13.天使、希望を連れてくる(後)

「けーおねちゃん、アーシャ」

突然現れた小さな女の子は、そう言って慧に笑いかけた。


笑うと思い切り広がる薄紅の唇。

少し不揃いな所にも子供らしい愛嬌を感じる小さな歯。

綿菓子のようなふわふわ頭に、緑をベースにした驚くほど複雑な色合いの虹彩。

毛穴の存在を感じないキメの細かい肌に、筆で色を落としたような紅色のほっぺ。

少し痩せぎすだが、それでも元気よく動く四肢。

突然現れた『希望』は天使の形をとっていた。



人はそれぞれ特有の氣を持ち、基本的に自分の氣以外を使用する事はできない。

通常の『拝み屋』と呼ばれる者たちは、自分たちの氣を鍛えて使うのが一般的だ。

禅一のように自分の氣を大量放出して、共鳴させて、大地の氣の方を変質させてしまうのは、特例中の特例だ。

大地の氣を使おうとするなら、人里から離れ、氣が満ちている山などで修行して、極限まで自分の氣をそれに近づける必要があるのだが、二年三年の修行で質を変える事などできない。

……はずだったのだが、天使は愛らしい外見からは想像できないほど澄み切った声で氣を呼び起こし、小慣れた様子とは裏腹の拙い動きで舞い、見事に氣を操ってしまった。


とんでもない神業だ。

大地の氣を自在に操るなんて、只者であるはずがない。

最初は可愛い予感を感じ取り、呑気に撮影を始めていた慧は、にわかに緊張してしまった。

初めて人外を相手にした時のような気分だった。


しかしその後の彼女は、苦しい寝たふりをする真智を不思議そうにつっついてみたり、神霊入りのリアルな魚類ヌイグルミを可愛がったり、とんでもなく可愛い笑顔で自己紹介してきたり。

こちらが拍子抜けするほど普通の、愛らしい子供だった。

神霊を回復させ、降りた体から引っ張り出す妙技を繰り出したとは、とても思えない


「やばい……可愛過ぎて……撮影の手が止まらない」

慧のスマホの容量は、グングンと画像に食われていく。

天使は窓から見える海に、頬を上気させ、大興奮している。

海峡を渡る橋を熱心に見つめたり、真剣な顔で海に浮かぶタンカーを摘むような仕草をしたりする姿に、愛らしすぎて、シャッターボタンに触れる指が止まらない。

可愛さの限界突破を迎えそうだ。


「姉ちゃん……初対面の子供をドンびくレベルで撮影しててキモい……」

「まぁ、でも、気持ちはわかる。アーシャは可愛いからな!」

「和泉姉、SNSに写真のアップとかは勘弁な」

そんな慧に、天使の爪の垢すら与えたいと思えないほど、可愛さのかけらもない弟たちは好き放題突っ込んでくる。


「あ“ぁ?……って、禅はどこに行くの?」

撮影がひと段落して、振り向いたら禅一だけ弟の群れから離れている。

「アーシャのオヤツの買い出し!」

振り向いてニヤッと笑った顔は、昔のイタズラばかりしていた悪童そのものだった。

「ちょっと!一番の権利はアタシじゃ……!」

「早い者勝ち!!」

そう言ってデカい図体は走り出す。


慧は目を見張る。

つい先日まで分別ついた大人になったようなフリをしていたくせに、この、クソガキとしか思えない行動は何だろう。

「馬鹿が……復活してる……?」

驚く慧に、譲が渋い顔で頷く。

「しっかりポンコツに戻ってる」

そう言う譲の顔は呆れ一色だが、彼もまたいい感じに肩の力が抜けている。

周りに緊張を与えるピリピリした空気が無くなっている。


じわじわと慧の中で喜びが湧いてくる。

自分の知らない間に、何かが驚くべき変化を遂げている。

笑っていても、呑気そうにしていても、何処かに暗い物が絡みついていて、『楽しんでいるフリ』、『くつろいでいるフリ』にしか見えなかった禅一から、陰が消えている。

昔の気弱で大人しい面影が完全に消え去ってしまっていた譲に、多少の柔らかさが戻ってきている。


「姉、さっさと行かないと、禅に美味しいところ持って行かれるぜ」

そう言われて、慧は慌てて、復活した悪童の後を追う。

『男子、三日あれば刮目して見よ』とは言うものの、こんなに一気に変わるものだろうか。

何かの間違いではないだろうか。

信じられない好転に、慧は少し足元が浮き足立って、フワフワする。


売店に行くと、寒風吹き荒む中、ゴリラがバナナ……ではなく禅一がアイスクリームを受け取っていた。

「何でこのクソ寒いのにアイスクリーム……しかもバニラ……」

「え?子供が喜ぶといえばアイスクリームだし、アイスクリームといえばバニラだろ?」

慧のツッコミに禅一はキョトンとしている。

こんなに寒い中でもアイスクリーム、しかもどこにでもありそうなバニラが一番のご馳走だろうとの主張に、慧はわざとらしい溜め息を吐く。


「いやいや、珍しい味付きがあるなら味付きっしょ」

「いやいや、バニラだろ。全国共通どんな店でも絶対置いてあるって事は人気なんだよ」

「アンタはそんなんだからモテないんよ。万人受けより冒険したい乙女心を感じ取れ」

「和泉姉はただのゲテモノ好きだろ。わさびソフト食べて悶絶してたのは忘れてないぞ」

「シャラップ!おじさん、バナナソフト一つ!」

軽口を叩き合うのは今も昔も一緒だが、今の禅一は、ただ嬉しそうにアイスクリームを買っている。

楽しんでいるフリではない。

だからついつい嬉しくなって、慧も昔に戻ったようなノリになってしまった。


「アーシャ!」

「アーシャちゃん!」

そして張り合って各々のオススメソフトクリームを勧める。

最初の一口はバニラに取られ、ドヤ顔を決められてしまったものの、バナナの美味しさに天使は目を輝かせる。

(そうだろう、そうだろう)

バナナを続けて選んでもらった慧も、見下すドヤ顔を決める。


頬っぺたを幸せそうに撫でる姿も可愛いし、どちらかというと慧のバナナアイスの方が優勢なのが嬉しい。

天使は差し出したクリームに飛びついて、本当に美味しそうに味わってくれる。

目がアイスに釘付けで、夢中に飛びついてくる姿が可愛くてたまらない。

慧はアイスクリーム本体を弟に持たせ、撮影しながらの餌付けに夢中だ。

「妹……可愛い……!!」

「俺の妹だから。俺の」

「わかってる。つまりアタシの妹だ」

そんな言い合いも楽しい。


「禅!和泉姉!」

そうやって大人気なくなった禅一と競い合っていたら、アイスを三分の一ほど与えたところで、元美少女の怒りが爆発した。

「チビにどんだけ冷たいもんを食わせる気だ!!一口二口なら許容しようと思っていたら!冷たいモンを食い過ぎたら腹を壊すだろ!!」

昔は愛らしかったが、今では見事な小姑だ。

全くもって昔の面影がカケラも残っていない、筋張って骨ばった巨大な手が、慧と禅一の頭を掴み、ギリギリと万力のように締め上げる。


「いや、俺はアーシャと半分こしようと……」

「コイツが味つきアイスをディスるから、女子の好みが何たるかを身をもって教えてやろうと……」

禅一と慧は責任転嫁し合おうとするが、小姑の絶対零度の瞳に黙らされる。


「だ・い・た・い!昼食の補填をさせるって言ってんのに何で二人揃ってデザート買ってきてんだ!脂肪の塊ばっかり食わせてどうすんだ!糖分取ったら腹が膨れて他が入らねぇだろうが!」

「アーシャちゃんは、もうちょっとふっくらとさせた方が……」

「うん。ちょっとは脂肪の蓄えを体につけてやらないと……」

二人揃って言い訳をしようとするが、小姑の視線の冷たさが、氷点下をぶっちぎって下がっていく。

ついでに頭も痛いほどに締め上げられる。


「「………………」」

ついに二人は言い訳できなくなって、各々でアイスの処理を始める。

天使はといえば、アイスをもらえなくなって不機嫌になるかと思いきや、ニコニコと二人が食べる様を嬉しそうに見つめる。

「おいしーな?」

そして二人が悄然と食べていると、心配するように問いかけてくる。

(んぐぅ……天使……!!)

「「おいしー!」」

同時に答えてしまって、お互いのデレデレと崩れまくった顔を見て、スンッと素に戻ってしまう。


「ったく……和泉、俺はコイツらを見張っとくから、チビに良さげなもん買ってきてくれ」

「え……こ、子供に……!?お、俺、子供が食べる物なんてわかんないよ……」

こめかみを押さえた譲が真智に頼んでいる間に、禅一はコソコソとワッフルコーンを割って、天使に差し出す。

「アーシャ、アーシャ、あ〜ん」

禅一がコソコソと悪いことをするなんて、いつぶりだろうか。

そんな事に慧が少し感動を覚えていたら、緑の目がキラキラと輝き始める。

「おいしー……!」

味わうように噛み締めながら、報告する顔を見たら、慧の中の子供まで騒ぎ始める。

これは天使ならぬ、人を堕落させる、堕天使の微笑みかもしれない。


もうダメだと思いながらも、自分だけ我慢なんてできない。

「アーシャちゃん、アーシャちゃん!」

禅一を盾にして、小姑の目を逃れて、慧もコーンを割って差し出す。

せめてもの良心で、冷たいクリームは控え目だ。

「あふっ!」

小さな唇が慧の指を挟んだかと思うと、コーンが小さい口に吸い込まれていく。

(あぁ!ベストショットを!!)

慌てて慧はコートのポケットから再びスマホを取り出し、撮影を開始する。


サクッサクッと軽快な音を立てて、ワッフルコーンを噛みながら、天使は幸せそうに頬を押さえる。

うっとりと目を細めて空を見つめながら、忙しく口を動かす様子は齧歯げっし類のようで、こちらまで幸せになってしまう。

「おいふぃ〜!んんっ、うん!!」

キラキラ顔で報告しようとして、喉に軽く詰まったのか、眉を八の字にして咳き込む様子も、その後照れたように笑って、再び頬を撫で始める様子も、全てが愛らしい。

(これは……永久保存版)

美味しそうに口の中の物を飲み込んでから、天使は撮影されていることに気がついたらしく。

『なぁに?』とばかりに、首を傾けて慧を見つめてくる。

(この首の角度……エグい……!天然由来の魔性か……!)

自分でも顔面崩壊していることを感じながら、慧は天使に手を振る。

すると天使も嬉しそうに慧に向かって手を振り返してきてくれる。

気分は推しにファンサを返して貰えた時のようだ。


「あ」

ファンサしていた天使の顔が固まる。

「なぁぁぁにしてんだぁ?あぁ?和泉姉よぉ?」

頭に再び万力をつけられた感覚と同時に、地の底から這い上がってくる、プチヤクザの柄の悪い声が後ろからかかる。

「ひっ!」

ギリギリと頭を掴まれた手に、無理やり後ろを向かされ、慧は息を呑む。

そこには既に捕獲されてしょんぼりしている大男と、般若が立っていた。

「そこ、座れ!」

こめかみの中を走る、青い血管が芋虫のように蠢いている。

多少角が取れたような気がしたが、譲は譲のままだった。




結局、慧と禅一は譲の説教を受けつつ、アイスクリームを食べ切るまで監視されることとなった。

「俺も何か買ってくるから。二人は大人しくチビの相手をしてろ!」

もう与える物がなくなったことを確認してから、プリプリと怒りながら譲も階下に買い物に向かう。

「ゼン、ゆずぅ」

禅一に抱っこされた天使は、怒って去っていく譲を気にして、追わなくて良いのかとでも言うようにその背中を指差す。

「大丈夫、大丈夫」

追いかけたそうな天使の背中を宥めるように撫でながら、禅一は気楽に答える。

その横顔に翳りは全くない。


「………何か、元気になったな」

「ん?」

慧がそう言うと、禅一は不思議そうな顔をする。

「少し前まで納豆みたいに、ネバネバ腐ってんだか腐ってないんだかわかん顔をしてたくせに、元気になったじゃないか」

そう言うと、驚いた顔をした後に、禅一は顔を撫でる。

「………特に変わっていないと思うんだが……」

本人に自覚はなかったらしい。

「変わった、変わった。冬休み前まで、パックの中でも隠し切れない腐臭を放ってた」

慧が指摘すると「そうかなぁ〜」などと言いながら、禅一は思案する。


禅一はしばらく考えてから、やがて海を眺める天使の頭にポンと手をのせた。

「言われてみたら、将来の事とか考えてもどうしようもない事を、あんまり考えなくなったかも。アーシャと一緒の時はコケたりしないかとか、危ないことをしていないかとか、色々見てないといけないし、一緒じゃない時もアーシャが喜ぶご飯とか、遊び場所とか考えてて……余計な事を考えなくなったな」

ヨシヨシと禅一が頭を撫でると、天使は不思議そうにしながらも嬉しそうに笑う。

「……要するに、今まであった悩み事をするような暇が、なくなったって事か」

目の前のことで精一杯で、将来を思い悩む時間がなくなったという、何とも単純明快な答えに、慧は呆れる。


「後は……そうだな。『何とかなるかも』って思い始めた」

そんな慧に禅一は白い歯を見せる。

「『何とかなる』って?」

「ん〜〜〜」

聞き返すと、しばし禅一は考える。


「俺ってさ、何か凄い『氣』が出てるって話だろ?」

「そうやね」

「でも俺にはそんなの見えないし、感じ取れない。体を鍛えれば強化されるとか、祝詞や舞を覚えれば強化されるって言われて、やってきたわけだけど、全く強くなってる気がしなかったんだ。譲に聞いても、いまいちピンとこないし。だから努力の方向性がわからなくなったというか……伸び代が見えなくなったというか……何をしてもアレには敵うわけがない、って思い込んでたんだ」

わしゃわしゃと髪の毛を混ぜっ返された、天使がくすぐったそうに笑い声を上げる。


「でもさ、アーシャが感じられるようにしてくれたんだよ。こう……ギュッと……何て言うんだろ。パッキングされてるみたいに周りから俺の『氣』を押してくれて、初めて『氣』ってやつを感じ取れたんだ」

くすぐったそうに身を捩りながら、虚空を見つめるフグに顔を埋める天使を、慧は目を丸くして見る。

一体この子はどれだけの能力を秘めているのだろうか。


「まだアーシャが押してくれないと、全然感じられないんだけど、少しづつ外に垂れ流す『氣』を抑えて体の中に溜め込むとかできるようになってきたんだ。まだ本当に微々たる量しかやれないんだけど、もっと上手く溜め込めるようになれば、勝ち筋……とまではいかないけど、何とかできるようになるんじゃないかって。努力の方向性が見えてきた」

禅一の目の中には『希望』という光が灯っている。


命の選択ではなく、そもそもの問題を解決に向かう。

それは、いかにも真っ黒になって外を走り回っていた少年が出しそうな答えだった。

「………相手は『神』だけど……」

慧は一応言わずにはいられなかった。

しかし禅一は簡単に頷き、感触にハマったのかモッフモッフとヌイグルミに顔をつっこんで楽しんでいる天使を見て笑った。

「簡単になんとかなるとは思ってないさ。何回も試行錯誤すると思う。……でも何となく、頑張れそうな気がするんだ」

黒い綿毛のような髪に、ポンと禅一は手を添える。


「ふむふむ……アーシャちゃんは無限の可能性を連れてきてくれたって事か。……じゃ、弟も戻ってきた事だし……そんなアーシャちゃんの出自を説明してもらおうか」

人見知りの弟は、いつの間にか戻ってきて、少し離れた所をうろうろとしている。

近寄ることができずに、買ってきた包みを天使に渡せず困っている、その姿を見ながら、慧はニヤリと笑った。


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