7.聖女、『くるま』の親玉に乗る

———バニタロー オデカケ ウレシイ

『わらわも、けんげんしてからは、初めてのお出かけ、うれしいぞ!』

アーシャが肩から下げている『もちもち』から顔を出したバニタロと、その頭の上に乗ったモモタロがはしゃいでいる。

それをアーシャは微笑ましく見守る……

「んふふふふ」

だけで終わるはずもなく、自身も足元がフワフワと跳ねてしまう。


『くるま』たちが沢山走る大きな道は、まだそんなに得意ではない。

しかし少しは耐性ができて、ゼンに手を握ってもらえれば、怖さは感じないようになった。

慣れとは偉大なものである。

『くるま』の道と、人間用の道を隔てるように設置された花壇を愛でる心の余裕まである。


花壇には低い木と、その手前に細長い花が一緒に植えられている。

辺りには香水かと思うほどに濃い芳香が漂っている。

その姿は、まるで白い星のように六枚の花弁が広がり、中央に黄色い教会の鐘のような形の可愛い飾りがついていて、強い香りとは裏腹に、楚々としている。

「『かわいーな』」

アーシャがそう言うと、ゼンは笑いながら頷いてくれる。

「は・な」

それから指差して教えてくれる。

「『はな』!」

アーシャもウンウンと頷く。


(実はもう覚えちゃってるもんね。花が咲く植物は『はな』!完璧!)

そんな事を考えつつ、アーシャは濃厚な香りを楽しむ。

弾む足取りで花壇を愛でていたが、ある所でゼンが足を止める。

「?」

急に立ち止まったゼンを不思議に思って見上げたら、ゼンは妙な形の看板を指差す。

「ば・す・て・い」

縦長の長方形の看板が取り付けられた、丸い金属の棒は、地面に突き刺さっている。

その頂点には丸いオブジェがついていて、とても目立つ。


どうやらゼンは、この看板が見たいらしい。

「『ばしゅてぃ』」

アーシャは頷きながら、ゼンと並んで、掲示物をじっくり見る。

看板には数枚の紙が貼り付けられている。

枠の中に数字が沢山並んている紙、地図というには少し簡単すぎる絵が描かれた紙、惜しげなく色を使った鮮やかな紙。

内容はよくわからないが、ゼンにとって興味を引く内容のようだ。


(字の間に、やたら複雑な図形があるのは何なんだろう……)

アーシャは自分から一番見え易い位置に貼ってある紙を見て、首を傾げる。

シノザキが教えてくれた文字の間に複雑な線を組み合わせた図形が、文字みたいな顔をして、沢山入っている。

(飾り、的なものなのかなぁ)

それにしては数が多い。

アーシャは首を傾げまくる。


『アァシャ、この『ばすてー』は金を払って乗る『ばす』が停まる所じゃ!』

不思議そうな顔をしているアーシャに、えへんえへんと胸を張りながらモモタロが教えてくれる。

かなり簡単だが、乗合馬車乗り場のような物らしい。

「この看板が乗り場の目印なの?」

『うむ!『ばす』はこの『ばすてー』に停まるしゅうせいがある!……ちなみに、わらわは、すでに乗ったことがある!大きくて、すわる所がイッパイなのじゃ!』

モモタロは胸を張りすぎて、後ろに倒れそうだ。

———ヌシ 『ばす』 スキ

そんなモモタロを乗せたバニタロも、役に立つような立たないような事を教えてくれる。


「あ、きたきた」

そんな事をしていたら、ゼンが嬉しそうに声を上げる。

「………え………」

ゼンが見ている方向を見た、アーシャは固まる。

他の『くるま』たちの合間に、周りとは比べ物にならないほど、大きな長方形が走って来ている。

縦も横も大きく、硝子の窓も真っ直ぐで大きい。


(……『くるま』たちの親玉だ……)

『くるま』への耐性はできてきた。

しかしそれはあくまで、いつも乗るサイズの『くるま』への耐性だ。

こんな大きい親玉へではない。

(まさか、まさか……)

モモタロの『大きくて、座る所がいっぱい』との説明で、これからの未来が分かったような気がしたが、現実を受け入れられない。


しかし受け入れられなくても、現実は過酷である。

巨大な『くるま』の親玉はアーシャたちの目の前に停まる。

ドラゴンのため息のような空気を吐き出す音がして、腹の部分にある金属が、アーシャたちを招き入れるかのように、折りたたまれ、開く。

その先には、何と、大きな階段がある。

『くるま』の中に階段があるなんて信じられるだろうか。


「アーシャ」

ゼンはアーシャの手を引くが、アーシャの足は固まったように動かない。

「は……はひゅ……」

根性で足を動かそうとするが、死にかけのアヒルのような動きになってしまう。

「っと」

そうこうしていたら、ゼンに抱き上げられる。


アーシャは目を瞑って、思い切りゼンの首にしがみつく。

振動から階段を登っているのだとわかる。

『アァシャ、『ばす』は動きがトロいし、よくとまるから怖くないぞ!』

———ウンテンシュ ジョウズ。シンパイ ナイ

「うぅぅ〜〜〜」

怯えるアーシャにモモタロとバニタロが声をかけてくれるが、大き過ぎて怖い。


(え?え!?固定してもらえないの!?)

ドスンとどこかに座る感覚がしたと思ったら、その途端に『ばす』が進み始める。

いつも『くるま』に乗る時は、アーシャ専用の椅子でガッチリ固定されていたのに、今、アーシャを繋ぎ止めてくれる存在はない。

アーシャ専用の椅子は体の自由を奪うが、確かな安心を与えてくれた。

何かにぶつかったとしても、吹っ飛んで怪我をするような事だけはないと信じられた。

『ばす』は『くるま』よりも音も振動も大きい。

それなのに体はどこにも固定されていない。


「じぇ……じぇん〜〜〜」

アーシャは不安でゼンに張り付く。

「だいじょーぶ、だいじょーぶ」

するとゼンはアーシャの不安を察知したように、膝の上にのせて、両腕でがっちりと固定してくれる。

ベルトによる固定よりも、ずっと堅固な守りだ。


力強いゼンの腕に囲まれ、自身の手でもゼンの胴体にしっかり掴まると、外の空気に冷やされた体がジンワリと温まる。

耳を彼の腹に押し当てれば、強い鼓動が聞こえて、更に安心する。

ついでにゼンの懐からは、モモタロが守るように、波動を広げてくれて、更にホッとする。

浅くなっていた呼吸が元に戻るのを感じる。


「……あいがとぉ」

そう呟くと、小さなモモタロの、小さな手がアーシャを撫でる。

『ドンドンたよってくれて良いぞ!わらわは『わいどしょー』などで人間にはくわしいのだ!』

———バニタロー トテモ トシウエ タヨル イイ

バニタロもモモタロと一緒にのびあがり、鼻先をアーシャの頬に当てる仕草をする。

双方質量はないので実際には触れ合えないのだが、安心させようと動いてくれる、その心遣いが嬉しい。


深く呼吸ができるようになれば、更に落ち着きが戻ってくる。

怖くてまだ外を見れないので、何とも言えないのだが、『ばす』は音こそ大きいが、かなりゆっくり動いているような気がする。

体に振動は感じるが、前後にはあまり動きを感じない。

停まる時もゆっくりゆっくりとスピードを落としていってるのだろう。

上下左右には揺れるが、荷馬車なんかに比べたら、全く揺れていないと言っても良いくらいの、小さな揺れだ。


(すごく安心な乗り物そう……?)

そんな風に現状を確認すると、更に落ち着きが戻る。

アーシャは薄目を開けて、ガッチリと自分を固定してくれるゼンの腕の隙間から『ばす』の内部を観察する。

どうやらゼンはドアから入ってすぐの席に座ったらしい。

目の前に折りたたみの扉がある。

(何か……複雑そうなものが沢山生えてる)

『ばす』の登り口には、手すりがわりなのか、鉄の棒が沢山生えていて、それには色々と不思議な形の物がくっついている。


『ばす』は慎重に速度を落とし、緩やかに停車する。

停車と同時に折りたたみの扉が開き、その先には、乗る前に見た看板と同じ形の看板がある。

看板の隣に立っていた人が、階段をのぼり、乗り込んでくる。

腰の曲がった白髪の老人だが、かなり『ばす』に慣れた様子だ。


「???」

『どが』を見たり、記録できる金属の板を、老人は登り口に生えている物にかざしている。

何だろうと興味津々で見ていたら、老人と目が合う。

「あ……」

じっと見つめるのは失礼だったかなと思ったが、老人はその瞬間に、何とも人懐こい笑みを浮かべ、手を振ってくれた。

「かわいーねぇ」

まるで孫に対するような態度だ。

「『こんちゃ』」

ゼンの知り合いかと思って、アーシャも手を振り返す。

くしゃりと顔をシワだらけにした老人はゼンと二言三言言葉を交わして、もう一度手を振ってから、前方の席へ座る。

(あれ?知り合いじゃない?すっごく友好的なだけ?)

首を伸ばして老人の軌跡を追ったアーシャは首を傾げたが、すぐにその疑問は消えた。


(すっごく広くない!?)

覗き込んだ『ばす』の前方の広さにびっくりしてしまったのだ。

『ばす』には真ん中に通路、その左右に立派な肘付きの座席がある。

通路は人がすれ違えるほど広々としているし、片側は一人用の座席だが、通路の両側に座席を置くなんて、かなりの広さがないと無理だ。


(『ばす』と『くるま』は同じ幅の道を走っているのに、両側に席があって、通路まであるの?広すぎない?……もしかして何かの亜空間技術?)

いつも乗っている『くるま』はアーシャとゼンが隣り合って座っただけで一杯になるのに、何で同じ幅の道を走っている『ばす』に、そんなに豊かな空間があるのか。

後ろも同じなのかと、ゼンの膝の上に横座りしていたアーシャは身を起こし、後を覗き込む。

(座席が増えてる!!)

何と後は通路を細くして、その分、座席を増やしてある。


(一体この『ばす』には何人の人が乗れるの!?)

アーシャは指差しで座席の数を数える。

(二十三、二十四、二十五……!?すごい運搬能力!!)

四輪の馬二頭立ての馬車でさえ、二十人程度が限界だ。

それも身じろぎ一つできないほど詰めに詰めて実現する人数だ。

こんなに広々とした空間で、座席も布張りの豪華な作りで、軽々と超えてしまうのが凄い。


(『くるま』の倍の横幅があっても、こんなに広く使えるはずがないと思うんだけどなぁ……?)

これだけの広さの謎がアーシャには解けない。

(音はちょっと怖いけど、快適だし、開放的だし)

『ばす』の壁の上半分は、硝子張りで、圧迫感がない。

遠目に見る外の風景は、緩やかに過ぎているようにしか見えないし、室内には陽光が差し込んでいてとても気持ちが良い。

体を固定してくれる物はないが、ゼンがしっかり抱きしめてくれていたら、怖くない。


アーシャはポスンとゼンの胸に身を預ける。

慣れると、少し怖く感じていた音も、心地良くなってくる。

(本当にこの国は刺激的な物がいっぱい)

そんな事を考えながら、流れる景色を楽しんでいると、『ばす』の振動と、ゼンの心音に、瞼が重たくなっていく。

(まだまだ……全然体力が……ないなぁ)

お手伝いレベルのことしかできないのに、先程の掃除と洗濯で、ちっぽけな体は疲れているようだ。

(ちょっとだけ、目を閉じて……体力を回復させよう……)

アーシャは瞼の重みに抵抗せず、瞳を閉じた。


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