20.兄弟、夕飯にお呼ばれする(後)
ハンドメイドチームたちが頭を寄せ合いながら相談し、禅一・アーシャ親子がドールハウスを愛でていると、客間のガラス入りの障子が開いた。
「皆さん、お夕飯の準備ができましたので居間に移動してもらえますか?」
姿を現したのは娘を伴った千隼だ。
「アーシャちゃん」
障子が開いた途端、強く香ってきたスパイシーな匂いに誘われ、夢遊病者のように歩き出したアーシャの手を、微かに目を細めた峰子が握る。
「そう言えば、武知さんは戻られましたか?」
名残惜しそうに人形を見ていた禅一も歩き出し、千隼に話しかける。
無表情にも全く怯むことなく話しかけられるのは、生来のコミュ力が高いのか、細かい事にかまわない性質のおかげなのか。
「ええ。先程戻ってきたので、皿を並べるのを手伝ってもらっていました」
呪術を放った奴を追いかけ、調べて帰ってきたと思ったら、しっかり家事を手伝わされているらしい。
「武知さんって、お祖父さんとも親しい感じだったんですけど、旧知なんですか?」
「あぁ、彼は
その叔父のように感じている人間を、遠慮なくこき使うのだから、なかなか良い性格をしている。
「なるほど……乾さんのニュースソースがわかった気がします」
禅一は頷く。
「機密は漏らしていませんよ。……会えば、世間話をする程度の関係です」
その『世間話』にどれくらいの情報が含まれているのだろうか。
「わ〜〜〜〜!!」
大人たちの会話など、チビっ子には全く関係ない。
扉を開けると、更に濃くなったカレーの匂いに、歓声を上げ、アーシャがヨッチヨッチとテーブルに走り寄る。
部屋には低い椅子とセットになっている和風ダイニングテーブルが置かれ、その上にトッピングと思われる様々な具材が並んでいる。
洋室用の半分くらいの高さのテーブルなのだが、アーシャの身長では上が見えないらしく、彼女は鼻をクンクンと鳴らしながら、周辺をウロウロしている。
(野良犬じゃねぇんだから……)
この食欲だけは矯正不可な気がして譲は頭を抱える。
テーブルには既に家族分と、武知、アーシャの分のカレーが並べられている。
「辛さは激辛と中辛があります。ご飯の量も、こちらに来て選んでもらって良いですか?」
千隼は禅一を始めとした四人を台所の方へ呼ぶ。
「激辛と中辛なんだ……」
譲の後ろの和泉は、その選択肢に驚いている。
その二択だと『激辛』の方には、どう考えても危ない気配がする。
「あ、俺、激辛〜〜〜!」
しかしその危ない気配に、あっさりと飛び込んでいく夏の虫が篠崎である。
「はぁ〜〜〜テレビの台所みたいだな」
禅一はスパイス、調味料、調理器具が、綺麗に並んだ台所に感心している。
因みに譲たちの家の台所は、掃除の時に面倒臭いという理由で、全て棚の中に仕舞い込まれていて、物凄い殺風景である。
「ご飯の盛りは?もうちょっと増やしますか?」
「はい、お願いします。すごく良い香りですね」
「一応、オリジナルブレンドなんです」
「へぇ!俺、ルー以外のカレー初めてかもしれません。楽しみです!」
「お口に合えば幸いです」
千隼の顔は変化しないが、心なしか嬉しそうである。
ドバドバと皿いっぱいにカレーが注ぎ渡されている。
やばい香りを漂わせるカレーと、超大盛りカレー、そして普通のカレー二つを持って譲たちは席に着く。
当然のように、禅一はアーシャの隣に皿を置く。
「アーシャ、アーシャ」
そして顔面からカレーに突っ込みそうになっているアーシャを諌める。
食べ物を前に我慢の限界を迎えているようだ。
禅一がアーシャの隣に座ると決めた時点で、カレー皿を持った咲子が禅一の隣に突撃しようとしていたが、峰子に無言で耳を引っ張られて、席に戻されている。
「おねぇちゃ〜〜〜ん!!」
「禅一さんはアーシャちゃんの介助もあるから、邪魔しないの」
「邪魔じゃないよ〜〜〜!ちょっとした結婚観の擦り合わせをしようかと……」
「結婚観の擦り合わせはちょっとしていないわ」
「でもでもお姉ちゃん、そこはしっかりしておかないと……」
「わぁ〜〜〜!トッピングが山盛り!夢の全のせもできちゃうじゃ〜ん!」
もめる姉妹だったが、そこに現れたのが空気を読まない篠崎である。
彼はあっさりと禅一の隣に座ってしまう。
突然割って入った一見美少女に、咲子の顔色が変わる。
「はわっ、と、と、取られた!出遅れた!」
眉を吊り上げて、敵対姿勢を見せようとした咲子だったが、
「カボチャにピーマン、パプリカ、ナス!うずらの玉子に、コロッケ?峰子ちゃんのお父さんの料理凄いね〜!」
篠崎の素直なお父さん賞賛に頬が緩む。
「あのね、細長いのが一口ミルフィーユトンカツで、丸がメンチカツ、小判形がコロッケなんだよ!」
そして揚げ物解説を始める。
「え〜〜〜!短時間でここまで作っちゃう!?クッキーも美味しかったし、お父さん、プロってんね!」
「んふふふ!この福神漬けもラッキョウも自家製なのよ!お父さんのお漬物、すっごく美味しいの!絶対食べてね!」
「あ〜それそれ!俺もそうかなって思ってたの。フツーの福神漬けってダイコン・キュウリペアが目立ちがちなのに、ここのって見るからにレンコンたっぷりじゃん?めっちゃ美味しそう!」
素直な篠崎の賛辞に、咲子の顔はデレデレである。
「チョロファザコン」
思わず譲は呟いてしまう。
「んなっ!!」
それはしっかりと咲子の耳に届いてしまったらしく、途端に目が三角になる。
「いや、凄いよ。揚げ物は全部綺麗なキツネ色だし。俺、揚げ物が不得意で、ほぼ黒くなるから、尊敬」
しかしうずらの玉子をアーシャの皿に並べながら、何気なく禅一が言った言葉を聞くと、再びニマニマしだす。
「アーシャのだけ具材を全部小さめで、肉はひき肉にしてくれてるし。これだけ別個に作ってくださったんですよね?有難うございます」
禅一は素直に千隼に感謝を告げているのだが、咲子は『婿さま!最高!』とでも言いそうなキラキラの目で禅一を見ている。
「小さいうちは刺激物が少ない方がいいですからね」
一人一人の席にお茶を置いて回っていた千隼は小さく頷く。
「俺もカレーを食べさせたかったんですけど、子供用のカレーってよく分からなくって」
「今日のをよく召し上がるようでしたら、後でレシピを渡しますよ」
「有難うございます!」
無表情な千隼の口の端が微かに上がったような気がする。
「私は妻が帰ってきてから一緒に食べますので、皆さんは遠慮なく召し上がってください」
そう言って千隼は台所に帰っていく。
「禅一さんって料理するんですね!」
間に篠崎が入っていても、咲子は首を伸ばして禅一に話しかける。
「やるけど、必要最低限って感じかな。料理は譲の方が上手いしな」
「えっ……!」
俺に話を振るなとばかりに、譲は手を合わせてから黙々と食事を開始する。
「やるわね、ファッション細マッチョのくせに地味に婿資産価値上げてるわ」
「謎の資産価値を俺につけるんじゃねぇ」
しかし下らないことを言われたら、突っ込まざるを得ない。
「アーシャ、いただきます」
咲子の相手を譲にぶん投げて、禅一はアーシャの世話を始める。
「いたぁきましゅ!」
禅一に促されたアーシャは、スパァンっと手を打ち鳴らし、気持ち良い音を部屋に響かせてカレーを食べ始める。
「ふひゃっ!」
「んんんんっ!」
「ん〜〜〜〜!」
食べ始めたアーシャはいつも通り騒がしい。
頬を押さえて首を振ったり、ハフハフと息を吐いたり、プルプルと震えたり。
恥ずかしいまでに表情豊かに食べている。
「おいしーな!これ、おいしーな!!」
頬を真っ赤にして報告する様子に、禅一、篠崎、咲子、峰子と並んだ面々の顔が緩む。
夢中で食べている様子はまさに子供だが、相変わらず食べ方は妙に綺麗だ。
「んっふ!からぁぁぁぁ!でもクセになる!後を引く!」
「お父さんの激辛カレー美味しいでしょ!?」
「おいひぃ!!麦茶とライスがススム!!」
今日はアーシャと同じくらい騒がしい奴がいるから、それほど目立たない。
(口の中に物を入れた状態でも喋る篠崎に比べたら、むしろチビの方がマナーができてるな)
そんな事を譲が思っていたら、モグモグと口を動かしていたアーシャの目が見開かれる。
『パァァァ!』っと効果音が出そうな表情変化だ。
「じぇん、じぇん」
たった今、口に物を入れたまま喋らないことを内心で誉めていたのに、アーシャは我慢できないという顔で、口をモゴモゴさせながら、禅一に自分のスプーンを掲げて見せる。
「星だな!良かったな!」
どうやら家事煩悩な千隼は、子供用人参を星型にくり抜いてくれていたようだ。
スプーンを掲げるアーシャの顔には、破裂しそうなほど喜びが詰まっている。
そんな様子に、禅一から峰子までの面々はまた緩んでいるし、老人組の晩酌におつまみを出している千隼も、能面のようだった顔を緩ませている。
(あのオッサンの家事能力、すげぇな)
譲たちの中辛カレーも、口に入れると濃厚な味と程よい刺激が広がり、飲み込んだ後には爽やかな酸味と辛さが残り、次の一口を掻き込んでしまう旨さだ。
篠崎が食べている激辛もかなり美味しいようだし、アーシャの様子から子供用カレーもかなり美味しいようだ。
これだけのカレーを三種類作り、トッピングたちを作り、その上子供用の野菜を星型にする心配りをする。
アンダーグラウンドな組織で幹部をやってそうな外見からは予想がつかない、凄い家事能力だ。
「譲、譲、このナス、外がカリカリ中はトロトロで凄く美味しいよ!」
いつもは食が細い和泉も嬉しそうに食べている。
脂っこくない焼き野菜は絶妙な焼き加減だ。
「このミルフィーユカツ、大葉入りだ……!」
しかも譲の好物まで混入している。
全てのトッピングがスプーンだけで食べられる大きさなのも、とても良い。
自由にトングでトッピングを追加していけるので、男子学生たちの食は進みまくる。
アーシャは何も飲まずに夢中で食べているので、喉に詰まらせてしまうんじゃないかと思っていたら、ちょうど良いタイミングで、禅一が牛乳を差し出す。
辛い時は水よりも牛乳の方が効果的と聞きかじっての事だろう。
「ん〜〜〜!」
アーシャは差し出された牛乳を美味しそうに飲み、立派な牛乳ヒゲを生やしている。
「ふふ」
そんなアーシャが可愛くて仕方ないらしく、禅一は笑いながら、その顔を拭く。
「育児もしっかり……!婿資産価値高し……!!」
そんな禅一を獲物を狙う目で咲子が見つめている。
禅一はそんな視線に気がつく事なく、ウズラの玉子を食べ終わったアーシャにミルフィーユカツをお勧めしている。
残念ながらそれは渋い顔で首を振られたが、チラッチラッとあからさまなおねだりの視線をうずらの玉子に送られ、「アーシャは玉子が好きだな〜」等と言いながら、嬉しそうに卵の追加をしている。
「禅が婿価値高め……!?」
「で、でも、禅は炊事洗濯掃除をそつなくこなすし、面倒見が良いし、パートナーとしては最高だよね?」
「ジジババキラーで、力も体力も有り余ってるから最高の介護要員だしな」
愕然として呟く篠崎に、和泉と譲が頷く。
『生活』を念頭に置いたパートナー探しの場合、禅一は中々優秀なのである。
「繊細な配慮とかは無理だけどね」
「『察して』攻撃なんかはフルでスルーするけどな」
「ファッションセンスも残念だしね〜」
『素敵な男性』を念頭においた恋人探しの場合は、残念な結果になりそうであるが。
「……一体、何の話だ?」
三人に視線を向けられると、流石の禅一も気づかざるを得ない。
「禅は婿単価は高いけど、彼氏単価はストップ安暴落待ったなしって話」
篠崎が答えると、禅一は渋い顔になる。
「勝手に人を査定するなよ。第一、俺は誰も因果に巻き込む気は無いからな」
『因果』という言葉に、譲の顔は一瞬曇る。
「あ、価格査定から逃げた〜!」
詳しい事情を知らない篠崎の声が、妙に能天気に響く。
「ふ〜ん、じゃあ、うちの孫娘の野望を叶えてあげるためには、急がないといけないねぇ。ビシバシ鍛えていくかね」
これまで若者たちの会話に入ってきていなかった晩酌チームの乾老人が声をかけてくる。
「禅一さんが完全に氣を制御できるようになったら空恐ろしいですね」
ちびりちびりと杯を舐めるように飲んでいる武知が苦笑する。
感知能力の高い彼には、今の禅一の氣ですら、中々の刺激なのだろう。
「篠崎さんや、一つ頼まれてくれんかね?」
乾老人は好々爺のような笑みを篠崎に向ける。
「ん?お仕事依頼?年末のお仕事ラッシュを終えて、今はそこそこ時間あるから、大変な事じゃなければ有料でお引き受けするよ」
激辛カレーと麦茶の往復をしている篠崎は気楽に答える。
う
「刀を一振り、それと
乾老人の言葉を聞きながら、カレーを口に含んだ篠崎は目を剥く。
「はひゅっっ……んぐ!」
何かを言おうとして、辛さが口を焼いたらしく、慌てて麦茶を飲む。
「ちょいちょい。ムリムリ。禅の懐刀ですら一夏かけて作ったんだよ?懐刀の時は従兄弟の姉ちゃんの嫁入り道具だから最高のものを作れって休みがもらえたけど、フツーの盆前は稼ぎ時だから色々実家から注文入るし」
麦茶を飲んで落ち着いた篠崎は、渋い顔で手を振る。
「ご実家とは、こちらで話をつけるよ。苦無は早目に欲しいが、刀はいつでも構わないし」
乾老人の言葉に、篠崎は腕を組んで考える。
「ん〜〜〜、親父や兄ちゃんたちがうるさく言わないなら良いけど……刀は次の長期休みまで無理だし、クナイ?とか俺、作った事ないしなぁ……」
「あ、見本があります。それに作り方は相談させてください」
渋る篠崎に武知が爽やかに笑う。
「………なんか秘密兵器が必要な事態になってるわけ?」
そんなやりとりを眺めていた譲は
乾老人の表情には変化がない。
武知の笑顔は深くなる。
「備えあれば憂いなし、ですよ。私も後進の教育にかまけて自分の鍛錬をサボり気味でしたから。目標があると稽古にも身が入りますし」
「ふ〜ん」
譲は敢えて突っ込まずに、気のない相槌を打つ。
先程は襲撃者の報告をすると言っていたのに、武知はそれを話し出そうとはしない。
話すほどの結果が得られなかったのか、『子供』に余計な心配を与えたくないような事態が判明したのか。
(ま、こっちはこっちの思惑で動くだけだけどな)
譲はそんなふうに思う。
晩酌組は篠崎に頼む物の詳細や、料金交渉を始める。
咲子は篠崎が晩酌組と話している今がチャンスとばかりに、禅一に話しかけようとして、峰子に耳を引っ張られている。
和泉は皆の完食が近い中、一人だけ半分も食べられていないので、必死に口を動かしている。
「禅、俺、明日分家に行ってくるから」
そんな周りを見ながら、譲は自然な音量で禅一に話しかけた。
「へ!?」
再び星型の人参を見せびらかしてくるアーシャに、溶けそうな顔をしていた禅一は目を見開く。
「なんで明日?明後日、一緒に行けば良いだろう?明後日から保育園が再開するし」
「明後日からは学校も始まるだろ。それに後は料金をふんだくるだけだから、もう威圧要員はいらねぇし。せっかく禅には『キレたら危ない奴』って印象をつけたんだから、それを崩されると困るんだよ。『虎だと思っていたら、ペイントした大型犬でした』じゃ後々舐められるだろ」
そう言っても、禅一は大いに文句のある顔をしている。
そこいらの連中と比べても、断然、鍛えられていることがわかる体格になった今でも、禅一の頭の中で、譲は虚弱児のままらしい。
「こっちがふっかける時に、内心ダダ漏れな奴が横にいると邪魔なんだよ。ポーカーフェイスできない奴は価格交渉出禁だ」
そう言うと、禅一は一瞬怯んだが、それでも、
「俺だって表情ぐらい繕える」
と、食らいついてくる。
「良いから。お前はチビの面倒見とけ。ホラ、牛乳ヒゲつけてんぞ」
シッシと譲は犬を追い払う仕草をしてから、アーシャを指差す。
その先で、牛乳を飲み切ったチビ助が、爽やかに満足そうな笑みを浮かべている。
その顔のあまりに豪快な牛乳ヒゲに、禅一は吹き出しながら、テーブルの上のティッシュを取って拭く。
「ごっそさん。さて、と。料金の相場でも教えてもらっとくか」
見事に話を中断させた譲は皿を持って立ち上がる。
腹を探られたくない相手には、前もって自分の行動を
皿を片付けるついでに、譲は晩酌組に声をかける。
(足並み揃えて一緒のことをしているなら、二人いる意味がねぇんだよ)
そんな譲の内心など、誰も知ることなく夕食会は終わりを迎えた。
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