10.聖女、大物を引っこ抜く

そういえば、神の国に来て、魔法使いを見たことがなかったな、と、アーシャは目の前に転がっている人を見て気がついた。

魔法使いが使用する力の根元である魔素は、『神々の門』から供給されるほか、瘴気を消し去らないように浄化する事によって生み出すことができる。

しかしここでは魔素放出も、魔素創造も見かけないから、その存在を忘れ去ってしまっていた。


魔法使いの特徴は、神官や聖女で言うところの神気の代わりに、瘴気に似た、オーラというものを纏っているという事だ。

魔法使いのオーラが瘴気の気配に似れば似るほど、高濃度の魔素を体に取り入れる事ができることから、『魔力が高い』と評される。

(私の国の基準で行くと、この色の濃さは凄く魔力が高いのに……オーラが殆ど外に放出されてない)

アーシャは目の前で、床に倒れている男性をしげしげと見つめる。

魔力が高ければ高いほど、オーラが体の周りに大きく広がり、周囲の魔素を吸い込むのだ。


体調が悪いのか、倒れている魔法使いの男性は、口から涎を垂らしていて、何かを細々と呟き続けている。

魔法使いなのに、飢えて倒れたのかと思うほど細く、頼りない体つきだ。

魔素は取り込みすぎると、魔力に主導権を取られる『魔力暴走』が起こり、制御不能になって、最悪の場合は死に至る事があるため、魔法使いたちは何よりも質の良い栄養を摂ることに拘り、どんな戦場でもしっかりと体を休め、自身の心身の力を損なわないように気をつける。

強大な力を操るためには、鋼のような精神と、健やかな体が必要なのだ。


(栄養不足で魔力にとって食われたんじゃないかしら……)

アーシャは心配して、倒れた男に近づく。

魔法使いは貴族出身の者が殆どだ。

それは強い力を持つ者が、発言権を得てきたという歴史のせいもあるだろうが、貧民では日々の生活に追われ、魔力に負けない体を作ることが出来ずに、魔力に食われてしまうのだ。


一度魔力に取り込まれてしまった者たちは、神官や聖女の浄化の力でしか救えない。

浄化は魔力と正反対の力なので、それを行うと魔力は大幅に削られる。

魔力持ちは貴重だが、庶民に生まれる魔力持ちは、治療すれば消えてしまう程度の魔力しかないので、教会は魔力に食われた庶民を積極的に救おうとはしない。

庶民が魔力に食われると言うことは、そのまま死を意味する。

治療してもらえるのは、教会に対価を支払える者だけなのだ。


因みにアーシャは『魔力暴走』の治療を任された事はない。

瘴気を綺麗さっぱり消し飛ばす、加減のできない浄化しかできないせいだ。

魔力持ちの魔力も、綺麗さっぱり消し飛ばすと思われていたのだ。

(まぁ、事実、消し飛ばしたけど)

その点に関して、教会の判断は正しかったことをアーシャは知っている。

兵士に魔力持ちがいて、疲労したところを魔力に食われたのを、こっそりと治療したら、綺麗さっぱりその魔力を消滅させてしまったのだ。

兵士にとって魔力は厄介な物だったらしいので、笑って許してくれたが、職業魔法使いにやったら、間違いなく人生を丸潰しにしてしまっただろう。


「いずみ、だいじょーぶか?」

倒れた男性を見つめるアーシャの隣に、ゼンがしゃがみ込む。

どうやら倒れている男性と、ゼンは顔見知りらしい。

心配そうにゼンは男性の肩に触れる。

「んん?」

じっと彼を見ていたアーシャは目を見開く。

ゼンが男性に触れると、呼応するように、その口から弱々しく、涎と共に何かが這い出して来たのだ。

最初舌が出て来たのかと思ったが、ヨタヨタと出てきたそれは、白く光り輝いていた。


這い出てきた白くて細長いものは、ぐぐぐっとゼンが置いている手に向かって、その体を伸ばす。

しかし持ち上がり切る前に力尽きて、男の口の端にブランとぶら下がってしまう。

そしてゆっくりとその輝きが消え始める。

「んんん?」

形状から寄生虫の類かと思ったが、そっと手を伸ばしても掴めない。


———タス……ケ……


しかし掴めなかった代わりに、光を手が通過した時に、切ない声が伝わってきた。

(あれ?)

空気の振動を伴わない声に、アーシャはもう一度光に触れる。


———キエ……テ……シマ……ウ


すると、やはり声が頭に直接届く。

(この声はさっきの夢の主?)

もしかしてアーシャの夢に助けを求めに来たのだろうか。


(でも触れられないしなぁ……見た感じ神気を纏っているから……聖獣……かな?)

残念ながらアーシャは伝え聞いた事がある程度で、聖獣がどんな物かよく分かっていないので、予想することしかできない。

気絶した男性の口からダランと生えている情けない状況を見ると、聖獣と言いたくない気分になるが、意思を持った神気の塊なので、恐らくそうなのだろう。


(とりあえずから出さないと、どんどん弱りそうだよね)

魔力と神気は相反する力だ。

魔力が強い人間に、神気の塊が入ったら、どちらかが消えるまで力を削り合うと、わかりそうな物なのに、何故、魔法使いの体になんか入ってしまったのだろうか。

もしかしたら事故で入ってしまったのかもしれないが、聖獣であれば、こんなに弱る前に何とか抜け出せなかったのだろうかと、疑問に思ってしまう。


「ゼン、ゼン」

心配そうに男性を見るゼンの手に、アーシャは買ってもらった『もちもち』を押しつける。

「ん?」

突然『もちもち』を渡されたゼンは、受け取りながらも、キョトンとした顔になるが、説明している時間はない。


アーシャは錫杖を構える。

(この男性の魔力を損なわないように、聖獣を消さないように……)

果たしてそんな細かい芸当ができるのだろうかと、自身を疑いながらアーシャは息を吸い込む。

(まずは引き抜く前に、消えてしまわないように神気を注ぐ)

この地には問題ない量の力が溢れている。

それに最近はゼンの神気が体に馴染んできたので、いざとなれば少しづつ体の中に取り入れられる。

神気の補給に関して問題はない。

問題は神気を注ぎ過ぎて、男性の魔力を消し飛ばさないようにする事だ。


アーシャは高々と声を出す。

するとその声に反応するように地面から、ジワリと神気が染み出してくる。

錫杖を振り上げると、染み出した神気が、逆さに振る雨のように、細かく無数に舞い上がる。

それらをくるりと回転してアーシャは束ねる。

(少しづつ……少しづつ……)

綿花から糸を紡ぎ出すように、束ねた神気を声と錫杖で細く撚っていく。


(んんん〜〜〜)

しかしやはり細かい作業は上手くいかない。

子供が初めて作った毛糸のように、神気はガタガタな太さになってしまった。

(ま、まぁ、不格好でも上手に注げば……)

この後の展開が読めるような事を考えつつ、アーシャは男性の口からぶら下がっている物体に、神気の糸を注ぎ始める。


(あっ……)

いつもの感覚で注ぎ始めたのに、あまりの速さで吸い込まれていく神気を見て、アーシャは焦る。

神具たる錫杖を持っているのだから、もっと控え目に入れ始めるべきだったと焦っても、もう手遅れである。

「あ……あわわっ!!」

男性の口から垂れ下がった物が、急激に輝きを増し、あっという間に輪郭を取り戻す。

このままでは男性の魔力を消し飛ばしてしまう。


アーシャは慌てて神気の糸を切ろうと錫杖を引っ張り戻す。

「あっあっあぁぁぁぁぁぁ!?」

しかしその糸に、力なく垂れ下がっていた物が絡みついた。


男性の口から垂れ下がっていたのは、蛇の尻尾だった。

そう理解した時には、スポンという感触と共に、アーシャが慌てて引っ張り戻した神気の糸に絡みついた蛇が、男性の体から抜けて宙を舞っていた。


「「「あ」」」

その場にいたアーシャを含めた三人の声が被る。

「?」

一呼吸遅れて、皆が見上げた頭上をゼンも見上げる。

しかしゼンには何も見えていない様子で、不思議そうな顔をしている。


天井付近まで打ち上がった蛇の聖獣は、アーシャの紡いだ神気の糸を最後まで美味しそうに飲み込むと、自分を見上げるゼンに、嬉しそうに尻尾を振って加速をつけて落ちていく。

蛇は無感情だと思っていたのだが、赤い目が柘榴石のように煌めいていて、喜んでいるのだろうと感じ取る事ができた。

ゼンの方は全く何も見えてない様子で天井を見つめているので、視線は合っていないが、一見、感動の再会に見えないこともない。


「「「あ」」」

再び、その場にいたアーシャを含めた三人の声が被った。

感動の抱擁……と言うか、顔面接触になるかと思われた直前、ゼンの胸元から激しい閃光が走り、蛇を直撃したのだ。


「「「あ」」」

白く輝いていた蛇は、閃光に貫かれた瞬間、硬直して、力無く自由落下を始めた。

それでも一応は顔面接触できるかと思われたが、ゼンに触れる直前に、今度はバチンと横から閃光が走り、蛇は弾き飛ばされる。

そしてスポンと彼が持っていた『もちもち』の中に入ってしまう。


アーシャはゴクンと唾を飲み込む。

(ゼンの神具……容赦ない)

アーシャがゼンに触れるのは許容していたのに、何故か蛇は許されなかった。

新参者だからだろうか。


「「「………………」」」

アーシャを含めた三人は無言で『もちもち』を見つめる。

『もちもち』の眉間からツノのように突き出ている蛇の尻尾は微動だにしないが、輝きは失われていない。

(生きている……?いや、消えてないって言えばいいのかな……)

アーシャは首を傾げながら、ユズルともう一人の少女を見る。

ユズルは呆れたような顔で『もちもち』を見つめ、少女はアーシャと同じように首を傾げている。


「えっと……ごめん、あた翰迅励術わ標環秀煙於たのか回幌わから糊騒や畢低……杷随堆間から苛問炉棲貢きて、舗茜披霞かに誤書噺采、淑脂噺債陛億初逗侭かれた沿変款………」

少女は思ったよりも低い、大人の女性のような声でユズルに何事か話しかけている。

それに対して、ユズルは何かしらの返事をしている。

(可愛らしい子だなぁ)

アーシャはユズルと話す少女を観察する。


やはり神の国では女性の短髪はよくある髪型のようで、彼女の柔らかそうな茶色の髪は耳が隠れる程度の長さに切り揃えられている。

伏せたまつ毛は黒々としていて長く、大きな黒い瞳と重なり、よりその目を美しく彩っている。

アーシャのいた国にはない、異国情緒溢れる、この国ならではの美しさだ。


(ん……?)

髪でほとんど隠れているが、よく見ると、少女の耳には幾つも装飾が付いている。

見ただけで効果がわかるわけではないが、そのどれもに何らかの特別な力が込められているのは何となく感じる。

(魔女……には見えないけど……何かまじないをする子なのかな。神気を纏ってるから魔法使いではありえないし……)

そこまで考えて、ハッとアーシャは床に転がしたままの魔法使いを思い出す。


途中で慌てて中断したが、随分と神気を注いでしまったので、魔力がなくなってしまったかもしれない。

「…………しゅごい」

そう思って恐る恐る覗き込んだが、驚いた事に、相殺する存在を引っこ抜いた直後なのに、彼の体は仄暗いオーラに綺麗に包まれていた。

先程まで消えかかっていたとは思えない量だ。


通常、魔力を削られてしまうので、聖女たちの癒しを受けない魔法使いだが、瀕死の重傷を背負った時は背に腹は変えられぬと応急処置を受ける。

神気による癒しを受けると、魔力の質が落ちるし、オーラが戻るのにも月単位の時間がかかる。

それなのに、内部から神気に晒されていたはずのこの人は、全く影響を受けていないかのように、既にオーラに包まれている。


(もしかして、凄い大魔法使いなのかしら)

アーシャは珍しい男を観察する。

歳は成人したてくらいで、とても老練の魔法使いなどとは言えない。

危機を脱しても、肌の色は大して良くないし、目の下には皺かと思うほど深いクマが刻み込まれている。

髪はもっさりと伸びており、それほど整えているようには見えない。

アーシャの国から見ると、かなり上質な布の服を着ているが、ゼンやユズルが着ているものから比べると、少々草臥れているような気がする。

(失礼ながら、大魔法使いにしてはお金を持ってなさそうというか……『こちら側』っぽいなぁ)

同じ庶民の香りがビンビンと感じられる。


「………うぅ………」

アーシャが観察していると、半目で白目を剥いていた目が開かれた。

上の方に行っていたらしい、やたらと小さな黒目がぐるりと戻ってきて、アーシャと目が合う。

「…………………」

「………………?」

二、三度瞬きしてから、小さな黒目が細かく左右にぶれ始める。

アーシャを見ては地面を見て、地面を見てはアーシャをチラッと見て、目があったらすぐに地面を見る。

「???」

不思議な動きをした挙句に、その目はそっと閉じられる。


瞼がピクピクと動いているので、気絶したとか、眠ったとかではないと思われる。

「…………?」

どうしたのだろうとアーシャはそっとその頬に触れてみる。

するとビクンと男性の体は震える。

「わっ」

あまりに大きく動いたのでアーシャは少し驚いてしまう。


アーシャは驚いて手を離してしまったが、男性の寝たふりか死んだふりかは続行するようで、汗を額に浮かべながらも、目を開けない。

「???」

もう一度触れてみようと、アーシャは手を伸ばす。

「アーシャ、アーシャ」

その伸ばした手が男性に触れる前に、アーシャの手はゼンの大きな手に包まれる。

ゼンを見上げると、彼は苦笑して、首を振っている。


「あっ……」

その腕に抱かれた『もちもち』には、ゼンの懐から湧いてくる、ピリピリとした神気が突き刺さっている。

「ゼン、『もちもち』」

ビクンビクンと痙攣している、眉間から生えた尻尾が気の毒で、アーシャはゼンから『もちもち』を回収する。

ゼンから離されると、ようやくその懐からの追撃は消える。

(新人いびりなのかな……)

ヨシヨシと眉間から突き出ている尻尾を撫でると、か細い泣き声が頭の中に響く。

目を離している間に、かなりいびられたようだ。


アーシャが慰めるように『もちもち』を撫でている間に、大魔法使いかもしれない男性は立ち上がり、口から垂れていた涎も拭っていた。

「アーシャ、いずみ。い・ず・み」

大きなゼンの背後に隠れるように立った男性の肩を、ポンポンと叩きながら、ゼンが紹介してくれる。

「いじゅに……いじゅ……いじみ」

中々発音しにくい名前なので、アーシャは何度か発音の練習をする。

「イジミ、アーシャ」

そしてアーシャも自己紹介を返す。

友好的に微笑みかけたつもりなのだが、イズミはアーシャの方を見ようともせずに、小さく頭を下げて、そそそっとゼンの背中に隠れてしまう。

「……………」

初っ端から神気を注いだりしたので、少々印象が悪かったようだ。

神の国に来てから、友好的な人たちばかりだったので、避けられてしまって、アーシャは少しばかり気落ちする。


「アーシャちゃん」

俯いたアーシャの隣に、先ほどの少女が謎めいた微笑みを浮かべながら、しゃがみ込む。

「けーおねーちゃん」

そう言いながら、彼女は目を細めて、自身を指差す。

「けーおねちゃん?」

そう聞き返すと、彼女はウンウンと頷く。

そしてスボっとアーシャの脇の下に手を突っ込んだかと思うと、抱き上げて、ギュッと抱きしめる。

こちらは凄く友好的な人のようで、嬉しくなってしまう。


「ケーオネチャン、アーシャ」

自己紹介を返すと、彼女はまたウンウンとまた頷きながら、ギュッと抱きしめて密着してくる。

「あ〜〜〜なんなんこんこかわいかぁぁぁ〜〜〜〜〜」

頭や体を、抱っこしている手が撫でまくってくれる。

少し冷たい、細くて柔らかい手が気持ち良い。



「………じゃ、そーゆーことで」

アーシャを満足するまで撫でまくった少女は、キリッとした顔でそう言うと、アーシャを抱えたまま、唐突に大股で歩き出す。

「ちょ!」

「イズミあね!!」

そんな彼女の後を、ユズルとゼンが慌てて追いかけてきて、一行はその場を後にしたのだった。

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