10.長男、遊戯施設へ乗り込む

バスで眠ってしまったアーシャを揺らさないように、禅一はそっと歩いていた。

(ギリギリまで眠らせて、体力を全部遊ぶ方に使わせてやろう)

アーシャがどれだけ喜んで遊んでくれるかで、心の中は一杯だ。

(きっと室内遊技場なんて行った事ないだろうから喜ぶぞ)

ウキウキと弾みそうになる足を何とか制する。


小さい頃、祖母が連れて行ってくれた、小さな室内遊技場の空気を思い出して、禅一の頬には自然と緩んでしまう。

ずっと屋外を走り回っていた禅一には、スーパーの遊技場はかなり小さく感じたが、その小さな空間に沢山の遊び物が詰め込まれていて、楽しかった。

おもちゃ箱に体ごと入ったような感覚だった。

何より、そこでは祖母が笑いながら見守っていてくれる事が嬉しかった。

あの頃は、今からこれをやるから見ていて、さっきあれができたの見ていてくれたか、これがこんな風に楽しいと一々話しかけていたので、祖母はゆっくり休むこともできなかっただろう。

しかし、いつもは常に忙しく動き回っている祖母が、ゆったりと座って、自分たちの遊びを見守ってくれる事が嬉しくて、やめられなかった。


成長してからは、わざわざショッピングモールにまで足を伸ばすこと自体が稀だったし、見てくれる人がいないとゲームは途端に輝きを失ってしまったので、遊戯施設に足を向けることもなかった。

(今はどんな物があるのかな)

昔はワニを叩きまくるゲームなどをしていたが、今もそんな物はあるのだろうかと禅一は考える。


「アキラ!!」

そんな事を考えつつ、ショッピングモール内の駐車場を横切ろうとしていたら、女性の悲鳴が耳に飛び込んできた。

同時に視界の隅に、小さな人影を捉える。

「おっと」

考えるより前に体が動いた。

素早く走り寄り、右手だけでアーシャを支え、左手で走ってきた人影を捕まえる。


そんな彼の前を、徐行していた車の運転手が一礼しながら、通過していく。

飛び出そうとしていた小さい影の存在に気がついていなかったらしく、驚きと安堵が混ざった顔をしていた。

「ひっ!!」

遅ればせながら、禅一に胴体を掴まれた子供は、彼を見上げて硬直する。

その表情は恐怖映画に出てくる哀れな犠牲者のようだ。

(やっぱり抑えきれてないか……?)

氣の抑え方が何となくわかってから、外では実行しているのだが、やはり自力ではそれ程上手くできておらず、子供には恐怖を与えてしまうようだ。


恐怖に引き攣ったまま固まった子は、耳が全部出る短髪で、男の子としては少し長く、女の子としては少し短い。

来ている服も、落ち着いた柄の長袖Tシャツにモコモコの上着、柔らかそうな素材のズボンで、男女の区別がつかない。

そのため、何と呼びかけていいかわからず、禅一は咄嗟に言葉が出ない。

「アキラ!!」

すると後ろから来ていた女性が、追いついてくる。

「おかーさん!!」

泣きそうな声を上げて、その子は母親に飛びつく。

いや、飛びつこうとしたのだが、母親の大きいお腹を直前で回避して、そっと足にしがみつく。


「娘を有難うございます!!」

その子をしっかりと両手で掴んでから、母親は頭を下げる。

大きいお腹がつかえて、頭を下げるだけでも大変そうだ。

妊婦なのに走ったせいか、顔色も良くない。

「いや、事故がなくて良かったです」

氣が垂れ流しの自分が近くにいては負担になるかもしれないと思って、禅一は軽く頭を下げ返して、すぐにまた歩き始める。

(女の子だったか。『ボク』って呼びかけなくて良かった)

内心、そう思ってホッとしていたことは内緒である。


(子供を連れていると、こういう時に変態扱いを受ける心配が少ないから助かるな)

成人男性が気楽に子供に触れると、後々問題になりやすいので、禅一は腕の中のアーシャの存在に感謝する。

『子連れの成人男性』と『成人男性』では周囲の目が違うのだ。

周囲の目が違うからと、行動を変えるつもりはないが、後々、面倒臭い事にならないのは助かる。

「……………ほぁ?」

そんな事を思っていたら、緑の目が半分開いている。

「あぁ、起こしたか」

本来の昼寝の時間でもなかったので、今の軽い振動でアーシャは目を覚ましてしまった。


「…………あ、ば、ばしゅ……!!」

今更バスを探して周りをキョロキョロと探す様子が、気の毒可愛い。

散々キョロキョロしてバスを探し、モールの存在に気がついて、興味が移る。

そんなわかり易い所も可愛らしい。

口が開きっぱなしになった間抜けな表情も、言うまでもない。


横抱きにしていたのを縦抱きに変えても、アーシャは気が付かず、夢中で建物を見上げている。

「アーシャ、えっと……しょっ・ぴ・ん・ぐ・もー・る……?」

教えながら、ちょっと単語としては長いかなと思っていたら、

「しょびぐもりゅ?」

案の定伝わらない。


「………あいにゅいみい?ひんにぅいにあ?」

アーシャは何やら呟きながら首を傾げている。

(そうだよなぁ、ショッピングモールってちょっと長いよな。モールでも通じるからそっちで良いか?)

しかし『モール』と言われて、禅一がまず思い浮かぶのは、お菓子の袋などを縛っている、針金入りの飾り紐だ。

「しょびんもりゅ………」

どうしようかなと思っていると、言いにくそうに繰り返したアーシャが、ため息をついている。


「もー・る」

そんなアーシャに禅一は教え直す。

まだまだ単語が足らない、聞き取りも上手くできていない状態のアーシャには、覚え易い方を教えたほうがいい。

とりあえず伝えられる手段を手に入れるほうが先で、正確性は二の次だ。

「もーりゅ?」

真似をするアーシャに頷けば、彼女は楽しそうに、ニコニコと笑う。

やはり発音し易いほうが良いようだ。


建物内に入ると、アーシャは上を見たり、左右を見たり、伸び上がって奥の方を見たりと、観察に忙しい。

時々うにゃうにゃと呟きながら、楽しそうに周りを見て回っている。

女性物の洋服屋を見て目を輝かせ、紳士服店の中を覗き込んでは何かを納得したように頷き、携帯ショップの椅子を興味深そうに観察して、コスメ店の可愛らしい色とりどりの容器を見て首を傾げる。

ドラッグストアの前にある、少し古ぼけた、某製薬会社のゾウのマスコットは、かなり気に入ったようで、通り過ぎても、伸び上がって見ていた。

「乗れるタイプがあると良かったんだけどなぁ」

禅一が小さい頃は数十円で乗れる機体がまだ生き残っていたのだが、今ではもう見かけることはない。

乗せてあげられたら喜んだかもしれないと、アーシャが楽しむ姿を思い浮かべて、禅一は微笑む。


「お」

少し歩いたところで、お目当ての案内板を見つけて、禅一は確認する。

(へぇ、子供用施設だから一階かと思ったけど二階か。……え、フードコートが逆に一階か。ここに来ても飯を食いに行ったりしなかったから知らんかった)

ウィンドウショッピングなどという文化を持っていない禅一は、目指す店に一直線に行って、一直線に帰ってくるタイプなので、今更ながら店内の情報を集める。


(昼飯は何が良いかな……食い物屋は……ハンバーガーはこの前食ったしな。オムライス、うどん、焼きそば、スパゲティ……家で食えないのが良いな……石焼ビビンバ……は子供は無理か?クレープ……は喜びそうだけど、飯じゃないよな………お、フードコートじゃないけどドーナツ屋が入ってる。帰りに譲に買っていってやるか)

甘い物が好きでも、外では決してその片鱗を出さないようにしている弟を思い出して、禅一は笑う。


(うん。決められんな。連れていってから、アーシャが一番興味を示したものを買うか)

最終的には情報だけ把握して、決断をアーシャに託す事にした。

子供自身に選ばせるのが、結果的に一番良いだろう。

「アーシャ、お待たせ」

そう声をかけたアーシャは、真剣な顔で、案内板隣のエレベータと、その前でふざけ合っている男子高校生らしき三人組を見ている。

(子供にしたら、動きの激しいお兄ちゃんたちと一緒に乗るのは不安なのかな)

学生とはいえ、体はもう一人前に大きい。

しかし大人のように静かではなく、ふざけて蹴り合ったりしているので、子供には少し怖いかもしれない。


禅一は『俺がいるから大丈夫』と宥めるようにアーシャの背中を叩きながら、学生たちの後に並ぶ。

「ほへっっ!?」

エレベーターの扉が開いてから、アーシャは声を上げる。

学生たちと一緒に乗ることに気がついてしまったようだ。

「ゼン!ゼン!」

普段はそんなに騒ぐ子じゃないのに、鬼気迫った顔でアーシャが声を上げる。

過剰反応に禅一は驚くが、もう一度背中を撫でて宥める。


「ふんぬっ!!」

しかしよっぽど一緒のエレベータが嫌だったのか、乗り込む瞬間に、アーシャはエレベータの入り口に掴まってしまった。

抱っこされた状態から伸び上がって、両手で掴まる所に、強い拒否を感じる。

「こーら、アーシャ、危ない」

幼児渾身の危険行為を咎めつつ、入口の操作盤のあたりに密集する三人組を避け、禅一はエレベーターの隅を確保する。


(密室だから圧迫感があるのかな)

さり気なくアーシャから三人組が目に入らないように立つが、腕の中の小さな体は緊張している。

「ふんっとか言ってたぞwww」

「ちびっこ、突然の叛逆はんぎゃく

「てかさ、あの子供、外人じゃん?」

「マジ?」

「マジマジ。顔が全然日本人じゃなかったし、目の色違ってた」

学生たちの潜めているつもりのヒソヒソ声が、しっかり聞こえてくる。


アーシャが威嚇するように肩掛けから、お気に入りのデコ錫杖を取り出すと、

「魔女っ子ステッキ、キタ!!」

「ヤベェ変身する!?」

「何で唐突にステッキwww」

それが面白かったのか、声はひそめきれずに漏れ、笑い声も抑えきれていない。

コソコソと大盛り上がりされている。

(帰りは階段かエスカレータにするか)

アーシャが日本語がわからなくて良かったと思いながら、禅一はアーシャの錫杖をそっと肩掛けに戻す。


エレベーターが開くと、学生たちは走り出て、少し離れたところで爆笑を始める。

目の前で笑わないようにしてくれている所に配慮を感じるが、

「え?え?えええ?」

アーシャは驚いて挙動不審だ。


しかしそれでも、すぐに興味が逸れてしまう。

子供ならではの切り替えの早さだ。

キョロキョロと周りを見ていたアーシャは、通路中央に作られた一階からの吹き抜けに興味を持ったらしい。

首を伸ばして、アクリルガラスの柵に仕切られた先を覗き込もうとしている。

抱っこした状態で、柵の上から見せるより、柵に守られた下から覗いたほうが安全だろうと床に下ろすと、アーシャは走り寄っていって、張り付いて、楽しそうに階下を眺め始める。

あっという間に学生がいた事すら、忘れ去ってしまった様子だ。


「アーシャ」

しばらく楽しそうに下を見るのを待ってから、禅一は呼びかける。

そして手を差し出せば、体当たりするような勢いで、アーシャは飛びついてくる。

「うっわ、魔女っ子カワ!」

「頭クリンクリンの天使ちゃんじゃん」

学生たちの言葉を背中で受け止めつつ、禅一は心の中で頷く。

そう。うちの妹はとっても可愛いのだ。

このガニ股気味の短い足でチョコチョコついてくる姿など、どんな赤ちゃんより可愛い。


「アーシャ、着いたぞ」

そう言って、未発達な子供の目にもはっきりと認識されるであろう、大人から見ると少々ドギツイ原色に彩られた看板に彩られた店を禅一は示す。

「ふぉぉぉぉおおおお!?」

すると、こんなに素直に目を輝かせて喜んでくれる。

これが可愛くないはずがない。


アーシャはキラッキラの笑顔で、中にある遊具たちを見つめる。

「ゼン!ゼン!!」

禅一が連れてきたのだから気がいていないはずがないのに、凄い物を見つけたとばかりに、指差しで教えてくれる。

繋いだ手から、その喜びが伝わってくる。


「手続きするから、ちょっと待っててな」

中で遊ぶためには会員登録や、施設の利用説明を聞くところから必要だったのだが、その間中アーシャは目を輝かせては何やら指差しして報告してくれる。


「ゼン!」

「うんうん。すごいな、ボールプールとアスレチックだな」

アーシャが目を輝かせているのは、入ってすぐの、目立つ位置にある、巨大なボールプールだ。

一階が丸ごとボールプールで、二階がボールプールを囲む形で作られたアスレチックになっている。

凹凸のある坂や、小さな階段、網梯子を使って、ボールプールの中から二階部分のアスレチックに登ることができるようだ。

二階とはいっても禅一の胸程度の高さで、目の細かいネットに囲まれているので、落下の心配もない。

アスレチックには筒のようなトンネルがあったり、決して落ちないように周りを囲まれた一本橋があったり、ボールプールに向かって滑り降りられる滑り台などがあって、低年齢の子供にはたまらない作りだ。


「ゼン、ゼン!!」

「うんうん。ピョンピョン楽しそうだな」

ボールプールの隣には、かなり大きめのエアー遊具があって、そこでは飛び跳ねる他に、大きな滑り台から滑り下りる事もできる。

普通の滑り台と違って柔らかいので、子供達が勢いをつけて、飛び込むようにして滑っている。


「ふわ〜〜〜!」

「あれは……何だろうな……ちくわ的な……」

巨大な、透明のちくわのような遊具は、禅一も初めて見る。

円柱形の大きなバルーンの中央に、大きな穴が空いていて、真横から見たら大きなドーナツだ。

真ん中の穴に入って、転がして遊ぶようだ。

今入っている子供たちは、回転する穴の中で、もみくちゃになりながら、キャッキャと声をあげて笑っている。


他にも小さな子供用の家が立ち並んだ、ごっこ遊び用のスペースや、少し大きい子供用と思われる、体を使って登ったり飛び降りたりする大きなジャングルジムや、トランポリンもある。

これはかなり長時間遊べるはずだ。

禅一は奮発して、出入り自由の一日フリーパスを購入する。

手続きの間中、アーシャは色々と報告してくるが、禅一から離れることはない。

ウズウズしながらも、しっかりと足にくっついている。


「よし!レッツゴー!」

ようやく全ての手続きが終わって、禅一がそう言うと、

「りぇちゅごーーー!」

アーシャも元気よく復唱する。


この後、子供用サイズの遊具に入る苦難や、筋肉質な己の重さによるトラブル、そして若すぎる保護者への注目などが待っていることなど知らずに、禅一はアーシャとともに楽しむ気満々で、乗り込むのであった。

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