20.父、選択を迫られる

自分が生まれたのは、田舎にありがちな旧民法の名残を強く残す旧家だった。

近年『親ガチャ』なんて言葉ができたが、その表現にのるなら、自分はレアリティだけウルトラレアの無能カードを引いたようなものだと思っていた。


身の回りの物は全て一級品、住んでいる家は豪邸、住み込みの家政婦までいる富豪。

常に綺麗な服を着て、美味しいご飯を食べさせてもらえる。

産業という産業もない地域で、周りに裕福な家がない中、不思議と自分の家は資金が尽きることはなく、金銭的な不自由などは一切なかった。

周りから見たら、恵まれ過ぎているほどに、恵まれていただろう。


しかし家には、今の感覚では理不尽としか思えない、家督は長子が相続すべしという考え方が深く根付いていた。

そのせいで両親の目は、常に年子の兄しか見ていなかった。

成績表を見て褒めてもらえるのも、家庭教師をつけられるのも、興味を持った習い事に通わせてもらえるのも、誕生日を祝われるのも、長男の兄のみ。

次男である自分と、末っ子長女の妹は、『部屋住み』もしくは『家を出る人間』としてかえりみられる事はなかった。


話しかけても興味なさげで、相槌さえ打たれない。

成績など気にされたこともなく、学校行事にも現れない。

習い事をしたいと言っても『無駄』と切り捨てられる。

毎日着る服を整え、話を聞いて、成績を褒め、学校行事に来てくれるのは、いつもお手伝いさんだった。


完全に不干渉ならば、それはそれで良いのに、通う学校などは指定される。

『中途半端に干渉されて迷惑』と、妹とは愚痴をこぼしあう関係だった。

物には恵まれたが、親には恵まれなかった。

そのせいか、心にはいつも穴が空いているような子供時代だった。


ついにその家に我慢ならなくなったのは、高校卒業を目前に控えた日のことだった。

滅多に話しかけてこない両親が、二十代半ばくらいの女性を伴って、『卒業と同時に結婚し、離れに住まわせる』と、まるで決まっていたことのように宣言してきたのだ。

女性には死別した前の夫との間に子供がおり、その面倒を見るようにとも言われた。

行きたかった大学を受験することすら許されず、好きでもない女と結婚し、血のつながりのない子供の面倒を見ろ等と正気の沙汰ではない。


すぐに細々と貯めていた金だけを持って、家から逃げ出した。

金の力で探されるのは分かっていたので、各地を転々としながら働いた。

そうしているうちに逃亡者のような生活に疲れ、暖かい家庭というものに憧れて、一人の女性と身を固める事を決めた。

お互い新卒に毛が生えた程度の給料で、決して裕福とは言えなかったが、お金よりも愛のある家庭を作れれば良いと、踏み切った結婚だった。


親には何の期待もしていなかった。

結婚の挨拶も、儀礼的なもので、一応の義理を果たし、もうそちらが望む相手とは結婚しないと宣言するつもりで行った。

自分に情のない両親だから、出会い頭に罵詈雑言を浴びせ掛けられて、最悪妻となる人の紹介もできずに終わっても不思議ではないと思っていた。


それなのに降り立った空港で待っていたのは、笑顔の両親だった。

『よく帰ってきてくれた』

『無理強いをした私たちが悪かった』

『お前がいなくなって初めて過ちに気がついた』

そんな夢の中でしか聞けなかった言葉と共に、連れて行かれたのは、兄の誕生日の時によく利用していた高級料亭だった。

そこの大広間を貸し切って、一族総出の歓待。

こんな事は兄でさえしてもらった事がないのではないのではないだろうかという、歓迎ぶりだった。

結婚を上機嫌に『良くやった』と褒め称える両親と、これで家も安泰だと笑顔を見せる叔父や叔母。

小さい頃は見下した視線のみで、声すらかけてこなかった兄さえ『安心した』と肩を叩いて酒を注いできた。


実家なんてどうでも良かった。

良いはずだった。

それなのに一度家を出て、自分の力で新しい家族を手に入れた事によって、元の家族にも受け入れられた。

両親も、兄も、兄の婚約者も、自分を褒め称え、受け入れてくれた。

『気持ち悪いと思わないの?』

唯一、他県の大学に出ていた妹だけはそう言ったが、その言葉は未だ受け入れられない者の妬みの言葉に聞こえた。


結婚して一人前になったから、親に認められた。

幼い頃からの渇望が一気に癒えていくような気がした。

『早く子供を』

と言われる事に、妻は眉を顰めていたが、初めて親から希望を持たれた喜びが優った。

子供ができた時も諸手を挙げて『でかした』と褒め称えられて、『跡取りだからこちらに帰ってこい』と言われ、迷わず転勤願いを出してしまった。

『私の仕事はどうするの?』

妻は怒ったが、『妊婦に仕事をさせるのは可哀想だ』と、親が妻の給料など比べ物にならない額の援助してくれるたので、問題ないと思った。


腹の子が女の子だと判明した時、実家の面々は明らかに失望した。

『男の子以外を産んでも意味がないと思うの』

実家は古い考え方なのだと何度も伝えていたのに、そんな言葉に妻は激怒したので宥めるのに苦労した。

次男になど価値はないと言う姿勢も、二十年以上経ってようやく改善されたのだ。

女の子が可愛いという事がわかるのにも時間がかかると、何度も根気強く妻には諭した。


しかし妻は全く理解する事なく、実家と距離を取ろうとした。

子供が産まれても、両親から遠ざけようとする。

触れさせて実際の可愛さを見せなければ、両親がわかる日は来ないと言っても通じなかった。

『この子が男の子だったら良かったのに』

『次の子は?』

『産み分けをやってみたら?』

聞き流せば良い、そんな言葉を真に受けて、どんどん彼女の足は実家から遠ざかった。


両親たちは確かに無神経だが、いつかはわかってくれるのだ。

それがわかっているのだから、適当に流していたら良い。

『お前の所に生まれた男の子がうちの跡取りだ』

次の子も楽しみにして、自分たちに期待してくれている事には間違いないのだ。


しかし妻はやはり理解してくれない。

援助はいくらでもすると言われているのに、早々に仕事を見つけて、子供を保育園に預けてしまった。

『援助が悪いと言わない。でも私たちは自分たちの力で家庭を作る努力を忘れてはいけないわ』

彼女はそうかたくなに主張した。

そのせいで次の子をと望む両親と、妻の関係はどんどん悪くなっていった。


娘を両親から引き離そうと動くし、就職したてで妊娠は出来ないと、次の子を作るのにも非協力的。

せっかく両親が自分たちを認めようとしてくれているのに、どうしてこんなにも妻は非協力的なのだと、苛立ちは募った。

仕事を始めたのは妻のワガママだったし、喜んで保育園に行く娘にも腹立たしさがあった。

そのせいで育児参加は確かに殆どしなかった。

しかしそれは勝手な妻に対する罰だったのだ。



自分に非はないはず。

おかしいことはしていないはず。



「『初めまして』。保育士の乾です」

しかし初めて訪れた保育園で対応に現れた保育士は、絶対零度の凍てつくような声と視線で対応してきた。

小柄な妻と違って、女性としてはかなりの高身長であるせいか、圧迫感が凄い。

およそ『保育士』という職業の柔らかくて優しそうなイメージからは遠い、極道の妻のような、空気全体がヒリつくほどの緊張感のある空気だ。


「は、初めまして。あの、電話の通り、妻と子供を迎えに来ました」

両親が怒り混じりに、妻を連れてこいと連絡してきたのは二時間ほど前の事だった。

平日の疲れを寝て癒していたので、妻と娘が家にいない事に、その電話で気がついた。

慌てて妻に帰ってくるように連絡しても『第三者がいる保育園で話がしたい』と返されるのみ。

苛立って電話したら、この乾という保育士が代理で出たのだ。


「電話でお話しした通り、こちらはお父さんも揃っての、これからの通園についてのご相談をさせていただく予定ですが?」

保育士は眉一つ動かさずに、こちらの要求を切って捨てた。

電話の時と同じだ。


『妻と代わってくれ』『こちらに帰るように伝えてくれ』と言っても、暖簾に腕押し。

全くこちらのいう事を聞く気がないらしく、話が通じない。

両親が面倒を見てくれるから、もう保育園には通わなくて良いと言っても、『奥様はそうは言われていません』と弾き返される。

一方的に妻の擁護をする。

最終的には『臨月の奥様に全ての育児を押し付けて家事もせず、奥様の不安にも一切耳を貸さず、両親の言いなりの、どこに出しても恥ずかしい父親失格のボクちゃんが第三者の視線に晒されるのは、まともな神経を持っていたら自害するレベルで耐えられないのは百も承知ですが、少しでも自らをかえりみる事ができる知能があるなら、こちらにおいでください』と、完全無欠に慇懃無礼な言葉を吐き捨てられて電話を切られた。


仕方なく、乗り込んできた両親を連れて、保育園まで出向く羽目になってしまった。

「あのねぇ……貴方は妻の言葉だけを聞いて決めつけているようですけど……」

「ええ。ですからお父さんの言葉も聞こうと、ご足労をお願いしたわけです。主義主張は中でご存分になさってください」

底冷えするような声は一切の反論を許さない響きがある。

保育士というより、恐怖の館の管理人とかの方が似合いそうな女性は、保育園の門を開いて迎え入れる姿勢を見せる。


「あ、保護者様以外の入園はご遠慮願います」

しかし続いて入ろうとした両親をあっさりと拒否する。

「はぁ!?」

後でイライラしていた母が声を上げる。

「セキュリティの問題上、当保育園は保護者以外入れないのです。申し訳ありません」

全く申し訳なく思っていない顔で保育士は母の前で門を閉めようとする。


「私は祖母よ!?保護者でしょう!?」

「保護者とは園児の親権を持つ人、もしくは後見人を指します。貴方はそのどちらでもありませんし、保育園のお迎えリストにも登録されていませんので、入れられません。尻尾を巻いてお帰りください」

何気に言葉が悪い。

「せっかく来た祖父母を追い出すっていうの!?」

「お遊戯会、運動会、夏祭り、園内バザーは一般参加も可能ですので、その時はお待ちしております」

SF映画に出てくるロボットですら、もうちょっと暖かい反応ができるのではないかと思うほど、冷淡に保育士は門を閉めてしまう。


そのまま踵を返してしまうので、流石に止めにかかる。

「ちょっと……!人の親を締め出すなんて……」

しかし言い返す前に、氷のような視線で貫かれる。

「貴方自身がもう『人の親』なんですよ。いつまで両親の可愛いボクちゃんでいるつもりです?」

「は………?」

言い返そうとした時、ガチャンと門が音を立てた。

「この!無礼な女め!!笛吹の家の力を知らないのかい!?こんな小汚い保育園なんていつでも潰してやれるのよ!!」

腹に据えかねた母が、閉じた門を蹴ったのだ。


「大体、何だい、このみっともないブルーシートは!おおかた塀の修繕費が出せなくて、こんな状態なんだろう!!貧乏人の吹き溜まりが!!」

続けて門の隣のフェンスにもガチャンガチャンと蹴りを入れる。

「ちょっと母さん……」

確かに保育園のフェンスは全てブルーシートに覆われていて、旧家の女主人から見ると、みすぼらしいのだろうが、だからと言って蹴っていいわけではない。

普段の余裕がある女主人ぶりが嘘のように、汚い言葉を吐きながら門やフェンスを蹴る姿に戸惑ってしまう。


「小汚いのではなく趣があるのです。あ、その門は取り替えたばかりの強度マシマシなので、老人の蹴りくらいでは開きませんよ。あと、フェンスも取り替えたての新品ピカピカなので、明日除幕式するまで覆っているんです。ですので、その小汚い足で蹴るのはご遠慮願います」

切れ味抜群の、凍える声が母に向かって放たれた。

保育園を小汚いと言われたのを根に持ったのか、しっかりと同じ言葉を返している。


「このっっ、小娘!!」

普段は旧家の奥方らしい、たおやかな佇まいの母が、唾を吐きながら怒鳴る。

こんな大通りに面した場所で、こんな醜態を晒すなんてあり得ないことだ。

「と……父さん……とりあえず、母さんと家で待ってい……て……?」

そう言い掛けて、父の異様な父の様子に気がつく。

いつもなら真っ先に激昂しそうな、気位の高い父は、血走った目で何かをブツブツと呟き続けている。


(そう言えば今日は母さんが喋ってばっかりだ)

父はギョロギョロと何かを探すように目を動かす。

そしてフラフラと門に近づいて来ると、おもむろに両手で門を掴み、まるで檻を揺らすゴリラのように揺らし始める。

「と……父さん……?」

痩せ衰えた高齢者とは思えない力強さで門が鳴る。

その音が周りに響き、保育園前の大通りを歩いていた通行人たちも、何だ何だと注目し始めているのがわかる。


これ以上両親たちが醜態を晒すのは避けたい。

「峰子ちゃん、良いよ。うるさいから入れちまいな。どうせ中にまでは入れない」

そう思った時、明るい声が保育園の中からかかった。

「……桜さんの負担になるわ」

「負担ってほどじゃないよ。とても元気でいらっしゃるからね」

そこに立っていたのは、どう見ても保育園関係者には見えない、顔に傷のある、独特なファッションの老人だった。


ため息を一つついて、保育士は門の裏側にある電子錠の操作盤に触れる。

「アンタは責任者かい!?この無礼な小娘をさっさと処分しなさい!!まさかこの辺りの人間で笛吹の名を知らないわけじゃないでしょうね!?」

門の電子錠が開く音ともに、いきり立ちながら母が門を開ける。

「『笛吹の名を知らないのか』ときたか。じゃあ俺も言わないといけないねぇ」

殴り込むような勢いで入ってくる両親を見ながら、老人が愉快そうにニヤニヤと笑う。


「『仮にも外法を使う者が、乾の名前を知らないのかい』?」

少しばかり演技じみた様子で、老人がそう続けた。

「はぁ!?何がイヌイよ!イヌイなんか……あ………イヌイ………乾!?」

老人に掴みかからんばかりの勢いで進んでいた母の足が、急にピタリと止まる。

母と同じように勢い良く入って来ていた父は、母の少し後ろで、何か透明な壁にぶつかったように、勢い良く弾き返され、倒れた。

「え……!?父さん!?」

思わず駆け寄ったが、当然父の前に透明な壁など存在せず、あっさりとその手を取って立たせることができた。


自分たちの後ろでは、保育士が無表情に門を閉め、隣のフェンスにかかっていたブルーシートを伸ばして、門を覆った。

———閉じ込められた。

何故かその瞬間、そう感じた。


「せっかく峰子ちゃんが名乗ってやったのに、騒ぐから。歳をとると、脳の引き出しから知識を取り出すのも一苦労なのかねぇ。歳はとりたくないねぇ」

揶揄うように顔に傷のある老人は声をかけてくる。

「あ……あ……でも……乾は……乾は藤護と袂を分かったって……」

母は呻くように呟く。

その顔は分かりやすく動揺しており、怒りで赤く染まっていたのに、一気に血の気が引いて白くなっている。

自分の手をとってヨロヨロと立ち上がった父が、母の横に行こうとするが、再び透明な壁に弾き返さる。


「馬鹿言っちゃいけない。乾は藤護から離れたりしない。ただ一方的に心底ゴキブリ蛆虫並みに嫌われてるだけさ」

突然顔色を変えた母や、まるでパントマイムのように一人だけ透明な壁に阻まれている父の異様な様子がなければ、老人の笑みは人懐こい明るいものに見えただろう。

しかし今はその明るさが薄気味悪い。


「お祖父ちゃん、悲しいストーカー宣言は良いから。早く切り離しに入って」

ブルーシートで完全に大通りからの目隠しをした保育士は、牽制するように母の横に立つ。

大通りからの音が、シートによって遮られ、全ての音が遠くなった空間は非現実的で、急激に喉の渇きを感じる。

怪しい格好の老人に、保育士を名乗っているのに全くそれらしくない女性、いつもと違って情緒のブレの激しい母、ずっと何かを呟いている様子のおかしい父。

全てがおかしい。

理由も言わずに、とにかく妻を家に連れ戻せと言う両親からの連絡で目を覚ましたと思っていたが、まだ夢の中にいるのではないかと思ってしまう。

これが悪い夢ならば、いつもは何だかんだと言いながらも、自分の要求を聞いてくれていた妻の突然の抵抗にも納得がいく。


「峰子ちゃんはせっかちだねぇ。まぁ、陽が落ちる前に決着をつけないといけないからねぇ」

そう言って老人はにこやかな視線をこちらに向けた。

「じゃあ話を始めようか。戸籍上、笛吹の長男君」

「………………は?」

一体何を言われるのかと緊張していたら、思ってもいなかった呼び方をされて、面食らってしまう。

「長男って………は?俺は次男ですけど………戸籍上?」

全く意味がわからない。

戸惑って両親を見ると、母は地面を見つめるように顔色の悪い顔を俯け、動き続けていた父はピタリと止まる。


再び老人の顔を見ると、彼は少し哀れんだような表情になっている。

「いいや、君は長男だよ?先程超特急で役所に問い合わせさせたからね。間違いない」

老人の言葉に母が息を呑む。

「笛吹の家の籍にいるのは戸籍筆頭者笛吹うすい実光さねみつ、その配偶者・恵美子えみこ、そして婚姻して籍を離れた長男・じゅん……後は認知された子供が二人」

「は…………?」

突然言われた言葉は、意味不明すぎて、理解できなかった。

父の名前はあっているが、母の名前は恵美子ではない。

「え………恵美子……恵美子って……」

それは自分たちの世話をしてくれていた住み込みの家政婦の名前だ。


「……えっと……意味が………」

今まで両親と兄と自分と妹の家族だと思っていたのに、『父の配偶者に家政婦の名前があって、自分しか子供がいない』などと言われて、すぐに受け入れる人間はいないだろう。

助けを求めるように両親を見るが、彼らと目が合うことはない。

「君は謄本を見たことがないだろう?何かと理由をつけて妨害されたはずだ」

言われてみれば、結婚の届を出す時も、本籍地である地元で謄本を取った親が上京してきて、祝われながら皆で出しに行った。


「ご両親は、それは苦心したはずだよ。何せ、君は生贄を作るための大切な種馬だ。万が一にも事実を知って逃げられるわけにはいかない。いや、奥さんの話から推測したら一度逃げられたのかな?だから二度と逃がさないように、懸命に囲い込まれたはずだ」

「生贄……?種馬……?一体……何を……」

老人は哀れな物を見る目でこちらを見る。

「笛吹の家はね、『人ならざる物』に生贄を捧げて栄え続けた家なんだ」

そして彼は荒唐無稽な話を始める。


「不思議に思った事はないかい?地価も安い、特産もない、工業もない、こんな土地で不労所得だけで贅沢な暮らしを続けられる自分の家に」

意味のわからない話を始めるなと、切って捨てたかったが、声が喉に張り付いたように出てこない。

確かにうちは一体何で稼いでいるのだろうと不思議に思っていたのだ。

「富を得る代わりに我が子を異形に与えるって話は、昔から割と良くある話だよ。異形に困り事を解決してもらう代わりに娘を嫁がせると約束する、なんておとぎ話、聞いた事あるだろう?」

老人は淡々と語る。

「『異形に嫁ぐ』なんて言えば聞こえはいいが、実際はただの生贄さ。捧げるものが大切な物であればある程、引き換えに得られる物は大きくなる」

まるで常識だとでも言いたげな調子で、意味のわからない話が続けられる。


「だから笛吹の家では大切な長男を差し出していたんだろうね。旧民法までは家督相続するのは長男で、それ以外の子供との価値は段違いに高かった」

「……あの……ちょっと……」

ついていけない話を遮ろうとするが、弱々しすぎる声は届かない。


「多分、最初は本当に長男を差し出していたんだと思うんだけどね。大切なものは捧げないで恩恵だけ受け取りたいって、欲が出るのが人ってものだ。だから笛吹では妾を仮初の正妻に迎え、生贄用の長男を作るようにした」

「は………?」

その話が正しいのなら、生贄になるのは自分だ。

大きな矛盾に眉を顰めていると、老人は『早まるな』とばかりに手を振る。


「しかし正妻に男児が生まれない事があったらしい。そのため、長男を産んだ者を内縁の妻、次男を産んだ者を正妻とした。そして捨て石の次男を嫡男として一度家を継がせた事にして、その子供を生贄に差し出すようにしたんだ。事が終われば正妻には暇が出され、内縁の妻と長男を正式な妻と跡取りとして迎え入れる。こうやって『価値がある長男』を贄に出さない方法を確立したんだ」

老人は恐ろしい事をツラツラと話す。

その話を何度も母が叫んで中断させようとしていたが、『お静かに』と自称保育士にシメられて、強制的に黙らせられていた。


「そんな………そんなのデタラメだ!!大体、何で余所者のあんたがそんな事を知っている!!」

その話が正しいとするなら、兄と妹は母の子供で、自分だけ家政婦さんの子供ということになる。

自分がただ生贄を作るための種馬として生み出されたなんてあり得ない。

「俺はちょいと『目』が良くてねぇ。何も知らずに我が子を奪われた上に、恩恵の分け前を与えられたことで呪いに食われた奴らが苦しみ抜いている姿が見えるのさ」

老人は目を細めて、歯をガチガチと鳴らしている父を、いや、その後ろの何もないはずの空間を見つめている。


「結婚式かそれ以降のお祝いとして、家で儀式めいたことをしなかったかい?」

老人は信じろと言わない代わりに、不安材料を引き出していく。

確かに全てのお金を出すからと、実家で挙げた結婚式には、よくわからない古い言葉での問答など、不思議な儀式がいくつもあった。

「……結婚式なんて、地方地方で変な風習が残る物だろ!」

不安をかき消すように叫ぶと、老人は哀れなものを見る顔になる。


「仮初の嫡男に『家を継がせた』という体裁を繕うために、当主としてのお手当のようなものが貢がれていないかい?」

そう言われて、脳裏には『奥さんの給料の代わりに』と両親から渡された金が過ぎる。

妻の給料とは比べ物にならない額の援助金が、疑惑を広げる。


「違う!違うわよ!!全部嘘よ!!」

母が、いや、母だと思っている人が叫ぶ。

そう言えば、その顔に自分と似た所は一つもない。

そして寂しがる自分を抱きしめてくれた家政婦さんには、耳や目の形など、不思議と似ているところが沢山あった。

『近くにいると血のつながりがなくても似るんだ』と思った過去の自分が、今の自分の首を絞める。


ガクガクと震える膝から、今にも力が抜けて、地面にへたり込んでしまいそうだ。

「さて。ショックを受けている中、申し訳ないが、君には選んでもらわなくてはならない。自分の子供を守るために、元の家族を捨てるか、ご両親の可愛い息子でいるために、自分の子供を捨てるか」

老人は無慈悲な選択を迫った。

「あ、子供を捨てる場合、その瞬間から私は敵になりますので。そのようにご了解ください」

騒ぐ母を押さえつける自称保育士はダメ押しのように、そう呟いた。


老人の話には『そう言えば』と思う事はあれど、確たる証拠は何もない。

そんな状況で何を判断すれば良いと言うのか。

声は喉に張り付いて出てこなかった。


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