16.聖女、『どが』を体感する(前)

小さな『奇跡の鏡』は凄かった。

手の平にのるぐらいの小ささなのに、次から次に様々な映像を映し出す。

華やかに歌いながら愛らしく踊る少女や、奇抜なのに目が離せない不思議な舞踏を見せる男性、街中の人を集めたのではないかと思うほどの大量の人々の群舞。

アーシャはそれらを夢中で見つめた。

夢中になり過ぎて、いつ『くるま』の座席に座ったかも覚えていないくらいだ。

それほど刺激的で、感覚の全てを奪う程魅力的だった。


「このどがわね〜……」

「さっきのどが?」

「このどがみる?」

ケーオネチャンはアーシャが見たいと思うものを全部見せてくれて、一緒に楽しんでくれる。

さっき出会ったばかりなのに、すごく親切で気の良い女の子だ。


「『この』『どが』」

たくさん話しかけてくれるので、アーシャも何となく単語がわかってきた。

見たい物を示すときは『この』。

流れる映像のことは『どが』。

真似をして使い始めたら、頬と頬を合わせて、これでもかと頭を撫で回されて褒められてしまった。

(頑張る意欲が上がっちゃう〜〜〜)

こちらの人は本当に良く褒めてくれる。

そのおかげで、もっと頑張りたい、もっと役に立てるようになりたいと、自然に思える。

不思議なことに、もっと頑張らないと死んでしまう、もっと役に立てないとご飯がもらえない等と、生死がかかっていた頃より、やる気が滾々こんこんと湧いてくる。


アーシャは沢山の『どが』を見せてもらいながらも、どんどん理解を深めていった。

まず『どが』は大きさを自由に変えられる。

なので、中の人は小人でも何でもない。

大きさを変えられる以上断定はできないが、おそらく普通サイズの人間だと思われる。

『奇跡の鏡』の中のアーシャも、とても小さくなっているので、これは間違い無いだろう。


それから『どが』は任意に止めたり戻したりと、時間を自由自在に動かせる。

以前、ユズルに見せてもらった映像も『どが』で、女の子が複数回危険な目にあったのではないと、今になって理解できた。


そして驚きなのだが『どが』は自由に繋げられるようなのだ。

これに気がついたのは、女の子たちが街中で楽しげに踊る『どが』だ。

青空を背景に髪の長い女の子が踊っていたかと思うと、街中で髪を愛らしく巻いた女の子に切り替わり、更に大きな『くるま』に乗って歌う女の子に切り替わる。

次々と自然に変わっていくので、物凄く驚いた。

どうやって繋げているのか全く想像がつかないのだが、『どが』では人物に近づいたり遠ざかったり、画面が回転したりするので、きっと凄い力を持っている人が、『奇跡の鏡』で映像を作っているに違いない。

(良いな。歌ったり踊ったりも楽しそうだし、『どが』を作るのも凄く楽しそう)

本当にこの国は自由だなとアーシャは思う。

『どが』の人々は色んな所を自由に飛び回っている。


アーシャの国は生まれた場所こそが全てだった。

国の大半を占める、農奴を含む農民は、農地の付属品のような扱いだった。

土地と一緒に売買され、ずっと同じ土地を耕し、死んでいく。

死ぬまで一度も生まれた土地を離れた事がなくて、隣の村にさえ行った事がない。

そんな事もそれほど珍しくはなかった。


他の職業の事は、それほど知っているわけではないが、皆、生まれた土地に縛られて生きていたはずだ。

大きな都市に生まれても、毎日食べ物にありつく為には、絶え間なく働き続ける必要がある。

街の反対側がどうなっているのか、見にいく余裕すらなく、日々の糧を得る為に動き続けて死んでいく。

自分が生きている場所以外がどうなっているのかなど、疑問に思ういとますらないのだ。

大規模に移動できる手段や時間があるのは、人口に対しては極々少数の富裕層だけだった。


(……眩しいなぁ……)

ここに馴染んできて、ついつい忘れてしまいそうになるが、こんなに楽しそうに笑って歌って踊る人々がいるなんて、凄く素敵なことだ。

ここは時間、食べ物、服装、乗り物や建物、一つ一つが豊かだ。

少し前のアーシャには行楽に出かけるなんて、考えられなかった。

そんな発想すら持っていなかった。


それが今は、苺の楽園に行き、海を見て、蝶々のようなカタツムリを食べ、口に入れると甘く蕩ける冷たいクリームを食べ、魚型の焼き菓子を食べ、優雅に『どが』を見て楽しんでいる。

少し前の自分が見たら物凄く驚くだろう。

(こんなに楽しい事だらけで良いのかなぁ……)

今でも時々、ここが噂の天国なのではないかと疑ってしまうほど、ここの生活は満ち足りている。


ぽふんとアーシャは腕の中の『もちもち』に頬を預ける。

(ここに来て、大事にされて、美味しいご飯をお腹いっぱい食べるばっかりで何にもしてないけど、大丈夫なのかなぁ)

ゼンやユズルも忙しく働いている素振りがないのに、毎日お腹いっぱいご飯が食べられるのも不思議だ。

(そう言えば……ここに来て畑を全然見てないわ……もしかして……この国では食べ物が湧いて出てくる………なんて、そんなわけ……ないよねぇ)

考えがまとまらないアーシャの目は、いつの間にか閉じてしまう。




ふと気がつくと、アーシャは草原の中に立っていた。

ここは何処だろうと周りを見回すと、草原の上の、透き通る青空に、いくつかの影が見える。

「小麦のお魚!?」

何だろうと目を凝らしたアーシャは、驚きの声をあげる。

先程食べた、玉子や甘い豆がお腹に入った、小麦の魚が群れをなして、風の中を泳いでいるのだ。

「うわぁ〜〜〜〜!」

アーシャは嬉しくなって、その後を追いかけて走り出す。


走り出したアーシャは、妙に走り易い事に気がつく。

(あ、体が、元の大きさだ)

走りにくい、膝が外側を向いた足ではなく、地面を蹴って若鹿のように軽々と駆ける、『自分の足』だ。

(沢山捕まえて、ゼンたちと一緒に食べよう!)

アーシャは張り切って走る。

元々はとても足が速いし、高く飛べる。

小麦の魚の乱獲も可能だ。

大量の獲物に大喜びしてくれるゼンや皆の顔を思い描いて、アーシャはどんどん走る速度を上げる。


「…………あれ?」

意気揚々と走っていたアーシャだが、魚の群れが、どんどん一箇所に寄り集まり、溶けて融合していく。

「あっ、あっ、あっ……」

ぐにゃりと形を変える魚たちに、アーシャはオロオロとするしかない。

そのまま合体して大きい魚になっても夢がある。

そんな事をチラリと思ったのだが、残念なことに溶け合った魚たちは、うねりながら伸び、美味しそうにこんがりと焼けた色が抜けていく。


「ヨク来タ。異ナル国ノ御巫みこ

そして魚の集合体はいつしか、真っ白な巨大な蛇になった。

「………………」

魚の焼き菓子が、喋る蛇になってしまって、アーシャは無言で肩を落とす。

流石に人語を操る動物は食べる気にはならない。

「御巫ヨ。何故アカラサマニガッカリシテイル……?」

巨大な蛇は表情は変わらないのだが、口調から少し戸惑っていることがわかる。

「ミコ タベル スキ。ヘビ タベモノ チガウ。ガッカリ」

すると一匹だけ融合しなかった魚が、小さな白蛇になって、チロチロと小さな舌をのぞかせる。


「…………『もちもち』?」

アーシャはしゃがみ込んで、足元にやってきた、小さな蛇を持ち上げる。

「『モチモチ』 チガウ。『バニタロー』」

蛇違いかと思ったが、白い体に赤い目、小さくて頼りない体つきの白い蛇なんてそうそういるだろうか。

「ガッカリサセテ悪カッタナ、巫女ヨ。ソナタハ食イ物デ釣ッタラ必ズ着いて来ルト、ガ言ウデナ」

大人のアーシャが両手を広げても抱えられない太さの、巨蛇は頭を上下に振る。


「着いて来る……?ここは……何処ですか?」

自分でそう聞いてから、アーシャはいつも身近にあったはずのゼンの神気がない事に気がついた。

途端に頼りない気分になってしまう。

「ソナタノ体ハ、動イテオラヌ。タダ、海ヲ超エテシマエバ、我ノ力ガ及バヌヨウニナル故、魂ノミコチラニ引キ寄セタ」

「魂のみ……」

そう言われてアーシャは自分の頬に触れてみる。

頬にも手にも触れた感覚があまりしない。

それに先程かなり走ったのに息切れもしていない。


「先ズハ礼ヲ。我ガ分体ガ消エル所ヲ保護シテクレテ助カッタ」

「ミコ アリガト」

小さな蛇は、アーシャの手の上で、ブンブンと頭を上下に振り回す。

人間の動きとは大きく異なっていたのでわからなかったが、どうやら、これは頭を下げているらしい。

頭を全力で動かす様が微笑ましくて、アーシャは何となく、この子蛇に愛しさを感じてしまう。


「ソシテ、異国カラ穿タレタ門ヲ、ソノ身ヲ以ッテ閉ジテクレテ有難ウ。コレデ異国ノ『ケガレガミ』ヲ、ソノ身ニ封ジ『マガツヒノカミ』ト化シタ姫君ノ永キニワタル苦シミガ少シハヤワラゴウ」

「…………は?」

小蛇に癒されて微笑んでいたアーシャは、理解しかねる巨蛇の言葉に首を傾げる。

門を身をもって閉じるとは何だろうか。

そして『ケガレガミ』も、『マガツヒノカミ』もよく意味がわからない。

前に老女神と話した時もそうだったが、アーシャの概念にない言葉は、音としてしか伝わらない。


「えっと……『まがつひ』……?」

アーシャは聞き返そうとした。

「オいたわシヤ、姫君。穢レヲ引キ継ギナガラ薄メルハズガ、裏切ラレ、異国ノ鎖ニ囚ワレ、コレ程一人デ永ク苦シミ続ケル事ニナルトハ………」

しかし巨蛇は『姫君』とやらの話に夢中になってしまったようで聞いていない。

「アノ裏切リ者メ。代々ニ門ヲ閉ジサセ、姫君ヲ救イ出ス等ト言イナガラ、遅々トシテ進マヌ。結局ハ姫君ノ『ミタマ』ノ一ツヲ授ケテヤル羽目ニナッテ………」

何やら熱くなって、よくわからないことを、延々と一人演説し続けている。


独り言に横から口を挟んで良いものか、アーシャは迷ってしまう。

「ミコ、『バニタロー』 ヌシ アエテ ウレシ」

そんなアーシャの手のひらを、コツンコツンと頭でノックしながら、小蛇は赤い目を輝かせる。

「『ばにたろ』の主……ってもしかして、ゼン?」

「ゼン。『バニタロー』 ヌシ スキ。マイニチ オイシイ モッテ ヨシヨシ シテクレタ」

小さな尻尾が、子犬のそれのように左右に振れる。

「『ばにたろ』もゼンに食べ物もらって可愛がってもらったんだ!」

途端に親近感が芽生える。

アーシャも右も左も分からないこの国に来て、凄く大事にしてもらった。

蛇と人間の差分はあるが、同じような身の上だ。


小蛇も嬉しそうにしていたが、すぐにしょぼんと頭を下げる。

「………デモ イナイ ナッタ。ヌシ キエタ。『バニタロー』 カラダ シンダ」

「えぇ!?」

あまりに突然の死んだ発言に、アーシャは目を剥く。

色々と衝撃の多い告白だった。


「えっと……ゼンは『ばにたろ』を捨てたの……?それで、えっと……今も生きているようにしか見えないけど、死んだの?」

ゼンが世話を放り出して何処かに行ってしまうような人ではないので、この解釈で良いのか悩みながら、『ばにたろ』の足りない言葉を補って確認してみる。

「ハイッタ カラダ ダケ シンダ。カラダ ナイ 『バニタロー』 ホンタイ カエル。デモ イヤ。ヌシ マッテタ」

「???」

しかし小蛇の拙い説明では全く意味がわからない。


其奴そやつハ、我ガ一部。『ミタマ』ノ器ヲ導ク為ニ使ワシテ………ウン、口デ説明スルヨリ、見タ方ガ早イナ。アマリ魂ヲ体カラ引キ離スノモ良クナイ。御巫ヨ、記憶ヲ見セヨウ。目覚メタラ、ヨクヨク、器ト我ガ分体ヲ守リ導イテクレ」

「導く?どうやっ……」

独り言に夢中になっていた巨蛇は、唐突に話に割り込んできたかと思ったら、その鼻先でアーシャの額を小突いた。

「へっ!?」

すると視界が一気に暗転して、急激に体が落下を始めた。



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