2.長男、甲斐性について考える
禅一は基本的に早起きだ。
疲れているなどの事情がなければ、大体五時頃には目が覚める。
小さな同居人が来るまでは、目を開けると同時に起き上がって活動を開始していたのだが、現在は傍らで健やかな寝息をたてる存在を、少しの間観察するのが楽しみだ。
いつもは禅一にコアラのようにしがみついているアーシャは、メチャクチャな形になったフグのヌイグルミに食い込むようにして眠っている。
「んふっ」
かなり高い確率で禅一のシャツを噛んで眠っているアーシャだが、今日はフグに食らいついて眠っている。
ヌイグルミのリアルさも相まって、本物のフグに喰らいつく小人のようで、禅一は思わず吹き出してしまう。
方向性を微妙に間違えたメルヘンな様子が、妙に微笑ましい。
(リアルフグなのは置いておいて、ヌイグルミを買ったのは良かったな)
眠りながらも力強く牡蠣のようにくっついているアーシャを、起こさないように引き剥がすのは中々大変だった。
大体は上のシャツを、アーシャを動かさないように苦心しながら脱いでいたのだが、起こさないかとハラハラだった。
がっしりと掴まってくる、小さな手の力強さは信頼の現れのような感じがしていたので、それが無くなるのは少し寂しいが、彼女の熟睡を邪魔しないで済むので助かる。
(もっとこう……可愛いヌイグルミも買ってきたいな)
リアル魚類を否定するつもりはないが、自分好みのヌイグルミを身近に置いておいたら、そのうち気に入ってくれるかもしれない。
そんな事をついつい考えてしまうが、自分の銀行残高を思い出して、禅一は渋い顔になる。
(いや……無駄金使ってアーシャが欲しいと言ったものを買えなくなるのは困るからな)
幸せそうにフグを齧るアーシャに布団を掛け直して、禅一はベッドから下りる。
長期休みは、村関連の役目を果たす間以外、ガッツリと肉体労働を入れて稼いでいたのだが、今回はアーシャがいたし、関連したゴタゴタで全くバイトに入れていないので、残高が少々心許ない。
譲は手先の器用さを活かし、作った物をフリマサイトで売ったり、作成工程動画をアップして副収入を得ているので、今の状態になっても断続的に収入があり、影響は少ないようなので、少々羨ましい。
それに譲は時々、和泉姉の祓い屋家業の手伝いをして臨時収入を得たりもしている。
(俺は体を動かす事しか得意じゃないもんなぁ)
肉体労働以外に、これと言って稼ぐ手段を持っていない禅一はため息を吐く。
体を使うバイトは中々身入りが良いし、トレーニングにもなるが、子供を連れて稼ぐのは不可能だ。
「おはよう、行ってくる。アーシャをよろしく」
麦茶を飲んで、顔を洗って服を着替え、柔軟体操をしていたら、譲が眠そうな顔で部屋から下りてきたので、禅一は声をかける。
『あー』とも『おー』とも判別がつかない返事をして、譲はそのままソファーに置いてある昼寝用の毛布にくるまる。
譲はまず寝床からフラフラと這い出て、寝床以外で微睡みながらゆっくりと覚醒していくタイプなのだ。
禅一はまだ薄暗い町に出る。
最初は体を温めるようにゆっくりと歩き、そのうち速度を上げ、まだ冷たい空気を肺の中に取り入れながら走る。
本人的にはちょうど良い速度で走っているのだが、時々新聞を配達し終わったバイクなどが、あまりの速さで追いついてくる巨体に驚いてよろけている。
最近この付近の都市伝説には『犬速人』なるものが追加されたのだが、本人は自分が『ターボババァ』、『人面犬』などの仲間入りを果たしたことを知らない。
ランニングで十分に体が目覚めたら、駐車場の空き部分で筋トレを始める。
そうこうしていたら、ようやく目が覚めた譲が顔を出すので、二人は組み手を始める。
「おはよ〜〜〜、今日の朝ごはん何?」
周囲が完全に明るくなった辺りで、同じアパートの窓が開き、篠崎が顔を出す。
分家がらみの騒動が一段落するまで、彼が作った懐剣を貸してもらうことになったので、代わりに晩御飯を提供するという話になっているのだが、彼はしっかり朝ごはんも集るつもりらしい。
「お前はちょっと遠慮を覚えやがれ」
汗を拭きながら譲は苦い顔をするが、篠崎にとってその程度の小言は聞き流し対象内だ。
「昨日の残り物で、グラタンもどきにする予定だ」
「俺のはチーズたっぷり目でヨロ♡」
禅一が答えると、厚かましいお願いをして手を振る。
「注文までつけ始めたぞ。奴には残飯をチーズで包んで出しとけ」
「まぁ昨日の残りだから実質残飯なんだが……」
「残り物と残飯を一緒にすんじゃねぇ。生物としてギリギリイケるぐらいのグレードが残飯だ」
そんなくだらない会話をしながら、家に戻ってシャワーを浴びる。
そして洗濯機を回し、朝食を作る。
和泉が『子供がどれくらい食べるかわからなかったから』と五本も買ってきて、大量に残っているバゲットを一口でアーシャの口に入る程度に切り、トースターに入れる。
(ちょっと具材を追加するか……)
昨日のクリームシチューの具はジャガイモ、人参、玉ねぎ、ブロッコリーに鶏肉という平均的な具材だったので、しめじとベーコンを切って追加する。
焼けたパンを皿に並べて、少し煮込んだシチューをかけてから、ピザ用のチーズをのせて焼く。
「やっぱ大人数になるとテーブルが狭いんだよな。補助のテーブルをいつでも出せるように改造するか」
そんな事を言いながら譲はテーブルを拭いている。
篠崎・和泉・藤護の三世帯は元々行ったり来たりが多かったが、食卓が飽和することはなかった。
篠崎は気が向いたら飯をねだりに来たり、あんまり見かけないと不審に思って禅一がお裾分けをしに行くくらいで、和泉姉弟は姉の仕事が不規則なので、二人が揃って食べに来るのは珍しかった。
「あいつら入り浸る気満々になってるからな」
ブツブツと譲は呟く。
アーシャが可愛くて仕方ない様子の篠崎は呼ばなくても押しかけて来そうだし、和泉姉は『お風呂は同性に任せなさい!』と張り切っていたので、風呂ついでに食卓にもやって来るだろう。
「………ったく……入場料を取るぞ……」
「まぁまぁ、篠崎の実家からの支援物資はほぼウチに横流しされてるし、和泉はなんだかんだ言って食材を買って来てくれたりするだろう」
篠崎は自炊する気が皆無な為、実家から届く野菜などの食料品類は封も開けずに、こちらに渡してきてしまう。
和泉も出先で美味しそうな物を見つけたからと、度々差し入れを買ってきてくれる。
ついでに和泉姉も善意の寄付を装い、大量のアイドルのコラボ商品(特典開封済み)や、明らかに殻の割り方のわからなくて途中でギブアップしたことがわかる、傷だらけになったココナッツの実を押し付けてきてくれる。
そうやって譲と話しつつ、朝食を作っていると、洗濯機から終了を知らせる音楽が流れる。
小さなトースターをフル稼働させて、人数分のグラタンを焼きつつ、禅一は洗濯物を干す。
譲はその間、大家の家に行って
自分が発散しているという氣のコントロール方法を、何となく掴んで、実践している禅一ではあるが、外への発散を抑えると、その分、内部に圧縮蓄積されてしまうらしく、ふと気を抜いた瞬間にいつもより強烈な物を垂れ流してしまっているらしい。
この為、
そうこうしていたら朝ごはんの気配を嗅ぎつけ、篠崎と和泉姉がキラキラした笑顔でやってくる。
「……朝からごめんね」
「ほぼ和泉のフランスパンでできてるから気にするな」
後ろから着いてきた和泉は申し訳なさそうだが、禅一は笑う。
「俺が起こすの!」
「たわけ!小さくてもレディーの眠る部屋に生物学的オスが入れると思うな!」
「生物学的にはオスでも、気持ちはニュートラルだから!」
さっさと室内に入り、キラキラとした顔で部屋を見回していた篠崎と和泉姉は、どちらがアーシャを起こしにいくかで揉めはじめている。
その音のせいで、トタタと二階を走る音がして、薄く開けておいたドアから、アーシャが寝癖で溶けかけたアイスクリームのようになった頭を覗かせた。
「アーシャ、おはよう」
禅一は二人を飛び越えて、アーシャの所まで迎えに行く。
「ゼン!!おはよ!」
アーシャはフグ片手に、元気に禅一に飛び込んでくる。
絶対受け止めてもらえると確信を込めて、力一杯飛びついてくるアーシャの確かな質量に、信頼の深さが表れている。
「禅、これから仕事に向かうお姉様に癒しをくれるよな」
「禅!俺は今日こそ完璧に髪型を整える手筈を整えてきたから!」
階下で待ち構える二人に、禅一は苦笑する。
「アーシャ、どっ・ち?」
禅一が和泉姉と篠崎を交互に指差すと、寝癖だらけのアーシャは少し首を傾けたが、すぐに二人に笑いかけた。
「ケーオネチャン、ユッキー、おはよ!」
どうやら、どちらかを選んでくれというジェスチャーは通じず、挨拶を促されたと思ったようだ。
出待ちのファンのような二人はそれだけで顔が蕩けてしまっている。
アーシャが抵抗を示す様子も、どちらかを選ぶ様子もないので、禅一は二人に彼女の朝の支度を任せて、朝食を並べる。
「あのさ、禅、これ、アーシャちゃんに。気に入ったら使ってもらって」
狭い洗面所に三人も入って、キャッキャと盛り上がっている声を聞きながら、和泉が網目の大きめなメッシュのバッグを渡してくる。
「……相変わらず器用だなぁ!もしかしてこれ、あのフグを入れる用か!?たった一晩でこんなの作ったのか!?凄いな!!」
コロンとした形のバッグ本体と、たすき掛けにするのであろう肩紐部分を見て、禅一は目を見張る。
見事な縫製だ。
「あのヌイグルミ、気に入っているみたいだったから。両手塞がらずに『お友達』の顔が見える状態で連れ歩けると便利かな、って」
和泉は素直な賞賛にはにかむ。
和泉作のバッグは、アーシャが持ち歩きたがる錫杖を入れられる、細長い物入れまでついていて、禅一の目から見ると既製品のようだ。
「凄い使いやすそうなだな!こんなの貰って良いのか!?すごく良い出来だぞ?」
「全部余り物で作ったから。昨日助けてもらったお礼も兼ねて」
和泉は恥ずかしそうに笑いながら、朝食の準備を手伝い始める。
譲が椅子やテーブルなどの大物を作るのに対して、和泉は小さな人形用の服や小物を作る。
和泉も譲と同じく、フリマサイトでハンドメイド品などを売って収入を得ているのだ。
趣味が高じたドールのカスタムなども請け負っていて、中々手広くやっているらしい。
「………………」
禅一は皆の食事を用意しながら考え込んでしまう。
「見て!見て!後ろ髪を綺麗に切りそろえて、前髪はとりあえず編み込んで留めてみたら、天使が降臨したんだけど!ヤバいヤバい、俺のセンス!末恐ろしい実力を秘めた自分が怖い!!」
そんな所に篠崎が大騒ぎしながら入ってくる。
「おぉ!!」
禅一はぴょこぴょこと篠崎について部屋に入ってきたアーシャを見て目を見開く。
髪型を大きく変えたわけではないのに、切り揃えて結んだだけで、びっくりする程可愛くなっている。
こんなにもイメージが変わるとは思っていなかった。
あっという間に『ちゃんとした所のお嬢さん』風になっている。
「アーシャ!可愛いな!!」
そう言うと、アーシャは恥ずかしそうに照れ笑いをしながら、フグに顔を埋める。
「服がねぇ……もっとフリフリでフワ〜っと広がるやつを買いたい!」
服を選んだのは和泉姉のようだ。
とても可愛く仕上がっているのに、彼女は満足していないらしい。
「わかる〜〜〜フワフワでレースたっぷりなやつ!」
先程まではアーシャを巡って争っていたが、すっかり仲直りしたらしく篠崎もキャッキャと同意している。
「散れ!散れ!部屋の入り口に固まるんじゃねぇ!あと、こんなチビにフワフワなんて着せたら動き難くなるだろうが!自分で欲しがるまでは機能性重視!」
そんな二人に、散歩から帰ってきた譲が冷や水を浴びせる。
「え〜〜〜!!この年齢でしか出来ない格好ってあるじゃん!?アリスモチーフの服装とか!」
「そう!街中でお姫様コスしても許されるのは今の年齢だけ!!」
篠崎も和泉姉も反論するが、譲は首を縦に振らない。
「あんな服は子供が好きな場合を除き、親のエゴだ。子供の服は動き易くて引っ掛かる部品が付いていない肌触りがいいヤツ。ついでにいつ破いてもいいように安ければなお良い」
後の主張は聞かないとばかりに、自分用の朝食をソファーに持って行って座る。
なおも篠崎と和泉姉はブーブーと言って食い下がっていたが、アーシャの幸せそうな朝食が始まると、その観察に勤しみ始める。
「んふぁぁぁ!」
アーシャは自分の可愛い服装より、伸びるチーズに目を輝かせている。
ハフハフと言いながら、チーズとシチューでグラタンっぽくコーティングされたパンを頬張り、小さな手で自分の頬を撫でて、フルフルと震えている。
どうやら、とても美味しかった様子で、幸せそうだ。
相変わらず、アーシャの食事は賑やかだ。
ベーコンを食べては上下運動を始め、鶏肉を食べては天へ両手を掲げ、ブロッコリーを食べてはうっとりする。
アーシャの髪を留めているヘアピンの飾りが、彼女が動く度に、シャラシャラと涼やかな音を立てる。
金属の花飾りと、その下で揺れる小さな花や葉っぱのモチーフが、とても愛らしい。
「アーシャの髪飾りは……」
「あ、これね。作ったは良いけど、モチーフが小さ過ぎたな〜って思ったんだけど、アーシャちゃんには丁度いいサイズだった!」
篠崎は『似合う〜〜〜』などと言いながらデレデレとしている。
「……………」
篠崎は部品作りなどの親の仕事を手伝っている他に、趣味と実益を兼ねて装飾品などをよく作っている。
「………………」
禅一は和気藹々とした朝食の席を見回す。
(あれ……この中で稼げる才能がないの……俺だけ?)
和泉姉は祓い屋として手に職を持っている。
譲はその手伝いと、物作りで稼げる。
和泉も譲と方向性は違うが物作りができる。
篠崎は家業なのでほぼプロだ。
全員特技があって、それでそこそこ稼げる。
一方、禅一といえば、これと言った技能がなく、稼ぐと言えば肉体労働しかない。
(あれ……?俺って……無能?)
賑やかな朝食の席で、そんなことに気がついてしまった禅一は、一人危機感を覚える。
(これは……保護者として由々しき事態……)
『先立つ物』とはよく言ったもので、何をするにも一番重要になってくるのはお金だ。
保護者として、これを稼ぐのは義務のようなものだ。
(なんか身につけないといかんな)
心密かにそう決心する禅一であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます