6.次男、疑問が積み重なる

明るい日差しの中、男は一人、何事か呟き吐きながら自分の足元を見ている。

『あの女に思い知らせてやる!俺の金で養ってやっていたのに!恩知らずな女め!』

そう、数日前まで、穢れを吸い込み、ヘドロの小山のようになって、元気に呪詛の吐き散らしていたのが嘘のようだ。

もう少ししたら『あの女』への鉄槌を、無差別に振り下ろす立派な悪霊になると思っていたが、正常に巡り始めた氣のお陰で、穢れを削ぎ取られ、核になっていた男が剥き出しになっている。


『あいつに………あいつ……………戻って………』

その呟きは最早聞き取れない程小さくなっている。

(あのチビなら聞き取れるんだろうけどな)

冷めた目で譲は、今にも空気に溶けそうな男を見る。

譲は『目』は恐ろしく良いが、『耳』や『鼻』はそれなりなのだ。


強い自尊心と自己主張、そして暴力によって他者を支配してきた事を表すように、男の頭と拳は異様に大きい。

足元を見つめる目は、小さい上に目玉が入っておらず、空虚な穴になっている。

己が見たい物しか見ない奴には、現実を見る目は必要ないからだろう。

肥大化した頭についているのは大きな唇だ。

数日前まで元気に呪いを吐き散らしていた唇を、今はろくに動かすことすらできなくなっている。

力の象徴である、大きな拳も今は重そうに地面に落ち、錨の様に男をこの地に縛り付けている。


譲の目には妻子を暴力によって支配し、逃げられ、自分では何一つできない現実を直視することが出来ずに野垂れ死んだ、かつての生の残骸まで見える。

(ここも処置が外されてる)

見たくもないものまで視てしまって、譲は自分の目頭を揉む。


元々悪霊になれるほど強力でもなかった思念が、氣の異常な減少により、核となり穢れの塊になっていたが、正常化したことにより、急速に力を失っている。

(証拠を残さないようにしたのか……氣の停滞を起こさないようにしたのか……)

そんな状態を見て、譲は思案する。

以前に見に来た時は確かに存在した、汚泥の塊のようになっていた穢れ周りの結界が、消え去っている。

一般人が見てもわからないように、周囲へ影響を与えないように巧妙に張られていたのに、今はどれだけしっかり視ても見当たらない。


結界は外と内を切り離すものだ。

封じ込める事ができる代わりに、外側からの影響も受けにくくなる。

自然な浄化を望む場合、下手に結界は張らずに、周りを清めて穢れが移動しないようにするだけで済ませ、その後は周りから流れてくる氣に任せれば良い。

代々の藤護当主のように、内部を強力な氣で満たしてから結界を張るという手段もあるが、これはかなりの力が必要になってくる。


(前の状態から考えると、浄化の速度が早すぎる。清めて結界を解放したか……?)

結界を施した意図も、それを取り除いた意図も読めない。

誰が施したかもわからない。

『戻って…………殴って…………あいつに………』

考える間も不快な囁きがボソボソと続く。

「うるせぇんだよ!」

小さく、しかし鋭く呟いて、譲は足に力を集める。

そしてそれを不快な音源に叩きつける。


空気中を漂う、乾いた砂の集合体を蹴ったような、質量のある世界では味わえない感触が足に伝わる。

「……おえっ」

不快な感触に譲は顔を顰める。

『…………っぃ…………ぎっっ………』

呪詛の呟きが、消えそうな悲鳴に変わる。

自分勝手な暴力を振るってきたくせに、自分への暴力には耐性がない。

よくある話だ。

最後の穢れたくわえを蹴り飛ばされた、惨めな執念は小さく縮まっていく。


「………よし」

無害を通り越して、ほとんどの者に認識すらされない存在になったのを確認して、譲は小さく頷く。

成仏だとか昇天だとかまで、付き合ってやる気はない。

譲はそこまで親切ではない。

他人に与えてきた惨めさの分、自身も惨めに現世を漂えば良い。


清めのために、譲はパラパラと自身に塩を振りかけ、少量の酒を口に含んで吐き出す。

「……おぇ……」

そして顔を顰めて、ミネラルウォーターを何度も口に含んで吐き出す。

少しでも残ると法律的に困るというのもあるが、譲はこの味がどうにも好きになれない。

何回もうがいして、口の中はすっきりしたが、気分は全くすっきりしない。

譲は渋い表情のまま、停めてあった車に乗り込む。

目の前の問題は消えたが、根本の問題は残り続けている。


「ごーじゅーろく、ごーじゅーなーな………ゆずぅ!おっかえい〜!!」

「ゆずっち、おっかえり〜〜〜!」

譲が席に座ると同時に、能天気な声が車内に響く。

音の発生源は、車フロント中央の携帯ホルダーに差したスマホだ。

その画面で、頬を紅潮させた幼児と、見た目は完全に女子の二人が、楽しそうにブンブンと手を振っている


先ほどの悪意の残滓を吹き飛ばすくらい、二人とも呆れるほど明るい。

それに多少救われると言えなくもないが、何も考えてなそうな顔を見ていたら、ついつい態度が冷たくなる。

「はいはい」

適当に返事をしながら、譲は助手席の地図を手に取る。

本当はスマホに情報をまとめたいのだが、スマホを操作すると、向こうの画面が自分の顔面アップになってしまう。

それが嫌で、譲は地図に情報を書き込んでいく。


「ちょっと〜〜〜アーシャちゃんが五十まで数えられる様になった件について、褒め称えてくれて構わないんだけど!?」

「はいはい、すごいすごい」

譲は適当に褒めながら、できるだけ詳しい情報を書き込む。

後々見返した時に問題解決の糸口になるかもしれないので、気がついたことは全て書き込んでいる。


(事件の全容は見えてこねぇし、チビは相変わらず異常だし、篠崎はうるせぇし)

チラッとスマホの方を見ると、反応を待っていたらしい緑色の目と、目が合う。

するとそれだけの事で、チビは満面の笑みになって、嬉しそうにブンブンと手を振ってくる。

その姿はまだ子供と言うより赤ちゃんと呼んだ方が相応しいほど幼い。


(ホント、変なチビ助だな)

三歳前後で百まで言える子は珍しいが、いないわけではない。

しかしそれは数を『音』として認識している場合が大半だ。

よく歌う歌詞を覚えるようなもので、『数えている』わけではなく『言っている』だけなのだ。

数学的な事を理解しているのではない。


しかしスマホの向こうのちびっ子は確実に数学的な理解に基づいて『数えて』いる。

そうでなければ、初めて覚えた外国語で、数なんて数えられるはずがない。

元々日本語での数え方だけ知っていた可能性があるが、最初は篠崎に教えられながら拙く数えていたから、おそらく違う。

一から十までの数を覚え、桁上がりした場合の表現方法を理解して、『数えて』いるとしか思えない。


(何で篠崎はあっさりこの異常な状態を受け入れられてるんだ)

篠崎は全く疑問に感じていない様子で、偉い偉い、凄い凄いと褒めまくっている。

「ねーねー!見て見て〜!」

画面の向こうの篠崎は羨ましいくらいの能天気だ。

「あ“ぁ?」

面倒に思いながら視線を向けると、自身の前髪も編み込みにして、アーシャとプチお揃いにした篠崎が、紙らしき物をカメラに向けている。

「遠すぎて見えねぇよ」

そう言い捨てて、譲は引き続き地図に情報を書き込んでいく。



昨夜、月曜日から保育園が通常通りになるとのお知らせと、アーシャが思った以上に落ち着いているので、慣らし保育の期間は短いが、月曜日から一日保育に切り替えでも大丈夫だろうという見解が届いた。

来週から譲たちの大学が始まるという事情があるため、慣らし保育期間は元々短かったのだが、それが事件のせいで中断してしまった。

そのため、てっきり来週までは慣らし保育を続けると言われると思っていたので、この見解は予想外だった。


来週は禅一が授業をいくつかサボって対応するので、今週は開き直って最後の冬休みを楽しもう。

そういう方針で行動していたのに、一転して、今週中に残りの穢れたちを祓い、分家たちとの対決を終わらせてしまうことにした。

長時間保育の前に、不安要素をできるだけ取り除いておきたいと、兄弟で意見が一致した。

以前直接乗り込んで大きな釘を刺して来たが、それで十分とは思えないと、二人とも考えていたのだ。


分家や高次元災害対策警備会社の上層部は『藤護』に従うという意見だが、末端はまだ妙なことを考えている奴らがいるかもしれない。

そんな連中に、力の増幅装置アーシャを欲しがる事が、どれだけ無意味なことか、骨身に染みてわからせなくてはいけない。

強化すれば自分たちには『神』をも倒せる力があるはずだと思い込んだ身の程知らずどもに、禅一との実力差を見せつけ、天狗になっている鼻をへし折り、妄想を払拭する。

その為には『神』を倒そうなどという発想を生み出した原因である、連中が束になっても対応できなかった、頻発する穢れを祓うのは最高のデモンストレーションになり、かつ、力を求める必要性を消し去る、根本解決にもなる。


(チビは俺たちの生き残りに欠かせない戦力だからな)

譲は禅一のように、情で動いてはいない。

最終目標は大祓を、これから生まれるであろう『正しい血筋』の次期当主が立つまで、乗り切ることだ。

藤護での成人は十五歳。

少なくともあと十六回、あの恐怖の儀式を乗り切らなくてはいけない。

一回一回が死と隣り合わせな事を考えると、気が遠くなる回数だ。

乗り越える為には、『神』すら防ぎ、禅一の力を最大限に引き出したアーシャの存在が、絶対に必要になる。


(情なんて必要ねぇ)

そう思いながら、譲は紙に必要情報を書き込み、次なる対処場所を確認する。

「ゆずっち!ゆずっち!…………キャーーー!能面系イケメン!こっち向いてぇぇ!!天然剛毛まつ毛!全ツケマ女子の敵!」

しかし通話先は無駄に賑やかだ。

無視を決め込んでいたら、アイドルの追いかけのようなテンションの小芝居を始めてしまう。


「あ“ぁ?」

不機嫌にそちらに目を向ければ、ぎりぎりまでカメラに近づけた紙が映っている。

「今度は近すぎて見えねぇよ。インカメ表示にして見え方を確認してから話しかけてこい」

ほぼ真っ暗の画面に、譲はツッコミつつエンジンをかける。


「待って待って、ちょっと生き急ぎ方がアーメン寸前の爺さん並みの速度なんですけど〜〜〜!アーシャちゃんがついに平仮名を習得したんだって!ゆっくり見て、そして遠慮なく褒め称えろ!」

「うるせぇぞ、不適切発言の権化」

邪魔されてイライラとスマホに視線を向け……譲は吹き出した。

画面から少し離れて見えるようになった紙に、物凄くバランスが悪い上に、永久凍土で震えているような悲惨な『あ』が書かれていたからだ。

細かく定規を当てて書いたように、丸みが全くないのに、不思議と『あ』に見える、生み出されたことを同情するレベルで下手くそな字だ。


「ね!ね!凄いっしょ!」

紙が下げられると、満面の笑みの篠崎と、褒められまくって少し恥ずかしそうながらも誇らしげな顔をしたチビが映る。

『我ながら会心の出来!』とでも言いそうな顔だ。

「んぷっ」

その様子に更に吹き出しそうになるのを我慢して、譲は顔を背ける。


「……凄い凄い。まぁ、その小ささで字を覚えようと努力するのは凄い」

何とか笑いの衝動が去ってから、譲は無難な点を褒める。

「ね!凄いでしょ!あいうえお表作ったら、すっごい練習しだしたんだよ〜〜〜!」

篠崎はアーシャに頬擦りしながら褒め称えたかと思うと、手作りと思われる『あいうえお表』を画面に映してくる。

「……はいはい」

禅一といい、篠崎といい、何で出会って数日の子供をここまで可愛がれるのか。

呆れ半分に画面を見ていた譲だったが、映し出された五十音表に眉を顰めた。


篠崎のかわい子ぶったフォントの平仮名の下に、全て不思議な模様が入っている。

線が不揃いで、ガタガタしているので、篠崎の書いたものとは思えない。

「この平仮名の下の落書きは何なんだ?」

「さあ?アーシャちゃんの国文字なんじゃない?これ見て何度も読む練習もしてんの。可愛さ鬼レベ!」

キャッキャとはしゃぐ篠崎は何の異常も感じていない様子だ。


(何だこの文字……)

それは譲の見たことない文字だった。

少なくともラテン語の流れを汲む文字ではなく、アラビア文字や近隣国の文字など譲が知っている文字でもない。

(強いていうなら………楔形文字……?回路記号みたいだな)

やたらと三角めいた形が多く、時々、豆電球の回路記号に似たような物が入っている。

文字としては複雑で、とても未就学児が覚えられるとは思えない。


譲は少し考えるが、言語に詳しいわけでも、子供の発達に詳しいわけでもないので、答えは出ない。

(専門家に伝手がないけど、コレを元にチビの出身地を探せば、チビの力の解明もできるかも知れねぇな)

これは意外と人脈が広い禅一の出番かもしれない。

やたらとジジババに親切な奴なので、高年齢層やその家族との交流があるし、大学でも広く浅い付き合いがある。


(さっさとこっち分のノルマを終わらせて、禅と合流するか)

そう結論づけて譲は煩い画面の先を無視して、先を急ぎ始めた。

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