17.神霊、三角関係を築く

はぁ、と、もう何度目か分からない、大きなため息が広い車内に響く。

「禅、いい加減、そのため息止まらない?」

ため息を聞き飽きた真智は、運転席の禅一に聞いてみる。

「……止まらない」

すると禅一は、いじけたように呟く。


再会してからは見ることのなかった、下唇を突き出すいじけ顔に、真智も呆れたように息を吐く。

小学生の頃はそれなりに愛嬌があった表情も、巨木のようにスクスクと成長した成人男性がやったら全く可愛くない。

「小さい子には動画ってすごく刺激的なんだよ。見せた事とかなかったんでしょう?」

姉にではなく動画の力に負けたのだから仕方ないと真智は思うのだが、禅一の顔は晴れない。


「見せたけど、あれ程は食いつかなかった」

「選んだ動画が悪かったんじゃない?何見せたの?禅の事だから、どうせ延々と動物がウロウロしているだけとかそんなやつでしょ?」

真智の追撃に、グッと禅一は押し黙る。


「……………………料理番組」

そして三呼吸ほど経ってから禅一は小さい声で答えた。

「料理番組」

真智は呆れを隠さない声で復唱する。

運転しているという事もあるが、禅一は気まずそうな顔で前方だけを見つめている。


「………子供に料理番組を見せて喜ぶとでも?」

突っ込んでほしくない、自分でもちょっとおかしいかもと思った。

禅一の表情から、そんな心の声が聞こえるようだったが、真智は敢えて突っ込む。

「いや、信じられないと思うけど、喜んで見てたんだよ!!」

自分がまた妙な事をやらかしていると判断されているのを感じたらしい禅一は、焦って自己弁護する。

「いやいや……話を聞くに、栄養失調状態のネグレクトっぽい子だったんでしょう?テレビとか見たことなかったから、初めての動画に興奮してただけじゃない?」

「うっ………それは………いなめない……」

しかし痛い所を突かれて、すぐに禅一は口を噤む。


下に小さな弟妹がいるわけでも、子供と触れ合う機会が多かったわけでもなく、むしろ避けられる傾向のある禅一は、どうも小さい子供への接し方がわかっていない様子だ。

「まさか……出会いたての姉に負けるとは思わなかった……」

それでも何とか幼児と仲良くできていると思っていたのに、あっさりと姉に敗北して傷ついている。


幼児は初めて見る動画に夢中になって、禅一を振り返る事なく、譲の車のチャイルドシートに積み込まれていった。

チャイルドシート横の席を得た、多少性格に問題のある姉が、ゲス顔寄りのドヤ顔で、ヒラヒラと上品に禅一に手を振って勝利宣言なんかするから、すっかり禅一は傷心だ。


「別に姉ちゃんが勝ったわけじゃないって。あの子が好きな物と、姉ちゃんが好きな物がたまたま被っただけだよ」

動画中毒になってしまう赤ちゃんが出るほど、映像というコンテンツは強い。

むしろ、今までそれに頼らず面倒を見ていたのだから、それはそれで誇りに思って良いと、真智は思うのだが、禅一はそんなことに気がつく余裕もない様子だ。

「……俺もアイドルを追いかけるしかないのか……」

訳のわからない方向に迷走しようとしている。

ヨコシマな気持ちでドルオタ始めたら、姉ちゃんにシメられるよ」

巨体でオタ芸とかされても、怖いし邪魔なので、その辺りの可能性の目は摘んでおく。


「まぁ、子供ってそんなもんだよ。禅だって小さい頃は何かに夢中になったら周りなんて見てなかったじゃん」

ため息の止まらない禅一を、真智は慰める。

「…………そうだったか?」

「うん。好きなテレビなんか見てる時は、こっちの声なんて全然聞こえなくなってたよ」

過去の自分の事などすっかり忘れている禅一は、そうだったかなぁと首を捻っている。


そんな禅一を見て、真智は笑う。

近年稀に見る、表情豊かな禅一だ。

再会してから、禅一は穏やかに笑っている事が殆どだった。

それは『穏やか』で『呑気そう』な仮面を被っているのではないかと思う程だった。


「……最近では、そんな事がなくなっていたから、少し心配していたんだ」

何となく安心してしまって、真智はそんな事を言ってしまう。

「まぁ最近はテレビをつけることさえ稀だしな〜」

禅一は全くの世間話をしているように笑う。


「うん。テレビも見なくなったし、昔みたいな馬鹿はやらなくなった」

和泉は少し倒した座席にもたれるようにしながら、禅一の笑顔を見る。

「そうか?あんまり変わった気はしないんだが」

低速で走る車を、追い越し車線に移って抜きながら、禅一は何気なく答える。


「変わったよ。昔は馬鹿みたいに石とか虫とかイモリを集めてみたり、お小遣いをもらったその日に使い尽くしちゃったり、普通のママチャリでBMXの真似しようとするし、パルクールやるって言って屋根から落ちるし、ハーフパイプに影響受けてスケボーで滑り台滑って壁に激突するし……とにかく何でも集めるし、何でも挑戦するし、落ち着き皆無の馬鹿な子供の典型例みたいだったでしょ」

「…………………そーだったかなぁ……」

禅一の視点が遥遠くの道の先に泳いでいく。

黒歴史は記憶の地層の中に眠らせておきたい様子だ。


「それが高校生になって再会したら、妙に落ち着いちゃって。何も集めない、何も買わない、何にも興味持たないし、挑戦しない」

「そりゃ、いつまでも小学生みたいだったらおかしいだろ」

禅一はおかしそうに笑うが、真智は笑わない。


「何でもすぐ蒐集しゅうしゅうして汚部屋作り出していた奴が、ミニマリストに目覚めたのかと思うほど必要最低限の物しか持ってないんだよ?」

「成長したんだよ」

「しかも『俺、何々になる!』って週に三回は言ってたのに、何にも興味を示さなくなった」

「移り気なのが治ったんだよ」

禅一は何の不自然も感じていない様子で、おかしそうに笑いながら、適当に返事をしている。


ヘッドレストに頭を預けたまま、真智はそんな禅一を見つめる。

「禅の変化は『大人になった』って言うより『いずれ居なくなる準備をしている』……みたいに見えていたんだよ」

「………………………は?」

そう言った瞬間、禅一の口がポカンと開く。

あまりに驚いたのか、一瞬、真智の方を振り返る。



真智は離れていた間のことを簡単にしか聞いていない。

父が藤護という家の当主であり、誘拐されるように引き取られた事。

藤護は荒神を鎮め護る一族であり、早いか遅いかの差はあるが、当主は穢れに取り込まれ死ぬ事。

高校に上がった年から、当主である父親が穢れにより勤めを果たせなくなったため、禅一がその代理を果たしている事。

教えてくれたのは、そんな大体の状況だけだ。


どんな苦難があって、どんな扱いを受けていたのか。

連れ去られたあの日、本当は何が起こったのか。

兄弟は語りたがらない。

母親がクズで、兄弟の身柄を盾に藤護家から金を引き出そうとして、失敗して死んだ。

話してくれたのはその程度で、本当に教えて欲しいことは、何も言わない。


譲は大きく変化した。

それと同じくらい禅一も変わった。

「昔は頼んでなくても絡みに来てたのに、今は全く外野というか……誘われれば一緒に行動するけど、自分から干渉してこないだろ。来るもの拒まず、去るもの追わず、的な」

真智がそう言うと、禅一は前を見ながら、微妙な顔をする。

「いやいや、俺、そんな人間関係希薄な奴になったと思われてたのか?篠崎とか、俺、結構自分から飯に誘ったりしてるからな?」

「篠崎はね。アイツはほっといたら餓死してそうだもん」

フワフワしている言動とは裏腹に、作業を始めたら寝食を忘れてしまう職人気質な友人を思って、真智は笑う。


「この世に対する執着を処分して行ってるみたいで、結構心配してたから、今の禅を見て安心した」

ポツリと呟いた真智に、禅一は返答に困った顔をしている。

「全然そんなつもりなかったんだが」

少なくとも本人はそう思い込んでいる様子だ。

「うん。余計な心配だったってわかったよ」

そんな禅一に真智も軽い返事をして、目を閉じた。


神霊が飛び込んだ体には少し気怠さが残っている。

体に伝わるエンジンの振動と、聴覚を支配するロードノイズが鬱陶しいが、禅一の安全運転は、体に不必要な力が加わらないので、助かる。

「大丈夫か?もう少しゆっくり走ったほうがいいか?」

今ですら安全運転なのに、禅一は真智を心配して、そんなことを言う。

「大丈夫。今回は悪霊じゃなかったから、ダメージっていうダメージはないんだ。無理やり乗っ取られたから、ちょっと怠いぐらい」

気怠さはあるが、いつものように寝込むような状態ではない。


「その憑依体質ってホント大変だな。今回はどこで拾ってきたんだ?」

何かに取り憑かれるどころか、寄せ付けることさえしない禅一が気の毒そうに言う。

「今回は……この車の安全祈願に神社に行こうとしてたんだけど……急にエンジントラブルが起きて……路肩に止めて様子を見ようとしていたら……」

真智は深々とため息を吐く。

「相変わらず、全力で神社からお断りされてるんだなぁ」

禅一は呆れたように言う。


昔からなのだが、真智は神社に参ろうとすると、足止めを食らう。

何度も初詣などで行こうとしたのだが、その度に集中豪雨になったり、あり得ない突風に巻き上げられた空き缶がぶつかってきたり、靴紐が全部切れてしまったりする。

あまりに参拝できないから『神から全力拒否される男』と身内では揶揄われる始末だ。

神仏習合だった頃に生まれていたら、家に帰れないなんて事態になっていたのではないかと、自分でも思っている。

「まぁ、和泉の車は絶対にお祓いしといたほうがいいと思うけど、神社は和泉姉とか俺らに任せたほうがいいと思うぞ」

「………うん」

愛車の世話すらままならぬ真智は、肩を落とす。



そんな会話をしながら家に帰り着くと、譲の車は既に駐車場に停まっている。

「ゼン!」

黒褐色のフワフワな巻き髪を揺らしながら、愛らしい子供が、玄関前で大きく手を振っている。

天使のように愛らしい外見だが、それだけに抱きしめたリアルなフグのヌイグルミが妙な存在感を醸し出している。

「アーシャ!!」

家に帰ってくるまで二時間弱離れていただけなのに、禅一は顔を輝かせる。


素早く駐車して、エンジンを切るなり車を降りていく禅一に、ヨッタヨッタと左右に揺れながら幼児は走り寄る。

禅一は走り寄ってくる幼児に相合を崩し、嬉しそうに抱き上げ、くしゃくしゃとその頭を撫でる。

(女の子の撫で方じゃないよなぁ)

犬でも撫で回すような撫で方なので、せっかくの巻き毛が絡まって広がっていってしまっている。


「アーシャちゃん、車ではぐっすり寝てたんだけど、起きたら禅を探し始めてね」

真智の姉はちょっと悔しそうだが、それを聞いて、益々禅一は嬉しそうだ。

「アーシャ、良い子、良い子!」

前から後に撫でつけられて、額が全開になった幼児はくすぐったそうに、しかし嬉しそうに笑う。

「ゼン、ゼン、ばにたりょ!」

そしてフグのヌイグルミを突き出す。

「ん?バニタリョ?名前をつけたのか?」

「ば・に・た・!」

「そっか、そっか。可愛いな、バニタロ」

真智なら神霊入りのリアルフグを押し付けられたら困惑してしまいそうだが、禅一は笑って頷いている。


「…………バニタロ?」

姉の横にしゃがみ込んで座っていた譲が首を傾げる。

「どうかした?」

「いや……何か聞き覚えが……ばにたろ、ばにたろ、ばにたろー……」

地面を見ながら呟いた譲が、はっとした顔をあげて、真智の方を見る。

「「バニ太郎!!」」

二人はお互いを指差しながらハモる。

そして同時に神霊入りのフグを見る。


「ゼン、ばにたろ、いーおいーお」

幼児は自分をのせていない方の禅一の手をとって、フグの頭を撫でさせる。

その瞬間、ゼンの懐から不穏な気配が、溢れてくるが、幼児がビクッとしてフグを抱きしめると、パリパリと空気を帯電させながらも、何とか収まっていく。

「良い子、良い子」

禅一はそんな小競り合いに気がつく様子もなく、能天気にぬいぐるみを撫でている。


「ね、ねぇ、禅、学校のウサギにバニ太郎って名前つけてたよね?」

真智がそう聞くと、禅一は小さく首を傾げてから頷く。

何で今その話をしてくるのだろうという顔だ。

「ああ。人懐っこくて物凄く可愛かったよな」

禅一が撫でているフグの眉間の辺りに生えている物が揺れている。

一見、一角フグだが、よく見ればそれがツノではなく、蛇の尻尾である事がわかる。


「譲……」

真智が視線を向けると、譲は頷く。

「気配がおかしいから、ただのウサギじゃないとは思ってたけど……」

「え?何々?何なん?」

神霊の類が殆ど見えない上に、『バニ太郎』を知らない姉は話に取り残されている。


「……ウサギだから、もう生きてないだろうけど……最後まで面倒見てやりたかったな……」

少し寂しそうに禅一は呟きながら、フグを撫でる。

その一言に感動したように震えた、フグの眉間から生えた尻尾が、禅一の手に絡みつこうとして……

「ピヒャッ!!!」

ゼンの懐から電撃が奔り、フグを打ち、幼児は飛び上がる。

「アーシャ?どうした?大丈夫か?」

そんな幼児を心配そうに禅一は覗き込む。


禅一の懐に入っている何らかの神聖な物。

そして幼児が抱っこしているフグに入っている神聖な物。

その両方に気がついていない禅一。

何とも不思議な三角関係だ。

「えっと………どうしよう?」

「どうしようと言われても……神霊同士の禅一ナワバリ争いに手はだせねぇだろ」

迂闊にフグに味方した幼児は、禅一の腕の中で硬直している。



「………何だか、冬休みの間に状況が一変したなぁ……」

真智は薄雲の張った空を見上げて呟いた。

禅一と譲と再会して、裏では様々な問題を抱えながらも、表面上では平穏だった日々の生活が終わる気配を、彼は感じていた。

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