15.聖女、知識の泉を覗く
アーシャはガックリと肩を落とした。
(やっぱり浄化は無理だった……)
ゼンから分けてもらった神気と、自分の力をギリギリまで注いでみたが、やはり歌だけでは胎内の赤ちゃんに縁付いた魔力を引き剥がすことはできなかった。
それもこれも、母体が見た目以上に弱っていたからだ。
母体は我知らず、子供を守り続けていたため、呪いの影響を濃く受けてしまっていた。
彼女に絡みついた魔力を引き剥がして回復するだけで、ほとんどの力を使ってしまった。
(何の力もない女性が呪いに対抗するなんて……母は強し、って事なのかしら)
眠っていても、尚、子供を守ろうとする母の強さに、アーシャは驚かされる。
(頑張り屋さんなお母さんに祝福を)
頭に口付けて、祝福と同時に、結界を付与した。
残りわずかな力を、一か八かで、胎児の浄化の為に力を送り込むより、彼女の全身に流ている浄化の力を利用して、結界を張った方が、当面の安全を安全を守れる。
そう判断したのだ。
(これでお母さんは大丈夫)
大きく息を吐きながら、アーシャはゼンの膝に戻る。
「アーシャ?」
突然
何もわからないゼンから見るとアーシャの行動は意味不明なのだろう。
彼は戸惑い気味だ。
アーシャはあぐらをかいたゼンの足を、即席のベッドのようにして横になり、頭を彼の太ももにのせる。
レディとしてあるまじき姿だが、勘弁してほしい。
あと少し、あと少しと、自分の力を放出しすぎて、もう体を支えるのもだるい。
燃料切れの体に、守るように取り囲んでくれるゼンの神気が心地良い。
『ご婦人は守れたが、後はどうする?』
———ボタイ ナカ ノロイ ハイル ナイ。アンゼン
『赤子はいつまでも腹の中じゃないぞ?こんなにパンパンなんじゃ。すぐ出てくる』
傍ではバニタロとモモタロが会議をしている。
そう。母体に守りは施した。
その為母体の中にいる間は安全だが、問題は生まれた後だ。
呪いが解けていない胎児が、守りを施した母体の外に出てきたら、どうなるかがわからない。
ダメ押しとばかりに、母に祝福を付与したが、一つ身であれば届いた母の守りも、二つ身になると、どれ程届くかわからない。
眠りながらもお腹を守るように体を丸めている女性を、アーシャは見つめる。
先程から比べると、頬に赤みが差し、表情も柔らかくなっている。
アーシャが歌っている間、応援するように一緒に歌ってくれていたアキラも、ホッとした顔で女性を覗き込んでいる。
(あ………、そっか、彼女はアキラのお母さんなんだ)
ぐっすり眠っている女性に、甘えるようにアキラが頭をくっつけると、ピクンと女性が反応して、その頭を愛しそうに撫で、ポンポンとその肩を寝かしつけるように叩き始める。
(母の愛………!!)
熟睡しているのに、子供が来たら自然に寝かしつけに入る。
達人は眠りながらに危機を察知し、剣を抜くと言うが、これはそれと同等の技なのではなかろうか。
「………………」
肩を優しく叩かれるアキラは幸せそうだ。
(……お母さん……)
喜ばしい光景のはずなのに、何故か胸が痛む。
アーシャが母と別れたのは、力に目覚めて二度目の冬を迎える前で、もう遠い昔のことだ。
今更恋しくなるはずもない。
故郷に帰って家族と暮らすことを、ずっと心の支えにしていたが、今では母を思い出す事もできない。
(アーシャのお母さん……)
髪は黒かったような気がするが、まるで靄でもかかっているかのように、母の顔も声も思い出せない。
母だけではない。
兄たちに至っては髪の色すら思い出せない。
「……………」
汗が冷えたせいもあるのか、身も心も冷えた気がして、アーシャは丸くなる。
「アーシャ」
そんなアーシャの頭を、大きな手が撫でる。
そして頬も撫でてから、アキラの母と同じように、ポンポンと背中を叩いてくれる。
「………へへへ」
温かくて大きな手がアーシャを温める。
見上げれば、慈しみのこもった黒い目と目が合う。
アーシャはコロンと転がってゼンのお腹に巻きつく。
(私にはゼンがいる)
ちっとも寂しいことなんてない。
ここに来てから、一度も『帰りたい』なんて思ったことは無い。
『帰りたい』『いつか帰ってみせる』『帰るために絶対生き残る』
ずっと悲願のように繰り返していたはずなのに、今は『そんなふうに思っていたんだった』と他人事のように遠く感じる。
(私って……結構薄情なのかも)
己の現金さに、そんなことを思ってしまう。
(誰かが待っていてくれるって、自分は誰にも愛されていないって思いたくなかっただけなのかも)
自分も誰かの娘であり家族なのだと、そう思わなければ、本当に便利な『道具』に成り下がってしまう。
人でなくなったら、もう誰のためにも頑張れなくなってしまう。
歯を食いしばれ無くなる。
それがわかっていたのかもしれない。
「……………」
撫でるように、温めるように、ゆったりと叩かれる振動が心地よい。
背中を覆ってしまえるほど大きな手の温かさに、アーシャは頬を緩ませる。
ゼンは『アーシャ』を大事にしてくれる。
毎日一緒に寝て、食べて、こうやって楽しい所に連れてきてくれる。
アーシャが嬉しい時、一緒に笑ってくれるし、寂しさを感じたら、こうやって寄り添ってくれる。
自ら暗示をかけて、しがみつくようなことをしなくても、一人の人間でいられる。
(………アーシャのお父さん)
不自然なくらいに家族の顔や、どんな事を話したかは忘れてしまっているのに、自分が育った環境などは覚えている。
母や兄たち、そしてアージャ自身を、まとめて守ってくれる存在を切望していた事も覚えている。
だからか、この大きな手に守られていることに、殊更、安心する。
「……あーさ……」
幸せな気分のまま、目を閉じてゼンの神気を感じていたら、遠慮がちに声がかけられる。
「アキリャ?」
ぐっすりと眠った母の横で、アキラが手持ち無沙汰な顔をしている。
心なしか寂しそうだ。
「アキリャ」
残念ながら、活動できるほど自分の力が戻っていないので、ここにおいでよとばかりに、アーシャは両手を広げる。
ここに来てくれればアーシャでも彼女を抱きしめられる。
「え……」
誘われたアキラは目を大きくして、アーシャとゼンを交互に見つめる。
ゼンの足で形作られた
確かに持ち主の許可なしにお誘いするのは良くなかったと、アーシャがゼンを見上げると、彼は笑いながらアキラに何かを話しかける。
アーシャにはあまり聞き取れなかったのだが、アキラは顔を輝かせて、踵を返す。
「……………?」
アーシャが首を傾げていると、彼女は少し大きな本らしきものを手に戻ってくる。
「よっと」
ゼンはごろ寝していたアーシャを起こして、お腹に寄りかかるような形で座らせる。
「こちにおいで」
そして空いたスペースを叩いて、アキラを誘う。
「ん」
アキラは小さく頷いて、少し緊張気味に、アーシャの隣に収まる。
「アキリャ」
アーシャは表情の硬いアキラの手を握る。
沢山アキラはエスコートしてくれたので、今度はアーシャが元気をわけたいと思ったのだ。
「ふふふ」
「へへへ」
思いはしっかり伝わったようで、アキラが可愛らしい
ゼンの体温より少し高い体温と、寄り合うようにしてアーシャは座る。
「しんでれら」
二人がしっかり座ると、ゼンが目の前に大きな本を開いて、読み始めてくれた。
「わ〜〜〜〜!」
誰かに本を読んでもらうなんて初めてかもしれない。
アーシャは目を輝かせる。
本は全てが分厚い紙で作られており、縁こそヨレヨレになっているが、中には発色が鮮やかな美しい絵が描かれている。
(なんて愛らしいの……!!)
そこに書かれた、髪をまとめ上げた女性の絵に、アーシャは目を見開く。
(こんなにはっきりとした色で人物を描くなんて!すごく斬新だわ!!まるで教会の
はっきりとした鮮やかな色彩と、生き生きとした表情に、アーシャは目を奪われる。
今まで見たことがあるのは宗教画か肖像画で、生真面目な表情ばかりだったので、愛らしい笑顔を浮かべる女性の絵に、あっという間に魅せられてしまった。
(こんなに滑らかだし、凄いわ!)
色といえば絵の具しか思いつかないアーシャには、表面に何の凹凸もない、硝子のような感触も不思議で好ましく感じる。
『つーやくしてしんぜよう!』
赤ちゃんを守る会議をしていたバニタロとモモタロも、ちゃっかりゼンの膝にのって、寛いでいる。
(こ……これは!!)
美しい絵がページ毎に描かれ、その上や下に文字が描かれており、それをゼンが読んでくれる。
そしてその内容をモモタロが主になって通訳して、バニタロが捕捉してくれる。
これ程恵まれた言語学習の機会が、他にあるだろうか。
またとない勉強の機会だと、アーシャは張り切って物語を聞く。
(可哀想……こんなに小さくしてお母さんを亡くしてしまうなんて)
(まぁ……なんて意地が悪い!年長者が下を庇護しないなんて……!)
(………こっちにはこんなに小さな獣人がいるのねぇ……リス……と思いたいけど、尻尾的にこれはネズミよね。……ネズミはなぁ……)
しかし最初は真面目に文字と物語を追っていたのだが、そのうち物語が面白くて、そちらに夢中になってしまった。
そして楽しんでいたら、こちらの魔法使いが出てきて、衝撃を受ける。
(こっちの魔法使いって……具現化!?変化!?よくわからないけど、とんでもないわ!!こんな万能な力ってあり得る!?)
相手の視覚を狂わせ、幻影を見せる呪いなら知っているが、実際の物を出せるなんて聞いたことがない。
(この国が豊かな理由がわかった気がするわ……!!)
やはり本と言うものは、知識の泉だ。
早く文字を覚えて、自分で読めるようにならなくてはいけない。
(十二時って、どこの時計での十二時なのかしら?)
(え!?具現化って解けるものなの!?でも硝子の靴だけ残るのは何故?)
(靴ってそこそこ大きさが違っても履けるわよねぇ……?とりあえず大体の足の大きさで絞り込んで、後は城での面割り、みたいな流れになるのかしら?)
物語というものに慣れていないアーシャが首を傾げる場面は色々とあった。
(王子様と結婚……身分も後ろ盾もない身で王宮に入るなんて、私は絶対に嫌だと思ったけど……。いやいや。こっちの国の『王子様』はちょっと違うのかもしれない)
こちらの常識がわからない身では少々手放しで祝福できないような結末だったが、それでも、かなり面白かった。
この一冊だけでも知識が沢山詰まっていた。
『ふ〜ん、中々西洋の物語も面白いではないか』
———ツギ ミル
アーシャだけではなく、バニタロとモモタロも面白かったようだ。
「おにいちゃ、つぎ、これ」
一つの話を読み終わると、アキラはまた次の本を持ってくる。
どの本も愛らしい女性が出てくるのだが、総じて言えることは、この国の『魔法使い』はかなりの万能だという事だ。
人を獣に変化させる呪いをかけたり、城ごと数百年の眠りにつかせる呪いをかけたりと、信じられない強力さだ。
(これだけ強力なら、赤ちゃんにかかっている呪いも、万全を尽くさないと解けないかも……。勝負は生まれた後。できれば生まれた瞬間に、準備を整えて浄化したいんだけど……)
生まれてしばらくは、お母さんにかけた祝福が赤ちゃんをも守るだろうが、こちらの魔法使いの強力さを考えると、早めに対応したい。
(問題は、生まれる瞬間にどうやって立ちあわせてもらうか、よねぇ)
ただでさえ信じてもらえないような話なのに、アーシャの、この子供にしか見えない外見だ。
子供の戯言と聞き流される可能性が高い。
そして、そもそも言葉が通じないので、事情説明する事ができない。
(どうしようかなぁ)
う〜んとアーシャが腕を組んでいると、
「まま!」
本を選んでいたアキラが嬉しそうな声をあげて、横になっていた女性に走り寄った。
眠たそうな顔をしながらも、彼女の母親が目を覚ました。
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