17.聖女、魔物の触手をいただく(後)

(大丈夫。大丈夫。驚いても叫ばない)

アーシャは心臓が飛び出しそうな口を、両手で押さえながら、そっと店の中を覗く。

「……………」

しかし注文する用の小窓から見える店の中に、衝撃映像は転がっていない。

(いやいや、あの鉄の箱に入っているかも)

思わずホッとしかけて、アーシャは気を引き締める。

金属製と思われる、扉付きの大きな箱があるので、そこから何か出てくるかもしれない。

油断は禁物だ。


「…………?」

注意しつつ観察を続けるアーシャは、小窓から近い位置にある、二枚の鉄板に視線を引き付けられた。

一つは何てことのない普通の真っ平らな鉄板なのだが、もう一つには半円の窪みがズラリと並んでいる。

(料理用……なのかな?)

半円が整然と並ぶ様は美しいが、あれで調理はしづらいのではないだろうかと、アーシャは首を傾げる。

じっくり観察していると、恰幅の良い白帽子を被った男性が、そこに近づき火をつける。


「はい、いらさい!」

火をつけてから、白い帽子を被った店主はゼンに話しかける。

「えっと……」

ゼンはカウンターに置いてある、紙を見ながら、何やら注文を始める。

(あ………)

ゼンが見ている紙には、焼き色のついた丸い物や、やけに茶色い『うどん』の絵がついている。

恐らくここで出される食べ物なのだろう。

「ほっ……」

抵抗なく食べられそうな形状にアーシャは安心する。


安心と共に、アーシャの腹の虫が大きな音を立てる。

触手の魔物にすっかり気を取られていたが、周囲を漂う、しょっぱいような、酸っぱいような、それでいてどこか甘い、何とも食欲をそそる香りに、体は反応していた。

(何かしら?何かしら?初めての匂いのはずなのに、美味しい予感が止まらない……!!)

クンクンと鼻を鳴らしたアーシャは、すっかり魔物の事も忘れて、期待に胸を膨らませる。


アキラは勝手知ったる店のようで、母親にアレやこれやと何か注文しているが、アーシャはよくわからないのでゼンにお任せである。

ゼン、アキラのお母さん、ゴミが次々と注文をして、お金のやり取りをする。

(何か……鉄がものすっごく熱くなってるみたいだけど大丈夫!?)

ユラユラと鉄板上の空気が揺らめき始めるのを見て、アーシャは勝手に心配してしまう。

しかし当の店主はまるで焦る様子がなく、お金を面白い形の箱に収めて、のんびり手を洗い始める。


(清潔さは大事かもしれないけど……すっごく鉄が熱くなってるわよ!?)

アーシャは勝手にハラハラしてしまう。

店主は鉄板の前に立っても急ぐことなく、マイペースに何かの液体を混ぜている。

(のんびり屋さんね!?)

早く火を調節した方が良いと気を揉むアーシャだったが、『早くしないと!』と思ったのは、ここまでだった。


店主は透明な液体の入った、先がふいごのように先が尖った入れ物を手に取ったかと思うと、その液体を鉄板の上にばら撒き始めた。

ジジジと鉄板の上で跳ねる事から、透明な液体が油だと気がついた時には、並んだ半円全てに、注ぎ終わっていた。

そして気がついた時にはケトルと片手鍋が結婚したような器具に持ち替え、鉄板に向かって、白い液体を思い切り良く降り注がせていた。

流れるような動きにアーシャはただただ圧倒される。


白い液体はおそらく小麦粉を水で溶いたものではないだろうか。

その液体は勢い良く注がれていき、穴の中だけではなく、周囲にも飛び散っている。

(めちゃくちゃ溢れてる!!)

てっきり穴一つ一つに丁寧に注いでいくのだと思っていたアーシャは驚きに目を丸くする。


そんな驚きも束の間。

お次はポイポイと暗赤色の皮のついた、白い肉が、それぞれの穴に、恐るべき速さと正確さで投入されていく。

(この肉(?)……なんか……こう……長細いものをぶつ切りにしたような……)

見ようによっては赤色の皮膚。

長細い、まるで触手を切ったかのような形状。

アーシャはそっと店のひさしを見上げる。

(……考えない……考えない……!!)

そしてブンブンと首を振った。

小麦粉の海に沈んで、ほぼ見えない状態になるのだ。

真実を追求しない方が幸せでいられる。


そんな事を考えているうちに、鉄板の上には、いつの間にか、黄色や赤、緑の色鮮やかな具材がばら撒かれていた。

(花畑みたい!綺麗!!)

アーシャはそれを見て呑気に喜んでいたのだが、直後に驚愕する技を見せつけられることになった。


店主が二本の先の尖った器具を手に取って、それを穴と穴の間に滑らせ始めた。

(あ、そうやって切り離すんだ)

と、思った刹那、次々に穴の中に入っていた生地がひっくり返され始めたのだ。

「ほえっ!?」

今まで平面だった花畑が、くるんくるんと凄い勢いでひっくり返されて球体になっていく。

「ほあぁぁぁ!!」

鉄板は半円の窪みがあったから、ひっくり返されたら確かに半円型に焼かれたものが出てくるだろう。

しかし目の前でそれらは次々に球体になっていくのだ。

目にも止まらぬ速さでひっくり返された生地は、穴の外に出ていた生地も綺麗に詰め込まれて、真ん丸になる。

アーシャは目の前で行われている作業に、理解が追いつかない。


半円は一列につき十個。

それが一呼吸のうちに終わってしまうのだ。

いや、半呼吸のうちに、かもしれない。

とにかく早すぎる。

「ふわぁぁぁぁ〜〜〜!」

これを神業と言わずして、何を神業と言う。

アーシャはすっかり興奮して、ゼンの腕から身を乗り出して、恐るべき早業を見守る。

鉄板の上はあっという間に球体だらけだ。


「すごい、ね!」

アーシャと一緒に抱っこされたアキラが笑う。

その目も尊敬に溢れた光をたたえている。

「『しゅごい、ね』!」

何と言って良いかわからなかったアーシャは、アキラの真似をして、この素晴らしい技術を褒め称える。


アーシャたちの目の前で、より完璧な球体にするためか、何度かクルクルと回転させられた物が、貴族の船遊びボートにそっくりな形の器に入れられる。

その手際も恐ろしく素晴らしい。

二個づつ適当に放り込んでいるように見えるのに、いつの間にか、綺麗に整列している。

「はい、おまちど」

アーシャたちの尊敬の眼差しを一心に受ける男は、まるで何事もなかったような、平然とした顔で食べ物を出してくる。

そこがまた職人ぽくて格好良い。


「あ、『あいがとー』!!」

凄い技だったとか、この球体は完璧だとか、もう一度見たいとか、色々言いたいことはあったが、言葉を知らないアーシャに言えたのは、それだけだった。

万感の思いを込めた一言に、職人の顔がクシャッと笑み崩れて、白い歯が見えた。

「あついからねー」

そう言って彼は手を振る。

「『あちゅいかねー』!」

アーシャもブンブンと手を振り回して挨拶を返す。



大きなお盆にのった、神技の産物は、アキラのお母さんが運んでくれる。

ゼンはお母さんの斜め後ろを歩くので、物は見えないが、アーシャはソワソワしてしまう。

素材的には水溶き小麦粉に数品の具材を入れただけのようだが、あんな凄い技術で焼いているのだ。

きっと美味しいに違いない。

期待は勝手に高まっていく。


「おなかへたね〜」

「ね〜!」

そんな言葉を交わす、落ち着きのないアキラとアーシャは卓の横に下される。

そしてすぐにゼンが二人用の背の高い椅子を持ってきてくれて、それに乗せられる。

「「わ〜〜〜〜!」」

アーシャとアキラは揃って歓声を上げる。


思い切り、香ばしくて、甘辛酸っぱい匂いを吸い込む。

「…………?」

それから、ずずいと匠の球体に顔を近づけたのだが、アーシャは奇妙なことに気がついた。

(何か………コレ、動いてない?)

球体の上には黒いソースらしきものが塗られ、その上から乾いた香草を砕いたような物と、薄く削った木片のような物をのせられているのだが、この木のような物が踊り狂っているのだ。

その様子は『熱い!熱い!』と、もがき苦しんでいるように見える。


(いやいや、こんな薄い物が生きてるはずないない。これは湯気に煽られているだけ………煽られて………煽られているだけよね!?)

そう思うのだが、あまり生々しい動きに目を離せない。

「あーさ、あーさ、いただきます!」

そんなアーシャの肩をトントンと叩いて、アキラが手を合わせて見せる。

彼女の前でも薄い木片は踊り狂っているが、それに対する動揺は見られない。

(やっぱり湯気に煽られているだけよね、うんうん。生きてるはずないじゃない)

アーシャは小さなアキラさえ驚かない事に、大袈裟に反応してしまった己を恥じる。


「『いたぁきましゅ』!」

アキラに倣って、アーシャも手を打ち鳴らす。

そして芳しい匂いを振りまく球体をいただこうとしたのだが、フォークが手元にない。

「………………?」

食器はどこだろうと周りを見回すが、それらしい物はどこにもない。


(もしかして……手掴み!?この熱そうな玉を!?)

とても掴めないと、困ってゼンを見ると、彼は端っこの球体に刺さっていた、小さな木の串を手に取った。

その木の串で、彼は器用に球体を半分に切り、更にそれを半分にする。

そして四分の一切れを木の串で刺して持ち上げ……

「ふぁ!?」

彼の口元に持っていった。

すっかり自分にくれるのだと思い込んで、口を開けて待ってしまっていた、アーシャは思わず変な声が出てしまった。


(いやぁぁぁ!!恥ずかしぃぃぃぃぃ!!)

熱を持った顔を両手で押さえて、アーシャは首をブンブンと振り回す。

図々しい事に、ゼンは自分を優先してくれると思い込んでしまっていたのだ。

当然のようにそう思っていた、直前の自分が恥ずかしくて、アーシャは身を捩る。

「アーシャ、アーシャ、あついから。ふーふーするんだ。ふーふー」

そんなアーシャに慌てたようなゼンの言葉がかかる。


「ふー?」

カッカと熱を放つ顔を上げると、ゼンが焦った顔をしている。

「そー!ふーふー!」

うんうんとゼンは頷きながら、木の串に刺さった元球体に息を吹きかける。

「じゃないと、あーなる」

そして冷静な視線で正面に座ったゴミを見る。


「あひゅ、あひゅ、あひひひ、あひぃ〜〜〜」

どうやら一個丸々口に入れたゴミは、口を開けたまま、上を向いて、手をジタバタさせる奇妙なダンスを踊っている。

ハフハフと彼が息をする度に、白い湯気が口から上がっている所を見ると、相当この食べ物は熱いようだ。

(事前に止めてはあげないんだ……)

中々大人に対しては手厳しい。


「アーシャ、あ〜ん」

熱々のゴミの物とは対照的に、アーシャのは念入りに息を吹きかけて冷ましてある。

「へへへ………あ〜んっ!」

アーシャは気恥ずかしさを笑って誤魔化しつつ、小さな木の串に飛びつく。

「んっ」

湯気こそでていないが、まだ結構熱い。

何故か、この前行った海を思わせる香りが鼻腔をふわりとくすぐったかと思うと、しょっぱいような、それでいてほんのり酸っぱいような、何とも食欲を刺激される味が口に広がる。


「んふぅぅぅ!!」

空きっ腹だったせいもあって、口の奥から唾液が染み出してきて、アーシャは頬を押さえる。

外側はこんがりと焼けていたのだが、内部はトロトロで、黒いソースと一緒に濃厚な旨みが舌に絡みつく。

咀嚼すると、時々カリカリに焼けた皮が歯に当たって、何とも小気味良い食感がする

熱くとろける中にある、サクサクとした食感は素晴らしいアクセントになる。

「んん〜〜〜!」

ただの水溶きの小麦粉と思えない奥深い、旨味に、喉が震える。

もっと噛み締めて味わいたいのに、我慢できずに、すぐに飲み込んでしまう。


「おいしー?」

「『おいしーーー』!」

尋ねられたら、全力で何度も頷いてしまう。

濃厚なソースの味は喉にまで美味しさを拡散させ、胃に消えていったのに、口の中には、何とも言えない旨味が残っている。

この国の小麦粉が物凄く美味しいのか、それとも秘密の旨味が何処かに入っていたのか。


「はい、あーん」

余韻を楽しんでいたら、すぐに冷まされた次の一口が待っている。

「あ〜ん!」

アーシャは嬉しくてそれに飛びつく。

「んんんん〜〜〜!」

二口目も変わらず美味しい。

頬を押さえて、アーシャはうっとりしながら咀嚼する。

(あれ?この味、生姜ジンジャー?)

味の中にピリリと引き締まる味を感じてアーシャは首を傾げる。

そんなもの入っていただろうかと首を傾げる。

(もしかしたら、よく似た味の全然見た目が違う植物があるのかも)

そんな事を思いつつも、やはり美味しさに耐えられなかった喉が、しっかり味わう間もなく、ゴクンと飲み込んでしまう。


「はい、あーん」

飲み込んですぐに次の一口が用意されていて、至福だ。

(こんなに味わい深いのは何でなのかしら〜〜〜!?ソースは濃厚なんだけど、塩とかそんな単純な辛さじゃないし、生地自体にも謎の美味しさを感じるんだけど!?)

ハフハフと言いながら咀嚼しつつ、アーシャはそんな事を考えていた時だった。

「!?」

生まれて初めての感触がした。

音で表すなら、プリンというか、ツルンというか、もしくはクニャとでも言えば良いのか。

途方もない弾力だ。

一度目の軽い奥歯のアタックでは全くダメージが入らなかった。


次に強めに噛むと、プツンと歯が入る。

干し肉のように硬くはないし、何なら物凄く柔らかい。

それなのに噛み切れない不思議な感触だ。

「………。………?………!!」

何度も何度も噛んでいると、何か美味しい味が染み出してきた。

(これは……生地の旨味の正体!?)

噛んだら味がなくなっていくはずなのに、最初は淡白に感じた味が濃くなっていく気がする。


「『おいしーーーーーー』!!」

ゴクンと謎の素材を飲み込んでアーシャは雄叫びを上げる。

こんな不思議な食材は初めてだ。

「アーシャ、アーシャ」

まるで勝者のように、両の拳を突き上げたアーシャをゼンが嗜める。

「はっ!」

美味しさのあまり人生の勝者になった気分になって盛り上がっていたアーシャは正気を取り戻す。


「あ〜ん」

しかし目の前にこの美味しいものを差し出されてしまうと、無条件にテンションが上がってしまう。

念入りに噛んで、先ほどの感触を探すが、残念なことに見当たらない。

「ん〜〜〜!」

それでも十分に美味しいのでパクパクとゼンが差し出してくれるままに飛びついてしまう。


最初はソースの濃い味が口に広がって、それが中の美味しいトロトロと混ざり合って、旨みを口に残していき、そしてまたソースを求めて口を開く。

飽きないループに突入しようとしていたが、食べる事に夢中になっていたアーシャはハッと気がつく。

雛鳥に餌を与える親鳥の如く、次々に食べ物を運んでくれるゼンの、ボート型の器には球体が満員状態のままだ。


「んっ」

アーシャは手を伸ばして、ゼンの球体に刺さった木の串を引き抜く。

そしてゼンがしてくれたように、球体を小さく分け、冷まして彼の口に……と、思ったのだが、思った以上に串に突き刺すのが難しい。

「あっ、あっ、あぁぁぁ……」

何回刺しても持ち上がらずに、球体は滅多刺し状態だ。


「あっ!」

木の串に何かがプツンと刺さった感触がしたので、意気込んで持ち上げると、ズルンと中身だけ出て来てしまう。

「………………」

串に貫かれた、暗赤色の皮に包まれた白く輝く身。

その筒のような形は間違いない。

アーシャは先ほどのひさしを振り返った。

そこに描かれた、歪な頭部から直接触手生えている魔物と目が合った。ような気がする。


「あははは、アーシャ、あ〜ん」

呆然としたアーシャが面白かったのか、ゼンが笑いながら、アーシャの手を握って、触手の成れの果てを口に入れる。

「…………………」

まさか口に入れたものを吐き出すわけにはいかない。

食料を無駄にするなんて、レディ以前に人間としては駄目だ。

「…………!!?」

そう思って恐る恐る噛んだ歯に『あの』感触がする。

先ほどの超弾力だ。


アーシャは思い切り噛んで、味わう。

「………。………っ!………『おいしーーー』!!」

もうこれは認めるしかない。

この魔物は旨い。

見た目は邪悪だが、味は素晴らしい。

(食材は見た目じゃない………味だわ!!)

真理に辿り着いたアーシャは感動に震えながら、飲み込む。


「アーシャちゃん、アーシャちゃん」

そんなアーシャにアキラの母が笑顔で声をかける。

「はい、すぷん」

そして持ち手のついたスプーンを差し出してくれた。

「あいがとぉ!!」

これさえあれば、ゼンの手を煩わせずに、魔物団子が食べられる。


「……………」

そう思ったのだが、ゼンの器に残った無惨に切り裂かれた魔物団子が気になる。

「ゼン、ゼン!」

切り裂かれた物と交換しようと、スプーンにアーシャの一個を持ち上げて、ゼンに提示する。

「ふーふー。アーシャ、ふーふー」

しかし通じることはなく、冷まして食べなさいとばかりに指導されてしまう。

ゼンは見本とばかりに、切り裂かれた自身の魔物団子を吹いて見せて、上手に串でまとめて食べてしまう。


「ふー、ふー」

アーシャは仕方なく、スプーンの上の魔物団子を吹いて、齧り付く。

「!!!!」

カリッとした感触の後に熱々のトロトロが口の中に広がる。

火傷するほどの熱さではないが、その寸前の熱々は、しっかり冷やしたものより、数倍美味しかった。

より旨味も引き立つ感じがする。

「ハフハフ、ん!んんん!ハフハフ!」

アーシャはあっという間に夢中になってスプーンの上の球体に齧り付く。


いつの間にか、新しく着替えた服にも汗が滲む。

「おいふぃ〜〜〜!」

時々鳴き声のようにそんな声を上げながら、アーシャはせっせと齧り付き続ける。

「おいしー、ね!」

「ね!」

隣のアキラが、口の周りをベタベタにしながら笑いかけてくる。

きっと同じような顔になっているであろうアーシャも笑い返す。

二人でハフハフと白い湯気を見せ合ったりしながら食べると、余計に美味しい。


そんなアーシャとアキラを、アキラの母は目を細めて見ている。

ゼンが二艘目の器も空にしているのに対して、アキラのお母さんはそんなに食べていない。

こんがりと焼き色のついた『うどん』を少しづつ口に運んでいるだけだ。

少し食べては、大きなお腹を少しさすって、また少し食べる。

もしかしたら赤ちゃんで体の中が満杯で、食べ物が入り難いのかもしれない。


(もうちょっと私が回復したら、力を分けられるんだけどな)

そう思うも、今のアーシャはゼンの神気おこぼれで何とかもっている状態だ。

(大丈夫かなぁ)

心配になって見つめるその先で、アキラの母は愛おしそうにお腹を撫でて、また『うどん』を口に運ぶ。

お腹の子供のためにも、頑張って食べているようだ。

(………お母さん………)

脳裏に誰かの姿が浮かびそうになるが、それは直ぐに霧に巻かれるように消えていく。


何も思い出せないのに、妙な寂寥がアーシャの心を絡めとる。

「…………ゼン」

「ん?」

小さい声で呼びかけたのに、カパカパと魔物団子を食べていたゼンは反応して顔を上げる。

「……………」

反応してくれた彼に、何か言おうとしたが、何も言えない。


自分が感じている、この寂しさや切なさが、何なのかわからない。

でも何か辛いような気がする。

そんな漠然とした事をゼンに伝えたところで、彼も困るだろう。

「おいで」

突然無言になったアーシャに、椅子ごと近寄ってきたゼンは、手を伸ばす。

そして膝に乗せて、口を柔らかい紙で拭いてくれる。


温かさと、アーシャを守るように囲んでくれる神気に、つい今しがたアーシャを捕らえた切ない感情は、霧散していく。

ホッと息を吐きながらアーシャはゼンにしがみつく。

「どーした?」

ポンポンと叩かれる背中が気持ち良い。


気持ち良すぎて、瞼がトロリと下がってしまう。

(あ………待って……赤ちゃんが産まれる時に……守れるように……しないと……)

急激に訪れた眠りの谷に落ちる瞬間、アーシャはそう思ったのだが、その思考すら終わらないうちに、意識は切れてしまった。



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