17.聖女、作戦を実行する(後)
いつの間にか、硝子向こうの庭でも、硝子のこちら側でもお茶会が開かれていた。
とは言え、貴族がやる本格的なお茶会とは、多分違う。
みんな思い思いの所に座り、歓談しながら、お菓子を摘み、香ばしい『むぎちゃ』を飲む。
ゼンたちと話をしていた老人だけは奥の卓に残ったが、ユズルもイズミも美味しい焼き菓子を摘みに、近い所まで来ている。
どうやら話し合いは終了したのか、一旦休みとなったようだ。
アーシャはちゃっかりゼンの膝に乗って、美味しく焼き菓子を頂く。
猫を食べ、犬を食べ、兎を食べる。
と、表現すると生々しいが、もちろん全て焼き菓子の話だ。
砂糖は色々な色があるが、色による味の差分はない。
(お砂糖が沢山のってるヤツが美味しい!)
しかし砂糖がどれだけのっているかで、焼き菓子の甘さは変わる。
アーシャは欲張って、全面に砂糖で柄を書いてある猫を中心に食べる。
兎や犬ももちろん美味しいが、甘ければ甘いほど、幸せは大きくなる物なのだ。
ゼンは甘い物がそんなに得意ではないのか、目しか砂糖がのっていない兎を、『かわいーな』と言いながら、ゆっくりと時間をかけて食べている。
(何だろ?凄く我慢してる?)
ゼンの神気は、いつもは垂れ流しなのだが、今は彼の周りになんとか留まっている。
もう少し押し込んだら、完全に内側に留められるだろう。
しかし押さえ切るのは難しいらしく、時々、大きく震え、爆ぜた炎のように、噴き出す。
(神気を抑えようとしているのかしら?)
しかし何のために、そんな事をしているのだろうとアーシャは不思議に思う。
ゼンの顔を見上げれば、彼は熱心に庭を見ている。
庭ではサクコが子供達に囲まれながら、同じように焼き菓子を食べている。
最初は彼女を見つめているのかと思ったが、ゼンの視線は彼女たちの足元に向いている。
「あ、猫だ」
猫の焼き菓子を齧っていたアーシャは思わず呟いた。
彼女の足元には本物の猫や小鳥や鳩が集まってきているのだ。
(焼き菓子を狙って来たのかしら……?)
そう思ったのだが、猫たちはサクコの足に甘えるように擦り付いているだけだ。
鳥たちは猫がすぐそばにいるのに、襲われるという危機感が微塵もないらしく、呑気に皆の食べこぼしをつついている。
弱肉強食の概念がなくなってしまったような、平和な空間だ。
ブチ猫が一匹、茶色に黒の縞々が入った猫が一匹、鼻の頭だけが黒い白猫が一匹。
合計三匹の驚くほど体格の良い猫が、酔っ払っているかのようにサクコにじゃれついている。
(あ、奥にもいる)
『あそこに行きたい!でも怖い!』とでも言うように、後脚でもどかしそうに地面を踏んでいる、普通サイズの猫が更に二匹、庭の隅にいる。
ゼンは庭の猫たちを怯えさせないように、何とか自分の神気を抑え込もうと頑張っているらしい。
しかし猫たちが、ゴロンと転がってお腹を上に向けたり、両前足で顔をゴシゴシとする度に感情が溢れてくるようで、神気が迸っている。
(ゼンは猫が大好きなのね)
あんなに目を輝かせて見ているのに、硝子越しにしか見られないと言うのも、気の毒だ。
どうせならアーシャが神気を抑えるお手伝いして、猫たちと戯れられるようにしてあげよう。
そう思って立ちあがろうとした時、バニタロたちが入った袋が目に入る。
「………あ」
いつからそうだったのか、『かたな』が焦れたように雷を纏っている。
きっと、アーシャが呑気に焼き菓子を貪っている間も、『今こそ好機じゃないか!!』とイライラしていたに違いない。
(いけないいけない)
ついつい食べ物に夢中になると、思考がそちらに吸い取られてしまう。
アーシャは食べかけの焼き菓子を口に入れ、サクサクとした歯触りと、ポリンポリンと折れる砂糖をしっかりと楽しみつつ、『むぎちゃ』もしっかり飲み干して、先ほど取り出した紙を広げる。
「バニタロ、バニタロ、『名前をつけて』って教えてくれる?」
そしてバニタロに頼む。
———マカセル!
バニタロは力強くそう言ったかと思うと、こちらの文字で言うところの『つ』のような形になって、尻尾の先で踏ん張り始める。
———チョット マツ。イマ ヌケル
プルプルと力みつつ、人間で言うところのお尻を左右に動かし、なんとか体を引き抜こうともがいている。
好きで体を『もちもち』に突っ込んでいるのかと思っていたが、実は抜けなくなっていたらしい。
アーシャもお手伝いしようとするのだが、残念なことにバニタロには実体がないため、掴む事ができない。
「お!」
そんな事をしていたら、カサカサと言わせていたせいか、庭を見ていたゼンが、アーシャの書いた文字に気がつく。
「『あーしゃ』だ!」
アーシャがこの国の言葉で初めて書いた自分の名前を見つけて、ゼンは凄く嬉しそうな声を上げる。
ゼンに見せたいと思って持ってきていたのだが、改めて見ると、ものすごくガタガタしていて、シノザキが書いた文字と比べると、あまりにも不格好だ。
(うっ……改めて見ると……持ってきてまで見せるレベルじゃ全然ない……)
アーシャは思わず恥ずかしくなってしまう。
「アーシャ、じょーず!じょーず!!」
しかしゼンは目を輝かせながら、アーシャの頭を撫でまくってくれる。
アーシャが書いた文字を一つ一つ指さして、『ここが上手い』『ここが素晴らしい』とでも言うように、たくさん頷いたり、撫でたりしながら、語りかけてくれる。
「へへへ……えへへへへ………」
もの凄い勢いで褒められている事がわかって、アーシャの顔はニヤけてしまう。
一瞬前に、持って来て後悔した事など、あっという間に消え去ってしまった。
少しばかりの気恥ずかしさを吹っ飛ばす勢いで、ゼンは褒め続けてくれる。
(頑張って文字を覚えよう……!!)
猫を見ていた時よりも顔を輝かせているゼンを見ていると、そんな熱い思いが、ドラゴンの羽ばたきのごとく力強く、腹の底から湧いてくる。
フワフワと蝶が羽ばたくような軽やかな思いではなく、決意が噴き出してくる。
文字を覚えるのは自分のためなのだが、それをこんなにも喜んでくれる人がいるなら、やる気は何倍にも膨れ上がる。
———オワッッ!!
そんなアーシャの目の前を、小蛇が回転しながら横切る。
どうやら胴体部分が抜けたら、一気に抜けたようだ。
慌てて手を伸ばして受け止めようとしたが、バニタロはすり抜けてしまう。
「………バニタロ?」
すり抜けたバニタロを見てアーシャは驚いてしまう。
この前見た時は、体の太さも長さも大き目のミミズくらいだったのに、今は胴がゼンの指くらいの太さになっている。
———ヌフフ バニタロー ヌシ チカラ アビル オオキイ ナル
アーシャが目を丸くすると、正真正銘の『小蛇』くらいのサイズになったバニタロは嬉しそうに鎌首を持ち上げる。
もしかすると胸を張っているのかもしれない。
そんな呑気な二人(?)に、焦れたように『かたな』が、再び帯電する。
慌てたバニタロは戦闘配置に着いた!とでも言うように、素早く紙の上に乗り、アーシャは『かたな』を手に持つ。
「ゼン、ゼン」
そしてゼンに話しかける。
「ん?どーした?」
まだアーシャの字を眺めていたゼンに『かたな』を渡して、アーシャは注目を引くようにバニタロが乗った紙を叩く。
「あいういえぉひょー?」
不思議そうに覗き込むゼンに、アーシャは人差し指を横に振ってアピールした後に、バニタロが尻尾で叩く文字を指差ししていく。
(な・ま・え・つ・け・る)
指し示しながら、文字の下に書いた読み方を、自身も口の中で呟く。
「なまえつける……?」
全部差し終わってゼンを振り向くと、ゼンは不思議そうな顔をして首を傾げている。
(通じてない!?)
アーシャはゼンに持たせた『かたな』を指差してから、再び紙に向き合うと、バニタロが心得たとばかりに、また尻尾でリードしてくれる。
「なま、え、つける……なまえ、つける?……なまえ?これに?」
今度は通じたようで、ゼンは手に持った『かたな』を見て、考え込む。
「なまえか〜〜〜。そうだな〜〜〜え〜〜〜っと……」
反応を見るに、これは完璧に意図が伝わった。
アーシャとバニタロは『やった!』と顔を見合わせた後に、ワクワクとしながら、ゼンの命名を待つ。
「また!」
しかし何かゼンが言おうとした時に、ユズルが声を上げた。
「?」
珍しく焦った様子でユズルはゼンに走り寄って、何かを捲し立て始める。
「???」
何かを怒っていると言う感じではない。
(何かを説得している感じ……?)
顔を引きつらせて、何かをゼンに言い聞かせている感じだ。
二人のやり取りに、『その時』を待っていた『かたな』は焦れたように、パリパリと空気を振動させている。
それを見たユズルは、何かを念押しするようにゼンに言ってから、口をつぐむ。
ゼンは戸惑いを隠せない顔をしながら、もう一度思案するように目を閉じる。
「………赫徽更葡貫………?」
そして彼としては珍しく、聞き取りにくい、口の中で籠るような声で何かを言った。
瞬間、『かたな』から真っ白な稲妻が上に向かって走り抜ける。
「ひゃーーーーー!!」
あまりの眩しさにアーシャは目を閉じる。
その直後に強い力の波が、突風のように吹き付ける。
———アワーーーーーーーー!!
アーシャは肉体があるので、吹き飛ばされたりする事はなかったのだが、隣のバニタロは見事に吹っ飛ばされたらしく、声が遠くなっていく。
鳥たちが一斉に羽ばたく音と、力を吹き付けられた人々の驚きの声が混ざる。
衝撃波の後に、何回かの余韻のように力の波が吹き付ける。
「……………」
それらが感じられないくらいになって、アーシャは恐々と目を開ける。
庭で遊んでいた鳥や猫が一瞬にして逃げ散り、サクコや子供達が目を丸くしている。
バニタロは随分吹っ飛ばされたらしく、部屋の隅に転がっている。
流石に先程の閃光が見えたようで、ゼンは呆然とした顔で、『かたな』と稲妻が走り抜けた天井を見ている。
そして彼が持っている『かたな』の上には———
『け……けんげん………けんげんじゃ〜〜〜!!』
夢の中で見た姿とは比べ物にならないほど縮んで、親指姫ならぬ『小指の先』姫サイズになってしまった彼女がいた。
彼女は自分が入ってる袋の上でぴょんぴょんと、ノミのように跳ねていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます