3.聖女、失敗する

艶やかに輝く編み込まれた髪。

耳の上で揺れる、愛らしい花飾り。

傷一つない雪のように白い肌と、血色の良い頬と唇。

一見して上質とわかる、ふんわりと裾へ向かって広がるシルエットが愛らしい貫頭衣チュニック

鏡の中の少女は生き生きとした緑の目で、アーシャを見つめていた。

(りょ……良家のお嬢様かと思った……!!)

数回の瞬きをした後に、鏡に写っている少女は自分なのだと、アーシャは気がついた。

それ程、鏡の中に映る、目を見張っている少女は、『自分』のイメージからかけ離れていたのだ。


毎日丁寧に体を洗ってもらって、美味しい物をたっぷり食べさせてもらって、安心できる寝床でぐっすりと満足するまで眠る。

そんな満ち足りた生活を送り、更に手をかけて整えられたアーシャは、輝かんばかりだ。

「ちょっきちょっき、いい?」

そう、様々な髪型が描かれた紙を示しながら、鋏を手にしたシノザキに聞かれた時は、こんなに自分が大きく変化するなんて思っていなかった。

癖っ毛は収まりが悪いし、目にも入って鬱陶しいので、切ってもらえればスッキリするなと軽い気持ちで頷いた。

それなのに、こんなに見違えるほど小綺麗にしてもらえてしまった。


アーシャはシノザキが差し出してくれる鏡に向かって、お辞儀カーテシーをしてみる。

(お嬢様……なんちゃって、なんちゃって!!)

思わずやってしまったポーズに、アーシャは恥ずかしくなってしまって、熱くなった頬を両手で押さえる。

「かわいーーー!!」

「きゃわわわわわわ!!!」

そんなアーシャをケーオネチャンとシノザキが挟み込む。

さも可愛いと言わんばかりに、代わる代わる抱きしめられて、アーシャの頬は更に熱を持つ。

こんなに外見を褒められたのは初めてかもしれない。


シノザキとケーオネチャンに散々褒められ、『どが』まで撮られて、どうにも落ち着かない。

お尻がモゾモゾするような、お腹の中で何かが震えるような、嬉しいのに恥ずかしい。

どこかに隠れたい気分になってしまう。

「いこ!」

そう言ったケーオネチャンと手を繋いで、シノザキに導かれてアーシャはゼンのいる部屋へ向かう。


整えてもらったアーシャを見て、ゼンがどんな反応をするのか。

アーシャは九割の期待と一割の不安を胸にゼンに駆け寄る。

「おぉ!!」

アーシャを見たゼンは、目と口を大きく開けた。

「アーシャ!かわいーな!!」

そして全開の笑顔で素直な賞賛を口にする。

「〜〜〜〜〜〜〜〜っっ」

褒められて嬉しい。

でも外見を褒められるなんて初めてで、どう反応したらいいのかわからない。

何故か、どうしようもなく恥ずかしくなってしまって、アーシャは『もちもち』に顔を埋めてしまう。


———ヌシ ウレシソウ アシャ モット ミセル

質量のない小蛇の尻尾がアーシャの頭を小突くが、アーシャは顔を上げられない。

チラッと見上げると、ゼンは先ほどと同じく、全開の笑顔でアーシャを見ている。

(無理!!なんか知らないけど、恥ずかしい!!)

途端に恥ずかしさが、お腹から頭まで走り抜けてくる。

褒められることで、嬉しいと同量の恥ずかしいが出てくる事があるなんて、アーシャは知らなかった。

———カオ ミセル ヌシ モット アシャ スキ ナル

良いことしか起こらないのに何故そうしないのだと、不思議そうにバニタロから言われてしまうが、アーシャにだって、どうしてできないのかわからない。

そんなアーシャを、ゼンは抱え上げて、髪型を乱さないように丁寧に撫でてから、椅子に座らせてくれる。


「もっとく」

食事をするためには邪魔になる、バニタロ入りの『もちもち』は、ゼンの膝に引き取られる。

予想外の接触に、『もちもち』から生えた小さな尻尾が、嬉しそうにクネクネと動いている。

そんな嬉しそうなバニタロを微笑ましく見ていたが、ふと視線を上げると、その先の食卓の上で、『かたな』の入った布袋がパリパリと帯電している。

バニタロだけがゼンと触れ合う現状に少々……いや、かなりやきもきしている様子だ。

(早く、名前をつけてもらわなくっちゃ)

アーシャはそう決意を込めてゼンを見上げる。


「はい、アーシャの」

ゼンはそんなアーシャの前に芳しい香りのする皿を引き寄せる。

「わぁ!!」

すると直前の決意はどこへやら、あっという間に食べ物に意識をさらわれる。


差し出された食べ物は、一見、昨夜のスープに見えるが、上に美味しそうなお焦げができている。

(この匂いは……間違いなくチーズ!!)

しかも濃く漂う香りが、昨夜とは全く違う。

「いたぁきましゅ!!」

早く食べ物を入れてくれと鳴き始めた胃袋を満たすために、アーシャは両手を鳴らす。


フォークを手に持ち、意気揚々と昨日のスープに斬りかかろうとした所、

「アーシャ、フー、フー」

隣のゼンが『見て』と言うように、自身のフォークを指差す。

そこには白い湯気を上げる、トロリとした塊が刺さっている。

その塊に、ゼンはフーフーと息を吹きかける。

どうやら熱いから冷まして食べるように、指導を受けているようだ。


アーシャは大きく頷いて、自分のフォークを目の前の皿に差し込む。

「わぁぁぁ〜〜〜」

何か刺さった確かな手応えを感じて持ち上げると、真っ白な塊の上で、淡い黄色のチーズが糸を引く。

そして更に濃厚になった香りが鼻腔をくすぐる。

反射的に、アーシャは口いっぱいに湧いてきた涎の海に、その美味しそうな塊を入れそうになったが、直前で冷ますように指導を受けたので、何とか踏みとどまる。


「ふー!ふー!ふー!」

アーシャが早く冷めろとばかりに息を吹きかけると、湯気が広がる。

湯気を生み出した、少し焦げたチーズと、煮詰めて水分を飛ばしたと思われる、トロリとしたスープの塊。

それらを見ていたら、見えない力に引っ張られるように、アーシャの口はフォークに近づいていく。

「うぬぬぬぬ」

しかし注意を受けながら、おめおめ火傷などしたら、ゼンに顔向けができない。

アーシャは直前で何とか顔からフォークを引き離す。


「アーシャ、いーこ、いーこ」

涎を飲み込まないと、息を吹く事さえできない程我慢するアーシャを、ゼンが頭を撫でながら褒めてくれる。

「へへへへへへへへ」

先ほどと同じように褒められたのに、今度は嬉しいのと誇らしいのが半々だ。

(何でだろ?)

我ながら不思議に感じてしまう。


「んふっ!」

湯気が上がらなくなった白い塊を口の中に入れると、煮詰められて濃くなった昨日のスープが口に広がる。

そして上にのったチーズの、パリッとした膜が破れると、濃厚な味がスープと絡まって、美味しさに拍車をかける。

「んふぁぁぁ!」

美味しい塊に歯を突き立てると、柔らかい中にサクッと何とも気持ちの良い、歯触りがする。

思わず声を上げながらアーシャは頬を押さえる。


「おいしー?」

前の席のシノザキに聞かれて、アーシャはウンウンと何度も頷く。

そして夢中で次なる一口にフォークを突き刺す。

「ほぁっ!!」

次も白い塊が取れるかと思ったら、次はチーズと元スープを纏ったお肉が姿を現した。

「ふ、ふー!ふー!ふー!」

アーシャは全力で冷まして、口の中にそれを迎え入れる。

「!!!!」

しょっぱいお肉と、ほんのりとした甘さを内包したスープ、そして濃厚なチーズの組み合わせは、声も出せないほどの衝撃だった。

(幸せしかない組み合わせ〜〜〜〜!!滲む油まで美味しさが詰まってるぅぅぅ!!)

アーシャは思わず弾んでしまいながら、お肉の旨味とスープとの調和に感動する。


(刺すたびに美味しいものが出てくる!)

それからもフォークには色んなものが刺さる。

昨日食べた具材はもちろん、新顔の木の子なんかも出てくる。

フォークを上げる度に新しい喜びが出てきて、ちょっとした宝探しである。

アーシャは夢中になり、そのうち冷ますことも忘れて、次々と食べられるお宝を口に突っ込んでいく。


「ん〜〜〜」

気がつけば最初の皿だけではなく、葉物野菜たちが入っていた皿まで空にして、アーシャは食後のお茶を楽しんでいた。

今日は珍しく緑のお茶が出て、その香りと、食後を引き締めてくれる爽やかな味に酔いしれる。

(この清々しい匂いが最高……!!)

『むぎちゃ』も好きだが、こちらも大好きだ。


———アシャ、アシャ

満腹でくつろぐアーシャにバニタロが語りかけてくる。

「ん?」

アーシャはバニタロの方を見て……

「あ”………」

バニタロの先に置いてある、『かたな』に気がついた。

アーシャが食べ物に夢中になっている間も、ずっとヤキモキしていたようで、随分と激しく帯電している。


「ん”っ」

アーシャは似合わない咳をして、誤魔化す。

(覚えてる!覚えてるよ!!忘れてない!!)

心の中で全力で言い訳をして、隣の椅子に置いてあるバニタロを持って、下げたお皿を洗っているゼンに、慌てて駆け寄る。


言語が通じないのに、『かたな』に名前をつけてもらう。

中々の難問だが、実は、アーシャは一つ思いついていた。

「ゼン、ゼン」

「ん?どーした?」

チョンチョンと彼の足に触れると、ゼンはすぐに水を止め、手を拭いてから、しゃがみ込んで目線を合わせてくれる。


「『これ』アーシャ」

アーシャは自分の胸に手を当てて、そう言う。

「そーだな」

唐突にそう言われたゼンは、キョトンとしたが、すぐに笑って頷いた。

「『これ』ゼン」

次にゼンに触れながら、そう言う。

ゼンはおかしそうに笑いながら頷く。

「『これ』バニタロ」

パンパンと腕の中のバニタロ入りの『もちもち』を叩く。

ゼンはますます笑みを深くしながら頷く。


そこでアーシャは満を持して、卓の上の『かたな』を指差す。

「『これ』?」

「これ?」

卓の端に所在なく転がされた『かたな』をゼンが手に取る。

(さあ!名前をつけて!!)

アーシャはウンウンと頷いて、期待を込めてゼンを見上げる。

ゼンの手の中の『かたな』も、名前を期待しているのか、雷が花のように迸っている。


ゼンはにっこりと笑って口を開く。

「か・い・け・ん」

何だか不思議な響きの名前だ。

「かいけん」

これで『かたな』は喜んでくれるだろうと、アーシャは復唱しながら彼女を見ると———スンッと雷の花が消えてしまっていた。


「???」

気に入らない名前だったのだろうかとアーシャは首を傾げる。

———『カイケン』 『カタナ』 イミ イッショ

そこでバニタロが助言を与えてくれる。

———ムネ イレル 『カタナ』、『カイケン』 イウ

「!!」

要は『カタナ』は鳥、『カイケン』はアヒルのように、大きい種類の中の各種名なのだ。


「あ、あ〜〜〜………『かいけん』」

ブンブンと首を振ってそうじゃ無いことをアーシャは表す。

「ん?」

ゼンは不思議そうな顔になる。

そして手の中の『かたな』を見て、少し考え、

「ん〜〜〜………どす……?」

と呟く。


チラッとアーシャが『かたな』を確認したら……涙のように雷が垂れている。

———ドス……… タブン ウレシイ ナイ ナマエ

バニタロは気の毒そうに呟く。

『かたな』は自力で動けるのなら、悲しみに打ち震えそうな様子だ。

何とかしなくてはと、アーシャは焦る。


これは人間という種族に限定して、その物の『名前』を聞いているのだと示さなくてはいけない。

「『これ』アーシャ、『これ』ゼン」

そう言って自分とゼンに触れ、更に小走りでアーシャは移動する。

「『これ』ユッキー」

「『これ』ケーオネチャン」

「『これ』ユズゥ」

「『これ』イジミ」

バタバタと足を鳴らしてアーシャは一人づつに触れながら、移動を繰り返す。

「『これ』?」

そして一周回ってきて『かたな』に触れる。


(これは……伝わった!!)

アーシャは勝利を確信する。

しかし首を傾げたゼンは、何故かシノザキを手招きする。

ゼンは何やらシノザキに尋ね、シノザキはブンブンと顔の前で手を振っている。

(………何で急に『臭い』?)

臭さを示す身振りにアーシャは首を傾げる。


「え〜っと……なまえ、ない」

ゼンは握った『かたな』を示しながら、申し訳なさそうに、アーシャにそう言う。

———ナマエ ナイ

すかさずバニタロが通訳をしてくれる。

「『なまえ、ない』」

ゼンの言葉をそのまま真似て、アーシャは頭を抱える。

(あぁぁぁ〜〜〜、名前を聞いたら、名前をつけて教えてくれると思ったのに〜〜〜無いで済まされるなんて〜〜〜)

共通言語がないというのは何と難しいことか。


どうやったら名前をつけてもらえるか。

ウンウンとアーシャは改めて悩む。

『かたな』は『どす』と言われたのがショックだったようで、すっかり意気消沈している。

良い案が思い浮かばず悩むアーシャを他所に、ゼンは食器を片付け、身支度を整えていく。


「アーシャ」

外に行く時用の分厚い上着を着て、ゼンは考え込んでいるアーシャをギュッと抱きしめてくれる。

「いってきます」

そしてそう言ってポンポンと背中を叩いたかと思うと、アーシャを下ろして、外に向かう扉に歩き始める。

「ゼンッ!?」

驚いてアーシャは呼び止めるが、ゼンは寂しそうに手を振る。


———キョウ ヌシ ベツ コウドウ

バニタロの寂しそうな呟きを聞いて、アーシャは慌てる。

『かたな』は再び卓の上に戻されている。


「ふっ!よっ!」

ぴょんぴょんと飛んでアーシャは卓の上の『かたな』を手に取る。

ゼン以外が触ると、癇癪を起こすかと思ったが、『かたな』は素直にアーシャの手の中に収まってくれる。

「ぜーーーーーん!!」

アーシャはバタバタと、イズミと連れ立って家から出ていくゼンを追いかける。


靴を履いて、家から出かかっていたゼンは、アーシャの大声に驚いて振り向く。

「アーシャ!」

ぴょんと飛びついたアーシャを受け止め、ゼンは嬉しそうに笑う。

「ゼン!」

アーシャはそんなゼンに『かたな』を手渡す。

「ん?かいけん……?」

しっかりとゼンに持ってもらえて、アーシャは安心して頷く。

「こら、チビ!」

そして大人しくユズルに回収される。


「そーか……かいけんか……」

ゼンは何故か寂しそうな顔をしながら、懐に『かたな』をしまう。

アーシャは寂しそうなゼンを元気付けるように、大きく手を振って見送る。

別々は寂しいが、家で待っていたら、ゼンは絶対に帰ってくるので、連れて行ってなどと、わがままを言ったりはしない。

(いい子でお留守番してるよ!)

そんな気持ちを込めて、アーシャは力強く手を振る。


「………いってきます……」

ゼンは肩を落とし気味にしながらも手を振って出ていく。

彼の懐からも弱々しい電撃が小さく振られた。

(ゼンが帰ってくるまでに新しい作戦を考えなくっちゃ)

扉の向こうに消える大きな背中を見ながら、アーシャは意気込むのであった。


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