19.聖女、聖女と会う

お腹からじんわりと全身に広がる熱と、満腹の心地良さ。

更に自分をしっかりと包んで守ってくれている温かさ。

内側も外側も満たされて、欠けたところがない。

アーシャは幸せな気持ちで、温かな中をたゆたう。


「アーシャ」

そんな中、彼女の名が呼ばれる。

柔らかくて落ち着いた声。

知らないはずのに、妙に耳に馴染むその声に、アーシャは幸せな気分で閉じていた目を開けた。

「ん………んんん?」

そして目の前にいる人物の顔を見て、眉を寄せた。


黒く波打つ長い髪。

蝋のように白い肌。

暗いオリーブ色の瞳。

薄幸そうな淡い色の唇。

煤けた黒一色の、すこし裾のほつれたローブ。

草臥れた紐と皮で作られた簡素過ぎる靴。

「…………私?」

しみじみと鏡を見て過ごしたことはなかったが、沐浴だけは毎日させられていたので、自分の顔には何となく見覚えがある。


しかしこんなに苦労と幸薄さが滲み出るような雰囲気だっただろうかと首を傾げていたら、

「うん。アーシャだよ」

目の前のアーシャは頷いた。

微笑んでいるのに、その笑みが寂しそうに見えるのは何故だろうか。


「……私ってこんな感じだったっけ?」

素直な感想を口から零れたら、寂しそうな笑みが、ほんの少し明るくなった。

「これでも元気になったんだよ」

もう一人のアーシャはそう言って笑う。

「大切にされて、すごく幸せだね」

「………?うん、すごく幸せだよ?」

「だから、ちょっとだけ笑えるようになったんだ」

体を起こしたアーシャの手を取りながら、もう一人のアーシャが切なく笑った。


「ゼン、優しいね」

「うん!いっつも一緒にいてくれるし、凄く大事してくれるの!大好き!!」

「ずっと一緒にいたいね?」

「うん!ずっと一緒にいたい!早く大きくなって、一生懸命この国の事を勉強して、私も沢山大事にし返したいの!」

自分自身と対話するなんて変な話だ。

でも相手も自分なので、何も隠すことがなくて気楽だ。


アーシャを立ち上がらせた、もう一人のアーシャは、その意気込みを聞いて目を細める。

その姿は今にも消えそうな儚さで、見ているだけで胸が痛くなるような切なさを覚える。

(あれ………?私?……これ、私?)

自分は決して儚げに分類される人間じゃないと思っていたので、アーシャは少し戸惑ってしまう。


「お母さんも、お兄ちゃんたちもいないけど、全然寂しくないね?」

もう一人のアーシャは、手を引いて歩き始める。

「あぁ、えっと……うん……。寂しいなって思ったらゼンがいてくれるし。ユズルもいるし。ユッキーとか、みんな凄く良くしてくれるから。寂しくはないかな」

アーシャの返事を聞いた、もう一人のアーシャは微笑んだ。

笑っているのに泣きそう、そんな笑顔だ。


「えっと……大丈夫?何か悲しい?」

アーシャが心配して問いかけると、もう一人のアーシャは首を振る。

「あのね……このまま、小さいままでいられたら、ずっと幸せなの。何も思い出さないで、大切にされて、毎日おなかいっぱい食べて、幸せな思い出だけを重ねて、少しづつ成長していける」

「……………?うん」

「でも……それじゃ間に合わない。大切な人を守れない」

アーシャは自分の憂いに沈む横顔を見つめる。


「大切な人……ゼンとか、ユズルとか?」

そう聞き返すと、もう一人のアーシャは目を細める。

「……どうしたの?」

「ううん。『大切な人』がすぐ出てくるの、良いなぁって」

ふふふと笑うもう一人のアーシャにつられて、アーシャも笑う。

「うん!幸せなことだよね!」

しかしすぐに相手の笑みは切なさを滲ませる。


「でも……その大切な人を守るために、私と私が別々に存在していてはいけないの。今の私は基本的なことはできるけど、知識も力も欠けたままだわ。全然足りない」

「え!?そうなの!?んじゃ早く一緒にならなくちゃ!!」

「………うん」

勢い込んで言うと、もう一人のアーシャは悲しげに頷いた。


「大切な人を守るために、知識と力は絶対に要るものだよ。……でもそれは、自分を縛る記憶と切り離せない。折角忘れられた辛い事も思い出してしまう。……そうしたら、今のように楽しいだけでは、いられなくなるかもしれない。………それに急に大きくなったら、ゼンたちはきっと驚くわ。気持ち悪く思われて、遠ざけられてしまうかもしれない」

悲しげな目の奥には、苦悩が見え隠れしている。


アーシャは繋いだ手に力を込めた。

「確かに、ゼンたちから嫌われるのは嫌だよね」

「うん」

「でも、選ぶ答えは、もう決まっているよね?」

相手が他人なら話は別だが、自分ならば選ぶ答えは一つだとわかっている。

「…………うん」

泣きそうな顔で、もう一人のアーシャは頷いた。


「でも……あんまりにも幸せで……このまま、ただの子供として愛されて、少しづつ幸せな記憶を積み重ねていく……そんな優しい夢を見ながら消えてしまいたい。……少しだけ、そう願ってしまったの……」

はらはらと零れ落ちる涙は、自分から出ているとは思えないほど、儚く、美しく輝く。

やはり自分の記憶は欠けているのだと納得すると同時に、これ程までに『自分』が弱々しくなってしまった原因は一体なんだろうと、思い出すのが少し恐ろしくもなる。


「………でも、大事だよね?」

アーシャが尋ねると、もう一人のアーシャは頷く。

その目は悲しみの中に、決意を秘めている。


「これから『トチガミ』を取り込んだ呪いが、やってくるわ」

彼女は足を止め、前方を指差す。

「『トチガミ』………?」

首を傾げながら、その方向を見て、アーシャは息を呑む。

一見すると足を引き摺るようにして歩く老婆。

しかし腰が曲がったシルエットの頭部、長い白髪から覗く顔には、二つの顔が場所を奪い合うように生えている。

明らかに人間ではない。

顔以外も、張り付く場所を奪い合うように、身体中に所狭しと顔が生えている。

「ま………魔物……!!」

そうとしか思えない見た目である。


「この国には吹き出した神気が吹き溜まって、時々意思を持つことがあるんだって」

魔物に驚く様子もなく、もう一人のアーシャは淡々と語る。

「神気が……意思を持つの!?」

「うん。瘴気も実態や意思を持ったりするって」

驚きの情報である。


「ここの国の人たちは神気の塊も、瘴気の塊も、強い物は『神』って呼ぶんだって」

「へぇ〜〜〜強いと『神』。導いたり、与えたりしなくても?」

「うん。『モノノケ』『オニ』『ヨカイ』って呼ぶこともあるらしいけど、人間では対抗できない強さの物は大体『神』で、それをうやまたてまつることで、その存在を鎮めたり、恩恵を受けようとするんだって」

強ければ神という、ざっくりとした判定が面白い。

アーシャたちの国なら魔物とか魔族とか名前がつくところだろう。


「あれは、まだ完全に一つの存在になりきっていない状態の『トチガミ』を見つけて、その力を我が物にしようとした一族の成れの果て」

冷え冷えとした目で、もう一人のアーシャは魔物の表面に生えた顔たちを眺める。

「国が変わっても世界が変わっても、権力者は神の力を求めてしまうのね」

少し皮肉っぽく笑う姿に、アーシャは首を傾げる。

「神の力………?」

「私たちの国の王侯貴族は神の肉を食むことで力を得たけど、こちらの国の権力者は一族の者を神と同化させる事で、力を身内に引き込もうとした」

「ええええ!?」

アーシャは目を剥いてしまう。


当然のように語られる、もう一人のアーシャの言葉は衝撃的だった。

「神……神……神って肉、肉あるの!?」

衝撃すぎて、今聞くべきでない事もわかっているのに、ついついそんな事を言ってしまった。

そして不届きにも、一瞬、その肉はどんな味なんだろうなどと考えてしまった。


「………あぁ……そこも欠けてしまっているのね……」

アーシャのあんまりな発言に驚いていた、もう一人のアーシャは苦笑する。

「その辺りはいずれ思い出すから」

そう言ってアーシャの国の神についての説明は流されてしまう。


「最初の生贄は……神と同化しやすかったであろう『ミコ』」

「ミコ?」

「この国の聖女のようなものよ。神気を受け入れることのできる人間」

ふむふむとアーシャは頷く。


「神に祈りを捧げて国中を回っていた、この地に縁もゆかりもない『ミコ』が、逃げないように手足を切られて、『トチガミ』の入れ物にされた」

「ふぁっ!?」

突然の残酷話に変な声が出てしまった。

「でも血族に恨みこそあれ、恩なんかない『ミコ』が入れ物だったせいで、囲い込んだ『トチガミ』は一族に災いをもたらした」

手足を切るなんて、とんでもない話なのだが、淡々ともう一人のアーシャは話を進める。


「そこで次に家の者を贄として差し出した。末の子を差し出して、一年間、次の子を差し出して二年間。差し出す度に災いが止み、富が転がり込むようになった。そしてついに長男を差し出した時、完全に災いが止まり巨万の富が転がり込むようになった……以降この家では、彼らの『神』に長男を差し出すことで厄災を遠ざけ、富を手に入れてきた……と思っている」

暗く沈んだオリーブ色の瞳はヨタヨタと動く、顔だらけの魔物を見つめる。


この白髪頭の姿形は最初に犠牲になった『ミコ』の物だろうか。

しかしそれにしては、手も足もきちんと生えている。

「……………あ」

手足の確認をしてから、アーシャはおかしいことに気がついた。

身体中に所狭しと顔が生えている魔物だが、両腕と足首から下だけ何も生えていない。

枯れ木のように乾燥しきって、今にも皮膚が剥がれて崩れそうな腕と足首があるだけだ。


「実際は長年かけて『トチガミ』の力を、贄の命を呼水に取り出し、利用しているだけ。そしてその力の恩恵に預かった人間たちは、死んで、体という器がなくなったら『トチガミ』の力の一部と見なされて、あの体に還っていく」

フーっと長い溜め息を、もう一人のアーシャはこぼす。

「じゃあ体についている顔はもしかして……」

「そうと知って恩恵を受け取った人間も、全く知らないのに恩恵に預かってしまった人間も……力に触れた人間は、全てああやって取り込まれるの」

張り付いている顔はどれも苦悶しているように見える。

知らずに恩恵を受け、死後ああやって、生きていた時間の何倍もの時間、囚われ続けるのなら、その人は哀れとしか言いようがない。


「腕と足に顔がついていないのは……?」

「普通の人間は神に繋がれないの。だから『トチガミ』と同化している『ミコ』の体を介して取り込まれている」

スラスラと答えるもう一人の自分を、アーシャは少しだけ不審に思う。

『自分』が何故、これほどまでに、この国のことに詳しいのだろうか。


そんなアーシャにもう一人のアーシャは苦笑する。

「教えてもらったの。かの方に」

アーシャの不審に思う気持ちが伝わったらしい。

「かの方……?」

「この地に私の肉体を作ってくださった方」

そう言われて思い出すのは、こちらにきた時に、夢の中で会った人物だ。


「かの方が言うには、今代の贄は、まだお腹の中にいるアキラの弟なんだって」

「えええ!!」

突然話が身近に及んで、アーシャは驚いてしまう。

「今、ゼンたちが、お母さんたちを守ろうとしてるけど……呪いを防いで返しても、魔法使いが死ぬだけでは、もうアレは止まらないって」

「そうなの!?」

「何代も重ねた呪いだから、逆に魔法使いの制御を失ったら、どんな事になるかわからない。贄をお腹の中で守っているお母さんや、血のつながりのあるアキラはもちろん、手を出したゼンたちも危ないかもしれないって」

「えええええええ!!!」

さらっと次々と驚きをぶち込んでくる。


「ど、ど、どうしたら、どうしたら良いのかな!?」

焦るアーシャに、もう一人のアーシャは三本の指を立てる。

「私が取れる道は三つ」

それらの解説をされると思ったのだが、彼女は少しだけイタズラっぽい笑みを浮かべ、三本立てていた指を一本に減らす。

「でも多分、その中の一つしか選ばないと思うから、それだけ言うね。かの方が出した要求を飲むことを条件に、教えてもらった方法で、あの邪悪な魔法使いの一族から永遠に魔法を取り上げる」

「うん」

確かにそれしか選ばない。

自分が何かをすることで、ゼンやアキラの安全が守れるなら、それをしないはずがない。


「かの方の要求って?」

「春に『フジモリ』の地で浄化のための儀式があるんだって。これに絶対、何があっても参加すること」

それを聞いたアーシャは拍子抜けする。

もっと実現不可能な難しいことを要求されると思った。


「簡単だなって思ってるよね?」

アーシャの間の抜けた顔に、もう一人のアーシャはおかしそうに笑う。

「だって。その儀式とやらに参加するだけでしょう?」

「うん。でもゼンは全力で私を参加させないようにすると思う。だからゼンを負かすくらい、しっかり駄々っ子できるように、この国の言葉を喋れるようになっていなくちゃいけないんだよ?」

「うっ」

周りも理解しようと努めてくれるから、それに甘えて、言語以外での意思疎通ばかりやってきたアーシャは怯む。

はっきり言って言語の学習率は、まだ0に等しい。


「それから……それに参加したら……どれくらいかはわからないけど、思い出したくない記憶が戻ると思う」

「………うん」

「あり得ない成長をして、ゼンたちに嫌われるかもしれない。もう……幸せに暮らせなくなるかもしれない」

その手は強く握りすぎて真っ白になっている。

アーシャは細かく震えるその手に、自分の手を重ねる。


「………でも、大事だよね?ゼンも、アキラも、アキラのお母さんも、弟も全員、守りたいよね?」

先程と同じようにアーシャが問いかけると、やはり、もう一人のアーシャは頷く。

「……この方法を聞いたら、必ず条件を守らなくちゃいけないよ。ここでは神との誓約を破ると何より重い罰を受けるんだって」

「全力を尽くすわ」

アーシャが答えると、もう一人のアーシャは諦めたように、切なく笑う。


「『ミコ』の体に繋がっている『トチガミ』……つまり手足を切り落とすの。神との繋がりを断てるのは神のみ。ゼンにモモタロで切ってもらって。神さえ切り離せれば、人の手で『ミコ』を礎にした呪いの方は浄化できる。……大変だとは思うけど」

「切り離した手足は……?」

「絶対に触れちゃ駄目。みんなにも触れさせないで……何が起こっても最終的には地面の中の神気を伝って元の土地に帰るだろうって言っていたから」

そっとアーシャの頬に、もう一人のアーシャの手が添えられる。

アーシャも、不安そうな表情をした、その頬に手を添える。


「どうか……皆を守って」

「大丈夫。私の追い込まれた時の底力は私が一番知っているでしょう?」

こつんと額を合わせる。

まるで鏡に顔を寄せているようだ。

「ゼンも……きっと大丈夫。嫌われたりしないよ。大きくなったら今より沢山お手伝いできるようになって、喜んでもらえるから!」

不安がないわけじゃない。

でもアーシャはそう信じている。


もう一人のアーシャは泣きそうな顔で笑った。

「うん。……もう起きなくっちゃ。もうそこまでアレが来てる……みんなを守ろう」

合わせた額から光が溢れる。

「うん。守ろう」

「………どうか、折れないで」

祈る様な声を聞きながら、アーシャは光に飲み込まれた。


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