17.聖女、魔物の触手をいただく(前)

この国は大変な清潔好きである。

毎日沐浴し、やたら良い匂いの泡で全身を洗い、洗いたての布で体を拭き、拭いた後の布は使い回される事なく、そのまま洗濯される。

風呂の後は、やはり洗いたての服を身につけ眠る。

そして起きたら顔を洗い、再び洗い立ての昼用の服に着替え、寝るためだけに着た服は、そのまま洗濯される。

衣類などの、身につけるものは常に清潔で、酸っぱい臭いとか、汗臭いとか、そんな物をここに来て感じたことがない。


アーシャの国では簡単に衣類を洗うことはできなかったので、初めのうちは驚いていたが、最近は当たり前のように受け入れていた。

(まさか昼にもお着替えをすることになるなんて……)

しかし汗をかいただけで衣類を交換された事には驚きを隠せない。


「あーさ!おきがえ、だよ!」

先に新品の服に着替えたアキラがいなかったら、きっと事態を飲み込めなかっただろう。

楽しく活動したせいで、しっとりと水分を含んだ服は、水分を通さない素材不明の透明な袋に入れられ、代わりに、洗い立ての花の匂いのする服を出される。

「あーさ、ごしごし!」

服を着る前に、体を丹念に拭いてもらって、何か体がサラサラになる粉まで塗ってもらった。

(一瞬で新品になっちゃった)

お互いにお着替えが終わり、良い匂いがするアキラと笑い合う。


(こ……この快適さ……クセになるな……!?)

一瞬で体にまとわりつく冷たい感触がなくなり、暖かい布に包まれる至福に、うっとりしてしまう。

「あーさ、いーこ、いーこ!」

「おきがえすごいわ〜〜〜!アーシャちゃん!!」

そして何故か新しい服を着るだけで、激しく称賛されまくる。

なぜ褒められているのかわからないのに、ついつい調子に乗って、嬉しくなってしまう。


「ゼン!おきが、よ!」

そして調子にのりまくって、自慢するように、部屋の外にいるゼンの所に報告に行ってしまう。

「おぉ!」

部屋のすぐ外で待ってくれていたゼンは、突然飛び出してきたアーシャに驚くこともなく、満面の笑みで受け止めてくれる。

「おきがえ、えらいな!かわいー!」

そして両脇の下を持って持ち上げて、手放しで褒めてくれる。


「えへへへへへ」

ゼンが笑ってくれると、アーシャも自然と頬が緩む。

アキラとアキラのお母さんは優しいし、大好きだ。

でも二人と一緒にいると、何故かものすごくゼンが恋しくなるのだ。

だから大きい手に頭をぐちゃぐちゃにかき回され、頬を手のひらに包まれると、ホッとする。


『アァシャも主人の前だと、ただの甘えんぼだな』

私は違うとでも言うように、モモタロがフンッと鼻息を吹き出しつつ、胸を張ると、

———モモタロー ヤキモチ シナイ

バニタロがボソリと諌める。

『んなっ!?や、や、ヤキモチなどやいとらんぞ!わらわの体は、ずーーーーーっと主人のお近くで、主人をお守りしとるのだからな!』

———ヨシヨシ バニタロー スル。ガマン

『うるさいうるさい!バニタロウにヨシヨシされても嬉しくなーーーーい!』

二人(?)はすっかり仲良しである。


(血のつながりなんか無くても、ずっと一緒にいたらこうやって仲良くなって、家族みたいになるんだな)

微笑ましいやり取りを見ながら、アーシャは安心できるゼンのお腹に張り付く。

「……………」

「ん?」

ふと気がつくと、レディの嗜みもへったくれもなく、思いっきり甘えるアーシャを、アキラが見つめている。

その目は寂しそうだ。


「あ………」

チラッとアキラが視線を送った先を見て、アーシャは眉を下げる。

寂しげな視線の先には彼女のお母さんがいる。

そのお腹は大きくて、とてもじゃないがアキラを抱き上げられそうにない。

「アキリャ、あ、あ〜……ゼン、ゼン」

アキラより小さな体では抱き上げることはできないが、手を繋ぐことはできる。


そう思って、下におろしてくれと、ゼンの胸を叩いて合図したのだが、

「ん?あぁ……アキラちゃん、おいで」

しゃがんだゼンはアーシャを抱っこしていない方の手を、アキラに伸ばす。

「…………!!」

驚いた顔のアキラの顔は、すぐに輝き始めた。


「わぁ……たかーーーい!」

アキラの歓喜の声が上がる。

右にアーシャ、左にアキラと両腕に子供を乗せているとは思えない、悠々とした歩みでゼンは進む。

二人揃って抱き上げられたアーシャとアキラは、くっつきあってキャッキャと笑う。

アキラの母やゼン、そして先ほど合流したゴミは何やら大人の話をしているようなので、アーシャたちもお互いが気になるものを指差して教え合ったりして、自分たちの言葉で色々と感想を述べ合う。


アキラは抱っこがよっぽど嬉しいのか、高い視点にあるものを指差したり、高い所にある物に手を伸ばしたりして笑っている。

「ふふふ」

そんな嬉しそうな様子に、アーシャの頬も緩む。

まだゼンに対しては少し人見知りがあるようで、話しかけらると恥ずかしそうに口ごもるが、しっかりと彼に掴まった手に、彼女の信頼が見える。

(そうでしょう!そうでしょう!ゼンは信頼できるでしょう!!)

ゼンの代わりにアーシャが、誇らしげに胸を張る。


「は?」

そんな事を思っていたら、不思議な現象が起こった。

ゼンは立ち止まったのに、前進が止まらない。

「はえっ!?」

歩く振動がしないのに、進み続ける不思議に驚いて足元を見たアーシャの目には信じられない物が飛び込んできた。

今の今まで、平らな床にいたのに、いつの間にか、階段にのっていたのだ。

「ほぁええぇぇぇ!?」

何が起こったかわからないアーシャは、ゼン越しに後を覗いて、更に理解できない光景を目の当たりにする。


床を構成していた板が、次々に前に出て来て、更にその後ろから次々と板が現れてくる。

前に出てきた板は次々と沈んでいって、『私、先ほどから階段でしたよ?』みたいな顔で、階段の段になっていく。

次々出てきて、次々に沈んで段になっていくと言うことは、その一つにのったアーシャたちもどんどん沈んでいく。


(このまんま沈んじゃったらどうなるの!?)

そう思って階段の終着点を見て、

「??????」

あまりに不可解な光景にアーシャは固まる。

今度は階段の段になった板たちが再び真っ直ぐになって、床の下に吸い込まれていっている。


(えっと……床がどんどん出てきて、階段になって、もう一回床になって、吸い込まれていく……?えっと……ドンドン出して、ドンドン吸い込んで……階段を動かすためだけに絶え間なく具現化して、それを回収していくの?)

アーシャには全く理解できない。

階段が勝手に動いてくれたら、それは確かに楽だが、それを実現するために、こんな大掛かりな魔法具を作っても大丈夫なのだろうか。

(資源と才能と魔力の浪費に見えるけど……色々大丈夫なのかしら?)

勝手にこの国の行く末が心配になってしまう。


こんなちっぽけな子供が、国を案じているなど、周りは気がつくはずもない。

「あーさ、ごはん!」

現れ続け、消え続ける階段を下りてからも、ゼンの肩越しにそれを凝視するアーシャに、アキラが声をかける。

「『ごあん』!?」

その一言で、国の行末を憂慮する崇高な感情は即時に霧散した。

結局のところ国より、自分の胃袋を優先してしまうのが人間というものだ。


振り返ると、そこには広々とした空間が広がっていた。

空間の真ん中には、ずらりと卓と椅子が並び、その空間を囲む壁に店が並んでいる。

「わぁ〜〜〜!!!」

アーシャは歓声を上げる。

なんとその空間にある店は、全て食べ物を売っている様子なのだ。

各店からは空腹を呼び起こす匂いが流れ出し、美味しそうな食べ物の絵を店頭に掲げている。


露天でミートパイやパンを売っているレベルではない。

前を見ても右を見ても左を見ても、食べ物である。

夢の光景だ。

アーシャの腹の虫も『お腹が空いているんだった』と今更気がついたように、大きな鳴き声を上げる。

「『ごあん』………!!」

まだ食べるものも決まっていないのに、アーシャの口の中にはジュワッと唾液が湧いてくる。


「あーさ、ちゃこやき、たべよ!たこ!ちゃこやき!」

アキラが沢山あるうちの一つの店を指差す。

「……………?」

他の店は美味しそうな絵や、見本と思われる料理を並べているのに、アキラが指差した店だけ何も出ていない。

店の上に、暗赤色の、妙に下向きなひさしがついているだけだ。

(何で室内の店に庇が……?しかもこの不気味な絵は……?)

雨が降らないはずの場所なのに庇がある不思議。

それ以上に不思議なのが、その庇に書かれている絵だ。


少し後ろに潰れた歪な卵型の、恐らく頭部と思われる部分から、直接細長い触手が生えている。

それだけで何とも言えない邪悪な形なのに、その全身は不吉な真紅に染められている。

(血に染まったような……しかも何であんな所に目がついているのかしら……)

頭部と思われる部分の、かなり下の方に、妙につぶらな目がついている。

(あれは……口、かしら?)

目の少し下に、蚊を思わせる管がついていて、アーシャはゾッとする。

(アレをブスッとやられて、脳髄とか吸われそう……)

触手に絡め取られ、あの管を耳に突っ込まれる姿を想像してしまう。

恐怖だ。


頭部の、通常の生物であれば目がついている辺りに、何故か白い帯が絞められている。

(真っ裸ならただのモンスターって感じだけど、装飾品をつけている所を見ると、知能がありそう……)

触手のうち一本が、棘のないモーニングスターのような物を持っている様子も、妙に人間臭くて、知能があることを示している。


「た・こ」

アーシャが庇に描かれた絵を見て警戒していると、それに気がついたゼンが、指を差して教えてくれる。

どうやらこの魔物の名前は『たこ』と言うらしい。

(禍々しい姿だわ)

こんな物を堂々と店先に掲げていたら、悪魔崇拝していると、教会から因縁をつけられても不思議ではない。


(ん………?待って、待って。ここも食べ物を売っているのよね?)

アーシャはハッと気がついた。

魔物がやっている店、なんてあるわけない。

じゃあ何故あんな絵が書いてあったのか。

(まさかまさか………)

ごろっと焼かれたアレが供されるのではないか。

アーシャに戦慄が走る。


「た・こ・や・き」

そんなアーシャの不安などお構いなしに、そう言ったゼンは、店に近寄っていく。

(せ……せめて、抵抗なく食べられるような形になっていますように………!!)

アーシャは必死にゼンの胸で願いながら、恐る恐る店の中に視線をやったのだった。

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