13.天使、希望を連れてくる(前)
その少年と初めて接触したのは、
真智は生来の『見える』体質と憑依体質のせいで、挙動不審になる事が多く、周囲の子供達から爪弾きになり、既にその頃不登校気味になっていた。
見えないものに怯える姿は、見えない者からは異常にしか見えなかったのだ。
この頃は、慧にもまだ何も見えていなかったため、道で急に震え始めたり、突如として人格が変わったようになる弟は、多少持て余し気味だった。
姉の慧ですらそう感じるのだから、周りの幼い子供たちには受け入れ難かったのだろう。
慧の実家は地域密着型の寺であり、母の人柄か、だだっ広い家であるせいか、檀家さんや近所のご婦人方がお茶会に集まり、世間話に花を咲かせていた。
慧はお茶出しがてら顔を出すと、度々話しかけられて足を止められ、お茶会に付き合わされた。
近所の方々と顔を繋ぐのも、寺の娘の仕事みたいな物だった。
そこの世間話の中で、かなり頻繁に耳にする問題児がいた。
『母親に育児放棄された可哀想な子供』で『長い間病欠していたのに、別に病気らしき所はどこにもない元気な子供』で『保護者がお祖母さんしかいないから、早くも問題児になりつつある子供』。
明らかな悪口を言う者はいなかったが、異分子を炙り出すような話し方が不快だったのを覚えている。
今で言う、『マウント』に近い物だったのだろうと思う。
恵まれない家庭環境の子供が不自由に育っている姿を見て、うちの子は幸せだ、真っ当に育っていると再確認でもしたかったのだろう。
困った子だ、可哀想な子だ、問題児だと言う割に、誰も深刻な被害に遭った事などない。
曰く、自転車のチキンレースで最後までブレーキをかけずに、一人崖の下に吹っ飛んで行った。
曰く、自作のブレードボードに乗って用水路に頭から突っ込んでいった。
曰く、違法駐車の車に、大量の空き缶を結びつけて、ブライダルカー仕立てにして晒し者にした。
少々ヤンチャとイタズラが過ぎるが、その子の起こした事件は、殆どが自爆して終わる笑い話だった。
その子は行動範囲が子供とは思えない程広くて、慧も良く見かけた。
彼は毎日、焦げたパンみたいに真っ黒に焼けて、外を楽しそうに走り回っていた。
一番足の遅い子の手を取って走ってやっていたり、泣いている子がいたら寄りそっていたりと、気の優しい子だった。
そのせいか長い間学校を休んでいたと言うのに、彼は常に誰かと一緒で、馴染んでいた。
そして優しいだけではなく、人の目を引く子でもあった。
ガキ大将というわけではないが、群れの中にいても一際存在感が際立っていて、自然とリーダーのような立場になっていたのだ。
こんな子が弟と仲良くしてくれれば、彼の不登校も良くなるんじゃないだろうか。
「ねぇ、うちの弟と友達になってくれん?」
ある日、そんな子供の発想で、話したこともない彼に頼んでしまった。
来年には自分が小学校を卒業するから、弟が学校で一人になってしまうという焦りもあったのだ。
「弟?」
彼は突然話しかけた慧にも全く物怖じしなかった。
「三組の和泉真智。知っとる?」
「ん〜、俺、去年殆ど学校行っとらんから違うクラスの奴全然わからん」
それが『知らない奴だから』と言う、婉曲な断りに聞こえて慧は肩を落とした。
「和泉って外で遊ぶの好き?」
しかし彼は続けて、そんな事を聞いてきた。
「外では……あんまり遊ばないかも」
真智と彼の相性はかなり悪そうだった。
「ふ〜ん。じゃ、おねーさんの家に遊び行って良い?」
「え!?うちにくるの!?」
「家が好きなんだろ?じゃ、家に行かんと会えんやん」
何を当然の事を言っているんだという顔で、彼はあっさり慧に着いて来てしまった。
(この子、簡単に誘拐されるタイプじゃないの?)
そんな事を思ったのを覚えている。
性格が真逆の真智と彼の初対面は、全く盛り上がらなかった。
彼が話しかけても、弟は全く喋れない。
オヤツを持って行ったら、二人とも部屋の隅と隅に別れて、本を読んでいた。
(これは二度と遊びにはきてくれない)
そう確信した。
でも彼は週に一度は家に遊びに来た。
通い詰めるという事はしない。
でも途切れる事はない。
雨の日は当たり前のように遊びに来た。
晴れが続いても、真智が玄関を気にする頃になったら来た。
最初は部屋の隅と隅に別れていたのが、そのうち少しづつ距離が近づいて行って、隣に座るようになり、そのうち二人で寝転んで、一緒にゲームや読書に興じるようになった。
最初は空気を読めない子かと思っていたが、素直過ぎるほど素直で、遠慮がなくて、度胸が座り過ぎていているだけの、距離の詰め方が凄く上手い子だった。
野生の動物を慣らすように、少しずつ少しずつ距離を詰めて、真智の信頼を勝ち取り、遂に絶対領域である自分の部屋から出たがらない弟を、外に連れ出すまでになった。
「弟を有難う」
そう言うと、
「和泉、俺の弟に似てるから居心地が良いんだよな〜」
彼はニカっと笑ってそう答えた。
暗い『彼』は想像がつかないなと思っていたら、そのうち、彼はどう見てもショートカットの色白美少女にしか見えない『双子の弟』を連れてきて、こちらの度肝を抜いた。
この美少女(風男子)が陰気な弟に似ているなんて、気を遣ったのかなと思っていたら、話してみると本当に趣味嗜好が似ていたから二重に驚いた。
彼ら兄弟と付き合い始めて、真智は驚くほど安定し始めた。
突然別人のようになって叫び出す事は無くなったし、道で急に立ち止まっても、すぐに早歩きで進み始めるようになった。
色々あって最終的には、彼らが悪霊を祓い、悪霊との付き合い方を教えたのだと知ったが、その時は、友達ができて安定したのだと安心した。
三人の交流が増えるにつれ、彼らの家が檀家であったこともあって、付き合いは家族ぐるみになり、きっとこれからも幼馴染三人組は、仲良く過ごしていくのだろうと思えた。
本を見ながら何かを作る二人の横で、設計図をぐるぐる回しながら首を傾げる猿。
炎天下で延々と蟻を観察し続ける三人。
山ほどアオダイショウを捕まえてきた猿に、キレながら逃げる二人。
交互にゲームをプレイしたり、せっかくの花火なのに地味にヘビ玉で盛り上がっていたり、お互いの家に泊まり合ったり。
一緒に小学校を卒業して、中学生になって、高校で別れることがあっても、仲良くつるむ彼らの幻が、この時は確かに見えていた。
それなのにある日、双子は姿を消し、彼らの祖母は亡くなった。
『祖母が亡くなったため親戚に引き取られた』との説明があったが、はっきり言って、その別れは異常だった。
全く知らない怪しい人間が、弁護士を連れてきて、祖母の死後の片付けをし、葬式にすら双子は帰ってこなかった。
そんな突然すぎる別れなど、到底納得できなかった。
なので色々なツテを使い、彼らの消息を追ったが、何処かに見えない壁があって、自力では彼らを探し当てる事ができなかった。
再会を果たせたのは、突然の別れから五年後のことで、彼らは高校二年生になっていた。
「『外』に名前が出れば、絶対に探して来てくれると思った」
並々ならぬ努力をしたのか、手を豆だらけにして、藍色の胴着に身を包み、小猿からゴリラになった彼は笑った。
真っ黒な目で、彼は笑った。
「俺はきっと外に出られなくなるから、あいつを頼みたかったんだ」
清々しく笑ったはずなのに、そう言った目は間違いなく『死』を見つめていた。
慧や真智、家族ぐるみで親しかった和泉の家の誰かに見つけてもらうためだけに、彼は剣道を死に物狂いで修め、全国大会に出た。
「藤護は武道も重んじる家だから。これしか外と連絡を取る方法を思いつかなかったんだ」
武道の武の字も知らなかった野生の小猿が、どれだけの熱意をもってやったのだろう。
見違えるほど逞しく育ったその体つきに、彼の必死の思いを感じた。
そしてその必死さが、自分が消えた後、自分の分身を守るためだというのが、悔しくて堪らなかった。
誰が、アンタをそこまで追い詰めた。
まだ尻に殻がついた子供に、誰が死の覚悟を押し付けた。
生を諦める為の努力なんて、碌でもない真似をさせた奴は誰だ。
そう、叫び散らしたかった。
しかしその頃には慧も『見えざる世界』に片足を突っ込んでいたので、敵の強大さもわかってしまった。
秘匿されている、太古の昔より、荒神を鎮め続けた一族。
そこいらの拝み屋とは格が違う力を持った、神の為だけに、血を繋ぎ、命を懸けてきた一族。
土地の力を強く浴び続けた純血のみで構成されているはずの一族に、外部の血を引いた子供たちが入ったとの噂は何となく聞いていたが、それがまさか真智の幼馴染たちだったとは。
大人たちの思惑に乗るな
生きる事を諦める努力なんてするな。
自己犠牲なんて馬鹿のする事だ。
逃げられる方法を探そう。
そう言っても、その目に光は戻らなかった。
「アンタが居てくれないと、弟はきっと長生きできない。アタシだけじゃ弟は守りきれない。生きて、アタシの弟を守って」
結局そうやって命を盾にする事でしか、彼を現世に繋ぎ止める事はできなかった。
彼の双子の弟だってそうだ。
彼は自分の命を人質にするために、敢えて無力であり続ける選択をした。
元の素養が段違いであるため、学べば慧など話にならないくらいの能力者になっただろう。
きっと彼自身の延命を考えるなら、己を鍛え、兄が死んだ後の備えた方が良かったはずだ。
しかし敢えて彼はそれを捨てた。
彼が死んだら自分も死ぬ。
殺したくないなら、全力で生き残る方の道を選択しろと迫ったのだ。
自分に万が一があった時は逃がそうとしていた弟の受け入れを拒否され、それどころか更にもう一人の弟の命を預けられた彼は、当主を引き継がない努力をする道を選んだ。
しかしその道には常に葛藤が付きまとう。
二人の弟を選ぶことによって、彼はまだ見ぬ、これから生まれてくるであろう正当な当主候補である、弟か妹を見殺しにするのだ。
『藤護の家は末子相続だから、仕方のないこと』
何世代も前から決まっていた決まりを守るのだけだと言い聞かせても、既に弟のためにその決まりを破っていた彼の心にはどれくらい響くのだろうか。
心を定めても葛藤に終わりはない。
学生というモラトリアムを呑気に楽しんでいる様子で、『死』は彼を捉えて離さなかった。
命で命を引き留め、命を捨てさせる。
残酷なことをしたかもしれないが、一生続くかもしれない後悔を抱いてでも、真っ黒になって外を走り回っていた小猿に死んでほしくなかった。
三人が大人になってもつるんで馬鹿な事をしている。
そんな幸せな姿の幻を、本物にして欲しかった。
彼は笑うし、馬鹿な事もやるし、将来のための備えもしっかりやっている。
しかしいつも彼の目の奥には薄暗い『死』の存在が根を張っていた。
何か思いついたら、すぐすっ飛んでいって実行してしまう、無配慮で無鉄砲で無邪気な、愛すべき馬鹿な子供はいなくなってしまった。
生きる選択をしても、これからずっと彼は、選んだ命と選ばなかった命に囚われながら、生きていかなくてはならないのだろう。
そう思っていた彼が再び変わったなんて、誰が信じられるだろうか。
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