21.有識者、ゴーストバスターズする(後)

蹴っただけでちぎれ飛んだ足を見て、一瞬だけ禅一は呆気にとられた。

「すいません!わからないけど蹴ります!」

しかし片割れを失った事で、更に荒れ狂ったように残った足が踏み鳴らされ、武知に迫ると、迷いなくその足を蹴り上げた。

少しだけ迷いが出たのか、そちらの足はちぎれる事なく、膝が曲がるべきではない方向に曲がっただけだった。


あとは生えた腕だけを何とかすれば、武知たちは安心して術を完成させられる。

「禅一さ〜〜ん!!」

最強の守護者の出現に五味の声は舞い上がり、彼を引き摺っていた峰子も力を抜いた。

「あ………あぁ……あぅ……」

その時、異形の側面についた当主の口から声が漏れる。

表情こそ変わらないが、先程の音を出しているだけのスピーカー状態の時より、苦しそうに聞こえる。


「あぁ!!」

五味は息を呑んだ。

折れた足はボコボコと泡だち、先程壊れて取り込まれた顔と同じく、異形の中に吸い込まれていく。

「!」

まさかと思って見ると、もげて宙を舞った片足も、地面を這って、本体の方に移動している。

蹴られて半分溶けたような状態で這う姿は、足というより不気味なしゃくとり虫だ。


「禅一さん!足が戻っていってる!!止めて!止めて!!」

「え!?……うげっ!!」

指摘を受けた禅一は、慌ててその足を蹴り飛ばす。

「あぁぁ……ああぁぁぁああああ!!」

すると再び異形から生えている当主の頭が吠えた。


「……あの……取り敢えず、蹴ってみたんですけど………」

『とりあえず』程度の攻撃力ではない。

足だった塊は蹴った部分から二つに裂けて、ジュウジュウと泡立ちながら小さく縮む。

見えざる物に慣れていない禅一は、かなり戸惑った様子で、乾老人たちを見る。

「良いです!どんどんやっちゃってください!本体に戻さないで!」

術を中断できない二人に代わって、五味が返事する。


頷いた禅一は瀕死のナメクジのような塊を、遠くに向かって、それぞれ蹴り飛ばす。

飛ばされた塊は突沸したように、内部から泡が立ち上ったかと思ったら、急激に膨張し、弾けるようにして、消え失せる。

「うぅぅぅ……ああぁぁぁ………ああああ!!」

それと同時に再び当主が苦痛の声を上げる。


(さっきまで生身だった肉体が消滅するなんて……取り込まれて速攻悪霊化したとか?そんな事あり得る?)

禅一の氣を浴びて消滅した塊に五味は戸惑う。

長時間押さえ込まれていた禅一の氣は、雨の後の濁流の如く、流れ出ている状態だが、それにしたって一片の肉片も残らないなんて信じられない。


死体に人ならざる者が入り込んだりした事例は見たことがあるが、中身を祓えば、元の死体が残った。

人ならざるモノに吸い込まれて死んだ体が、すぐに何か別の物に変化させるなんて事があるだろうか。

そんな事ができるとしたら、それは『神』と呼ばれる領域にいる存在だけなのではないだろうか。


五味の心にジワジワと不安が広がる。

「私は中に入ります」

圧倒的な戦力が入った事に安心して、峰子は踵を返す。

アーシャの元に向かうつもりなのだろう。

「あ……お願いします」

そう言いながらも、五味は禅一たちから目を離せない。


何かを見落としているような気がしてならない。

現世の富の代わりに、死んだ後は永遠に囚われる、自らへの呪い。

生贄と穢れと自分達の魂を塗り固めて作った不完全な人造神。

(その認識で本当に合っている……?)

五味がそんな疑いを持った時、異変が起こった。


足はなくなっても、振り回される腕が残っている。

乾老を襲おうとした水膨れした腕を、禅一が左腕で受け止める。

そのまま上に弾こうとしたが、重かったようで、すぐに彼は体を捻りながら右の拳を叩き込もうとした。

その拳から逃れるように、異形が体を捻り、元から生えていた、枯れたような腕が禅一に当たる。



瞬間、空気が歪んだ。



静電気のような、小さいのに鋭く感じる痛みを感じた、その刹那。

音のない、体を吹き飛ばすような衝撃が襲いかかってきた。

「ひぇっ!!」

五味はたたらを踏み、乾老と武知は地面に齧り付くようにして、その場に留まる。

「っっと」

後に吹き飛ばされた禅一は、地面を滑りながらも、手をついてバランスをとる。


異形が攻撃を仕掛けたわけではない。

それを証明するように、異形自身も衝撃に吹き飛ばされ、禅一が飛ばされた方向と反対方向に大きくのけ反っている。

その下半身を乾老と武知の術によって拘束していたので、吹き飛ばなかったようだが、衝撃が凄まじかったようで、編み上がっていた術が半分ほど壊れている。


「あがあぁぁぁあああぁぁぁぁ!!」

今の衝撃のせいか、半分吹き飛んでいた腕が、ボコボコと泡を立てながら、異形の中に取り込まれていき、再び当主の頭が声を上げる。

大きく折れ曲がった部分に生えていた顔も、押し潰されて、苦痛に歪みながら溶けて、取り込まれていく。

「これは……一体……!?」

五味は目を見開いて、状況をしっかりと見るが、何が起こったのかは理解できない。


神威しんいがぶつかり合ったせいでひずんだの』

そんな五味に桜の神霊が語りかける。

「神威!?」

『神自身の絶対範囲とでも言うかの。眷属でも何でもない神と神は、お互いの力の威力が反発し合う。無理に触れたりしたら、ああやって空間が歪む』

彼女の説明に五味は呆然としてしまう。


神と神。

その説明だと、あの異形は人造の半端神ではなく、本当の神という事になるし、禅一も神という話になってしまうではないか。

異形は人の妄執が本当に神を作り上げたのかもしれないが、禅一は少々人の枠に入りきれていない所もあるが、それでもれっきとした人間のはずだ。

いくら藤護が桁違いな集団だと言っても人は人……のはずだ。


『わかりにくいかえ?………ほれ、磁石と同じじゃ。正極と正極はくっ付かんのと同じだ。お互いに弾き合う』

五味の戸惑いを、説明が理解できなかったせいと捉えたらしく、桜の精霊は例え話をしてくれる。

そんな説明をしている間にも異形は体を起こし、ゴリゴリと音を立てそうな動きで、当主の頭が動き、周りを見る。

そして自分の足元を縛る術を解こうとするように、残った腕を振る。


その腕が武知に迫り、禅一は再び異形に向かって走り出す。

「待ってください!禅一さん!また反発します!!」

その禅一を慌てて五味は呼び止める。

先程の一回の歪みで、せっかくの術が半分ほど壊れてしまった。

これ以上接触させるわけにはいかない。

「反発!?」

「禅一さんが近づくと、さっきみたいになっちゃうんです!えっと、えっと………禅一さん!遠距離攻撃できませんか!?」

「え………」

突然の提案に禅一は面食らう。


「……流石に……必殺技とかは持ってないですね……」

当然の話だ。

小学生の頃は両手を組み合わせて波動を出す練習などしたこともあるが、そんな事ができる人間が現実世界にいるはずがない。

「……ですよね。えっとえっと、近づかずに、何とか……」

五味は焦って、答えを探すように、周りを見回す。

早く何とかしないと、異形の近くにいる二人が危ないのに、悲しいほど何も名案が浮かばない。


「禅!!使って!!」

その時、ヒュンヒュンと空気を切りながら、薙刀が飛んでくる。

結界内の慧が投げたのだ。

彼女の足元では、うつ伏せ状態で背中を踏まれ、動けない奥方がもがいている。

普通に保護する気は無いらしい。


「和泉姉!有難う!」

二メートル近くある鉄芯入りの木刀が回転しながら飛んでくるなんて、五味にとっては恐怖でしかないが、禅一は全く危なげなく、少しジャンプして木刀を掴んだ。

そして着地と同時に走り出し、暴れていた最後の腕に鋭い突きを放つ。

術も術者も排除するように暴れていた腕が、ふらついて空を掴んだ所で、禅一は更なる一撃を加える。

下から突き上げる斬撃によって、腕は千切れ飛び、曇天に舞う。

「いぎぃいぃいいいぁあああああ!!」

当主の首は一際大きな悲鳴を上げ、ガクガクと揺れる。


禅一は叫ぶ当主など目にも入っていない様子で、飛んだ腕を追って走る。

そして腕が地面に落ちるより前に落下地点に入り、その腕を更に蹴り上げる。

自分の氣も見えないらしいが、蹴れば完全に消せるとしっかり学習している。


そうやってしっかりと腕も消し飛ばした禅一だが、当主の首は叫び続けている。

「……呑まれていく……」

その様子を見ていた五味は呟いた。

感情が無くなったように感じていたが、当主の首は最後の最後で、抵抗するように叫ぶ。

異形の側頭部から、干からびた頭部が生えているような状態だったのが、ズブズブと当主の首が異形の中に吸い込まれ、そして髪を引っ張られるようにして後頭部が呑まれ、最後の最後で恐怖の声を上げる顔が飲み込まれる。


歴代当主たちは死んで、肉体という器がなくなって、あの異形の中に還った。

しかし今代の当主は生身の肉体ごと飲み込まれた。

(他の当主たちは自我の最後の砦が顔で、それが壊れることで完全に取り込まれた……と、言う事は肉体ごと取り込まれたあの人は、肉体を壊されることで……)

五味が考えている間に、目の前の異形が歓喜するように揺れる。

先程までの、呪いを返され、苦しみ荒れ狂っていた時とは、明らかに動きが違う。


小さな老婆の体に、二人分の肉を詰めたような不恰好になっていた異形は、揺れる度に形を変える。

今まで、この異形に捧げられてきたのは、哀れな子供の命。

そして取り込まれたのは、この世での贅を一心に楽しんで腐敗しきった者たちの魂。

(もしかして……生身の肉体が捧げられたのはこれが初めて……?)

肉のにえが得られたことで、一体どんな変化を見せるのかと、気持ち悪いのに目が離せない。


膨れた老婆の体から、健康そうな青年の胴体が生え、その胴体に似つかわしい手足が伸びる。

肥え弛んだ当主の体ではなく、細身で中性的な体つきだ。

健康的な成人男女の足して平均化したら、こんな体になるのではないだろうか。

その背中に元の体がくっついている。

青年体の背中と、老婆の腹の部分が結合していて、脱皮しかけの虫のようだ。

虫は背中から本体が出てくるが、こちらは腹から本体が出てきて、カラになった老婆の姿が背中にくっついているような状態だ。

背中でブラブラと老婆の四肢が揺れている。


「……雑な二人羽織……」

禅一が微妙そうな顔で呟いたのに、五味も深く頷いてしまう。

新しい肉体が生えてきても、頭はそのまま一つで、不恰好な二人羽織のようだ。

相変わらず顔を張り付けている青年の体は、邪魔な戒めを解こうとするように、体を捻る。

「くっ……」

「……っっ……」

すると大きく術がたわんで、乾老と武知の顔が歪む。


「五味さん、俺は二人を守るだけが良いですか?それともアレ自体を攻撃した方が良いですか?」

禅一が薙刀を構え、五味に尋ねる。

「は……あ………えっと……」

いつもは自分が指示をもらう方である五味は慌ててしまう。

そんな五味に、必死に術を完成させようとしている武知が、頷いて見せる。

乾老も『お前が指揮を取れ』とばかりに顎をしゃくる。


五味はゴクンと唾を飲み込む。

こんな緊迫した場面で、自分が主導権を握って果たして大丈夫なのだろうか。

良かれと思ってしたアドバイスは無視され、無碍に扱われ、その挙句自分が現場を混乱させたと責められた経験がグルグルと頭の中を巡る。

五味が動けないでいると、遂に術の包囲を抜けた腕が振り上げられる。


「二人を守ってください!」

「はい!」

思わず上げた声に、素直な返事が返ってきて、禅一が武知に向かって振り下ろされる腕を払う。

「っふっ!!」

先程の急拵えの腕とは違い、今度の肉体の腕は脆くないようだ。

鈍い衝突音と共に、禅一の顔が引き締まる。


打撃は素早い上に重いようで、打ち返すだけでも、かなり大変なようだ。

突いて、払って、打ち込んで。

次々と繰り出される腕と足を、周囲を素早く移動しながら禅一は防ぐ。

その口から吐かれる熱い呼気が、周囲の空気に瞬時に冷やされて、白く輝く。


「禅!持ち方が違う!!それじゃ重さをもろに受けるでしょ!」

「半身で構えるのは無理だ!」

慧がもどかしそうに声を上げるが、禅一は絶えず動きながら拒否する。

そう言えば、禅一は通常の木刀のように薙刀を構えている。

持っている部分から、先端までが長過ぎて、普通の人なら、先端がふらつきそうだ。


技術が長けているのか、それともただ単に怪力なのか。

重そうではあるが、禅一の芯は揺るがない。

たった一本の武器で、異形の手足から、反対側に分かれた乾老と武知を、無駄のない動きで守る。

「禅一さん!佐々木小次郎みたいです!」

せめて応援をと思った五味の一言に吹き出して、禅一は一瞬武器を取り落としそうになったが、それもすぐに立て直した。


(何で……術が完成しない!?)

二人がかりだと言うのに、異形を囲む氣の包囲網は編み上がっては、もがいて壊されるを繰り返す。

長引くにしたがって、禅一の額にも汗が浮かび始めている。

(おかしい。なんで……こんなにも上手くいかないんだ!?)

五味は目を凝らし、そんなに回らない自覚がある頭をフル回転させて考える。


武知たちの包囲網は、異形の腰辺りまでは綺麗に編み上がる。

しかし背負う形になっている老婆を巻き込み始めると、急に術が緩むのだ。

そして異形がもがく事で破られてしまう。

(何か……見落としている?)

五味が目を凝らしている間に、鎖を吐き出していた顔のうち、乾老が縫いつけた鎖を吐き出していた顔が引きちぎれた。

鎖が弾け飛び、鼻から下が無くなった顔は、泡立ちながら溶け込んでいく。


「っっく!」

四本の戒めのうち半分が外れ、異形の動きは、ますます大きくなり、残りの二つの顔も、もう壊れそうだ。

やはり顔が溶け込むと、力を増すらしく、先程までは全くブレなかった禅一の木刀の切先が僅かだが、重さに耐えかねるように戻され始めている。


(マズいマズい!!これ以上顔が壊れたら、アレの力が増す上に、自由に動けるようになってしまう!!もう一か八かで禅一さんに本体を攻撃してもらうか!?でも下手に倒したら厄災が禅一さんにも降りかかるかもしれないし……!!)

五味は己の優柔不断さに歯噛みしながらも、必死に考える。

「えっ……」

その五味の目に更に悪い事態が飛び込んできた。

先程飲み込まれた、枯れたキノコのような当主の顔が、異形の側頭部に、再び生えてきたのだ。

しかも今度は水分が抜け切ったミイラのような姿ではなく、生前の顔そのものだ。


苦悶する当主の口が開く。

「禅一さん!鎖がきます!!」

五味が声を上げた時は、既に遅かった。

異形の手足から武知たちを守ることに集中していた禅一は、生えてきた顔に気がついていなかった。

よって、その口から弧を描いて発射されえた鎖に気がつく事ができなかった。


「ぐっ!!」

それでも衝突の寸前で、握り手を上げて柄で防ぎ、鎖の軌道を変えられたのは、驚くべき反射神経が成せる技だろう。

防ぐと同時に頭を逸らした禅一の耳を、鎖が掠め、赤い液体が散る。


この鎖は通常の物理法則に基づいて動くものでは無い。

軌道を逸れた鎖は薙刀に触れた部分を支点として、空気を切りながら回転する。

鎖を避け、禅一の左手が木刀から離れる。

その瞬間、薙刀をもぎ取るように鎖が引かれる。

「ぜん……」

五味が大きく息を吸って『禅一さん』と叫ぼうとした時だった。


目が眩むような、真っ白な雷撃がほとばしった。


五味の後方、先程武知が出てきた掃き出しの窓の方から。

触れたら感電死するのではないという、激しい光の束が空気を引き裂き、真っ直ぐに薙刀に巻き付いた鎖を打つ。

「おわっ!!」

鎖に引かれても離れなかった禅一の手が、弾かれたように薙刀から離れる。


「……静電気……??」

禅一は驚いて、自分の離してしまった右手を見る。

彼の目には真横に走った稲光が見えなかったらしい。

雷撃に打たれた鎖と、それが伝わったらしい異形は、炙られるスルメのような動きで、のたうち回っている。


(この雷撃……すっごく見覚えがあるような……!?)

そう思って振り返った五味は息を呑んだ。

そこには小さな人影が立っていた。

「あ………アーシャちゃん……………と………」

『怒髪天な豆神様』と言いそうになって、五味は自分の口を押さえた。

口にしたら、自分も雷撃を受けそうだ。


左手に魔法のステッキ、右手に懐剣。

そんな装備のアーシャは、ガニ股で呆然と立って、緑の目を大きく見開いていた。

彼女が持つ懐剣の上には、文字通り、重力を無視して髪を逆立てた、指の先程の小さな神霊が仁王立ちしている。

『〜〜〜!!〜〜〜〜!!!』

何かめちゃくちゃに怒って、声を張り上げているが、あまりにもノイズが強くて、五味には聞き取ることができない。


『女の敵は女、刀の敵は刀』

妙に悟り澄ました顔で、桜の神霊が呟いた。

「え?え?女?刀?」

確かに『なぎなた』は女性の競技というイメージが強いし、懐剣も今では女性のために作られるイメージがある。

その辺りに逆鱗に触れる何かがあったのだろうか。


(もしかして……鎖じゃなくて、薙刀の方を攻撃した感じ?)

あの神霊、大丈夫なのだろうかと、五味の中で疑う気持ちが湧き上がってきた時、ポッテポッテと左右に揺れながら小さな影が、横を駆けていく。

「あ!ダメダメ!アーシャちゃん!めっ、ですよ。めっ」

まさかこんな小さな子を、あの恐ろしい物に近付けるわけにもいかない。

しかし下手に抱き上げたら、肩や腕の関節が外れてしまいそうな気がして、五味は両手でアーシャが走れないように囲い込む。


囲い込まれてもガニ股ジャンプしたり、カエルのようにしゃがんだりして、アーシャは逃れようとする。

「ごみぃ、えにぃみにゅぃゼンあぃぬぃにゅ」

それでも逃さないように捕まえていたら、アーシャは手に持った懐剣を掲げ、禅一の方を差して一生懸命、何かを訴え始める。

「えっと……」

『刀を主に届けたいと言うておるぞ』

五味が困ったところで、桜の神霊がフォローしてくれる。


「わ、わかりました!」

そう言って五味はアーシャの手から懐剣を受け取る。

その途端、物凄い顔で懐剣の上に乗っている豆神が睨んでくるが、少々触れるぐらい、我慢していただきたい。

「禅一さん!!」

驚いたことに、禅一は暴れる鎖を素手で掴み、容赦なく引っ張っていた。

声をかけて振り向いた禅一はギョッとした顔になる。

「アーシャ!!」

初めて悲鳴じみた声が彼の口から漏れた。


「禅一さん受け取ってください!!」

そんな禅一に向かって五味は懐剣を投げる。

鎖と力比べをしながらも、禅一は片手で危なげなく、それを受け取る。


「あ!アーシャちゃん!!」

油断していたら、またアーシャが足を踏み出したので、その襟首を五味は慌てて捕まえる。

『大丈夫。小さき器は成すべき事を成すだけだ』

しかしそれを物知り顔の桜の神霊が止める。

「うう〜〜……」

神に言われては逆らえない。

五味は渋々手を離し、何かあったらすぐに彼女を抱えて逃げられるように、横につく。


アーシャは小さな手で、魔法のステッキ……のように見える錫杖を構えた。

そして、すうっと息を吸って、彼女は錫杖を振るう。

それだけで清廉な空気が流れ込んできた。

次いで、とても目の前の赤ちゃんから発されたとは信じ難い、伸びのある透き通った歌声が流れ始める。


「………………」

一体これからどうするのが正解なのかわからず、五味は戸惑う。

ただ、物理と物理がぶつかり合う時間は終わった、と、それだけは理解できた。


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