に挑む

『起きるのが遅ぉぉぉぉぉぉい!!』

自分自身と対話するという、何とも哲学的な夢からの目覚めたアーシャを出迎えたのは、怒声だった。

「え……は……」

完全に覚醒して、現状を把握する前に、小さなモモタロにバシバシと鼻に攻撃を加えられ、アーシャは面食らってしまった。

『早よ!早よ!アァシャが起きんから妾が置き去りで、主が、主が………!!』

そこまで言ったモモタロの目からは、勢い良く涙が吹き出す。

「え……!?ゼン!?」

まだ夢と現実の境目にいたアーシャは、その一言で、慌てて跳ね起きた。


夢の中の自分は、ゼンに危険が迫っていると言っていた。

(まさか……もう魔法使いと接触したの!?)

言われてみると、確かに『嫌な物』が近くにいる気配を感じる。

起き上がったアーシャは周囲を見回す。


床に敷かれた分厚い布、そして暖かな毛布。

そこに一緒に寝ているのは、アキラとその母だけだ。

ゼンはアーシャが握りしめていた上着だけ残して、どこにもいない。

———コッチ イソグ

部屋の出口で焦れたようにバニタロがうねっている。

ゼンの所に案内してくれるようだ。


『早よ!早よ!!』

早く自分を手に取れとばかりに、ゼンの上着の上で、モモタロは跳ねる。

アーシャはその中から素早くモモタロの本体を取り出す。

そして周りを確認して、自分の『もちもち』入れを見つけて、そこから錫杖を引き抜く。


眠っている親子を起こさないように、アーシャは足音を殺して、バニタロのいる扉に向かう。

「おうぅっふ!」

しかししっかりと閉まっている扉は、予想以上に重くて、思わず声が出る。

———ヨコ ヒッパル ガンバル

『壊すかえ!?』

バニタロは引き戸を一生懸命動かそうとするアーシャを応援し、モモタロは過激な発言をする。

「待って、待って」

苛々と力を爆発させそうなモモタロを制し、アーシャは懸命に背伸びをして、ドアの窪みに手を引っ掛けて、全身の力で引っ張る。

そうして何とか少しだけ開いた隙間に、足を突っ込み、体をねじ込みながら更に押し開き、アーシャは何とか部屋の外に出る。

(時間を食っちゃった)

体が小さいと扉を動かすのも大変だ。


———コッチ コッチ

バニタロは次なる扉の前で尻尾を振る。

今度の扉は手荒く閉じたのか、手を入れられる小さな隙間が最初から開いていた。

ゼンのピンチに一秒でも早く駆けつけたい身としては、感謝したい隙間だ。

先程と同じようにしてこじ開けて、アーシャは走る。

(ゼン!今行くからね!!)

モモタロが泣くほど事が起こっているのだ。

ゼンの身にとんでもない事態が起こっているに違いない。

沢山ある机らしき物を避けて、可能な限りの速さでアーシャは駆け抜ける。


———ココ ココ

バニタロが硝子製の大きな扉の前で、ピタンピタンと尻尾を打ち付ける。

「いた……!!」

大きな背中が巨大な瘴気の塊と対峙している。

アーシャは走りながら、ゼンがまだ無事であることに安心する。

モモタロが泣くくらいだから、まさか……と、最悪の想像をしてしまっていたのだ。

(良かった……)

見たところ大きな怪我もなくて、アーシャは大きな息を吐き出す。


(夢で見た形と違う……あの前についている体は……もしかして、この国の魔法使い……?)

ゼンが危ない状況でないとわかったから、相手の姿も冷静に観察できる。

彼が戦っているのは、夢で見た『ミコ』を基とした姿ではない。

性器のないつるんとした大人の体が、『ミコ』を背負っているような状態だ。

その二つの体が一つの頭を共有しているので、何とも不気味だ。


(……生者と死人の気配が混ざったような……魔法使いというより、生きた死体ゾンビみたい……)

この国の魔法使いと思われる存在は、禍々しさに溢れている。

強力な魔法使いほど、高濃度の魔素を取り入れられるため、瘴気に近いの気配になっていくのだが、『ミコ』の前に生えている体は、最早魔素だなんて呼べない、高密度な瘴気の塊だ。

死体を瘴気で塗り固めて、生者の真似をさせているようにすら思える。


『ミコ』を背負った魔法使いの足元では、タケチたちが結界を発動させようとしているが、上手くできていない。

(あのままじゃ拘束できないわ)

魔法使いの影響か、『トチガミ』で作られた『ミコ』の手足が、夢で見た状態よりずっと細くなり、今にも折れそうになっている。

しかしそれでも神気が完全に枯渇しているわけではない。

その神気が結界の形成を邪魔している。


(早く、ゼンにモモタロを渡して、『ミコ』に繋がる『トチガミ』を切り落としてもらわなきゃ)

「ゼ……」

そう思ってゼンを呼ぼうとした時だった。



『あ……主の………あるじの………あ“る“じの浮気者ーーーーーーーーー!!』



怒声と同時に、恐ろしい量の神気の塊が、空間を切り裂いた。

目も眩むような稲光。

それは本物と比べても遜色のない熱量があるように感じた。

「……………!!!」

あまりの眩しさにアーシャは目を閉じる。

モモタロの本体を持っている右手を、痛みか熱さか判別できない衝撃が襲う。


「………ふぁ………」

瞼で閃光を防いだアーシャは、恐る恐る目を開けて呆然としてしまう。

そしてゼンを呼ぶために開けた口を閉めるのも忘れて、稲妻を迸らせた犯人を見つめる。

本体が入った袋の上にのったモモタロは、自らも感電したように、真っ黒な髪を逆立ている。

その顔はオークにも勝る恐ろしい形相だ。


『妾という刀を持ちながら!!あんな鉄芯が入っただけの小汚い木剣なんかで戦うなんて!!!』

「……………」

烈火の如く怒っている。

何と言えば良いのだろう。

武器視点で言うところの、深刻な裏切り……例えるなら、浮気の修羅場みたいなものに遭遇しているのだろうか。


モモタロの声が聞こえないゼンは、自分の意見を言う事ができない。

「あ……あの……モモタロは長さ的にあまり実戦向きではないから……」

そんな彼のために、せめてもの弁護をと思って、そう言いかけると、ピリピリと肌の上を小さな雷が駆け抜ける。

それと同時に物凄い目で睨まれる。

『妾はあのような木剣に負けん!!早う!早う!!あのメギツネが主の手に戻る前に、妾を主のお手元に!!』

下手したら、こちらの髪の毛まで逆立てられそうだ。


夢の中のアーシャも言っていた通り、『ミコ』と『トチガミ』を切り離せるのはモモタロだけだろう。

人の目に映らない存在なのに、コレだけの事をやらかす力があるのだ。

(リーチの短さが不安要素だけど……)

そこはアーシャがゼンのフォローに入ろうと思い定めて、アーシャは走り出す。


「あ!だめだめ!アーシャちゃん!めですよ。め」

しかし数歩進んだところで、ゴミの手に囲い込まれてしまう

「わっ、わっ」

飛び越えようとしても、しゃがんで潜ろうとしても、見事に防がれてしまう。

「ん〜〜〜」

小さい体は、こういう時に機敏に動けなくて不便である。


そうこうしている間にも、木製の武器を奪われてしまったゼンは、タケチに襲いかかった、魔法使いの鎖を鷲掴みにして防いでいる。

あんな物を素手で掴むなんて、普通の人間なら何らかの害がありそうだが、彼は神気を吹き出しながら、鎖を引っ張り、逆に異形の頭を振り回してダメージを加えようとしている。

無茶が過ぎる。

あんな瘴気の塊のような物を素手で掴むなんて、いつ害が出るとも知れない。

「ゴミ、武器をゼンに届けないといけなくて……えぇっと……」

アーシャは焦るが、当然、彼女の言葉は通じない。


一体どうすれば、アーシャのやりたい事を伝えられるのか。

手に持ったモモタロを振ってアピールしても、とても通じそうにない。

『刀を主に届けたいと言うておるぞ』

するとスルスルと寄ってきた大木の老女神が、ゴミに向かって声をかける。

(お気持ちは嬉しいけど……)

姿が見えていると思われるユズルでさえ、彼女らの声は聞き取れていない様子だ。

当然ゴミにも通じないだろう。

そう思ったアーシャだったが、その予想は直後に裏切られた。


ゴミは老女神をしっかりと見て、その言葉に頷いたのだ。

『きさま!気安く触れるではない!』

そして怒鳴るモモタロに少々おっかなびっくりしながら、彼は剣を受け取った。

「ぜんいちさん!!」

そして声をかけて振りむかせたゼンに、モモタロの本体を投げた。

剣に乗った、モモタロは両手を広げてゼンに向かっていく。

本体をがっしりと大きな手に受け止められ、モモタロは喜色満面でゼンの手に飛びついている。


『あの子は耳が良い。他に伝えることは?』

驚くアーシャに向かって、老女神が片目をつぶって見せる。

「………手足を……『ミコ』の手足として繋がった『トチガミ』を、ゼンに切り離して欲しいです。……魔法使いの攻撃は私が防ぎます」

そう言ってアーシャは錫杖を構える。

『なるほど、奇妙な気配だと思っていたら……あの手足は……。貴重な器に何と恐ろしい真似を……』

その一言だけで老女神は事情を察したらしい。


瘴気と神気は水と油。

決して混じり合わない。

瘴気が薄まってできた魔素が力の源である魔法使いは、神気には触れられないし、操れない。

しかし神気を操る聖女や神官を介せば可能になる。

(……傀儡の邪法……)

そんな言葉と共に、嫌悪感が噴き出てくる。

かつて、魔力も神力も使いこなすために、聖女候補を攫った魔法使いがいた。

人格を壊され、操り糸に繋がれ、神気を使うだけの哀れな人形にされてしまった聖女候補は、救い出されても、元に戻ることはなかった。


(あの一族の魔力は、事故を装って綺麗さっぱり消し飛ばしてやったけど、あの子は救えなかった)

苦々しい記憶に、アーシャは顔を歪める。

血によって力が受け継がれる魔法使いは、その多くが貴族だ。

対して、偶発的に才能が現れる聖女は平民である事が多い。

身分的に不利な聖女たちは、神殿が守ってくれなくてはいけないのだが、富と権力は聖人をも惑わせる。

壊された聖女候補は人知れず『廃棄』されることになり、怒ったアーシャは全開の浄化で対応してやった。


(救えなかったけど……魔力に絡め取られた聖女を無力化する方法は、あの時わかったわ)

アーシャは錫杖を構える。

元は同じ大地の神気だったとしても、魔力の干渉を受けた神気は変質して、こちらの力と反発し合ってしまう。

今のタケチたちのように、結界で彼女を閉じ込め、魔力の干渉から守ろうとしても、力が反発して上手くいかない。

回復の力すら弾かれる。


ではどうしたら良いか。


(来いっっ……魔を退け、浄化する光よ!!)

目を閉じたアーシャは、自分の中に浮かび上がる円陣に強い力を流し込む。

そして錫杖を力強く振り、大地の神気を噴き上がらせる。

(全力で行く!!)

力強く、噴き上がった神気に飛び乗り、高く飛び、足から体に取り込んだ神気を体の中で圧縮する。

正確に噴き上がった神気の軌跡を追いながら、力強く着地し、更に強く神気を吸い上げる。

細々と力を編み上げるのではない。

ひたすら吸い込んで、体の中で圧縮し、放てる最高の密度で、力をぶっ放すのだ。


『ミコ』の反発範囲から出てきた魔力を片っ端から浄化し続ける。

要するに、最強の盾にひたすら攻撃を叩き込むような、ゴリ押し戦法だ。

いかなる盾でも全方位カバーはできないし、ちびちび削ってやればダメージも蓄積する。

そのうち魔法使いの魔力が尽きるかも知れないし、そうでなくても、一定の距離に入るまでのゼンの安全を確保できる。


因みに以前は、操っている魔法使いの方を完全浄化して無力化してやった。

今回は『ミコ』と同化しているから、先に魔法使いを浄化することはできないが、ゼンが『ミコ』から神気の塊である『トチガミ』を切り離せれば、恐らく反発はなくなる。

そうすれば後は魔法使いを完全浄化して、タケチたちの結界で『ミコ』を包めば、こちらの勝ちだ。

この技の特性上、長い時間はできないので、短期決戦での力比べになる。


アーシャは高々と歌い、それに浄化の力をのせて舞い上げる。

浄化の力は豪雨のように降り注ぐ……と言いたいところだが、小さな体では圧縮に限界があり、霧雨のように降り注ぐ。

しかし効果は覿面てきめんだった。

ゼンが力づくで引っ張って制していた鎖は、細かだが鋭い、冬の雨のような浄化の力に触れ、あっという間に侵食されるように溶け始める。


『ミコ』を背負っていた魔法使いも、痛みに苦しむように身悶える。

流石に鎖と違って溶けはしないようだが、浄化の粒一つ一つが当たるたびに、その身を焼くように煙が上がる。

浄化の力が弾かれる、『ミコ』の頭部と背中に背負った体は無事だが、他の部分からは次々に煙が上がる。


魔法使いは悶えながら、体を丸める。

まるで背負った『ミコ』で、降り注ぐ浄化の雨から身を守っているようだ。

雨から逃れようとしても、足元はタケチたちの結界で固定されている。

しかも超重量級な二人の結界にぶつかると、軽いアーシャの浄化の雨粒は跳ね返り、魔法使いに襲いかかる。

下から跳ね返ってくる浄化の力を防ぐように、魔法使いは腕を抱き込むが、その腕からも煙は上がる。

最早相手は苦痛から逃れることで精一杯で、周りを攻撃する余力はない。


(早く手足を……!!)

圧倒的な優勢をとったが、長くは続かない。

この小さな体には、舞いながら力を圧縮しつつ、歌声で放出し続けるのは、大きな負担だ。

早くも心臓が早鐘のように鳴り、鼓膜を心音が打っている。


『抜刀せよ!!』

老女神が号令をかけると、ゴミがその言葉をゼンに伝える。

ずっと美しい布袋に包まれていたモモタロの本体が、美しい飾り紐をなびかせながら、現れる。

華麗な装飾を施された鞘と柄。

短いからか、鍔はないが、宝剣のような出立ちだ。


「……………!!」

そしてその鞘の下から現れた刀身は、思わず動きを止めてしまいそうなほどの美しさだった。

宝石や黄金でできているわけではない。

銀と黒の極めて簡単な色合いだ。

しかし油がしたたりそうな艶やかな刀身と、鋭い切先は、大きく傾いた太陽の光を一身に集めたように光り輝いている。

珍しい片刃の小剣で、背中部分の燻したような美しい黒が、銀の刃との間で美しい波を描きながら、変化していく様は芸術品のようだ。


ヒラリとモモタロが刀身に向かって身を投げ、吸い込まれると、剣は更に美しく輝く。

最早直視できないほどの眩しさだ。

(これは……絶対に斬れる!!)

そう確信したアーシャの目の前で、鮮やかな雷光をまといながら、斬撃は放たれた。

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