12.末っ子、再び人外の疑い(後)

『藤護』であることを認めきれていない自分は確かにいる。

勝手に押し付けられた苗字も、使命も全くもって迷惑だ。

しかし同時に『藤護』に衣食住の提供を受けて成長し、今も援助を受けているので、『藤護』であることで受けるそしりは、ある程度仕方ないと思っている。

禅一はそんな感じなのだが、禅一以上に『藤護』に屈折した思いを持っている譲は、自分が『藤護』として負の感情を向けられるのには納得いかない様子だ。

表情には出ていないが、不機嫌そうなオーラを感じる。


「さて……色々と話しておきたいネタは沢山あるんだが……まずは……そうだな。藤護で神霊の事を教わっていると思うけど、その辺りの補足説明から入ろうかねぇ」

のんびりと乾老人が話し始めたので、禅一は意識を彼に向ける。

「しんれい。あの写真に映るヤツですね」

自分的にはちゃんと相槌を入れたつもりだったのだが、言った瞬間に、横から脇腹をどつかれた。


「それは『こころ』に幽霊の『霊』で心霊のほう。ユーレーとかその類」

不機嫌そうに譲に睨まれてしまう。

「………ユーレーの話じゃないのか?」

「ユーレーの話なんて、しても意味ねぇだろ。真昼間から老人たちと百話でもする気か」

譲は渋面で大きく息を吐く。

てっきり先ほど穢れを祓ったので、その辺りの話なのかと思ったが、違ったらしい。


「………今ので何となくわかると思うけど、こいつは『そういう』教育は受けてねぇ。話があるなら頭からケツまできちんと説明してくれ」

ため息混じりに譲が言うと、乾老人が眉を寄せる。

「当主の教育を受けていない……?」

とても信じられないと言う顔だ。

「どれくらい内部事情を知ってるのかわからねぇから言うけど、俺らは『外』の女が産んだ妾っ子で、正当な後継ができるまでの、使い捨てのツナギなんだ。求められてるのは命懸けで『神』と対峙して時間稼ぎをする事だけだ」

苦々しそうな顔で譲が言う。


(座学ができなかったのは単純に時間が足りなかったってのもあるんだがなぁ)

確かに妾の子は使い潰し要員だと思われているフシもあるが、単純に座学に回す時間がなかったと言うのもある。

その辺りは訂正しておいた方が良いだろうかと禅一は首を捻る。


禅一たちが引き取られた頃には、もう当主の穢れは落としきれない状態で、まともな祓ができない状態に陥っていた。

そのため村の連中は緊急に代理を必要があった。

氣は強いがそれを全く制御できない禅一と、既に氣を操りつつあった譲。

二人のうち最初に選ばれそうになったのは譲だった。

末子相続の習慣を守ると言うことと、氣の強い本命中継ぎの禅一を仕上げるための時間稼ぎにちょうど良いと思ったのだろう。


しかしその話は、譲を選んだら、その瞬間に中継ぎを二人ともを失う事になると脅しつけ、退けた。

その時は御神体の存在も知らず、明確な危機などは感じていなかったが、とにかく何があっても生き残れるのは自分の方だと思っていたので、必死だった。

自分の意見を押し通すために、どうせ理解できない理論を後回しにして、意図的に操作できなくても役目がこなせるよう、ひたすら鍛え上げられることを受け入れた。


何とか形になるまでは、一切脇見をしている時間はなかった。

朝は四時から、学校に行っている間と食事の時間を除き、夜十一時まで、ひたすらシゴキに耐え続けて、終わったら、毎日気絶するように眠った。

いっその事、学校に行く時間を無くせば良いのではないかと思うほど、時間的な余裕がなかった。

しかし『藤護の姓を名乗る以上、無学などありあえない』という当主の強い意向で、中学へは通い続けた。

何とか形になるまでの二年間は本当に大変だった。

代々の当主が成長過程で少しづつ学ぶ技術を、一気に詰め込まなくてはいけなかったから、その大変さは当たり前と言えば、当たり前だったが。

最中は学校に行く時間を睡眠に当てたいと何度も思った。


そうして数えで十五を超えた年に当主の補助ついて初めての大祓を体験し、次の年から当主代理として儀式を取り仕切るようになった。

大祓に参加した辺りからは、周りから教わることはなくなって、ひたすら反復練習だったので、それなりに時間はあったのだが、藤護の御神体を見てしまってからは、死に物狂いで武道に打ち込み始めた。

アレを相手にして生き残り続けることはできない。

何とか外に助けを求めないといけない。

そんな恐怖に突き動かされ、体を休ませる時間すら取ることはできなかった。


(まぁ良いか。この辺りのゴタゴタは話すのも面倒だ)

そう思って禅一は話の行く末を見守る。

「まさか……そこまで非人道をあの子が許すと思わないんだが………」

乾老人はとても信じられないと言う顔で、首を振る。

「あの子?」

「現当主だよ」

禅一の質問に、彼は短く答える。

まさか当主と乾老人が顔見知りだと思っていなくて、禅一と譲は目を見開く。


「あの子は一度外に出ていたからね。こちらの身分を隠して会って、あわよくば、懐柔してしまおうと思ったんだが……良くも悪くも真っ直ぐな子だったから、『使命』に誇りを持っていて、失敗してしまった」

ハハハと乾老人は自分の失敗を笑い飛ばす。

「でもあの子はあの子なりの正義で、誠実に生きようとしていた。……婚約者がいるのに、外で子供を作っていたと言うのも信じられないくらいで、後継が生まれないことに焦った最上クソババァが、時間稼ぎの生贄をどこからか攫ってきたのではないかと疑っていたくらいだ」

その話に禅一と譲は顔を見合わせる。

「まぁ……田舎モンの芋男じゃ、あの女に太刀打ちできねぇよな」

「………だな。顔は絶世の美女、性格は絶望の魔女だったからな」

生物学的な母と接したのは、わずかな時間だったが、それだけでもわかる性悪さだった。


「いや、これは失礼な話だったね。当主と血のつながりがある事は間違いない。君らの氣は藤護の血を引き継いでいる者のそれだ」

乾老人の言葉に、譲は嫌そうに大きく顔を歪めたが、禅一は感心してしまう。

「氣でそんな事がわかるんですか」

零感レイカンにはわからない感覚だ。


「人間は一人一人生まれ持った氣が異なる。しかし血の繋がりなんかで性質が似るものなんだ。まぁ双子とは言え、完全に一緒になる事はないが……君らの氣は兄弟でそっくりだね。同一じゃないが練習すれば共鳴して相互に使用することは出来るようになるだろうよ」

「へぇ〜〜〜」

禅一は自分の手を裏表にひっくり返して確認してみる。

もちろん、全く彼の目には氣など見えないが、遺伝とかそんなものに近い性質があると言われると、少し親しみが湧く。


「氣は長く一緒にいたり、意図的に共鳴させ続けて、似せることが出来る。……まぁ、元々のクセが強かったり性質が余りに違っていると、何をやっても無理な事もあるんだがね。世の修験者などは、氣が噴き出る霊山なんかで厳しい修行をして、己の氣を極限まで大地のそれに近づけるんだ。どんな氣よりも最強で量も桁違いなのは、この地の氣だからね。それを利用できるようになれば段違いの力を得るようになる」

そこまで喋って、乾老人はお茶を口に運ぶ。

そしてチラリと扉を閉められた小上がりの方を見る。


「しかし自分の氣の質を変える事なんて並大抵の努力でできる事じゃない。何年も年十年も山籠りして、結局芽が出ないこともある。そんな人間と違って、どんな氣にも波長を合わせられるのが神霊だ。『かみ』に幽霊の『霊』で神霊ね」

ニヤッと笑って彼は続ける。

「藤護では意思疎通のできない強大な力を『神』、己の意思を持った、個体として認識できるものを『神霊』と読んでいる。藤護は排他主義が極まって、儀式形式や言葉や祝詞がガラパゴスみたいになっててねぇ」

乾老人がそんな事を言うと、

「じゃ、俺らは外来種だな。……とっととクソみてぇな生態系が壊れちまえば良いのに」

譲がぼそっと呟く。


「神霊にも色々いるんだが、強大になればなるほど大地の気を自由に取り込み、人間に分け与えることができる。逆に人間の氣を吸い上げることもできる。恵みを与えるも、神罰を与えるも、自由自在というわけだ。この力を目当てに神霊とえにしを結びたがる奴は世の中に腐るほどいる」

神霊も何も見えない身では実感が湧かず、そんな事もあるのだなと禅一はフンフンと何気なく話を聞く。

「……………?」

しかし乾老人とその隣の千隼は、禅一たちの反応を伺うようにじっと見ている。


すぐに乾老人はニィッと片頬を上げて笑った。

「まぁ、俺もそんな奴らの中の一人なんだ」

そしてあっけらかんと告げる。

「神霊と縁とか言うのを結んでるんですか?」

見た目とかでは、やはり全然わからない。

譲には何か見えているのだろうかと、視線を向けると、譲は小さく首を振る。


「結んでいるとまではいかないかねぇ。縁を持った、くらいかな」

そう言って乾老人は自分の左目を指差す。

「この目をね、差し上げたんだ。左目を捧げるから、生き残る力をくれと、みっともなく命乞いしたんだよ」

あっけらかんと彼は語るが、その内容は重い予感しかしない。

「命乞い……ですか?」

詳しく聞いてしまって良いのかわからず、禅一は歯切れ悪く聞く。


「あぁ。聞いてるかもしれないが、俺は外部の人間に協力をしてもらおうと呼びかけたせいで、反感を買って天誅を受けてねぇ。まだ甘ちゃんだったから、妻と娘を危険に晒してしまって……連れて逃げたんだが、どうにもならなくなってねぇ……そんな時、神に会った。神に触れるのはもちろん、言葉を交わすなんて禁忌中の禁忌なんだが……願わずにはいられなかった」

自嘲するような笑みを浮かべて、乾老人は左目の傷跡に触れる。


「えっと……『神』ってまさか、あの藤護の……?」

あんな恐ろしいものによく頼んだなと思ったが、乾老人は首を振る。

「流石の俺も藤護の御神体に願い事をする勇気はないよ。普通の人間は近寄っただけで命がなくなる」

そしておかしそうにカラカラと声をあげて笑う。

「逃げ込んだ近くの山の主さ。自分の縄張りに入ってきた弱った人間を……からかいに来たとか、そんな理由で俺たちの前に現れたんだろうな」

藤護の村だけではなく、近くの山にも強大な力を持った存在がいると聞いて、禅一は渋い顔になる。


「願いは、聞き届けられたんですか?」

今、目の前で元気そうにしているし、娘の乾医師の元気な姿も見たことがある。

大丈夫だったんだろうと思いつつも、確認してみる。

「ん〜〜〜、そうだな。結果的には力をもらえた。左の視力自体は無くなったけど、代わりに在らざるものだけは見えるようになって、色々と重宝しているよ。まぁ、ついでに左足まで、もがれてしまったのは予想外だったけどね」

そう言って、乾老人はテーブルの下に入った足を横に出して、ジーンズの裾を引っ張る。

「……………!」

すると脛から上の金属部分が見える。

全く歩く姿に違和感を感じなかったが、彼の左足は義足だったのだ。


(あぁ、だから純和風建築なのにフローリングなのか)

和室だと正座やあぐらで座らなくてはならない。

対してフローリングなら楽に椅子に座ることができる。

焼肉屋もそういえば掘り炬燵だった。


「願い事のついでに足を取っていくって……あのへんは御神体以外にもえげつねぇのがいるんだな……」

譲が嫌そうに言うと、乾老人はカラカラと笑って首を振る。

「いやいや、接触した時点で家族もろとも消されてもおかしくなかったから、かなり良心的だよ。むしろ運が良かったくらいだ。出会ったのが、人の目を通して世界を覗き見たいと思う程、好奇心の強い方だから助かったんだ」

そしてとんでもないことを言う。


「この国の神は元々人間のためにある存在じゃないからね。誠実であれば救ったり、逆なら罰を与えたり、そんな人間の在り方に影響を受ける存在じゃない。どちらかと言うと、そうだな……アリと人間みたいなものかな」

「アリと人間……ですか?」

イメージがわかなくて、禅一は首を傾げる。

「両者の間には何の因果も関係もない。アリはアリで必死に生きているし、人間だって普段はアリの存在なんて気にしていないで生活している。だが、アリは人間が落とした食べ物を恩恵として預かることがある。しかし調子に乗って更に恵みを求めて、家の中なんかに入り込んだら叩き潰される。たまに単なるお遊びで巣を水没させられたりもする。そんな関係なのに、アリンコから要求を出すなんて真似をしたんだから。これくらいで済んで運が良かったのさ」

ジーンズを元に戻し、ポンと膝の辺りを叩いてから、彼は再びテーブルの下に足を戻す。


「人の信仰から生じたり、長く祀られていたりする神霊は、人の価値観に近くなって、恵みをもたらしてくれる場合が多いんだが、基本的にこちらの思惑内に収まる存在でないことは確かだよ。どんなに近しく感じても相手は、こちらを超越した存在で、似ていても絶対的な差があると思っておかなくてはいけない」

そう言って乾老人はお茶を飲む。

「だから本来は『触らぬ神に祟りなし』なんだ。普通は関わりを持たず、日々敬い、何事もなく生かしていただいている事こそが恩恵と、感謝だけしとくのが賢明なんだ」

乾老人の視線は、アーシャたちが寝ている、扉の閉まった小上がりに向けられる。


「…………?」

その視線の意味を計りかねて禅一は首を傾げる。

「あの蛇はたまたまの偶然が重なって……馬鹿が名前をつけちまっただけだ。縁を結ぶとか、力を欲したとかじゃねぇからな」

隣の譲は渋い顔で、唸るように、そう言う。

「あぁ、俺が気にしてるのは、そっちじゃないよ。あれは随分と古くから祀られた方の、ほんの一欠片ひとかけらだ。太古の昔より人と共にあったというのもあるし、小さすぎて大きな恵みがない代わりに、害もない」

「蛇じゃない……?」

手を振る乾老人に、彼の真意を推し量る譲の視線が刺さる。


(蛇?太古の昔?)

事情がわからないので、譲に詳細を聞きたいが、弟は老人を睨むのに忙しそうだ。

困って禅一はもう一人の参加者で、一切話に加わっていない、千隼を見るが、彼は無表情にクッキーを齧っている。

「……どうぞ?」

「あっ、はぁ、どうも」

別にクッキーが欲しくて見たわけじゃないのだが、目が合うと勧められてしまう。


「あ、可愛い」

手に取るとコロンとしたクッキーにはスライスアーモンドの耳があって、ウサギになっている事がわかった。

チョコで書いてある顔は、何とも言えない愛嬌がある。

食べるのが勿体無いくらい可愛いので、アーシャに見せたら喜ぶだろうなと、禅一は彼女が寝ている方向を見る。


「あの、厚かましいお願いで申し訳ないんですが、これ、俺が食べる分、もらって帰っても良いですか?」

「…………?」

無表情のまま小さく頭を傾けられて、禅一は慌てて説明をする。

「妹が凄く喜びそうだなと思って。良ければ今日のオヤツにしてあげたいな、と」

キラキラと緑の目を輝かせて喜ぶアーシャを思って、禅一の顔は緩む。


そんな禅一をジッと見た後、千隼は大きく頷く。

「有難うございます!」

「今、冷まし中ですが、猫バージョンと犬バージョンも用意できますが?」

「頂いてもいいですか!?」

アーシャが喜ぶと言う事もあるが、可愛い予感しかしないクッキーは是非見たい。


俄然盛り上がる禅一に、冷たい視線が突き刺さる。

「………………」

その主はもちろん譲だ。

乾老人を睨んでいた時より、数倍冷たさが増している。

喜んで立ち上がりかけていた禅一は、静かに居住まいを正す。


「仲良しなんだねぇ」

そんな禅一に、乾老人が微笑ましそうに言う。

「とにかく妹は可愛くて」

真面目な話中に脱線してしまった禅一は、頭を掻きながら答える。

「あの子が神霊だと言ってもそう思えるかい?」

そんな禅一に、自然に乾老人は問いかけてきた。


「………………は?」

その言葉はあまりに唐突で、現実離れしていて、禅一の脳みそが理解するまでに時間がかかった。

食い意地が張っていて、お腹が空いたら盛大に腹の虫を鳴かせて、ご飯ごとに体いっぱいで『美味しい』を訴えながら食べて、離れたら寂しがって大泣きして、離れた後は大喜びで寄ってきてくれて、夜は寝ぼけながら禅一のTシャツを齧る。

どう見てもただの子供だし、抱き上げたらしっかりとした質量がある。

そんなアーシャと、見えざる存在は結び付かなかった。


「えっと………アーシャは普通に人間ですが………」

この人大丈夫だろうかと一気に不信が募る。

「うん。俺もただの子供にしか見えないから戸惑ったんだが………神霊だ」

重ねてそう言う乾老人に、禅一の表情はしょっぱいものになる。

「……普通にご飯を食べるし、トイレも行くし、一日活動したら普通に酸っぱい匂いになるし、汚れるし、疲れたらすぐに眠ってしまうし……ただの人間ですよ」

どう見てもただの幼児だ。


「このジジィ、ボケてんな」

あえて禅一が口にしなかった、火の玉ストレートな感想を譲が放つ。

「ボケてない、ボケてない。まだボケるには早いからね。君の目にだって、あの子は違うように見えているだろう?」

そんな火の玉ストレートを乾老人は正面から受け止める。

「…………チビに比べたら、こっちの禅のほうがよっぽど化け物じみてるよ」

『違うように見える』という問いに対して、譲は否定しなかったので、禅一は目を見開く。

そんなのは初耳だ。


「『神霊は大地の気を自由に取り込み、人間に分け与えることができる。逆に人間の氣を吸い上げることもできる。』あのお嬢ちゃんに当てはまるんじゃないかい?」

乾老人の言葉に、ぎくりと心臓が跳ねる。

確かにアーシャは歌と舞で大地の氣を練っていた。

それこそ禅一の目にも見えるくらい濃く練り上げていた。

そして禅一の怪我を治したり、小松菜を急成長させたり、鬱気味になっていた女性にも何かを注いでいた。


(でも人間からは吸い上げるなんてしていない……はずだよな?)

禅一は信じられない思いで、譲の返答を待つが、弟は腕を組んで、口を開かない。

その沈黙が答えになっているようで、禅一は堪らずに口を挟んだ。

「…………アーシャは、アーシャです。ただの、無力で、大人が守ってあげないといけない、小さな子供です」

言い切ると、不思議とその言葉が力を持つ。

そうだ。

あの子が人間じゃないはずがないと、納得できる。


「確かに肉の体を持っているのは異例中の異例だ。俺も実際にそんな話があるなんて聞いたことはないし、焼肉で盛り上がっている姿は、本当にただの子供に見えた。しかし神が肉の体を持つ子供を授ける昔ばなしは色々な地方に数多く残っている。あり得ない話じゃない」

「昔ばなしは昔ばなしです」

禅一は真っ向から否定する。


「しかしあの子は当たり前のように蛇の神霊と意思疎通がとれているし、姿が見えている」

「姿なんて譲や貴方のようにが良い人間には見えるんでしょう。根拠になりません」

禅一は即座に言い返す。

乾老人は少し言いにくそうに口籠った後、ため息を一つ溢して禅一を真っ直ぐに見る。

「あの子は君の氣を取り込んでいると言っても?」

「……………は?」

「微量だが、あの子は君の氣を取り込んでいる」

唐突に突きつけたれた事実に、禅一は止まってしまう。


「……俺には何の不具合もないです」

しかし何とか言い返した。

譲に言わせると『垂れ流し』になっている氣だ。

それをアーシャが少しばかり食べていたからなんだと言うのだ。


「先ほども言ったが、人間は自分の氣を色々なものに器用に合わせられるわけじゃない。その性質を少し変化させるためにも、膨大な時間を修行に注ぎ込まなくてはいけない。しかしあの子は大地の氣にも、君の氣にも干渉できているんだ」

「そんな特殊な人間も探せばいるだろう。世界には八十億もの人間がいるんだ」

これ以上の話は無用と、禅一は立ち上がる。


「俺はどうしようもなくて神霊と関わった。しかしその恩恵に預かり続けているから、いつか更に手痛い目に遭うだろう。死後も囚われ続ける可能性も、消滅する可能性もあると思っている」

真っ直ぐにアーシャの回収に向かおうとする禅一の背中に、静かな声がかけられる。

神霊と関わる覚悟を説いているのだと、頭で理解できても、アーシャを貶されているような気がして、怒りが禅一を振り向かせる。


「……君には覚悟があるかい?あの子が神霊で、君にとんでもない破滅をもたらしても、受け入れる覚悟が」

乾老人は振り向いた禅一に静かに問うた。

「もとより俺には破滅しかなかった!」

苛立ちが最高潮に達して、禅一は吠えてしまった。

禅一の激情に反応するように、襖や障子が大きな音を立てて震える。


「ひひゃっ!!」

しまったと思った時、障子の向こうで情けない悲鳴が響いた。

それに続いて、何かが倒れたような音がする。

「痛いわ」

その後に、妙に冷静な声が聞こえてくる。

妙に気が抜けた声に、限界まで高まっていた緊張が一気に緩む。

「…………失礼」

大きなため息を吐いてから、千隼が立ち上がり、障子を開ける。


「……………立ち聞きとは、うちの娘たちは中々趣味が良いようだね?」

そして彼は広い肩を大きく下げる。

「え、えへへへへへ、あの、お茶のお代わりを……」

「ただいま帰りました」

障子の向こうからは言い訳する声と、冷静に帰宅の挨拶をする声が聞こえてくる。

全く声質が同じなのに、別の人間が話しているとわかるのが凄い。


「はい、お帰りなさい。峰子は手も洗わず、挨拶をしにきたんですか?」

「咲子が面白い姿勢で障子に張り付いているのが見えたので、気がつくまで背後に潜んでやろうと思って近づいたら、うちの生徒の保護者の声がしたので、情報収集に努めることにした。そんな流れです」

堂々たる盗み聞き宣言だ。

「盗み聞きも堂々とやれば良いと言う物ではありませんよ」

父もため息混じりに注意している。


「咲子、何でジャージからジャージに着替えているんですか」

「将来の旦那様候補の見極めをするなら動きやすい方がいいと思ったんだけど、中学の芋ジャーは流石にないかな、と思って。綺麗めジャージにしてみたの!」

「………………咲子、体格の良い人間を見つけたら、まず喧嘩を売るのは、やめなさいと言っているでしょう」

「ケンカじゃないよ!旦那様検定!道場の入婿探し!!」

「………………君の旦那様探しはタチの悪い道場破りみたいな物だからやめなさい」

室内に腹の底から吐き出された、特大の溜め息が室内に響いた。


怒りに任せて帰ろうとしていた禅一と、座ったまま考え込んでいた譲は、顔を見合わせるのだった。


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