18.長男、縁を結ぶ(後)
譲は土下座をご披露した幼児と、その元に歩み寄る禅一の背中を眺める。
何やら会話を交わした後に、犬型のアイシングクッキーを手に取った禅一が犬の吠え真似をしてみせる。
「……ヘッタクソ……」
「可愛いクッキーに禅のテンション上がってるね」
テーブルに座ったままの譲と和泉は、彼らを観察しながら、そんな言葉を交わす。
禅一のヘタクソな犬の吠え真似を聞いたアーシャは、物凄い自信満々のドヤ顔で、もったいぶった咳払いをした。
「ワゥッフワゥッフ!」
そしてお見本とばかりに、自分の犬型クッキーを揺らしながら、鳴いてみせた。
「んふっ!!」
「ふふぃっ!!」
吠える瞬間の迫真の犬っぽい表情や、吠えた後の誇らしげな顔。
こんなに全力投球で、自信満々にやっているのに、全く上手くないという事実が、ツボに押し寄せてきて、譲と和泉は同時に吹き出す。
アーシャの周りで床に座っていた連中も、吹き出したかったのだろうが、本人が目の前にいるので、皆、手で顔を覆って震えている。
この場で唯一吹き出さなかったのは、年の功の乾老人だ。
「随分と独創的な吠え方だねぇ〜」
などとのんびり呟いている。
そして譲の視線に気がつくと、いかにも人懐っこそうな顔で笑う。
(油断ならねぇジジィだぜ)
その笑顔に譲は気を引き締める。
「和泉くんは取り敢えず、自力で基礎体力を上げるとして、君はどうするんだい?『俺のやり方』を参考までに聞かせてもらいたいね」
世間話のように乾老人は聞いてくる。
「さあ?まだ何にも考えてねぇよ」
譲は明言を避ける。
「そうか、残念。もう何かを決めているように見えたんだがねぇ」
そう言いながらも、それ以上しつこく問い詰めるような真似はしない。
「何も決まっていないなら、決まるまでうちに通ってみても良いんじゃないかい?基礎的なことは知っておいて損をする事はないよ?」
問い詰めないが、勧誘はしつこい。
「ここでの基礎は禅が学ぶから俺はいい」
「『ここでの』?」
勧誘をあっさりと断る譲に、乾老人は首を捻る。
「別の場所の基礎を学ぶ予定があるのかな?」
長く話してボロを出したくないと思っているが、老獪な乾老人は中々話を終わらせてくれない。
「別に。双子が揃って同じ物学んでたって意味がねぇってだけ。性能が同じ、視野も同じ、価値観も同じ、できる事も同じなら、二人で生まれたきた意味がねぇだろ。禅が学ぶなら俺は学ばないってだけ」
譲は何気ない顔を保ちながら答える。
「何でそんなに赤の他人を鍛えたいのか、理解できねぇな」
話を強制終了させる勢いで、そう言い捨てると、乾老人はニカっと笑う。
「そりゃ、子供達により良き未来を歩ませたいからだよ」
しかしどんな風に言っても、乾老人は言葉のキャッチボールをやめない。
無理やり拾いに行ってでも投げ返してくる。
「俺は元々、藤護分家でね。当時、一番藤護に血が近い分家だったんだ。戦後の最悪な世代で、最初は父親、それから五人いた兄弟のうち下から三人が、次々と本家の養子に取られて死んだ。次は次男である俺が死ぬ番だと思っていたんだが……俺にお鉢が回ってくる前に、本家筋に当主が戻されたんだ」
唐突に乾老人は語り始めたが、その声がどっしりと落ち着いているせいか、語りが上手いのか、ついつい耳を傾けてしまう。
戦時中に封印が完全に解け、大災害が起きたこと、次々と当主に立っては死んでいった事も知っていたが、その生き残りに話を聞くと、妙に生々しく感じる。
「粗悪な偽当主の延命リレーは時間稼ぎにしかならず、返って喰われた分、肥大するだけだって結論に至ってね。まぁ本家兄弟も下二人は食われたけど、君らの爺さんが中々しぶとくてね。一人で二十年もの間、耐え切った。俺らは彼の頑張りのおかげで生かされたんだ」
乾老人は禅一を見ている。
否、禅一を通して、かつての当主を見ているのかもしれない。
その目がとても懐かしそうだ。
「その間に分家の数も、本家の数も増えた。俺も娘ができた。これが可愛くてねぇ……それまでだって、何で俺たちだけで、こんな重い荷物を担ぐ必要があるんだと思っていたんだが、子供を持って更に思ったよ。この子が将来、望みもしない相手に嫁ぎ、禁域に食わせるための子供を育てさせられるかもしれない……あの村が閉じている限り、そんな地獄みたいな役目が村の子達にはついてまわる。ずっと内に引きこもって一族だけの力にこだわる必要がどこにある。外は知識の山だ。助力を請える相手だって沢山いるのに、何でしないんだろうってな」
そこまで言って、また乾老人はニカっと笑った。
「君らの爺さんも俺の考えに賛成してた。あいつも自分の子供たちを物凄く愛してたからな。……俺がドジ踏んで村から半死半生で追放されちまってから直接は話すこともできなくなったが、末の息子を外に出したって聞いた時は、『やりやがったな!』って思ったもんさ」
乾老人の懐かしそうな視線に倣って、譲も禅一を見る。
多分、禅一と祖父は外見だけじゃなく、内面も似ていたのだろう。
身内と思った相手を全力で守る。
そんな男だったのではないかと思った。
「それから自分の子供たちを、外との連携を取らせるために、分家として外に出して……そこまで成功して、ちょっと気が抜けたんだろうな……。末の息子が大学を卒業する年に、アイツは食われちまった」
翳った乾老人の瞳と裏腹に、彼の視線の先は、びっくりするほど平和で穏やかな世界が広がっている。
キャッキャと笑いながらクッキーを頬張るアーシャや、照れ臭そうに食べさせてもらう禅一や、嬉々として口を開ける篠崎。
「そこでアイツの孤軍奮闘は終わり。俺は村に入れず、現当主は自分の信念に沿って動いていたが、穢れて動けなくなって、結局は頭の硬い
乾老人の表情に変化はない。
しかしその目から、溶岩の如く溢れそうな憤りが見えた気がした。
「ゆずぅ、イジミ」
そんな所に、クッキーを両手に持ったアーシャが、輝かんばかりの笑顔で、トタトタと寄ってくるから、譲は手を振って追い返す。
あの笑顔は、負の感情が満ちた場所には相応しくない。
陽の恵を一杯に受ける縁側に、いるべきだと思った。
「可愛いもんだねぇ。うちの子たちも、ああやってヨチヨチ歩いてたもんさ……アイツも俺みたいに
それはまだ子供を持ったことがない譲には理解できない思いだ。
「要は俺らのジーさんへの義理立てってことか?」
簡単に要約してしまった譲に、乾老人は苦笑する。
「それだけじゃないさ」
そう言って、乾老人は庭を指差す。
そこには妙に猫やスズメ、鳩なんかが集まっている。
禅一が近くにいるのに、小動物がこんなに近くまで来るなんて珍しい。
「隔世遺伝って言うのかね。孫娘たちは『目』と氣を操る才能を引き継いだ。そして咲子ちゃんの方は『
「………カンロ?」
ふと祖母がよく舐めていた飴が譲の脳裏をよぎる。
「飴じゃないよ。甘い
子供達や動物に囲まれ笑う咲子を、乾老人が視線で示す。
「我知らず、相手に力を与えるんだ。咲子ちゃんの氣に触れるだけで、少しではあるが力を与えられて安らぎを感じる。小さく弱いものほど、その安らぎは大きくなる。だからああやって、子供や小動物が寄ってくる」
「成程……そりゃ厄介だ」
普通に生きている人間なら、小動物に好かれると言うだけで、大きな問題にはならない能力だが、藤護の血に連なる所に『力を与えられる』能力を持って生まれれば、どうなるのか大体わかる。
「二人には小さい頃から護身術を叩き込んで、千隼に陰ながらに守ってもらっていたから大きな問題にはならなかったがね……誘拐婚なんて時代錯誤も甚だしい事を実行しようとする馬鹿どもが、まぁしつこい」
アーシャを道具扱いする連中がウヨウヨいる界隈だ。
そこにいるだけで『力を与えられる』能力なんて喉から手が出るほど欲しいだろうし、遺伝する可能性があるなら増やしたいだろう。
そんな奴らがどんな行動に出るか、言われなくても大体わかる。
「だからね、藤護が力を欲しがる原因を消したいんだ」
譲の耳に信じられない言葉が飛び込んできた。
「原因って……まさか……」
「……藤護の一族が二千年以上成し遂げなかった悲願を成し遂げるのさ。今この世代に、あれだけの氣の持ち主が誕生した。そしてそれをサポートできる神霊のような子供が現れた。外の協力体制も出来上がってきている。これだけの条件がこれから先揃うとは思えない」
乾老人の言葉は熱い。
志なかばで死んでいった同志、そして家族、これから生まれてくるであろう子供達のために、成し遂げるのだという気迫が透けて見える。
「……………」
しかしそれに譲は簡単に同意できなかった。
何せ彼はその『悲願』を成し遂げる困難さがよくわかっている。
禅一がどんなに力を持っていると言っても、所詮は人間だ。
そう思わざるを得ないほど、強大な存在がこの世にはいるのだ。
「禅は力を持ってても使い熟せないし、チビはあの通り食い物に夢中なだけの餓鬼だ。そんな大それたことは無理だね」
そう言い捨てて、譲は立ち上がり、テーブルから離れる。
これ以上老人の熱に当てられたくなかった。
「……いいの?」
慌ててついてきた和泉が小声で聞く。
「……いいんだよ」
譲だって何度考えたかわからない。
問題の根本を祓う。
しかし何度考えてみても、勝てる未来は思い浮かばない。
アリがゾウに戦いを挑むようなものだ。
少しばかり大きなアリだからと言って敵うはずがない。
今までの話を振り切るように、譲は皿に並べられた愛らしいクッキーを掴んで口に放り込む。
一つ一つ、
「禅、ショック受けすぎ案件wwwそんなに『パパ』を取られたの気になるの?」
「いや……そりゃ俺は『パパ』って年齢じゃないけど……『お兄ちゃん』に比べて『パパ』ってすごい距離が近くないか……?『お兄ちゃん』が三メートルくらいとしたら、『パパ』はセンチ単位の距離にいそうな……」
「あ〜、わかる!呼び方の短さって親しさに直結するよね。『好きな人』より『好きピ』の方が近い気がするもん!」
「そうか……短さが親しさの距離か……じゃあパパに勝つには二文字以内の呼び名を得なくては……」
縁側組は本当にどうでも良い会話をしている。
「ゼンで良いだろ、禅で」
呆れて譲はついついツッコミを入れてしまう。
「あ〜、ゆずっちはわかってないな〜。こーゆーのは誰でも呼べる名前じゃなくて、その人だけが呼べる愛称っていう特別感がないとダメなの!」
やかましい篠崎の喋り方も今なら許せる。
「じゃあ『兄』にしとけ『兄』。二文字だろ」
突き放しながら、譲はクッキーを噛む。
「え〜〜〜それって可愛さがないし〜〜〜。『禅の兄ぃ』的なイメージするじゃん?ほのかにアングラなかほりがして嫌〜〜〜」
本当にどうでもいい会話だ。
「……『にに』とか『にぃ』とか?」
ポツリと和泉が呟くと、
「「天才現る……!!」」
二人の馬鹿の反応が揃う。
(うん。やっぱりこんな馬鹿な集団に、二千年来の悲願を遂げられるはずがねぇな)
悲願が成就された方がいいのに、それを語ったり、願ったりするのは禁忌を侵してしまうような感覚がする。
根源的な恐怖が湧いてくるのだ。
間抜けな会話を聞いていると、一線を踏み越えそうだった脳が現実に引き戻されて、ホッとしてしまう。
気の抜けた会話をする禅一は、膝の上のアーシャと庭先の小動物パラダイスを見て、キラキラしている。
そんな平凡な姿に、禁忌の仄暗い気配が遠ざかったような気がして、譲は安堵する。
(そんな大それた事ができるわけねぇじゃん)
そう思うと、謎の高揚が体から引いていって、目の前の景色がいつも通りの色を取り戻す。
「お!」
そんな中、禅一が声を上げる。
「『あーしゃ』だ!」
どこから取り出したのか、アーシャが広げたコピー用紙に、禅一が目を輝かせる。
定規を当てて書いた脅迫文のような仕上がりだが、用紙に書かれた『あーしゃ』の字に、『上手!』だの『ここのバランスが良い!』だの『難しいカーブが書けてる!』等と、禅一は大絶賛である。
「へへへ……えへへへへ………」
褒められたアーシャもまんざらではない様子で、クネクネと身を捩りながらも、ニヤニヤと嬉しそうに笑っている。
平和で呑気で間抜けな兄妹に、譲は大きく息を吐く。
そうして、完全に油断した瞬間だった。
シュポンと音を立てそうな勢いで、フグのぬいぐるみから小蛇が飛び出し、勢いそのままに、皆の目の前を転がっていく。
「「「「…………………」」」」
譲、和泉、乾老人が転がる小蛇を視線で追い、そして微かに見えているらしい峰子が、目をこすりながら凝視する。
輪っか状態でゴロゴロと転がった小蛇は、目を回したように床に伸びる。
そして酷い目にあったとばかりに小さく頭を振り、何事もなかったような澄まし顔で鎌首をもたげてから、スイスイと床の上を滑り、アーシャが広げた紙の上に陣取る。
皆に見られていると思っていない顔だ。
蛇がのった紙には、五十音表が書いてある。
(変な記号……これがチビの文字なのか……?)
それぞれのひらがなの下には、角ばった記号のようなものが書き込まれている。
「ゼン、ゼン」
「ん?どうした?」
何も見えていない禅一は、延々とアーシャの字を誉めていたが、唐突に、グイグイとアーシャに懐剣を渡されてキョトンと目を見開く。
「あいういえお表?」
そして五十音表を示されて、更に目が丸くなる。
アーシャがアイコンタクトを取ると、小蛇はスルスル動き、尻尾で平仮名の上を叩いていく。
その尻尾に指示された所を、アーシャが指でなぞる。
「なまえつける……?」
アーシャが指で差し示した平仮名を続けて読んで、禅一は首を傾げる。
(嘘だろ……蛇の神霊が指示を出している……!?神霊の言葉をチビが伝えているのか……!?)
まるで小学生の頃に流行ったコックリさんだ。
あちらは悪霊が動かしているのか、人間が動かしているのかわからない眉唾物だが、こちらは本物の神霊が指示している。
蛇の神霊は少なくとも人語を理解し、平仮名も読めるらしい。
アーシャは『通じなかったかな?』とでも言いそうな顔で、禅一に渡した懐剣をチョンチョンと指でつついてから、もう一度五十音表を指差していく。
「なま、え、つける……名前、つける?……名前?これに?」
突然アーシャが紙を通して日本語で意思疎通してきた事にも、指示された内容にも驚いて、禅一は大いに戸惑っている。
しかしここで、事態の解明に乗り出さないのが禅一である。
「名前か〜〜〜。そうだな〜〜〜え〜〜〜っと……」
アーシャの要求に従って、素直に懐剣に名前を考え始める。
「待った!」
そんな禅一に譲は待ったをかける。
「禅、今、チビは神霊の意思を代弁してお前に伝えてるんだ」
「神霊?代弁??」
この場で事情を理解できていないのは禅一と篠崎だけだ。
二人揃ってポカンとした顔をしている。
「神霊から請われて名前をつけるってことは、正式にその刀と
「えにし?」
「刀がお前の眷属……家族みたいなものになるって事だ」
「刀と?家族?」
驚いたように禅一は目を瞬かせる。
譲が名付けに横槍を入れると、不満を示すように、懐剣が唸る。
恐らく邪魔するなということなのだろう。
(……わかっちゃいたけど、ほぼ意思を持っている……)
名付けをさせないという選択肢は選べそうにない。
「わぉ……俺が精魂込めて打った嫁入り道具が嫁入りするとか超シュール。禅、無機物と末長く幸せにな」
ことの重大さが全くわかっていない篠崎が、余計なチャチャを入れている。
自分の刀が他人の眷属になることに特に文句はないらしい。
「いいか?これから付けるのは、多分魂とか、そんなもんに刻まれる名前で、付け直しはできないはずだ。ずっと使う名前だ。だから、いつものように変な名前はつけるんじゃないぞ?」
譲はしっかりと念を押す。
「え……変……?俺がつけた名前……?変、なのか??」
ショックを受けた様子の禅一に、譲はこめかみを押さえてしまう。
バニ太郎などという、ふざけた名前も、禅一にとっては良い名前だったらしい。
「とにかく無難につけるんだ」
代わりに自分がつけたいぐらいだが、禅一以外がつける事は許されそうにない。
「あ、あぁ……」
自信なさげに禅一は頷く。
「その刀袋の花とか。色とか。そういうのを参考にしたらいいと思う。そして変な捻りを入れない」
刀袋に縫われているは梅と桜で、どちらの花の名をつけても無難だ。
白地にピンクの糸で刺繍されているので、珊瑚色、桃花色、撫子色などの色の和名を思い出してくれれば、かなり落ち着いた名前になるはずだ。
「う〜ん色かぁ……ピンク……ピンク……桃色……もも……」
禅一は困り顔で腕を組んで目を閉じる。
(桃か……まぁ、禅なら合格点だな)
欲を言えば三文字以上でお願いしたかったが、禅一だから、多くは望めない。
この名付けの重要さを理解している、和泉もホッと息をつく気配がした。
「………ももたろう………?」
が、安心しかけた譲の耳に、とんでもない呟きが入った。
『馬鹿野郎!』と叫ぼうとしたが、その瞬間、禅一の手に持った懐剣から光が放たれた。
否、正確には、懐剣からの光ではなかったのかもしれない。
天から、あるいは、地から放たれたのかもしれない。
雲から放たれる紫電より数倍眩い光が、天と地と懐剣を貫くように走った。
「うわっ!!」
「っっひっ!!」
目を閉じても、手で目を覆っても防げない、網膜に残像を焼き付けるような、この世の光ではない。
目を焼かれることはないが、光そのものに質量があるようだ。
「き………気持ち悪い………」
和泉はたまらずへたり込む。
脳まで焼いてしまいそうな光の後には、力の波動が、幾重にも津波のように押し寄せてくる。
質量があるわけじゃないのに、内臓が揺さぶられているようで気持ちが悪い。
鳥たちが羽ばたき、猫が高い声を上げながら逃げていく音がする。
「……………………」
体の内側が揺さぶられるような気持ち悪さが過ぎ去ってから、譲はそっと目を開けた。
皆が呆然と禅一を見ている。
「何か……凄い光が走った……よな……?」
禅一は首を捻りながら、手に持つ懐剣を確認している。
その視線の先では……大豆二個分程のちんまりとした童女が飛び跳ねている。
白地に薄ピンクの刺繍がされた着物に緋色の袴。
肩口で真っ直ぐに揃えられた尼削ぎの髪。
小さいのに、しっかりと丸眉、垂れ目、赤い唇がのった顔。
恐ろしく精巧に作られた人形のようだが、元気に動いている。
嬉しげに両手をあげて、両足をそろえて大ジャンプを繰り返している。
口をパクパクと動かしていて、何かを言っているのはわかるが、虫の羽音のようで聞き取れない。
「モモタロ!」
その豆粒童女にアーシャが笑いかける。
いつの間にかアーシャの肩にのぼった小蛇の神霊も、尻尾をフリフリしている。
三人(?)は視線を交わして、笑い合う。
そしてアーシャは人差し指、小蛇は尻尾、豆粒童女は両手を出して、全員でハイタッチらしき事をしている。
「神剣が……………現代で生まれた………」
呆然と乾老人が呟く。
「……ありえねぇ……」
刀と縁を結ぶだけかと思っていたら、結ばれた瞬間、『何か』が降臨した。
いや天から降りてきたのか、地から湧き上がったのかは、わからない。
しかし名前が与えられた瞬間、明らかに刀の格が上がった。
豆粒のような大きさだが、神は神だ。
新たなる神の誕生に立ち会ってしまった面々は固まっている。
「新たなる神の名前が……桃太郎……」
呆然としているのか、驚いているのかが分かり辛い、能面ヅラの千隼がボソリと呟く。
呟いた後に、口を押さえたのは、もしかしたら面白くて吹き出したのかもしれない。
目元が全く動いていないので、全く表情が読めない。
「………………」
千隼の言葉に、譲は頭を抱える。
「禅……俺は変な名前をつけるなって言ったよな……?」
ハイタッチの後、わちゃわちゃと飛び跳ねている人外ちびっ子たちを目の端にとらえながら、譲は禅一を睨みつける。
「え……あ、だから、色から名前をつけようと思って……」
懐剣を眺め回して、光源を探していた禅一は、説明を始めようとする。
「何で色から名前をつけようと思ってたのに、赤ん坊除いた、日本人ほぼ十割が知ってる超有名な名前とカブるんだよ!素直にそのまま色の名前をつけとけよ!!」
譲はつまらない事を言う禅一の口を引っ張り伸ばす。
「桃だけじゃ物足りないな……と、思ったら……なんかこう……ツルっと……」
「……そうだな。日本人なら、桃と来たら、よく知ってる太郎を付け足したくなるよな」
アワアワと言い訳をしようとしていた禅一は、譲が頷くと、露骨にホッとした顔をする。
「とでも言うと思ったか!!こんのクソ馬鹿野郎!!せっかく俺が直前に捻りを入れるなって言ったのに、よりによって最悪な捻りを入れやがって!!」
直後に譲の怒りの雷が落ちる。
「別にいいんじゃん?ほら、何だっけ?桃太郎サムライとかそんなキャラいたよね?実物知らんけど。サムライと刀ってズッ友だし、イメージ合うんじゃない?」
「それはキャラじゃなくって時代劇!刀は侍の魂だけどズッ友じゃねぇ!」
自分の作った刀に、とんでもない名前をつけられたのに、篠崎は全く気にならない様子だ。
「譲、多分もう変更不可だし。ほら、好意的に考えると、みんなが知る英雄の名前だし。フルーツとかのブランド名にもなったりしてるし。語呂も良いような気がするし……本人(?)も喜んでるみたいだし」
「和泉!禅を甘やかすな!コイツは一度骨身に叩き込まねぇと、また同じ事するぞ!!」
何だかんだと皆、禅一に甘いので、譲は叱り飛ばす。
怒る譲に、和泉は何か考えるように首を傾げる。
「……何だよ?」
「いや、『また同じ事』があるのかなって」
和泉の視線は、楽しそうにキャッキャと踊るような足取りで禅一の周りを回るアーシャと、鎌首をブンブンと振り回しながらそれを追う小蛇と、刀袋の上で跳ね続ける豆サイズの童女、そしてポカンと騒ぎの中心に立っている禅一を捉えている。
神霊疑いの幼児に、間違いなく神霊の蛇、目の前で誕生した神剣と、それらに懐かれまくっている男。
ものすごい取り合わせだ。
「……………………………」
常人には突然テンションが上がって踊り狂っている幼児と、それに戸惑う兄にしか見えないであろう光景を、譲はチベットスナギツネのような顔で見る。
後ろを振り返らなくても、乾老人が目の前で起きた奇跡に、やる気を増幅させているのを感じる。
「譲………ごめん、やっぱりその子、神霊かも……」
楽しそうに神霊たちと戯れる姿に、和泉が申し訳なさそうに言う。
「えっと……それから、俺も、『また同じ事』があるかなって思っちゃった。禅だし」
付け足された言葉に、今度こそ譲は撃沈し、頭を抱えた。
良くも悪くも譲は常識人なのだ。
常識の範疇でしか生きられないのだ。
後見についた子供が人外かもしれないと言われれば、戸惑ってしまうし、神に弓引くなんて畏れが先立つ。
「何か……正月からこっち、事が起こり過ぎてオーバーフローが起こりそうだ……」
そう呟く譲の声を、「モモタロ!モモタロ!」と嬉しそうに桃太郎コールをするアーシャの声がかき消した。
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