8.長男、敗北する

アーシャが眠っている間の簡単なドライブ。

そんな風に考えていた禅一は頭を抱えてしまった。

折り返し地点であるパーキングに着いた途端、緑の目がぱっちりと開いてしまったのだ。

「譲〜〜〜」

もう一度寝かそうと禅一は試みたが、車のエンジンが切れると、アーシャは閉じかけた目を必死にこじ開けてしまった。

あっさりとエンジンを切ってしまった譲に恨み言も言いたくなる。

「しゃーねぇだろ」

しかし譲はあっさりと受け流す。

「チビのことなら、禅の代わりに和泉姉いずみあねに付き添いを頼めばいいだろ」

「え〜………」

車に乗っている間、命綱のように握られる手は、アーシャの禅一への信頼の象徴のような物だったのだ。

誰もアーシャについてくれないのは困るが、簡単に代わってしまわれたら、それはそれで少々面白くない。

「不服なら分裂増殖できるように進化し直してこい」

しかしそんな複雑な兄心など、弟には通用しない。

冷たく切り捨てられてしまう。


「おわっ、結構海風が強いな!」

渋々車の外に出た禅一は、冷たい海風に肩をすくめる。

海沿いにある高速パーキングなので、風が強いのは仕方ないが、冬はそこに身を切るような冷たさが加わる。

「マジだ。吹き流しが飛ばされそうな勢いで泳いでんじゃねぇか」

同じく車外に出た譲は、視線を上げて、海を渡る高速道路橋についた吹き流しを見る。

吹き流しは激しくはためいていて、風がかなり強いことを示している。


「お、和泉の車発見」

そう言って譲は大型のSUVに寄っていく。

「アーシャ」

禅一はその後を追うために、チャイルドシートのアーシャに手を伸ばす。

素直に禅一に抱っこされようとしたアーシャだったが、

「あ!」

と、持ち上げる直前に、チャイルドシートから落ちそうなほど身を乗り出して、シートの上に置いていたデコ錫杖を手に取る。


「…………」

ゴテゴテ飾りのついた魔法のステッキ風錫杖は、人が少ない平日のパーキングでは悪目立ちしそうだ。

ただでさえ、アーシャの容姿は日本人と違っていて、人目を引く。

「アーシャ、置いていこう?」

アーシャから離れないように心がけているが、万が一という事がある。

できるだけ事件に巻き込まれる確率を下げるため、変な人間に目をつけられるたくない。

そんな気持ちで錫杖を置いていくことを提案したが、アーシャは真剣な面持ちで、両手で錫杖を抱きしめる。


口をへの字にして、緑の目には絶対に自分の意志を曲げないという気迫が満ちている。

そんな様子なのに、無理やり置いて行かせるわけにはいかない。

禅一は小さく息を吐く。

「わかった」

諦めて、強風でドアが閉じないように足で押さえながら、禅一はアーシャを抱き上げる。

「わっ」

車外に出たアーシャは、強風に前髪を吹き上げられながら目を閉じる。

「おっと」

起き抜けに、この寒い強風は辛いだろう。

禅一はコートの前を開けて、アーシャをコート内に匿う。

寒い風から切り離されたアーシャは、固くした身をリラックスさせて、体を預けてくる。


「禅!」

そこに車を見に行っていた譲が帰ってくる。

譲の隣には明るい色の髪をショートカットにした、小柄な女性がついて来ている。

飾り気のないフード付きのダウンコートの下に、同じく飾り気のない白いシャツが覗き、その下も全く特徴のないジーンズだ。

簡素な服装の中目立つのは、やたらと丈夫そうなブーツだけだ。

目はやる気がなさそうに半分ほど瞼が下がっており、口も面白くなさそうに弾き結ばれている。


「和泉は?車か?」

人影が一つ足りないので禅一がそう聞くと、ショートカットの女性は少し背伸びをして、禅一の頬を引っ張る。

「お姉様への挨拶は?」

少し幼く見える外見とは裏腹に、その声はハスキーである。

『お姉様』を自称しているが、見た目は禅一の方が圧倒的に老けている。

「あけましておめでとーございます、和泉姉。本年もよろしくお願いします」

「ん。おめでとさん。明けて一発目から悪かったね」

素直に禅一が挨拶すると、弾き結ばれていた口の端が少しだけ上がる。


「和泉は大丈夫?」

禅一がそう聞くと、女性は深々とため息を吐く。

「全然ダメだ。動かせない。……と、いうか、処置をしようとしたら、男子トイレに逃げ込みやがった」

打つ手なしと言う、諦め顔の女性は、禅一の膨らんだ腹に視線を向ける。

「何か……とんでもないものが入ってるみたいやけど?」

腹の膨らみを指差しながら、そう聞く女性に、そういえば何も伝えていなかったなと、禅一は気がつく。


「あ、言ってなかったな。これ、俺の妹」

「……妹?隠し子じゃなくて……妹?」

女性は訝しむように眉を顰める。

隠し子なら納得できるという言い方に、彼女の自分への印象は一体どうなっているのだろうかと、禅一は渋面になる。


「実は藤護の家で……」

そう言って禅一が説明を始めようとしたのを譲が遮る。

「ストップ、どうせ和泉にも説明するだろ。まず俺らで奴を回収してくるから、詳しい話は後だ。禅はチビが一人でも車に乗れるように、ヌイグルミとかオモチャとか、気を逸らせるもの買ってこい」

ヌイグルミと聞いた禅一は、途端に目を輝かせる。

「……わかった!最高のヌイグルミを買ってくる!」

そして元気良く答える。


おもちゃ屋さんではなくパーキングなので、種類は少ないかもしれないが、必ずやその中から最高のヌイグルミを選ぼう。

「いや、ヌイグルミだけじゃなくて、オモチャも……」

「無駄無駄。ヌイグルミを買える大義名分をもらって、聞こえとらん」

張り切って、一目散に店に入っていく禅一の耳には、弟と女性の声は入らなかった。




禅一は弾むような足取りで、所狭しとお土産が並べられている店内に入る。

そして無駄に高い身長を生かし、子供向けのお土産がある所をいち早く見つけた。

「アーシャ、アーシャ」

ポンポンと叩いて呼びかければ、スポンと勢い良く、胸元から小さな頭が生えてくる。

「ふはっ」

小さく息を吐いて、小さな頭はキョロキョロと周りを見る。

「すーぱー?」

そして禅一を見上げながら尋ねてくる。

物品がたくさん置いてある店は、アーシャにとってはスーパーになるらしい。


「う〜ん………み・や・げ・や?」

パーキング内にある販売店を何と言えば良いのかと悩んでから禅一は答える。

「みゃーげあ」

うんうんとマジメ腐った顔で頷きながら、猫の鳴き声のように復唱をするのが可愛くて、禅一は顔を緩ませる。

(あぁ……可愛いに可愛いを持たせる時がきた!!)

内心ワクワクが止まらない。


棚の上の方に置いてある巨大なクマを買うような無粋ぶすいな真似はしない。

巨大なテディはある意味夢だが、あのサイズは持ち歩けない。

(巨大ヌイグルミと戯れる姿もきっと可愛いが、ヌイグルミは持ち歩いてこそ!記念すべき一体目のヌイグルミは苦楽を共にする、可愛い友達になって欲しいからな!)

持ち歩きし易くて常に一緒にいられる、フワフワのヌイグルミを思い描いて、禅一の頬は緩みっぱなしだ。


「アーシャ、ぬ・い・ぐ・る・み!」

禅一は張り切ってアーシャにヌイグルミが置いてある棚を示す。

(ちょっと海洋系が多いな……海辺の土産物だから仕方ないのかな)

近くに水族館もあるような土地柄なので、海の生物のヌイグルミが多数置いてあるが、どれも中々可愛い。

珍しいところではクラゲのヌイグルミまであるが、つぶらな瞳がついていて、中々愛らしく仕上がっている。


禅一は期待を込めて、アーシャをヌイグルミの棚に向けて放流する。

自分が欲しくなる程可愛いヌイグルミが揃っているが、好みを押し付けるような野暮はしない。

(アーシャが気にいる品が一番だからな)

理解ある大人のようなことを考えて、禅一は一人うんうんと頷く。


トタトタと棚に歩み寄ったアーシャは、まず芝犬のヌイグルミに興味を持つ。

(それ!俺も可愛いと思った!)

禅一は心の中でガッツポーズをする。

ただ可愛いだけのヌイグルミなので、お土産には適さないとされているのか、端の方に置いてあるがかなりのオススメだ。

(手に……手に……)

手にとってくれと熱い思いを込めて見ていたが、残念なことに、アーシャの興味は隣の猫に移ってしまう。


(ちょっと目がリアルで、目力強めだけど、それはそれで可愛い!)

マフィアのドンが膝にのせて、洋酒を片手に愛でていそうなデザインだが、猫自体が最強に愛らしいから、当然そのヌイグルミも愛らしい。

アーシャが猫を抱き上げる瞬間を今か今かと禅一は待ったが、残念なことに、アーシャの興味は再び隣に移る。

(イルカか。うん。イルカも可愛いよな!目がつぶらだしフワフワ生地で抱っこが気持ちよさそう!)

空色の背面と白色の腹面を持つイルカは、かなり丸っこく作ってあり、持ち歩きもし易そうだ。

フェルト地で作られた黒い目がとても可愛い。

アーシャはイルカにかなり興味を持っているようで、上から下から、見る場所を変えながら熱心に見ている。


(イルカで決まりか!)

禅一の頭の中では、イルカを抱っこして歩き回るアーシャの妄想映像が流れ始め、その愛らしさに頬の緩みが止まらない。

「あ!」

しかしそんな幸せな妄想をしている禅一の傍で、声を上げたアーシャが手に取ったのは、愛くるしいイルカではなかった。


妙にリアルな真円の白目と黒目。

ヌメっとした質感を感じさせる黒い皮に白い斑点がある背中。

ただの白ではなく、ザラザラとした手触りがしそうな陰影までプリントされた丸い腹。

無駄にリアルな筋がプリントされた横ビレ。

黒と薄紅色の背ビレ、腹ビレ、そして握って振り回したくなる形状の尾ビレ。

「……………フグ………………」

何故ヌイグルミという分野でリアリティを追求したのかと製作者に問いたい。

リアルさはプラモなどの、硬い世界で求めれば良いじゃないか。

ヌイグルミはデフォルメされた、風船に尻尾が生えたような愛らしいフォルムで良いじゃないか。

崩れ落ちそうなほどショックを受けている禅一の前で、アーシャは熱心にフグを撫でている。

(可愛い……のか?フグだぞ、フグ。河の豚と書いて河豚)

それでも禅一はアーシャの選択を受け入れようと改めて彼女の腕の中のフグを見る。

「………………」

どこを見ているのかわからない目は、逆にどこにいても睨まれているような気がする。


(前向きに……前向きに考えるんだ。……見ろ、隣のリアルタコやリアルウツボよりは、形状が丸いぶん、ちょっとは……ちょっとはマシ……)

必死に自己暗示をかけようとするが、禅一は頭を抱える。

(どれもイヤーーーー!やっぱりイヤーーーーー!!誰だこんなリアリティ追求系のヌイグルミを子供の目につきやすい所に陳列した奴は!!!)

自分の心に嘘はつけなかった。

リアル系は人気がないのか一番下の棚にまとめて突っ込んであるが、運悪く、小さい子供には、そこが一番見易い位置だった。


「…………………」

禅一は無言ですくっと立ち上がる。

そして全てのヌイグルミを見回す。

(これなら……きっとフグに打ち勝てる……!!)

そんなに広くないお土産ヌイグルミのコーナーで、燦然と輝く愛らしさを持ったヌイグルミを、禅一は手に取る。

愛らしい、耳をたてた白ウサギだ。

後足で立ち上がり、体の前で前足を揃えているという、満点のポージングをしている。

惜しむらくは、この完璧としか言いようのない可愛い毛皮のフワフワを、人間用のワンピースを着せて隠してしまっている所だ。


『子供が自主的に選んだ物に水を差すなんて』と禅一の最後の良心が訴えてくる。

止めておこうかと一瞬、禅一は迷うが、アーシャの手の中のフグを見て———己の良心を殴り飛ばす。

リアル魚介類は嫌だ。

(無理に勧めるわけじゃない。アーシャの目に入っていないかもしれない『可愛い』を提示して、選択肢を増やすだけだ)

心の中で言い訳をしながら、禅一は咳払いをする。

「あ、アーシャ、ウサギさん、ウサギさん」

そして遠慮がちに、しかしウサギがしっかりと見えるようにアーシャの前に差し出す。


(こっちを選んでくれ!!)

そう禅一は心の中で叫んでいたが、その叫びはアーシャに届くことはなかった。

アーシャはギュッとフグを抱きしめて、奪われまいとするように後ろに下がってしまう。

少し怯えているようにすら見える表情を見て、禅一はがっくりと肩を落とす。

「……そうか……」

無理に勧めようなどとは思っていない。

許されるなら、具体的にこのウサギがどれほど可愛いかプレゼンしたい気持ちはあるが、ゴリ押しする気はない。


(しかし……しかし、もう一つだけ!こちらも物凄くオススメだ!)

僅差でウサギに負けたが、もう一つ、禅一が買って帰りたいと思ったほど可愛いヌイグルミがあったのだ。

真っ白な全身の毛の中で、まん丸な目と、その上にちょこんと申し訳程度についている小さな眉、そして口と鼻の周りだけが真っ黒という、神が気まぐれに作ったのではないかという、反則すぎる可愛さ全開のコントラスト。

ぽってりとした流線型の体についている短い前足も卑怯なくらい可愛い。

(これもダメなら諦める……!!)

そんな決意と共に、禅一はアザラシの子供のヌイグルミを手に取る。


「あ・ざ・ら・し」

フグの隣に並べると、フォルム的には何となく近いような気がする。

寒い氷の大地で生きるアザラシの赤ちゃんは脂肪を蓄えて丸々としているのだ。

(丸さはフグに負けるが、こっちにはフワフワの毛とつぶらな瞳がある……勝機はあるはず……!!)

禅一は期待を込めてアーシャの反応を窺う。


「……もーにぁい……?」

アーシャは興味を持ったようで、アザラシの赤ちゃんをじっと見つめる。

興味を持ってくれたかと、禅一は期待は高まったが、アーシャの顔は胡散臭いものを調べるような表情を浮かべていた。

少なくとも可愛いと思っている顔ではない。

(………アザラシまで負けた……)

禅一は自分の前足を抱きしめるようにしながら、ガックリと項垂れる。

普段は座った状態でもアーシャより禅一は大きいのだが、しょげ過ぎて小さくまとまってしまう。


「ゼン、ゼン」

そんな禅一を心配するようにアーシャは顔を覗き込み、小さい手が禅一の腰の強い髪を撫でる。

横を見れば『心配!』という顔をしたアーシャがいる。

その腕では、強く抱っこされたおかげで捻れて、余計に怖い姿になったフグが存在感を出している。

(うっ……)

思わず引きかける禅一の手を、小さな手が取る。

そしてどうぞとばかりにフグを撫でさせてくれる。


ひんやりとしたプリント生地は、見た目に反して触り心地が良い。

巷で多くの人をダメにしているビーズクッションと同じ素材なのだろう。

しっとりと手に吸い付くような、独自の感触がクセになりそうだ。

「……………」

どこを見ているかよくわからない、まん丸の目はやっぱり可愛いとは思えないが、撫でていると、不思議なことに、愛着のような物が芽生えるような気がする。

まだ双葉も出ていていない程度の小さな芽生えだが。


「………もちもち」

そう言って禅一は笑う。

(別に魚類を愛でても良いじゃないか……鮮魚を持ち歩く子供がいたって良いじゃないか……)

多様化が謳われる昨今だ。

フワモコのヌイグルミを至上とするのは偏った意見だ。

(俺だってアーシャが来るまで鯉にしか相手にされなかったわけだし)

魚類にしか相手にしてもらえない男・禅一は、この所の可愛いの供給により、すっかり初心を忘れていた。

どこを見ているかわからない目も、反射だけで生きていそうな所も愛らしいと言えば愛らしいではないか。


「もちもち?」

禅一と一緒にフグを撫でるアーシャが首を傾げる。

「もちもち」

吸い付く感触を楽しみながら禅一は笑った。





「『最高のヌイグルミを買ってくる』んじゃなかったのか」

「あぁ……あんまりにも魚類にしか相手にされんから……」

ヌイグルミと共に弟たちの元に戻った禅一が、正気を疑う視線と、憐憫の視線に晒されたのは言うまでもない。


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