4.兄弟、朝食を合作する

驚く程すっきりとした体の状態に、禅一は首を傾げた。

よく寝たから疲労が消えたのだとしても、有り得ないくらい体が軽い。

いつも感じる体を内部から齧るような痛みも今日は殆ど無い。

(睡眠が大事だとは言うが、まさかこんなに効果がある物なのか)

そんな驚きを感じながら、アーシャと一緒に身支度を整える。


今日は寝方が悪かったのか、頭に派手な寝癖がついている。

禅一の寝癖は少し濡らした程度では直らないので、頭を丸洗いにしていたら、アーシャの目がまん丸になっていた。

その後、真剣な顔で、タオルを掲げながら、小さな体で伸ばすから、半分冗談で頭を差し出してみたら、キャッキャと子供らしい、明るい笑い声を上げながらアーシャは禅一の頭を拭く。

(そう言えば、俺も昔、お世話が好きだった気がするな〜)

小学生になった辺りから、どんどん動物たちから避けられるようになったが、それまでは近所の犬を乾かすのを手伝ったりしたものだ。

お返しとばかりに、アーシャの髪をブラッシングすると、また明るい声が洗面所に響く。


体調は絶好調だし、屈託のない明るい笑い声は耳に心地良いし、今日の滑り出しはかなり良い。

「ゆずぅ!おはよー!」

「おはよう」

リビングに入ると、譲が甘い匂いを漂わせている。

「……あぁ」

譲は禅一を見て、少し驚いた顔をしながらも、すぐに何事もなかったように頷いて立ち上がる。


「すまん、寝坊した」

アーシャを椅子に座らせてから、禅一は謝りながら台所に向かう。

冷蔵庫からバットを取り出して、譲はその隣に並ぶ。

バットでは卵液にパンが浸かっている。

「それ、アレだろ、甘いやつ」

「フレンチトースト、な。禅は普通に食パンでも焼いて食っとけ」

素っ気なく譲は答えるが、禅一はニヤニヤしてしまう。

「顔がウゼェ」

無論すぐに気づかれて、足を踏まれる。


(何だかんだ言ってアーシャを可愛がってるんだよなぁ〜)

多分突っ込んだら、自分のついでだとか言うのだろうが、朝から譲がこんなにきちんと作る事はかなり珍しい。

禅一とは対照的に、譲はそれほど朝に強くないのだ。

珍しく寝坊した禅一の代わりに、アーシャのメニューを考えてくれたに違いない。


「じゃ、俺はサラダでも作るか」

レタスとベーコン、レモンとオリーブオイルを取り出し、禅一は適当に作り始める。

アルミホイルに適当に切ったベーコンを並べ、自分のパンと一緒にトースターで焼く。

そしてアーシャ用のレタスは一口で食べ易いサイズに、自分用は適当に切れっ端をポイポイと投げ込んでいく。

ドレッシングは適当にレモンを絞ってオリーブオイルと塩を合わせる。

禅一の料理スタイルは適当に味を合わせていく方式だ。


「寝てる間に何かあったのか?」

「ん?」

「体ん中が『清め』に行った後みてぇになってる」

作業しながら兄弟は言葉を交わす。

『清め』とは大祓えの時に、体に移ってしまった穢れを、少しづつ落としていく作業だ。

毎月決まった日に村に戻り、潔斎して、冷たい川で身を清める。

当主は受けた穢れを一年かけて落とし、次の大祓えに備えるのだ。

藤護の御神体から受ける穢れは、一年かけても落としきれず、最終的には現当主のように穢れの塊になってしまうのだが。


(そういえば、この体調の良さは『清め』の後に似てるかもしれない)

村に行くこと自体がストレス過ぎて、『清め』と今朝の目覚めが被らなかったが、言われてみれば体の軽さは『清め』後のそれに似ている。

「穢れが消えてるって事か?」

「アレはただの穢れじゃねぇ。そうそう消えねぇよ。ただ、いつも荒れてるのが、落ち着いている」

何があった?と視線で問いかける譲に、禅一は首を傾げる。


「何があったと言うわけじゃないが……夢見が良かったな。良過ぎたおかげで、今日は寝坊した」

悪夢云々は誰にも話していないので、詳細は省いて伝える。

「はぁ……夢……」

禅一の回答に、譲が胡散臭そうな顔になる。

「やっぱり睡眠は体の資本なんだな。質の良い睡眠で体調が整ったんだろ」

その見解に、譲は納得できなさそうだ。


譲の目は特別製だ。

なので禅一の中で良い変化が起きていることは確実だろう。

しかしわからない原因を探って議論しても仕方ない。


「篠崎は実家に行くって言っていたけど、和泉と姉は?」

「和泉姉は仕事が長引いているみてぇだな。和泉は……筋肉痛で、ベッドから出れねぇって。さっき食いモン届けてきた」

話を変えると、あっさりと譲は答える。

和泉は予想通り、酷い筋肉痛に苛まれているらしい。

「昨日、久々に体使ったからな……」

焼き上がったベーコンをレタスの中に放り込んで、ドレッシングと混ぜ合わせながら、禅一は苦笑する。


「……後で持ってくから。ソレ、先に食わせとけ」

チラッと後ろを確認した譲が呆れ顔でそう言う。

「?」

出来上がったサラダと飲み物を持って振り返ると、ご飯が待ちきれないのか、アーシャが高速で伸びたり縮んだり、左右に揺れたりしていた。

びっくり箱から飛び出てきた人形そっくりな動きに、思わず、禅一は破顔する。


「お待たせ」

そう言ってサラダと飲み物をテーブルに置くと、

「かべつ!」

と、胸を張って、自信満々の顔でレタスを指差す姿が可愛すぎる。

(覚えた言葉をご披露したくて堪らないんだなぁ)

体調も良いし、癒しの存在もいる。

禅一は朝から幸せである。


「レ・タ・ス」

一応訂正すると、すごく不思議そうな顔をされる。

「りぇたしゅ?」

どうやら、キャベツとレタスの区別がつかないらしい。

「レタス」

そう言えば、農家じゃない家の子供は、野菜の区別が適当だったような気がするな、などと考えつつ禅一は頷く。


「ベー・コ・ン」

レタスのついでに新しい単語を禅一は教える。

「べこん」

ウンウンと真面目な顔で頷きながら、アーシャは復唱する。

そして目を輝かせながら、そのままサラダに同化しそうな勢いで、ベーコンに顔を近づけていく。

相変わらずの肉好きだ。


同化を引き留めてから、フォークを渡すと、アーシャはそれをトライデントのように構えている。

やる気満々だ。

「いただきます」

合掌の見本を見せるように、禅一は出来るだけそっと手を合わせて見せるが、

「いたぁきましゅ!」

ベーコンを前にしたアーシャには、全く通じなかったようで、前髪が舞い上がるほど、勢い良く両手を打ち鳴らしている。


「あ〜〜〜……んふっ!」

シャッキシャッキと音を立てながら、アーシャは幸せそうにサラダを食べる。

(今度は粉チーズも買ってこよう)

どうも野郎二人の生活では些細な物を省きがちになってしまうが、幸せそうに食べるアーシャを見ていたら、少しでも美味しい物を付け加えてあげたくなる。


シャキシャキポリポリと音を立てるたびに、アーシャは幸せそうに揺れたり、頬を押さえたりして、今日の朝食も賑やかだ。

(レタスをちぎってベーコン入れてるだけなんだけどなぁ)

嬉しそうに食べるアーシャを見ていたら、適当なサラダがすごく美味しいような気分になってくるから不思議なものだ。

野菜が得意でない子も多いと聞くが、アーシャは生野菜にもすっかり慣れて、パクパクと食べてくれるから、見ていて気持ちがいい。


よく食べるアーシャの皿は、あっという間に空になってしまう。

アーシャは小さな背中を丸くして、哀愁を漂わせながら、皿に残ったドレッシングを掻き回す。

「………………っっ」

そのいじらしいような、いじましいような姿に、思わず禅一は吹き出しそうになる。

本当に朝から表情豊かで、退屈しない。

この楽しさを知ってしまったら、スマホや教科書を見ながら食事をしていた頃には、とても戻れない。


出来立てのフレンチトーストを、軽く手で煽いで冷ましていた譲は、残念な生き物を観察する目になっているが、彼も食事中にスマホを見たりすることがなくなったので、この姿が可愛いと思っているに違いない。

譲は手の背で熱さを確認してから、がっかりしているアーシャの前に皿を置く。

「ん…………ほわっっっ!!」

それに気がついたアーシャは、朝日を浴びて煌めく緑の目で譲を見上げる。


「食・え」

そんなアーシャにも素っ気なく譲は言い放つ。

しかし、きちんと火傷をしないようにしていた姿を見ていた、禅一はニヤニヤと笑ってしまう。

「アーシャの?うわぁぁ〜〜〜!!あいがとぉ!!」

そのまま幸せそうに食べ始めた妹と、興味のないそぶりで、その様子を見ている弟の、微笑ましい光景に頬の緩みが止まらない。

そんな禅一に気がついた譲は、キツい目で睨みつけてくる。


「………もう一枚食べるか」

怒られる前に禅一はそんなことを呟きながら、退散して、二枚目のパンをトースターに突っ込む。

禅一には、とても朝から食べられない、甘いパンを、アーシャは幸せこの上ない顔で食べている。

朝食を終えて、身支度を進めている譲は、たまにアーシャに視線を送っては満足そうにしている。

甘味好き同志が現れて嬉しいのだろう。


「じゃ、俺は行ってくるわ」

「もう行くのか?」

「嫌なことはさっさと済ましたいだろ。その後、ホムセンとかも行きてぇし」

譲はスマホの液晶を確認しながら上着を手に取る。

「……荒事は起こらないとは思うが、何かあったら連絡するんだぞ」

弟を一人で分家に行かせることにあまり納得していない禅一は、真剣な声でそう言うが、上着に腕を通す譲は、呆れ顔になって、長い長い溜息を吐き出す。

「報酬の話をするだけだっつってんだろ。ちょっと早く生まれただけのくせに保護者ヅラすんなって」

そして不機嫌にそう言い捨てて、靴を履いて出掛けてしまう。

去り際に見えていた手は、しっしと振られていた。



「別に兄貴だから弟だからなんて言ってないのに、難しいお年頃だよなぁ。家族だから心配してんのに」

愚痴を言うようにアーシャに語りかけてみるが、彼女は甘いパンに夢中だ。

隣で話しかけても気が付かない、凄い集中力だ。

禅一は焼き上がったトーストを頬張りながら、手と口の周りをベタベタにしながら夢中で食べているアーシャを見守る。


(食べ終わって譲がいないことに気がついたら、ガッカリするだろうなぁ)

ハフハフと言いながら頬張ったり、美味しくて堪らないとばかりに首を振ったり、目を細めて味の余韻を楽しんでいたり。

普通の食事なのに、アーシャは驚くほど感情豊かだ。

『美味しい』や『嬉しい』の表現が、これほどまでにバリエーション豊かなのは、欧米人だからなのか、アーシャだからなのか。

まだまだ人生経験が少ない禅一には判別できないが、見ていて楽しいことは間違いない。

この顔が翳らなければ良いなと願わずに居られない。


「はぁ………おいしーな………!!」

両手でコップを持って、麦茶を飲んだアーシャは満足そうに息を吐き出す。

「ゆずぅ?」

そうして落ち着いてから、譲がいないことに気がついたようだ。

「お・で・か・け」

玄関を差し示しながらそう言うと、明らかにがっかりとして、アーシャの眉尻が下がってしまう。

置いて行かれたことは、やっぱり寂しかったようだ。


「アーシャも、お・で・か・け」

その顔を見た禅一は、反射的にそんな事を言ってしまう。

二人で行こうとばかりにお互いを指差し、玄関を指差す。

「おできゃきぇ!」

するとアーシャの顔がパァッと明るくなる。

満面の笑みになって、ポンポンと嬉しそうに椅子の上で体を弾ませる。


(こんなに喜んでるんだから、なんか楽しい所に連れて行かないと。……車は譲が使ってるし……歩きで行ける範囲に子供が喜びそうな施設……あったっけ……?)

完全にノープランで言い出してしまった禅一は、アーシャの身支度を整えながら、頭をフル回転させる。

田舎は車がある事が生活の前提だ。

しかし禅一は自転車で大体の所に行けるため、車を持っていない。

子供が歩いていけるほどのご近所には、スーパーくらいしかない。

一応、学生向けにカラオケ店などはあるが、子供は楽しくないだろう。


(峰子先生に聞くのは……公私混同だな)

保育園の先生に、一園児の保護者が親しく接するのは問題だろう。

そう思っていたところで、同じく無表情な顔が、ポンと脳裏に浮かぶ。

『これでも二児の父ですから。頼りにしてください』

そう言って連絡先を教えてくれたのは峰子の父だ。


いざとなれば近所の公園に行こうと、スパッツ付きのスカートと、長袖のTシャツにパーカーと、動きやすく、体温調節をし易い服を着せてから、禅一はスマホを操作する。

突然の連絡に対する謝罪と、歩きで行ける子供が喜びそうな場所を尋ねるメッセージを、峰子の父に送る。

「よし」

あとは返信を待つだけだ。

「あ、洗濯、洗濯」

禅一は出かける準備を進める。

二人分の寝巻きを洗濯機に放り込んで、洗濯を始める。


楽しそうにクルクルと回転してスカートを広げていたアーシャは、洗濯機が動き始めると、訝しげな顔で寄ってくる。

駆動音がしているのに、全く動きが見られない洗濯機が不思議でならない様子だ。

洗濯機に触れて振動を確かめ、そぉっと箱に耳をつける。

「???………っ!!!」

不可解という顔をしていたのだが、ザァザァと水が流れ込み始めると、飛び上がる。

床を確認したのは、水が漏れていないか確認しているのだろうか。


禅一は洗濯機をポンポンと叩く。

「アーシャ、せ・ん・た・く・き」

そして、おいでと手を伸ばすと、ピシッと両手を上げて抱っこ待ちの姿勢になるのが、なんとも可愛い。

抱き上げて上側から洗濯機が回る様子を見せると、

「ふぉぉぉぉ〜〜〜!!!」

アーシャは目を丸くして洗濯機に食らいつく。


ドラム型はしゃがんで洗濯物を取り出すのが面倒くさいので、家の洗濯機は縦型なのだが、『洗濯機は中身が見える方が良い』と言う譲の謎の主張によって、上面が透明になっていて、中が見えるようになっている。

中身が見えることに何のメリットがあるのか、禅一には全くわからなかったのだが、洗濯物が回る姿は、刺さる人間には刺さるらしい。

どうやら感性が譲と一緒だったらしいアーシャは、驚くほど熱心に、回転する洗濯物を見ている。


洗濯物にそれ程興味がない禅一は、小さな磨りガラスから差し込む陽光を見る。

(いい天気だな。洗濯物がよく乾きそうな、お出かけ日和だ)

これから平日は離れる時間が増えてしまう。

最後の休日を思い切り楽しませてやりたいと、禅一は考えるのであった。


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