21.有識者、ゴーストバスターズする(前)

(親と縁を切るって言うのは簡単だけど、実際にやるのは難しいよねぇ)

五味は話がまとまり次第、儀式をとり行うための祭壇を整えながら状況を見守る。

取り急ぎ設えた祭壇は桜の木の根元にある。

『向こうが向こうの神に後継だと宣誓したなら、こっちはこっちの神に家族から外れるって宣誓をやっちまおう。で、後継の長男でなくなった所で呪いを返す』

そう言い出したのは乾老だ。


異なる神に違う内容を述べるのは、不味いのではないか?と武知はかなり渋い顔だった。

武知としては養子縁組などで、穏便に父親を家から外す手段を取りたかったらしい。

不用意に人外の力を借りると何が起こるかわからないからだ。

しかしその手続きには時間がかかる。

その上『自分たちで術をこねくり回して作ったとはいえ、何代にも渡って生贄を捧げて作り出した『呪い神』に、人間が作った規則なんか通じると思うか?人間の作った戸籍っていう紙切れより、格の高い神を頼ったほうが確実じゃないかい?』と乾老に説得され、武知は折れた。


五味にとっては『年代物でヤバそう』くらいにしか感じなかった呪いだが、実際は武知や乾老が渋い顔を見せるほどの危険な物だった。

(弱い俺が下手に手出ししなくて良かった〜〜〜)

もし無策で突撃していたらと思うと、冷や汗が出る。

歴戦の二人が揃って『正面から戦うのは無理』と判断するようなブツに下手に手出ししていたら、命が無くなっていた。


今回の作戦は、まずは神に対する宣誓で園児の父親を一族から切り離してから、母のお腹の中の子供に繋がった呪いを返す事になっている。

『神』を倒すことはできないが、その力を利用した呪いは、人間の手による物なので、難しいが返せない事はないらしい。

最初に父親を一族から外すのは、そうしないと縁のある母子にも返した呪いの影響が出るかもしれないとの判断だ。

父親の方は一族と縁を切っても血縁があるので、呪い返しに巻き込まれる可能性があるが、『それはこれまで享受した富の代償だ』と乾老は冷淡に切って捨てた。


本当なら更に万全を期すために、母親と父親の縁も切っておきたかったらしいが、妊婦であり、今まで呪いの力を一心に引き受けていた母親に、これ以上の負担は与えられないと判断された。

よって母親には何も知らせないまま、今回の作戦は実行される。

現状の聞き取りが終わった彼女は、父親が来るまで待つと言うことで、最強のお守りである禅一と、呪いを返す役目である武知が側について、一番奥の保育室で子供達と一緒に横になっている。



五味の視線の先では、事実を知らされた園児の父親が真っ青になっている。

笛吹家当主の妻である老婦人は、峰子に牽制されながらも、必死唾を飛ばして『息子』を説得しようとしている。

(既に約束してしまった贄を反故にしたら、どうなるかわからないもんな〜)

術者である当主の方は顔色がひどく悪い。

ずっと彼が呟いているのは、恐らく呪いを鎮める祝詞か何かだろう。

そうしないとアーシャの張った完璧な結界のせいで贄を見失った『神』に、自身が喰われそうなのだろう。


(まぁ、何もわからない赤ちゃんを贄に出してきた一族だもん。同情は禁物。……ちょっと……いや、かなり可哀想な状態になる気がするけど……いやいや、同情は禁物)

五味は一人、首を振りながら、盃に日本酒を注ぐ。

『良き、良き。これは奮発したの』

日本酒がなみなみと注がれた盃は、グローブのように逞しい手に取られる。

「あぁ〜〜〜儀式用なのに〜〜〜」

不敬と知りながら、思わず五味が声を出してしまうと、盃を傾ける筋骨逞しい老婆が愉快そうに笑う。


『ま、良かろ。いくさ前の景気付けだ』

その声はノイズ混ざりで、かなり聞き取りにくい。

ニカっと雄々しく笑うその老婆は、透けている上に少し浮いていて、明らかに人間ではない。

実は、老婆が傾けている盃は、最初に五味が注いだ場所から、動いていない。

「差し上げる用に買ってきたから良いんですけど……」

動いていないが、盃の中の日本酒は半分が蒸発してしまっている。

彼女が飲んだのは、この盃の精だけだ。

しかし精が無くなった酒はもう使えない。

精を吸い上げるのは儀式の後にして欲しかったと、五味は内心愚痴りながら、盃の中身を入れ替える。


本来は絶対に文句など言ってはいけない相手なのだが、かなり人間寄りな性格なのか、老婆に気にした様子はない。

むしろ余計なことを言ってしまう五味を、楽しんでいる節もある。

(まさか桜の神様が、こんなマッチョなんて思わないじゃん……)

花の神といえば幽玄的な線の細い美女を想像するだろうが、ここの女神は違う。


艶やかな柄の腰巻姿は、それだけなら非常に風流なのかもしれないが、逞しい胸板によって着物の合わせ部分が押し広げられ、桜の幹のような、焦げ小麦色の胸筋が露わになっていて、台無しだ。

老齢らしく、顔には一応皺も入っているのだが、内部から漲る力で衰えは全く感じない。

むしろ皺一つ一つが彼女が経てきた年月を表し、どれほどまでに強い神かという事を表しているようだ。

そんな神は着物にタスキを掛けて、戦う気満々のオーラを放っている。


『消えかけの時は世話になったからな。ここで我の愛子いとしごにちょっかいを掛けてきた穢れ神には目にもの見せてやるわ』

盃を飲んだ口を拭いながら、クックックと笑う姿はどう見ても悪役だ。

ここまで胎児が無事だったのは、この桜の老女神が消えかけの力を絞って、登園した母に守りを施し続けていたからだろうと乾老人が言っていた。

急に保育園が休園となり、母が長く登園しなくなったせいで、桜の守りが切れ、今回はかなり危なかったという話だ。

偶然にも藤護兄妹が接触したおかげで、五味もほんの少し役に立てたので、『ようやった』とお褒めの言葉を頂いてしまった。


『お、どうやら、アレを見せて現実を受け入れさせるつもりだの』

親か子か選択できないで、苦悩する園児の父親と、目配せをしあう乾老と峰子を見て、老女神は立ち上がる。

そして前屈みになり、己の拳をぶつけるようにして、体に力を込める。

『ぬぅん!』

その姿はボディビルダーが肩周りと腕の太さを最大限にアピールする、モストマスキュラーポーズ以外の何物でもない。


(……桜の儚さとかは、どこに行ったんだろう……)

五味の目は遠くを見つめてしまう。

『桜さんは守護の神様だから無理はさせないでください』と、峰子は心配そうに言っていたが、この迫力で呪い神に走っていけば、裸足で逃げ出すのではないだろうかと思ってしまう。

どこからどう見ても闘神だ。

思わず視線を逸らした五味の目の前では、保育園の敷地内をほぼ覆っていた桜の結界が形を変え、保育園の建物だけを覆う形になる。


「ほえぇぇぇ〜〜〜」

範囲が狭まった事で、結界は輝きを増し、さながら真昼のオーロラだ。

こんなにド派手なものが一般人には見えないなんて信じられない。

「…………ぅわっ………!」

思わず見惚れてしまった五味だったが、光の粒子が移動すると同時に、今までこちらに入ってこれなかった存在が姿を現し、息を呑む。


足を引き摺るようにして、フラフラと歩く人影。

いや、人影と言っていいのだろうか。

頭があって手足があって胴体がある。

しかしその体には、海岸のフジツボのように、びっしりと人の顔が張り付いていて、歩く度に張り付いた顔たちが苦悶の声を上げる。

余りに禍々しい異形だ。


異形の頭の側面からは、真っ黒な呪いを編み込んだ鎖が生えており、それが笛吹家当主に繋がっている。

彼が術者である証だ。

やがて異形の体に生えた顔の一つが、一際苦しそうな声を上げたかと思うと、その口を裂きながら、真っ黒な鎖が飛び出してくる。

「うぅぅうぇぇぇぇ………」

すえた臭いまで漂ってきそうな鎖は、巨大なミミズのような動きで、何かを探すように周りを這い回る。

そのあまりの気持ち悪さに五味の口からは声が出てしまう。


『ほれ、小童、尻込みしてないで娘っ子を起こせ。居眠りしとるぞ』

怯えて縮こまる五味に、桜の神霊は、運動場の隅で直接地面に座り、船を漕いでいる女性を指差す。

「うわっ…………わわわ………!!和泉さん!和泉さん!」

五味は慌てて真っ直ぐ駆けつけようとしたが、彷徨う異形が目に入って、大きく回り込んで、彼女を起こしにいく。


ぱっと見、華奢で小柄で、大人しそうに見える、その女性の名は和泉慧。

この業界ではちょっと名の知れた存在だ。

「……あぁ、すみません。少々眠気に押されてしまいました」

揺り動かされた慧は、目を開けると同時に、傍に置いていた薙刀形の木刀と、着火ライターを手に立ち上がる。


「だ……大丈夫ですか?」

大欠伸する彼女に、思わず五味は声をかけてしまう。

「私の術は屋外にはかなり不向きなんですが……まぁ、何とかやってみます」

眠そうな彼女は、方向違いな回答をしつつ、腰に着けた香炉に、ライターを突っ込んで火をつけ、異形に向かって歩き始める。


薄い煙を立ち昇らせる香炉は、昔の人が使っていた煙管きせるに良く似た形状で、雁首の先にある、通常であればタバコを詰める火皿がかなり大きく作られ、香を入れるために網目の内蓋が付いている。

彼女が煙管きせるの吸い口に、口を当てると、薄く立ち上っていた煙が濃くなる。

吸ったのではなく、火の勢いを増すために、息を吹き込んだのだろう。

その煙を異形に当てるように彼女は動く。


(良くあんなのに近寄れるなぁ)

五味の足はすっかり竦んでしまって動かないのに、彼女は歩みを止めない。

緊張しているのは見て取れるが、動きによどみがない。

ゆっくりと異形の風上を取るように移動を続けている。


そして香炉から出た煙が、完全に異形を包んだあたりで、彼女は経を唱え始めた。

するとそれまで空気にのって、気ままにたゆたっていた香炉の煙が、異形に吸い寄せられるように動き、その中に吸い込まれていく。

香の煙は異形の中に入ると、再び外に出ることはなく、次第に濃さを増し、悍ましい形の中で、渦を巻く。


「ひっ」

煙が十分に異形の中に満ちた頃、短い悲鳴が響いた。

園児の父親が驚きに目を見張り、当主夫婦は凍りついたように固まっている。

『おやおや、術者のくせに、あの姿は見えていなかったのか』

呆れたような桜の神霊の呟きが聞こえる。


慧は尚も冷静に異形の風上をとりながら、経を唱え、次々と煙をその器の中に吹き込んでいく。

最初は煙がうっすらと人の形のような物の中に溜まっているだけに見えていたが、どんどんその濃さを増すにしたがい、形がはっきりとわかるようになってきた。

「ひっ、あ、あ、あぁぁぁ!!」

煙が充分に満ちると、白かった煙は異形と同じ色に変化し、生えている顔ごとに微妙に違う肌色になり、ホクロや小さな怪我までが再現され、生々しさを帯びる。

すると最初から喧しかった笛吹の奥方が耐えきれなくなったように叫び始めた。


(穢れに実体を与える術……聞いてはいたけど、あんな風にお香を使うんだ……)

東北辺りの術者が使いこなしていたと言われるその技は、時代とともに廃れたと思われていた。

しかし最近になって、それを使い熟す術者が出てきた……と、この技こそが彼女、和泉慧の名を業界に知らしめた理由だ。

五味の目には透過率90%が100%になった程度の差で、さほどの衝撃はないが、一般の人は違う。


「いや、何!?あれは何!?顔が、顔が、ひぃぃぃ!!顔がァァァァ!!」

けたたましい悲鳴を上げながら腰を抜かしたらしい、笛吹の奥方が地面を這いずるようにして逃げ始める。

その隣の笛吹家の当主も、膝がガクガクと震え、軽いスクワットをしているような状態だ。

「な、な、何で、あんな化け物と、繋がって……!?」

自分と異形を繋ぐ、心臓辺りから生えた鎖に、動揺の声を上げている。

園児の父親は目を見開いて、そんな両親と異形を交互に見ている。


「良く見たほうがいい。これがアンタらの家に富をもたらした『人ならざるモノ』だ」

乾老の声は張り上げたわけでもないのに、悲鳴や動揺の声の中でもはっきりと聞き取れた。

その言葉に、父親はビクンと肩を跳ね上げた。

「そんな……まさか……本当に……こんな物が……」

喘ぐように彼は言う。

そんな彼の前を、異形はのそのそと移動する。

張り付いた顔の一つから、また新たな鎖が吐き出され、悲鳴が上がる。


鎖は地面を叩くようにしながら這い回る。

「……『露払つゆはらい』が見当たらなくて随分と苛ついているね」

「つ……つゆはらい?」

油断なく鎖たちを睨む乾老に、父親は口を押さえながら聞く。

「元は先を行く者、先導者という意味だ。……ソチラでは『先に逝く死ぬ者』なんて悪趣味な意味で使っているようだがね。どうだい?アンタは自分の子供を『露払い』にして、親孝行をするのかい?」

冷たい顔で聞く乾老に、父親は油切れの首振り人形のような動きで頭を動かす。


「約束された贄が出されなかったら、術者の命はまずない。それでも?」

そう聞かれた父親は、迷うように自分の親を振り返る。

じゅん!耳を貸すな!嫁を連れて帰る。それだけでいいだろう!?その目的でここに来たんだ!惑わされるな!」

乾老人の声に比べたら、音割れするんじゃないかと思うほどの音量だったが、笛吹家当主の声には迫力はない。

子供に言う事を聞かせる怒鳴り声と言うより、悲鳴になる寸前の命乞いのように聞こえる。


「あ………あぁ………」

目の前で声を上げる人間を見捨てるという選択は簡単にできないものだ。

父親の瞳が苦悩に揺れる。

「嫁を連れて帰れば、元通りの生活に戻れるんだ。戸籍がどうとか、関係ない。父さんと母さんがいて、元のように暮らせるんだ!」

唾を飛ばしながら、声を張り上げる当主に、近くの峰子が冷めた視線を送る。

「嫁は連れて帰れませんよ。当たり前ですけど。お帰りになるなら『家族』のみでお願いします。あ、あの化け物もお持ち帰りテイクアウトくださいね」

彼女が指差す先では、三つ目の顔が悲鳴をあげながら、鎖を吐き出している。

贄が見つからないことで、かなり荒ぶっており、三本の鎖は激しくのたうちながら伸びていく。


「アンタはどちらの『家族』をとるんだい?」

乾老に重ねて質問された、父親の呼吸音がヒュウヒュウと響く。

「あ………あ………」

蠢く異形と鎖。

鬼気迫る表情の父。

腰を抜かして這いずっている母。

そしてここには居ない妻子。

極限の選択を迫られた彼の心理は、何となくわかる。


しかしここでしっかりと自ら選ばせないと、土壇場で怖気付いて、状況をひっくり返されるかもしれない。

「准!微々たる金しか稼げない嫁に、金を食うだけの子供!そんなものと莫大な資産を継がせる俺たちを比べるまでもないだろう!幸せに暮らしたくないのか!!」

いよいよ焦ったように当主がヒステリックに怒鳴る。

その言葉に、ヒュッと空気を呑み込む音がした。

そして極限の選択を迫られ焦っていた父親の顔から、表情が消えた。


(あ……地雷踏んだ……)

察せない系男子である五味にすら、それは理解できた。

妻子も両親も、『そんなもの』ではないから迷っていたのだ。

そして天秤にかけていたのは命と命で、金なんかではないのだ。

今、命を軽んじた男が、自ら命綱を切った。


「いやっ!いやぁぁぁ!!何で!?何で!?お義母様!?」

一瞬だけ流れた沈黙を、当主の奥方の悲鳴が切り裂いた。

贄を探す異形の中に、見知った顔を見つけてしまったらしい。

「そりゃあ『神』の力を受けたんだ。魂を繋ぎ止める肉体が無くなれば、その力ごと『神』の中に還るのさ」

甲高い声をあげて騒ぐ奥方に、片耳を押さえながら、うるさそうに乾老は言う。


「力!?受け入れる!?」

分厚い化粧の層があってもわかるほど奥方の顔色は悪い。

「その『お義母様』とやらは『神』の力の恩恵に預かっただろう」

「恩恵!?えぇ!?何!?どう言う事!?どう言う事なの!?死ぬのは長男だけなんでしょう!?」

叫びながら這いずりながら寄ってくる奥方に、乾老は迷惑そうな視線を投げかける。

「長男を贄に捧げる事で、お前さんたちは、あの『神』を維持し続けてきた。そしてその力を、富という形で受け取ってきた。で、最終的になる。身体中探せばもっと知った顔がいるはずだ」

端的な説明に、奥方の口からはガラスのひっかき音レベルに不快な、高周波な悲鳴が上がる。


「アナタ!どう言うことなの!?生贄は長男だって!一人捧げれば後は裕福に暮らせる!そうでしょう!?そうよね!?」

奥方は当主に向かって叫ぶが、当主も戸惑いを隠せない。

「う……うるさい!こんなポッと出の老人の言うことなんて信じるな!これは我が一族に繁栄をもたらすまじないなんだ!!露払いさえ与えれば俺たちは死なない!落ち着け!」

「いつかは私たちも死ぬじゃない!死んだ後はどうなるの!?」

「そんなもの……!俺が知るわけないだろ!!」

当主夫妻は醜い言い争いを始める。

お互い初めて異形を見たせいもあって、到底冷静にはなれないようだ。


その醜い争いを見ていた父親はガクリと地面に崩れ落ちる。

「離れてみて……家族としての大切さに気がついてくれて……受け入れられたと思っていたのに……」

乾老が語ったことが全て本当だと突きつけられ、表情がうつろになっている。


地面に座り込んだ彼は、ノロノロと向きを変え、乾老に向かって土下座する。

「妻と……お腹の子供を助けてください……」

そして震える声でそう告げた。


「ちょっと!!」

「准!!」

争っていた夫婦はギョッとして息子に詰め寄ろうとする。

「お静かに」

そんな二人を制したのは、峰子だ。

腰を抜かして、まだ四つん這いの奥方のスカートを踏み、当主の襟首を指先だけで摘む『ばっちい』持ちをしている。

あまり力が入っていなさそうなのに、老夫婦は完全に捕えられている。


「神に誓えるかい?」

「………はい」

「神への誓いは覆せない。それでも良いかい?」

「はい……お願いします」

乾老は大きく頷いた。

「じゃあ取り敢えず、家との離縁を宣誓する。その後にお子さんに紐付けられた呪いを返す……五味君!」

おいでおいでと手を振られて、サポート役の五味は走り出す。

もちろん、しっかりと異形から距離をとりながら、だ。


話をしている間に異形から伸びる鎖は四本までに増えている。

「うひゃぁぁぁ〜〜〜」

まるで太陽を探して伸びる芋の芽だ。

食べ忘れていたサツマイモが、正にあんな感じになっていた。

(あ、そういえば、あのお爺さん、鎮めの言葉をすっかり忘れてるんじゃん)

何でこんなに急激に、異形の気持ち悪さがバージョンアップしたのかと考えてみたら、動揺した当主が祝詞をやめたからだと気がつく。


「止まって!!」

そう思い当たった次の瞬間。

トットットっと走っていた五味の横を、小さな影が走り抜けた。

それとほぼ同時にヒュッと空を切る音が響く。

「へっ?」

驚いて足を止めた五味の眼前を、鈍い音を響かせながら黒い物が吹っ飛んでいく。


「えっ?えっ?」

五味以外の味方の動きは早かった。

素早く父親を背中に庇った乾老、そして当主夫婦を放り投げて、その横に駆けつける峰子。

「……匂いでも似てたの?贄をお間違えよ?」

そう言ったのは、香炉を腰に戻し、薙刀を構えた和泉慧だ。


五味の目の前を通って打ち返された黒い物———異形から伸びた鎖は、鎌首を持ち上げる蛇のように、振り上がる。

そして獲物に飛び掛かるように、一直線に父親に向かって伸びていく。

「この老ぼれ化け物!老眼か!」

慧は怒鳴りながら、再び鈍い音を響かせて、薙刀で正確に鎖を薙ぎ払う。

「……しつこい!!」

そしてもう一本、下から這いずって近づいて来た鎖を、鈍い音を響かせながら蹴り飛ばす。


弾かれた鎖も、他所を探していた鎖も、明らかに父親を標的として動き始めている。

「だから!間違えてるって!言ってんじゃないの!!」

それを身長よりも大きな薙刀と、蹴りを巧みに使って、それを慧が次々に退ける。

「こんの!クソ老害!耄碌モーロクすんな!」

計四本の鎖を、打ち返し、蹴り飛ばすたびに怒鳴っているが、その言葉がどんどん悪くなっている。


「ふっ!!」

鎖の防衛戦に峰子も加わり、回り込んできた蹴り飛ばすが、小さく顔を歪める。

「下がって!コイツら実体歴五分のくせにクソ生意気に重量を持ってやがるから、怪我するよ!」

峰子が蹴り飛ばした鎖を更に打ち返しながら、慧は怒鳴る。

「貴女は!?」

「足も薙刀も鉄板入り!実戦用に少々ウェイトをトッピングしてる!」

華奢な体つきに似合わない安全靴を履いていると思っていたら、そう言う事情だったらしい。

よくある競技用の竹製ではなく、木刀であるにしても、音が重いと思っていた薙刀も、特製だったらしい。


「奇遇ですね。私もトレーニング中に急いで出て来たので……多少の負荷ウェイトをつけっぱなしだったんです」

そう言って、峰子はここまで不自然なくらい、室内でも脱がなかった超ロングのコートを、後ろに脱ぎ捨てた。

「……わお……」

その姿を見た五味は思わず声を漏らしてしまった。

ハイネックの体にピッタリと沿ったシャツと、細身のジャージ。

その上から装着されていたのはアンクルウェイトとかリストウェイトとか可愛らしい言葉では表現できない負荷おもしだった。

前腕部と脛の全てを覆う、分厚く巨大な黒い装甲は、まるで戦国武将が身につける籠手と脛当てのようだ。

こちらも絶対鉄板入りだ。


(地味に……お腹がシックスパックなのでは……!?)

少なくとも五味の数十倍頼り甲斐のある体だ。

「これは……心強いわ」

「お任せください」

二人の女性は好戦的な微笑みを交わす。


「峰子ちゃん、和泉の嬢ちゃん、本体には絶対に触れたら駄目だよ!五味君、悪いが彼を持って来てくれ!」

乾老も急ぎで出て来たせいか、義足が運動用ではなく、通常使い用になっている。

そのせいか、いつもなら大人一人くらい担いで動けるのに、五味に指名が来る。

「えぇぇぇ〜〜〜」

地面にへたり込んでいる父親は大柄ではないが、もやしっ子の五味には負荷が大きい。


「タケ、思った以上に崩壊が激しい。こちらが始め次第、そちらも開始してくれ」

乾老がインカムに向かって話しかけていた時だった。

「嫌よ!嫌っっ!私は関係ないわ!あんな化け物、私には関係ないわ!もう嫌!こんなの嫌!」

今までも何やら叫んでいた奥方が、一際ヒステリックな声を上げた。

それと同時に、両手を突き出し、八つ当たりのように当主を突き飛ばした。


「「「「あ」」」」

連絡をしていた乾老、ヒィヒィと言いながら父親を引き摺っていた五味、襲い来る鎖を退けていた慧と峰子。

全員の声が被った。

皆の目の前で、突き飛ばされ、たたらを踏んだ当主が、ドスンと異形の体にぶつかってしまったのだ。


「……お祖父ちゃんが『絶対に触れたら駄目』なんてフラグを立てるから……」

一瞬にして広がった静寂に、妙に冷静な声が響いた。

「俺のせいなのかい?」

複雑な顔をして問いかける乾老に、五味は答えることが出来なかった。


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