10.兄弟、焼肉を楽しむ

「あ〜も〜何食べよっ。ただでさえタダ飯は心理的に最高の滋養があるのに、ぎゅうぎゅう亭っしょ?普段、修行僧の如き粗食で研鑽を積む、俺の体に最高級の栄養が入ってくるじゃ〜〜〜ん」

「うるせぇ。テメェはほぼ人ん家で食ってるくせに、修行僧の如き素食とか、ナチュラルにディスってきてんじゃねぇ」

タダ飯先が焼肉ぎゅうぎゅう亭と知った篠崎のテンションは無駄に高い。

ただでさえかわい子ぶっている時の篠崎の声は耳障りなのに、テンションが上がると、キンキンと響く。

譲は不機嫌に篠崎を睨む。


「ふっふ〜〜ん、ゆずっちはクールぶりっ子だからねぇ〜。素直にはしゃげばいいのに」

篠崎はピョンピョンと弾むように歩き、ウエストを締めないエンパイヤ型のスカートが楽しそうに揺れる。

見れば、禅一も和泉も、篠崎と同じように浮かれている。


ぎゅうぎゅう亭は味に定評があり、決して安いとは言えない価格帯なのに、常に賑わっている人気の焼肉屋だ。

昭和風アパート『メゾン梶』に住んでいる面々も、この焼肉屋を気に入っている。

しかし取り立てて裕福でもない学生としては、六枚前後の肉とご飯とワカメスープがついた、平日のランチセットがせいぜいで、それすら頻繁に食べられるわけではない。

ここに『奢り』で連れていってもらえるのだから、期待が高まるのは仕方ない。


(いやいや、俺だけでも気を引き締めとかねぇと)

胃袋からあっさり懐柔されるわけにはいかない。

しかし若い胃袋は、持ち主の冷静な判断とは裏腹に、浮かれて蠢いている。

『ききゅききゅきききゅきゅきゅ〜〜〜〜』

そんな中、派手に鳴き声を上げたのは譲の胃袋……ではなく、禅一に抱っこされたチビ助の胃袋だった。

(体に対して音が大きすぎねぇ?)

そう思ってしまうのは、譲だけではないはずだ。


篠崎と禅一は気持ちがわかるらしく大きく頷いているし、和泉は音に驚いた後、アーシャの口元にハンカチを差し出している。

普段、ガニ股で歩き回り、食事中ははしゃぎまくりで、羞恥心のカケラもなさそうな子供らしい子供だが、腹の虫だけは恥ずかしいらしく、アーシャは禅一の脇のあたりに、真っ赤になった顔を突っ込んでいる。

完全に頭隠して尻隠さずな状態なのだが、本人は一生懸命隠れているつもりなのだろう。


「乾の爺さんは?」

一見若い夫婦のように、アーシャを宥める禅一と篠崎から視線を外し、譲は少し離れた位置にいる和泉に尋ねる。

「奥で待ってるよ。………何か、凄い人と知り合いなんだね」

「奥?」

譲は首を傾げる。

ここは小部屋になっているテーブル席と、ファミリー向けの大部屋座敷で構成された店だと思っていたので、『奥』がどこを指しているのか、よくわからなかったのだ。


「譲も知らなかったよね?ここって大部屋の座敷以外にも奥に座敷個室があるんだよ」

「へ〜子連れの団体向け的な?」

そう聞き返すと、和泉は少し困った顔で笑う。

「多分、調度品が凄かったから、接待とかに使う部屋かな。……最初、普通に大部屋の方に案内されてたんだけど、途中で店長さんみたいな人が来て、すっごい頭を下げながら奥に通されたんだ」

そこで一旦言葉を切って、和泉は譲の耳元に顔を近づける。

「あのお爺さん、『オーナー』って呼ばれてたよ」

小さな声で告げられた、驚くべき事実に譲は目を見開く。

「何モンだ、あのジジィ……」

和製マフィアな外見から、よくない想像が、譲の脳裏を走る。


落ち着いた雰囲気の店の奥は、靴入れと思われる、美しい花瓶をのせた上品な棚と、磨き抜かれた一枚板の小上がりがある。

モダンでありながら『和』を感じるガラス戸の奥は、掘り炬燵式の長いテーブルを中心とした、狭くもなければ広過ぎもしない、丁度良い広さの、落ち着く和室になっている。

長いテーブルには二つのガスコンロが配置されていて、男子学生が四人いても広々と座れる。


「おぉ!来たかい!」

そんな部屋に悠々と座っていた乾老人は、気負いのない動作で立ち上がって、譲たちを迎え入れる。

(立ち上がる時も全く体の軸がぶれてねぇ。足運びも何気なさそうに見えて、隙がない。このジジィ、やっぱり只者じゃねぇ)

譲は一人、警戒心を高める。


そんな乾老人の視線が、禅一が抱えるアーシャの上で止まり、その目が僅かに見開かれる。

好々爺めいた笑みも、一瞬だが確かに固まった。

(このジジィ、えてるな)

アーシャはしっかり視ようとすると、輪郭が光り輝いてぼやける。

未だ譲にもそれが何故なのかは、わからない。

禅一の懐にめり込んでいる姿に驚いた可能性もあるが、何となく、そうではないだろうと感じる。


「いや、可愛いねぇ!」

見開いた目も、固まった表情も、一瞬で乾老人は覆い隠す。

(害意は見えねぇけど、引き離しとくか)

譲はそんな事を思いながら、幼児用椅子を持ってきた店員に、入り口に一番近い所に置いて欲しいと告げる。

最年長である乾老人は、上座である奥の席に座ると思ったからだ。


初めての人と場所に戸惑っているのか、アーシャは禅一の足にこびりついている。

その状態で、乾老人と会話を交わしている。

元々人に対して物怖じしない子供だが、乾老人にも興味を持ったようで、じっと見ている。

「邪魔邪魔」

そんなアーシャを譲は回収する。

相手の底が見えない状態で、あまり接触させたくない。


入り口に一番近い席にアーシャ、その横に禅一、そして前に譲。

そんな位置関係で座ろうとしたのだが、アーシャを椅子に座らせている間に、乾老人は流れるような動きでアーシャの正面に座ってしまった。

「俺がドンドン注文するから。若人たちは遠慮なく食べたい物を言ってくれ」

まさかの幹事席着座だ。

しまったと思っても、もう遅い。

年功序列で考えるのではなく、どちらが招かれた立場かという観点で席順を予測するべきだった。


それならば乾老人の横に座って、何かあった時に備えよう。

「…………………」

そう思ったのだが、禅一の隣、つまり一番奥に収まった和泉が、助けを求めるような目で、譲を見ている。

「……………はぁ」

譲はここにも計算違いがいたと、天井を見た後に、大きなため息を吐いた。


譲が中央に座れば、和泉の正面は、篠崎になってしまう。

大人しい和泉は、ウザ絡みの篠崎を苦手としている。

(……こんな小さな部屋で距離を考えても仕方ないか)

譲は息を吐いて、和泉の反対側の一番奥の席に座る。


「こんにちは〜〜〜!今日はご馳走になります♡ユッキーです♡」

「おやおや、元気な子だねぇ。綺麗なお洋服だけど大丈夫かい?」

「あ、防臭スプレーしてきてるんで大丈夫で〜〜す」

全く人見知りをしない篠崎は、早速乾老人に絡みに行っている。


「とりあえず店側に男子学生四人が満足するぐらいの肉を、お任せで出してもらうようにしたんだけど、多かったかね?」

「あ、ご心配なく!ユッキーの胃袋戦闘値は五十三万なんで!その気になったら禅より食いますから♡あ、ご飯頼んで良いですか?肉とご飯はズッ友派なんです」

図々しい性格は乾老人と合っているようで、ドンドン話しかけて、譲が隣に座るより、はるかにアーシャの堤防になっている。


乾老人は篠崎も物珍しそうに観察している。

「ご飯、特盛り頼む人、挙手〜〜〜!」

愛らしく擬態した外見で、特盛り飯を頼む篠崎を珍しく思っているのかもしれないが、この老人が『視える』のだとしたら、別の意味で興味を持っている可能性が高い。

篠崎の採決に禅一と一緒に手を挙げながら、譲は老人の様子を観察する。


「アーシャは小盛りで間に合うと思うか?」

「子供だしそのくらいじゃないかな?」

「和泉は白米よりクッパの方が良いだろ?ハーフにする?普通サイズにする?」

「あ、で、できれば、普通サイズで」

「……今日はカルビクッパにしたらどうだ?」

「あ、でも、お肉たくさん来るみたいだし……焼いたのをもらうし」

「焼いたのと煮たのじゃ違うだろ?」

「………いいかな」

「いいだろ」

禅一は和泉と呑気な会話をしていたが、興味津々でコンロに覗き込み始めたアーシャに気がついて、慌てて止める。


「失礼します」

注文がまとまった、丁度良いタイミングで、店員が入ってきて、お手拭きとお茶を配って回る。

通常は机の端に纏めて提供されるのに、一人一人配って回るのは、やはり老人が『オーナー』だからだろうか。

「あ、あいがとぉ!」

最後に氷水が提供されたアーシャが、勢い良く頭を下げながらお礼を言うと、店員の顔が蕩ける。

(やっぱお礼が言える子どもは強いな。礼儀は教えこまねぇと)

親がいない、保護者が十代と、アーシャはハンデが多い。

奇異の目で見られないよう、少しでも周りの人間を味方につけられるように育てねばならない。

譲は一人心の中で頷く。


「火をおつけしますので、ご注意ください。金属部分も熱くなりますので、小さなお子様が火傷をしないよう、お気をつけください」

「ふふぉ!??」

譲が一人そんなことを考えていたら、礼儀正しく育てる予定の子供が飛び上がった。

『火事だ!』とでも言いそうな顔で、アーシャは自分のコップを掴み、コンロにぶちまけようとする。

隣の禅一が持ち前の反射神経でコップを押さえたから良かったが、一歩間違えれば弁償ものの大惨事だった。


(……礼儀より前に一般常識から叩き込まねぇといけねぇな……)

譲は頭を抱える。

一般常識を教えるためには色々な場所に連れて行き、色々なものを見せて、体験させないといけない。

(コレを色々な場所に……)

アーシャを見て、譲は再び頭を抱える。


制御が効かないクソガキというわけではないが、大人しく良い子そうなのに、唐突にこちらの想像を大きく超えた事をやらかす。

自分だけヨダレ掛けのような紙エプロンを付けさせられて、納得できない顔をしていたアーシャは、禅一や篠崎、乾老人までお付き合いしてエプロンをつけると、楽しそうに笑い始める。

お前も着けないのか言いたげなアーシャの視線を無視して、譲はそっぽを向く。


「お……お……おぉぉぉぉ」

そうこうしていたら、運ばれてきた牛肉盛り合わせを見て、アーシャが呻き始める。

「こちらがカルビ、こちらがロース、こちらがハラミで……えっと……」

にじり寄ってくるアーシャに、肉の説明をしていた店員の腰が引ける。

生肉ににじり寄るさまはお子様ゾンビだ。

肉を見る目は、かなりヤバい。


「お嬢ちゃんはちょっと痩せ気味なようだが……ご飯は大丈夫かい?」

肉に対するこの執着だし、痩せすぎなくらい痩せている子どもを、育児経験皆無の十代の若僧が育てているから、虐待や育児放棄を疑われるのは必然だろう。

「この子は暮れに引き取ったばかりなんです。今までの生活環境がよくなかったみたいですが、今はできるだけ食べさせるようにしています」

根も葉もない疑いをかけられたら、譲は我慢ならないが、禅一は全く気にする様子もなく、受け流す。


店員は肉をテーブルの中央ではなく、アーシャの魔の手が届かないあたりに置いていく。

それでもアーシャはテーブルに伸び上がるようにして、にじり寄っていく。

(一般常識を教えたところで、この異常行動は鳴りを潜めねぇんだろうなぁ)

譲は頭が痛い。


「アーシャ、アーシャ」

そんなとんでもないちびっ子ゾンビでも、禅一は可愛くて仕方ない様子だ。

「アーシャは肉が大好きなんですよ」

座らせながら、少し自慢でもするような顔でそんな事を言う。


高級店らしく美しく盛り付けられた肉を、トングで掴んで網の上に並べる間も、アーシャは餌を目で追う犬のような状態だ。

食に対する執着というか、肉に対する執着は怖いくらいだ。

遂には肉を焼く網にまで近づいていくので、火傷を懸念した禅一によって、お子様用椅子のベルトに固定されてしまって、情けない声でピーピー鳴いている。


「物凄い肉への執着だね……こんなに高い肉は滅多に食べられないから、わかるような気はするんだけど」

和泉は苦笑している。

「アレをわかっちゃったらダメだろ。人間として」

「………でも譲もお肉好きでしょ」

プププと、譲が肉を並べた網を指さしながら、和泉は笑う。

そこには網が見えなくなるほど敷き詰められた肉がある。

「………………タンパク質は摂取できる時にする主義なんだよ」

譲は不機嫌に和泉を睨む。


「焼き上がりゲットだぜ!」

「あっ!テメェ!!」

やたらと肉の占有率の高い網の上に箸を伸ばして、篠崎が肉を掻っ攫う。

「んあ〜〜〜〜!流石黒毛和牛!うっま!うっまぁぁぁ!とろけるぅぅぅ!」

「生焼けを食ってんじゃねぇよ!」

「ノンノン!レア!れ・あ!俺は血が滴るくらいのレア肉が好きなの!」

「テメェの好みは聞いてねぇ!!サルモネラとカンピロバクターに征服されちまえ!」

篠崎が仕掛けた肉の侵略により、二人の間では醜い紛争が勃発する。

しっかり焼きたい譲と、両面を炙る程度で食べてしまう篠崎では、圧倒的に譲の負が悪い。


「譲、譲、焼肉屋さんで食中毒菌を叫ぶのはマズイよ」

「うるせぇ!和泉はしっかり焼いて食え!ただでさえ消化器最弱でミジンコレベルなんだからな!」

脂身が少ない赤み肉を篠崎の侵略範囲から逃しつつ、譲はしつこい箸の侵略を防ぐ。

それ程胃が丈夫ではない和泉は、脂身が多いとすぐに胃もたれしてしまうのだ。


「ははは、若人は激しいねぇ」

そんなことを言いながら、乾老人は運ばれてきた白米を各席に分配する。

「篠崎、こっちの肉も食べて良いんだぞ」

禅一は篠崎に声をかけるが、篠崎は困った顔をする。

「ん〜〜〜、何か熱心に肉を拝んでいるアーシャたんを見てると……肉を奪うのが忍びなくって……」

「…………そうか」

全員の視線が、天に向かって手を掲げ、召される寸前のようなポーズで震えている幼児に集中する。


「肉教とかあったら入信してそうだよね……」

「むしろ肉教を作っちまうんじゃねぇの?日に三回肉を拝む感じで」

「え〜〜〜じゃ、俺、幹部になろっ。神戸ビーフ支部長になるわ!」

「篠崎の人望のなさで長は無理だろ」

「あ!酷いこと言われた!そんなことを言う禅はチープ代表・鳥ミンチ支部長ね!」

「俺は好きだけどな、鳥ミンチ。安いし、汎用性高いし」

みんな好き好きに話をしている。


その間にも、禅一は焼き上がった肉をアーシャの皿に追加しているのだが、熱心に天を拝んでいる彼女は気が付かない。

「何か、独特な礼拝ポーズだよね。アーシャちゃんの出身国って、どの辺なんだろ」

「……アレは絶対礼拝とかじゃない。いつもの奇行の一種だ」

和泉の素朴な疑問を、譲は切って捨てる。


「あ〜〜〜、ソレソレ、俺も知りたいと思ったんだよね。何かアーシャちゃんの字って変わってるし、可愛いじゃん?あの字のフォント欲しい!どこ出身なの?」

譲たちの話に、肉を略奪しながら、篠崎が入ってくる。

篠崎は全く聞いてこなかったので、アーシャを拾った経緯など話していない。

目の前で見えている事実にしか興味を持たない、超絶刹那的享楽主義だと思っていたので、特に話す必要もないと思っていたのだ。


「さぁ。俺らも知らねぇし」

譲は乾老人の耳を気にして話を早々に終わらせる。

「え〜〜〜〜」

篠崎は正面に向き直って、禅一にも絡もうとしたが、彼は肉が冷めないうちに、アーシャに肉を食べさせる事に夢中だ。

アーシャは二枚目の肉を食べて、拳を上に向かって交互に突き上げまくっている。

美味しいのはわかるが、相変わらず動きが派手である。

「アーシャ、あ〜ん」

そんなアーシャに禅一は白米を食べさせている。


譲は篠崎の箸を防いで、自分の肉を確保しつつ、チラッと乾老人を確認する。

彼は目を細めながら禅一とアーシャのやり取りを眺めている。

(わかんねぇジジィだな)

そこそこ強引に昼食と引き換えに接点を持って来たのに、こちらの話に割り込んでくる事もなく、話しかけてくる事もなく、ほぼ他人の男たち+αが好き勝手に飲み食いするのを眺めている。


乾老人の視線の先で、アーシャは白米と肉の組み合わせに感動したり、興奮した類人猿のように激しくヘドバンしたり、茶碗をうっとりと眺めたりと忙しい。

「アーシャちゃん、アーシャちゃん!牛、美味しいね!」

あまりに美味しそうに、楽しそうに食べるので、篠崎は輝く笑顔で話しかける。

最初は生きたビスクドールとか言って可愛がっていたが、落ち着きなく動きまくり、頬がパンパンになるくらい食べ物を詰め込んでいる、食い意地の張った子猿でも、可愛く感じるようになったらしい。

「うし!おいしーな!」

元気よく答えるアーシャと、笑い合いながらご飯を食べている。

美味しそうに食べるアーシャにつられて、篠崎の箸も進む。


篠崎の食べっぷりに、自分の食べる量確保に危機感を覚えて、譲も食べることに集中する。

ただでさえ良い肉なのに、一口ごとに幸せそうに大騒ぎするチビ助がいると、皆の食欲が上がる。

普段そんなに食べきれない和泉も、せっせとクッパを口に運んでいる。


「やっぱり若人は食べる速度が違うねぇ。なんか追加しとくかい?」

「あ!俺ホルモン食べたい!たっぷり!」

篠崎の声が、かわい子ぶった女声から、通常の男声に変化しても、乾老人は驚いた様子はない。

(ある程度俺たちの事情を知ってる感じだよな。……身内から聞いていないって言うなら、一体どこから情報収集してやがるんだ)

そんなことを考えつつも、譲は手際よく肉を集めて、腹を満たしていく。


肉の美味しい店は白米にもこだわりがあるようで、甘味と弾力があって旨い。

禅一は三杯、譲と篠崎は二杯もお代わりして、胃は大満足である。

因みに和泉はクッパを何とか食べ切った後は、ワカメスープを飲んでいる。

「アーシャちゃん、ホルモン、ホルモン!」

「ほるもー?」

「そう!コラーゲンたっぷり!顔がプリプリになるよ〜〜」

満腹になり始めたらしい篠崎は、譲との肉争奪戦を休止して、アーシャに変わり種の肉を勧める。


アーシャは初めてホルモンを見たらしく、気持ち悪そうな顔で、白くてふわふわな肉をフォークでつつき回している。

「牛だよ。うーしー。牛の内臓!」

篠崎は牛や豚を書いた紙をしっかり持ってきていたようで、紙を指さして、説明する。


「うし?」

「牛!」

そこで説明を止めれば良いのに、篠崎は自分の下腹部を叩く。

「牛のこの辺!腸!」

そしてぐるっとお腹を人差し指で辿る。

「ちょー?」

アーシャは鼻を寄せてクンクンと匂いを嗅いでいる。


「ったく、腸とか内臓とか言うんじゃねぇよ」

自分も焼いて食べていた譲は嫌な顔をする。

「どう見ても篠崎が指してるのは大腸シマチョウだよなぁ。これはどう見ても小腸マルチョウなのに」

元の形を示されても全く平気な禅一は、方向違いのツッコミを入れている。

この中で肉の生前の姿を示されると食欲減退してしまう繊細な人間は譲だけのようだ。


「この平仮名の下に書いてあるのは……もしかして、このお嬢さんの文字かい?」

そんなやり取りをしていたら、テーブルの上に置かれた、篠崎の落書きに乾老人が興味を持った。

「初めて見る文字だねぇ……これ、ちょっと写真撮らせてもらうよ」

譲があっと思った時には、すでにスマホを出して撮影する姿勢になっている。


「すみません」

しかし、そう言って、撮影されるより早く、禅一が机の上に出された紙を回収する。

「……駄目かい?」

「駄目ですね」

重ねて聞いた乾老人に、禅一は穏やかに笑って答える。


「特殊な情報は不用意に広げたくないんです」

肉を奢ってもらっても、禅一のスタンスはぶれない。

アーシャの害になる可能性があるものは、あっさりと却下する。

「不用意に広げるつもりはないよ。ただ、このお嬢さんの文字は珍しい。どのあたりで使われている文字かとか調べてみたくないかい?」

しかし乾老人も簡単には引き下がらない。

「調べたいとは思いますが、その場合は誰が書いたかは伏せて、文字の事だけ調べます」

「俺もそうするけど?」

「そうしてくれると信頼するには、貴方は怪しいですから」

禅一は何とも善良そうな笑顔で、穏やかにそうな口調で、はっきりと拒絶する。


乾老人はあまりにもはっきりと言われて、驚いた顔をした。

そしてジッと禅一を見た後に、肩を震わせて、クックックと愉快そうに笑い始める。

「怪しいかい?」

「怪しいですね。恩の先払いをして、そちらの要求を、断れない状況を作っているように見えます」

「そう思っていたのに、ついて来たのかい?」

「恩は返すも返さないも、受けた側の自由ですし、肉は誰に食わせてもらっても肉ですから」

とんでもなく面の皮の厚い事を、禅一は平然と言ってしまう。


恩の押し売りはされないが、貰えるものは貰う。

そんな図々しい主張を堂々とした禅一を、乾老人は面白いオモチャを見つけたような顔で見ている。

「もう洗脳されて、『良い子ちゃん』にされちまってるかと思っていたら………中々にフテブテしいじゃないか」

そう言うと、彼は思い切り人の悪い笑顔になった。


「どうだい?信用できない俺から、しぶとく生き残るための術を学ぶ気はないかい?」

突然の申し出に、禅一は少し首を傾ける。

「しぶとく生き残るための術……ですか?」

質問に質問で返した禅一に、乾老人は大きく頷く。


「そう、藤護では、とにかく力を高め、祓いに全力を注ぐように教えられる。でも、それじゃ生き残れない。大切なのは力の操作と割り振りだ。全てを祓いに注ぐんじゃなくて、最中も自分を守れるようにするんだ」

老人の言葉に禅一は興味を引かれたようだ。

「ちょっとでも興味があるなら、道場を見に来てみないかい?色々手広くやっているんだが、本業は後進の育成でね」

禅一は少し考えた後に、譲を見た。


「……ま、見に行くくらいは良いんじゃねぇの?信用できない相手でも」

怪しい老人だが、生き残ることにプラスになる可能性がある知識なら、入れるに越した事はない。

禅一も同じ考えだったらしく譲の言葉に頷いた。



「うぇむにぃ〜〜〜」

少し緊張をはらんだ空気を、アーシャの情けない鳴き声が破る。

どうやらホルモンを飲み込めなかったらしい。

大好きな肉に敗れて、顔をシワシワにして、肩を落とした姿に一堂が笑いに包まれる。


「アーシャ、ぺっ!ぺっしてごらん」

禅一は卓上の紙ナプキンを口に寄せて、取り除き、口直しの新しい肉を皿に入れる。

「おいしーなっ!」

また美味しそうに肉を食べ始めたアーシャを見守りながら、

「ホルモンダメだったか〜、仕方ないからスタッフが美味しく処分しよっと」

「別にチビが食えなくても他の奴らは食えるだろ」

「え、アーシャちゃん以外にあげる気ないけど?」

「テメェから貰う気はねぇよ。俺はただ焼けた肉を食うだけだ」

「ホルモンって焼けたか焼けてないかが、イマイチわからないんだよな〜」

「「それはまだ焼けてない!!」」

肉の奪い合いは続くのであった。

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