8.同級生、出会う

三人兄弟の下に生まれた、待望の女の子。

可愛い可愛いと持て囃され、愛されて育った。

『自分は可愛い』という自信があるだけで、クラスやご近所でも頭ひとつ抜けた特別な存在になれた。

いわゆる、スクールカーストの頂点で、男子たちは自分に優しくしてくれるし、女子たちは自分と一緒にいたがる。

兄弟も親も自分に甘くて、通らない要望の方が少なくて、欲しいものは何でも手に入った。


親はそこそこ裕福で、家族関係も悪くない。

カースト上位で学力もある。

容姿のおかげで周りからは常に持ち上げられる。

人生の優先レーンを歩くのが当たり前で、何か不便があったら誰かが道を譲ってくるのが当たり前。

そんな常春の人生を歩んでいた飯島いいじま璃子りこだったが、去年、大学に入ってから、初めての壁にぶち当たった。



文系と理系は敷地自体が違うので、『彼』の存在に気がついたのは、文理共通の教養講座でのことだった。



教室の後ろの方で退屈そうに座る男子生徒。

後で調べると工学部の生徒だと分かった。

サラサラの茶色の髪に、化粧もしていないのに毛穴の存在を感じない、キメの整った白い肌。

少し吊り気味のアーモンド型の二重で、その中にある瞳は透明感のある茶色で、鼻も高いし、歯並びも良い。

完璧なパーツが完璧な位置に配置されており、その造形には文句のつけどころがない。


スラリとした長身で、手足が長く、細身ながらしっかりと筋肉のついているシルエットはモデルのようだ。

理系学部はどちらかというと野暮ったい服装の生徒が多いのに、服のセンスも良い。

彼氏にするなら、この人しかいないと思った。


しかし外見は完璧な彼だったが、性格が酷かった。


席の隣に座って良いかと声を掛ければ、聞こえなかったようにシカト。

聞こえなかったのかと、もう一度声を掛ければ、「どーぞ」と無愛想に答え、隣に座れば、当然のような顔で別の席に移動する。

挨拶しても聞こえていないような顔でシカト。

涙ぐんで周りの生徒に抗議してもらったら、不機嫌そのものの顔で、イヤホンを耳から抜いて「何で知りもしねぇ奴の為に、音楽止めて、ご挨拶しないといけないわけ?どこの上級国民様だよ」と周囲を凍り付かせるような声で言い切る。


後に彼が難攻不落の『鼻折はなおり君』と呼ばれていることを知った。

彼に声をかけるのは、自分に自信がある女子だけで、その鼻っ柱を折ってしまうという、どちらかというと、彼に声を掛ける女子の自信過剰をバカにするようなあだ名だった。

許せなかった。

あり得ない侮辱だった。

何とかしてやりたい。

しかし今までのように、周りに動いてもらう事ができない。

大学という大きな枠組みでは、高校の時のような内輪のノリなんて通用しなくなる。

扇動したり、空気を作ったり、そんなことは、できなくなってしまっていた。


今まで魔法のように自分を特別にしてくれた『可愛さ』が通用しない。

そんな時に知ったのが、彼の双子の兄であり、同じ大学に通っている、藤護禅一だった。


弟と違って服装は適当で、髪型も全く整えていない。

見苦しい格好ではないが、毎日ほぼ変化のない、単調かつ特筆すべき所のない平凡すぎるファッションセンス。

コートを着ていてもわかる、女子ウケしない、暑苦しい筋肉質な体つき。

身長は弟より少し高い程度だが、あまりに風格がありすぎて、入学間もない頃は、彼が歩くだけで、モーゼの十戒のように、人の波が割れていた……という噂だ。

あまりにも威圧感があるので、今でも彼を『世紀末覇者』だとか『将軍』と呼んでいる女子もいるくらいだ。


しかし弟とは真逆の砕けた性格と、親切さで、今の彼は常に人に囲まれている。

「ぜーーーん、課題見せてくれよ〜〜〜」

「俺の課題は有料だ」

「禅、いい加減サークルに入ってくれよ〜!」

「悪い。サークル優先では動けないから、無理だな」

「禅、次の休み空いてねぇ?引越しのバイト、手がたらねぇんだよ」

「十日か?良いぞ」

人に囲まれると言っても、彼の周りは男ばっかりで、女子はいない。


彼らが兄弟だと知った時、これはチャンスだと思った。

非モテな兄なら簡単に落とせる。

兄に取り入って、彼に近づく。

兄の恋人なら、冷たくもできないし、周りの人間関係にも食い込めるだろう。

そうして自分を冷たく拒絶した彼にも、他の女と一緒にして笑った奴らにも、自分のことを認めさせてやる。

そう思った。


兄の方も工学部で接触できる機会は限られていたが、彼と比べるとガードは低かった。

いや、ガードなどないに等しかった。

「隣の席、良いかな?」と聞けば、「どうぞ」と笑顔で答えられる。

「今日の授業難しいね」と話しかければ「そうだな」と頷かれる。

「おはよ」と挨拶すれば「おはよう」と返ってくる。

藤護禅一は一見、凄く友好的で、簡単に落とせる男だった。


しかし接触を続けていくうちに、色々なことわざが頭を回るようになった。

『暖簾に腕押し』『ヌカにクギ』『豆腐にかすがい』

要するに全く手応えがないのだ。


露出を増やしても、ボディタッチしても、服を新調しても、全く反応がない。

どれだけ打っても、響かない。

思い切って腕にしなだれかかっても、『気分でも悪いのか?』と凄く不思議そうな顔を向けられるだけ。

「あのさぁ、禅はそういう作り込まれた可愛さって通用しねぇと思うよ?アイツ、野生動物だから。もっと素で勝負したほうが勝機があるかもよ?」

終いには彼の周りをウロチョロしている変態ゴスロリ男に、気の毒そうに忠告されてしまった。


もちろんそんな忠告は無視した。

周りからの見栄えを気にする事もなく、自分が好きな格好だけをして、周りにドン引きされている奴に何がわかる。

(何であんな変態の方が親しくなってるのよ!!もしかして男の方が好きなの!?だから男臭い集団にばっかりいるの!?)

最近では元の目標を忘れて、ひたすらゴスロリ男と戦ってしまっている始末だ。


(明日からまた目にもの見せてやるわよ藤護禅一!!)

ようやく待ちに待った冬休み明けを目前に、彼女は気合を入れて、バスの窓に映った自分の顔を睨む。

お年玉を注ぎ込んで、新しいコスメと洋服を買った。

親や兄弟たちの『美味しい物をお食べ』攻撃を避け続け、体重管理も万全だ。

早寝早起きを心掛けて、肌の状態も頗る良い。

(万全の状態を見せつけてやるだから!)

これから行きつけの美容院に行ったら、戦闘準備は完了だ。


自分の顔を確認していたら、背景から黒い建物が消えて、自分の姿の代わりに風景が窓に映る。

(うわぁ……子供連れだ。騒がないと良いけど)

次のバス停に、小さな人影が立っているのを見て、彼女は顔を顰める。

子供は空気を読まずに大声で話したり、乗り物に興奮して座席に土足で上がったり、最悪泣き出したりするので、口に出すことはないが、迷惑な存在だと彼女は思っている。


(マジでチビ連れて公共交通機関を使うなっつの。うわ、しかも連れてるのは父親かよ………)

父親の場合当たり外れが大きい。

完全に制御できているか、全く制御不能かのどちらかだ。

「っえ!?」

そんな事を思っていた彼女は、意図せず大きな声を出してしまって、慌てて、すぐに口を塞ぐ。


やけに子供を連れている父親が大きいなと視線を向けると、そこに立っていたのは、たった今思い浮かべていた人物だったからだ。

(は!?娘!?あんなクソ鈍感男に!?いやいや、そんなわけない!そんなわけない!!女の影がないどころか、扱い方すら全くわかってないデリカシーゼロ男にそんなわけない!!じゃあ妹!?二人兄弟だって話じゃなかったっけ!?従姉妹とか!?)

彼女の頭は高速回転で動くが、体はピクリとも動かない。


バスが停車するために歩道に寄っていくと、禅一と手を繋いで立っていた、小さな人影は怯えたように半歩下がる。

バスのドアが開くと小さく飛び上がっている。

「アーシャ」

聞き覚えのある、バリトンボイスが彼女の耳に入るが、彼女は窓の外を見た姿勢のまま動けない。


休日の偶然な出会いなんて運命を感じさせるチャンスだ。

『気が合うね』なんて言ってみるだけで、チョロい奴なら頭に血を上らせる事ができる。

(ど、ど、どうしよ!?)

しかし彼女は気が付かれないように、ギギギッと顔を窓の方向にむけ、少し俯く。


偶然の出会いが、よりによって、何故、今日なのか。

美容院に行くために、マスカラもしていないし、グロスも塗っていないし、ファンデーションも塗り直す事を前提にした超ナチュラルメイクだ。

美容院後に顔を作り直す予定だったので、メイク道具は持っているが、電車と違ってバスは揺れが予測できないから、ここでのメイクは無理だ。

(こんな手抜きメイク見せられないわ!)

せっかく完璧に準備をしてきたのに、完璧一歩手前の超絶未完成な状態で、認識されたくない。


俯いた彼女は、横目で必死に相手の動向を探る。

どうやらバスにビビってしまったらしい子供を、首に巻きつけて、禅一は悠然とバスに乗り込んできた。

相変わらず無駄な威圧オーラがあって、デカい。

チラホラと乗っている乗客は、天井に頭がつきそうな大男の出現に驚いている。


大男は子供を抱っこしたまま、器用に背負っていたリュックを背中から下ろし、入口すぐの二人席に座る。

子供を奥側に、自分は内側に座るつもりだったのだろうが、奥側に下ろそうとした子供が、彼の首にしがみついて離れない。

大きな背中を丸めて、何とか座席に下ろそうと頑張っている、その姿はそこはかとなく間抜けだ。


(ちゃんと座れ!とか怒ったりしないのが、『らしい』と言えば『らしい』わ)

彼は体格から、かなり好戦的なのかと思いきや、とても穏やかで、柔軟な性格をしている。

おかげで大学ではアクの強い連中に気に入られ、すっかり囲まれてしまっている。


「じぇ……じぇん〜〜〜」

子供特有の高い声が、泣きそうに震えると、彼は一人で座らせることを、あっさりと諦める。

「大丈夫、大丈夫」

そう言いながら、片手で持っていた荷物を隣の座席に移し、子供を膝の上に抱き上げる。

後ろからは子供の姿が見えないが、大きな背中を精一杯丸めて、彼がしっかりと両手で抱きしめているのはわかる。


抱きしめられたことで、子供は安心したのか、するりと首から小さな手が離れ、代わりに大きな脇腹に小さな手が、ニュッと生えてきて、しっかりと掴まる。

最初は服がシワになる程しがみついていた手は、少しづつ力が抜けていき、やがて添えられる程度になった。

膝の上に横座りになっているようで、座席の外に出ていた両足も、最初は不安を表すように動いていたが、だらんと重力に任せて下がってしまった。

どうやら、落ち着いたようだ。


(ふ〜〜ん?子供の扱いは上手いんだ?)

学校で見る限りでも、面倒見の良い性格だと思っていたが、言動が雑だったので、小さい子の相手もできるとは思っていなかった。

こちらに気付かれたら困るので、少し俯きがちなまま、彼女はチラチラと観察を続ける。

(将来、良いお父さんになりそうね)

思わずそんなことを考えてしまい、

「……………〜〜〜〜〜!」

誰にも気が付かれないように、自分の膝をゴンゴンと殴ってしまう。

(別に、アイツは踏み台だから!利用するだけなんだから!)

そうしながら、改めて己に言い聞かせる。


彼女が一人で悶えていると、大きな背中から、黒いクリクリの髪が覗く。

もうすぐ次のバス停だから、ドアが開く所を見ようとしているのだろうか。

(黒は黒なんだけど……ちょっとタイプの違う黒だな)

いかにも柔らかそうで、深みのあるその髪は、禅一の真っ黒な髪とは質が違う。

色は違うが、弟の方に髪質は似ている気がする。


次のバス停ではヨロヨロと老人が乗ってくる。

田舎は車必須なので、バスに乗るのは学生か免許返納した老人くらいなのだ。

(じーさんのくせにモバイルIC入れてんのかよ)

老人はスマホをカードリーダーにかざして、一歩一歩慎重に階段を登る。

この田舎に交通系IC対応の流れが来たのは、実は最近の事である。

彼女でもつい最近入れたのに、年寄りが対応していることに驚く。


大男の膝に乗っていた子供も、珍しかったようで、老人をじっと見ている。

「可愛いねぇ」

それに気がついた老人が、微笑んで手を振る。

気楽に子供に話しかけられるのは老人の特権だ。

「こんちゃ」

すると禅一の背中にまわっていた、小さな手が振り返される。


(意外と可愛い声)

子供の声なんて耳障りだと思っていたが、普通に話しているせいか、耳触りが良い。

「おやおや、ご挨拶が上手だねぇ。お父さんがよく教えてくれてるんだねぇ」

「有難うございます!自慢の妹です」

「おやおや、妹さんだったか〜〜。緑のお目々が綺麗だねぇ」

普段だったら『さっさと座れよ老人!』などと心の中で罵る彼女だが、この時ばかりは『もっと情報を!』と耳をそばだててしまう。


(やっぱり妹なんだ!でも目が緑って!?あの小ささでカラコンはしてるはずないよね!?)

そんな疑問に答えるように、小さな足がパタパタと動き、禅一の胴体にしがみついていた小さな手が、捕まる場所を腕に変え、ぴょこんと顔を通路側に出してきた。

子供は興味津々という顔で、後部座席を観察する。


(え!?)

その顔を見て、彼女は目を丸くした。

黒いフワフワクリクリの髪。

明らかに日本人とは違う肌の白さと、顔の造形。

そしてカラコンではあり得ない、複雑な色合いの緑色の瞳。

明らかに人種が違う。


(妹ぉぉぉぉぉぉ!?)

確かに彼の弟である、藤護譲も日本人離れした雰囲気がある。

鼻も高いし、色も白いし、西洋系のハーフだと言われたら信じてしまう。

対して藤護禅一は黒髪黒目の日本人配色だが、見事に小麦色に焼けた、彫りの深い顔は中東に近いアジア系の血が入っていそうな風貌だ。

その二人の妹なら、日本人離れした外見ではあると思うが、全く日本の血を感じないのは一体どういう事だろう。


(血が繋がっているようには全然見えないんだけど?え?まさか、誘拐してきて妹にしてるとか?いやいや、それにしては物凄い懐かれているみたいだし……)

ぐるぐると彼女の中では考えが巡る。

藤護兄弟の親の話を聞いた事がない。

今まで普通に日本人だと思っていたが、違うのかもしれない。

確か藤護兄弟は二人暮らしという情報だったはずなのに。

まとまりのない思考が、頭の中で錯綜する。


「いー、にゃ、みゅー、にいぁ……」

そんな彼女の耳に、子猫の鳴き声のような愛らしい声が入ってくる。

小さい手が座席を一つづつ指差しながら、呟いている。

「???」

座席に名前をつけているのだろうか。

丁度、信号停車でバスのエンジンが切れて静かになった車内に、小さな呟きが妙に響く。

前の一人席に座った老人や、買い物荷物を横の座席に置いた老婦人が、顔をシワシワにして、その様子を見ている。


子供は後ろの座席も振り向いて、同じように指差していく。

(うわ……お肌プルプルのファンデ要らずの、まつ毛パシパシのマツエク要らず……おメメもぱっちりで二重がエグい!)

しっかりとその顔を見ると、天然物の美幼女だ。

少々ふっくらさが足りなくて、好きな方向に跳ねている髪の制御がとれていないが、野生味溢れる天使といった風情だ。

動きもピョコピョコしていて、リスザルとかコモンマーモセットとかの、小さい猿を思わせるコミカルな可愛さがある。


座席を指差していく妹を見る禅一の横顔は、普段ではありえないぐらい溶けている。

(もしかして普段のあの顔……笑顔じゃなくて地顔だったの!?)

話しかけると笑顔だったので、一応好感は抱かれていると思っていたのだが、単に唇の両端が少し上がっている顔が、彼のデフォルトだったのではという疑念が過ぎる。

疑念を持たざるを得ないほどの、満面の笑みだ。


暫くバスの中をキョロキョロと見ていた子供は、そのうち飽きたようで、元のように禅一に抱きついて動かなくなる。

最初はしっかりと背中に伸ばされていた手がだらりと下がり、信号停車でエンジンが止まると、スピスピと鼻の鳴る音が聞こえるので、眠ってしまったようだ。

禅一は子供の頭の位置を眠り易いように調整している。

斜め後ろの席からは表情が確認できないが、何となく、優しい顔をしているような気がする。


(……何だよ。何なんだよ、あの男!!)

どんなに規則正しい生活を送っていても、日焼け止めで紫外線を防いでも、生まれて二、三年の肌に戻れるわけではない。

でも頑張ってメイクで補っている。

ぱっちり二重だってノリとテープ、そしてアイメイクで実現できる。

天然物のまつ毛がなくてもエクステで伸ばせるし増やせるし、まつ毛パーマでカールもできる。

瞳の色だって大きさだってカラコンでどうにだってできる。

むしろ天然物より手間暇資金もかけて何十倍も頑張っているのだ。


(いっつも人の頑張りを適当に流してんのに!このアタシが声をかけてやってんのに無反応で、妹にはデレデレって何なのさ!?ロリコン!?ロリコンなの!?女装野郎と仲良しなロリコンなんて終わってんじゃない!服のセンスもないし!人を選別できる立場かよ!!アタシほどの女をスルーして何様よ!!)

可愛くないけど憎さは百倍。

彼女は心の中で禅一への悪口を言い募る。


「………?」

心の中で悪口を言い募りながらも、斜め後ろからの観察を続けていたら、禅一が少し焦っているような動きをしていることに気がついた。

財布を開けて、バスの前方と腕の中の子供を交互に見ている。

何をしているのだろうと考えて、ふと、先ほど彼がバスに乗ってきた時のことを思い出す。

(そう言えば……アイツ、整理券取ってなかったっけ?)

入ってきた時はちょっとしたパニックで、気にしていられなかったが、彼はスマホやカードなどを手に持っていなかった。


(うわ……現金乗車かよ……ダッサ)

さしずめ、両替に行きたいが、眠っている子供を起こすのが忍びなくて迷っている、とでも言った所か。

降りる時に両替して、そのまま払うこともできるが、眠った子供を抱えてだと、もたついて時間がかかる。

(……しょーがないわね)

ダサい男だが、手助けしてイメージアップを図るのも悪くない。


そう思って、彼女は席を立ちかけたが、そこで、窓に映る自分の姿が目に入る。

マスカラも、グロスも塗っていない、髪も一切無加工で、瞳を大きくするカラコンだけは辛うじてつけているが、超ナチュラルという名の素朴な顔が、そこにある。

美容院の顔布対策で仕方ないとはいえ、いつもの100%可愛い状態の自分ではない。


「………………」

上に向けた重心を再び下に下ろす。

ノーメイクではない。

しかしいつもより確実にダサい。

『完璧な美少女』『彼女にしたい女子NO1』などと言われてきたプライドが邪魔をする。

しかも声を掛けようとしているのは、ステップアップのための踏み台男とはいえ、落とそうとしている男だ。

(うん。やめとこ)

下手な接触ならしないほうが良い。

そう思って背もたれに体を預ける。


視線の先では、子供を起こさず、かつ、素早く両替に行けるようにと、大男がモソモソと体勢を整えている。

「………………」

横に垂れていた子供の足を、そっと掬い上げて抱き直しているが、手慣れているようには見えない。

禅一自体が巨大で、その膝に子供が乗っているので、立ち上がるためのスペースが小さく、座席についた肘掛けを超えるのも大変そうだ。

子供を起こさないように動くのは困難だろう。


先の歩行者信号が点滅し、バスが減速を始める。

次の信号で確実に停まるだろう。

「…………〜〜〜っ」

ため息と共に彼女は立ち上がった。


「禅一くん、両替え?」

「………へ?」

声をかけると間抜けな顔が彼女に向けられる。

相手が無駄にでかいので、座っていても、ほぼ目線が揃ってしまう。

「アタシが行ってきてあげる」

あまり顔を見られないようにしながら、彼女は手を出す。

「あ………あぁ、有難う」

驚きの視線を躱わすように、彼女は渡されたお札を手に歩き出す。


両替が終わってからも、窓の外を見るふりをしながら、顔を見られないようにしながら戻る。

「はい!」

そしてグローブのような手にお金をのせて、さっさと退散する。


「飯島さん、だよな?有難う」

しかし退散した場所は、彼の斜め後ろで、振り向かれたら逃げ場がない。

「べ、別に、いいよ。何となく両替に行きたそうな人がいるなと思って見たら、なんか知ってる人だなって気がついただけだから」

髪を下ろして、さり気なく視線から顔をガードしながら、さも『たった今気がつきました』と全力で演技する。

「俺も同級生が乗ってるって、今、気がついた。助かったよ」

ニカっと笑う顔は、いつもより優しいような気がする。


「い、いいよ。……アプリとか入れてないの?」

早く話を終わらせて、視線を避けたいのに、いつもより親しみ易い空気を手放し辛くて、自分から話を振ってしまう。

「あぁ、俺、普段自転車移動だから、そんな物がある事をすっかり忘れてた。バスに乗るのも、かなり久しぶりで」

少し照れくさそうに彼は笑う。

やっぱりいつもの顔は笑っていなかったんだなと、納得する柔らかい顔だ。


「妹さん?」

「あぁ」

そう聞くと、満面の笑みで、嬉しそうに彼は頷く。

「えっと……妹ちゃん、日本人じゃない……感じ?」

ちょっと失礼かもしれないと思ったが、踏み込んで聞いてみる。

「あぁ。遠縁の子を最近引き取ったんだ」

すると驚くほどあっさりと、そんな返答が返ってきてしまった。


「あ……そ、そう、なんだ……」

それは禅一たちの両親が引きとたという意味なのか、禅一自身が引き取ったと言う意味なのか。

さらに詳しく聞きたいと思ったが、彼女が言葉に詰まった所で、会話が終わったと思ったのか、禅一は前を向いてしまう。

そして小銭をチャラチャラと言わせて、降りる準備を始める。


やがて彼は大型ショッピングモール前で降車ボタンを押してしまった。

顔は見られたくなかったが、いつもと違う柔らかい空気の彼と、もうちょっと話をしたかった。

妹を大切そうに抱え上げた彼は、揺らさないように慎重に立ち上がる。


「飯島さん、有難う」

振り返って彼が頭を下げる。

彼の『本当の笑顔』は、顔つきが少し幼くなって、人懐こい感じがする。

いつもの謎の威圧は感じない。

「最初、気が付かなくて、申し訳ない。休日は可愛くしてるんだな」

そう言って、彼は軽く手を振って去っていく。


「………………」

彼女は手を振り返していたが、ピシリと固まる。

(『休日は可愛くしているんだな』?)

バスを降りた彼は大切そうに妹を抱えて、何事もなかったように、ゆっくりと歩き去っている。

照れているとか、決め台詞を言ったとか、そんな空気は全くない。

偶然バスに乗り合わせた知り合いに、挨拶をしてから普通に去った。

そんな感じだ。

テンションの高さも全く感じない。


「〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

彼女は前の座席についた手すりを持って、かがみ込む。


可愛い可愛いと持て囃され、愛されて育った。

『可愛く』している事こそが、幸せである条件だった。

『可愛く』着飾っていないと、女子の群れからははぐれて、男子たちには優しくしてもらえないことを知っていた。

だから更なるステータスが欲しかった。

『可愛い女の子』だけが手に入れられる、みんなが羨む彼氏が、ステータスの証明のために欲しかった。

人生の優先レーンを歩き続けるために必要な物だった。


(何よあの男!!何にもわかってないじゃない!!コスメや服にどんだけ注ぎ込んでると思ってんの!毎日の化粧にどんだけ時間をかけてると思ってんの!!ほぼ素顔の方が可愛いって!?そんなわけないじゃない!素顔の方が……)

顔に血が集まってくる。

怒りたいのに、何故か口元が緩んでいる自分がいる。



かなりの時間を丸まってから過ごして、彼女はようやく平静を取り戻す。

(全くもう!あの男、ぜんっぜんわかってない!テキトーなことばっかり言って!)

怒り混じりに窓に映った自分の姿を睨む。

何故か素朴な自分も悪くない気がする。

(……明日、どんな格好で学校に行こう……)

彼女のため息で、窓に映った彼女の姿は曇ってしまうのだった。


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