17.聖女、作戦を実行する(前)

「ふふぁぁぁ〜〜〜〜!!」

喉を通る冷たい感触が、火照った体に染み渡っていく。

口から喉、喉から胃へ、自分が飲んだ液体がどこを通るかがはっきりとわかる。

胃にまで達した感触に、アーシャは息を吐き出した。

運動した体に『むぎちゃ』が染み込んでいく。


訓練所の訓練内容は実力に合わせられるようで、残念ながらアーシャは戦うまでに至っていないと判定され、体を動かす練習を繰り返す事になった。

しかしこれが結構面白かった。

腕を曲げ伸ばししながら足を踏み出したり、半腰で何度も振り向いたり、摺り足で歩き回ったりと、今までやった事がないような動きは、どこか道化に似ていて、やっているうちに愉快になってきて、何度も笑いが漏れてしまった。


皆で床に転がるのも楽しかった。

こちらの国に来て、土埃のない床に上がるようになってから、転がる楽しさを知ったのだが、みんなでやると、とても楽しい。

アーシャは左や右に転がったのだが、転がったら『やりました!』とばかりに床を叩くのが、何だかおかしくて、何度も笑った。

子供たちが次々と、アーシャの前で転がっては床を叩くのだが、この音がとても小気味の良い。

アーシャがどれだけ叩いても、何だか気が抜けた音しか出なくて、それすら段々それがおかしくなって笑ってしまった。


そうやって、ずっと遊んでいるような状態だったのだが、よく体を動かしたので、身体中を血が巡っているのを感じる。

実際の戦いに役立つようなことは全然学べていないが、赤子は剣を持つことはできない。

きっと、まずはしっかりと体を動かして、戦う素地を作れということなのだろう。

(頑張ろう!!)

アーシャは闘志を燃やす。


今日一緒に体を動かした子供達とは、すっかり仲良くなって、一緒に外で遊ぼうとお誘いされるにまでになったのだが、焼き小人を見てしまうのが怖くて、迷った末にお断りしてしまった。

(私、そんなに弱くないはずなんだけど)

モンスターを引き寄せるために他のモンスターを生き餌にした経験もあるのに、小人焼きを見ることに怯んでしまう自分に、アーシャはため息を吐く。


元いた部屋に戻る時も、ゼンに掴まって、しっかりと目を瞑って移動した。

(今まで頼れる人がいなくて、全部自分でやっていたから、強いと思い込んでいただけなのかしら)

ここでは無条件にアーシャを守ってくれる人が沢山で、それにどんどん甘えてしまっている。

困ったことに、甘えることを、段々と自制できなくなってきているのだ。


今もアーシャはミネコの膝に座って、のんびりと『むぎちゃ』を嗜んでいる状態だ。

最初はゼンの膝に座ろうとしたのだが、ゼンとユズルとイズミは、老人と何やら真剣な話があるようで、卓に座った。

ゼンの膝に座れなくて、アーシャががっかりしていた所、紙の扉を開け放って、気持ちの良い陽光を浴びて過ごせるように、ミネコが配慮してくれたのだ。

紙の扉を開けると、庭が目に入ってしまうので、最初はちょっと怖かったのだが、庭ではサクコや子供たちが楽しそうに遊んでいて、目が合ったら大きく手を振ってくれるので、何とか焼き小人を意識の外に追い出すことができた。


アーシャたちが部屋に戻るまで眠っていたシノザキは、転げ回ったお陰ですっかり乱れたアーシャの髪型を直してくれて、その後はお茶を飲みながら自分の髪型も整えている。

ミネコとシノザキは仲良しらしく、何やら話が盛り上がっている。

楽しそうな会話を聞き流しながら、アーシャは膝に置いたバニタロと『かたな』を撫でる。


バニタロは撫でると嬉しそうに尻尾を振って応えてくれるが、『かたな』はヘソを曲げてしまって、『許さないんだから!』とでも言うように、小さな雷を出しただけで無視である。

(……めちゃくちゃ怒ってる……)

これはアーシャが悪いのだが、着替えをした際、脱いだ服と一緒に別の部屋に彼らを入れた袋も置いて行ってしまったので、『かたな』は大いにいじけている。


———アシャ キニスル ナイ。カタナ アマエル ダケ

『放っておけ、放っておけ』とばかりに、軽口を叩いたバニタロを、軽い雷撃が掠める。

『キュッ!!』とバニタロが声にならない悲鳴を上げる。

直接攻撃をしなくなったのは、良い変化と言えるが、喋れないので、意思伝達手段がどうも過激になってしまう。


(『かたな』は夢の中でしか会話できないからなぁ)

アーシャは少し『かたな』を気の毒に思っている。

もし自分が喜怒哀楽の感情を持ったまま、道具になったらどんな風になるだろうと考えてしまうのだ。

自分では動けない。

自分の声は誰にも届かない。

そんな状態で置いて行かれたら、さぞ寂しいだろうし、迎えに来てくれるか不安だろう。

『要らない』と言われ、長い期間一人で放置されてしまっていた後だから、尚更恐ろしいだろう。


そんな『かたな』のために、ゼンに名前をつけてもらって『えにし』とやらを結んでやりたいと思うのだが、大人たちの会話に割り込むわけにもいかない。

(話が終わったら、考えていた作戦に移るから、もうちょっと待ってね)

アーシャは袋ごとバニタロと『かたな』を抱き締める。



硝子の向こうの庭では、一目でその強さがわかる、筋骨隆々とした男性が、ガーデンテーブルに皿を並べている。

それを見た子供達は、歓声を上げて、駆け寄っていく。

「……おぉ……」

皿の中身も見えないし、匂いもしないが、食べ物の気配を察知して、アーシャは伸び上がる。

寝る前の肉祭りで、今までの人生で食べた総量の五倍くらいの肉を食べたのに、既に小腹が空いている自分の体が恐ろしい。


皿を置いた男性は、硝子越しのアーシャの視線に気が付いたかのように、振り向く。

そしてアーシャに小さく手を振る。

「?」

目が合っていると感じたので、アーシャは彼に手を振り返したのだが、それに対してのアクションがない。

手の動きが大きくなるとか、振るのを止めるとか、表情が変わるとかそういう事が全くない。

「???」

手を振っていると言うより、こちらを見ながら唐突に手の運動を始めたような感じだ。

そして『決めていた時間、手を動かす運動をしたので、終了』とでも言うように、淡々と踵を返して、どこかに歩き去ってしまう。


「???」

自分以外の人に振っていた手に、反応してしまったのだろうかと、アーシャは背後を確認するが、後ろにいるのは、彼女を膝に乗せたミネコだけだ。

彼女は今、シノザキと会話しているので、手を振り返したとは思えない。

真後ろではないが、部屋の中央あたりにある卓にいるゼンたちも、真剣な顔をして会話をしていて、硝子の方は見ていない。


アーシャがゼンたちの姿を確認していたら、ゼンがアーシャの視線に気がついて、小さく手を振ってくれる。

嬉しくなって、アーシャも振り返すと、ゼンは笑みを深くする。

(うん、普通、手を振ったら、こんな反応だよね。あれは唐突に腕を動かしたくなっただけとか、そんな感じなのかな?)

そんな事を考えていたら、今まで燦々と降り注いでいた陽光が、フッと遮られた。

「?」

何だろうと、アーシャは庭の方を振り向き……

「おわっっっ!!」

飛び上がった。


それはまるで昔聞いたゴーストの話のようだった。

家の外にいた白い影が、目を離した瞬間に、目の前に移動している。

そのお話には、そんな場面があった。

「は……はぅ……」

今、正にそれと同じ状況だ。

先程まで外にいた男性が、アーシャの目の前に立って、見下ろしていたのだ。


硝子の仕切りが開いた様子はないので、出入り口から回ってきたのだと思うのだが、それにしては早過ぎる。

驚愕するアーシャの前に、音もなく皿が置かれる。

「どーぞ」

男性はアーシャに声を掛ける。

「???」

しかし男性の表情に変化がなさすぎて、何を言われているのか、全く予想ができない。

首を傾げながら置かれた皿を確認して、

「わぁ!!!」

アーシャは声を上げた。


淡い優しい色合いと、甘い匂い。

皿の上は、長い冬を抜けた春の野原のようだった。

(これは兎!?こっちは……犬!?こっちは猫!!)

その彩りの、一つ一つが愛らしい動物の形をしている。


驚く程に薄く切られたナッツの耳を持った兎。

四肢を立て、胸を張って、尾を巻き上げた犬。

クルンと体に尻尾を沿わせて、行儀良く座る猫。

形はその三種類だが、柄が全て違う。


兎は目が赤かったり、黒かったり、瞑っていたり、犬は耳に花飾りを着けていたり、愛らしい首輪をしていたり、服を着ていたり、猫は黒や白、ブチと、沢山の柄が表現されている。

見たところ同じ柄は一つもない。

(焼き菓子に……一つ一つ絵を描いたのかしら?)

アーシャは感心してしまう。

彼女の掌にのるくらいの小さな焼き菓子に、驚くほど繊細な絵を描いてあるのだ。

兎や犬、猫の形を作るだけでも大変そうなのに、絵を描くなんて、とんでもなく凝っている。

「…………『かわいーな』!!」

アーシャは余りの可愛さに釘付けだ。


一つ一つを、もっとよく見ようと、アーシャが顔を近づけると、思わず口を開けたくなる、甘い匂いがする。

(すっっごく良い匂い!!)

思わずゴクンと喉を鳴らしてしまって、アーシャは赤面する。

(もう!いくら良い匂いでも絵の具は食べられるわけがないじゃない!)

絵の具は、鉱物などを砕いて作るため、実は有害なのだ。

特に白色は危ない。

画家疝痛せんつうと言われるほど、画家たちは同じ病気に罹る。

頭痛や眩暈、その果てに歩けなくなる者も珍しくなかった。

一度高名な画家の治癒を頼まれた時、体の中に入った鉱物を外に出すのに、かなり難儀した。


三毛猫、黒猫、白猫、シマ猫、ブチ猫。

食べられないのは残念だが、描かれた猫たちは愛らしい。

「『ねこ』」

白猫を手に取って、アーシャは隣のシノザキと後ろのミネコに見せる。

午前中の学習の成果を、早速ご披露できて、アーシャは胸を張る。


「にゃ〜〜〜ん」

するとシノザキも黒猫を手に取って、鳴き真似をしながらアーシャに見せてくれる。

しかし、ちょっと猫っぽくない鳴き方だ。

「めぁう、めぁう、めゃ〜う」

アーシャはお見本とばかりに鳴いてみせる。

実は結構鳴き真似に自信があるのだ。


「「「………………っっ」」」

しかし自信満々に真似をご披露したのに、シノザキ、ミネコ、更に皿を持ってきた男性まで顔を押さえて蹲ってしまう。

プルプル震える肩から笑っていることがわかる。


「………下手だった?」

結構自信があったのにと、バニタロに聞いてみると、尻尾が困ったように曲がる。

———ビミョウ。イヌ ナク スル?

結構似ていると思ったのになぁと、アーシャは肩を落としながら、花の耳飾りをつけた犬を手に取る。

「ワゥッフワゥッフ!」

犬は猫より似ている自信があったので、こちらも張り切ってご披露したのだが、汚名返上はできなかったようだ。

更にみんながピクピクし始めた。

(人間の言葉のように、国が違うと、動物も鳴き声が変わるのかしら……)

アーシャは皆の反応に、がっかりしてしまう


そんなアーシャをミネコとシノザキがほぼ同時に挟み込んだ。

「かわい………かわい……!!」

「も〜〜〜!かわい〜〜〜〜!!」

二人は挟み込んだアーシャを撫でまくる。

「???」

あまりの唐突な変化に、アーシャはびっくりしてしまう。


(も……もしかして実は凄く上手に出来てて、感動して震えていたのかしら!?)

二人の様子から、アーシャの萎んでいた自信が一気に蘇る。

「へへへへへ……ワゥッフワゥッフ!」

そして調子に乗って、上手に出来たと思われる犬の真似を繰り返す。


「ワンワンっ!」

そんなアーシャの真似をするように、シノザキも服を着た犬を吠えさせる。

「ふふふ」

アーシャは笑う。

少々犬っぽくない鳴き声だが、これは熟練の技術がいるので仕方ない。

そんな事を思ってアーシャが笑っていると、シノザキは吠えさせた犬を、そのまま口の中に放り込んでしまった。


「……………」

アーシャは目を限界まで開き、シノザキを見つめる。

「んっ、おいひ〜〜」

ボリボリとシノザキは笑顔で焼き菓子を噛む。

「あわっ………!!ユッキー!ユッキー!!絵の具!毒!毒!!」

あまりの事に一瞬、呆然としてしまったが、アーシャは慌ててシノザキに飛びつく。

そして実力行使とばかりに、シノザキの口に手を伸ばそうとしたのだが、

「アーシャちゃん!」

寸前でミネコに抱き止められる。


そうこうしていると、シノザキは驚いた拍子に、焼き菓子を飲み込んでしまう。

「ユッキ〜〜〜!」

アーシャは絶望の悲鳴を上げる。

少量であれば問題ないかもしれないが、近しい人に苦しんでほしくない。

(こ……こうなれば体内に直接干渉するしか……!!)

そう思って、袋に入った錫杖に手を伸ばす。

———アシャ オチツク。アレ エノグ チガウ。サトウ

そんなアーシャにバニタロが声を掛ける。


砂糖しゃとう……?」

———ニンゲン サトウ イロ ツケル

聞き返したアーシャに、バニタロは頷くように尻尾を動かす。

「色を……砂糖に?」

アーシャは目をパチクリと開ける。


(しまった………きっと砂糖を絵の具のように出来る、何らかの技術があるんだわ……)

自分の想像の及ばぬ技術を持つ国なんだと、何度も実感していたはずなのに、ついつい自分の価値観で動いてしまう。

そもそも、よく考えれば焼き菓子に絵の具を塗って食べられないようにするなんて、おかしいではないか。

いくら可愛くても、やるはずがない。

「………ユッキー……」

アーシャが大騒ぎしたせいで、シノザキは驚いてオロオロしている。

彼女に謝りたいのだが、言葉が出てこない。


「バニタロ、こっちで、ごめんなさいは何て言うの?」

アーシャはコソッとバニタロに語りかけ、胸元から折り畳んだ紙を取り出す。

それは自分の名前を書いた紙と、シノザキが書いてくれた、この国の文字の一覧の紙だ。


———ンー………コレ 『だくおん』 ナイ

広げた文字一覧に、バニタロは少し困ったように尻尾を振る。

「『だくおん』?」

アーシャは聞き返すが、バニタロはうまく説明できない様子だ。


少しの間、思案して、バニタロは再び語りかけてくる。

———テ アワセル。アタマ サゲル。ニンゲン アヤマル コウスル 

バニタロの指導にアーシャはなるほどと思う。

言葉に頼らずとも、体の動きで色々と伝えられる事は、この国に来て学んだ。


「ユッキー!」

アーシャは早速、シノザキに向かって、両手を合わせて、頭を下げる。

「へ、あ、えっ?ええっ??」

しかし伝わった感じがなく、シノザキは戸惑っている。


———サイジョウ ゴメン ヘイフク

そのアーシャに更なるアドバイスが飛ぶ。

(ちょっと命乞いみたい……?)

平伏して手を組んでいたら、アーシャの国の命乞いスタイルだ。

そう思いつつ、アーシャはミネコの膝から降りて、床に跪く。

そして手を合わせながら、シノザキに頭を下げる。

腹筋がないおかげで、勢いよく前に倒れてしまい、床にぶつけた肘が少し痛い。


「アーシャちゃん!アーシャちゃん!よく毅撰篤晩境撹紐、荘珍熟作て〜〜〜!弛里粍讐料完亘廃庚幻槽国叢峻穂貿帖みえちゃう所崖呉よ〜〜〜!!」

するとシノザキが何やら慌てたように、何かを捲し立てながら、平伏したアーシャを回収する。

シノザキは力強くアーシャを抱きしめ、頬擦りをし、頭を撫でまくる。

どうやら謝意は伝わったようだ。

(口に手を突っ込もうとして、ごめんね)

アーシャも言葉にできない思いを込めてシノザキを抱きしめ返す。


「アーシャ、だいじょーぶか?」

「ゼン!」

そうこうしていたら、真剣な話をしていたゼンまでやってきてしまう。

邪魔したくなかったのに、大騒ぎしてしまったお陰で、申し訳ない限りだ。

ゼンは心配そうな顔をしていたが、シノザキに抱っこされて元気そうなアーシャを見て、安心したように頷く。


「お!かわいーな!」

ゼンはアーシャたちの前に置いてある皿に気がついて、頬を緩ませる。

そして花飾りを頭に乗せた犬を手に取り、

「わんわんっ!」

揺らしながら鳴き真似をする。

「んふっ」

アーシャはそれに思わず吹き出してしまう。

シノザキと一緒、いや、それ以上にゼンは犬の真似が下手だ。


「ワゥッフワゥッフ!」

そこでお見本とばかりにアーシャも、手に持った茶色の犬を鳴かせてみせる。

「「「「……………………!!」」」」

するとゼンを含めた四人が顔を押さえて、ピクピクと震える。

(ふふふ……また感動させてしまった)

その様子にアーシャの自信は無駄に増える。


今度はゼンを含めた三人にもみくちゃにされて褒め称えられ、アーシャは鼻高々である。

たかが犬の鳴き真似だが、褒められると、胸を張りたい気分になる。

「アーシャ、あ〜ん」

ゼンは手に持った焼き菓子を、アーシャに勧めてくれる。

「あ〜〜〜」

すっかり慣れてしまったアーシャは恥ずかしげもなく口を大きく開ける。


「んん!!」

焼き菓子はサクっと心地よく歯を受け入れ、上に塗ってある砂糖は思った以上の硬さで、ポリンと噛んだ所から割れる。

(お砂糖って硬いんだ!)

砂糖そのものを食べた事がないアーシャは新たなる発見に目を丸くする。


焼き菓子部分は噛む度に、サクサクと心地よい音を立て、控えめな甘さを口の中に広げ、上に塗られた色付きの砂糖は、ポリンポリンと砕け、焼き菓子に濃い甘みを加えていく。

小麦粉の香りと砂糖の甘い香りが、入り混じって鼻から抜け、香ばしさを口の中に残す。


ここで『むぎちゃ』を口に含むと、焼き菓子は粘土のようになって、より一層甘味が増す気がする。

焼き菓子を飲み込んでから、更にもう一口飲むと、何とも言えない清涼感が広がる。

「おいし〜なっ!!」

フハッと息を吐きながら、アーシャは笑う。


「ゼン、ゼン、あ〜ん」

お返しとばかりに、アーシャも手に持っていた犬をゼンに勧める。

「てれるな〜」

と笑いながら、ゼンは一口で犬を咥える。

もぐもぐと、嬉しそうに咀嚼するゼンを見ながら、アーシャは猫の焼き菓子を手に取る。

「ユッキー、あ〜ん」

そしてアーシャが大騒ぎしたせいで、次の焼き菓子に手を伸ばせていないシノザキにも勧める。

「あ〜〜〜んっ!」

シノザキは淑女らしからぬ大口でそれを受け止め、満面の笑顔を見せてくれる。

(仲直りできてよかった)

アーシャはその様子にホッとする。


「みにぇこしぇん……おねちゃん、あ〜ん」

同じく焼き菓子に手をつけていないミネコにも勧めようとしたのだが、『せいんせい』とつけようとすると、少し眉尻が下がったような気がしたので、慌ててアーシャは言い直す。

よく分からないが、今は『おねちゃん』が正解のようだ。


「……………あ〜ん?」

そんな事をやっていると、正面から強い目線を感じて、アーシャは皿を持ってきた男性にも、お勧めする。

「パパ」

彼は自分を指さしながら、そう言う。

どうやらお菓子じゃなくて、自己紹介がしたかったようだ。

「パパ、アーシャ」

アーシャもパパに名乗り返す。


「…………………」

「………………?」

お互いの自己紹介が終わっても、パパはジッとアーシャを見つめ続ける。

アーシャは意味がわからなくて、暫し考えるが、やがて、ハッと思い至る。

「パパ、あ〜ん」

持ったままだった焼き菓子を、改めて勧めると、表情こそは変化がないが、何となく満足そうに彼は焼き菓子を口にする。

どうやら焼き菓子の前に自己紹介を終わらせたかったようだ。


「へへへ」

みんなで座ってお菓子を食べるのは、お茶会のようで楽しい。

「ゆずぅ、イジミ」

二人にはまだお勧めしていなかったと、両手に焼き菓子を持って、彼らの元に馳せ参じようとしたのだが、目が合った途端に『シッシッ』とユズルに手を振られてしまった。

(つれないなぁ)

と、がっかりしながらも、アーシャは手に取った焼き菓子を口に運ぶ。

「んふっ」

そして素晴らしい歯応えに顔を綻ばせるのであった。




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