19.聖女、辛いスープをいただく(前)

「……フワフワ………フワフワ……フワフワ………」

呪われたかのように同じ言葉を繰り返すゼンに、彼に抱っこされたアーシャは笑ってしまいそうになる。

「ふんっぬ!」

しかし今笑うと、力の操作をミスしてしまいそうなので、必死に耐える。


現在、再び庭に集まってきた猫たちに、接触を試みている最中だ。

アーシャがゼンに膜を張り、力を抑えて、少しずつ猫たちに寄って行っているのだが、これが中々難しい。

最初はゼンも上手いこと自分の力を抑えるのだが、猫がしっかりと視認できる距離に入ってくると、色々な所から、ポコポコと神気が湧き始めてしまう。

慌ててアーシャが浮き上がった所を押し込むと、ゼンも気がついて、慌てて神気を収める。

しかし不穏な空気を察知した猫たちは、警戒した目をゼンに向ける。

そのためアーシャとゼンは、その警戒が解かれるまで、その場でじっと待たねばならないのだ。


進んでは、漏れて、慌てて引っ込めて、待つ。

そしてもう一度進んで、やっぱり漏れて、引っ込めて待つ。

そんな事を繰り返している間に、子供たちは迎えが来て帰ってしまった。

庭に残っているのは猫たちに囲まれているサクコと、それににじりよるアーシャとゼンだけだ。

サクコは膝に乗った猫の頭を撫でながら、面白そうに、にじり寄るゼンの様子を観察している。


主人あるじは何であんな弱そうな毛玉にむちゅーなんじゃ』

不満そうに呟いたのは、ついに念願の名前をつけてもらったモモタロだ。

———ヌシ ケダマ スキ。バニタロー ケ ナイ……

つるんとした無毛の自分を寂しそうに見ながら、バニタロが答える。

バニタロはアーシャが肩から下げている『もちもち』の眉間から頭を出し、その小さな頭の上にモモタロが乗っている。


バニタロが入っている『もちもち』は、モモタロの最初の雷撃で、膜のような結界に包み込まれ、バニタロの尻尾が突き刺さっていた所だけ穴が空いていたらしい。

先程、体を引き抜いた時に、その穴が拡張されたらしく、バニタロはそこを出入り口兼覗き穴として使用し始めた。

どうやら『もちもち』の内部は過ごし易いらしく、用がない時は中に潜って、バニタロは気楽に過ごしている。

まるで移動式の家のようだ。


猫たちに触るまでの距離には至れていないのだが、そこそこ近くで、喉を鳴らす姿を見れるだけで、ゼンは物凄く嬉しそうだ。

先程から頬が蕩けてしまいそうな勢いで緩んでいる。

———バニタロー ケ ホシイ

その姿を眺めるバニタロは、少し寂しそうに呟く。

心ゆくまでゼンに撫でられていた、兎の体を懐かしんでいるのかもしれない。


『いいなぁ……』

肩を落としたモモタロも呟く。

モモタロは無事に名前を貰い、『えにし』とやらが結べたらしいが、人型の存在は認識されていないので、目が合うことすらない。

本体はゼンに触れられるものの、寂しいのだろう。

『毛か………』

彼女は自分の肩で揃えた髪を引っ張っている。


一人(?)は鱗で体がツルツルの蛇。

一人は人型をとっているが、実際に毛が『生えている』わけではない精霊のような存在。

モフモフにはなれない二人は、気持ちよさそうに地面を転がったり、サクコに頭を擦り寄せたりしながら、存分に可愛らしさを見せつける猫たちに羨望の視線を向けている。


———アシャ ケダマ ミナイ?

ほぼゼンの胸に顔を埋めているアーシャに、バニタロは首を傾げる。

アーシャは周りを見る時も、薄目にして余計なものを視界に入れないように努力している。

「猫は見たいけど……焼いた小人が………怖い」

焼き小人を目に入れてしまったら、平静を保てなくなって、ゼンの周りに張った膜を維持できなくなるかもしれないからだ。


『小人?小人とはなんぞや?』

モモタロはどうやら小人を知らないらしい。

ぺんぺんと自分が乗ったバニタロの頭を叩きながら尋ねている。

———ナガイス ヨコ アル。ズキン ヒゲ ジーサン

長椅子とはサクコが座っている所だ。

「えっ」

実はかなり近い、視界に入る所に焼き小人がいると知って、アーシャは慌てる。


精神が乱れたせいで、ゼンの張っていた膜がたわんでしまう。

「わっわっっ!」

アーシャは急いで目を閉じて自分の力を均一に引き伸ばして、ゼンの力の抑え込みにかかる。

「ふんぬっ!!」

完全に膜が切れる前に何とか持ち直したので、猫たちはリラックスした姿勢のまま、片目を開けて、こちらを確認するだけにとどまった。


『鼻とほっぺたが出っ張って、ちっこい『てんぐ』みたいじゃな〜〜〜』

———コビト セーヨージン。セーヨージン ハナ ホホ タカイ

『住む場所で人の顔は変わるのか。へ〜〜〜』

フムフムとバニタロの頭の上で、モモタロは大きく頷いている。


(鼻や頬が高いってどんな状態!?『せーよーじん』ってどんな顔!?『てんぐ』ってどんな顔!?)

『てんぐ』や『せーよーじん』など謎な単語が多くて、アーシャは好奇心が抑えられなくなり、二回の深呼吸で心を落ち着けてから、そっと長椅子の方を薄目で窺う。

「………………。………………?…… んん?」

最初は恐る恐る、そして『焼き小人』らしき物を見つけて、その姿を確認してから、アーシャは目を見開く。


真っ黒に焼き焦げた悲惨な姿が晒されているのかと思っていたら、長椅子の足元には色彩豊かな小さな像しかない。

頭には赤や水色、緑や黄色と様々な色の三角帽子を被った、福々とした赤ら顔に白髭を生やしたおじいちゃんたちが、植物が植った鉢を嬉しそうに掲げ持っている。

モモタロは頬や鼻を気にしていたが、少し大き目なだけで違和感はない。

むしろ目が不自然に縦長で、つぶら過ぎる方が気になる。

彼らは色だけ違うお揃いの服を着て、立派なブーツを履いている。

「………陶器…………?」

その姿を見て、呆然とアーシャは呟く。


それは小さなおじいちゃんたちの『焼き物』だ。

色鮮やかに彩飾され、釉薬が塗ってあるのか、ピカピカに輝いている。

どちらかというと小人というよりは大地の妖精ノームといった風情だ。

「確かに陶器は焼いて作るけど………」

アーシャは死ぬ程怯えた、無駄な時間を思って頭を抱える。

この場合、バニタロのわかりにくい説明と、アーシャの早とちり、どちらが悪いのだろう。


(じゃあ焼き小人を飾る習慣なんか無かったんだ………)

ホッとすると同時に、パチンと薄い膜が弾ける感覚がする。

「あ……」

「あぁぁぁぁぁぁ!!」

ゆったりと過ごしていた猫たちが、背中を丸めて威嚇の姿勢を見せたかと思うと、そのままの姿勢でダカダカと後ろ足で走り去ってしまう。

アーシャが気を抜いたタイミングと、猫が愛らしいポーズをとってゼンが盛り上がってしまったタイミングが、不幸にも被ってしまい、作っていた膜が弾けてしまったのだ。

幸いだったのは、ゼンもある程度は自分で神気を抑えることができるようになっていたので、猫たちに驚く以上の被害がなかった事である。


「にげた……」

「あわわ……!」

がっかりと肩を落とすゼンに、慌てて膜を張り直すが、危険物を察知した猫たちは、もう近寄ってこなかった。

首輪をしている所を見ると、何処かで飼われている猫だと思うのだが、中々に警戒心が強い。

逃げられて、少しの間しょんぼりとしたゼンだったが、すぐに気を取り直したように、アーシャの頭を撫でて立ち上がる。

「ありがと、アーシャ」

そう言ってゼンは立ち上がる。

ミスを責められもせず逆に労われてしまって、アーシャは申し訳なくなってしまう。

「たのしかた」

しかしゼンは大いに満足そうに笑いながら、家の中に入った。


ゼンは楽しそうに、アーシャに話しかける。

多分猫の話をしているであろう事は、ゼンの身振り手振りでわかる。

アーシャとしては、ゼンに猫に触らせてあげたかったので、それができなくて、残念でならない。

(もう焼き小人がいない事もわかったから、今度は絶対に集中できる!次こそは全力で触らせてみせる……!)

アーシャは触れなくても大満足そうなゼンを見ながら、決意を新たにする。


「ん?」

そのアーシャの鼻に、何とも魅力的な香りが入ってきた。

「んんん〜〜〜!?」

アーシャはその匂いを思い切り吸い込む。

(これは……香辛料!?うん、間違いなく香辛料的な匂い!!)

そう確信できるのだが、それが一体何の香辛料かと問われても答えられない。

元々香辛料は同量の金と交換されるほど、とても高価で、殆どの庶民は口にする事なく一生を終えるような物だ。

庶民のアーシャは全く詳しくない。


「肉……玉ねぎ……果物……??」

クンクンと夢中になって匂いを嗅ぐアーシャに、肩から下げたバニタロとモモタロは呆れ顔だ。

『ざいりょーの嗅ぎ当てをはじめたぞ。ミコと思えない、いやしさだ』

———タベモノ シュウチャク スゴイ

彼らは食べ物を必要としない存在なので、アーシャの食へのこだわりが理解し難いようだ。


何とも言えない、食べ物と香辛料の刺激的な香りに、お腹は減っていないはずなのに、ジュワッと口の中に唾液が広がる。

アーシャの顔は、自然と香りが流れてくる方向に引き寄せられる。

「ごめんな」

そんなアーシャの行動を、食べ物の方向に行きたいという主張と思ったのか、彼女を抱っこしていたゼンは、申し訳なさそうな顔で、アーシャの頭を撫でてから、元いた部屋の方に足を向ける。


(う……これじゃ本当に卑しい子だわ。いけないいけない)

アーシャは口の中の唾液を飲み込んでしまいながら、『全然食欲なんて感じてませんよ!』と主張するように爽やかな笑顔をゼンに向ける。

「ぷぷっ」

そんなアーシャの頭を、もう一度ゼンは撫でる。

優しく髪を整えるように撫でられるのも好きだが、こうやって髪を混ぜっ返すように撫でられるのも、すごく親しい感じがして、アーシャは好きだ。

「へへへ」

アーシャは嬉しくなって、両手に力を入れて、ゼンにしがみついた。


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