11.弟ら、呆れる

『最高のヌイグルミを買ってくる』と張り切って行ったのに、悟りの境地のような顔で、フグを買って帰ってきた禅一は、床に倒れた幼馴染を見つけるとすぐに歩み寄った。

「和泉、大丈夫か?」

禅一なら何とかするかもしれない。

そんな根拠のない、無責任な期待だったが、禅一が倒れた和泉の肩に触れたら、事態は変化した。


「「あ」」

譲と慧は同時に声が出た。

涎を溢しながら、半分憑依トランス状態で何事か呟いていた和泉の口から、プランと何かが垂れ下がってきたのだ。

「……うちの弟の口から光るヨダレが……!」

「うん。和泉姉にはそう見えるかもしれないけど、あれは……蛇だな」

神霊の類はあまり正確に見えない慧にツッコミを入れつつ、譲は事態を見守る。


「……ねぇ、禅が連れてる子、性格見た目ともに蛇っぽい蛇憑きの弟に近づけて大丈夫?アタシが抱っこしておこうか?」

慧は禅一とともに和泉の隣に立つアーシャを見つめている。

「いや、あのチビは禅とセットにしておいてくれ」

アーシャを見た時から、慧からは構いたいオーラが出ていたが、譲は気が付かないふりで流す。

ついでに、弟の方は陰気なだけで、蛇っぽいのは、どちらかと言えば慧の方なのだが、その辺りも譲は突っ込まない。

「……そっか」

クールぶっているが、実は禅一に負けないくらい可愛いもの好きな慧は、抱き上げようとスタンバイさせていた両手をしょんぼりと下ろす。


そんなやりとりをしている間に、和泉の体から何とか這いずり出た蛇は、禅一に助けを求めるように尻尾を持ち上げ、途中で力尽きてダランと和泉の口にぶら下がる。

慧が危険を理由に抱っこしようとしたアーシャは、緑の目をまん丸にしてその様子を観察している。

彼女の目にも輝く蛇は見えているらしい。


幼いという事は畏れを知らないという事だ。

「うわ………」

譲にはとても神霊に触れようとはいう気にならないが、アーシャはあっさりと和泉の口から垂れた蛇の尻尾を掴もうと試みる。

しかし流石に不思議っ子なアーシャにも、それを掴んで取り出すという離れ技は出来ないらしく、光の中を、手がむなしく通過していく。


(禅一に近寄って行こうとする、この感じ……どっかで見た事あるんだよなぁ)

どうやってこの神霊を引き摺り出すべきかと思案しながらも、譲は既視感に首を傾げる。

そんな考え込む譲の視線の先で、決意を込めた様子で、アーシャがスクッと立ち上がる。

座っていても立っていても、大してその高さに変化を感じないのだが、彼女は精一杯背筋を伸ばして、禅一に向き直る。

「ゼン、ゼン」

それからそう声をかけて、『この子は頼んだ』とばかりに、どこを見ているかわからないフグのヌイグルミを、禅一に託す。

「ん?」

突然、リアルな魚類を預けられた禅一は意味がわからず、戸惑っている。

それでも託された以上、深淵の世界を見ているような目のフグを、大切に抱っこしてしまうのが、禅一の良い所だろう。


シャランとアーシャが構えた錫杖が鳴る。

「え………」

体こそ小さいが、堂々たる構えを見せたアーシャに慧は目を見張る。

アーシャが構えた瞬間に、場の空気が変わった。

スッと大きく息を吸う音がして、シャンシャンと確認するように錫杖を鳴らされる。

そして澄み切った声が狭い建物内に響く。


「和泉姉、信じられないかも知れないけど、あのチビはかんなぎだ。神道の巫とは違うが、舞と歌で………」

その辺りは説明しておいた方が良いだろうと、譲は口を開いたが———

「……姉、俺は今、結構重要な話を伝えようとしているんだけど……」

「しっ!」

慧は超高性能カメラが組み込まれた最新式のスマホを構え、真面目な顔で動画の撮影を開始していた。

しかも棒立ちでの撮影ではなく、倒れた弟や、それに寄り添う禅一が映らない場所に素早く移動し、片膝をついて、アーシャが最高に綺麗に映るであろう角度からの撮影だ。

譲に向かっても映り込むなとばかりに、シッシと手が振られる。


「……………………」

譲は頭を抱える。

彼女は普段はとても頼りになる姉貴分なのだが、趣味嗜好に合致する事態が発生すると、そっちに夢中になってしまう。

そして中々帰ってこない。

高々とアーシャが歌う声に、慧はいつもの眠たそうな目つきが嘘のように、キラキラと輝かせて、撮影している。

地面に染み込む水を逆再生したかのように、地表に滲み出す氣の存在にも気がついていない様子だ。


(まぁ……夢中になる気持ちがわからないでもない)

筋肉がついていないので動きは拙いが、あの小さい生物が、しっかりと歌いながら踊ってるのは凄い事だと思う。

慧の目には、噴き上がる氣や、それらを集めて球状にした上で、スルスルと紐状にほどき、身に纏う姿がどう映っているのかはわからないが、譲から見ると圧巻だ。

こんなに小さな子供が、どうしてこんなに巧みに氣を操ることができるのかとか、どこでこんな方法を覚えたのかとか、疑問は尽きないが、歌声にのって広がる氣は、純粋に綺麗だ。


アーシャがどう言う意図をもって、氣を紐状にしたのかはわからないが、何となく悪くなる事はしないだろうという、妙な信頼感がある。

目を輝かせて撮影する慧や、『うちの子可愛い!』みたいな顔で見ている禅一に倣うわけではないが、譲はアーシャの舞踏を見守る。


(神霊に氣を送るのか)

確かに神霊は意思を持った氣の塊のような存在だ。

回復させようと思えば、それが正しい気がする。

「あ……あわわっ!!」

アーシャは光の紐を和泉の口に送り込んだのだが、それが蛇に繋がった途端、猛スピードで糸巻きが開始され、驚いたアーシャの歌が途切れる。


最早虫の息で、消滅する一歩手前だった神霊が、水を貪るように氣を吸い込んでいく。

アーシャの周りを覆っていた光の筋はあっという間に貪られ、あっという間に錫杖に繋がる最後の一筋だけが残される。

「あっあっあぁぁぁぁぁぁ!?」

慌てたようにアーシャが錫杖を引き、光の糸で繋がった蛇の神霊が引っ張られる。


「……カツオの一本釣り……」

呆然としたように撮影に夢中だった慧が呟く。

まさしく、その様子は一本釣りだった。

幼女が錫杖という竿で、氣の糸を引き、輝く獲物ヘビを、和泉の体から釣り上げている。


「「「あ」」」

そして釣り漫画のような豪快さで、ピチピチ動く蛇型の神霊を、見事引っこ抜いてしまった。

神霊はその反動で、天井付近まで舞い上がる。

「?」

みんなの様子を見た禅一も天井を見上げるが、やはり何も見えていない様子だ。


打ち上げられた蛇は美味しそうに氣の糸を丸呑みにして、自分の下にいる禅一を見て、嬉しそうに体をくねらせる。

蛇には涙腺なんて存在しないはずなのに、熱く禅一を見つめる赤い瞳は潤んでいるかのようだ。

(んんん?)

その様子が更に譲の記憶に引っかかる。

禅一を見るだけで、こんな風に嬉しそうにしていた奴がいた。

そう思うのだが、現実に見えている蛇の姿が、記憶を手繰り寄せる邪魔をする。


「「「あ」」」

譲、慧、アーシャの声が再び重なる。

そのまま感動の顔面着地になるかと思いきや、禅一の懐から、超圧縮された氣が雷の如く空気を切り裂き、喜色満面の蛇を貫いてしまったのだ。

(……蛇も白目を剥くんだ)

あまりに容赦のない攻撃で、譲の脳みそは現実逃避するかのように、そんな事を考える。


赤い目が光を失って、墜落を始めたところに、もう一度懐からの雷が走る。

今度は大きくしなり、その横っ腹に一撃が打ち込まれた。

バレーで言うところの見事なアタックだ。

無抵抗で吹っ飛ばされた蛇は、禅一が持っていたフグの中にスポンと入ってしまう。


「「「………………」」」

あまりに容赦がない。

攻撃を仕掛けたのは、禅一が篠崎から借り受けた懐剣だ。

人が作った、付喪的に言えば赤ちゃんと言って良いほどの新人が、神霊をこんなにも思い切りぶっ飛ばしてしまって良いのだろうか。

(てか、篠崎、マジでやべぇモン作りやがるな……)

神霊を害した罰が与えられるなら、懐剣自身か、仮の持ち主の禅一か、作り主の篠崎か、一体誰になるのだろう。


「えっと……ごめん、アタシの目では何が起こったのか良くわからんのやけど……何か愚弟から光の塊が出てきて、空中で何かに貫かれて、禅に触れる直前に弾かれたような………」

全く事情を知らない慧は、禅一に訝しむような眼差しを向ける。

見えざる世界を全く感知できない、自分の意思で力を使いこなすことができないはずの禅一が、一体何をやったのかと、怪しんでいるのだ。

「それに……めっちゃ可愛いダンスご馳走様だったんだけど……神霊を一本釣りにしてたよね?この子」

冷静に戻った慧は、弟から神霊を引っこ抜いたアーシャにも、戸惑いの視線を向ける。


もっともな質問に、譲は咳払いを一つする。

「え〜〜〜っと、まず、今出てきたのは蛇型の神霊で、それを攻撃したのは禅の持ってる懐剣だ」

「へ?篠崎の懐剣?」

譲に指差された禅一は、全く状況を飲み込んでいない顔で、コートの上から、たった今、暴挙をやらかした懐剣を押さえる。

一方、篠崎の名前を聞いた慧は、『納得した』とでもいう表情になって頷く。

そっと彼女が耳に触れたのは、そこに篠崎が作ったピアスやイヤカフがついているからだろう。

見えざる世界での商売をする彼女は、ギリギリの所でも生還できるように、篠崎が作った装飾を『安全装置』として使っているので、彼が作った物の異常な効能をよく理解しているのだろう。


「攻撃した理由は……見えざる者同士の縄張り争い……みたいなものかと思ってる。……それか単なる新人イビリ」

気にしないようにしていたが、容赦なく神霊を攻撃した懐剣は、更に威嚇するように、神霊が入ったフグに追撃を仕掛けている。

「なるほど……縄張りか……」

気の毒そうに、慧は禅一とその腕の中のフグを見つめる。

「ん?」

慧にじっと見つめられた縄張りぜんいちは、意味がわからないという顔だ。

争われている本人が全く気付いていないから、これ以上ない不毛な争いだ。


「で、このチビは色々あって禅が引き取ったんだけど、今見たように巫の力がある。このチビさだし、言葉が一切通じないから、力の詳細は全然わかんねぇんだ」

譲が指差した先で、アーシャは倒れたままの和泉を面白そうに観察している。

一体何がそんなに面白いのか、ふんふんと一人頷きながら観察している様子はただの子供だ。


「ふふ……アンタらが夢中で虫を観察していたのを思い出すよ」

その様子に慧が微笑ましそうに目を細める。

慧は弟を含め、禅一、譲の保護者のように過ごした日々に想いを馳せているようだ。

「………観察されているのは、虫じゃなくて、そちら様の弟ですけどね」

譲はそんな彼女に突っ込まずにはいられない。


「………うぅ………」

すると折良く和泉の目が開く。

「……………」

「……………」

「……………」

意識が戻ると同時に、見慣れない幼児に覗き込まれている様子にギョッとして、和泉はわかり易く動揺する。

普通の人間なら、アーシャに声をかけるなり、周りの三人に声をかけるなりするのだろうが、和泉はオドオドと、硬直したまま視線を彷徨わせる。

そして散々戸惑った挙句、私は起きていませんでいたとでも言うように、和泉はソッと目を閉じる。

「あ、寝たふりに逃げた」

「幼児を寝たふりで回避するとは……」

和泉の様子を観察していた譲と、禅一は、彼のあまりに消極的な選択に驚く。


「うちの弟の弱さを舐めるなよ。老若男女関係なく、全てに怯える弱さだ」

何故か慧は胸を張る。

「流石に赤ちゃんには怯えないと思ったが……」

「相手を歳や見た目で差別しない、出来た弟だろう」

「無差別に怯えるのを出来たというのか……?」

姉にも幼馴染にも助太刀してもらえない和泉は、しっかりと目を閉じたまま、バレバレな狸寝入りを続行している。


明らかに起きているのに、目を開けない和泉を、アーシャは不思議そうに見つめている。

そして生存確認をするように、人差し指で和泉の頬に触れる。

「わっ」

瞬間、陸に上げられたマグロの最期の足掻きのように、ビクンっと跳ねた和泉に、アーシャは驚きの声を上げる。

既に意識があることは明白なのに、触れられた動揺で、額に汗を滲ませながら、和泉は必死に寝たふりを続行する。


「アーシャ、アーシャ」

そんな和泉に興味津々な顔で、アーシャがもう一度つつこうとするのだが、流石に可哀想になったのか、一番近くにいた禅一がそれを止める。

「あっ……」

そんな禅一を見上げたアーシャは、彼の腕の中で継続的な新人いびりにあっているフグの存在に目を止める。

「ゼン、もちもち」

憐れむような顔つきになったアーシャは、そう言って、フグを渡せとばかりに両手を広げる。

そして渡されたフグを慰めるように撫でる。


「アーシャはフグがすごく好きみたいなんだ」

禅一にはヌイグルミを可愛がっているようにしか見えておらず、微笑ましそうに笑っている。

(多分、フグを撫でているわけではない)

(うん。絶対違う)

慧と譲は視線を合わせて、首を振り合う。


そんな事をやっていたら、自分から注意が離れたことを察した和泉が、その存在感の無さを遺憾無く発揮して、カサカサと立ち上がり、一番守ってくれそうな禅一の陰に隠れる。

正しい判断だ。

「アーシャ、いずみ。い・ず・み」

慧と譲なら和泉の首根っこを持って前に押し出す所だが、禅一は少しだけ振り向いて、隠れたままの和泉の肩を軽く叩きながら、アーシャに紹介する。


ウンウンとアーシャは和泉を見ながら頷く。

「いじゅに……いじゅ……いじみ」

そしてブツブツと発音の練習をしてから、和泉に人懐っこい笑顔を向ける。

「イジミ、アーシャ」

「うぐっ、かわわ………!!」

アーシャの自己紹介に胸を押さえたのは慧で、肝心の和泉は小さく頭を下げながら、完全に禅一の背後に隠れてしまう。

禅一や譲に慣れるのにも一年くらいかかった和泉なので、初対面ではそれが精一杯だったのだが、そんな事情を知らないアーシャは、逃げられてしょんぼりと肩を落とす。


「アーシャちゃん」

そんなアーシャににじり寄るのが、姉の慧だ。

うっとりとした妖しい笑みを唇にのせながら、アーシャの隣にしゃがみ込む。

「け・い・おねぇちゃん」

そして自己紹介しながら、期待に満ちた瞳でアーシャを見つめる。

「お姉ちゃんって柄じゃねぇよな」

「和泉姉で良いのに」

うるさい外野など彼女の耳には入っていない様子だ。


「けーおねちゃん?」

アーシャは慧の期待通り、舌足らずな幼い声で彼女の名前を呼ぶ。

瞬間、彼女の周りに咲き乱れる椿の花の幻想が見える。

恍惚とした笑みを浮かべ、慧はアーシャを抱きしめる。

「けーおねちゃん、アーシャ」

そんな彼女の腕の中でアーシャが自己紹介を返す物だから、慧は激しくヘッドバンキングするように頷きまくる。


「あ〜〜〜なんなん、こん子可愛いかぁぁぁ〜〜〜〜〜」

姉の魂の叫びに、同い年の幼馴染三人組は視線を交わす。

「姉、お国言葉が丸出しになってんじゃん」

「相変わらず、興奮すると訛り全開だな、姉」

「姉ちゃん、ずっと妹欲しがってたから……」

弟たちの冷たい視線に気付く事なく、慧は気が済むまでアーシャを撫でまくっている。


「………じゃ、そう言う事で」

しばらくすると、突如として冷静さを取り戻したような、無駄に凛々しい顔をして、慧は颯爽と歩き始める。

「ちょ!」

「和泉姉!!」

その後を弟たちは慌てて追いかける。


幸い小柄な彼女は、子供を抱えてそれほどスピードを出せないので、弟集団はすぐに追いつく。

「姉ちゃん!いつも無茶苦茶だけど流石に誘拐は……!」

「誘拐じゃない!禅と譲はアタシの弟みたいなもん!よってその妹はアタシの妹!」

弟に説得を受けても慧は諦めが悪い。

屁理屈未満な事を喚きながらアーシャを手放さない。

持ち帰る気満々だ。


「………和泉姉、そのチビは昼ごはんをきっちり食ってねぇんだ。何かここで美味いもん食わせねぇ?」

持ち帰った所で、どうせ家はお隣なので奪還は簡単なのだが、一度クールダウンさせたい。

譲の甘言に慧の歩調は緩む。

「ここは色々食い物があるから、チビは喜ぶと思うんだけどな〜」

そこに更に譲は餌を撒く。

「良いな!俺、アイスクリーム食べさせたかったんだよ!姉、フードコート寄って行こう!アーシャは何でも旨そうに食べるからホント可愛いんだ!」

禅一は何の悪気もなく、だらしない笑顔でのっかる。


「…………悪くない。うん。悪くないな。よし、アーシャちゃん、慧お姉ちゃんと美味しいの食べようね〜〜〜」

慧は足取り軽く、店の方に歩き始める。

その隣を同じように浮き足立って禅一が歩く。

「………色々聞きたい事はあるんだけど」

「だろうな」

「あの二人は、何で幼女の餌付けに、あんなに食らいついてんの……」

「………それは、俺に聞くんじゃねぇ」

残された弟組は深いため息をこぼしたのだった。


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