18.有識者、集う(中)

「おなかへったね〜」

「ね〜!」

ちびっ子二人組は話が通じているのかいないのか、たこ焼きの置かれたテーブルを覗き込もうと一緒に背伸びをしたりして、キャッキャウフフと笑い合っている。

子供にとって言葉というものは、そう重要な物ではないのかもしれない。

一緒に笑い合えるだけで、楽しそうだ。


子供用椅子に仲良く並んで座らせると、仲良く「「わ〜〜〜〜!」」声を揃えて笑い合う。

「あーさ、あーさ、いただきます!」

そのままたこ焼きに食らいついてしまうんじゃないかと言うほど、顔を器に近づけていたアーシャに明良が挨拶を促す。

教育が行き届いた子である。

「いたぁきましゅ!」

二人で仲良く手を合わせる姿に、保護者たちは目を細めてしまう。


「可愛いぃ〜〜!写真撮って良いですか!?」

そう言って、明良の母は子供たちの写真を撮る。

(そっか、写真を撮っておけば、この姿を残しておけるもんな)

あまり動画や写真を撮ったりする習性がなかった禅一も、倣って撮影してみる。

(あ、和泉姉と乾さんから返信きてる)

その時に気がついたが、お腹を減らしたアーシャが待っているので、まずはこちらの胃を満たすことが先決だ。


禅一は刺さっていた爪楊枝で、たこ焼きを切る。

(お、ここのは皮がしっかりしているな)

焼きたてだからか、硬焼きなのか、刺している間にボトリと落ちるという事はなさそうだ。

そう思って、安心して四分割にしたうちの一つを冷まそうと、口を近づける。

「ふぁ!?」

すると斜め横に座っていたアーシャから、素っ頓狂な声が飛び出てきた。

口を開けて待っていた彼女は、愕然とした顔で禅一を見ている。


そして次の瞬間、両手で顔を覆って身を捩り始める。

「へっ?」

一体どうしてしまったのかわからず、禅一は目を見開いて固まってしまう。

「あはは、禅一さんに食べられると思ったのかな〜。よっぽどお腹減ってるんだなぁ〜」

その斜め前、つまりアーシャの正面に座っている五味は、呑気にたこ焼きに爪楊枝を突き刺して大口を開けて笑う。


どうやら自分がもらえると思っていたのに、禅一が口を近づけたから、ショックを受けたらしい。

「アーシャ、アーシャ、熱いから。ふーふーするんだ。ふーふー」

慌てて訂正すると、白い肌を、それこそタコのように真っ赤にしたアーシャが顔を上げる。

「ふー?」

じんわりと涙が滲んだ緑の目に罪悪感を感じてしまう。

「そう!ふーふー!」

うんうんとゼンは頷きながら、爪楊枝に刺さった元球体に息を吹きかける。

「じゃないと、あぁなる」

そしてたこ焼きを丸々口の中に入れた五味を視線で示す。


「あひゅ、あひゅ、あひひひ、あひぃ〜〜〜」

熱々のたこ焼きを噛んだ五味は、熱さに身悶えている。

『中は熱い』という事を体を張って伝えてくれた五味には、静かに水を差し出しておく。


「アーシャ、あ〜ん」

アーシャには湯気があまり出なくなってから口に運ぶ。

「へへへ………あ〜んっ!」

アーシャは照れたように笑いながらも、嬉しそうに飛びついてくる。

(………指と爪楊枝まで食べられそう……)

思った以上に大きく開いた口は、指のギリギリまでパクンと食らいついてきて、力強く爪楊枝を引っ張る。


「んふぅぅぅ!!」

嬉しそうに頬を押さえて揺れるアーシャに、笛吹親子は目を丸くしていたが、すぐに小さく吹き出した。

「藤護さん、爪楊枝で食べさせるの大変じゃないですか?」

「指まで食べられそうです」

笑いながら聞かれたので、禅一も笑いながら答える。

「お匙をもらってきた方が良さそう。とりわけ皿と一緒に持ってきます」

「大丈夫ですか?俺が……」

「大丈夫大丈夫。少し寝たからか、すごく気分がいいんです」

そう言って、彼女は立ち上がる。

「あきら、てつだう!」

そんな彼女の後ろを明良が追いかけていく。


仲良さそうな親子の後ろ姿に禅一は目を細める。

アーシャといえば、友達が席を立ったことにも気が付かず、夢中で食べている。

「美味しい?」

と聞けば、

「おいしーーー!」

と速攻で返事が返ってくる。

「はい、あーん」

と差し出せば、

「あ〜ん!」

と大きな口を開けて、鯉のように飛びついてくる。

愛すべき食欲魔人っぷりである。


相変わらず首を振ったり、頬を押さえて震えたりと感情の発露が激しい。

そんなアーシャが驚いた顔になったかと思ったら、突然高速咀嚼が始まる。

(あ、タコが入っていたからかな)

禅一は何となく察したが、コップに舌を突っ込んで冷やしていた五味は驚いて、そのままの姿勢で目を剥いている。


「おいしーーーーーー!!」

そんな五味の前で、アーシャは両拳を天に向き上げ、勝利の雄叫びのように叫ぶので、ビクンと彼の体が跳ねる。

「アーシャ、アーシャ」

多少の騒がしさが許されるフードコートとはいえ、流石に禅一は嗜める。

ハッとしたアーシャは少し恥ずかしそうにしていたが、たこ焼きを差し出すと、すぐに幸せそうに大きな口を開ける。


切って冷まして口に運ぶ。

美味しそうな顔を眺めながらの作業は至福そのものだ。

自分のご飯など後回しで良い。

そう思っていたのだが、禅一が食べられていない事に気がついたアーシャは、彼の真似をして、たこ焼きを小さく切って、彼の口に運ぼうとする。

「あっ、あっ、あぁぁぁ……」

しかし小さな手は器用に動かずに、たこ焼きは上手く持ち上がらない。


スカッスカッと空気を運んだ結果、たこ焼きはズタズタだ。

「あっ!」

失敗を重ね、ついに持ち上がったのは、たこ焼きの核とも言えるタコだ。

「………………」

先程食べた美味しい記憶が蘇ったのか、アーシャはタコを見つめて何やら考え込んでいる。

(食べたいんだろうな〜)

食欲魔人なのに、それをすぐに口に運ばず、グッと耐えて逡巡している様子が何とも微笑ましい。


「あははは、アーシャ、あ〜ん」

あまりの微笑ましさに、禅一は破顔しながら、アーシャの爪楊枝を彼女の口に導いてやる。

すると再び高速咀嚼が始まる。

「………。………っ!………おいしーーー!!」

そして再びのビクトリーポーズだ。


「タコ、好きなんですね」

子供用の取り皿とスプーンを持ってきてくれた笛吹親子は、はしゃぐアーシャに笑いながら戻ってくる。

「アーシャちゃん、アーシャちゃん。はい、スプーン」

お母さんから渡されたスプーンを、アーシャは紅潮した顔で、聖剣の如く掲げる。

「あいがとぉ!!」

嬉しそうな様子に、明良も母も笑みが溢れる。


「ゼン、ゼン!」

持てた!とばかりのキラキラした顔で、アーシャは早速スプーンでたこ焼きを掬って、掲げて見せる。

「ふーふー。アーシャ、ふーふー」

そのまま食らいついてしまいそうなので、ズタズタになった自分のたこ焼きを、禅一は殊更冷やしてから、食べて見せる。

「ふー、ふー」

すると鰹節や青のりを撒き散らしながら、アーシャもせっせとたこ焼きを吹く。

「ハフハフ、ん!んんん!ハフハフ!」

そして思った以上に器用に、素早くたこ焼きを食べ始める。

火傷しないかとハラハラしていたが、そんなこともなく、意外と上手に食べている。


「アーシャ、水、水」

食べる速度が早すぎて怖いので、適度に水分を取らせて、強制的に休憩を取らせながら自分の食事も進める。

『仕事終わった。今から向かう。何処にいる?』

スマホを確認したら、和泉姉からはそんなメッセージが入っている。

(来てもらえるのは助かるけど……大丈夫か?)

祓屋はらいやの活動は深夜に及ぶ事が多い。

この時間に終わったということは、徹夜後なのではないかと心配しながらも、禅一は現在地を送り返す。


『現地に対象を引き止められたし』

乾老からの返信は、たったその一文だけだ。

(…………?現地って……ここ?乾さんもこっちに来るって事か?)

親戚だと紹介した五味がここにいて、ほぼ親戚の和泉姉がやってきて、何と言っていいかわからない関係の乾老が来る。

(……いくら何でも知り合いが集いすぎじゃないか?偶然って言っても無理があるよな?)

胎児が胃を圧迫するのか、休み休み焼きそばを食べている明良の母を見て、禅一は悩む。

まさか妊婦さんに『貴方のお子さんが呪われているので、みんなで対処します』とは言い難い。

大切な時期なので、心労は最小限度に抑えたい。

できるなら、自然にこっそりと対処してしまいたい。


怪しまれずにみんなを合流させる、良い言い訳はないか、と禅一は悩む。

「どうかしました?」

すると難しい顔になってしまっていたらしく、明良の母は少し心配そうに聞かれてしまった。

「いえ。……姉が徹夜明けなのに合流してきたいと連絡してきて」

苦しい説明を始めようとしたら、その言葉に五味が反応する。

「へ?姉?禅一さんに姉って……」

「悟さん、チーズタコあげます」

余計なことを言いそうな口に、最後に残っていた変わり種のたこ焼きを詰め込む。


「あひゅ、あひゅ、あひゅっ!」

他のたこ焼きは冷め始めていたが、チーズでコーティングされていたたこ焼きは、まだ熱かったらしい。

「お姉さんもいらっしゃるの?」

「……正確には……従姉妹なんですが、小さい頃から家族同然に過ごしていて」

「へぇ〜〜〜、藤護さんのお家って親戚付き合いがマメなのねぇ」

「……そうですね」

そう言うことにしていないと、人数が集まりすぎる理由にならない。


「イトコとかは、やっぱりいた方が心強いですよね。私は一人っ子だから……明良たちのために夫側の親戚付き合いはしっかりしておかないといけないのかな……」

少し曇った顔に、禅一は慌てる。

「親同士の関係が近いから、一緒に活動しやすいってだけで、親戚なんて重要じゃないですよ。仲良くなれない血縁と苦労するくらいなら、親子共々気の合うお友達を見つけて仲良くした方が絶対にいいですよ」

実際に禅一には親しくしている親戚など居ない。

一ミリも血が繋がっていない和泉の家族やご近所さんたちが、家族のように親しく寄り添ってくれただけだ。


「そうかしら……そうかな。あ、連絡先!是非藤護さんにもママ友……じゃなくて兄友?保護者友になってほしいわ」

「こちらこそよろしくお願いします」

初の『ママ友』である。

こうやって連絡交換をしておけば、アーシャを友達と遊びに行かせることもできるようになる。


「保育園には幸太くんって子も居るんだけど、この子がすっごく良い子でね。お母さんも可愛いのに豪快でね、この前なんか……」

明良の母は保育園の友人関係を楽しそうに話してくれる。

禅一は有り難く保育園の情報を頭に入れていく。

五味は満腹になりすぎたのか、ベルトを緩めて背もたれに体を預けて、一人、リラックスしまくっている。


(やっぱり『お母さん』って偉大だな)

明良の母はお喋りをしながらも、しっかり明良を見ていて、時々野菜を口に運んだり、口を拭いたり、さり気なくサポートしている。

一方向に気を取られがちな禅一には、中々出来ないことだ。


禅一にとっての『お母さん』は生物学上の母ではなく、祖母だ。

小さい頃は背後に目玉が付いているのではないかと疑ってしまうほど、こちらを見ていない時も悪さを見抜いたり、怪我をしたら飛んできてくれた。

(幸せになってほしいなぁ)

苦労かけてばかりで、恩返しもできぬままに、たった一人で死なせてしまった祖母が、明良の母に重なり、胸が苦しくなる。


「…………ゼン」

そんな事を思いながら、残りのたこ焼きを口の中に放り込んでいた禅一に、心細そうな声が掛けられる。

「ん?」

アーシャの視線はウロウロと彷徨う。

明良とその母を見る目が、何となく切ないような気がする。

(俺も『お母さん』なんだよな)

禅一は小さく笑って、椅子ごとアーシャの真隣に移動する。

「おいで」

そう言って、アーシャを膝にのせ、明良の母のように口を拭いてやる。

するとアーシャは禅一に擦り付いてくる。


『寂しい』

他の子が母親に甘えている時、そう思った事は禅一にもある。

「どうした?」

そう聞くが、返事など求めていない。

自分にも気にかけてくれる人がいる。

そう思えただけで寂しさが消えた記憶がある。

安心させるように背中をさすると、禅一に掴まる小さな手から力が抜ける。

腹にゴリゴリと押し付けられる頭がくすぐったい。


「あら、アーシャちゃん、おネムかな」

明良の母が笑う。

「あぁ……そうかもしれません」

顔を擦り付けているのはそのせいか。

そんな話をしているうちに、電池が切れたように、アーシャの全身から力が抜けていく。

「……寝ちゃいました」

首が不安定にならないように支えながら、禅一は笑う。


「あらら、あっという間だったわね。……そっか、もう二時近いもんね」

微笑ましそうにしていた明良の母だったが、自分の娘が大きな欠伸をするのを見て、少し眉を寄せる。

「明良ちゃんもお昼寝の時間ですか?」

「うちの子はもうお昼寝をしなくなっていたんですけど……よっぽど楽しく遊んで、疲れちゃったのかしら」

微笑ましいが、困ってしまう。

明良の母はそんな様子だ。


(妊婦さんだから、ここで寝られたら帰るに帰れなくなっちゃうよな)

寝た子を抱えて帰るなんて無理だろう。

「笛吹さん、因みにここまでの交通手段は?」

「何があるかわからないから、バスで来ちゃったんですよ〜」

そう聞くと、弱り切った顔でそう答えられる。


「明良、お家まで帰れるかな?大丈夫かな?」

祈るように尋ねられた明良は、もう一度大きな欠伸をして、緩慢に頷く。

「ん。あきら、かええる」

彼女の口からは力強い肯定が返された。

しかしその頭は左右にブレ、瞼は重そうに下がり始めている。

眠気がもうすぐそこまで来ている。


「笛吹さんの家って保育園から近いですか?」

慌てるように焼きそばを口に運んで、食事を切り上げようとしている明良の母に禅一は声をかける。

「ええ。十分も歩かないくらいです」

にわかに慌て始めた彼女は、不思議そうにしながらも答えてくれる。

「じゃ、多分、姉が車で来るんで一緒に帰りませんか?」

「それは助かります!……あ、けど、チャイルドシートが……」

「あ!チャイルドシート……!!」

保護者歴が浅いとついつい忘れてしまう、チャイルドシートの存在が移動の妨げになる。


親同士で話し合っている間にも、明良の瞼はだんだんと下りていって、首がカクンカクンと揺れ始める。

「夫に連絡して来てもらうしかないのかな……」

そう言う彼女の顔は曇っている。

「旦那さん、お休みなんですか?」

「休みなんですけど……休日は昼まで寝てるし……今、実家にお世話になる、ならないでモメているから私の言うことを全然聞いてくれなくて……」

意見の相違で少し揉めただけで、自分も休みなのに臨月の奥さんに子供の世話を丸投げしているらしい。

「それは……」

『どうしようもない人ですね』と言い掛けたが、彼女の夫を悪く言うのもどうかと思い、禅一は言葉を飲み込む。


「えぇぇぇ〜〜〜旦那さん、あり得ない!妊婦さんにお世話を丸投げとか、俺より空気読めないレベル高めですよ!?」

そこで空気を読まずに発言してしまうのが、五味だ。

「ここはビシッと第三者視点で言ってやるべきですよ!子煩悩爆発で無駄な威圧感を持った禅一さんが!」

そして事もあろうに禅一をけしかけてくる。

「……パートナーすらいない育児ニワカの学生が言っても説得力ないですって」

「大丈夫!禅一さんの上から押さえつけるような圧迫感に一般人は耐えられませんから!やっちゃってください、禅一さん!」

どうも五味は禅一を対人用兵器のように考えている節がある。

(世間一般的に、俺はまだまだ世間の厳しさを知らない学生なんだけどなぁ)

人を説教できるような立場にはいない。

そう思ってやんわりと断っても、五味はグイグイ来る。


「人に何かさせようとする前に、年長者である君がやるべきじゃないかな……五味くん?」

そんな時に冷静な声が後からかかった。

「ほげっ!??」

背もたれに全体重をかけてだらけていた五味は、突然声をかけてきた相手の顔を見て、飛び上がった。

「た、た、た、武知しゃん……」

禅一も五味の視線を辿って振り返り、目を見開いた。


ロングコートの似合う、渋いオールバックの壮年。

羽織風のコートに、渋い色合いのギンガムチェックのストールを巻いた、顔に大きな傷のある老人。

そしてこれこそ烏の濡れ羽色という美しい黒髪を靡かせた、黒のハイネックに、黒いマントのようなコートを着た魔女然とした妖しい美女。

日曜日の昼下がりのフードコートには、全く似つかわしくない三人組が、そこには立っていた。

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