18.有識者、集う(後)

「えっと…………みなさん、お揃いで……?」

突然現れた三人組に、何と声をかけたら良いのかわからなかった禅一は、微妙な挨拶をしてしまった。

そんな彼に黒いロングコートを着ている女性が歩み寄ってきた。

コツコツとヒールの音を響かせそうな服装だが、足元だけ何故かシンプルな運動靴だ。

普段は一括りに結い上げられている髪が解かれると、雰囲気が大きく変わる。

和風雪女が洋風魔女に早変わりだ。

(ゼログラビティな角度で銃弾を避けてそう……)

某仮想現実世界で戦う洋画アクションに出てきそうな雰囲気である。


少し疲れ気味の顔をした武知と、この前と同じように元気そうな乾老人、そしてその孫娘である峰子。

この三人を何と言って、笛吹親子に紹介すれば良いのかわからない。

一人は禅一より笛吹親子の方がよく知っているであろう、保育士の峰子だが、それ以外のメンバーが謎すぎる。

「奇遇ですね」

禅一が二の句を告げられないでいると、歩み寄ってきた峰子がしれっとした顔で、虚空を眺めつつ、言い切る。

「ほんと……奇遇、ですね」

禅一は何とか平静を装って返事をかえす。

峰子が偶然で乗り切ろうと言うなら、それに乗るしかない。


「わ〜!峰子先生!お買い物ですか?」

何も知らない明良の母は、嬉しそうに峰子に手を振る。

「ええ。そのようなものです。今日は祖父とその友人の所用にドライバーとしてついて来ました。……偶然ですね」

無難に、そしてクールに受け答えしているが、『偶然』と言う時に、虚空を眺めるのは何とかならないだろうか。

(嘘が下手なのか上手いのか判別に困る……!!)

表情は変わらないのに、嘘を言う時の視線が気になってしょうがない。


「笛吹さん、こちら、うちの親戚の悟さんの上司さんです。出先でよく会うので、俺も顔見知りなんです」

峰子に舵取りを任せるのは少々危うい気がしたので、禅一は武知を手の平で示しながら紹介する。

少々説明的で不自然な紹介だが、話を合わせてもらうためには仕方ない。


「こんにちは。知っている顔がいたので、ついつい声をかけてしまいました。武知です」

「峰子の祖父です。孫がお世話になっております」

武知と乾老は流石の外面の良さで、好々爺こうこうやにしか見えない善良そうな笑顔を浮かべている。

(乾さんの方は只者じゃない感が隠れていないけど……)

羽織り風のコートにお洒落な柄のストールという独自なファッションは人目を引く。

それでも『峰子の祖父』と言われてしまうと、何となく『そんなものか』と納得できるのが不思議である。


「こちらこそ!峰子先生はどの園児もしっかり見ていてくれて、その子その子に合わせて出来る事を増やしていってくれるので、とても頼りにしています」

乾老に返された言葉を聞いた、峰子の頬が微かに上気する。

「そうかそうか。孫の活躍が聞けるのは嬉しいねぇ。……おや、お嬢ちゃんたちはおねむかい?」

そう話を振られた時には、明良の首はガックリと前に垂れてしまっている。


「そうなんです。私はこんな状態なので抱っこして帰るのも難しいな、って」

明良の首を支えながら母がそう言うと、

「おやおや、お困りじゃないか。峰子ちゃん、確か園児を緊急で運ぶこともあるからって、トランクに子供が座るヤツを乗せてただろ?運んでおやりよ」

いかにも気の良さそうな老人を装った乾老がそんな事を言い出す。

彼がそう申し出たのは、親切だけではないだろう。

そう思ったのは、先程、一瞬だけだが、目を眇めるようにして明良の母を見ていたからだ。


「えっ、そんな、休日なのに、先生に申し訳ないです!」

明良の母は遠慮しようとするが、峰子はアーシャが座っていた椅子にスルリと滑り込む。

「突然休園になったので、笛吹さんのご家庭のことが気になっていたんです。是非、お手伝いさせてください」

そう言って、慣れた手つきで半分夢に落ちている明良を自分の膝にのせ、手と口を素早く拭く。

口の中に何も入っていないこともさり気なく確認して、完全に眠らせる姿勢だ。

「ゆっくり続きを食べて、終わったら一緒に帰りましょう」

そう言う峰子には、安心して頼ってしまいたくなる、揺るがざる岩のような安定感のある。


「でも………」

なおも何か言いかけた、明良の母の、机の上に置かれたスマホが鳴る。

その画面を見て、少しだけ彼女の顔が曇る。

「すみません、ちょっと通話してきて良いですか?」

そう断って、彼女は会話が聞こえない所に移動する。



「乾さん、どうですか?」

少し離れた背中を見つつ、小さい声で禅一は尋ねる。

「薄汚い欲を何代もかけて練り上げた胸糞の悪い術式だ」

答える乾老の顔からは好々爺の笑みが引っ込み、剣呑な光を浮かべている。

「あの守りは?」

続いて乾老に聞かれた五味は、慌てて背中を伸ばす。

「それはアー……『対象』が!」

答えながら、五味はチラチラと武知の顔色を窺っている。

勝手に接触したことを、いつ叱られるのか、気が気ではないようだ。


「凄いですね……術者の意識が完全になくなっているのに、完璧に『呪い』を退け続けている」

明良の母と、禅一の腕の中で熟睡しているアーシャを見て、武知は感心したように呟く。

そして彼はビクビクと顔色を窺っている五味に苦笑する。

「あの母子を見捨てなかった事はお手柄でした」

そう言われた五味の顔は、分かり易く明るくなる。

「しかし、君の規律よりも良心を優先させる姿勢は、おおやけには褒められませんので、これはあくまでも私個人の言葉です。後で君がどうして今日出勤しているのかも併せて、話を聞かせてください」

結局、叱られるには叱られるようだ。

シオシオとなりながらも、武知に怒られる事はなかったので、五味は安心しているようだ。


「見てみろ、呪いが対象を見失ったせいで、相手が焦っているぞ」

乾老は冷笑混じりに、明良の母の方を見ている。

「おやおや、電波を介して接触しようとしているようですけど……まるで素人業ですね。あの分なら直接接触しても、あの鉄壁の結界を破れるほどの実力はなさそうだ」

彼らの目には世界がどのように見えているのだろう。

同じ景色を見ているはずなのに、禅一には全くわからない世界がそこには広がっているようだ。


「お祖父ちゃん、笛吹さんたちは安全という事?」

禅一と同じで、あまり見えていないらしい峰子が尋ねる。

孫に聞かれた乾老は首を傾げる。

「『呪術的には』ね。……これは早目に手を打った方がいい。母体の結界は完璧だが、それはあくまで呪いから守られているだけに過ぎない」

「……… ?何か不安要素があるの?」

そう聞く峰子に、乾老は苦く笑う。


「物理的には無防備という事ですよ」

乾老が孫に対して答えなかった事を、代わりに武知が答える。

「物理的……?」

全く想像がつかない禅一は首を傾げる。

「呪いは諸刃の剣。成就しなければ術者に返ります。……破滅を目前にした者は、なりふり構いません。……呪術から守られた母体から、物理的に胎児を取り出そうとしても、おかしくないという事です」

武知の説明は、すぐに禅一の頭には染み込まなかった。

それほど非現実的な言葉だった。


「……………まさか……赤ちゃんを無理に腹から……」

それ以上は悍ましすぎて、禅一は口に出すことすらできなかった。

「あの結界の完璧さを理解できたなら、一体どんな強力な術者が奥方についたのだろうと勝手に怖れ慄くだろう。……呪いに手を出すような輩が、保身のために次に何をするか、想像がつく」

乾老は老人とは思えない迫力で吐き捨てる。


「お祖父ちゃん、その術者がいちゅう、さっさと潰さないと」

あまり表情が変わらない峰子だが、その発言には怒りがこもっている。

ヤる気が伝わってくる。

「そうだねぇ、駆除に苦労しそうなブツだが……まぁこれだけの面子が揃っていれば何とかなる、かねぇ……」

話の途中で、乾老は笑顔の表情を装う。

通話を終えた明良の母が戻ってきたのだ。


「笛吹さん、どうされました?」

困惑した表情の明良の母に、峰子が声をかける。

「あの……義母からの電話だったんですが……何か……おかしくて」

彼女は困ったように画面が暗くなったスマホを見つめる。

「普段はおっとりした人なのに、いきなり今どこにいるんだとか、今すぐこっちに来いとか、かなりキツい感じに言われて……いい機会だからだから、夫の実家への里帰りを断ろうと思ったら……何か、話の途中で『藤護に頼るなんて、この家を滅ぼすつもりか』って、発狂したように叫び始めて……。何か電話の後ろで義父の声も響いてて……なんか気持ち悪い……」

せっかく良くなっていた顔色が再び悪くなっている。


犯人の目星がついたとばかりに乾老と武知が視線を交わす。

同じように目配せされた五味は首を傾げて、武知に溜息を吐かせる。

「家を滅ぼすだなんて、穏やかじゃありませんね」

そう言いながら、峰子は椅子をすすめる。

「あ、有難うございます。……どうしよう……今から迎えに行くって言われたんですけど……怖い……」

怯える明良の母の背中を峰子は優しく撫でる。

「妊婦さんにストレスを与えるなんて、著しく良識に欠ける連中ですね。何か手荒な事をされても困りますし……良ければ保育園に移動して、今後の方針について、少し話し合いをしませんか?奥さんが大変な時期に、送迎にすら参加しないク……旦那さんも添えて」

穏やかな能面だが、背後に怒気が見えるようだ。


「保育園……あ!行きたいです!保育園!」

提案された明良の母は、パッと顔を輝かせる。

そして急な変化に、周りが驚いた顔をした事に気がついたのか、恥ずかしそうに顔を伏せる。

「あの……変な話なんですけど、妊娠してからずっと、『何か』から逃げる悪夢が続いていて……でも、さっき少し仮眠した時は、その『何か』からすごく可愛い女の子が守ってくれて。その子に保育園の『さくらちゃん』に会いに行けって言われて……あはは。可笑しいんですけど。言われた通りにしてみたいな、って。……すみません、本当に変な話で」

明良の母は焦ったように体の前で手を振る。


変な事を言ったと赤くなる彼女は気がついていないが、乾老、武知、五味は視線を交わした後に、何故か真剣な顔で禅一の頭の上あたりを見つめる。

「えっと……?」

何だろうと禅一が尋ねようとすると、武知が手を小さく上げて質問を止める。

「???」

良くわからないが、この場では答えられないらしい。


「では取り敢えず移動を……と言いたいところなんですが、私の車は五人乗りなんですよね」

そう言って峰子は各面子の顔を見回す。

「笛吹さん、藤護さん親子は私の車で移動しましょう」

そして迷わず自分の祖父と武知を切り捨てた。


「あ、あ、俺はスクーターで予備のメットがないです!ごめんなさい!」

切り捨てられた高年齢組を見て、オロオロしながら五味が宣言する。

「……子供は二人で一人扱いなので、乾さんだけ乗せられませんか?」

武知はそう交渉する。

「チャイルドシートは大人一人分より幅をとりますし……」

しかし峰子は冷静にそう言ってから、通常サイズの『大人』よりは確実に幅をとるであろう禅一に視線を送る。

「お二方は、健やかな老後のためにも、足腰を鍛えつつ走って帰ってきてください」

そしてクールに再び切り捨てる。

身内にも情け容赦ない。


「えっと……峰子先生、俺、走ってもそこそこの速度で移動できる自信があるので……」

「いえ。お兄さんが乗っていることが重要なんです。…………男性が乗っているだけで変な人に絡まれませんから」

禅一の申し出を断った峰子は、明良の母へ説明するように付け足す。

(なるほど、俺は『術者』とやらへの牽制をかけるための存在なのか。そういえばさっき『藤護の家に頼るなんて』とか言っていたしな)

禅一は一人納得する。


高齢二人組はタクシーでも捕まえて戻ってきてもらうしかない。

そんな空気が流れた時だった。

「『足』が足りなくてお困りのようだね?」

よく知っている声が会話に入ってきた。

「……和泉姉!!」

振り向いた先には大きな欠伸をしている、小柄な人影があった。


「呼ばれてないけど、じゃじゃじゃじゃ〜〜ん。そちらのお二方は、この二徹後のお姉様が運んであげようじゃないの」

多少……いや、だいぶんテンションがおかしい和泉姉だ。

その目の下には見事な黒さのクマが住み着いている。


再び大欠伸を漏らす和泉姉に、乾老が片手をあげる。

「おや、スタンドアローン宣言してた祓屋はらいやのお嬢ちゃんじゃないか。こっちの傘下に入ってくれるつもりになったのかい?」

どうやら顔見知りだったらしい。

「下手に接続されて身動き取りにくくなったり、ウィルスとばっちりをもらったりしたくないんで」

ヒラヒラと手を振りながら、和泉姉は眠気覚まし用タブレットの箱を取り出す。

それを水のようにザラザラと口に流し込み、ポリポリと噛んでいる。

かなり安全性に疑問のある運転手だ。


「…………書類上三十年間無事故無違反の私が安全運転をお約束しますので、運転を任せてください」

武知が小さく手を挙げて宣誓した事で、移動グループ分けが決まった。

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