15.弟、一歩を踏み出す


『彼』と真智は本当にそっくりだった。


何かを作ったり調べたりする事が好きで、本やゲームが好きで、安全な室内が好き。

好みだけでなく、性格や行動も似ていた。

一人では世間に向かっていけない程繊弱で、人付き合いが苦手で、誰かと争う事に怯え、そして、見えざる物に苦しめらる。

いつも兄姉けいしの陰に隠れている所までそっくりだった。


そして二人揃って『普通』である事に強い憧れを持っていた。

真智は憑依体質と『視える』事での不審行動で、『普通』でいられない事を気にしていたが、彼は『普通』ではない『可哀想な家庭の子』というレッテルを一番気にしているように見えた。

「僕らにもお父さんとお母さんがいるはずなんだ。ただ、何か事情があってそばにいないだけで」

何度も、そう言って悔しそうな顔をする姿を見かけた。



満たされ得ぬ、そんな気持ちが、あの日の事件を生んだのかもしれない。



幼馴染兄弟と過ごした、小学校最後の昼休み。

校内放送で呼び出された兄弟は一度職員室に行ってから、慌ててランドセルを背負って出てきた。

「ばぁちゃんが倒れたって!!」

他に友達もいないので、下駄箱でポツンと二人を待っていた真智に、血相を変えて二人は告げた。

二人のうち、特に婆ちゃんっ子だった兄の禅一は、真っ青だった。

「家まで三井のおっちゃんが迎えに来てくれるって!」

三井は祖母しか保護者がいない兄弟を何かと気にかけていたお隣さんで、彼らの祖母が倒れた所に遭遇して、救急車を呼んだのも彼だったと、後に聞いた。


二人以外に友達もいなかったので、心細い気持ちで校門まで彼らを見送りに行った時、前の道に停められた軽自動車が見えた。

その車のドアは、家路を急ぐ二人が出て行くのを待っていたかのように開いた。

降りてきた人物は、今でも記憶に残っている。

それほど強烈な存在だった。


見ただけで手触りが想像できそうな艶やかな茶色の髪。

白く輝くような肌。

驚くほど整った形のパーツが、完璧に配置された、卵形の顔。

それは思わず視線を吸い寄せられる美貌だった。

だからこそ、その蠱惑的な曲線を描く唇の左端から右目尻のあたりにかけて、点々と存在する、火傷のようなケロイド状の引き攣れが、強烈な違和感を放っていた。


その容姿から、一目で彼女が双子の血縁だとわかった。

双子に、特に弟の方に、その女性はそっくりだった。

会話は少し離れていたので聞こえなかったが、母親と思われる女性は、彼らに車に乗るように促してるようだった。

禅一は胡散臭そうな顔をしていたが、その弟である彼は、会いたがっていた『お母さん』の出現に、明らかに顔を輝かせていた。

唯一の保護者が倒れた不安な所に、今まで会いたいと思っていた『お母さん』が現れたのだ。

無理もない。


しかし真智は一見優しげな笑みを浮かべる、その女に嫌なものを感じた。

自分が幸せになるためならば、誰を犠牲にしても気にしない。

そんな人間の目つきに似ていたのだ。

「ま………待って………!!」

真智は止めようとしたが、滅多に大声を出さない貧弱な声帯から出た声は、あまりに小さくて、彼らには届かなかった。

彼は嬉々として、その兄は少し首を傾げながら、その車に乗ってしまった。



そして彼らの消息は、そこからプツンと途切れた。



誘拐なんて大事件だったはずなのに、地方局ですらニュースになることはなく。

当日は大騒ぎだった警察や学校、大人たちは、次の日にはあっさりと日常に戻っていた。

彼らの祖母が亡くなり、双子は親戚に引き取られたと、朝の会で先生に告げられ、その後はその話に触れることすらなかった。


親戚を名乗る人物は、淡々と彼らの祖母の寺院葬を依頼をして、親族席に座る事もせずに、手続きだけで帰ってしまった。

住職であった父は、祖母の葬儀に双子を参加させてくれと食い下がったが、にべもなく断られた。

『何か強力な圧力がかかっている』

何とか手を尽くそうとしたが、最終的に父は悔しそうに、そう言っていた。


そのうち実家の寺にまで、見えざる圧力がかかり、遂に家族は双子の捜索を諦めた。

いや、諦めた振りで、実家と縁を切るという形で、姉を外に逃しての、細々とした捜索に切り替えた。

双子は大切な幼馴染というだけではなく、彼らが憑依体質の真智の生命線でもあったからだ。

彼らがいなくなった途端に、真智は急激に寝込む頻度が増えてしまった。



それから五年。

真智は姉だけに負担をかけてしまうことを申し訳なく思いつつも、取り憑かれては、起き上がることすらできない日々を過ごした。

友人のためにできる事もなく、ただ家族に負担をかける毎日に潰されそうになりながら過ごし、遂に双子が見つかったと聞いた時は本当に嬉しかった。


しかし再会を果たした時、そこに『弟』だった彼の姿はなかった。

「もう『弟』はやめたんだ」

そう言う彼は兄の後ろではなく、横に並び立っていた。


彼は深い事情を語らない。

ただ『弟』の象徴を捨て、繊細な心をよろおう術を身につけ、人との衝突を恐れず、見えざる物にすら怯えなくなっていた。

俯きがちだった顔をあげ、恐れずに周りを見る。

優しげに下がっていたまなじりを吊り上げ、周囲を警戒するように睨みつける。

その姿に昔の面影は全くなかった。




(一方の俺と言ったら、相変わらず子供とすらコミュニケーションを取れない始末)

コミュニケーション能力が小学生の時のままの真智は、深々とため息を吐く。

昔はあんなにそっくりだったのに、片方はしっかりとした大人になり、片方は小さい頃のまま。

家族の後に隠れてばかり。

情けない事、この上ない。


ボソボソと店員に注文して、その後は一切のコミュニケーションを拒絶するように、スマホをじっと見つめて待つ。

「相変わらず、背中が曲がってんなぁ」

特に何を見ると言うわけではなく、いつもやっている暇つぶしのゲームの画面を何となく見つめていたら、曲がった肩甲骨のあたりを叩かれた。

「スマホ首っていうレベルじゃねぇぞ」

そう言って、譲は片頬で意地悪く笑う。

美青年の出現に、店員の女性の営業スマイルが蕩けて、うっとりしてしまっている。


「何注文した?」

「えっと、子供って、あんこ好きか、わかんなかったから、全部、二個づつ」

そう言うと、譲は満足そうな顔で頷く。

「流石、和泉。わかってんな。あ、料金は姉持ちな。そういう約束だから」

そんな譲を、真智は意外に思いながら見つめる。

外で、しかも自分を見つめる相手がいる所で、表情を崩すなんて珍しい。


「ふ〜ん、黒あんとカスタード、変わり種でマヨ玉子か」

この周辺の名物にかけたらしい、『ふく焼き』と書かれた、フグの形のたい焼きのメニューを、譲は柔らかい表情で眺めている。

そんな姿を真智はまじまじと見つめてしまう。

「………何だ?」

そんな真智に気がついた譲は、不思議そうな顔をする。

「いや………」

どうやら今までの刺々しかった空気が和らいでいるのは、無意識のようなので、真智は言葉を濁す。


「……そのほうじ茶は、あの子の?」

譲が手に持つペットボトルに話を逸らすと、彼は少しムッとした顔になって、手を見えないように下げる。

「大人は各自で買えばいいけど、チビは用意しねぇといけねぇだろ。面倒くせぇけど」

繊細さを見せなくなった過程で、自分の気遣いまで隠すようになってしまった譲に、真智は小さく笑う。

小さい子はペットボトルから飲みにくいだろうと、冷水用の紙コップまで取ってきている細やかな心遣いにも、真智はしっかりと気がついているのだが、元同じコミュ障の情けで指摘しないでおく。


「お待たせしましたぁ〜〜〜!」

先程対応された時よりオクターブ高くなった店員の声と共に、商品が渡され、真智たちは、姉たちが待つ二階へと引き返す。

「……あの子は一時預かりか何か?」

階段を上りながら尋ねると、譲は少し考えてから首を振る。

「いや。……多分、これからずっと居る」

「えっと……親戚……とかじゃないよね?見るからに、日本人じゃないし」

普通の家庭なら、混血ハーフの親戚がいてもおかしくないが、彼らは超血統主義の『藤護』だ。

限りなくその可能性は低い。

「親戚じゃない、と、俺は思ってる。禅は親戚筋じゃ無いかと疑ってるが……あれは……」

譲は何か続けて言おうとしてから、思い直したように口を噤む。


階段を上り切ると、そこには、いつもは妖しさを感じさせる薄笑いしか浮かべない真智の姉が、蕩けるような表情で微笑んでいる。

「……ドルオタ、めちゃくちゃ上機嫌になってんだけど……」

姉の異様なご機嫌に譲はドン引きしている。

あのだらしない顔はオタ活をしている時くらいにしか見られないものなのだ。


「……初対面がアレだったもん……姉ちゃんの推し傾向、一にダンス、二に歌唱力、三、四がなくて五に性格だから……」

真智は苦笑する。

彼を憑依トランス状態から引っ張り戻してくれたその歌声は、極楽で歌う迦陵頻伽かりょうびんがかと思うほど美しかった。

姉が気に入らないはずがない。

「容姿は?」

「二の次。歌とダンスが上手い子が正義……って感じかな」

失礼な事に、それを聞いて『あ〜〜〜』と譲は納得している。

「……痩せ気味だけど、可愛いと思うよ?」

一応訂正するが、

「餓鬼界だったらトップアイドルだな」

譲は白けた顔で応じる。

「……美形は採点基準がからいんだよなぁ……」

真智は小声でボヤく。


楽しそうに笑っている幼児は、少々細すぎるが、十分に愛らしい。

近寄ってくる譲と真智に気がついて、真っ直ぐに見てくる様子など、眩し過ぎて近寄れない。

「ホレ、餌をやれよ。動物は餌を与えてくれる奴に懐くんだから」

輝く陽のオーラに近寄れず、その周囲をウロウロする真智の尻を、譲が足で押す。

「うっ」

押し出されて二、三歩前に出た真智を、澄み切った緑の目が見つめる。


「ホレホレ、頑張れ。これからお隣になるんだから仲良くなっとけ」

思わず固まった真智を、更に後ろから譲が小突く。

譲たち兄弟が引き取ったと言うことは、これから接触が増えるので、馴染ませようという心遣いなのだろうが、人間とはそう簡単に打ち解けられるものではない。

「うっ、あっ、は、はい……」

幼児の前に押し出された真智は、袋の一番上にあるたい焼きを、機械的に掴んで、彼女に差し出してしまう。

三種類を見せて選ばせると良いな、等と考えていたのに、いざとなるとパニックで頭から吹っ飛んでしまった。


「?」

鼻先に突きつけられた物体を、幼児は不思議そうな顔をして両手で受け取る。

そしてそれをジッと見たかと思うと、パァッと顔を綻ばせる。

「ゼン、ゼン!!」

頬っぺたを真っ赤にしながら、『そっくり!』とでも言うように、幼女は膝の上のやたらリアルなフグのヌイグルミと、フグ形のたい焼きを並べる。

(フグが好きなのかな)

喜んでいることがわかる素直な笑顔に、真智はホッと息を吐く。


「イジミ、あいがとぉ!」

姉と禅一がデロデロの顔で「良かったな〜〜〜」などと一緒に喜んでいるのを見ながら、少しづつ距離をとっていた真智に、幼児が全開の笑顔を真っ直ぐに向けて、お礼を言ってくる。

「あっ……あっ……いや、ええっと……お粗末さま……です……?」

突然のスマイルに真智は反応できず、挙動不審になってしまう。

モゴモゴと返事をしようと努力しつつも、結局はキラキラな視線に耐えきれず、譲の後ろに隠れてしまう。

「おいおい……」

そんな真智に、譲は呆れ気味だ。


「吹けば飛ぶようなチビにまでビビってんじゃねぇよ」

「いや、もう、無理。溶ける。俺を日陰に居させて」

グイグイと譲に押し戻されそうになるが、真智は必死に抵抗する。

「んふ〜〜〜」

そんな無用の争いをしている間も幼児は美味しそうに、たい焼きを頬張って、ハフハフと冷ましながら食べている。

その嬉しそうにたい焼きを頬張る顔が、真智が近づくことで崩れるかもしれないと思うと近寄れないのだ。


「譲、少しづつ慣らしてやれよ。水合わせは時間をかけないと魚が死ぬぞ」

そんな弟二人の小競り合いに、救いの手が差し伸べられる。

幼児を膝にのせて、可愛くて仕方ないと言う様子で見守っていた禅一だ。

因みにその隣に座っている真智の姉は、弟のピンチそっちのけで、美味しそうにたい焼きを食べる幼児の撮影に勤しんでいる。

アイドルの追っかけをしている時と同じように真剣な眼差しだ。


「俺、一応人間だから……」

そう言いつつも、感謝を込めて真智はたい焼きを差し出す。

禅一の分は甘くないマヨ玉子のたい焼きだ。

「あんこ貰い」

注意を受けて、真智の矯正を早々に諦めた譲も、紙袋の中から勝手にたい焼きを取り出す。


「ねいにゅえいんに!?」

そうして弟たちもたい焼きを食べ出したタイミングで、幼児が吠えた。

凄い顔であんこを見つめている。

「あれ、やっぱ西洋圏は甘い豆はダメだったかな」

「え!?そうなの!?」

「あっちは豆は主食のくくりらしいぜ。………美味いのに」

譲は首を振る。

粒あんもこしあんも等しく愛する彼には、あんこを拒絶する感覚がわからないようだ。


幼児は複雑そうな顔をしているが、それでもたい焼きを拒絶することなく食べ続ける。

しかし先程までと比べ、明らかに食べる勢いが衰えている。

「アーシャ」

そんな幼児に、禅一が自分のたい焼きを割って、中身が見えるようにして差し出す。

「みぃ……みぃぬうぃ!!」

すると幼女は子猫のような鳴き声を上げる。

たい焼きの中に詰まった玉子を見る、目の輝きが凄い。


「こ・う・か・ん」

そう言って禅一は黒あんと玉子のたい焼きを交互に指差す。

最初は不思議そうにしていた幼児だったが、次第に理解できたらしく、頬を上気させる。

「こかん……!!」

そして元気よく、嬉しそうに復唱する。

一文字抜けただけで、単語が大惨事だ。

「こかん。こ!こかん!」

禅一は大慌てで消え去った一文字を保管している。

撮影していた姉は笑いが止まらなくなったらしく、撮影を中断してしまう。


「あの子、日本語わからないの?」

「全然わかんねぇみたい。今、教育中」

たい焼き交換をして、楽しそうに食べている擬似親子を見ながら、譲は事情を話し始めた。

「あのチビは『藤護』の禁域に落ちてたんだ。で、大祓えの時、穢れの下から出てきて、禅が拾ってきた」

サラッと投下された爆弾に、真智は目を見開く。

姉も撮影しながら、驚いた顔で譲を見ている。


「禁域から……!?え、でも、そこの穢れって、禅でも触れたらヤバいって……普通の人は近寄ることすらできないって……」

「あぁ。だから正体不明なんだ」

そう言いながら、譲は持ってきた紙コップにペットボトルのほうじ茶を注ぐ。


「しかもさっきみたいに、どこで身につけたのかサッパリわかんねぇ、奇跡みたいな事を、当たり前のようにやっちまうんだよ」

人が入れるはずのない場所から出てきた、正体不明で、謎の力を自在に操る子供。

(もしかしたら……神霊や悪霊の類で、人間じゃないのかも……)

ゴクンと唾を飲んで、真智は幼児の様子を覗き見る。


「……………」

幼児は目を見開き、飢え死に寸前の齧歯類でもこれ程夢中で食べないのではないかという勢いで、忙しく口を動かして、たい焼きに食らいついている。

たい焼きを口に押し込むように頬張る姿は、ただの欠食児童だ。

(いや………普通に生き物だな。うん。ただの子供だ)

真智は確信する。

飲み込む瞬間の満足そうな顔も、無邪気な子供そのものだ。


「チビ」

譲が紙コップを差し出すと、飛びつくように受け取って、軽く咽せながら、ゴクゴクと必死に飲む。

「ふふぁ〜〜〜」

そして幸せそうな声をあげている。

(小さい子ってよく動くなぁ)

食べたり飲んだり笑ったり。

ゼンマイ仕掛けのオモチャのように、ずっと絶え間なく動き続けている。

中々渋い趣味をしているようで、ほうじ茶の香りを楽しむように紙コップに鼻を近づけて、うっとりしたりもしている。


たい焼きを平らげた幼児が、次に目をつけたのは、自分をひたすら撮影している姉のスマホだ。

興味津々に見上げて観察している。

「見る?」

そんな幼児が可愛くて可愛くて堪らないらしい姉は、禅一の膝の上から彼女を取り上げて、自分の膝の上に乗せる。

そして気持ち悪い程撮影したデータを本人に見せ始める。


「……一見、ただの子供に見えるね」

クルクルと表情が変わる子供を見ながら、真智は言う。

「一見、食い意地が張ってるだけの、ただの子供なんだよ」

譲はキャッキャと動画を見て、盛り上がっている幼児に視線を向ける。

「でも色々出来ちまう。……だから狙われてる」

譲の声が少し低くなる。

膝の上の幼児をあっさりと奪われて、がっかりしていた禅一も表情を改める。


「狙われてるって……えっと……一体誰が、何のために……?」

「わかんねぇ」

真智の当然の疑問に譲は簡潔に答える。

「全然わからないと言うことじゃないんだ。既に接触してきた奴らがいて、そっちには既に牽制をかけてるし、近いうちに排除できると思う」

それを禅一が補足する。


「ただ、氷山の一角と言うか……つい最近、大晦日に降って湧いたような存在なのに、情報が回るのが早すぎるんだ。自然と湧いた噂とかじゃなくて、誰かが意図的に情報を流してるとしか思えねぇ」

「今は末端ばかりが見えて、その裏にいる、情報を流している相手が全く見えていない状態だ」

双子は揃って真剣な顔つきになって、真智と姉を見つめる。

普段は行動や表情が違い過ぎて全く似ていないように感じる双子だが、こうやって見るとよく似ている。


「だから、かなり危ない目に遭わせる可能性もある」

「でも俺たち二人じゃとても手が足りねぇ。信頼できる味方が欲しいんだ」

禅一と譲は同時に頭を下げる。

普段は全く息があっていない双子だが、こういう時は妙に動きが揃う。

「アーシャを守るために手を貸してください」

「俺らの生き残りにも関わってくるから、頼む」

禅一はともかく、譲がこうやって頭を下げるのはかなり珍しい。


(……あぁ……)

唐突に真智は納得した。

再会してからずっとピリピリしていた譲の空気が緩んだ理由が、一緒に頭を下げる兄弟を見て、急にわかってしまったのだ。


兄の陰に隠れる『弟』を止める。

そう宣言した譲は、必死に本来の気質を捨て、兄の横に並び立とうと気を張り続けていた。

ひたすら、これまでの自分を否定し、誰からの庇護も拒絶し、自分だけで何でもできるようにしようともがいていた。

そうなる事が目標になってしまっていた。


しかしそこにちっぽけで無力な子供が現れた。

庇護を否定する立場から、庇護を与える立場へ。

兄に並び立つ事を目標にしていた『弟』は、自然と『兄』になり、同じ立場で『妹』を護るようになった。

本人も気がつかないうちに、新たにできた目標が、元々の目標を『当たり前の事』にしてしまったのだ。


「ふふ」

見れば、姉もいつもの妖しげな笑みを、何割か増しで優しくしている。

きっと彼女も気がついたんだろう。

「アタシは『アタシの』妹のためなら何でもやるよ。何でもね」

(全然違った—————!!全然気がついてなかった—————!!)

よく見れば、目が恍惚と異次元を見つめている。

真智は心の中で前言撤回を宣言する。


あっさりと返事をした姉は、決意表明は終わったとばかりに、さっさと幼児と動画を楽しみ始める。

「……………」

真智は一人、圧の強い双子の視線に晒される。

(まぁ……姉ちゃんの妹なら、俺の妹って事にもなるし……)

大人しく返事を待つ双子の片割れに、真智は視線を走らせる。

(俺も……一生姉ちゃんのお荷物の『弟』でいるわけにはいかないんだよな……)

譲のような大きな変化は望めないかも知れない。

何せ真智は、常に思考は後ろ向きで、碌に人と対話できないコミュ障である上に、超絶虚弱体質で筋肉らしい筋肉がついていない、百メートルも全力疾走できない、心身ともに最弱最底辺なのだ。


「まぁ……俺はこれと言った特技もないし……戦力になれないと思うけど……」

双子の眼差しに、大きなため息を吐いてから、真智はそう答えた。

姉とは違って、真智は戦えないし、頭も良い方ではないし、子守も絶対できない。

今までだって取り憑かれて人事不省になって、周りに迷惑をかける事しかできていないのだ。

「そんな事ねぇよ!和泉の『目』はかなり確かだからな!」

「俺と譲が別行動できなくて困ってたんだ!和泉がいてくれると助かる!」

しかし幼馴染たちは大歓迎で、左右から肩を組んでくる。


「…………目?………別行動………?」

何か嫌な予感のする単語が散りばめられていた。

「それに和泉がいたら探すまでもなく『穢れ』の方から寄ってきてくれそうだからな!」

「カウンターで消し飛ばして、和泉に危険がないように心がける!見えないけど!」

完全に悪霊退治ゴーストバスターに連れていかれる流れだ。


「……………」

時間よ三十秒巻き戻れ。

そう言いたい気分で真智は、無言で目を強く閉じた。

自分も変わらないといけないと、勇気を出して小さな一歩を踏み出したら、そこには底の見えない巨大な落とし穴があったようだ。




「おいおい……いつの間にか和泉姉がアイドルの布教始めてるぞ」

弟の絶望など全く関係なく、姉はマイペースだ。

前に行った撮影許可ライブの無駄に高画質な動画を、幼児に見せている。

「和泉姉、お子様はニチアサのキッズアニメから始めろよ……いきなり生モノに行くなよな」

「ちょっとスカートが短すぎるし……もうちょっとソフトな奴を選んで欲しいな」

双子は渋い顔だ。

「………この完成された美がわからない凡人どもが……!!この脚線美を卑猥と感じる自分がエロエロ星人なのだと心得ろ!」

対する姉は全く聞き入れる気がない。


「〜〜〜〜〜〜!!………かわいーな!かわいーな!」

布教されている幼児はあっさりと洗脳されて、目を輝かせている。

「これ、推し。もっとあるよ〜〜〜んふふふふふ」

実に気持ち悪い笑い声を上げながら、姉は登録している動画サイトの映像も次々と見せていく。


「……そういえば姉ちゃん、自分で見つけ出した推しをプロデュースしてみたいとか妄言を吐いてたな……」

そんな真智の言葉を聞いた幼馴染たちは渋い顔になる。

「姉はちょっと人選ミスだったんじゃ……?」

「手伝うと見せかけて、アーシャをとんでもない方向に導かれそうな気がしてきた」

彼らにとっては、その道で既に実績のある姉より真智のほうが正解人事だったらしい。


「かわいーな!」

「ふふふふふふふ、かわい〜ね〜〜〜!」

早期刷り込み教育を始める姉を、弟たちは呆れ半分の顔で見守るのだった。

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