9.次男、幼馴染を引き摺り出す

世の中の人間は大なり小なり氣を帯びている。

氣の色や形状は、人それぞれに様々な個性があるように、十人十色だ。

そして個性と同じく、大体は長く一緒にいる相手に似ていったり、修験などによって故意にその質を矯正する事もできる。


そんな中に、性質が全く変わらない氣も存在する。

仄暗く、光を吸い込む、まるで穢れが憑いているように見える氣がそれだ。

数は多くない。

百人に一人いるかいないか程度だ。


その氣は見た目こそ禍々しいが、それ自体には問題はない。

個性と同じく、少しばかり陰気な奴がいるという程度だ。

しかし陰気な奴を虐めようとする馬鹿が出てくると日常生活に支障が出てくるように、ここに穢れが関わってくると、弊害が出てくる。

いわゆる憑依体質とでも言えば良いのか、そのような氣を持つ人間は、知らず知らずのうちに、穢れを引き寄せ、体に取り込んでしまうのだ。

穢れは本人にも周りにも厄災を撒き散らす。


幼いうちは氣が弱く、引き寄せる力も小さいので、それ程大した禍事は起こらない。

しかし成長に伴い、氣が充実し始めると、それに応じた物を引き寄せ始める。

その引力が強くなりすぎると、自分にも周囲にも怪異を引き起こしたり、理不尽な不幸を引き寄せたりしてしまう。


そんな不幸な氣を持つ、小学校からの友人が譲たちにはいる。

「で、今回は何に取り憑かれたわけ?」

話についてこれない禅一を適当な理由で追い払った譲は、隣の女性に尋ねる。

隣の女性、和泉いずみけいは深々とため息を溢す。

「それがわからないんだ」

譲たちの幼馴染の姉である彼女は、彼らより五歳年上の二十四歳なのだが、見た目はまだ十代のようだ。

いわゆる童顔なのだが、その横顔に甘い雰囲気は一切ない。

近寄りがたい、近づいたら何かが起きてしまいそうな妖しい空気を持っている。


「わからない?和泉姉が?」

譲はにわかに信じられなくて、目を見開く。

「『視える』のチャンネルは人それぞれやからね。そこにある物は同じでも、どう視えるかは受信機の性能次第。元々アタシの目は悪霊特化型だ」

慧は自分の目元をチョンチョンと指差す。

「……じゃあ、悪霊ではない、って事か?」

譲は眉間に皺を寄せる。


「それがわからん。何か入っとるみたいやったから応急処置をして、よう視ようとしたら、逃げられた。だから万能型のアンタに、とっ捕まえて見て欲しいんよ」

深刻そうな顔で腕組みする慧に、譲は更に眉間の皺を深くする。

「乗っ取られてるのか?」

「完全には乗っ取られとらん。アイツも取り憑かれ慣れとるから早々主導権は渡さんよ。でも思考にかなり食い込まれとる」

「和泉姉から逃げられると思ってるくらいだから、かなり食い込まれてるんだろうなぁ」

譲は嘆息する。

目の前の、一見か弱くみえる小柄な女性は、蛇もかくやというほど執念深く、目的を達成するためなら手段を問わない。


「………何、この蟻地獄みたいな悪質な結界」

一見するとただの水滴の跡のような物が、トイレ用の建物をぐるりと囲っている。

ジッと見ると、外から内に力が流れており、入ったが最後、出られないようになっている。

「『ただの人間』は普通に出られる。出られないのは、人間じゃない奴だけだ」

行きはよいよい帰りは怖いとはよく言ったものだ。

に取り憑かれた人間は簡単に中に入れるし出られるが、は入ったが最後。

人間に憑いたまま外に出ることは出来ず、トイレに留まる。


「……新しい心霊スポットを気楽に作るような真似はどうかと思うよ」

譲が苦言を呈すと、慧はうっすらと微笑む。

「後で禅をトイレに行かせれば、万事解決だ」

禅一ほどの強力な氣の持ち主が入れば、結界は壊れるし、中に溜まった穢れあくりょうたちも一掃される。

合理的な後処理だ。


「この結界から出てこれないってことは、やっぱり悪霊なんじゃねぇの?」

「う〜〜〜ん………それが良くわからんから、譲に見てもらおうと思って」

少し困った顔で慧は首を傾げる。

「閉じ込めようと思って結界を張ったわけじゃねぇの?」

「悪霊なら落ちる。悪霊じゃなかったら落ちない。見分けがつかんから、これで何とか見分けようと思ったんだ……が、あの野郎、トイレで粘りやがって……流石にレディが男子トイレに踏み込んだら社会的に死ぬから、どうしようかと思ってたら、ナイスタイミングで二人から連絡が来たんだ」

慧は小さく微笑んで、『あとは頼んだ』とばかりに譲の背中を叩く。


任された譲は渋々トイレに入っていく。

男子トイレは入り口に辿り着けば、すぐに全体を見通せる。

閉まっている個室は一つだけだ。

「…………?」

まずここで間違いないだろうと思うが、その扉を見た譲は首を傾げる。


譲たちの幼馴染である和泉真智まさともは根っからの憑依体質で、穢れかと見紛う暗く濁った氣を纏っている。

その氣は禅一のように常に発散されているような非常識な量ではないのだが、異質なので扉が視界を遮っても感知できる。

いや、感知できるはずだったのだ。

(和泉の氣が見えねぇ)

もしかしたら和泉は脱出済みで、トイレにいないのかもしれない。

そんな事を考えながら、譲はトイレをノックする。


「……………」

ノックに対する応答はない。

知らない相手が入っているかもしれないと思うと、反応するまで、しつこくノックするのも気が引ける。

(とりあえず、がいないか視てみるか)

譲は目に意識を集中させる。

透視ができるわけではないが、この世に在らざるものなら、うっすらと視える。


扉の先には、暗い氣が仄かに視える。

(こんなに珍しい氣はそうそうないから、和泉のはずなんだけど………量がなぁ)

しかし悪霊ホイホイの誘引剤としてはあまりに量が少ない。

更に良く視ようとして、

「……………いやいや」

譲は思わず、声を出してしまった。


穢れを負、それを祓う氣を正とするなら、和泉のマイナスを打ち消すようなプラスの存在が見える。

酷く弱く、和泉の力と相殺されて消えかけているが、悪霊ではない。

悪霊ではあり得ない。

「おい!和泉!出てこい!!お前とんでもないモノ降ろしてるぞ!!」

ドンドンと譲は扉を強く叩く。


「……っう………あぁ……」

するとトイレの中から小さな呻き声が聞こえる。

その声は間違いなく幼馴染のものだ。

しかし呻き声はしてもトイレのロックは外れない。

自分の内の存在に邪魔されているのかもしれない。


「頑張れ和泉!根性で開けろ!」

そう応援すると、中で衣擦れの音がして、動こうとしている事はわかる。

しかし元から根性というものが欠如した奴なので、上手くロックを外せないようだ。

「和泉!あと十秒で開けないと、ここでお前が昔書いたラブレターを大声で音読するぞ!」

仕方ないので、そう言うと、中から「おぉぉぉぉぉお!」と死霊のハッスル音のような声が聞こえて、ガチンとドアのロックが外れる音がする。

幼馴染だからこその嫌がらせが効いたらしい。


しかしそこで力尽きたようで、ドアに何かがぶつかる音がして、物体がドア添いにズルズルと落ちていく音がする。

ドア前でしゃがみ込んでしまったようだ。

「和泉、押すぞ!」

容赦のない譲は、ドアにもたれている幼馴染ごとドアを開ける。

「あっ……うっ……あうぅ〜〜〜」

情けない声と共に針金で作った人形のような、細身の男が動いて、何とか人が一人入れる隙間ができる。


「うわ、クサっ!!」

扉と壁に挟まれた男を回収しながら、譲は酸っぱい匂いを漂わせる便器の水を流す。

どうやら体質に合わないものが取り憑いたせいで、体調を崩して吐いたようだ。

「ヒドィ……ヒドィ……ヌシ……サマ……」

身長は男性平均より高く、体重は女性の平均体重より軽い、長ヒョロイ相手は、胃の内容物を出したせいもあって、いつもに増して顔色が悪い。

そして体の中に入った存在のせいか、目が右と左で全く違う動きをしていて、病的な空気を加速させている。


「怖い怖い。和泉、しっかりしろ」

その顔を張り飛ばしてみると、暗い氣が僅かに増え、和泉の中にある光が小さくなる。

「うわっ…………参ったな……」

譲は困惑する。

和泉の方を支援すると、和泉の中の光が弱る。


「譲!大丈夫か!?」

トイレの外からは慧の声がする。

「わかんねぇ!今から連れていく!」

譲はそう答えて、正気を取り戻し切っていない和泉に肩を貸すようにしながら、引き摺って譲はトイレを脱出する。


トイレ前に立っていた慧は、弟の姿を見て、少し安心した顔をしたが、すぐに土気色になった顔色に眉を寄せる。

「何が入ってる?」

そう聞く彼女に、譲はため息を吐く。

「神霊の類だ」

「神霊………こんな負の塊みたいな子に!?神霊が降りているのか!?」

慧は譲の『目』を信頼してくれているのだが、それでも信じられないと目を見開く。


「う〜〜〜ん、俺も信じらんねぇんだけど……和泉に入ったせいで消えかかってるんだよな……」

譲は何かブツブツと呟きながら涎を垂らしている幼馴染に戸惑う。

「何だろう……ヘドロの中でも水があれば延命できると思って飛び込んだら、エラにドロが詰まって死にかけちゃった魚、みたいな……そんな間抜けな神霊っているのかな……」

弟をヘドロ扱いして、慧は首を傾げる。


「このまま和泉の方に働きかけたら、中の神霊は消えて、和泉は元に戻ると思うけど……やっても良いか?」

譲が聞くと、慧は困ったように頭を押さえる。

「いやいや、消したらマズイ。何かの眷属だったら、洒落にならん。呪いや悪霊は何とかする方法があるけど、神は人間にどうこうしてよい存在じゃないし、どうこうできる存在でもない。下手に手出ししたら何が起こるか予測がつかない」

年齢の割に落ち着いているし、その筋にどっぷりと浸かっている慧だが、神霊が人に降りるというのは初めて見たらしく、戸惑っている。


その筋で生計を立てている慧に判断ができないことを、譲にできるわけもない。

譲はただ単に人より『目』が良いだけなのだ。

二人はお手上げ状態で顔を見合わせる。

そんな中、慧と譲のスマホが同時に振動する。

『買い物終わった』

『どこにいる?』

『アイスクリーム食べてて良いか?』

などと、なんとも呑気なメッセージが彼らのグループに送られてきている。


「………根拠はないんだけど……禅なら何とかできる……ような?」

「……俺も根拠は全くないんだけど、禅なら何とかする気がする」

そう言って二人は頷き合う。

『トイレまで来い。速攻で』

そうメッセージを送って、彼らは深刻な顔で救い主を待った。

禅一を待つ間にも、幼馴染の中の光は弱り、幼馴染も苦しんでいる。



そんな緊迫した二人の前に、現れたのは虚空を見つめるフグだった。

あんなに喜び勇んで買いに行ったのに、買ってきたのはフグ。

全く一ミリも可愛さがない、一切デフォルメされていないリアルなフグ。

しかも禅一もヌイグルミを抱いているアーシャも、何とも言えない、諦めの中で何かを悟ったような顔をしている。

「『最高のヌイグルミを買ってくる』んじゃなかったのか」

「あぁ……あんまりにも魚類にしか相手にされんから……」

事態を一瞬忘れて、二人が突っ込んでしまったのは、仕方のない事だったのかもしれない。





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