6.長男、悶える
何故動物は可愛いのだろうか。
脅威であるヒグマでも、映像で見る分には、おっさん臭い座り方をしていたりして、中々愛嬌のある動きが可愛い。
虎も安全圏から見ていたら、ただの大きな猫で、仕草が可愛い。
はるか高い位置に顔があるキリンも、長いまつ毛がカールしていたり、目がつぶらだったりして可愛いし、何を考えているのかわからない顔で葉っぱを食べている姿など最高だ。
自分より大きい動物でさえ、こんなに可愛いのだ。
小さい動物は言及するまでもない……のだが、禅一には残念ながら小動物が寄ってくることはない。
それでも世の中には動物たちの愛らしい動画が溢れているので、その姿はいくらでも見る事ができる。
犬、猫、ハムスター、ムササビ、カワウソ、オウムに文鳥。
成長した姿も可愛いが、その子供は更に可愛い。
ヨチヨチと頼りなく動く姿や、母親に甘える姿などは、見るだけで活力が湧いてくる。
そんな感じで、あらゆる動物の赤ちゃん動画を好んで見る禅一だったが、同種族、つまり人間の子供には、あまり興味がなかった。
亀の成長記録なども嗜んでいるので、毛が生えていないから興味がないと言うわけではない。
鳥類動画も好きなので、二本足だから興味がないと言うわけでもない。
可愛いと思うが、『人間』と『動物』には大きな隔たりがあった。
いや、隔たりがあると思っていたのだ。
これまでは、それほど接触がなかったと言うのも、興味が湧かなかった原因かもしれない。
(うちの子が可愛い……!!)
しかしそんな禅一でも、今では、そんな風に一人悶える。
後をピコピコとついてきて、皿洗いをしていたら足の周りで伸びたり縮んだり。
フローリングワイパーをかけていたら、足にまとわりつくようにしながら、興味津々にワイパーを追いかける。
雛たちに追われるカルガモの親を羨ましく思っていたが、今では雛よりうちの子が可愛く思える。
「お……おぉ〜〜〜!」
グレイゾーンにお住まいのお兄さんたちがやったら全く可愛くないガニ股座りも、うちの子がやると、とんでもなく可愛い。
そのコロンとした背中の丸いフォルムのお陰だろうか。
興味津々に見ているのが、ゴミだらけのフロアシートでも、全然可愛い。
(掃除をやりたいのか?)
そう思ってフロアワイパーの持ち手を短くして渡してみたら、アーシャの表情は輝いた。
嬉しい、楽しい、誇らしい。
そんな感情が見ているだけで伝わってくる。
アーシャはフロアワイパーを両手で握って、鼻息荒く、せっせと掃除を始める。
「アーシャ、ここお願い〜」
雑誌を入れるラックを持ち上げて声をかければ、スサササと寄ってきて、素早く拭き、キラキラと輝く目で、『やりましたぜ!』とばかりにアイコンタクトを送ってくる。
その自信満々というか、やり遂げた顔が、可笑しいやら可愛いやらで、禅一の頬は緩み過ぎて溶けそうだ。
何回も見たくなって、普段は動かしたりしない家具まで持ち上げて、下を拭いてもらってしまった。
床の目に沿って拭くんだよと、指で差し示して教えると、どんな部分でも目に沿って拭こうと、真剣に床を見つめがなら拭く。
そんな姿も、微笑ましい。
洗濯機の仕上がり待ちに、全部屋にフローリングワイパーをかけて、掃除機をかけて、仕上げにウェットシートで拭きあげようと思っていたのだが、アーシャの『お手伝い』の速度では一階部分を終わらせるのが精一杯だろう。
しかし掃除なんて、できる時にやれば良い。
そう思わせてくれる安らぎと喜びがここにはある。
(譲にだけ金額交渉に行かせて、俺だけこんなに楽しんでいていいのかな〜)
楽し過ぎて、思わず申し訳なくなってしまうほどだ。
アーシャは意外と動きが良い。
フロアワイパーを渡した時は、もう一度拭き直すことを覚悟していたのだが、拭き残しなく床を順々に拭き、シートに張り付かなかったゴミを、器用に集めていく。
「上手上手」
体が小さいから、ゆっくりなのは仕方ないが、丁寧さは大人並みで、思わず何回も感心して褒めてしまう。
「んふふふふ」
その度にアーシャは、顔をクシャりと崩して、満面の笑みを見せる。
(子供がお手伝い好きだって聞いたことはあったけど、ここまで好きなんだな〜)
羽があったら飛んでいってしまいそうな程、フワフワと浮き足だって楽しそうに掃除する様子に、禅一は目を細める。
もしかしたら禅一が台所仕事をする時に、よく足元にいるのは、お手伝いをしたいというアピールだったのかもしれない。
(足にくっついていたいだけかと思ってたから、スルーしてしまって、申し訳なかったな。次からは幼児用の椅子でも置いて、簡単なことを手伝ってもらうか)
とは言え、台所には危険も多い。
怪我がないように気をつけねばならない。
そんな事を考えながら一階の部屋を拭き終える。
昭和建築でバリアフリーなど全く考えられていないアパートなので、細かな段差により一階はリビング、廊下、洗面所に区切られている。
それぞれの場所にゴミを集めているので、それを掃除機で吸っていく。
スティック型の掃除機を充電器から外して、用意していると、楽しそうにゴミ箱を覗いていたアーシャが走り寄ってくる。
興味津々な顔でコンコンと掃除機をノックして、やる気満々だ。
「これは重いからな〜」
本体にタイヤが付いているキャニスター型や、同じスティック型でも地面側にモーターやゴミ集積部が付いているタイプではない。
手元に重い本体部分があるので、アーシャの力では、とても支えられないだろう。
それでも興味ありそうに掃除機を見つめているアーシャを放ってはおけない。
左腕にアーシャを抱き上げて、右手に掃除機を持ち、持ち手に付いたスイッチを入れる。
そうやって掃除機の持ち手だけをアーシャに持たせて、掃除機をかけさせてあげようと思ったのだが、
「っぴぇっ!!」
掃除機の音に驚いた様子のアーシャは、禅一の体にめり込まんばかりの勢いでしがみついてきた。
まるで掃除機を初めて見た子猫のような反応である。
禅一は慌てて掃除機のスイッチを切る。
「大丈夫、大丈夫」
両手が塞がっているので、頬で頭を撫でると、アーシャはほっとした顔を見せる。
(参ったな……もしかして掃除機を知らなかったりするのか?)
現代日本で掃除機を知らないとは、本当にどんな環境で育ってきたのだろう。
禅一の脳裏には、掃除機をかける以前の、床さえ見えない汚い部屋が浮かんで、途端にアーシャが可哀想になってしまう。
(勝手な偏見だが、育児放棄をするような親は部屋の片付けもしなさそうだからな)
色々なものを学ぶ機会を奪われているであろうアーシャには、今から補っていかなくてはいけない。
「そー・じ・き」
そう言いながら、禅一はアーシャに、掃除機の持ち手についた、三つのボタンを見せる。
オンとオフ、そして強モードの内から、禅一はオンのボタンをアーシャに示す。
「しょじき?」
指差して、アーシャは確認するように聞いてくるので、それに頷きながら、もう一度オンのボタンを指し示す。
自分で起動した方が、ショックが和らぐと思ったのだ。
アーシャは怖々、ギュッと禅一の服を握りながら、掃除機のスイッチを入れる。
「ぴっ!!」
それと同時に、飛び上がってくっついてきたが、今度はめり込んでくるような勢いではない。
安心を求めるように禅一に張り付きながらも、視線は掃除機から離れていない。
少し待つと、禅一の服を握りしめていた小さな指から、徐々に力が抜ける。
そして、おっかなびっくりだが、いつものように掃除機の観察を始める。
「アーシャ」
落ち着いた所を見計らって、禅一は床を足で叩き、アーシャの注目をゴミに移す。
そうしてから掃除機でゴミを吸い取って見せる。
「ほ……みーにぃぬ!?みーにぃぬ!?」
アーシャはゴミが吸い取られた瞬間、喉の奥まで見えてしまうのではないかというほど口を開けて驚き、その顔のまま消えたゴミを探すように、床と掃除機に視線を彷徨わせる。
そのうち、思い切り警戒した顔になって、攻撃するように掃除機を人差し指でつつき出す。
「っふ、ふふふ」
ただゴミを吸って見せるだけで、こんなにアクションができてしまうなんて、子供とは何て可愛くて面白い存在だろう。
「ごめん、ごめん」
笑われた事がわかったのか、少し唇を尖らせて禅一の顔を見てきたアーシャに、彼は謝る。
それからスイッチを入れたままの掃除機を床に横たえる。
掃除機の構造を教えるためには、実際に空気が吸い込まれている様子を見せるのが、一番わかり易いだろうと思ったのだ。
「ゼン!!」
しかし手をかざして吸い寄せられる所を見せようとした瞬間、アーシャが禅一の手を庇うように突っ込んできた。
よく漫画で見かける、車などに轢かれそうになった相手を飛び込んで助けるシーンのようだった。
「…………?」
物凄い顔で禅一の手の危機を救ったアーシャは、大事そうにその手を抱えたまま、不可解そうな顔を吸い込み口に向ける。
片手でギュッと禅一の手を握りしめながら、アーシャは恐る恐る吸い込み口に、もう片方の手をかざす。
瞬間、掃除機に手を引っ張られて、ビクッと跳ね上がって、反射的に手を引く。
禅一の腹筋はプルプルと震え始める。
真剣に掃除機を警戒している様子に、何故か急に笑いが込み上げてきてしまったのだ。
決して嗜虐の趣味などないが、無害な家電に、怯えを押し殺して挑む姿が、真剣であれば真剣であるほど、可笑しくなってしまう。
自分の手を命綱のように抱き込みながら、もう一度掃除機の吸い込み口に挑戦する姿に、笑いの衝動を逃すのが大変だ。
これが無害であると早々にわからせないと、禅一の腹筋が死ぬ。
掃除機のヘッド部分に引っ掛かった綿埃を摘んで、禅一はアーシャの目の前で振る。
「ゴミが……しゅ〜〜っていって……すぽんっ」
そして実際に目の前で綿埃を掃除機に吸わせて、筒からゴミ入れの部分までを指で辿って、ゴミが集められている事を説明する。
言葉が通じないので、擬音語が多めになってしまうのは仕方ない。
アーシャは首を傾げながら説明を聞いていたが、
「しゅーーー?すぼん?」
小さな手が、禅一の動きを真似る。
「あ!」
不思議そうな顔のまま、何となくやっていたようだが、掃除機の本体を叩いた時点で、突然理解したらしく、顔が輝く。
「あぁぁああ!しゅーーーーぼん!」
そして頭がもげるのではないかと思うほど、禅一に向かって、激しくヘッドバンキングしてくる。
ものすごく納得したらしい。
子供は一秒一秒表情が変化して、見ていて飽きない。
「しぇんにぃ……!!」
言っている言葉はわからなくても、その表情で大体言っている事がわかるような気がする。
「いーこ、いーこ」
かと思えば、襲い来る、突然の『可愛い』。
感動に震えていたかと思うと、一転、アーシャは掃除機を労って、全身……ではなく、全体をせっせと撫で始めた。
「〜〜〜っっ!」
一秒前までの、笑いたい衝動が吹っ飛び、掃除機をせっせと撫でる姿に震える。
犬を褒めるように撫で、ゴミを吸い込んでくれる掃除機を労わる。
そのトンチンカンで、純粋な思いやりが、染み入る。
「良い子!良い子!!」
子供らしい、打算も常識もない行動が、可愛くて仕方ない。
そのまま倒れて悶えそうな所を、ぐっと耐えて、禅一はアーシャを撫でまくる。
動物は可愛い。
でも表情や感情が読み取れる子供の方が、もっと可愛い。
(いや、『子供』じゃなくて、うちの子が可愛い……!!)
多分、世の中の大多数の親が思っているであろう事を、禅一は噛み締める。
同種族だからこその相互理解と、まだまだ世間に染まってないない、本能寄りな行動の数々。
駆け引きすらも知らないから、心の芯から出てきたであろう素直な行動が、途方もなく愛らしい。
本当は集めたゴミを吸って回るだけのつもりだったが、あまりに嬉しそうなので、禅一はアーシャを抱え、掃除機を支えて、部屋中に掃除機をかけて回る。
洗濯物が仕上がるまでに、ウェットシートで部屋を拭く事はできなくなったが、効率的な行動よりも大切なものがここにはある。
「あいがとぉ」
かけ終わった掃除機を洗面所前の収納に突っ込む時も、アーシャはお礼を言いながら、掃除機に手を振る。
(うちの子、優しさの
SNSに文章や写真、動画を投稿する奴の気持ちなど、今まで一ミリも理解できなかったが、今ならわかる。
誰かまわずに、うちの子の尊さを
そんな衝動は確かに存在する。
禅一が可愛さに打ち震えている間に、アーシャは洗濯機の調査に向かっている。
興味の対象がコロコロ変わるのも、付いて行くのが大変だが、面白い。
「見るか?」
と聞けば、顔を輝かせて、シュタッと両手を上げてスタンバイするし、もう可愛いが止まらない。
脱水をする洗濯機をアーシャは楽しそうに眺める。
相変わらず、禅一には何が楽しいのかさっぱりわからないが、目を皿のようにして見ている。
その間に禅一はスマホのチェックをする。
「お」
子供向け施設を聞いた、峰子の父・千隼からの返信が来ている。
「おぉ〜〜〜」
その内容を確認して禅一は感心してしまう。
お勧めの公園、遊び場、気楽に参加可能な育児サークルなど、情報が沢山載っている。
遊具やおもちゃ、可能な遊び方まで書いてくれている所が凄い。
流石の気遣いだ。
その中で禅一の目を引いたのは、大型スーパーの遊び場情報だ。
ボールプールや、エアー遊具、巨大ジャングルジムなどがある、結構大きい遊び場のようだ。
フードコートもあって昼ごはんにも困らないとの情報まで書いてある。
少し遠いのでバスで行くしかないようだが、帰りに一緒に買い物もできるし、良さそうだ。
貰った遊び場情報を保存してから、禅一はお礼と、大型スーパーの遊び場に向かう旨のメッセージを送信する。
すると速攻で、可愛いスタンプが返ってくる。
そして『バスが一時間に一本くらいしかないので、帰りは特に気をつけてください。困る事があったら、連絡をください』と付け加えられる。
(流石二児の父。気遣いが細かい!)
それに対する礼を送り、今度伺うときは気を使わせない程度の手土産を持っていこうと、禅一は心に決める。
(うわ……次のバスは十五分後か。逃したら一時間以上来ないから急がないと)
スマホで検索したバスの時刻表を確認して、禅一は焦る。
その焦りを察したかのように、洗濯機から洗濯終わりのメロディが流れる。
「終わった、終わった」
アーシャを下ろしてから、洗濯カゴを引っ張り出し、禅一は洗濯物を投げ入れる。
五分で洗濯物を干して、五分でお出かけの準備を整え、後はバス停までアーシャを抱えてダッシュする。
急げば十分に間に合うはずだ。
「アーシャ、行くよ」
洗濯カゴの洗濯物をしげしげと観察しているアーシャには、中断させてしまって申し訳ないが、時間が押している。
その手を引いて、ソファーに導き、テレビの電源を入れる。
急ぐので、少しの間テレビに子守をしてもらうしかない。
縁側に出た禅一は、パラソルハンガーと洋服用の十連ハンガーを物干し竿に吊るして、洗濯物をかけ始める。
それほど量があるわけではないので、すぐに干し終わる……と思ったのだが、気がついたらアーシャが、ヨイショヨイショとタオルを洗濯カゴから引っ張り出している。
一応縁側のビニールカーテンは閉めているが、寒風が吹き込んでいるから体が冷えるし、誤って縁側に転落したりしたら危ない。
そう思って止めようとしたのだが、タオルを持って構えたアーシャは全身を使ってタオルを振り始める。
「っぷっ」
手をあげて、体を深く折りながらタオルを振り回し、バランスを取るためか、足をバタバタと忙しなく動かす。
どこかの部族の踊りのようだ。
アーシャは真剣この上ない顔で、何回も体を曲げてタオルを振ってから、やり切った顔で振り向く。
「ゼン!」
そして誇らしそうな顔で、シワを伸ばしたタオルを差し出してくる。
頬を真っ赤にして、お手伝いに目を輝かせる幼児を誰が止められるだろうか。
「有難う……!」
何より可愛くて止めたくない。
(全世界に、うちの子の可愛さを叫びたい……!!)
そんな衝動を可愛い生物を、もみくちゃにして可愛がることで発散する。
「へへへ……えへへへへへ」
『そんなにお役に立ってしまいましたか』とでも言うように、アーシャは照れながら笑う。
(ま、良いか)
一時間くらい、一緒に洗濯物を干して、念入りに準備して、バス停までのんびり散歩していけば、すぐに経ってしまう。
またバタバタと足踏みをしながら洗濯物を振り回すアーシャを横目で見ながら、禅一はゆっくりと洗濯物を干す。
そしてさり気なく洗濯カゴを移動させて、窓際にアーシャが来すぎないようにして、小さな手で振り回された洗濯物を再び受け取る。
「有難う!」
そう言うと、アーシャはお日様のように笑う。
(一緒に遊べる友達がいっぱい来ていると良いんだが)
アーシャが楽しそうに遊ぶ姿を想像して、禅一は頬が緩む。
動物は可愛い。
でもうちの子はもっと可愛い。
アーシャが喜ぶ姿を想像して禅一は幸せな気分に浸るのであった。
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