12.聖女、厳寒の結晶をいただく

「はぁ〜〜〜」

アーシャは目の前の光景に、ため息しか出なかった。

広い空間に燦々さんさんと差し込む陽光。

その眩しさたるや、一瞬外に出たのかと錯覚するほどの光量だった。


先程『もちもち』を買った建物は二階建てになっており、色々と物が置いてある一階と違って、階段を登った先の二階は、卓や椅子が置いてある、広い空間になっていた

ここの壁には惜しみなく硝子が使われ、まるで外と繋がっているようだ。

とにかくこの国には硝子を多用している建物が多いが、景色がぐるりと見渡せると、迫力が凄い。

同じ硝子張りでも『すーぱー』等とは段違いだ。


いや、迫力の原因は、一面の硝子の壁だけのせいだけではなく、その先にある光景のせいなのかもしれない。

抜けるような青さの空と、その青に緑を溶かしたような深い色の、目の前いっぱいに広がる水、水、水。

(大きさの感覚がおかしくなりそう)

この建物が建っている陸地があり、水の流れを挟んだ先に、対岸が見える。

先程『くるま』から降りた時に見た橋が、こちらの陸地と対岸を結んでいるのだが、それがまるで小人の国のそれのように、小さく見える


(ただの川に見えるけど……そうじゃないのよね)

アーシャの中の遠近感が狂って、対岸までがとても近くて感じてしまうが、橋の上を走る『くるま』の大きさを見れば、そうではない事がわかる。

しかし何もかもが巨大で、自分の中で大きさの感覚がおかしくなってしまう。

目の前の水の流れも、ただの川のように感じてしまうが、実際はとても泳いで渡れるような大きさではないのだろう。


(……流れが一定じゃない……)

こちらの陸地と対岸を遮る水の流れは、対岸は右から左に動き、こちらは左から右に動き、間でぶつかった水の流れが、渦を作っている。

流れる方向が一定ではないし、右にも左にも巨大な湖が広がっているので、きっとこれは川ではない。

そう確信できるが、では何かと聞かれれば答えることができない。


———ウミ コレ ウミ


光を乱反射する水面を一生懸命眺めるアーシャに、腕の中の『もちもち』が話しかけてくる。

「海?」


———ウミ


『もちもち』の眉間から生えている蛇の尻尾が小さく揺れる。

「……海……」

話では聞いたことがあった。

大きな魚が沢山住んでいて、シーサーペントやクラーケンなどという、恐るべきモンスターがいると言う場所だ。

海は巨大な水たまりで、船は陸を離れると水以外見えなくなるとも聞いた事があったと、今更思い出す。

何故、これが海だと思えなかったのか。

(そうよ、こんなに沢山水があるって事は、これが噂の海に違いないのに)

答えがわかったら、そんなふうに思うのだが、生粋の内陸の民であるせいか、単に頭の血の巡りが悪いせいか、その答えに辿り着けなかった自分をアーシャは恥じる。


「『あいがとぉ』」

教えてくれた感謝を込めて、眉間に生えた尻尾のあたりをアーシャが撫でると、小さく飛び出た尻尾が細かく揺れる。


———カシコイ カラ ウミ シッテル 


誇らしげな言葉が頭に響いてきて、アーシャはちょっと笑ってしまう。


(じゃあこの国は海に面した国なのね)

納得しながら、アーシャは人生初の海を、改めて見つめる。

「………………」

ようやく疑問が解決した清々しさを込めて、複雑な動きを見せる水面を見つめていたアーシャは、奇妙なものを見つけて止まる。


(待って。何かとんでもない物を見つけたわ)

ここから見ると、指で摘めそうな大きさにしか見えない、水面を移動する物体。

その形から、船であろうことはわかる。

しかしそれには、船を漕ぐオールも、風の力を受ける帆も、ついていない。

(あの船らしき物は……どうやって動いてるの!?)

オールを漕ぐ人の力もなく、帆が受ける風の力もない。

なのにグングンと水面を割って進むその船は、一体どうやって動いているのだろうか。


その船の大きさは、橋の上を走る『くるま』の、十倍以上はあるように感じる。

かなり巨大だ。

その上、その船には、大きい箱がこれでもかというほど積載されている。

巨大である上に荷物をこれでもかと積んでいたら、重くて早く動けるはずがないし、何なら沈むだろう。

それなのに目の前の船は、自らの重量も、積荷も、全く関係ないとばかりに、水鳥のように力強く水面を割って進んでいく。


(船は殆ど見た事がないからわかんないなぁ……海では船の形をした魔法生物を使っているとか……?)

アーシャが知っているのは、貴族が船遊びするボートか、物資運搬用の川で使われる小さな船だ。

正解を教えてくれないかなと、アーシャは期待を込めて、腕の中の『もちもち』を見る。


———フネ……オオキイ フネ


尻尾がしょぼんと垂れてしまう。

どうやらあれがどうやって動いているかは『もちもち』も知らないらしい。

(ごめんごめん)

そんな気持ちを込めて、アーシャは『もちもち』をもう一度撫でる。

(不思議……いろんな形があるけど……どれにも帆やオールはついてない)

アーシャは目を丸くしながら海を渡る船たちを観察する。



「アーシャ!」

「アーシャちゃん!」

そんなアーシャにゼンとケーオネチャンの声がかけられた。

いつの間にか二人の手には、奇妙な物が握られている。

(泡立てたミルク?)

二人が手に持っているものを見て、アーシャは首を傾げる。


それは以前食べた、泡立てたミルクに何となく似ている。

あれよりも少し硬そうで、滑らかに見えるが。

(あれをもっと泡立てたらこうなるのかな)

彼らの手には、逆三角形で、どこにも置くことができない不思議な形をした、茶色の器が握られている。

その器の上に、トグロを巻いた蛇のように、泡立てたミルクに似た物が渦を巻いて積み上げられているのだ。


二つとも同じ形だが、ゼンのトグロはミルクのように真っ白で、ケーオネチャンのトグロは薄い黄色だ。

それがきっと食べ物だと言うことは、甘い香りから感じられる。

「アーシャ、あ〜ん」

「アーシャちゃん、あ〜ん」

ほぼ同時にゼンとケーオネチャンが透明なスプーンで、トグロを掬って、アーシャの目の前に差し出す。

「……………?」

二人ともニコニコしているのに、何故か纏っている神気が荒々しい。

何だろうと疑問に思いつつも、アーシャは香りに誘われて、ゼンの白いクリームを口の中に入れる。


「!!!!!」

口の中に入ると同時に衝撃がアーシャを襲った。

冷たいのである。

身体中の毛穴が一度全開になってから閉まり、毛が逆立つ感覚がする。

清水とか、ゼンの家で出してもらえる『むぎちゃ』のレベルではない。

まるで厳寒の空気を、そのまま固めて口の中に入れたような、とんでもない冷たさだ。

「〜〜〜〜〜〜〜!!」

その冷たさが口の中で緩んだかと思ったら、固体だったはずのものが、まろやかに溶け、口中に甘美な味を届ける。

「!????」

液体と呼べるほど形がなくなるわけではなく、粘るというほど粘度があるわけではない。

不思議な感触だ。


「んんん〜〜〜〜!!」

それが何かということを解明するよりも先に、その甘やかさと、冷たさの名残に、アーシャは頬を押さえて左右に揺れてしまう。

口を開けるのが勿体無くなく感じて、舌でクリームをすり潰すようにして味わう。

すっかり溶けたそれをゴクンと飲み込めば、冷たさとまろやかな甘味が、喉から体に広がっていく。

「ほぁ〜〜〜」

アーシャはうっとりとため息を漏らす。


これはとんでもなく体に活力をもたらしてくれる素晴らしい物だ。

アーシャは長い長いため息を吐きながら確信する。

体を動かすための力が沢山入っているものは、甘美に感じる。

砂糖なんてその最たる物だ。

長く体を維持できるし、何なら体に溜め込む事もできる。

だからこそこんなに、口が、頭が、胃袋が夢中になってしまうのだ。


「おいしー?」

「『おいしーな』!」

ゼンの質問にアーシャは張り切って答える。

最初は冷たくてびっくりしたが、固体がトロリと溶けて、口中に広がるのが最高だった。

「あ〜〜〜んっ」

そう答えるアーシャの口にケーオネチャンが、黄色いクリームを差し出す。

「んっ!!」

アーシャはそれに勢い良く飛びつく。


「!!!!」

形状が似ているから同じ物だと思ったのだが、それは口に入れた瞬間、濃厚な香りがした。

果物が一番美味しくなる、腐る寸前の、一番熟した時の香りだ。

「んっ!!」

先程と同じように口の中で蕩けるのだが、先ほどはひたすらまろやかであった甘味の中に、果物由来の爽やかでありながら濃厚な味わいが重なる。

(絶対果物の味なのに果物がどこにもないわ!?)

アーシャは口の中のクリームを丁寧に舌で潰してどこかにあるであろう果物の影を探すが、全てが滑らかに口の中で蕩ける。


(果物っぽいけど果物じゃないのかなぁ?)

アーシャは首を傾げる。

そういえば果物特有の酸っぱさも、これだけ完熟を思わせる香りがしているのに、完熟した果物特有の少し舌が痺れるような感覚もしない。

大抵の果物は甘いだけで終わってくれないのに、これはひたすら甘くて美味しい。


冷たい部分を全て舌で溶かして、隅々まで味わって飲み込むと、口の奥から果物の香りが漂う。

「おいしー?」

「『おいしーな』!」

次はケーオネチャンに聞かれて、アーシャは大きく頷く。

ゼンとケーオネチャンは微笑みあって、また二人同時にトグロからクリームを掬ってこちらに差し出してくれる。

「「あ〜ん!」」

二人の息はぴったりである。


アーシャはもう一度ケーオネチャンの差し出した果物の味のするクリームを味わい、それから蕩け始めたゼンのクリームを味わう。

「んふ〜〜〜〜〜!!」

次々にクリームが差し出され、アーシャは天国だ。

口の中がすっかり冷たくなってしまったが、この幸せは止められない。


「ゼン!イズミあね!」

暫くアーシャの天国体験は続いたが、獲物を捕まえる鷲の爪の如き鋭さで、ゼンとケーオネチャンの頭を、ユズルが掴んだことで、終わりを告げた。

「ちび轟興叛廓錬惟たい緩鱒洲蝉我厳桟きだ!!噌而撫方なら俊嵩飯墾森湧社溜擁いたら!磐着誤悠口潔くい憎貼たら虹骸焦賠だろ!!」

早口すぎて何を言っているのかさっぱり聞き取れないが、何だか物凄くユズルが怒っている。

その怒りを受けた二人は何やら気まずそうにお互いを指差しあって、何やら『こいつが悪い』と主張しているように見える。


「???」

怒られてしょんぼりと肩を落とした二人は、それぞれのトグロを、それぞれで食べ始める。

すごく美味しいはずなのに、渋い顔をしている。

「『おいしーな』?」

味が変わってしまったのだろうかと、心配になって二人に問いかけると、二人は途端に相合を崩す。

「「おいしー!」」

外見は全く似ていないが、息の合い方がまるで兄妹のようだ。


「アーシャ、アーシャ、あ〜ん」

ゼンは大きな体で隠すようにしながら、トグロがのっていた茶色の器を折って、こそこそとアーシャの口元に持ってくる。

「?」

器の端っこにはクリームが付いているからそれを舐めろということだろうか。

何故スプーンではなく、器を割ったのだろうと、アーシャは首を傾げる。


しかし拒否する必要など全くない。

アーシャは喜んで迎え入れようと口を開ける。

「!?」

すると開けたアーシャの口に、ゼンは折った器ごとクリームを放り込んでしまったのだ。

「??????」

思わず口を閉めたが、アーシャは呆然としてゼンを見つめてしまう。

ゼンはニコニコといつも通りに笑っている。


「???…………んっ!?」

呆然としながらも、しっかりと器に付いていたクリームを舐め取っていたアーシャは異変に気がつく。

(甘い……!?器が甘い!?)

クリームが付いているから甘いのかと思ったが、よくよく味わうと、クリームの甘さと違う。

こんがりと焼かれたような香ばしさを含んだ、上品な甘さだ。

「……………」

アーシャは恐る恐る器の欠片を噛んでみる。

「!!!」

すると器はあっさりとアーシャの歯を受け入れてしまった。

(これは……焼き菓子!?)

一度二度と噛んでいく度に、香ばしさと甘みが口に広がる。


「『おいしー』……!」

アーシャは驚きに目を見張りながら、ゼンに報告した。

硬いパンを器代わりにしてスープを入れるという話を小耳に挟んだことはある。

スープに浸さないと食べられた物ではないパンを、いちいちスープに浸しつつ食べる手間が省ける合理的な食べ方だ。

一方こちらはどうだろう。

それだけで十分美味しい焼き菓子で、わざわざ器を作り、それだけでこの世のものとは思えないほど、冷たくて美味しいクリームを注いでいる。

必然性もないのに、美味しいに美味しいを重ねるなどと、誰がこんな贅沢で素晴らしいことを考えついたのだろう。


「アーシャちゃん、アーシャちゃん!」

次はケーオネチャンが、ゼンの耳を引っ張ってユズルからの盾にしながら、同じように器の欠片にクリームをのせて差し出してくる。

「あふっ!」

アーシャは遠慮なくそれに飛びつき、今度は最初から器を噛む。

するとまったりとしたクリームがサクサクの器に混ざって、これ以上なく美味しい。

「おいふぃ〜!んんっ、うん!!」

歓声を上げようとしたら喉に詰まりかけて、咳をしながらも、アーシャは頬の上から幸せな口を撫でる。

口の中で湿らせた、しっとりとした焼き菓子も美味しかったが、噛んだらサクサクと割れる子気味良さもクセになる。


夢中で咀嚼して、美味しく胃袋に送り込んでから、アーシャは首を傾げた。

ケーオネチャンが、金属板をずっと目の前に掲げているのが、不思議になったのだ。

(そう言えばさっきから度々その板を掲げていたような……?)

何かの呪いだろうかと、じっと見つめたら、ケーオネチャンは目尻を落として金属板を握っていない方の手をブンブンと振ってくれる。

「?」

何故こんな至近距離で手を振られるのかよくわからないが、何となくアーシャは同じように手を振り返す。

神の国は同じ言葉を返すのが挨拶なので、きっとそうするのが正解だと思ったのだ。


アーシャが手を振りかえすと、ケーオネチャンはますます嬉しそうに頬を緩ませる。

「あ」

そんな嬉しそうなケーオネチャンの後に、瘴気の如く怒りを漂わせた影がかかる。

「なぁぁぁにしてんだぁ?あぁ?イズミあねよぉ?」

鷲の獲物捕獲再び。

顔の造形が綺麗な人は怒ると怖い。

「ひっ!」

頭を掴まれて振り返ったケーオネチャは、怒りの形相を浮かべたユズルを見て、小さく声を上げた。


「そこ、すわれ!」

大きな声ではないのに迫力に満ちたユズルの号令によって、ゼンとケーオネチャンはちょこんと椅子に縮こまったのだった。

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